「新善光寺展」が開催中=京都・泉涌寺

おはようございます、京洛先生です。

 昨年も渓流斎ブログで紹介、掲載してくださった「新善光寺展」が、今年も11月30日(土)まで、京都・泉涌寺山内にある「新善光寺」で開かれています。

今年は今週27日(水)に、天皇皇后両陛下が“皇室の御寺”である、泉涌寺に行幸啓されたので、同日は、新善光寺の界隈や狭い参道は、小旗を持った人が押しかけ、いつもは閑静な同寺一帯は大賑わいでした。

ワタシは、渓流斎さんも旧知の加藤力之輔画伯が新善光寺のご住職と入魂でもあるということで、彼のアトリエにお邪魔して、同展を覗いてきました。

 今年は、770年余にわたり同寺に伝わる「寺宝」や皇室ゆかりの遺品も展観、公開され、庭の紅葉とともにじっくり鑑賞してきました。 (残念ながら、寺宝等は、写真撮影禁止でした)

後嵯峨天皇が1243年(寛元元年)の勅願で創立、開山された「新善光寺」ですが、その謂れは、はるばる、信濃の「善光寺」に行かずとも、京の都で信州善光寺に祀られている阿弥陀如来と同仏同体を鋳造して、そのまま拝めるようにということで「新善光寺」の名前で建立されたわけです。

新年令和2年1月1日から始まるお馴染み、JRグループが大キャンペーンを張る「京の冬の旅」に新善光寺が初公開されることになったので、 今年は、そのポスターに使われた狩野周信筆の襖絵「鞨鼓楼図」も公開されました。

その前に、取り敢えず、新善光寺の境内の紅葉などをご覧ください。

恐らく、都心の東京駅をはじめ、銀座や新宿、渋谷などで、この襖絵をバックに座る片山九郎右衛門(能楽師)の、“京の冬の旅”の一大キャンペーンのポスターや映像が頻繁に大写しで流されることでしょう。

廊下の奥の絵は加藤力之輔画伯の作品です。

こちらもそうです。

皆さん、京の都がお待ちしております。

拝復

 確か、泉涌寺は真言宗だったはずですが、浄土教の阿弥陀如来の信仰も強いんですね。

 先週、後輩が京都に紅葉狩りに行ったら、大混雑で、歩くのも大変だったという話を聞きましたよ。

 あまり観光客が来ない、知られていない名所を狙うしかありませんね。

こんな近くに遠くの楽しさ=吉竹純著「日曜俳句入門」

 私は、どちらかと言えば、桑原武夫の「第二芸術」派で、俳句や短歌といった短詩型に関しては、敬して遠ざかっておりました。特に、結社というものは、偉い三太夫みたいな髪を生やした巨魁と呼ばれる大先生がピラミッドの頂点に君臨、もしくは世襲していて、会費という名の上納金を納めさせて、下々を睥睨しているように部外者からは見えました。

 でも、俳句や短歌自体には罪がないわけですよね。(もちろん結社も)立派な文藝という名の芸術で、第一とか第二とか序列を付けられるのは、甚だ不本意なことでしょう。

 このブログを愛読してくださっている皆様にはお分かりの通り、今、私は吉竹純著「日曜俳句入門」(岩波新書、2019年10月30日初版)を読んでいます。何故、短詩型嫌いの私がこの本を読むことになったのか、については、今日は説明致しません。お時間がある方は、小生が先日の11月26日に書いた「コピーライターから歌人・俳人に」をお読みください(笑)。

 私は、人間的に随分単純に出来ているのか、この本を読んで、桑原武夫的束縛というか、桎梏からほんの少し脱却できました。「結構、面白そうじゃん」といった軽いノリです(笑)。

 俳聖と呼ばれる偉い人の句を「詠む方」ではなく、「作る方」のことです。新聞などに投稿することを「投句」というそうで、この本の帯にも書かれている「こんな近くに投句のたのしさ」は、前回もご紹介しました。著者の吉竹氏は、「日曜大工」のノリで、忙しいサラリーマンの方でも休日に暇を見つけて、新聞や広報誌やコミュニティー雑誌でも何処でもいいから、投句してみませんか、と薦めているのです。(もう何年も前から、有名なプロ中のプロの俳人でさえも、新聞に投稿しているそうです!)

