このブログは、ほぼ毎日更新しているため、恐らく、付いていけず脱落された方も多いと思います。私も脱落する自信があります(笑)。ただ、日々の知的好奇心が読書量に追い付いていない気がします。いや、その逆かもしれません。日々の読書量が知的好奇心に追い付いていない気がします。知りたいことがまだ沢山あります。
今も2冊を平行して読んでいます。読み終わると1カ月も経てば忘れてしまうので、備忘録としてこのブログに書いているだけなのかもしれません。
先週は、松濤弘道著「日本の仏様を知る事典」を読了したので、羅列したいと思います。
・如意輪観音の「如意」とは、如意宝珠のことで、どんな願いでも叶えてくれる珠のこと。「輪」とは、法輪のことで、仏の教えを指し、この仏に祈るとすべての願いが叶う。右手の第1手は頬につけて思惟をしている姿で、地獄道の人々を救う。右手の第2手は如意宝珠を持ち、餓鬼道から人々を救う。右手の第3手は、立膝の上で数珠を持ち、畜生道から人々を救う。また、左手の第1手は蓮弁に触れて修羅道から人々を救い、第2手は脇の下から蓮華を持ち、人道から人々を救い、第3手は、肩の上に法輪を持ち上げて、天道から人々を救うという。
・観音菩薩は、仏弟子の舎利弗、勢至菩薩は、目連のそれぞれ神話化されたものという。
・華厳経によると、善財童子(菩薩)は、仏の教えてを求めて、文殊菩薩の薦めで、53人のあらゆる職業の師に教えを乞う旅に出て、最後に勢至菩薩と巡り会って、所期の目的を果たす。この故事から、東海道五十三次などが生まれた。
・「明王」は、インドの原住民ドラヴィダ族の神の化身で、外来のアーリア人からの支配を受けた関係で、奴婢や奴隷の姿をしている。不動明王は大日如来が変身し、降三世(ごうさんぜ)明王は、阿閦如来が変身したものといわれる。また、軍荼利明王は、宝生如来の変身、大威徳明王は阿弥陀如来の変身と言われる。さらに、金剛夜叉明王は不空成就如来(釈迦)の変身、愛染明王は、金剛愛菩薩の化身といわれる。
・世界の中心に須弥山(しゅみせん)がそびえ、その周囲に九重の山脈と八つの海がめぐらされている。その海の東西南北に四つの島が浮かび、南のしまの閻浮提(えんぶだい)が我々の住む世界。
・須弥山世界の下から十層目にある天界(有頂天)に梵天(ヒンズー教の最高神ブラフマンが仏教化)が住み、須弥山の頂上の忉利天(とうりてん)の喜見城(きけんじょう)には、帝釈天(原名インドラ)が住む。梵天と帝釈天を釈迦の脇侍とする三尊像が、ガンダーラでつくられた。帝釈天は、音楽神の乾闥婆(けんだつば)の娘をめぐって、阿修羅(八部衆)と争い、その闘いは熾烈を極めたことから、修羅場という言葉が生まれた。
・東の持国天、南の増長天、西の広目天(シヴァ神の化身)、北の多聞天(ヴィシュヌ神の化身⇒単独では毘沙門天)は「四天王」と呼ばれ、帝釈天の家来に当たる。
・吉祥天は、鬼子母神(訶梨帝母=日蓮宗に多くまつられている)の娘で、毘沙門天の妻。弁財天は、梵天の妃。
・大黒天は、シヴァ神の化身で、梵天の子。また、毘盧遮那仏の化身。
・荼吉尼(だきに)天は、インドの魔女ダーキニーの音訳。平安時代の頃に、稲荷と習合する。稲荷は、イネナリから稲の実りを意味する農耕の神。宇迦之御霊(うかのみたま)、保食神(うけもちのかみ)といわれる。伏見の稲荷大社は、真言宗東寺の鎮守神として崇められ、荼吉尼天を本地とする神仏混淆の神。
・七福神=毘沙門天は、災いから身を守る神、大黒天は食欲を、弁財天は性欲を、寿老人は長生きを、福禄寿は権力欲を、布袋は笑いを、恵比寿は金欲を満たす神。
・聖徳太子は死に臨み、周囲には「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行」(もろもろの悪しきことはなさず、もろもろの善きことを行え)と告げ、妻には「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」(世の中のものは全てむなし、ただ仏の真実なり)と語ったという。