コピーライターから歌人・俳人に

 一昨日24日(日)は、都内で大学の同窓会。昭和37年卒業生から令和元年院卒生まで55人も集まりました。この時季、ボージョレ・ヌーヴォー解禁に当たり、懇親会ではこれを目当てに参加される方も。

 毎回、卒業生の中で、功成り名を遂げた人の講演がありますが、今回のゲストは昭和47年卒業の吉竹純氏。講演名は「天皇陛下にお会いするまでーあるコピーライターの軌跡」でした。異様に面白いお話でしたので、私も後で大先輩の著作を購入してしまいました。

「こんな時代もあったのだ」。マイナス金利時代では信じられない。

 講演名にある通り、吉竹氏は、泣く子も黙る大手広告代理店電通の御出身でした。同氏が手掛けたカメラ会社や電気会社や石油会社や自動車会社などのコピーも紹介してもらいましたが、51歳の若さで天下の電通を退職されてしまうのです。勿体ないですね。その理由について、吉竹氏ははっきり述べませんでしたが、どうやら、独立して、作家として1本立ちする考えがあったようです。

 1989年度日本推理サスペンス大賞(新潮社主催)の最終候補作の4作の中に吉竹氏の作品「もう一度、戦争」が残ったのです。この大賞がいかに凄いかと言いますと、最終的に大賞を受賞したのが、宮部みゆきの「魔術はささやく」。 もう一人、最終候補作に残ったのが、幸田精「リヴィエラを撃て」と現在、大御所として大活躍している大作家ばかりだったのです。えっ? 幸田精を知らない?高村薫の前の筆名だったのです。 高村さんは、その翌年、「黄金を抱いて翔べ」(高村薫名義)で見事、大賞を受賞しています。

 そんな凄い賞の最終候補作に残ったのですから、吉竹氏が筆一本で人生を懸けようとしたことはよく分かります。でも、結局、サスペンス作家ではなく、短歌や俳句の短詩形の専門家になるんですんね。恐らく、広告のコピーと相似形があり、仕事の延長に近かったのかもしれません。

 そんなこんなで、吉竹氏は朝日、日経など多くの新聞に短歌や俳句を投稿しまくり、2002年に毎日歌壇賞、06年に与謝野晶子短歌文学賞、08年に読売俳壇年間賞などを受賞し、11年にはついに歌会始に入選し、天皇陛下にまで拝謁する栄誉まで得たというのです。頂点を極めたわけです。ちなみに、歌会始の入選作は、

  背丈より百葉箱の高きころ四季は静かに人と巡りき

 お題は「葉」でしたが、多くの人が、「落ち葉」や、「葉桜」などといった葉に関係する無難な言葉を選ぶだろうし、選者は読み疲れるだろう。それなら、誰も思いつかない「百葉箱」ならどうだろか、と奇をてらったところが大成功に結び付いたようです。

 先月10月30日には、「出版界の東大」(本人談)岩波新書に企画書を売り込んで、「日曜俳句入門」を刊行するという大技を成し遂げました。何にでもエビデンスを要求する岩波書店の校正の厳格さで鍛え上げられた労作だそうです。小生も感動して、1冊購入させて頂きました。帯に「こんな近くに投句のたのしさ」とあるように、吉竹氏は、ダジャレ精神に満ち溢れています。タイトルの「日曜俳句」も「日曜大工」にちなんだものだといいます。 私も片意地を張らない、そういうところが好きですね。

 コピーライターとして練り上げられた文章力です。この本が好評を博せば、続編「日曜短歌入門」も出版されるかもしれません。吉竹氏が凄いところは、彼自身がどこの結社や同人誌にも属さないで独立独歩でやっていることです。さて、読み始めますか。