 そして、この本には、選者に選ばれる極意というかテクニックを教えてくれているのです。前回にも書きましたが、著者の吉竹氏は、電通のコピーライターを経てフリーになり、俳句だけでなく、短歌も新聞等に投稿し、ついには頂点ともいうべき天皇陛下の「歌会始」に入選しています。

 その極意というのは、ごくごく簡単に言えば、選者の句集を熟読吟味して、社会派か、花鳥風月派かといった「選者のクセをつかめ」という結論に落ち着くのではないでしょうか。東京で発行されている主要6紙の掲載日は、日曜日が朝日と東京、月曜日が毎日と読売、木曜日が産経、土曜日が日経というのは基本中の基本。朝日俳壇だけは、投句は葉書だけでしか認めていません。それは、毎週1回、選者が朝日新聞東京本社に集まり、同じ葉書に目を通すという共選システムだからだといいます。ネット投句を最初に解禁した新聞俳壇は、意外にも選者を年功序列で配し、レイアウトを固定している読売俳壇で1989年9月から。「俵万智さんが1996年6月に史上最年少の33歳で読売歌壇の選者に就任しており、私はこれを契機に始まったとばかり思っていましたが、それより7年も前から実施されていたとは驚くばかり」と吉竹氏は書いています。

 投句者にとって、掲載されることは名誉であり、これほど嬉しいことはありません。それには、メールがいいのか、葉書の方がいいのか? 手書きがいいのか、ワープロ字の方が採用の確率が高いのか?句の背景説明である「前書き」を書いた方がいいのか?季語がなくてもいいのか?自分で季語をつくってもいいのか?-まあ、色んなことが書かれています。

◇間違いでは?

 前回、岩波書店の校正は日本一と言えるぐらい厳格だ、といったことを書きましたが、えへへ、この本の中で、間違いを見つけてしまいました。38歳で夭折した画家有元利夫(1946~85)のことを著者の吉竹氏が詠んだ一句に

 花降りぬ有元利夫笛吹けば

 があります。この句は、産経俳壇2007年4月に小澤實選で掲載されました。

 有元利夫は、宮本輝の小説「錦繍」などの表紙も担当したバロック風の絵を描く知る人ぞ知る天才画家ですが、そもそも、彼を知らない選者だったら、この句は掲載されなかったわけです。これ以上、作品について踏み込むのは置いといて、実は、彼は、吉竹氏の電通時代の1年後輩のデザイナーだったというのです。ただし、彼は東京芸大美術学部には4年浪人して入ったので、「年齢は一つ上でした」(91ページ)と著者は書きます。でも、有元利夫は1946年9月23日生まれ、吉竹氏は48年生まれ(一浪して72年に大学卒業ですから早生まれではない)ですから、「年齢は二つ上でした」の間違いではないかなあ、とフト思ったのです。我ながら、嫌な性格ですねえ(笑)。

 ま、私も仕事で校正も、やっているので、職業病みたいなもんですよ。

漢字忘れて2円足りず

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 11月の下旬、毎年、この時季になりますと、喪中のはがきが送られてきます。歳を取るとはそういうものかもしれません。

 今年は、若い頃に大変お世話になった方の奥さんが5月に亡くなられていたという報せを受け、御返事しようかと思いましたら、その方も高齢でパソコンやスマホもやってないようでしたので、久しぶりに、こちらも手紙を認めてみました。

 本当に久しぶりの「手書き」でしたので、漢字が分かっていても、出てきません。目の前のパソコンで、キーを叩いて、漢字を出すのですから、情けないと言ったらありゃしません。個人的ながら、私が生まれて初めてワープロを買ったのが29歳の時、初めてパソコンを買ったのが39歳の時で、それ以前はせっせと「手書き」に励んでいたわけです。そんな世代でさえ、漢字を忘れてしまうのですから、今の若い世代は、最初から漢字は、書き順も分からず、形だけ覚えているだけなので、手書きは難しいんじゃないかなあ、と老婆心ながら思ってしまいました。

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 さて、手紙を書き終わって、郵便ポストに入れる前には切手を貼らなければなりません。最近はいつもメールで済ませ、手紙を出すことは稀なので、切手の備えはあまりありません。あったのは、今年の年賀状葉書の番号くじで当たった切手です(笑)。葉書用の62円と手紙用の82円でしたが、今年10月の消費増税とやらで、葉書63円、手紙84円にいつの間にか、値上がっていたんですね!

