森口豁著「紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人 池宮城秀意の反骨」を読む

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 最近の週末は台風(予報)のせいで、城めぐりができず、家で本ばっかり読んでいました。ガリ勉ですね。というのは、このブログの愛読者の皆様方には御承知の通り(笑)。

 でも、読書量は1カ月に8冊程度ではないでしょうか。

 かつて、もう30年ぐらい昔ですが、1カ月に40冊ぐらい読んでいました。1日1冊以上です。有り得ないでしょう。でも本当です。仕事(文藝担当記者)だったからです(笑)。通勤電車の中は当然、会社の勤務中も、信号待ちの立ったままでも、食事と睡眠時間を削り、暇さえあれば何処でもかしこでも読んでいました。まあ、それぐらいやらないと1日1冊以上は読めません。しかし、1年も続かなかったと思います。7カ月ぐらいで眼精と頭脳疲労でダウンして、1カ月25冊ぐらいにペースダウンしました。

 今はもうそんな体力も気力もありません。でも、この年齢で1カ月10冊弱は、相当な量だと思っています。

 というわけで、相変わらずの修行僧のような苦しい読書三昧です。今、もうすぐ読み終わりそうな本が、例の沖縄の上里さんから送って頂いた森口豁著「紙ハブと呼ばれた男 沖縄言論人 池宮城秀意の反骨」(彩流社、2019年6月23日初版)です。

 「琉球新報」社長などを歴任した反骨のジャーナリスト池宮城秀意(いけみやぐしく・しゅうい)の生涯を追ったノンフィクションの評伝です。

 よく「学者は易しいことを難しく書き、新聞記者は難しいことを易しく書く」と言われますが、その通りですね。著者の森口氏は、フリージャーナリストですが、かつて琉球新報の社会部記者を務めていたようで、この本は大変読みやすいです。筆が立つ、と言いますか、実に文章がうまい人です。お蔭で、沖縄独特の難読語の人名や地名が多く出てきても、すんなりと脳髄に入って来ました。

 池宮城秀意(1907~89)は、戦中戦後派のジャーナリストです。早大を卒業し、社会主義運動家として活動していたところ、治安維持法で逮捕され、3年もの牢獄生活を経て、「沖縄日報」の記者になります。しかし、新聞社の在り方に嫌気がさして退職し、沖縄県立図書館の司書になります。沖縄戦となり、38歳で徴兵(正確には防衛召集)され、死屍累々の戦場で「銃を持たない二等兵」として生き抜きます。戦後は請われて再びジャーナリズムの世界に戻り、「ウルマ新報(後に琉球新報)」編集長、一旦、退職してから再び返り咲いて、同社社長を務めますが、経営悪化の責任を取って辞任します。その後も沖縄の米軍基地問題や、自然破壊などについて発言を続けます。

 と、書きながら、私自身はこの本を読むまでは、池宮城秀意のことは全く知りませんでした。時代のせいなのか、波乱万丈の生涯です。子ども7人の一家の大黒柱なのに、自分の信念のために、あっさりと新聞社を退職してしまうところは、とても常人とは思えません。まさに反骨のジャーナリストです。

 上里さんが何故、私にこの本を送ってくださったのか、深い理由は分かりませんが、「もっと勉強してください」ということだったのかもしれません。

◇沖縄の悲劇

 沖縄の学童を本土に疎開させるため運航された「対馬丸」 (6754トン) は昭和19年8月22日、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没します。犠牲者は引率教師を含めて1484人。この「対馬丸」の話は有名で私も知っておりましたが、これ以前にも「湖南丸」(2627トン)「嘉義丸」(2509トン)など4隻もの疎開船が撃沈されて、合わせて1490人の学童らが亡くなっていたことは知りませんでした。戦争とはいえ、無辜の疎開学童を殺害するとは酷いことをするものです。

 この本の88ページに出てきますが、あの沖縄戦での戦死没者の総数は、国がまとめたものによるとー。

 日本軍側(沖縄県以外の出身者)6万5908人

     (沖縄県出身者)2万8228人

 沖縄県民 9万4000人

 米軍側(含む行方不明者=米陸軍省まとめ)1万2520人

 昭和15年の沖縄県の人口は57万4579人だったことから(昭和20年は国勢調査が実施できず)、およそ沖縄県民の5人1人が先の戦争で亡くなったことになります。

 つまり、戦後の日本の平和は沖縄県民の犠牲の上で成り立ったと言っても過言ではありません。

 しかも、今でも 国土面積の0.6%しかない沖縄県に、 全国の米軍専用施設面積の70%が集中しているという事実があるというのに、本土の多くの人は無関心か他人事のように思っています。

 私のような凡俗が何を言っても始まりませんが、もう少し沖縄問題に関心を持つべきではないでしょうか。「沖縄の県紙2紙はつぶさなあかん」と暴言を吐く人間が、この世に存在しますが、江戸幕府初期に島津薩摩藩による「琉球征伐」を受けて以来、ヤマトンチューに苦しめられ続けてきた沖縄の人たちが可哀想じゃないか。

W杯ラグビーで日本がアイルランドに勝った、とはいえ、目眩しではないか?

