ATM(明るく、楽しく、前向きに)をモットーに=2021年大晦日所感

 2021年も暮れようとしています。この時期になると、いつも頭にこだまのように聞こえてくるのが、中原中也の詩「帰郷」の中にある「ああ おまえはなにをして来たのだと…吹き来る風が私に云う」というフレーズです。

 本当に一体、自分はこの年齢(とし)まで、何をして来たんだろう、という感慨です。随分、青臭い話じゃありませんか(苦笑)。少年の頃、年を取れば、落ち着いて、物事を達観して、日向ぼっこでもして、平穏な日々が送れるものとばかり思っておりましたが、真逆ですね。自分は、生臭坊主ということなんでしょうか(本物のお坊さん、失礼!)。人間、恐らく、誰でも未完成、未熟のまんまで死んでいくことでしょうね。

焼き鳥店「もりのした」佐賀名産のみつせ鶏

 さて、師匠さんも走る「師走」ということで、私も、ここ数日、ブログ執筆はほんの少しお休みさせて頂いて、他人様と同じような日常作業を行っておりました。年末は、いつも通り、年賀状書きとお買い物の付き合いとお掃除整理に追われた、といったところでしょうか。

 年賀状は、かつて一番多い時は300枚ぐらい出しておりましたが、年々減っていき、それが200枚となり、150枚になり、ここ最近では120枚ぐらいが続いておりました。が、今年はついに100枚を切りました。先方から「70歳になり、これを節目に賀状は取りやめることに致しました」との御連絡が届くようになり、私としても、「気づかないうちに減っていった」という感じが理想的です。先方から来なくなったら、こちらからもう返信しませんから、いずれ50枚ぐらいにしたいと思っております。

 年賀状が減っていった理由は、やはり、相手様が亡くなってしまったことが大きいですね。今年も高校時代の親友を始め、会社の70歳代のまだ若い先輩(出してから、後で訃報を知った方もおられました)ら5人も亡くなってしまいました。メメントモリです。

焼き鳥店「もりのした」

 最初から暗いことばかり書いてしまいましたが、来年以降の私のモットーとして挙げたいのが、「ATM」です。いえいえ、Automatic Teller Machine(現金自動預け払い機)のことではありません。「明るく、楽しく、前向きに」の頭文字を取った造語です(笑)。

 私にとって、今年最大の出来事は高校時代からの親友の急死でしたが、それにまつわり、想像もしていなかった人間関係のこじれに巻き込まれてしまい、落ち込んでいたら、ある方から、私の性格をズバリ見抜かれてしまい、これからは「明るく、前向きに」生きることを勧められたのでした。

 この「明るく前向きに」に「楽しく」を入れたのは私の考えです(笑)。もともと「お笑い」は大好きで、「エンタツ・アチャコ」や「あきれたぼういず」はさすがに知りませんが、クレイジーキャッツやドリフターズ、「コロンビア・トップ&ライト」「Wけんじ」、漫才ブームの「横山やすし・西川きよし」らずっと見聞きしてきました。

 この中で、「ビッグスリー」と呼ばれる「たけし」「さんま」「タモリ」の三羽烏がまだ健在なことが凄いですね。ビートたけしさんの場合、ギャラが高いせいなのか、ある番組を降板させられたり、最近人気に陰りが出てきてしまいましたが、タモリは、NHKの「ブラタモリ」などでその隠れたインテリぶりを発揮していまだに絶好調です。

 でも、3人の中でいまだに現役でお笑いの第一線を張っているのは、現在66歳の明石家さんまかもしれません。バラエティー番組のレギュラーに何本出ているか知りませんけど、若手芸人を押しのけて、40年以上もいまだにトップを走っています。私は、一番最初は、この人のことを「落語も出来ないのに、何処が面白いのか」分からなかったのですが、その当意即妙な司会進行ぶりや、常人ではとても考えられないギャグの連発には、誰かの好きな言葉でもある「余人に代え替え難い」お笑いのチャンピオンだと納得するようになりました。

 「お笑い」ながら、彼が時々垣間見せてくれる「人生訓」には、鋭利な刃物のように胸に突き刺さります。彼の娘に「いまる」と命名したのは、「生きているだけで丸儲け」から取ったことは有名です。確かに、地位も名誉も人気もお金も死んでしまったら、何も必要のない霞みたいなもんです。本当に、生まれてきて、生きているだけでも、丸儲けです。この世に生まれて来られなかった人も沢山いることでしょうから…。

最近、ジャズギターにはまって、CDを買い揃えました。ケニー・バレル、タル・ファーロウなんかいいですね

 もう一つ、先日、見ていた番組で、「さんまさんに悩みはないんですか?」との質問に、彼は、25歳まで悩みはたくさんあったが、25歳以降はもう悩むのはやめようと決めた、と言うのです。「自分は悩むような大した人間ではない。反省もしない」と達観したようですが、これまた凄い。人間ですから、色々と悩みは尽きないはずですが、「悩むことをやめた」とはなかなか出来ないことです。(考えてみると、皆、一人で好きで悩んでいるのかもしれませんぜよ?)