 2円足りないじゃありませんか。仕方ない。郵便局に行って、窓口で不足分を払ってきますよ。

 ついでの話で恐縮ですが、最近、旧い友人にメールを出しても、返事がないことが2人、3人と続いています。メールが届いていないのか、相手が返信する意思がないのか、どちらか不明ですが、不信感だけが募るばかりです。どんどん人が離れていく感じで、こんなモヤモヤを晴らす良い方便はないものでしょうかねえ?

検察庁の世界=山本祐司著「巨悪を眠らせない」から

 その前に、山本祐司著「巨悪を眠らせない」(角川文庫)を読んでいました。1988年2月10日初版になっていますから、もう30年以上昔の本です。(文庫ですから、単行 本の方は、「続・東京地検特捜部 日本最強の捜査機関・栄光の復権」(現代評論社)のタイトルで1983年に発行されていました。)

 1976年に明るみに出たロッキード事件を追ったノンフィクションです。著者の山本祐司氏(1936~2017)は、司法記者クラブに10年在籍し、毎日新聞の社会部長も務めた人で、司法関係、特に検察関係の書籍を多く出版し、「この人の右に出る者はいない」と言われたジャーナリストです。が、小生は、社会部畑の人間ではなかったので、つい最近知りました。この本も人に勧められて、古本を買ってみました。

 何で、興味を持ったかといえば、つい先月、都内で加藤哲郎一橋大学名誉教授によるゾルゲ事件に関する講演会を聴講し、その中の重要人物が、太田耐造という戦前を代表する「思想検事」だったからです。法曹界の最高権威でしたが、日本の敗戦により、公職追放されます。

 この本によると、戦後に思想検事に代わって台頭してきたのが、「経済検事」で、戦後の昭和電工疑獄、造船疑獄など歴史に残る大事件で敏腕を振るいます。と、書きたいところですが、造船疑獄では、犬養健法相による「指揮権発動」(検察庁法第14条)で、捜査は打ち切られてしまうのです。犬養健は、5.15事件で暗殺された犬養毅首相の子息で、ゾルゲ事件で連座して逮捕された人でしたね。

 また、同じことを書きますが、同書は、ロッキード事件のあらましを追ったノンフィクションですが、その前に、過去の事件や検察庁の内部闘争などが描かれているのです。検察庁のトップは、最高検の検事総長だということは知っていましたが、最高検の次長検事よりも、東京高検の検事長の方が位が上だということはこの本で教えられました。

 私自身は、戦中前後の昭和初期の方に興味があるので、実は、ロッキード事件よりも、途中で検察が挫折した造船疑獄の方に絶大な関心を持ってしまいました。小生の生まれる前の事件でしたが、後に首相となる自由党の池田勇人政調会長と佐藤栄作幹事長が、収賄側として捜査が続けられていました。日本の政治というのは、戦争直後も金権体質は変わっていなかったんだなあ、という思いを強くしました。

 同書によると、造船疑獄の【贈賄側】は、

 三井船舶社長 一井保造(いちい・やすぞう)

 三菱造船社長 丹羽周夫(にわ・かねお)

 石川島播磨重工業社長 土光敏夫(あの臨調の土光さんまでも)

 飯野海運社長 俣野健輔(日比谷の飯野ビルの大家さんか)ら

【収賄側】は、

佐藤栄作幹事長 《容疑》利子補給法成立にからみ、造船工業会、船主協会から自由党あてとして、各1000万円。佐藤個人として、飯野海運の俣野社長から200万円。

池田勇人政調会長 《容疑》日本郵船、大阪商船、飯野海運、三井船舶の4社から俣野社長を通じて、200万円受け取り。

 造船疑獄が起きた1954年の大学卒初任給は5600円で、2018年の大学卒初任給は20万6700円であることから、約37倍の物価水準にあることが分かるので、当時の1000万円とは、今の3億7000万円ということになりますね。