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 ワールドカップのラグビーで、日本代表は、ついに歴史的快挙を成し遂げてくれましたね。大興奮です。

 今まで一度も勝ったことがない世界ランキング第2位のアイルランドに逆転勝ちして、決勝トーナメント進出を濃厚にしました。このまま、目標のベスト8どころか、ベスト4まで行ってほしい。私も、にわか国粋主義者になりました(笑)。

 正直、私はラグビーの熱心なファンではありませんでした。仕事で、寒風吹き曝しの正月の花園ラグビー場で開催される全国高校選手権に取材に行かされ、辟易していました。

 ところが、世界の頂点のW杯と高校ラグビーでは月とスッポンでしたね。怒られる比喩ですが、高校ラグビーがボクシングの新人4回戦なら、W杯は、世界ヘビー級チャンピオンシップです。

また、テレビ観戦すると、分かりにくいルールも字幕で解説してくれます。上空からも撮影してくれます。攻撃と防御の構えも、歌舞伎や大相撲のような「様式美」を感じました。

そんなこんなで、大いに感動していたら、名古屋にお住まいの篠田先生から警鐘のメールを頂きました。

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拝啓 渓流斎さま

昨日は、貴人もラグビー中継を見ていたでしょう。日本が勝って、大騒ぎで嫌になります。ワタシは天邪鬼ですからね(笑)。スポーツほどファシズムに走るものはありません。朝日も日経もグローバリズム大礼賛するなら、それと、全く逆で、正反対の「自国第一主義」のスポーツを大きく礼賛するのは可笑しいのですがね。

 トランプ米大統領をマスコミは「自国第一主義だ」と、よく批判できますね。トランプも迷惑な話です(笑)。トランプが日頃「お前らは嘘つきだ!」とマスコミ批判するのは理解できますね。ワタシは「自国第一主義」ですが、スポーツは冷めた目で見ています。「わあわあ」と言っているのは、吉本の三流芸人の、どうでもいいようなアドリブを喜んでいるのと同じです。

アイルランドは、初戦で太ももを痛めたセクストンという優秀な司令塔が不在欠場で、だいぶ戦力が落ちていたようですね。そんなことは少しも解説しません。

「NHK」はラグビーで大騒ぎですが、「関西電力」の原発マネー疑獄があるのに、この調子では、ラグビーが、目晦ましになりかねません。関電経営陣を究極の「役得」で終わらせたら駄目です。関西電力首脳が「お金を返したら、助役さんが激怒されるので…」と言ったのを、会見で記者が「死人に口なしですよ!」と反論しなかったのも、今の新聞記者の体質が表れています。

 喧嘩腰でやり取りしたら、ほかのメディアが大きく取り上げるので、関電側は窮地にさらに追い込まれるのですがね。

草々

…あらまあ、さすが篠田先生、目の付け所が凡俗な衆生とは違いますね。

何の為の信仰か?=映画「典座」が公開へ

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 今夏に高野山と京都の浄土宗の寺院を巡ったせいか、仏教思想への興味が復活し、深まっています。何処かの特定の宗教集団に所属して、信仰にのめり込むというのではなくて、あくまでも、これからいつの日にか、あの世に旅立つに当たって、称名、念仏、もしくはお題目、またはアーメンでも何でもいいのですが、個人的に勉強して、納得したいものを見極めたいと思ったからです。

 我ながら、タチが悪いですね。お前は宗教を冒涜しているのか、と言われればそれまでですが、そんなつもりは毛頭ありません。

 しかし、オウム真理教事件以来、日本人は宗教に対して、特に強引な布施や寄付金を求める新興宗教に対して、警戒心を募らせるようになったのではないでしょうか。もしくは、「葬式仏教」などと揶揄される既成宗教に対する幻滅などもあるかもしれません。

 これは、あくまでも個人的な見解ながら、例えば、空海の思想は、真言宗の僧侶や門徒、檀家だけのものではないはずです。空海さんは、そんな排他的な人ではなかったはずです。それは、最澄でも、法然でも、親鸞でも、道元でも、栄西でも、日蓮でも、いかなる宗祖にでも言えるはずです。

 そんな個人的な「悩み」を、今夏お邪魔した京都・安養寺の村上住職に御相談したところ、御住職はお忙しいながら、面倒くさがらず、真面目に正面からお答えして頂きました。有難いことです。(二人のやり取りは私信ですので、ここでは公開致しません。悪しからず。)