 やはり、お笑いを仕事にしている限り、自分がハッピーでなければ、他人を笑わせることはできません。お笑いの王者は、天賦の才なのか、計算づくなのか分かりませんが、打算や計算ぐらいでは大した人気者にはなりません。やっぱり天才なんでしょうね。

 私もシニアになったことですから、これからは「明るく、楽しく、前向きに」をモットーに、無理はせず、背伸びもせず、某局の紅白はもうついていけないので、好きなタル・ファーロウ(米ジャズギタリスト、1921~98年)でも聴いて、年を越したいと思っています。

馬廻り衆はとっても偉い旗本だった

 本日は、単なる個人的な雑記ですから、読み飛ばして戴いて結構で御座います。

 皆さん御案内の通り、私は今、通勤電車の中で、アダム・スミスの「国富論」(高哲男・新訳、講談社学術文庫)と格闘しているのですが、文字を読んでも、来年、講師の依頼があった講演会で何を喋ろうかという思いが先行してしまい、さっぱり頭に内容が入ってこなくなりました。

 電車の中の読書といえば、こんなお爺さんが一生懸命に勉強しているというのに、車内の9割ぐらいのお客さんはスマホをやっていて、新聞や雑誌を読む人でさえ皆無になりました。中にはスマホでニュースを読んでいる人もいるでしょうが、ほとんどゲームかSNSかネットショッピングです。こりゃあ、日本の将来は明るい!

「もりのした」みつせ鶏唐揚げ

 お爺さんといえば、その講演会案内用の講師の写真を自撮りしてみたら、まるで、玉手箱を開けてすっかり老人になった「浦島太郎」の心境です。我ながら、「えっ!こんな老けてしまったの?」という感慨です。まあ、既に孫がいるシニアになってしまったので仕方ないのですが、人生って、あっという間ですね。悩んでいる暇はありませんよ。

銀座「わの輪」生姜焼き定食900円

 さて、12月25日付朝日新聞朝刊を見たら吃驚です。このブログで何度も登場して頂いているノンフィクション作家の斎藤充功氏が写真入りでインタビューに応じていたのです。オピニオン&フォーラム耕論のテーマ「死刑 その現実」という中で、斎藤氏は、3人のうちの一人として登場されていたのですが、強盗殺人で計4人を殺害した死刑囚と11年間、131回も面会を続けてきたことと、その心に残った印象を話されていました。

 早速、斎藤氏には「天下の朝日新聞に御真影まで掲載されるなんて凄いですねえ」とメールをしたのですが、返信はありませんでした。普段なら直ぐに返事が来るのでどうされたのでしょうか?彼一流の照れなのか、それとも怒っているのかもしれません。

 その斎藤氏のことですが、このブログで何度も書いているのですが、「斎藤氏の大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は幕臣で、六百石扶持の馬廻役だった」といいます。その曾祖父の「馬廻役」とは、どんなものかそれほど詳しく知らなかったのですが、雑誌「歴史道」別冊(朝日新聞出版)の「戦国最強 家臣団の真実」を読んでよく分かりました。

 馬廻り衆とは殿様の側近中の側近で、戦(いくさ)になれば、騎乗して総大将(大名、藩主)の一番近くに従い、機動力を生かして家臣団の中核を担う花形でした。総大将の近くに「幡(はた)持ち」がいますから、まさにその旗の近くに控える「旗本」ということになります。

 六百石扶持ともなると、供侍(ともざむらい)や小荷駄(こにだ)持ち=武器や食料を運ぶ=ら常に10人近い家来を付き添わせています。平時では、殿様の警護を務めることから、城下町でも藩主の近くに住む上級武士団と呼ばれ、その外側に軽輩の身分の徒士(かち)が住み、その外に町人が住み、さらにその外側に、弾除けの足軽組屋敷が配置されるという五重構造になっていたと言われます。

 とにかく、斎藤氏の御先祖さまの「六百石馬廻役」というのはとても高い身分だったことは確かです。私の先祖の高田家は、九州の久留米藩(21万石)の下級武士でしたが、御船手職の中で、御船手頭、大船頭、中船頭、小船頭に次ぐ御水主頭(おかごがしら)という役職で、わずか、五石六斗二人扶持だったと聞いてます。足軽は三石一斗(三両一分=さんぴんいちぶ)程度で、「このどさんぴんが!」と蔑まされていましたが、私の先祖も足軽に毛が生えていた程度だったことでしょう。でも、私の先祖が住んでいた下級武士の長屋には、後にブリヂストンを創業する石橋家も住んでいました。(自分の祖先については、もう少し調べなければならないと思いつつ、時間が経ってしまっています=苦笑)。

 下級武士とは言っても、江戸時代、武士は全人口のわずか7%しかいなかったと言われています。安藤優一郎著「幕臣たちの明治維新」(講談社現代新書)によると、幕臣と呼ばれた人は約3万人いて、そのうち旗本が6000人で2割、御家人が2万4000人で8割だったといいます。やはり、旗本は凄いエリートだったんですね。

【追記】

 江戸城では、海や大掛かりな堀が少なく警備に隙がある北西に当たる番町(現東京都千代田区)に、旗本を住まわせたことから、広大な屋敷が並び、今でも高級住宅街になっています。

