ビートルズ「ペニー・レイン」にはエッチな歌詞も?

 銀座「大海」 大分鳥てん定食 880円

◇「世界ふれあい街歩き」

 NHKの「世界ふれあい街歩き」という番組は、とっても面白い番組なので結構見ています。歩く旅人の目線になるよう特殊なカメラで撮影してくれるので、自分もその街に実際に行った気分になれます。コロナ禍で海外旅行に行けない今、ピッタリの番組ではないかと思います。

 先月は、英国のリヴァプールをやっていました。リヴァプールと言えば、ビートルズの故郷です。見逃すわけにはいきませんでした。この他、リヴァプールはサッカーの聖地でもあり、リヴァプールFCとエヴァートンFCと、二つもプレミアリーグ所属の強豪チームがあり、前者はRED(赤)、後者はBLUE(青)と、ユニフォーム・カラーの俗称で呼ばれ、街中でも”Red or Blue?” お前はどっちのファンなんだ?といった会話が交わされることもやってました。

本文と全く合っていない!(笑) ビートルズの写真にしたいのですが、他の多くの人のような著作権の違反はできませんからね(皮肉)

 そして、ビートルズでした。私が好きな彼らの曲の中でベスト5に入る曲に「ペニー・レイン」があります。リヴァプールにある通りの名前で、ジョン・レノンが少年時代に住んでいたメンローヴ・アヴェニューの家から近い所にあります。私も、リヴァプールには2度ほど訪れているので、勿論、ペニー・レインにも行ったことがあります。(ジョン・レノン自身は、労働者階級を強調していましたが、ジョンが住んだ家は中産階級が住むような住宅で、日本で言えば高級住宅街ですよ)

 番組の中でもペニー・レインは取り上げられ、そこで「出演」した市民が、「歌詞にはリヴァプール人しか分からない言葉が出てくるんだよ」と意味深なことを言っていたので、気になっていました(番組ではその答えを教えてくれませんでした)

◇奇妙な歌詞「ペニー・レイン」

 そこで、調べてみました。私も高校時代から訳してみたりしましたが、どうしても分からない単語が出てきました。例えば、Mack は、今でこそ、アップルのコンピュータか、マクドナルドかな、と想像してしまいますが、これはMackintosh のことで、Mack といえば、マッキントッシュのレインコートのことでした。当時の辞書には載っていなかったので、これが分かった時は目から鱗が落ちました。

 もう一つは、 roundabout で、これも当時の辞書にはなく、今では「ロータリー」だということがすぐ分かります。Behind the shelter in the middle of a roundabout となると、ロータリーの真ん中にある待合所ということになり、「世界ふれあい街歩き」のHPのサイトにはその写真が載っています。

 とにかく「ペニー・レイン」は奇妙な歌詞です。リヴァプール人しか分からないスラングとは、多分、 Full of fish and finger pies in summer 辺りだと思われます。ネットのサイトの中にはFour of fish and finger pies と表記して翻訳しているものがあり、このFour とは「4ペニー分の」という意味だと解説しているものもありましたが、私は一応、Full ofとします。

 直訳すると、「夏のたくさんの魚とフィンガーパイ」で、何のことかよく分かりません。それが、色んなサイトを読むと、fish とは、あの英国の定番食のフィッシュ・アンド・チップスのことであるらしい。そして、肝心なのが、finger piesで、これはリヴァプール人しか分からない俗語らしく、食べ物ではなく、女の子のprivate part を愛撫すること、または、万引きすること、なんてのもありました。これでは、米国人でも分からないでしょうね。

 でも、今はネットが発達してとても便利ですね。この曲は、メインヴォーカルのポール・マッカートニーが作詞作曲したと思われますが、ジョンも少し手伝っているかもしれません。さっきの問題個所のFull of fish and finger pies in summer ですが、Full of fish and finger piesまでは、ジョンとポール(そしてジョージも?)がコーラスでハモってますが、 in summer はジョンだけの声に私は聴こえます。「あの夏にやっちゃったんだよ」という雰囲気がよく出ています(笑)。そんな名曲を作ったポールは当時、24歳か25歳。ジョンは26歳か27歳の若さです。

◇「ノルウェーの森」は「ノルウェー製家具」

 昔はとんでもない、誤訳が多かったものです。以前にもこのブログで書いたことがありますが、例えば、ビートルズのNorwegian woodは「ノルウェーの森」と訳されてましたが、本来なら「ノルウェー製の家具」が正しい。ジョン・レノンのCold Turkey は、「冷たい七面鳥」のタイトルでシングルが発売されましたが、これは、麻薬の禁断症状のことで、今では大変な誤訳だったことが分かります。

 「ペニー・レイン」は1967年発売。私は当時小学生でしたが、ラジオで同時代で聴いてました。(その後、レコード、CDを買い、何百回聴いたことか!)でも、歌詞の意味が分かったのは、やっと54年も経ってからでした(笑)。