そんな中、「生まれ出づる悩み」を抱えているのは凡俗の衆生だけかと思ったら、何と、お坊さんにも、それなりに色々と悩みを抱えているんですね。

 ドキュメンタリー映画「典座」は、全国曹洞宗青年会の主宰、製作で、富田克也監督がメガホンを取った作品ですが、10月4日から全国公開されます。全国公開とはいっても、東京から大阪までわずか5単館しかありませんが、見逃せませんね。

 映画の主人公は、曹洞宗の大本山永平寺で修行した山梨県都留市の光雲院の河口智賢(かわぐち・ちけん、1978年生まれ)副住職と、同じく永平寺で修行した三重県津市の 四天王寺の倉島隆行(くらしま・りゅうぎょう、1977年生まれ)住職という若い二人。智賢副住職は、普通の勤労者と同じように寺の仕事と家庭の問題で板挟みになる悩みを抱えながらも、今後の仏教の在り方を模索します。隆行住職も東日本大震災で被害を受けた福島でさまざまな支援活動を行いながらも、自分の無力感に苛まれたりします。二人の若い僧侶に対して、高僧青山俊薫(尼僧)がどんな助言を与えるかも見ものになっています。

 実は、私はまだ見たわけではなく、あくまでもネットで予告編を見ただけですが、映画のポスターにあるように、「何の為の信仰か?」「誰のために祈るか?」と、若い僧侶自らも悩んでいる姿が見られるようです。

 となると、僧侶の「弱さ」や宗教界の恥部などマイナス面まで見せてしまうことになり、全国曹洞宗青年会の一部の人からは、製作や公開の反対もあったようです。それでも、完成させ、来月から公開されるということですから、私も応援したくなります。

 このブログを読まれて、興味を持たれた方のために、映画「典座」の公式サイトをリンクしておきます。日程とわずか5館の公開劇場もあります。これは、宣伝ではありません。差し迫った思いを持つ私自身が興味を持っただけです。

斎藤充功著「フルベッキ写真の正体 孝明天皇すり替え説の真相」は驚きの連続

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この本「フルベッキ写真の正体 孝明天皇すり替え説の真相」(二見文庫)を読んで、まずは、びっつらこいてしまいました。まさに、この表現がピッタリです。

 この本は、「日本のスパイ王: 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」(学研)を書かれたノンフィクション作家の斎藤充功氏がわざわざ私に献本してくださったのです。昨年、この渓流斎ブログで、この秋草俊の本を取り上げたところ、ネットで目敏く見つけた斎藤氏御本人から小生に御連絡があり、意気投合し、昨冬、陸軍中野学校にも詳しいインテリジェンス研究所の山本武利理事長とも御一緒に銀座の安酒場で鼎談したことがありました。

 その後、少し御無沙汰してしまったのですが、今日は斎藤氏からわざわざ電話までありました。

 で、何で驚いたかといいますと、3日前にこの本を読む直前に、仙台にお住まいの一力先生から電話があり、伊藤博文を1909年にハルビンで暗殺して処刑された韓国の独立運動家安重根と、その看守だった千葉十七をしのぶ合同法要が9月22日に、千葉十七の菩提寺である宮城県栗原市の大林寺で行われた、といった河北新報に出ていた記事をきっかけに、今の最悪の日韓関係の話をしたばかりだったからです。

 「フルベッキ写真の正体」の第1章の「六発の銃声」ではいきなり、この日本ではテロリストと呼ばれている安重根による暗殺場面が出てきたのです。この中で、著者の斎藤氏自身は、旧満洲のハルビンにまで足を運び、現場を取材し、実際の下手人は、実は安重根ではなかったのではないか、と判断するのです。なぜなら、安重根は、ハルビン駅頭で、群集と儀仗兵の間に紛れて、伊藤博文の間近の低い所から拳銃を撃ったとされています。となると、弾丸は下から上に流れなければなりません。それなのに、伊藤博文の致命傷になった弾丸は、右肩から胸にかけて右上から左下に貫通していたというのです。斎藤氏は、当時のハルビン駅舎の2階は食堂になっていたことを通訳を通して取材したハルビン駅の助役に確認します。そして、安藤芳氏が「伊藤博文暗殺事件」の中で書かれたように、真犯人は2階食堂の従業員の着替え室から狙撃したのではないか、という説に同調するのです。

 まるで、ケネディ米大統領暗殺事件みたいですね。それでは、狙撃犯人の背後にいた人物とは誰だったのか?この本は「歴史ノンフィクション・ミステリー」と銘打っているので、種明かしはできませんので、実際この本を手に取って読んでみてください。