 明治維新後、幕臣旗本は追放され、その後にやって来たのが、薩長土肥の明治新政府陣です。作家有島武郎、里見弴、画家の有島生馬らの父である有島武は薩摩出身で大蔵官僚となり、番町の追放した元旗本の邸宅に住んだわけです。

東急ハンズを買収したカインズは凄い=親会社のベイシア・グループはもっと凄い

鎌倉五山第1位 建長寺

 ホームセンター大手の「カインズ」が、生活雑貨の「東急ハンズ」を買収するというニュースには驚かされました。買収額は非公表でしたが、逆かと思いました。東急ハンズがカインズを買収するのかと思いました。

 それだけ、買い物はあまりしない私でさえ、東急ハンズはよく利用したものでした。特に若かった20代や30代の頃、東京・渋谷や池袋サンシャインシティ通り店にはよく行ったものでした。パーティー用グッズまで買ったことを覚えています(笑)。

 一方のカインズは、個人的には名前を聞いたことがある程度で、近くに店舗がないせいか、一度も行ったことがありません。ビバホームとか島忠だったら行ったことはありますが…。ニトリはホームセンターとは言わないのでしょうか? 家具店、インテリア…?我ながら、基本が分かっていませんね(笑)。

 いずれにせよ、売上高の面では、東急ハンズよりもカインズの方が上回るようです。ちょっと、話が脱線しますが、私自身は東急ハンズのファンなので(ロフトや無印良品などよりも)、先日、昼休みに東急ハンズ銀座店に行って来ました。何を買ってもレジでのポリ袋が有料になったので、「マイバッグ」を買いにいこうとしたのです。銀座店は、複数の階に分かれていて、「マイバッグ」が何処の売り場にあるのか分かりません。最初は、旅行用のボストンバッグなどのバッグ売り場に行ったのですが、見つかりません。そこで、係の50歳ぐらいの男の人に聞いたら、ニコリともせず、迷惑そうな顔をして、そのような代物は下の〇階にある、と、かなりつっけんどんな物言いだったのです。

 その、人を馬鹿にしたような態度には、さすがに「それが客に対する言葉遣いか!」とムッとしましたが、喧嘩してもしょうがないので、黙って引き下がりました。が、同時に「そんな態度ばかりしていたら客離れするぞ!」と内心呪ったのでした。まさか、この私の呪いが効いたんじゃないでしょうね?(笑)。多分、売り上げが低迷していたせいか、奥さんに逃げられたせいか、で彼は客に八つ当たりしていたんでしょう。買収されたら、彼は生き残れるのかなあ?結構、偉い人だったりして…(笑)。

銀座「華味鳥」薬膳御膳ランチ1500円

 さて、天下の東急ハンズを買収したカインズは凄いんですが、その親会社のベイシア・グループはもっと凄いことが分かりました。昔なら、図書館に行ったり、登記所で調べたりしてグループ関連会社を調べるのは大変骨が折れる作業でしたが、今はネットのお蔭で瞬時に分かるのです。

 かなり大雑把な言い方ですが、1959年に群馬県伊勢崎市で開店した衣料品の専門店「いせや」が創業の核となり、それが今や、ショッピングセンター、ホームセンター、専門店、物流、外食産業、総合保険サービスなど28社、1914店舗も全国で展開し、2021年2月現在の連結売上高が、1兆271億円にも上る巨大なコングロマリットに成長しているのです。

 特に驚いたのは、専門店には「ワークマン」があったことです。ワークマンは1982年、土木作業衣販売店としてスタートしましたが、街中でも着られるようにファッション性も高めて、今では女性や、お笑い芸人さんたちにも人気商品です。作業着だけあって、「質が良いのに価格が安い」ということで、私の周囲では「ユニクロよりいい」と大評判なのです。中には、ワークマンで頑丈な靴を2500円で買ったりした者もいます。

 専門店には、このほか、家電量販店のベイシア電器や仏具や墓石の「清閑堂」まであります。

◇群馬県発祥の企業は成功する?

 私が注目したいのは、グループ本部を群馬県前橋市に置いていることです。以前、このブログにも書いたことがあるのですが、結構知られていませんが、群馬県というのは全国でも只モノではない県です。「かかあ天下とからっ風」と言われている通り、女性が大変な働き者で(男は国定忠治のような博徒が多い?=笑)、商売の競争が熾烈です。この県で成功すれば、全国展開できるというジンクスがあります。群馬県発祥企業として、ヤマダ電機(前橋市)、ビックカメラ(高崎市)、スバル(太田市、旧中島飛行機)、日清製粉(館林市)、サンヨー食品(前橋市)などが知られています。

 これは、裏を取ったわけではありませんが、自動車販売の全国一位は群馬県で、ドライブスルーの店舗が出来たのは群馬県が最初だという話も聞いたことがあります。

 渓流斎ブログの2021年11月10日付「凄過ぎるベルーナ」と11月16日付「『凄過ぎるベルーナ』は本当に凄かった」 にも書きましたが、意外と知られていない地方発祥の企業が、全国、全世界に多業種展開していたりします。この群馬県発祥の「ベイシア・グループ」もその一つです。私自身、全く知りませんでしたが、確かに凄い!

