昔話「将軍様のご意向 御犬様施療師養成所物語」

桂林から陽朔までの、漓江川下り Copyright par MatsuokaSousumu@Kaqua

時は元禄十四年。

三代将軍安倍心臓は、全国に生類憐みの令を発しました。

その結果、江戸市中を始め、諸藩では野犬や狂犬が巷に溢れ、困り果てました。

将軍様のご意向を受けた筆頭家老萩生田抜三郎は、将軍の腹心の友、籠池こと加計主水(かけ・もんど)が治める伊予の國に御犬様施療師養成所を作らんと、あらゆる方策を練って画策しておりました。

そこに立ちはだかったのが、仁木弾正こと原田甲斐。越後屋から揺すった賄賂(まいない)五百両を懐にして、諸藩の大名を折伏して、味方につけておりました。
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困った筆頭家老抜三郎は、伊賀者と甲賀者を使って、諸藩に「伊予の國に、御犬様施療師養成所を作るは元禄三十年四月開学とおしりを切ったり」との高札をあらゆる街道の宿場町に立てさせました。

高札に群がった水呑百姓どもは、字が読めません。

近くにいた坊主を捕まへて、「和尚さま、一体、何と書いてあるだんべ?」と尋ねました。

学識のある僧侶だったので、字は読めますが、「元禄三十年とおしりを切る」の意味が分かりません。

百姓どもから「和尚さま、おしりとはどういう意味ですか?」と聞かれた坊主は、苦し紛れに「おしりとはな。臀部のことじゃ。決まっとるがな。つまり、元禄三十年は、臀部のように盛り上がる。そうそう、御犬様施療師養成所が伊予の國に元禄三十年にできるが、その年は大いに盛り上がることだろう。そう書いてあるのじゃ」と、説明しました。

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それを聞いた百姓どもは、「安倍将軍、万歳!安倍将軍、万歳!」と万歳三唱したとさ。

めでたし、めでたし。

(幕府の御用瓦版「参詣」「読切」からの抜粋です。明らかに現代では使ってはいけない差別用語が含まれておりますが、当時を再現するために、敢えて使用させて頂きました)