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 ところで、この本の主人公の一人が、この造船疑獄や昭和電工疑獄などで主任検事を務めた河井信太郎・元大阪高検検事長(1913~82)です。政財界の事件を捜査し、「特捜の鬼」と言われた人物です。この人は、中央大学法学部という私学の出身ながら、東大閥の多い官僚の世界では異例にも抜擢されます。これは、戦後の「思想検事」から「経済検事」に比重が移っていった時機と歩調が合い、実力主義が見直されたからでした。

 中央大学の場合、法律以外にも経理や会計の課目取得が重視され、数字にも強い司法修習生が多かったため、経済検事を重視した検察庁に引き抜かれることが多かったともいわれています。

 どこの世界も奥が深いです。

 

コピーライターから歌人・俳人に

 一昨日24日(日)は、都内で大学の同窓会。昭和37年卒業生から令和元年院卒生まで55人も集まりました。この時季、ボージョレ・ヌーヴォー解禁に当たり、懇親会ではこれを目当てに参加される方も。

 毎回、卒業生の中で、功成り名を遂げた人の講演がありますが、今回のゲストは昭和47年卒業の吉竹純氏。講演名は「天皇陛下にお会いするまでーあるコピーライターの軌跡」でした。異様に面白いお話でしたので、私も後で大先輩の著作を購入してしまいました。

「こんな時代もあったのだ」。マイナス金利時代では信じられない。

 講演名にある通り、吉竹氏は、泣く子も黙る大手広告代理店電通の御出身でした。同氏が手掛けたカメラ会社や電気会社や石油会社や自動車会社などのコピーも紹介してもらいましたが、51歳の若さで天下の電通を退職されてしまうのです。勿体ないですね。その理由について、吉竹氏ははっきり述べませんでしたが、どうやら、独立して、作家として1本立ちする考えがあったようです。

 1989年度日本推理サスペンス大賞(新潮社主催)の最終候補作の4作の中に吉竹氏の作品「もう一度、戦争」が残ったのです。この大賞がいかに凄いかと言いますと、最終的に大賞を受賞したのが、宮部みゆきの「魔術はささやく」。 もう一人、最終候補作に残ったのが、幸田精「リヴィエラを撃て」と現在、大御所として大活躍している大作家ばかりだったのです。えっ? 幸田精を知らない?高村薫の前の筆名だったのです。 高村さんは、その翌年、「黄金を抱いて翔べ」(高村薫名義)で見事、大賞を受賞しています。

 そんな凄い賞の最終候補作に残ったのですから、吉竹氏が筆一本で人生を懸けようとしたことはよく分かります。でも、結局、サスペンス作家ではなく、短歌や俳句の短詩形の専門家になるんですんね。恐らく、広告のコピーと相似形があり、仕事の延長に近かったのかもしれません。

 そんなこんなで、吉竹氏は朝日、日経など多くの新聞に短歌や俳句を投稿しまくり、2002年に毎日歌壇賞、06年に与謝野晶子短歌文学賞、08年に読売俳壇年間賞などを受賞し、11年にはついに歌会始に入選し、天皇陛下にまで拝謁する栄誉まで得たというのです。頂点を極めたわけです。ちなみに、歌会始の入選作は、

  背丈より百葉箱の高きころ四季は静かに人と巡りき

 お題は「葉」でしたが、多くの人が、「落ち葉」や、「葉桜」などといった葉に関係する無難な言葉を選ぶだろうし、選者は読み疲れるだろう。それなら、誰も思いつかない「百葉箱」ならどうだろか、と奇をてらったところが大成功に結び付いたようです。

 先月10月30日には、「出版界の東大」(本人談)岩波新書に企画書を売り込んで、「日曜俳句入門」を刊行するという大技を成し遂げました。何にでもエビデンスを要求する岩波書店の校正の厳格さで鍛え上げられた労作だそうです。小生も感動して、1冊購入させて頂きました。帯に「こんな近くに投句のたのしさ」とあるように、吉竹氏は、ダジャレ精神に満ち溢れています。タイトルの「日曜俳句」も「日曜大工」にちなんだものだといいます。 私も片意地を張らない、そういうところが好きですね。