ウイグルの人権問題をNHKが特集

 詐欺メールが来ました。

 「三井住友カード【重要】」と称する輩から「以下へアクセスの上、口座のご利用確認にご協力 をお願い致します。ご回答をいただけない場合、口座のご利用制限が継続されること もございますので、予めご了承下さい。」といった脅迫状です。

  文末に「Copyright © Sumitomo Mitsui Banking Corporation.All Rights Reserved.」とまであり、本物と瓜二つです。騙されるところです。しかしながら、私は三井住友カードなるものは、これまで一度も契約したことがないので、すぐ詐欺だと見破りました。

 いつぞや、ITに詳しい友人から聞いた話ですが、身に覚えがないメール来たら、「発信元を確認すべきだ」という助言を受けたことがあります。三井住友カードが本物だったら、発信メールのアドレスが、よく分かりませんけど、mitui-sumitomo.jp とか正真正銘のアドレスになっているはずです。

 そこで、ちなみに、このメールの発信元を確認したところ、「送信元:jl2283b.cn」になっていました。おやおや、ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょ! 末尾が「cn」になっているではありませんか!  「cn」 というのは、国際プロトコールで「中国」だということは、ITに詳しくない小生ですら熟知していることです。詐欺メールは中国から送信されていたことになります。

鎌倉五山第1位 建長寺

 今や日本の3倍のGDPで世界第2位の経済大国となった中国は、同時に「一帯一路」で世界制覇を目論む軍事大国になったとも言われます。共産主義を表明しながら、優秀な人材に世界最高の教育を施す超エリート格差主義で、サイバー攻撃などを盛んに行っているとも噂されています。いずれも、根も葉もない、根拠もない「中国脅威論」を煽って、日本の軍事費増強の口実と言い訳にしているかと思っておりましたが、こうして、直接、中国発と思われるサイバー攻撃を個人的に受けてしまうと、ちょっと考えてしまいますね。

 米企業のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)が既に世界的に情報制覇しているので、殊更に中国の脅威だけを強調するつもりは毛頭ないのですが、先日放送されたNHKスペシャル・中国新世紀 (5)「“多民族国家”の葛藤」で、現在、世界が最も注目している新疆ウイグル自治区の人権問題を取り上げておりました。

 これは随分、勇気ある番組でした。ジョージ・オーウェルの小説「1984」どころではないウイグル自治区の人々への「監視社会」が描かれ、背筋が凍るほど恐ろしくなりました。この番組の中では、日本在住でウイグル料理店を千葉県松戸市で営んでいるウイグル人の御主人が登場していましたが、ウイグル自治区に住む彼のきょうだいたちが、中国の公安に監視され、自分たちの本意ではないと思われることを電話やネットで語らせられている場面が出てきました。

銀座「ローマイヤー」本日のランチ・スペアリブ 1100円

 自治区最大都市であるウルムチ市内では、街中至る所に監視カメラが設置されていました。「反政府主義」と目されたウイグル人は「テロリスト」のレッテルを貼られ、強制収容所のような所に隔離され、イスラム教から離反させられたり、髭を剃らされたり、女性はヴェールをやめさせられたりし、中国語と共産主義を学ぶよう「再教育」される様子も映像と証言を通して描かれていました。

 日本に住むウイグル料理店の主人は、人権を弾圧する中国政府への抗議活動をする在日団体の代表も務めているので、ウイグル自治区に住む彼の兄弟姉妹とその家族たちは特別に監視されているようなのです。御主人がスマホで、ウイグル自治区に住む彼の兄にテレビ電話すると、横から中国の公安の人まで出てきて、公安バッヂまで見せたりしたので驚きました。本当に オーウェルの「1984」の世界どころではありませんでしたが、御主人も、抗議活動の演説の中で「小説(の世界の話)ではありません」と訴え、涙を流したりしていました。

アベノマスクで27億円、余計に負担する国民

 本日は、愛用の高級腕時計(パテック・フィリップではなく、グランドセイコーですが、何か?)を家に忘れてきてしまいました。出勤途中で気が付いたのですが、我ながら、やはり、そろそろ頭の方もヤバくなってきたんでしょうか?

 でも、アベノマスクのことは忘れませんよ。

アベノマスク

  岸田首相は21日の記者会見で、希望者に配布するなどした上で、余った分は年度内をメドに、ということは来年3月までに廃棄すると発表しました。何しろ、今年10月末時点で8130万枚もが在庫として保管されていて、その保管費などが昨年度末時点で約6億円に上っていたといいますからね。

 しかも、そのうち、検品したら約1100万枚が不良品で、その検査に掛かった費用が約20億9200万円だったということですから、逆上したくなるほど馬鹿げています。検品でそんなお金掛かるんでしょうか?