そうそう表題になっているフルベッキの写真とは何かについても説明しなければなりませんね。御存知の方も多いと思いますが、フルベッキとは幕末に来日した蘭出身の宣教師のことで、写真は、フルベッキと息子を囲んで44人の武士が写ったものです。撮影者は、日本の写真師の元祖上野彦馬。写っている武士たちとは、坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、伊藤博文…と錚々たる幕末の志士ばかり。私も以前、加治将一著「幕末 維新の暗号」(祥伝社、2007年)を読んで大変興奮した覚えがあります。

 なぜなら、ここに写っている大室寅之祐なる人物が、明治天皇としてすげ替えられた(つまり、睦仁親王の替え玉)のではないかという推理小説だったからです。大室は、南朝の流れを組む人物で、明治天皇の父君である孝明天皇は天然痘で死亡したのではなく、毒殺されたという驚きの推理です。

 その毒を盛った下手人の背後にいたのが、実は伊藤博文だったということで、最初に出てきた安重根に繋がります。安重根が伊藤暗殺の理由として挙げた15カ条の罪状の中に、この孝明天皇について、「伊藤さんが弑逆(しぎゃく)しました。そのことは皆、韓国民は知っています」とあったのです。

 さて、このフルベッキの写真に写っていたのは本当に有名な幕末の志士と大室寅之祐だったのかー?これも、ミステリーなので本書を買って読んでみてください(笑)。斎藤氏は、ベルリン出張取材の経費が必要だと、電話で仰っておりました。

 何と言っても、斎藤氏の取材に懸けた情熱とフットワークの軽さには感服します。何かネタがありそうだと思うと、旧満洲、田布施、横須賀、長崎、佐世保、京都、角館…と何処にでも行って人に会いに行きます。残念なのは、年号の間違いあったこと。校正の段階ですぐ分かるので、ミスプリントかもしれませんが、「1956年(昭和33年)」(39ページ)、「明治元年10月28日(1886年12月10日)」(96ページ)は、一目見ればすぐ分かるはずですが…。

いや、これで終わってはいけませんね。斎藤氏のベルリン出張費のためにも、重ね重ね、皆様のご協力をお願い申し上げます。

庶民が知りえない秘密の別世界=京都・百味会

 大阪の浪速先生のライバル、京都の京洛先生から電話があり、「浪速先生は賭博師ですねえ。渓流斎ブログの沽券に関わりませんかねえ(笑)」と半ば冗談で忠告されるのでした。

 京洛先生は真面目ですからね。お彼岸の日は、競馬場には行かず、檀家である京都五山の建仁寺にお参りして、上層幹部僧侶と談笑されたそうです。詳しい内容については茲ではあまり書けませんが、相国寺の有馬頼底管長をはじめ、古刹の管長さんともなると一般庶民からみると破格の扱いで、想像もつかない別世界があるということです。

 映画や小説などで、京都のお坊さんは、よく祇園の老舗料亭に招かれて芸者をあげている場面などがありますが、それらは空想のフィクションではないかもしれない、ことだけは書いておきましょう(笑)。

 その話の延長で、京都には「百味会」という老舗の味を守るのれん会があることを教えてもらいました。戦後まもない昭和24年2月、「1名物1店 」の原則で結成され、創業が400年も500年も続く老舗67店が加盟。一切の追加入を認めていない「京都の真髄」の集まりと言われています。

 皆さんとはご縁がない(笑)懐石料理の「瓢亭」、スッポン料理の「大市」など超高級料亭もありますが、京都土産の定番、八ッ橋の「聖護院八ッ橋総本店」、羊かんの「とらや」、日本酒の「月桂冠」など、皆さんでも手が届く馴染みの店もあります。ご興味があれば、こちらを⇒「京名物 百味会」

 この秘密のヴェールに包まれた百味会が、「知られざる“奥座敷”の世界」として、テレビ史上初めて内部にカメラが入り、今年8月4日にNHKで放送されたらしいのですが、私は見逃しておりました。それが、今ではユーチューブで見られるというので、私も一生懸命に探して見てみました。私が探したのは、音声が途中で長らく切れたり、NHKなのに何度も何度もCMが入るガサツモノでしたが、京洛先生が口を酸っぱくして仰っていた通り、実に面白かったですね。

 祇園にある創業480年の「二軒茶屋 中村楼」を中心に、そこの12代目の辻雅光氏と跡継ぎの13代目喜彦氏の悲喜こもごもがテレビカメラの前で晒されます。若女将の出奔場面まで出てきます。