 コピーライターとして練り上げられた文章力です。この本が好評を博せば、続編「日曜短歌入門」も出版されるかもしれません。吉竹氏が凄いところは、彼自身がどこの結社や同人誌にも属さないで独立独歩でやっていることです。さて、読み始めますか。

🎬「決算! 忠臣蔵」は★★

 宣伝につられて、映画「決算! 忠臣蔵」を観てきました。宣伝のチラシでは、監督の中村義洋の名前が少し小さいことから、この作品は監督で売り出しているんじゃなくて、俳優で売ろうという趣旨が見え隠れします。(映画の宣伝費は、製作費と同じぐらい掛ける、と著名な映画プロデューサーから聞いたことがあります。)

 主演の大石内蔵助役が、堤真一。準主役の勘定方・矢頭長助役が岡村隆史。内蔵助の妻りく役は竹内結子、浅野内匠頭の妻瑶泉院役は石原さとみ。堤は真田広之の元付き人でアクションスター出身の俳優。岡村は、お笑いコンビ、ナインティナインのボケ役で、吉本興業所属。吉本は製作協力に名を連ねていることから、吉本のタレントが総出演という感じ。元参院議員西川きよし、桂文珍の大物までも…。

 仇討ち劇に、お笑いの人たちとは、何か違和感。

もっとも、仇討ちの剣劇場面はほとんどなく、吉良さんも登場せず、お話のほとんどが、銭カネの話。当時の1文=30円、1両=12万円と換算し、蕎麦の相場が16文だったことから、今の480円。討ち入りのためには、宿代、飯代、武具、槍、刀代などで、合計1億円近くかかる詳細内訳は、大変面白かったのですが、やはり、演ってる人たちがお笑いさんだと、違和感が…。

まるで、昭和時代の文士劇か、学芸会のようだった、と書くとこのブログも炎上するでしょうね。映画館までわざわざ足を運んで、きちんとお金を払って観た単なる一個人の感想ということで、勘弁してください。今、ブログに批判的なことを書くと殺される時代ですから、こちらも命懸けです。

 ただし、この映画の原作になった山本博文著「『忠臣蔵』の決算書」(新潮新書)は、しっかりしているようです。武士の中でも、番方(武官)と役方(文官)との間の反目が映画でもよく描かれていました。

京都・光明寺(西山浄土宗総本山)は今、紅葉の見ごろです

京都の京洛先生です。

「東西タイムズ」の渓流斎編集主幹から「京の都の紅葉の写真を送ってもらえませんかね。東京の紅葉は深みがありませんから」とのご依頼もあり、本日、午後から、洛外、長岡京市にある西山浄土宗総本山「光明寺」に出向き、パチパチ写真を撮ってきました。

Copyright par Kyoraque-sensei

紅葉のこの時季は「光明寺さんの紅葉は、綺麗やし、見に行きまひょか」と、近畿各地から見物人が大挙押し掛けるので、阪急「長岡京市」駅から、阪急バスが臨時増便されて、大賑わいでしたね。

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編集主幹とは、今夏、同じ西山浄土宗で、山科にある青龍山「安養寺」を訪れた際、村上純一御住職から「総本山光明寺は、宗祖法然様の御廟もあり、一度ご覧になるといいですよ。今の時季は閑静で人もほとんどいませんから落ち着くでしょう」と勧められましたね。

 確かに、暑さの頂点を極めたあの日、人影が全くない同寺を訪ねることができましたが、今日は、打って変わって大変な賑わいで、見物客目当ての様々な露店も出ていて、「これが同じあの光明寺か」と吃驚仰天です(笑)。

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あの夏の日、渓流斎主幹は、青葉を見ながら「紅葉の時季になると、恐らく、此処は一面、紅葉参道になるのでしょうね」と言っておられましたが、全くその通りでした。これから12月半ばまでは、紅葉見物が出来るくらいまだ青葉も残っていました。