【関連記事】

2022年2月27日付「A four of fish に新たな解釈!=ビートルズ『ペニー・レイン』の歌詞」も合わせてお読みください。

人類の叡智で地球環境問題を解決できるか=「LIFE SPAN 老いなき世界」

東京・銀座の高級鰻店で

◇断スマホのすすめ

 ここ数年の「スマホ中毒」のお蔭で、視界がボヤけて、目の奥がズキズキ痛む眼痛がいつまで経っても治りません。「誰か止めてくれい」と叫びたくなるほど、まさに「中毒」です。通勤電車の中でも、7人掛けに座っている7人中5人はスマホとにらめっこしています。立っている人のほとんどもそうです。

 これは、何も日本だけの話ではなく、パリに行った時、メトロで、ロンドンでは、アンダーグラウンドで、そしてニューヨークのサブウエイでも皆、スマホと格闘しています。

 昨年から話題になっているアンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳「スマホ脳」(新潮新書) によると、現代人は、10分に1回はスマホを手に取り、スクリーンタイムの1日平均は4時間。10代の若者ともなると、その2割は、スマホに1日7時間を費やしているといいます。1日2時間超のスクリーンタイムは鬱病のリスクや学習集中力の低下につながるともいわれています。

 スティーブ・ジョブズは自分の子どもにはiPadを触らせなかったらしく、「裏事情を知っている」世界のIT企業長者の多くは、子どもにスマホを与えないらしいですね。IT長者に知り合いがいないので、裏を取っていませんが(苦笑)。

 まあ、断酒じゃありませんが、たまには、1日、スマホを仕舞って、触れない日を作ってもいいのかもしれません。インターネットが出始めた頃は、メールチェックも1週間に1度程度でしたからね。あの時代は随分、牧歌的な時代でした。

銀座「博多のぼせもん」 もつ鍋定食 1000円

 ◇「LIFE SPAN 老いなき世界」

 今、先月末から読み始め、途中で「本能寺の変」関連の本を読んでいたため中断していたデビッド・A・シンクレア、マシュー・D・ラプラント著、梶山あゆみ訳「LIFE SPAN 老いなき世界」(東洋経済新報社)を再び、続けて読んでいます。

 このブログでは、1月28日にご紹介し、「実は、まだ半分ぐらいしか読んでいないのですが、できれば、この本を読むお仲間を増やして語り合いたいと思ったので、早々に御紹介しました。」と書きましたが、どなたか読み始めましたか? えっ? いない? 駄目ですねえ。

 世界的大ベストセラーになったらしく、なかなか良い本ですよ。分子生物学、遺伝学の難解な専門書なので、最初は専門用語に追いつくのが大変でした。しかも、著者の何処か自信満々のペダンチックな書き方が妙に鼻に付きましたが、後半では、わずかながら、挫折めいた感傷的になる記述も見られたため、浅はかな評価をやめました。もう1回ぐらいは再読するつもりですので、名著だと思います。

 前半では、「老化は病気の一種なので、NAD増強分子とメトホルミンや少量のラパマイシンを服用すると若返り、寿命が120歳、150歳になるのは夢ではない」といったバラ色の世界ばかり描かれています。

 これだけだと、単なる能天気な、現実を直視しない夢想家の発想にさえ見えますが、後半になると、著者の筆はちょっとネガティブになります。環境汚染や地球温暖化問題、人口増と食糧問題、そして貧富の格差拡大など統計を駆使して説明します。

 それは、著者が、実の息子から「パパの世代もその前も皆、地球が破壊されるのを黙って見ていたよね。その上、何?今度は人がもっと長生きできるようにしたい?世界をもっと傷つけられるように?」と批判されても、何も答えられなかったからでした。

 著者は、世界的なパンデミックの問題も警告していましたが、この本が出版された後、残念ながら、新型コロナウイルスが蔓延してしまいました。

 過去の歴史を振り返り、例えば、19世紀のロンドンで、3度にわたってコレラが大流行し、3万人もの人が亡くなった話に触れています。当時は、コレラは、沼などから立ち昇る悪い空気などから感染すると固く信じられていましたが、ジョン・スノウという医師が、そうではなく、公衆衛生の設備が整っていないからだということを突き止め、井戸ポンプの取っ手を取り外したり、上下水道を整備、改善することによって感染を収束させたといいます。その後、フランス人のパストゥールらのワクチン接種の研究などで、画期的な成果を挙げていきます。

 このように、著者は、先人たちが苦労したように、人類の叡智によって、地球環境問題にしろ、人口稠密問題にしろ、いつかは解決できると期待を込めているのです。

 やっぱり、難解な書物なので、1回読み終わったら、教科書のようにラインマーカーを引っ張って、再読するつもりです。

願掛けて眼科へ

モンティチェロ Copyright par Duc de Matsuoqua

 また、個人的な話なので、「どーでもいい」お話なのですが、右眼の下にものもらいが出来て、もう1カ月以上苦しんできました。眼痛はひどいし、視界もぼやけてきました。このままでは、ブログさえ書き続けられません。

 以前だったら、2~3週間で治っていたのですが、老人力が付いてきたのか、市販の目薬では全然治りません。溜まりかねて、昼休みに会社の近くにある眼科を調べて飛び込んだら、さすがに満員御礼。仕事が終わった夕方に出直すことにしました。