 百味会だの、老舗中の老舗だのと言っても、どこの世界でも大変です。伝統の味は守らなければならないのに、現代風にアレンジしなければ今のお客や増え続ける外国人観光客がついて来ないという二律背反に迫られ、特に跡継ぎ問題や嫁入りする女将の素質問題など、色々と山積します。番組では創業440年の老舗京菓子屋さんが廃業に追い込まれて、そこの御主人が今ではタクシードライバーをやって生活費を稼いでる有様までカメラで捉えています。

 京洛先生が、何で百味会の話をしたかというと、その番組の中で、普通の人ではとても区別は付きませんが、京洛先生には見慣れた建仁寺のお坊さんたちが登場していたからでした。上層幹部僧侶にその話をしたら、「いやあ、撮られていましたか。テレビに映っていましたか」と、しきりに頭をかいていたそうです。

 どういう形でお坊さんたちが登場していたのか、ご興味があれば、例のユーチューブで御覧になってみてください。世の中には、我々のような庶民が知りえない秘密のヴェールに包まれた別世界があるということですよ(笑)。

 京都「百味会」はこちらのサイトの方が見やすいかもしれませんので、リンクを貼っておきます。

悪銭身につかず?=阪神競馬場貴賓席体験記

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ご無沙汰しています。浪速先生です。数カ月ぶりですかね。ブログは毎日、読ませてもらっています。

  京洛先生が近くに住んでおられますが、大阪と京都は近くですが、なかなかお会いできません。

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 秋の彼岸になりましたが、日頃、仏法に帰依されている渓流斎先生、もう、お墓詣りは済まされましたか?

西に沈む太陽を眺めて修行する一つ「日想観」(にっそうかん)」をされては如何でしょうか。

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そんな、お彼岸の最中に、罰当たりにも、政府公認のギャンブル場「中央競馬(JRA)」の阪神競馬場に出かけきました。

22日に上京された某経済ジャーナリストからのお誘いです。

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 某ジャーナリストはJRAの一口馬主でもあり「浪速先生、『馬主席』は無理ですが、『来賓席』なら入れますから、社会勉強にご一緒しませんか。阪神競馬場正門前でお待ちしていますから」と、親切にご優待いただきました。

その昔、府中や、草競馬の大井競馬場には出かけましたが、いつも夏は暑く、汗たらたら、冬は寒風吹きさらしの入場料百円程度で、社会の吹きダメみたいな場所でした。それだけに、どんな金持の人士が集われているのか、と思って、好奇心もあって、覗かせて頂きました(笑)。

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 朝一番で東京から見えた馬主さんと「正門前」で待ち合わせ、「来賓」入口から入場しましたが、やはり「馬主」特典で入場も厳しく、「来賓席」フロアーに入るにも、指紋認証ではなく大型の「手形認証」されました(笑)。

 一般人も入場できる「特観席」とは違って「来賓席」は、アロハ、ジーンズなど厳禁、ネクタイ着用など緩やかながらも“ドレスコード”がありました。座席もゆったりできて、ゴール正面の良い席で、まあ、芝居、相撲の升席気分ですね(笑)。

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馬主さんの知人が、先に来ておられましたが、いずれも「一株馬主」ながら、馬を何頭もお持ちでしたが、経済ジャーナリストのお知り合いだけに、テレビのワイドショウ、ニュースショウで、よく解説者としてお顔を見るエコノミスト、アナリストでした。なるほど、エコノミスト、アナリストの究極は、博打、ギャンブルに通じると再認識しました(大笑)。

渓流斎さんは「経済」を真面目にとらえておられますが、財テクもその程度ですよ。危ない!、危ない!。そして「来賓席」から一般入場者を優越感をもって見ることが出来るのもよく分かります。当たり前ですが、なんでも上中下があるのです。階層社会で「存在が意識を既定します」ね(笑)。

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馬主は「馬券」に一喜一憂したりしません。「もちろん持ち馬」の勝ち負けに勝負をかけて楽しむのでしょうが、勝った馬と、馬場に出て、表彰式に大きな花リボンをつけ、優勝馬の持ち馬の口輪を持って、写真に納まるのが最高の気分でしょう。

調教師、調教助手ら関係者に祝儀を配るーこれも楽しみだ、と思います。鰊(にしん)長者が暗がりにお札に火をつけ、足元を照らした、と言いますが、似たようなもので、戦国大名が持ち馬自慢になったのも同じ気分です(笑)。

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ワタシは貧者らしく、数千円を賭けましたが、やはり、螻蛄帰りでした(笑)。

東京からやって来られた方たちは「阪神競馬場は中山、府中よりはるかに洗練されていて立派です。阪急『仁川』駅から雨にあたらなくて直接、入場でき、ゴミも落ちていない」と絶賛されていました。

