WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua
「特別展 サムライ」を観に行った江戸東京博物館のミュージアムショップで、面白そうな本を見つけたので買ってきました。
「江戸楽」編集部著「古地図で歩く江戸・東京」(メイツ出版)です。まさに、江戸時代の古地図と現代の地図が比較して見開きで掲載され、お勧め散歩コースまでついているのです。
でも、私自身、江戸城も、八丁堀も、浅草も、ほとんど一度は散策したところが多く、既に教養と雑学知識も増えてしまっていますから、それほど新発見はありませんでした。
というのは、ちょっと傲慢なので、この本を通して私自身が初めて知ったことを書き連ねていくことにしましょう。
●巣鴨にある「とげぬき地蔵」として知られる高岩寺。もともとは、慶長元年(1596年)に湯島に創建され、約60年後に下谷屏風坂(上野の現在、岩倉高校があるところ)に移転して、それから明治24年(1891年)、巣鴨に移っていったというのです。(この本にはそこまで詳しく書かれていませんでしたので、補足しておきました)
江戸時代は、火事が多かったでしたから、寺院の移転も結構多くあったということでしょう。高岩寺は正式名称は曹洞宗萬頂山高岩寺です。曹洞宗だったんですね。
●現在、新宿御苑がある広大な敷地は、信州高遠藩の内藤家の下屋敷があったことはよく知られておりますが、さて、現在、新宿駅があるところは、江戸時代は何だったでしょうか?-何と、国宝になっている犬山城の城主尾張犬山藩成瀬家の下屋敷があったというのです。成瀬家は、組下の鉄砲隊・根来組を内藤新宿に配備していたそうです。
●「青山」の地名は、徳川家康から宅地を与えられた老中青山忠成が、美濃郡上藩の下屋敷を構えたことからそう呼ばれるようになったことは御存知だと思いますが、神保町は、御存知でしたか?-神保長治という旗本が住んでいたことから付けられたんですね。明治以降は多くの学校だけでなく、感染症患者を受け入れる神保院が建てられたそうです。
●市ヶ谷の防衛省の敷地は、御三家、尾張徳川藩の上屋敷だったんですね。邸内には「楽々園」と呼ばれる広大な庭園があったそうです。
以上