知ってましたか?江戸、京都、大坂の庶民の暮らしを

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 昨日、私の書斎の机の上は「つん読」状態で、まだ読んでいない本や雑誌で溢れかえっている、といったことを書きましたが、月刊誌「 歴史人」もその一つ。面白い特集ばかりやってくれるので、昨年辺りから毎月のように買うようになりました。

 このブログでも何回か取り上げましたが、情報量が多いので読むのが大変。他の本と併読しているせいか、数週間も掛かってしまいます。

 昨日はやっと、3月号の「江戸 京都 大坂 名所めぐりと庶民の暮らし」特集を読了しました。でも、机の上にはまだ4月号の「戦国武将ランキング」特集と5月号の「日本の城 基本のき」特集があります(笑)。「歴史人」は昨年までKKベストセラーズ社の発行でしたが、どういうわけか、今年1月号辺りから発行がABCアーク社に変わったようです。詳細は分かりませんけど、ABCアークを調べたら、どうも大阪のABCテレビ(朝日放送)の関連会社のようです。テレビは、歴史ものやクイズ番組を放送するので、買収したのかしら?スタッフさんはどうも変化ないようですが…。詳しい方は教えてください。

 またまた前置きが長くなりましたが、「歴史人」3月号「江戸 京都 大坂 名所めぐりと庶民の暮らし」の話でした。私が知らなかったり、へーと思ったりしたことを備忘録として箇条書きすることにします。

◇江戸

 ・享保6年(1721年)、幕府が全国調査したところによると、江戸の町方人口は50万1394人だった。これは推定だが、武家人口50万人を加えると、江戸の人口は100万人を超え、ロンドンやパリを超える大都市だった。(私が先日読んた本によると、幕末ではロンドンの人口は300万人ぐらいだったようです)

・明暦3年(1657年)1月18日、明暦大火(振袖火事)が江戸を襲い、市中の6割が灰となり、死者は10万人に達した。

・天皇は幕府の統制下に置かれ、3万石ほどの領地(禁裏御料)を貰っていた。(1万石以上が大名と言われます。3万石だと美濃・高須藩、上総・久留里藩などと同じになります。「江戸の藩の石高ランキング」による)

・江戸には日銭が3000両落ちるとされた。そのうち千両ずつ落ちるのが、朝の魚市場、昼の芝居町、夜の吉原だった。

・忠臣蔵、赤穂浪士で有名な泉岳寺は、もともと徳川家康が幼年時代に身を寄せた今川義元の菩提を弔うために、慶長17年(1612年)に外桜田の地に創建したものだった。しかし、寛永18年(1612年)の大火で喪失し、三代将軍家光の命により今の地に移設・再建された。

・江戸四宿とは、品川、千住、、板橋、内藤新宿のことを指す。

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◇京都

・京都の三条大橋は、天正17年(1589年)、小田原征伐が決まった直後、豊臣秀吉が増田長盛に命じて修復・架橋させた。この三条大橋の河原では、石川五右衛門をはじめ、豊臣秀次、石田三成らが処刑された。

・京都・妙心寺は臨済14派の中でも最大宗派で、全国の臨済宗寺院約6500のうち約3500を有する。

◇大坂

・人口の約半分が武士だった江戸に対して、大坂の人口40万人のうち武士はわずか8000人だった。

・元禄年間の地図に描かれた大坂は、現代の北区、西区、中央区の3区に当たる範囲だった。東西約8キロ、南北約6キロと歩いて回れるサイズの街に、最盛期に40万人以上の人が暮らした。

・大坂も、大地震や火災が多く、「坂」は土に返るに通じて縁起が悪い、ということから、大「阪」に変更したという説がある。