クレーンで富士山を持ち上げようとしましたが重くて中止になったようです Copyright par Duc de Matsuoqua

 銀座の歌舞伎座の近くにあるTアイクリニックという眼科医院ですが、院長さんは、レーシックの世界的権威らしく、院内には表彰状とか、週刊誌や日刊ゲンダイなどで取り上げられた記事などがベタベタと貼られていました。個人的には、あんまし、こういうのは好きではないし、レーシックなんて、おっとろしくてやる気も起こらず。こっちは、単なる、ものもらいの目薬を処方してもらうために気軽に立ち寄っただけですから、合計約1時間の待ち時間は、ずっと目をつぶって瞑想しておりました。

 銀座という地価が高い土地柄、院内はとても狭い空間で、患者さんがひしめき、受付と会計には若い女性が5~6人も待機し、「三密」状態でした。

 単なるものもらいなのに、事前に、眼圧を測ったり、視力を測ったりしました。やっと呼ばれた先生は40歳代ぐらいの女医さんでした。瓜実顔で目が横長で、ちょっと、浮世絵に出てくる江戸美人といった感じです。でも、話をすると、とても言葉遣いが丁寧で、非常に頭が切れて賢そうな信頼できる先生でした。

 とはいえ、ものもらいの治療と称して、患部は針でブチューと刺され、膿を出しましたから、痛いの何のって。麻酔液をかけてくれましたが、1分ぐらいでは効き目がなく、先生は「痛いですよーーー」と言ってはくれましたが、本当に痛かった。

 目薬は銀座のマツモトキヨシで処方してもらいました。コロナ禍で、外国人観光客がいないので空いていました。

「現代の城」散策記=戦国時代と変わらぬ要塞も

 私が住んでいる所は、民度が低いのか、日本で一番馬鹿にされている県で、確かに、自己中心的な狼藉者が多く、私も何度かチンピラにからまれたことがあります。

 はっきり言って、嫌いな街です。縁もゆかりもない所でしたが、たまたま集合住宅の一室を買ったら、バブルが崩壊し、価格が暴落して売れに売れず、そのまま仕方なく住んでいる感じです。

石垣もあり、まさに現代のお城じゃあ

 それでも、近所のKという所は、最寄り駅からかなり遠いのに、高級住宅街と呼ばれ、中にはとんでもなく大きな大豪邸もあります。私も東京の田園調布とか、松濤とか、白金とか、釈正道師がお住まいの等々力とか、高級住宅街と呼ばれる所を訳もなく散策したことがありますが、それらの豪邸に引けを取らないぐらいの大豪邸が散見されます。

 何でなんでしょうかねえ?

 ある噂では、もともと、有名大企業の社長さんのお妾さんを住まわすために区画整理されて、住宅街ができた、なんてものもありましたが、都市伝説じゃあるまいし、まさかあ、ですよね?

写真では大きさが分からない…

 そしたら、今では引退されましたが、かつては「芸能界のドン」と呼ばれた広域指定暴力団山口組の武闘派・後藤組の後藤忠政・元組長が書いた「憚りながら」(宝島社)を読んでいたら、愛人がこのKに住んでいた、といった趣旨のことを書かれていたので、本当に腰が抜けるほど吃驚したことがあります。

 噂は本当だったかもしれません。

◇現代の城めぐり

 コロナ禍で緊急事態宣言が発令され、好きな城巡りや寺社仏閣巡りも出来なくなってしまったので、仕方がないので、今は「現代の城」巡りを、この高級住宅街Kでしているわけです。

 でも、実態は単なる散歩で、通り過ぎているだけですが、「こんなデッカイに家に、どんな人が住んでいるんだろう?何をしているんだろう?」と興味津々です。想像するだけで楽しいのです。何しろ、彼らは現代の城主さまですからね。

城主さまをお見掛けしましたが、普通の人でした

 とはいえ、勿論、想像だけで、それ以上は踏み込みません。ですから、プライバシーの問題もありますから、皆様もこの高級住宅街Kが、何処にあるのか、ゆめゆめ詮索も検索もされずに、想像だけでお楽しみください。

 私なんか、最初はその大豪邸の広さと大きさに圧倒されていましたが、その要塞のような外観と規模には思わず笑ってしまいました。その写真の掲載は控えましたが、笑うしかないでしょう。現代の城主は、戦国時代の武将と同じように、日々、周囲の敵と戦っているようにさえ思えてきました。

【追記】

 ここは田舎ですから、江戸時代の庄屋か大地主の子孫と思われる、遥かに広大な敷地の大豪邸が駅の近くなどの住宅街にあります。

 そして思い出したのが、朝日新聞社の社主だった故村山美知子氏の神戸市御影の自宅を見に行ったことでした。敷地は約1万坪で、香雪美術館も併設されていましたから、私が知る限り、個人の住宅では最高の部類でした。御影や芦屋など関西の高級住宅街の方が、関東より格も大きさも上かもしれません。

 ま、ハリウッドの大豪邸とか、故マイケル・ジャクソンのテーマパークのような大豪邸(最近、売りに出されたらしい)とか比べれば、日本はまだまだ後塵を拝すでしょうけど。あ、そう言えば、ロシアのプーチンさまの宮殿も、本人は「俺や親族とは関係ねえ」と仰ってますけど、どでか過ぎる大豪邸でした。

 

