正義とは一時的なもの

鴻巣市「阿部」天麩羅せいろ 1400円

広瀬ずずです。

今年は、かの世界史的出来事、ドイツのマルティン・ルターが宗教改革(1517年)を始めてちょうど500年でした。

この改革者ルターが残した言葉に素晴らしいものがあります。

 

 

人形の街・鴻巣市

 正義は一時的なものであり、いつかは終わりが来るはずだ。

 しかし、良心は永遠なるものであり、決して滅びることはないのだ。

自分は正しい。向こうが間違っている―というのは得てして自信家が口にする言葉です。

これが、個人ならまだしも、国家レベルとなりますと、相手を敵国とみなし、正義のための戦争を起こす口実にしかねません。周辺諸国と領土問題を抱えている当時国であれば尚更です。

しかし、500年前のルターは言うのです。正義とは一時的なものだ、と。常識もそうなのかもしれません。その時代、時代の社会通念で正しかったことでも、時代が変われば、価値観が180度変わることもあります。

日本で言えば、幕末か太平洋戦争の敗戦の前後ということになるでしょう。昨日まで「正義」だったことが、朝起きたら、逆賊だったり、悪者になったりするわけです。

それは、500年前も同じことで、だからこそ、ルターは、そういった正義を振りかざす人間の浅はかさを見抜いて、箴言を発したのではないでしょうか。

根津で忘年会 小三治の話、伊藤律の話…

東京・根津「車屋」

最近の華麗じゃなかった、加齢と動体視力の低下によりまして、電車内でスマホで毎日更新することが、正直、身体的にとてもしんどくなりました(苦笑)。

◇根津の「車屋」で痛飲

先週の土曜日といいますと、12月2日に東京・根津で開かれた忘年会に参加しましたが、マスコミ業界紙の敏腕記者から「書かないと刑事告訴しますよ♪」と脅されていたにも関わらず、体力的にすぐに書けませんでした(笑)。

ま、今日は簡単に触れます。ちょうど去年の今頃、東京・目白の「五城目」という秋田料理の小料理屋さんで忘年会をやったと思ったら、あれからもう1年も経ってしまったんですからね。早いもんです。今年は、紳士淑女合わせて9人も集まりました。

根津は落ち着ける安くてうまい居酒屋がたくさんあるので、私も好きな街です。串揚げの「はん亭」とか小料理屋の「うさぎ」なんかは昔、よく通ったものです。

今回の会場「車屋」という所は、赤羽彦作村長行きつけの店で、私は初めて行く居酒屋さんでしたが、雰囲気があるなかなかの店でした。お店の人は忙しいのでなかなか注文を聞いてくれませんでしたが、かの有名な吉田類先生の大きな色紙が飾ってありました。

東銀座「凱旋門」生姜焼き加齢じゃなくて、カレーランチ800円

大した話をしたわけではありませんが、有名出版社に勤める成田さんが、熱心に落語の話をされてました。

今は人間国宝の柳家小三治の大ファンというか、追っかけをやっていて、先日は、遠路、埼玉県志木市文化会館で開催された独演会にも行かれたそうです。

そして、熱烈な小三治ファンだけに、彼の愛車のナンバーが「★532」だということまで掴んでおりました。532で小三治と読めますね。(笑)

成田さんが最も敬愛していた落語家は古今亭志ん朝らしいですが、彼も若くして亡くなってしまいました。

自慢話になりますが、私は、20年以上昔になりますが、小三治さんにも、生前の志ん朝さんにもお会いしてじっくりお話を伺っているんですよね。  成田さんには鼻高々です(笑)。

◇伊藤律と甘粕大尉の架空インタビュー

ところで、いつも私を脅迫して喜んでいる敏腕記者は「《渓流斎日乗》はウソばっかし書く。フェイクニュースだ」と、どこかの国の大統領のように絡んでくるので、私も反論しました。