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総門から御影堂までの石畳も、紅葉見物の人出が絶えず、阿弥陀堂、御影堂の堂内も、老若男女、子供連れ、アベック等々でごった返していました。

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光明寺は京都の西南の西山連峰を背景に、今から800年前、法然上人の教えを伝えるべく建立されましたが、総門の前には「浄土門根元地」と大きな石標が建てられています。

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広い境内は、楓の木が多く、「薬院門」から「閻魔堂」にかけての緩やかな下り坂は、まるで紅葉のトンネルのようで壮観でした。

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「御影堂」の裏には「国光大師の御廟」があります。この夏は、御影堂の中に入り、誰もいないお堂で、年老いた管理人の方の詳しい光明寺の謂れを教えてもらいましたが、裏手は拝観しませんでしたね。石庭もありました。…

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この時季だけは入山料500円を徴収されますが、それだけの値打ちはある境内の紅葉探訪、散策でした。

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御影堂の中から、外の紅葉の色合いも綺麗でしょう。

機会がありましたら、また紅葉狩りに京都にお越しください。

以上

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京洛先生江

そうですか。またまた、光明寺まで足を運ばれたのですか。少し、懐かしいですね(笑)。

 確か、光明寺から長岡京市駅までのバスが1時間に1本か2本しかなく、「大変な所に来てしまった」と思いましたが、紅葉のシーズンは臨時バスが出るんですね。

 たくさんの人出の中、「アベック」なんて、1960年代風で、今では死語になってしまいましたが、京洛先生の時間は停まっているのでしょうね(笑)。

 あれから、私自身は、日本浄土教に関して、ほんの少し勉強しましたので、西山浄土宗も、鎮西派も、法然上人も、弁長上人も、証空上人も、そして、阿弥陀如来の思想も知識として増えました。お蔭で、これからも寺院や仏像を参拝するのが、ますます楽しみになりました。

 また、いつか京都に行って寺社仏閣巡りをしたいと思っています。ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

渓流斎

釈徹宗著「法然親鸞一遍」を読む

 小生、最近は、皆様ご案内の通り、仏教思想に再び目覚めて、通勤電車の中では、隣席でスマホゲームに夢中になっている老若男女を横目でチラと見つつ、ひたすら仏教関係の本を読んでいます。「自分は一体何をやっているのだ。隣席の人たちと同じようにもっと遊べばいいのに」と自問しつつ、勉強の方が好きなのでしょう、先日は、釈徹宗著「法然親鸞一遍」(新潮新書)を読了しました。2011年10月20日の初版ですから、もう8年前の本ですが、不易流行です。

 タイトルからして、法然〜親鸞〜一遍の思想遍歴を辿った「柳宗悦著『南無阿弥陀仏』(岩波文庫)の影響かしら」と思いましたら、本文の中での引用も含めて、この柳宗悦本がしっかり取り上げられていたので、何故か嬉しかったです。これまで過小評価されてきた時宗の開祖一遍の見直しも出てきたので、これもまた嬉しかったです。

 著者は、浄土真宗本願寺派の住職であり、大学教授であり、NPO法人の代表でもあるという何足もの草鞋を履き、著書もかなり多くあり、文名も上がっています。浄土真宗の住職なので、親鸞のことに重点が置かれているかと思いましたら、三者三様にある程度の批判も交えつつ同格に描かれ、宗教学者としての学術的中立性が保たれているように見受けられました。入門書として相応しいでしょう。

 開祖である三人の高僧の中で、私自身が一遍上人に惹かれた最大のお言葉は、以下の語録です。(ちなみに、一遍は死の直前に全ての自著を焼却してしまったといいます)

 「念仏の行者は智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賤高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願ふ心をも捨て、一切の事をも捨てて申す念仏こそ、弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ」(一遍上人語録)

 (現代語訳)念仏者は、智慧も捨て、煩悩も捨て、善悪の境界も捨て、貴賤も捨て、地獄を怖れる心も捨て、極楽を願う心も捨て、仏教の悟りも捨て、一切のことを捨てて申す念仏こそ、阿弥陀仏の本願に最もかなうものなのです。