キリシタン宣教師から見た「本能寺の変」

◇浅見雅一著「キリシタン教会と本能寺の変」

2月7日(日)放送予定のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」が最終回で、「本能寺の変」をやる、というので、慌てて、浅見雅一著「キリシタン教会と本能寺の変」(角川新書、2020年5月10日初版、990円)を購入し、3~4日かけて読破しました。

 この本は、「月刊文藝春秋」二月号で「鍵を握るのは『光秀の子』と『キリシタン』新説『本能寺の変』座談会」という記事の中で、歴史学者の本郷和人氏と作家の伊東潤氏がべた褒めしていたので、「こりゃあ、いつか読まなければいけないなあ」と「宿題」にしていたのでした。

 本書に収録されているルイス・フロイスがローマのイエズス会本部に送付した「信長の死について」という報告書が、ポルトガル語原典から初めて翻訳されたということで、大いに期待したのですが、正直、「めでたさも中くらいなり おらが春」(不正確な引用)というのが読後感でした。

◇クセが強すぎる

 偉そうに言って、大変申し訳ないのですが、著者本人の性格なのか、クセなのか、それとも、行数、ページ稼ぎなのか、同じことを何度も何度も繰り返す文章が多く、漫才師千鳥じゃありませんが、「クセが強すぎる」と叫びたくなりました。私が鬼の編集者だったら、繰り返し部分を大幅にカットしますね。

 目玉になっているポルトガル語原典初訳という「信長の死について」も、正直、翻訳がこなれていません。例えば、「二、三日後と思われる堺に赴くとき」(225ページ)、「明智の人々は大変急いで逃げたので」(246ページ)…といった箇所です。前者は日本語になっていないし、後者の「人々」は他にもよく出てきて、直訳だと思われますが、せめて、将兵とか部下とか意訳しても許されるのではないかと思われます。

銀座 スペイン料理「エスペロ」

◇フロイスはスパイのよう

  最初から「注文」ばかり付けてしまいましたが、この本の価値を貶めるつもりは毛頭なく、よくぞ、新しい視点で本能寺の変を分析してくれた、と感謝したいぐらいです。

 本能寺の変は、天正10年6月2日(西暦1582年6月21日水曜日)未明に起きました。明智光秀は何故、主君織田信長に謀反を起こしたのか?日本史上最大の謎の一つ、と言われています。

 それが、同時代人のルイス・フロイスによるイエズス会本部への報告書を読むと、少しアウトラインが見えてきます。それ以上に、伴天連たちはよくぞここまで調べ上げたものだ、と感心するどころか驚愕してしまいます。フロイスは宣教師ですが、スパイみたいです。それもかなり優秀で有能なスパイです。「信長の死について」を読むと、昭和のゾルゲ事件のリヒャルト・ゾルゲを想起します。

 フロイスは、1564年に来日し、「日本史」の著者としても知られ、何度も信長に謁見していますが、本能寺の変があった時は、長崎県の口之津(南蛮貿易の港があり、キリスト教布教の拠点)にいて、事件を目撃したわけではありません。

 しかし、「信長の死について」(1582年11月5日付、イエズス会総長宛書簡)をまとめて書き上げたのはフロイスでした。元になったのは、本能寺に近い京都の修道院にいたカリオン司祭と、安土にいたダルメイダ修道士の書簡、それに美濃にいたセスペデス司祭の書簡などで、そのまま引用したり、参照したりしています。勿論、最終的にはフロイスの見方が挿入されているので、今の週刊誌でいえば、アンカーマンの役割を果たしていたと言ってもいいでしょう。

 ポルトガル語で書かれた報告書なので、日本人や、まして秀吉や家康ら大名の目に触れても分からないので、何ら気兼ねなく自由率直に、本人たちが事実だと思ったことが書かれていた、という著者の指摘はその通りなのでしょう。ただ、それが真実だったかと言えば断定できないと思われます。記述したことが、単なる噂話だったかもしれないし、また、情報ソースであるキリシタン大名・高山右近に直接取材して書かれたと推測される事柄もあるからです。

 例えば、本能寺の変の後、「天下分け目」の戦となった山崎の戦いでは、「中国大返し」で急いで都に帰って来て、疲労困憊する羽柴秀吉軍が到達する前に、高山右近などが既に、明智軍と相まみえて勝敗を決したかのように報告されているのです。これは、高山右近が自分の手柄を大きく見せたいがために、オーバーに司祭たちに話したのかもしれませんし、事実だったのかもしれません。

銀座 スペイン料理「エスペロ」

◇光秀は暴君だったのか? 