 100億円出して宇宙旅行する実業家が日本にいるくらいですから、捨てちゃうじゃなくて、ガーゼを加工するとか、その商才に長けた彼にもっと有効活用してもらったらいいと思うんですけどねえ。

銀座「ムンバイ」ダブルカレーセット1030円

 明らかに安倍晋三政権の失策でしょう。この27億円以上?という「損害」を補填するのは、またまた国民の税金です。それなのに、当該者たちは、この責任を取ろうとは全くしません。それに、「不可抗力だった」だの「予想に反することが起きた」なぞと弁解するんでしょうから、裁判になっても無罪放免になるんじゃないかしら。

 岸田首相は、いわば前々政権の尻ぬぐいをさせられた格好ですから、可哀想といえば可哀想なんですが、彼も閣僚として、安倍内閣の外務大臣などを務めていたわけですから、何らかの責任を取ってもらわなければいけません。未来を担う子供たちにも示しがつかないんじゃないでしょうか。

銀座「ジャポネ」ヘルシースパ 600円 おー、実に6年ぶりに訪問。20分も待たされましたけど。

 外国人がこのニュースを聞いたら、どう思うのかしら?

 「そんな為政者を選んだのは、あんたたちでしょ?」と言われそうですが。

 「地名は災害を警告している!」はとても参考になる=「歴史人」1月号「地名の歴史をたどる」特集

  「歴史人」2022年1月号(ABCアーク)の「地名の歴史をたどる」特集は、本当に勉強になりました。

 こんなに賢くなっていいのかしら?と思うぐらいです。

 「地名が分かれば、人名が分かる」ということで一石二鳥です。日本人は、地名に由来する名字が多いからです。地名由来の名字でよく使われる字として、「山」「川」「池」「田」「沢」 「塚」「窪」が挙げられていましたが、例を出すまでもなく、誰でもすぐ名字が思い浮かぶことでしょう。

 この本に出て来た地名などで、面白かった由来などを列挙してみるとー。

調布(東京)=古代の高句麗から渡来人が持ち込んだ麻の栽培が盛んで、麻を調(人頭税)として納めたことから名付けられた。

桑原=菅原道真の領地だった所で、桑原に一度も雷が落ちなかったので、「くわばら、くわばら」と唱えれば、雷は落ちないと信じられた。

一関市(岩手)、霞ヶ関(東京)、関市(岐阜)、下関(山口)…=古代から江戸時代にかけて関所があった所。

会津若松(福島)=蒲生氏郷が会津黒川から改名。

福岡=黒田長政が曽祖父高政が備前国(岡山)福岡に住んでいたことから命名。

赤坂見附四谷見附牛込見附などの「見附」は、見張り番所が置かれた所を指すが、見付には「水付き」の意味もあり、静岡県磐田市見付は、古代はこの辺りまで海水が湾入していたことから付けられた。

・東京の駿河台は、徳川家康付の旗本(駿河衆)が家康の死後、駿府から移り住んだ台地という説と、ここから駿河国の富士山を遠望できたからという説がある。

両国(東京)=明暦大火後、隅田川右岸の下町(武蔵国)と左岸の本所(下総国)を結ぶ橋が架けられ両国橋と呼ばれ、界隈の地域を両国と呼ばれるようになった。「忠臣蔵」の吉良上野介は、浅野内匠頭の殿中事件の後、江戸市中の邸から本所に移転された、という史実は、下総国に配置転換されたということになり、何か幕府の隠された意図があったかもしれない。

鎌倉 浄智寺

 この本で一番参考になったのが、「地名は災害を警告している!」という記事でした。

 過去に水害があったり、崖崩れがあったり、起きやすかったりした所にはそういった地名が付けられていたのです。

 例えば、「落合」は川の合流点という意味で、水害があったか、起こりやすい地域。東京には上落合とか下落合とかいった地名があります。

 「窪」「久保」は、土地が低い窪地ということで、水害があったか、起きやすい所。東京には荻窪(善福寺川)や恋ヶ窪といった地名があります。

 このほか、水害関連の地名として、「芝浦」「柴又」「巣鴨」「銚子」「鶴巻」「幡ヶ谷」「灘」「沼田」「弘前」「舞鶴」「野洲」「龍ケ崎」「龍ノ口」「十和田」「岸和田」などを挙げています。

鎌倉 浄智寺

 崩落や土砂災害に関連した地名として、「阿波(安房)」、「我孫子」、「嵐山」、「有馬」、「柿の木」、「喜多方」、「駒込」、「駒場」、「巨摩」、「信濃」、「苗場」、「野毛」、「日向」、「茗荷谷」、「桃山」、「雪谷」、「鷲津」などが挙げられています。

 これらの地域は、過去に災害があっただけで、現在は安心できるかといえば、そうでもなさそうです。例えば、2018年の西日本豪雨で51人が犠牲になるなど甚大な被害を蒙った岡山県倉敷市の真備地区の川辺集落は、過去に何度も被害に遭っていました。「川辺」は川の側を意味し、明治の頃は、周囲を囲む堤があったほどだったといいます。同地区の「箭田(やた)」も低湿地を意味し、「桑の市」の「桑」は土砂災害や氾濫が起きやすい所として全国的にも使われています(桑名、桑江、桑野など)

🎬濱口竜介監督作品「偶然と想像」は★★★★☆

 今年の第71回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞した「偶然と想像」を東京・渋谷のBunkamuraル・シネマまで遠路はるばる出掛けて観に行って来ました。