ではまた。以上…

藤井誠二著「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」は凄まじい世界です

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先日、沖縄にお住まいの上里さんから、沖縄の基地問題などに関する沢山の資料と書籍が送られて来ました。書籍は、琉球新報の社長などを務めた池宮城秀意(いけみやぐしく・しゅうい)の評伝「紙ハグと呼ばれた男」(彩流社)でしたが、その前に、昨年、図書館に予約していた本がやっと届いたので、こちらを先に読まなくなってしまいました。

1年も前に予約していた本で忘れていましたが、それが偶然にも沖縄に関する本でした。ノンフィクションライターの藤井誠二氏が書いた「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」(講談社、2018年9月4日初版)という本です。

 「なあんだ、図書館で借りやがって!」と、著者の藤井氏から怒られそうですが、許してください。減少していく年金の中でこれからも自立して生き抜くために、見栄を棄てることにしました。(あれっ?どこかで聞いたことがある台詞ですね)

 内容は、タイトルそのままに表れています。主に、沖縄県宜野湾市にかつてあった「真栄原(まえはら)新町」と呼ばれた性風俗街を舞台に、そこに生きた女性や、主(ぬし)と呼ばれたオーナー、それに絡むヤクザ(旭流会など)や警察など魑魅魍魎とした世界を綿密に取材したルポルタージュです。

 著者の粘着質的な(といっては失礼かもしれないが)手法で、一筋縄ではいかない取材相手の懐に飛び込む度胸と、沖縄の歴史を米軍占領時代にまで遡った調査報道とその筆力には本当に頭が下がる思いで読みましたが、あまりにも悲惨で、あまりにも人間的な所業の数々には、途中で目をそむけたくなる、と言いますか、正直、読み続けるのが嫌になってしまいました。

 藤井氏が沖縄の裏の顔(アンダーグラウンド)を知ったのは、偶然でした。1990年、著者がまだ20代後半だった頃、駆け出しの「社会派ライター」として、ひめゆりの塔や集団自決のあった読谷村(よみたんそん)のチビリガマなどを回り、夜は那覇市内の居酒屋で泡盛をしこたま呑んでホテルに帰る際に、タクシードライバーと話をした時に、ドライバーから「それじゃあ、沖縄の別の顔を見せてあげましょうか」という提案に乗ったからでした。

 連れて行かれたのは、魔界のような「特飲街」と呼ばれた真栄原新町の売春街でした。このタクシードライバーとはその数カ月後に偶然再会し、著者の貴重なアシスタント兼案内人として、個人的に飲みに行ったり、情報を提供してもらったりする仲になり、本書では「タクシードライバー大城」(仮名)として度々登場します。

 社会派ライターとして、著者はこの売春街に興味を持ちますが、誰もなかなか取材に応じくれません。それが、解き放されたように、取材できるようになったのは、皮肉にも、市民団体や警察などの「浄化運動」のせいで、廃業者が続出するようになり、真栄原新町がゴーストタウン化したからでした。2010年暮れの頃で、これをきっかけに、関係者たちが、「当時の様子を真面目に記録として残してくれるのなら」という思いで取材に応じてくれるようになったからでした。

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 本書は、その「記録」ですから、まあ、凄まじいですね。売春婦の方は、北海道や大阪など本土から来る者が多く、例えばホストクラブに入れ込んで借金をつくって送り込まれたり、夫のDVから逃れて子連れで来たりさまざまですが、闇金から借りさせられたカネはトイチ(10日で1割)という違法な利息がついて、借金が雪だるま式に増えて抜け出せない実態を暴いています。

 大阪から連れて来られた女性は、働く条件として、(1)紹介料と利息を含めて300万円の借り入れ(2)1年1カ月の勤務(3)返済は1日3万円の100回払いーを提案されたそうで、著者も書いてますが、これはもう「人身売買」ですね。

 相手は1人15分で5000円。1日15本(1人15分を1本と数える)、7万5000円のノルマが課され、そのうち4割が主(ぬし)への支払いだったことも具体的に聞き出しています。

 ◇おぞましい米兵によるレイプ事件

 第6章では「『レイプの軍隊』と沖縄売春史」というタイトルでページを割き、占領米軍兵士による多くのレイプ事件を取り上げています。主に、高里鈴代元那覇市議会議員らが作成した「沖縄・米兵による女性への性犯罪(1945年4月~2008年10月)」(沖縄の女性グループ「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」発行)からの引用ですが、母親の目の前で娘が連れ去られて行方不明になったり、父親の目の前で娘が強姦されたり、母娘が同時にレイプされたり、病院に重傷で入院している女性が襲われたりする、まさに著者の言うように「鬼畜」としか言いようがないおぞましい事例、いや事件が記録されています。