 報告書では、信長は、キリシタン宣教師たちを庇護し、安土城下や京都市内にも教会を建てることを容認したり、土地を与えたりしたので、信長に対しては非常に好意的に描かれ、晩年になって自己を神格化して傲慢になった信長を批判しつつ、その死については、やや、ですが、惜しんでいます。

 その一方で、明智光秀については、「生来低い身分で卑賎の家系の人物」とか「彼は、皆から嫌われ、裏切りを好み、処罰には残忍であり、暴君であり…」などとローマの本部に報告しています。これは、フロイスの見方ではないかと思われます。ただし、光秀は、本能寺の変の後の2日後に、安土に到着し、信長の屋敷と城を占拠し、信長が15年から20年かけて獲得した金銀財宝を、光秀は自分の武将たちに分配しただけでなく、京の内裏にも2万数千クルザード、禅宗の京都五山の寺院にもそれぞれ7000クルザード(ポルトガルの通貨単位、1両=7クルザードと推定)を贈ったことなども、フロイスは、そのまま引用してわざわざ書いています。こうした記述を読むと、逆に、私なんかは、光秀は、信長のような吝嗇ではなく、ひたすら私利私欲だけに走る暴君ではなかったように見えます。

 著者の浅見氏は、本能寺の変のキーパースンの一人として、オルガンティーノ司祭を挙げています。オルガンティーノは、本能寺の変について書き残すことはありませんでしたが、変の後、わざわざ生命の危険を冒して、光秀の子息の十五郎に会いに坂本城にまで行っています。また。光秀の娘玉が、盟友細川藤孝の嫡男忠興と結婚した後、キリシタンになって細川ガラシャと名乗りますが、その玉に洗礼を授けたのがオルガンティーノだったと言われています。光秀との接点もあったらしく、本能寺の変の真相を知っている可能性もあるようなのです。

 こうして、日本という狭い空間で起きた大事件が、ほぼ同時期に、ローマに報告されるなど、世界史的視野で語られていたという事実には本当に驚嘆しました。フロイスの報告書を読むと、非常に臨場感があり、今から439年前に起きたことが、つい最近に起きた事件のようにさえ思えてきます。

見つかった? 何が? 愉しみが=備前焼の湯呑茶碗購入記

 備前焼 湯呑茶碗(鈴木美基作)

 コロナ禍による自粛で、つまらない毎日を送らざるを得ません。でも、あまり、落ち込んでばかりもいられないので、何か愉しみを見つけることにしました。

 面白きなき世を面白く、です。

 私の場合、ほんの少し、焼き物に凝ってみました。焼き物といっても、サバの塩焼き定食ではありません(くだらない!=笑)。有田焼、九谷焼、笠間焼といったあの焼き物です。高校生程度の基礎知識しかないので、少し調べたら、中世から現代まで続く代表的な六つの窯を「六古窯」と呼ぶそうですね。それは、越前、瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前の6窯です。1948年頃、古陶磁研究家の小山冨士夫氏により命名されたといいます。既に奈良、平安時代から生産が始まっています。

 となると、私も、以前購入したり、家にあったりして、良く知っている唐津焼や萩焼や志野焼や益子焼などは、六古窯と比べれば、それほど古くないということになります。豊臣秀吉による朝鮮出兵で、多くの陶工が日本に強制的に連れて来られたりして、九州を中心に全国至るところで、窯が開かれたという話を聞いたことがあります。

 茶道具の陶磁器の中には城が買えるほど、超高価なものがあったりして、調べれば調べるほど焼き物の世界は奥が深いので、歴史的な話はひとまず置いて、個人的な話に絞ります。

◇湯呑茶碗が欲しい

 きっかけは普段、家でお茶を飲んでいる湯呑茶碗です。いくらなのか、知りませんが、安物で、スーパーで「一山幾ら」の中から見つけてきたような代物です。毎日使っているものですから、そんな安物ではあまりにも味気ない。それでは、何か良い物でも奮発して買ってみようかと思い立ったわけです。

 でも、焼き物は種類が莫大で迷うばかり。そこで、誰が言ったか知りませんが、「備前に始まり備前に終わる」という格言を思い出し、備前焼に絞ることにしたのです。

 そしたら、銀座に備前焼の専門店があることを見つけました。何と私の通勤路のみゆき通りにあり、毎日のようにそのビルの傍を通っていたのです。その店は「夢幻庵」といい、ビルの2階にあります。昼休みに、飛び込みで入ったら、40代ぐらいの女性の店主が笑顔で迎えてくれました。「夢幻庵」は岡山県備前市に本店と支店があり、陶芸作家を200人以上抱えているというのです。東京の、しかも銀座に支店を出すぐらいですから、相当なお店なんでしょう。

備前焼 湯呑茶碗(鈴木美基作)良い景色です♪

◇「小橋俊允は私の弟です」

 それで、店主と色々と話しているうちに、結局、湯呑茶碗一個を買ってしまいました。備前市の鈴木美基さんという陶芸作家が作ったものです。6600円也。お店の女性は「作者は48歳ぐらいの方です」と説明してくれましたが、後で自分でネットで調べてみたら、1970年生まれの方でした。ということは50歳ですよね? もう一人、気に入った湯呑茶碗があり、どちらにしようかと最後まで悩みましたが、8800円という値段の関係もあり、今回は諦めました。作家は小橋俊允さんという人でした。この方、ネット通販でも名前を見かけた人でした。偶然です。通販で購入してもよかったのですが、ネットでは重さも大きさも肌合いもよく分からないので、店舗に足を運ぶことにした経緯があります。

 そしたら、お店の女性は、後になって、「(小橋俊允は)私の弟なんですよ」というので吃驚してしまいました。既に、鈴木美基さんの茶碗を注文してしまっていたので、「遅かりし蔵之介」です。店主は、最初、小橋さんのことを「41歳ぐらいです」と説明しておりましたが、私が後で調べたら、1977年生まれ、ということで、それなら43歳です。えっ!? もし、その場で分かっていたら、「ご自分の弟さんなのに、年齢も知らないんですか?」と、突っ込みを入れていたことでしょう(笑)。

お茶だけでなくビールや焼酎も呑めるとは!