 第一話「魔法 (よりもっと不確か) 」、第二話「扉は開けたままで」、第三話「もう一度」という独立した3本の短編作品で、メガホンを取ったのが今世界で最も注目されている濱口竜介監督です。何しろ、彼は、2020年ベネチア国際映画祭で共同脚本を手掛けた「スパイの妻」が銀獅子賞(監督賞)、21年カンヌ映画祭では「ドライブ・マイ・カー」が脚本賞など4冠、そして、今回の「偶然と想像」と国際的な映画賞を総なめしています。

 「偶然と想像」がベルリンで賞を獲ったニュースは知っていましたが、日本で上映される日を知ったのは全国公開日の2日前でした。ル・シネマの会員登録をしているので、ネットで数少ない席をやっと確保しました。18日(土)にしたのですが、その日は、俳優さんたちの「舞台挨拶」付きでした。

 こう見えても、(どう見えるか分かりませんが=笑)私はもう半世紀以上も映画館で映画を観ておりますが、俳優さんが登壇する舞台挨拶を見るのは生まれて初めてでした(笑)。かつて芸能担当記者として多くの俳優さんにはインタビューさせて頂きましたが、「素人」として見るのもなかなかオツなものでした(笑)。

 映画は、一言で言えば、キテレツでした(笑)。総合タイトルの「偶然と想像」の通りに、偶然からアッと思わせるどんでん返しが起こるので、内容については茲でバラさない方が良いと思います。

 キテレツというのは、濱口監督の脚本と映画の撮り方がまさにキテレツだったからです。脚本で言えば、台詞がやたらと長い!(俳優泣かせ)しかも非常に観念的で、悪く言えば頭でっかち。映画の台詞というより舞台の台詞に近い、と思わせました。見たことがない人に言ってもしょうがないのですが、平田オリザの「青年団」の演劇を見ているような感じでした。大きな事件も事故も起きない何気ない日常の中から生まれる会話の中で、皮肉と諧謔とパンチ効いた台詞がポンポン飛び出します。

 濱口監督の台詞は異様に長い上に、それに比例するようにカメラの回しも異様に長く、ほとんどカット割り撮りしていないのではないか、とさえ思わされました。こりゃあ、役者さんたちは大変ですよ(後で、監督の俳優に対する配慮が分かりました)。

 各作品とも台詞がある登場人物が2人とか3人とか異様に少なく、ということは、群像劇ではないので、会話だけで最後まで見させてしまう濱口監督の力量は相当なものでした。ハリウッド映画のような大掛かりなCGは使わないし、飛行機が墜落したり、車が破損したり、拳銃がぶっ放されたりしない、全くごくあり得そうな日常生活が描かれているだけです。そんな映画を日本人ならともかく、よく海外の人まで理解して熱狂してくれたかと思うと不思議な感じがしました。

 人間の心因性は世界各国、どこでも変わらないということなのでしょう。

2021年ベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)の銀熊トロフィー。洋画専門の渋谷のル・シネマで邦画がかかるのは初めてらしいですよ

 映画が終わった後の舞台挨拶では、第一話の「魔法(よりもっと不確か)」に主演した古川琴音(奈良美智の絵に登場する少女にそっくり!)、中島歩(イケメンさん)、玄理(ひょんり)の3人の俳優が登壇しました。(濱口監督は、コロナ隔離のため、音声だけで出演しました)

 大変申し訳ないのですが、この3人を含めてこの映画に主演した俳優さんたちは、これだけ映画を観ているというのに、全員、「顔と名前が一致しない」という意味で知りませんでした。申し訳ない序にまた言わせてもらいますと、スクリーンの中ではこれまで見たこともないぐらいハンサムで恰好良かった男優さんや、本当に目が眩むほど美しい女優さんも、実物で見ると、驚愕するほどでもなかったことでした。勿論、俳優さんですから、普通の人より遥かにハンサムで美人さんなのですが、照明さんと撮影監督の巧みさが際立ったということでしょう。

 この舞台挨拶で、ある女優さんが、濱口監督の独特で驚きの撮影手法を公表してくれました。3本で約2時間の映画ですから、1本の短編は40分ということになります。しかし、撮影時間は全部で何時間か分かりませんが、それ以上ありました。映画館で公開される作品(本編)の前に起こったことまで、台詞と芝居があって撮影していたというのです。つまり、この非公開部分によって、役者さんたちは、本編に入る前の人間関係や、その後に起きるであろうことがよく分かるので、長い台詞でも演技がしやすくなる、というわけです。

 この話を聞いて、やはり、この東京芸大出身の濱口監督(43)は只者ではない、と確信致しました。世界から注目されるはずです。

「帝国陸軍の恥」と「電気化学工業の父」=ノンフィクション作家斎藤充功氏と懇談

 参りました。スマホの通信が不調でアプリが繋がらなくなり、ブログの更新もうまくできなくなりました。困ったもんですが、様子見するしかないようです。やっぱ、安い携帯通信事業者じゃ、「安かろう悪かろう」になってしまうんですかね?(後でスマホを「再起動」したら、繋がるようになりました!)