 本書のように、地を這うようにして生きる社会の底辺の人々を取り上げたルポよりも、ヒトは、ファンタジーやあり得ない恋愛物語や成功物語に飛びつきがちです。

 目をそむけたくなるようなおぞましい話が多いですが、これが人間の性(さが)であり、業(ごう)というものです。著名な学者さんが書かれた立派な経済学書も、文豪が書いた小説も、この本を前にしては霞んでしまいます。なるべく多くの人に読んでもらいたいと思い、取り上げました。

岩井克人著「貨幣論」を読む

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またまた難解な岩井克人著「貨幣論」(筑摩書房、1993年3月25日初版)をやっと読了しました。読むのに10日間ぐらい掛かりましたか…。

 以前、このブログ(今年9月1日付「人間は恐怖と欲望で出来ている」)でご紹介したNHKスペシャル「欲望の資本主義 特別編 欲望の貨幣論2019」をDVDで見たお蔭で、「基本的な知識」を得ていたので、ハイエクの「隷属への道」ほど難解ではなかったのですが、やはり、読むのに難儀しました。

 勿論、この本を読もうとしたのは、この番組を見たことがきっかけで、この番組の中心的な進行係を務めていた岩井克人国際基督教大学教授の代表作である著書を読んでみようと思ったからでした。

 正直、岩井教授は、テレビの方が分かりやすく説明してくれました(苦笑)。

 岩井教授は、番組にあったように、「貨幣とは商品である」という貨幣商品説を退け、「貨幣とは法律の創造物である」という貨幣法制説も退け、スミスやリカードからマルクスに至る「労働価値説」を乗り越え、「貨幣とは何か?」という抽象的な問いをめぐる抽象的な考察に徹したのが本書「貨幣論」です。

結局、同教授が行き着いた考察は、引用すると以下の通りだと思われます。

 貨幣が今ここで貨幣であるとするならば、それは次のような因果の連鎖の円環によるものであった。すなわち、貨幣が今まで貨幣として使われてきたという事実によって、貨幣が今から無限の未来まで貨幣として使われることが期待され、その期待によって、貨幣が今ここで現実に貨幣として使われるという円環である。この円環が正常に回転している限り、貨幣は日々貨幣であり続け、その貨幣を媒介として、商品世界が商品世界として自らを維持していくことになる。しかしながら、もし、過去になされた現在に関する期待がことごとく裏切られ、過去がもはや無限の未来の導きの糸とはならなくなったとしたならばどうなるだろうか?その時、貨幣を貨幣として支えている円環がもろくも崩れ去ってしまうことになるのである。人々が貨幣から遁走していくハイパーインフレーションとは、まさにこの貨幣の存立を巡る因果の連鎖の円環が自ら崩壊を遂げていく過程にほかならないのである。(196ページ、一部換骨奪胎、十数カ所ひらがなを漢字に書き替え)

 岩井氏は、テレビ番組の中でも全く同じようなことを仰っていたので、このカ所をお読みになっただけで理解できた方は、もうこの本は読まなくても大丈夫です。

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 この本は、経済学書ながら、著者は、哲学者のアリストテレス(人類初の経済学者という説も)やプラントを語り、言語学者ソシュールの理論も援用し、最後は、「記述主義の一つの極限形態と看做しうる自らの前期の言語理論の徹底的な批判から出発した」後期ウィトゲンシュタインとの類似性にまで行き着いております。

 もう四半世紀以上昔に出版された本なので、今さら何でと思われるかもしれませんが、かの吉本隆明が批判したという伝説の本なので、やはり、一読の価値がある、と訂正しておきます。

年金は毎月13万円しかもらえない?=森永卓郎氏の講演会

 経済アナリストの森永卓郎氏の講演を聴きに行って来ました。主催者からの「注意事項」で、講演会での写真、動画撮影は禁止ということでしたので、関連写真はありません。ということで、講演会の日時と場所も書きませんが、大変有意義な時間を過ごすことができました。遠路はるばる足を運んだ甲斐がありました。

 森永氏の現在の肩書は、獨協大学教授・経済アナリストですが、バイタリティがある人ですね。話を聴くだけで、元気になります。この立派な大学の先生に向かって言うのは失礼かもしれませんが、この方は芸能人に近いエンターテイナーですね。聴衆の心をつかみ飽きさせない力を持っております。

 最初は、ライザップで20キロの減量に成功した逸話から始め、減量したお蔭で、医者から「余命いくばくもない」と宣告されていた糖尿病も治ってしまったことを話し、聴衆を一気に話に引き込みます。しかも、それは、テレビ番組の企画で広告宣伝になることが条件でしたので、500万円の優勝賞金を得たばかりか、30数万円のライザップの費用もタダだったというオマケつき。