◇茶碗で酒でも呑むかあ

 ということで、鈴木美基氏の湯呑茶碗は、これからも長く愛用していくつもりです。何と言っても、おまけの「収穫」は、この茶碗で、お茶だけでなく、ビールが飲めたり、焼酎のお湯割りなんかも呑めたりできるという話を聞いたことでした。

 「使えば使うほど、味が出てきますよ」と店主さん。こりゃあ、いい。愉しみが一つ増えました。

新ばし料亭街を歩く=「京都 瓢亭 銀座本店」でランチ

◇6.9億人が飢餓に苦しむ 

 国連食糧農業機関(FAO)などが昨年8月に発表した統計によりますと、現在、世界人口の8.9%に当たる6億9000万人が飢餓に苦しんでいるといいます。

 先日は、ミャンマーで軍事クーデターが起きましたし、同国のロヒンギャ族もいまだに虐げられています。中東では、シリアでもイエメンでも内戦が続いて収束の兆しが見られず、コロナ禍でも、アフリカ難民の人々がいまだに地中海を彷徨っています。

 それなのに、お前は気楽に銀座でランチなんかして、しかもブログにその写真なんぞまで上げたりしている。そんなんでいいのか!との天の声が聞こえてきます。

 「いえ、私自身も、あまり気が進まないんですが、グルメ関係は反応が多いもので…」と弁解しようものなら、「堕落したプチブルめえ。どうせ、ブログのアクセス数と広告クリックで、稼ぎたいんだろ?地獄に行きやがれ!」との非難の声が聞こえてきます。

 我ながら、あに、やってんでしょうかねえ? 気が引けます。

 とは言いながら、

 不届きにも、今日も今日とて、銀座ランチのお話です。

 本日行ったのは、「京都 瓢嘻 銀座本店」です。敷居が高く、ちょっと入りにくい高級懐石料理店です。チェーン展開されているようで、系列店かどうか分かりませんが、「瓢嘻 赤坂店」の方は、前の首相の安倍さんが贔屓にしていたお店で、「首相動静」を見ると、ちょくちょく、この店の名前が出てきたものです。

◇高級料亭街を闊歩する

 実は、この「瓢嘻 銀座本店」の周囲(東銀座、新橋、築地)は、いつぞやこのブログで書いたことがありますが、著名高級料亭街でもあります。「吉兆」(東京吉兆本店)、「松山」、「金田中」(新橋演舞場)、「米村」、「小すが」、「花蝶」(1968年の「日通事件」の舞台)、そしてほんの少し離れてますが、「新喜楽」(芥川・直木賞選考委員会開催会場)…。

 いずれも、皆様、一度は行かれたことがあることでしょうから、御説明はいらないことでしょう。もし、行かれたことがない方がいらっしゃったらいけないので、「東京新橋組合」のサイトのリンクを貼っておきます。

「京都 瓢亭 銀座本店」のランチ「鯛胡麻タレ丼」 1320円

 それで、「瓢嘻 銀座本店」の話でしたが、この店の前にメニューと値段も展示しているので、怖れることはないのです(笑)。特に昼間のランチは。

 完全個室で、他に誰もいない「孤独のグルメ」なので、新型コロナに感染するリスクは、至って少ないと思われます。最近、剃髪して出家された釈正道師におかれましては、近くの歌舞伎座での歌舞伎鑑賞のお帰りがてらにお薦めです。釈正道師は、このブログの本文は読まず、専ら料理の写真ばかり見ているという噂ですが。

 ◇「料亭政治」復活を

 かつては、この料亭街では「料亭政治」が蔓延り、店の前は、黒塗りのハイヤーや社用車が列をなして並んでいたものです。しかし、世知辛い世の中になってしまい、めっきり減ってしまいました。道理で、人間が小粒になり、小さくなったものです。

 先ほど、料亭「花蝶」にリンクを貼っておきましたが、ここは、昭和の疑獄事件の一つである「日通事件」で舞台になったところでした。

 悪徳検事や政治家や大物財界人を自称するなら、料亭に行って、どんちゃん騒ぎをして、「ムフフフ、おぬしも悪やのお~」とやらなければ駄目ですよ。日本の経済発展のためにも、です。

 あれ? 皮肉に聞こえましたか? 貴方も随分、性格が擦れてきましたねえ(笑)。コロナの影響ですか?