 17日(金)は、またまたノンフィクション作家の斎藤充功氏からのお招きで、都内某所で忘年会のような飲み会に参加しました。滅多にないことですが、この日は仕事で遅くなってしまい、約束の時間に間に合わず、申し訳ないですが、20分程遅れてしまいました。

 そしたら、約束した居酒屋に向かおうとしたら、斎藤氏から電話が掛かってきて、「その店は客あしらいが悪いのでもう出て来ましたよ。今、外で煙草を吸ってます。他の店にしましょう」と仰るではありませんか。結局、次に行った店も、注文しても、若いお兄さんが「ちょっと待ってください。順番でやってますから!」と怒ったような大声を出すし、斎藤氏が灰皿をお願いしても忘れて持ってこないし、またまた客あしらいの悪い、感じの悪い店でした。「都内某所」と書いたのは、その店がある街の名誉のために敢えて伏せておきまする(笑)。

 前回10月28日付渓流斎ブログ「久しぶりの痛飲=S氏の御先祖様は幕臣旗本だった」にも書きましたが、斎藤氏の大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は、六百石扶持の馬廻役の直参旗本だったいう血筋の良さですが、御本人は国立大学を中退して、ヤクザな?フリーランスの操觚之士となった方です。「文藝春秋」や「新潮45」(休刊)などの名物ライターとなり、今年は600ページを越す「中野学校全史」(論創者)や「ルポ老人受刑者」(中央公論新社)などを出版するなど、これまで出した本は50冊以上で、80歳となった現在でも現役として活動されている、まあ化け物みたいな方です(笑)。

 斎藤氏は、若い編集者からは「スーパー爺さん」と陰口を叩かれているらしいのですが、その人並み外れたバイタリティーは、何処から来るのか不思議です。「わたしは100歳まで現役を続けるつもりです」と豪語する斎藤氏に対して、私も思わず、「その原動力は何処から来るのですか?」と尋ねてみました。 

 すると、一言、「好奇心です」と仰るではありませんか。

 私なんか、もうこの年で、楽(ラク)して儲けようとしている詐欺師ばかりがのさばる社会の矛盾には白けてしまい、もうあまり気力も好奇心もなくなってきましたが、いつまでも青年のような好奇心を失わない斎藤氏はやはり只者ではありませんでした。

 斎藤氏の最近の「お仕事」としては、現在、千葉県市川市にある「国立国際医療研究センター国府台病院」は、実は、戦前は精神疾患を発症した皇軍将兵を収容し治療していた「国府台衛戍病院」(昭和から「国府台陸軍病院」)だったにも関わらず、「帝国陸軍の恥」として「歴史」から抹殺され、現在ではセンター病院に勤めている人でさえほとんど知らない実態をルポにまとめておられました。

 斎藤茂吉の子息で「モタさん」の愛称でも知られる精神科医の斎藤茂太も、若い頃にこの国府台陸軍病院に勤務していたそうです。

 「わたしは埋もれた歴史を掘り起こすことが好きなんですね。語弊があるかもしれませんけど、資料がなければ歴史が書けない学者とは違うんですよ」と酒の勢いもあってか、斎藤氏は絶好調でした。

◇「政商」野口遵とは?

 もう一つ、現在、取材と執筆を並行して行っているのが、野口遵(のぐち・したがう=1873~1944年)という化学者の評伝だといいます。私自身は不勉強で、この野口さんのことを全く知りませんでしたが、とてつもない人物でした。金沢の前田藩士の子息として生まれ、東京帝大電気工学科を出た技師でしたが、シーメンス入社後、独立して日本で初めてカーバイド製造事業を始め、それが現在のチッソ(旧・日本窒素肥料)や旭化成、積水化学、信越化学などの礎になっているというのです。ま、これら超一流企業の創業者と言っていいでしょう。

 野口は、「政商」として植民地時代の朝鮮にも進出して、大規模な水力発電所を幾つも建設し、「朝鮮半島の事業王」とも「電気化学工業の父」とも呼ばれ、巨万の富を築いた人だったと言われます。

 確かに、私が知らなかっただけかもしれませんが、歴史に埋もれた人物を発掘して現代に蘇らせる仕事は斎藤氏の真骨頂とも言えます。本が完成したら私も読みたいと思いました。

 同時に、こんな凄い先生なのに、あしらいの悪いお店のお兄ちゃんはどうにかならんものか、と思いましたよ。世の中、そんなもんですかねえ…。

良心の呵責があっては妨げになるのか?=森友学園問題を巡る財務局元職員遺族訴訟の幕引き

 森友学園問題に関する財務省の決裁文書改竄を苦にして、2018年に自殺した財務省近畿財務局の元職員赤木俊夫さん=当時(54)=の妻雅子さん(50)が、国などに損害賠償を求めた訴訟は15日、急転直下、国が約1億円の賠償請求を受け入れることで幕引きを図りました。

 当然のことながら、遺族の雅子さんは「お金目的ではなく、真相を究明してもらいたいだけ。非公開の場で臭い物に蓋をするようなやり方は卑怯だ」と反発しました。

 私も大いに同調します。

 新聞もテレビも大きく報じましたが、一番分かりやすかったのが、16日付東京新聞朝刊です。見出し四段で「森友訴訟 急転幕引き」と取り、横見出しで「職員自殺 国が1億円賠償へ」となっています。