 つまり、浄土教というのは、念仏を唱えて、極楽浄土に往生することを願う教えかと思っていたら、それさえ「一切捨ててしまいなさい」と一遍上人は言うのです。危険思想と言ってもいいくらいの純化した究極の思想です。

 でも、一遍は、ただ「捨てなさい」とだけ言っているわけではなく、「任」に転換しなさい、つまり、「任せなさい」とも言っているのです。(阿弥陀如来を信じなさい)

 孫引きながら、著者の釈氏は、唐木順三の「無常」などを引用しながら、「唐木によれば、法然・親鸞は『浄土と穢土』『煩悩と菩薩』などが二元的に対立しており、しかもこの両者は最後までおのが罪業性を捨て得なかったことになります。それに対して、一遍は『捨てる』という主体さえなく、『任せる』という次元に到達している。それこそが融通無碍、自在の世界というわけです」とまで主張します。

一遍については、「法然・親鸞が開いた世界を平安時代の習俗宗教に逆戻りさせてしまった」と批判される一方、「法然・親鸞を超えて浄土仏教を完成させた」と高く評価する人もいます。

 私は、一遍が法然・親鸞を超えたとまでは思いませんが、一遍が唱えた「聖俗逆転」の思想は、実に恐ろしいほど革命的です。つまり、大変大雑把な言い方ですが、「無量寿経」で語られる出家者を上輩、在家者を中輩、念仏者を下輩としていたのを、一遍は、戒律に捉われない念仏者こそ上根で、在家者を中根、出家者を下根と、大逆転させてしまったのです。こんなこと、法然、親鸞すら思いもつかなかったことでした。

法然は、従来の仏教の中から二項対立構造で取捨選択して、他力の浄土門の専修念仏を説き、親鸞は法然が純化した仏教をさらに徹底し、非仏教的信仰を削ぎ落とした、と著者は言います。法然、親鸞については自分自身、まだまだ勉強が足りないので、もっと精進しなければならないと思っています。

 ただ、私は、定住せず、自己の信念を貫いて51歳の生涯を終えた「捨聖(すてひじり)」一遍にどういうわけか惹かれてしまいます。我々が、とてもまね出来ない、及びもつかない修行僧だからでしょう。いつか「一遍上人伝絵巻」を拝見したくなりました。

小説「続・桜を見るかい?」

 あたしは読売新聞の愛読者なので、何でこれほど「桜を見る会」が騒がれているのかさっぱり分からないの。

 花子なんか、「安倍さんは公私混同、税金泥棒よ」なんて、言うじゃありませんか。花子が問題だと言ってることはー。

①「桜を見る会」の前夜祭の夕食会が5000円だというのは、安すぎる。東京新聞が会場のホテルニューオータニに取材したところ、最低1万1000円。差額の6000円をホテル側が負担したとしたら、利益供与か寄付行為に当たり公職選挙法違反の疑い。安倍事務所が負担したとしたら、有権者への寄付を禁じた公職選挙法違反の疑い。どっちにしてもアウト。

朝日新聞が報道しているように、共産党の宮本徹衆院議員が、桜を見る会の招待者数や支出額などの資料要求をした5月9日に、内閣府が招待者名簿を大型シュレッダーで廃棄してしまった。これは、明らかに証拠隠滅。疚しいから、真実を追及されることを逃れるためでしょ。

毎日新聞によると、 森友学園問題が頂点に達していた2017年3月に「首相夫人は私人である」と閣議決定までしていたあの昭恵さんが「桜を見る会」に参加できる推薦枠を持っていたこと。「私人」が税金で運営される公的行事の推薦枠を持っているなんて、公私混同なんじゃない?

 いくら安倍首相が「法に抵触するようなことは一切やっていません」と弁解しても、よしんば仮に法律違反していなくても、花子は「李下に冠を正さず。公職に就く者としての道義的責任もあるのよ」と言うのです。もう4年前の話で皆忘れているけど、小渕優子さんだって支援者の観劇会の補填をしたことがバレて、経済産業大臣を辞めたんだから、「桜を見る会」に山口県の地元支援者と次期改選の自民党議員を集めた主催者の安倍さんだって、総理大臣を辞めるのに十分に価するのよ、というのです。

そんなに支援者に恩返ししたかったら、国民の税金を使った公的催事を利用するんじゃなくて、自分のポケットマネーで花見会を開催して、収支報告書もしっかり提出するだけの話じゃないの、とまで言うのです。

 花子はそんなこと言っても、あたしは解せないなあ。そんなもん、誰だってやることでしょ。あの「暗黒時代」の民主党政権でも桜を見る会をやったんでしょ?