政治家や専門家の根拠のない扇動には乗らないこと=新型コロナ禍では不安を受け入れる覚悟を

吊り上げられる~富士山危うし Copyright par Duc de Matsuoqua

 もう異様に長いコロナ禍の影響で、どうも気分が落ち込みます。せっかく、確定申告を早々に済ませて有頂天になったのに、その爽快感は1日しか持ちませんでした。気分の落ち込みは自分だけではないので、まるで集団ヒステリーにでも罹ったような感じです。

◇二重マスクとは狂ってる

 街では自警団が蔓延っていて、神経がやられます。ラジオで聴いたのですが、ある40代の女性が電車の中でウレタンマスクを着けていたら、隣りの爺さんから怒られたそうです。それ以来、下が不織布で上がウレタンの二重マスクにしている、といった話をしていました。

 放送禁止用語を敢て使いますが、世の中狂ってますね。

 そして、何よりも、不可思議というより、不快に思うのは、毎日のようにテレビに出てくる「医者」「専門家」と称する人たちです。テレビに出る暇があるのだったら、身体を休めるか、殺人的に忙しい現場に駆け付けるのが本筋なのではないか、と他人事ながら思ってしまうのです。

 そんなに有名になりたいんでしょうか? 別に貴方の顔なんか見たくないし、話も聞きたくない。第一、今の新型コロナの本当の解決策なんて、誰も、分からないはずです。むしろ、分からないのが正解なのですから。

評判が良いので銀座のランチ特集。「博多のぼせもん 銀座店」の大分豊後ゴマサバと関アジフライ定食 1000円(税込)

◇「不安もまたいいもの」ー帚木蓬生さん

 その点、毎日新聞朝刊で、1月27日と2月3日の2回にわたって掲載された作家で精神科医の帚木蓬生さんのインタビュー記事は、自粛自粛のこの息苦しい毎日の最中で、一番参考になりました。

 帚木氏は、この新型コロナを対処する最も有効で最適な答えはない、と認めた上で、それどころか、そういった不安を軽減する方法もないとまでいうのです。「人間は不安やハラハラ、ドキドキの状態を嫌なものと捉えてしまいますが、その状態こそ一番良い状態なのです。剣豪・宮本武蔵も『五輪書』でそう書いています。不安もまたいいじゃないですか」とまで言うのです。

◇中ぶらりんを持ちこたえる「ネガティブケイパビリティー」

 そして、精神医学の用語の中に「ネガティブケイパビリティー」という考え方がある、といいます。これは、未解決な問題に、生半可な知識や意味付けを用いて、拙速に帳尻合わせをしないということで、そんな中ぶらりんな状態を持ちこたえることだといいます。

◇不安を受け入れる覚悟

 これは確かに、苦しいことで、「言うは易く行うは難し」の典型的な例かもしれません。が、「不安を受け入れる」という覚悟は、今の御時勢で最も必要とされることなのかもしれません。

 帚木氏は、このネガティブケイパビリティーという概念の良さは、分断や差別とは無縁で、共感を目指すところにあり、他者や理解できないことに共感し、寛容になる心を持つことだと強調していました。そして、何よりも、政治家の安易な言葉や扇動に乗らないよう戒めております。

 これはテレビなんかに出て、さもしたり顔で説明する専門家やコメンテーターらの扇動にも乗らないように、ということだと私は個人的に解釈しました。

テーマ曲が懐かしい「ゴッドファーザー」と「ドクトル・ジバゴ」を観る

 新型コロナで映画館に行きづらくなり、今掛かっている映画も一食抜いてでも是非観てみたい作品が少ないので、最近、映画館に足を運んでいません。

◇多感な十代は尾を引く

 その代わり、DVDや録画なんかで結構観ています。それも古い映画です。人間、多感な十代の頃に接した音楽や美術や建築や映画や小説などが、その後の人生の尾を引くと言われてますが、その通りですね。

 私が十代の頃は、1960年代後半から70年代半ばにかけてでしたが、その頃に聴いた音楽や観た映画は、骨身に染みていて懐かしさでいっぱいになります。

 最近観て感動した古い映画は、フランシス・F・コッポラ監督の「ゴッドファーザー」3部作です。第1作が1972年、第2作が1974年ですが、第3作は1990年公開です。もう全く説明する必要がないマフィアの映画で、私も何度か弐番館やテレビなどで観ているのですが、細かい所はほとんど忘れていて、新作を観る感じでした(笑)。それに、十代の頃に観るのと、家族を持って年を取ってから観るのでは、印象は全く変わります。

 第1部の主人公ヴィトー・コルネオーレ役のマーロン・ブランド(1924~2004年)は、70歳ぐらいに見えましたが、当時はまだ47歳ぐらいだったんですね。それにしても凄い迫力と風格でした。口の中に綿を入れて頬を膨らませたりしたらしい。アカデミー賞主演男優賞を受賞(拒否)したのに、第2作に出演しなかったのは、第1作の時のパラマウント映画社側からのオファーに不満だったブランドが、第2作の出演ギャラで折り合わなかったかららしいですね。

 第2作と第3作の主人公は、ヴィトーの跡目を継いだ息子マイケル役のアル・パチーノ(1940~)でしたが、これまた見事な老け役ぶりでした。若きヴィトー・コルネオーレ役を演じたロバート・デニーロは当時全く無名だったとか。それにしても若い。第2作で、ヴィトーの養子でファミリーの顧問弁護士トム・ヘイゲン役のロバート・デュバルも準主役級だったのに、これまた出演料の問題などで第3作に出演していません。今は、直ぐ「裏話」が分かるので、便利な世の中になったものです。(すべて、今さら…という話でしたが)