 さて、彼の講演の骨子は、「年金だけでは生活できない老後を、いかにやり繰りして生き抜くか」というものでした。

講演会場近くの公園

まず、今年6月に金融庁の審議会が報告して大問題になった、年金だけでは「老後2000万円足りない」という真相について、森永氏は、そんな試算はまだまだ生ぬるいというのです。

 単純な計算式にすると、夫婦二人の月平均年金が21万円なのに、実際の生活消費費用の平均は26万5000円。となると、毎月、5万5000円足りない。これが65歳から95歳まで30年間続くと、2000万円の不足になるという試算です。しかし、「人生100年」時代が現実的となり、介護や医療費の増加などを加味すると2000万円ではとても足りない、と森永氏は強調するのです。

 しかも、将来的に年金が下がる可能性が十分にあります。現在、現役世代の2.3人が1人の年金高齢者を支えていますが、40年後には、少子高齢化で、それが1.3人が1人を支えることになり、とても現状の水準を維持することはとてもできなくなるというのです。

 それでは、どうすればいいのか?

 現在の毎月26万5000円の暮らしを見直すしかないといいます。例えば、彼は平日は東京都中央区の事務所で仕事をしていますが、週末は自宅のある埼玉県所沢市で過ごしたり、群馬県に農園を借りて野菜を育てたりしているといいます。彼の感覚では、埼玉県の物価は、東京より3割ぐらい安いといいます。勿論、家賃も安いので通勤苦を除けば、彼の命名する「イナカトカイ」の方が暮らしやすいといいます。

 また、テレビの企画で、彼は「1カ月1万円で生活」するという競争で優勝したことがあったらしく、この際、1カ月の食費はわずか4200円だったそうです。仲の良い八百屋さんから余った野菜をもらってきたり、1カ月はゆうに食べられる、廃棄されるような大量のパンのミミを1袋30円で買ってきたりしたそうですが、要するに、これから、生き抜くためには「見栄を棄てろ」と彼は言うのです。

 その通り、彼はテレビやマスコミに出まくって相当稼いでいるように傍から見えますが、テレビ局では用意されている3人分のお弁当を、一つは自分で食べ、残りのマネジャーやスタイリストさん用は来ないので事務所に持って帰って、冷凍にして一週間分の食費を浮かしたり、出演者用に用意されているお菓子までポケットにつっこんで持って帰ってしまうといいます。

 さすがに、最初はTVディレクターから顰蹙を買ったそうですが、そのうち、「タレントの有吉君から『ケチダヌキ』という綽名を付けられ、それからは堂々とお弁当もお菓子も持ち帰ることができるどころか、向こうからわざわざ袋に入れて用意してくれるようになった」と言うではありませんか。

 彼は「『せこい、どけち、しぶちん』は誉め言葉と思ってください」とまで言うのです。

 森永氏は、厚生年金のモデル世帯は、現在の23万円から、将来は13万円になると予想しています。毎月13万円になれば、見栄を張って生きていくわけにはいきませんね。冗談で笑っていた聴衆も、急に深刻な現実に引き戻されてしまいました。

ゲノム編集食品はお好き?

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

消費者庁は昨日の19日に、「ゲノム編集」技術で開発した食品について、「食品表示を義務化しない」と発表しました。

 えっ?ですよ。

 「何でもお上は、なし崩しでやりたいことをやるんだなあ」というのがこのニュースを初めて聞いた時の個人的感想です。

 でも、ゲノム編集の一部だけは、あれほど安全性に問題ありと判断された「遺伝子組み換え食品」とは、ちょこっとだけ違うようです。今回、食品表示を義務化しないと決められたゲノム編集は、狙った遺伝子を切断する手法のことで、同じゲノム編集でも、 狙った部分に遺伝子を加える手法の方は、遺伝子組み換え食品の規制対象で、こちらは表示義務は続けるようです。

 それでも、素人にはさっぱりその違いが分からず!いずれにせよ、年内にゲノム編集食品が出回るそうですが、食べる気がしませんよね。(表示されないので、消費者は分からないかあ!!)

 ゲノム編集食品の表示を義務化しない理由について、消費者庁は「安全面では従来の品種改良と同程度のリスクであり、科学的にも見分けられないことなどから判断した」そうですから、やはり、これを読んで、「なし崩し」の思いを再び強くしました。 それにしても、この理由は何度読んでも、怖ろしいですね。プロでも見分けがつかないから、ま、いっかあ、といった軽いノリです。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 学校でも会社でも、簡単な「決まり事」は何でも「なし崩し」で運用され、いつの間にかルールになっていたりします。地方自治体でも国政でも同じことが言えますね。声をあげて反対意見を旗幟鮮明にしなければ、いつの間にか、法律になっていたり、憲法になったりしかねません。

 となると、消費増税もなし崩し、自公連立政権もなし崩し、少子高齢化もなし崩しってことなのかなあ・・・。