「東京アウトローズ」はエグイサイトです

両国
 山梨にお住まいの武田先生は、お忙しい中、寸暇を惜しんでエグイサイトを探訪するのが趣味で、時たま、小生にもその存在を教えてくださいます。

  エグイというのは、皆さまが期待されるようなそっち方面ではありません。悪しからず(笑)。

 社会の深層や不条理、弱肉強食、企業スキャンダルなど、正直もんが損する世の中をぐさっと斬り込む社会構造とカラクリを暴露した地を這うような無償の愛の行為とも言うべきサイトのことです。

 今回、武田先生から紹介されたのが、東京アウトローズ WEB速報版という実にエグイサイトです。「茶太楼新聞」もびっくりですね。

 まあ、グダグダ説明することなく、ただ読んで頂ければ、内容が分かりますが、2017年6月12日(月)付の記事には、【アウトローな豆知識】 ジャーナリスト上杉隆らが「準強姦疑惑」の元TBS記者・山口敬之に言及、「スパコン補助金」で2億円のバックマージン―といった最先端の流行(?)を行く記事を掲載しております。

 何で、こういうようなネタが取れるのか不思議でしたが、このサイトは、編集長の奥村順一氏と雑誌「財界展望」の元編集者が集まって発刊した「真相リポート」で、企業のスキャンダル取材はお手の物のようです。

 ツイッターもやっておられるようです。

 しかも、このサイトでは「内部告発」や「情報提供」も求めており、なるほど、インサイダー情報でしたら、それに勝るものはないと納得した次第です。

 ついでながら、この東京アウトローズのツイッターがリンクというか、フォローしていた百田尚樹氏の「安保タダ乗り論」に井上達夫氏が激昂!「あなたほんとに右なの?」を思わず見てしまいました。普段、私はあまりテレビを見ませんから。

 百田さんといえば、あの強面で論法鋭く、天下無敵の右翼の巨魁として有名ですが、井上さんから「あなたは本当の右翼ではない」と論破されても、何ら言い返せず、たじたじになっていたので驚愕してしまいました。意外と優しい人なんですね。

一方の井上さんは、鐘馗様のような怖い髭を生やして如何にも恐そう。「憲法9条削除」論者で、将来的には日本に徴兵制を復活させることが信念のようです。大島渚監督のように直ぐにキレやすく、いかにもテレビ受けしそう。

東大教授で、左翼護憲派を怒鳴り倒し、極右の方かと思ったら、本人はリベラルらしく、これでは昔のように、右翼とか左翼とかいったジャンル分けがいかにナンセンスなのか、よく分かります。

「茶太楼新聞」は実に痛快

江戸東京博物館

今風に言えば、チャラ男か?

大正11年(1922年)から昭和15年(1940年)まで18年間にわたって青森県で発行された地方紙「茶太樓(ちゃたろう)新聞」について、今では知る人は皆無に近いかもしれません。

昨日(6月12日付)の毎日新聞夕刊で、学習院大学の斉藤利彦教授が、この幻の新聞を紹介する論文を発表し、私も初めて知ることができました。実に痛快です。

編集兼発行人は、古木名均(こきな・ひとし)という人。この人がどういう方なのか書かれていなかったので、今のところ詳細不明なのかもしれません。

この新聞は、「滑稽新聞」を発行した「稀代の変人」宮武外骨や、プロレタリア労働運動の著名弁護士布施辰治、それに東京で「民衆娯楽」を刊行していた添田唖蝉坊(そえだ・あぜんぼう)らが顧問となっていたそうですから、皮肉と反骨精神に満ち溢れた反政府新聞だったようです。

何しろ「茶太樓新聞」の題字の両肩に「花柳界の御用新聞 資本家の奴隷雑誌」と堂々と掲げているので笑ってしまいます。花柳界情報や人気芸妓の消息のほか、芸妓の人権擁護、治安維持法批判まで紙面で展開したようです。

太宰治も旧制弘前高校生のときに、この新聞に短歌を投稿して採用されたようです。太宰の最初の内縁の妻小山初代も芸妓でしたから、彼女の源氏名も載っているようです。

 この新聞の「社告」がこれまた凄すぎる!

「資本家各位に告ぐ
各位は絶対に安心して可なり
吾等は必ず各位の期待に添ふ可く
最も忠実な番犬となり
最も勇敢なる用心棒として
各位の為にプロ階級の文無し野郎共を相手に闘ふ事を誓約す」(昭和2年12月1日号)。

権力批判もここまでくると、まさに、痛快この上ないですね(笑)。

江戸東京博物館

もう、今から100年近い昔の話とばかり言ってられませんよ。

安倍菅独裁政権のおかげで、ものを自由に言えない密告閉塞社会が、今になって、ジワリジワリと歩み寄ってきておりますからね。

そこで、100年前の古木名編集権発行人に敬意を表して、渓流斎ブログも社告を出すことにしませう。

「善良なる市民の自由を奪う共謀罪を推進する政治家各位に告ぐ
各位は絶対に安心して宜しい
吾等は必ず各位の期待に応えるよう
最も忠実なる番犬となって
最も勇敢な用心棒として
各位のために非正規雇用の負け組貧民の文無し野郎どもを相手に闘うことを茲に誓います」(昭和92年6月13日)