「かの大新聞、朝日新聞が、当時、北京に幽閉されて、外部の人間に会えるわけがない伊藤律にインタビューした、という記事を掲載し、『架空インタビュー』ということで、世間では大騒ぎになりました。フェイクニュースは今に始まったわけじゃありません。そして、もう一人…」と言った途端、名前が出て来ず、「あ、忘れてしもうた」と大失態を演じ、大笑いされてしまいました。トホホ…

悔しいので、ここに書きます。大正12年、関東大震災のどさくさに紛れて無政府主義者の大杉栄らを惨殺したとされ、軍法会議の前に雲隠れしていた甘粕大尉のことでした。

当時、何処の新聞社も先を争って血眼で甘粕大尉の行方を探しますが見つかりません。そこで、某新聞社が会ってもいないのに甘粕大尉のインタビューを掲載して、後で「架空インタビュー」だと発覚するのです。

私も、この場で、汚名返上、名誉挽回が少しできてスッキリしました。

「ETV特集 ロシア革命100年後の真実」は必視聴番組です。

ロシア革命から100年後の東京・銀座

11月25日夜11時からEテレで放送された「ETV特集 ロシア革命100年後の真実」は、ここ何十年間で最も興味深い内容のテレビ番組でした。国民を馬鹿にするようなお笑い番組ばかり作っている民放では作れませんね(笑)。

「100年後の真実」では、まさに、これまでの歴史観を180度転換してしまうような「コペルニクス的転回」の真実が明らかにされます。(期間限定で今ならネットで視聴できます!)

1917年の「十月革命」から今年でちょうど100年。1991年のソビエト連邦崩壊から26年。今やそのロシア革命に対する国民の評価が分かれているというのです。

◇ロシア政府主催記念式典なし、十月革命は単なる出来事!

何と言っても、プーチン政権は、政府主催のロシア革命100周年記念行事を行わなかったというのですから、現政権のロシア革命に対する捉え方が分かります。

しかも、驚くべきことに、かつては「偉大なる十月社会主義革命」と教科書などで教えていたこの革命が、今の公立高校の歴史では、単なる「1917年10月の出来事」として教えているというのです。

巨匠エイゼンシュタイン監督は、映画「十月」の中で、革命軍が、臨時政府閣僚が立て籠もる宮殿に押し寄せて、抵抗勢力と戦い抜いて漸く勝利を収める、まさに「偉大なる十月社会主義革命」が劇的に描かれていますが、実際は、閣僚たちはさほど抵抗せずにいとも容易く逮捕されています。

まさに「出来事」でしたが、事実としては革命の指導者レーニン(1870〜1924)らによるクーデターだったのです。

レーニンは、公約通り、翌11月に「憲法制定議会選挙」を実施します。ところが、蓋を開けてみると、社会革命党(エスエル)が410議席で首位、レーニン率いるボリシェビキ党が175議席の2位に甘んじ、これでは、ボリシェビキが政権を担うことができなくなりました。

この時、レーニンは禁じ手を使います。翌日、議会を封鎖して議員を入れなくして、憲法制定会議を解散してしまうのです。

レーニンは、自著「国家と革命」の中で披瀝したように、議会制民主主義を否定してしまったのです。

内戦に突入します。ボリシェビキ支配下の赤軍と反革命軍の白軍が血と血で争う内戦を始めました。後のKGBの前身の秘密警察チェカ(非常委員会)も作り、反対者を弾圧します。

間の悪いことに、翌1918年に飢饉が襲い、都会では餓死者が続出します。レーニン政権は、農村に食糧徴発部隊を派遣して、農村から食糧を搾取したため、農民も武装して抵抗するようになりました。

◇タンボフ農民を毒ガスで虐殺

1920年、モスクワから南に400キロ離れたタンボフ県では富農が多かったため、政府は重点的に食糧徴発部隊を派遣します。堪忍袋の尾が切れた農民3万人が反乱を起こし、レーニンは10万人の赤軍を派遣します。