 「ゴッドファーザー」と言えば、直ぐにニーノ・ロータのテーマ曲とアンディ・ウイリアムスの「愛のテーマ」が思い浮かび、これらの曲を聴くと本当に懐かしくなります。

◇生まれて初めて観る「ドクトル・ジバゴ」

 もう一つ、先日、あの有名な映画「ドクトル・ジバゴ」(デヴィッド・リーン監督作品)を初めて観たのです。日本公開は1966年6月。ビートルズが来日した頃ですね。この映画は、テレビなどで何度も放送されたので何度も観る機会があったのに、逃していました。54年間も。

 原作者のパステルナークが、ノーベル文学賞を受賞しながら辞退せざるを得なかった経緯を詳細した陶山幾朗著「パステルナーク事件と戦後日本」(恵雅堂出版)について、以前、このブログで書いたことがあります。( 「陶山幾朗著『パステルナーク事件と戦後日本』は名著としてお薦めします」

 ロシア革命前後の混沌とした社会が描かれているのは皆さんご案内の通りです。まさに内戦ですから、目を背けたくなる場面も出てきます。

 この映画は54年間も観ていませんでしたが、モーリス・ジャールの挿入曲「ラーラのテーマ」は、ほぼ同時代にラジオなどで聴いていました。名曲です。この曲を聴くと少年時代を思い出し、本当に懐かしくなります。(映画も観ていないのに!)映画音楽の中では、「エデンの東」「太陽がいっぱい」「避暑地の出来事」の「夏の日の恋」と並び大好きです。と、書くと年代が分かってしまいますね(笑)。

◇ジュリー・クリスティ

 この「ラーラのテーマ」はどういうわけか、「タラのテーマ」だとずっと間違って覚えていました(苦笑)。ラーラはドクトル・ジバゴの愛人にもなった美しき女性で、映画に出ていた女優さんは誰かなと思ったら、ジュリー・クリスティという人でした。1940年生まれですから、ジョン・レノンと同い年で、撮影当時25歳ぐらいでしたか。英国の女優さんで、1965年の「ダーリング」で米アカデミー主演女優賞を受賞しています。

 彼女は、写真で何度も拝見したことがありますが、名前まで知らなかったことを正直に告白します。これも「今さら何を…?」といった話です。何でこんな古い映画の話しか書けなかったかと言えば、今の流行についていけなくなったからでしょう。でも、それでいいんです。

国民の義務を果たして来ました=個人的な確定申告

去年2020年2月はこんな状況でした。

Go to確定申告

 全く個人的な話ながら、今朝、地元税務署まで確定申告に行って来ました。国民の義務を果たせて、やっとすっきり出来ました。(国民の義務って、納税の他に何だっけ?徴兵?まさか…)

 何しろ、昨年10月辺りから、この確定申告について、本当に夜も眠れないくらいずっと悩んできましたからね。親しい友人、知人、中には、ほんまものの税理士さんまで巻き込んで相談しまくりました。(本当は税理士さんに相談すると何万円か、掛かるようですが、メールでしたので、粗品を送って胡麻化してしまいました=笑)

 昨秋から何冊か、その手の本を買って、租税公課やら減価償却費やら独学しましたが、まず、素人じゃ無理ですね。専門用語が多過ぎてさっぱり分からなくなってしまうのです。

 特に、不動産の減価償却費なんか、極め付きです。一度、一人自宅で「e-TAX」でやろうと試してみたのですが、参考書に出てこなかった「未償却費」なんぞが出てきて、どうやって計算したらいいか分からず、お手上げです。途中で諦めて「一時保存」したつもりが、どうも、保存されていなかったようで、頭がピーマンになってしまいました。(特に私の場合、個人事業主のほかに、会社員と年金の雑費計上があるので、かなり複雑で、素人には無理です)

2020年2月はこんな状態でした!人間、すぐ忘れます。

◇税務署員は本当に親切丁寧

 そこで、もう直接、税務署に出向くしかない、と事前に連絡したところ、新型コロナで「入場整理券」を配るので来てください、応じてくれたので、今朝早く、休みを取って行って来たわけです。平日しかやってくれないからです。(それに、2月14日からの本チャンの大会場での確定申告は、人が多く並んで半日仕事になる、との噂を聞いたので、事前申告にすることにしました)

 1時間ほど待ち時間がありましたが、結果的に、手続きは1時間10分ほどで、スムーズにいきました。何と言っても、分からなくなったら、身近に教えてくれる若い係員の方がいらっしゃるので、こんな有難いことはありません。e-TAXに挑戦した時にも、電話で問い合わせたら、結構応えてくれましたが、その時は、かなり時間が掛かりました。

 昨年は、新型コロナの影響で、通訳翻訳の仕事が全くなく、収入はゼロ。文筆業の原稿代として入るのは、このブログのわずかな「広告クリック」収入ぐらいです(笑)。それでも、本代やセミナー代などの必要経費を請求すると当然、マイナスになります。その結果、青色申告しても、収支が赤字だと、10万円の控除額が反映されないことが今回初めて分かりました。マイナスだと、これ以上、差し引きようがない、控除しようがない、ということなんでしょう。

 控除がなくても、想像していた金額より少ない納税額となりました。早速、コンビニで支払って来ました。便利な世の中になったものです。

 終わったら、大袈裟ですが、天にも昇る気持ちでした。国民の義務を果たせてホッとしました。今夜はよく眠られそうです(笑)。