 あたしだって「板場稼ぎ」とか、謂れのない罪を押し付けられて高級官僚の地位を棒に振ったぐらいだから、安倍さんの気持ちはよく分かるなあ。

 花子に言われるまま、比較的早く報道された今年5月14日付の東京新聞を初めて見たけど、桜を見る会の費用って、たったの5200万円でしょ。そんな端金で、何でこんな大騒ぎするんでしょ?こんなの税金泥棒のうちに入らないでしょう。写真で見ると安倍首相夫妻の隣りには、石坂浩二、デヴィ夫人、由紀さおり、市川猿之助、子役の寺田心、バイきんぐの小峠英二ら芸能人が参集して会を盛り上げているじゃないですか。彼らは、世の中を明るくする「功労者」そのものよ。

大騒ぎしている日本の国民って浅はかねえ。第一、いくら騒いだって、検察が起訴するわけないじゃないの。あたしが言いたいのはそれだけ。

スウェーデンの最新事情を聴いたら…

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 昨晩は、北欧スウェーデンから一時帰国中のH氏を囲む会が、「非正規雇用者と年金生活者の聖地」赤羽で開催されました。語弊ありますが、老若男女数多(あまた)参集し、大盛況でした。

 H氏は、時の権力者だけでなく、大手メディアも批判する筋金入りの新聞社を数年前に定年退職し、奥方様の生地に永住することを決めましたが、年に2回は帰国して、こうして昔からの馴染みのある人たちと歓談しています。

 せっかくですから、スウェーデンの最新事情を聴こうと、色々と質問してみました。特に、スウェーデンでは今や90%以上の人がキャッシュレスで、現金は使わないという話を記事で読んだので、状況を聴いてみました。そしたら、「俺、やり方、分からないから、やってないんだよね」とのお答え。まるで、説明責任も情報開示もあったもんじゃあーりませんか(笑)。以前、メールでも問い合わせた時も返事がなかったので、「返事ができないのは、知らなかったからかあ!」ということが今回初めて分かりました。

 「若い人たちは、何か、スマホに登録して、バスに乗るときでも、何か操作してピッピッと払っているみたいだけど、俺の場合は、プリペイドカードみたいなもので払ってる。面白いことに、友人のユダヤ系の人はクレジットカードも信用していないので、いつも現金払いなんだよねえ」と、やっと説明責任を果たしてくれました(笑)。報道と現実のギャップを感じましたね。

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 スウェーデンといえば、グレタ・ガルボ(1905~90、ストックホルムの有名なPUBデパートの売り子だったがスカウトされた)やイングリッド・バーグマン(1915~82)ら「美人の産地」として知られますが、H氏は「それがねえ、そうではない人も結構いるんですよ」と、筋金入り新聞社の元記者としての真骨頂を発揮しておりました。

  政治面では、移民の問題があり、極右政党の民主党が勢力を伸ばしている話をしてくれました。欧州では、フランスでもドイツでも事情は同じですからね。H氏は日本国籍ですが、スウェーデンの永住権を持っていると、選挙権もあるんだそうです。「でも、俺、一回も投票行ったことないんだけね」と仰るので、またズッコケてしまいました。

同席した赤坂先生は、酔った勢いで、急に、2年前の「コート取違事件」で真冬の寒風の中、非常に難儀したのに、「本人から何の連絡もない」とか、京都に行っても、「京洛先生は、渓流斎の野郎の待遇は良いのに、自分の場合は接遇が劣る」といった話を蒸し返して、見かけによらず、蛇のような執念深い性格を露わにしておりました(笑)。

 でも、お互い、性格を知れあった仲ですから、和気藹々と散会しました。