この番組で「初公開」と銘打って明らかにした歴史的事実は、1921年6月12日、赤軍はここで毒ガスを使用し、1万4000人の農民を殺害したというのです。ロシア国内で化学兵器が使われた唯一の例だということです。

レーニンは、資本家が独占する富を分配して貧富の差のないユートピアのような社会主義国家を目指していたはずです。レーニンは暴力に基づく政権奪取と革命を主張しました。これでは、大衆に向けた赤色テロです。

今、 ロシア革命の評価が分かれる理由がよく分かります。

歴史学者のゲンナジー・ボルジュゴフ氏によると、ロシア革命では、内戦や諸外国からの干渉などによる戦いなども含めて1000万人から1200万人の人が犠牲になったといいます。

同氏は「革命は、いくらロマンチックに語られようと、起きてはならないと考えます。政権に就く者には常に社会の爆発を予見する賢しこさが必要です。それは、自らを改革変化する力で、そうしないと、多くの犠牲を生むことになる」と発言してましたが、私も同感ですね。

◇ドイツが革命に45億円も資金援助

番組では、このほかに、第一次世界大戦中(1914〜1918年)、ドイツ帝国(ウィルヘルム2世)が、ロシアを戦線から離脱させるために、密かに、レーニンの革命同志だったゲリファンドに100万ルーブル(今の価値で45億円!)もの大金を渡したという事実を、ドイツ外務省アーカイブの資料から暴いていました。

実際、この大金は革命運動に使われ、1917年2月の「二月革命」(300年続いたロマノフ王朝崩壊)の成功などにつながるわけです。

いやあ、私も、ロシア革命については、教科書的なテクストでざっとしか学んでいなかったので、知らなかったことばかりで、まさに目から鱗が落ちるような話で、1時間ずっと圧倒されっぱなしでした。

1924年1月21日、レーニン死去。享年53。この番組で初めて、レーニンの動く姿と声を聞きましたが、こんな若い時に歴史的な大革命を成し遂げたことに感心していました。とはいえ、1200万人の犠牲者は、レーニンの責任と言えなくはありません。

この番組で、すっかり、感心から否定に評価が変わってしまいました。

「禅と骨」のミトワ禅師にまつわる意外な話の展開

東銀座「ねのひ」B定食800円

(昨日の続き)

渓流斎です。

昨日は、京都にお住まいの京洛先生のお薦めの映画「禅と骨」をご紹介しましたが、あれから吃驚。京洛先生も知らない驚くべきお話が寄せられました。

スクープですかね?(笑)

「禅と骨」は、「粋人か?変人か?」と言われた有名な禅僧ミトワさんの評伝ドキュメンタリー映画でしたね。

そしたら、世間は狭い。このミトワ禅師の奥さんを知っている方がいらしたのです。

京洛先生行きつけの馴染みのお店。京都三条商店会「力」(今年、惜しまれて閉店)の女将さんの美人従姉妹マキさんです。知ってるどころではありませんでした。

いわゆる一つの今年の流行語大賞を受賞した「インスタ映え」、じゃなかった、「LINE」で女子高生のような電報を送って下さったのです(笑)。

…こんにちは。従姉妹のマキです。お元気ですか?渓流斎さんのブログを読ませて頂き、特にミトワさんの記事に驚きました‼️(びっくり)

実は中学生の頃から奥様のMrs.ミトワ (幸子)さんに英会話を習っていました☺️高校生の時に、Mrs.ミトワと一緒にアメリカ??旅行へ行きました✈️

当時まだ日本に東京ディズニーランドの無い時で、“遂に私は夢の国へやって来た〜?”と大興奮(笑)
その後20代前半までMrs.ミトワ家(天龍寺)へ通ってました。ヘンリー・ミトワさんとはご挨拶くらい。
そして、私が13年くらい前に帰京した時に、再会したのが最後です。

とても懐かしかったので、ここでお喋りさせていただきました☘…

ねっ?大スクープでしょ?

これは京洛先生も知らないことなので、さぞかし吃驚していることでしょう(笑)。