 確かに、お金の問題ではありませんが、1億円を賠償するこの「国」って何なんだ?とこの見出しを読むと大いなる疑問が浮かんで来ます。そして、冷静に考えると、結局、その賠償金は、税金から支払われることに気が付きます。つまり、誰が責任を取ったかというと、国でも財務省理財局長だった佐川宣寿元国税庁長官でもなく、税金を負担している国民だったということが分かります。この許せない事実がこの見出しに込められているように私には思えました。

鎌倉・円覚寺

 妻の雅子さんの「夫は国にまた殺された」という叫びと非難は、非常に切実なものがあります。

 この改ざん問題は、安倍晋三首相に忖度し、自己の出世欲に目が眩んだ佐川理財局長が、強引に赤木さんに指示したのではないかという説が濃厚です。佐川氏に対する訴訟だけは継続される、と表向きでは言われていますが、大本の権力者が安泰である限り、裁判官の斟酌は半永久的に不滅でしょう。

 その大本権力者である安倍元首相は、有権者の票が欲しいので「桜を見る会」で地元民を優遇した人でもあります。しかも、その財源は国民の税金です。彼は、最高権力者のポストは降りても、キングメーカーとして院政を敷いて権力を護持する計画だといわれてますから、また国民がツケを支払わされるのではないかと危惧されています。

 どうも、人が亡くなったというのに、権力者というのは良心の呵責も、自己嫌悪も、反省もしないのでしょうか? それとも、良心の呵責も自己嫌悪も反省もしない人間が、権力者になるのでしょうか? 鶏が先か卵が先か、みたいな話でしょうが、それらの条件は、不即不離の関係にあることは間違いないと私は思っています。

鎌倉・円覚寺

 そもそも、これは世界的傾向ですが、罪悪感を覚えたり、良心の呵責に駆られたり、自己嫌悪に陥っていたりしては、為政者なんかやってられませんからね。

 私自身は、「蟷螂の斧」と分かっていながら、またこんなことを書いて、自己嫌悪に陥りそうです(苦笑)。

【追記】(12月17日)

 12月16日付東京朝日新聞夕刊一面の名物コラム「素粒子」に掲載されていた記事。

 「ふざけんな」。真相解明を税金で止めるなんて。森友訴訟、上司の証言ないまま。

   ×  ×

 この約1億円の賠償金支出は、納税者として許し難い。

 たった、わずか二行で、昨日書いた私の記事を表現している。逆に言えば、私の言いたいことなんぞ、ダラダラと書かなくても、二行で済む、てか?

「従三位」と「正六位」の違いは何か?=位階(叙位)について考える

 私は自己嫌悪感が強い人間なのか、自分が書いた記事に関してはすぐ反省して取り消したくなります(苦笑)。ブログを毎日のように書き続けているのは、前日に書いた記事を否定したく、いや、否定してしまっては元も子もないので、前日書いた記事より、もっと上手く書きたい、もっと面白いものを書きたい、と願っているせいなのかもしれません(笑)。

 ということで、唐突ながら、本日は「叙位叙勲」のお話に致します。国の栄典には、位階(叙位)、勲章(叙勲)と褒章があります。位階は、正一位から従八位まで正従各8階の16階があり、亡くなられた方に対して運用されます。

 勲章は、大勲位菊花章頸飾から旭日単光章・瑞宝単光章まで15章あり、「国家又は公共に対し功労のある方」らに授与されます。

 褒章は、紅綬褒章から飾版まで8章ありますが、学者や芸能人、スポーツ選手らに授与される紫綬褒章が一番馴染み深いかもしれません。

 これらについて、全部書いていたらキリがないので、本日は叙位(位階)の話に絞ります。何しろ、叙位は、古代律令制から始まり、敗戦で一時途切れても、我が国では1300年以上、連綿と続けられてきたからです。(叙位叙勲は、閣議決定により昭和21年5月に停止され、昭和39年4月に復活した)

 あの代表的な戦国武将である織田信長でさえ正二位・右大臣、豊臣秀吉は従一位・関白太政大臣、徳川家康は従一位・征夷大将軍・太政大臣を朝廷から受けています。

 一方、古代から中世にかけて、中央から地方行政単位である国の行政官として派遣された官吏は国司と呼ばれましたが、「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」の四等官が派遣されました。例えば、越前国なら「越前守」「越前介」「越前掾」「越前目」といった具合です。地方の「国」には「大国」「上国」「中国」「下国」の分類がありましたが、武蔵や播磨などの大国の場合、それらの位階を当てはめると、「守」は従五位、「介」は正六位、「掾」は正七位、「目」は従八位でした。地方官のせいなのか、それほど高い地位ではなかったのです。(中央の上級官人=貴族=は、太政大臣=正一位・従一位、左大臣=正二位、右大臣=従二位、大納言=正三位、中納言=従三位、参議=正四位…となっていました)

鎌倉・円覚寺 聖観音像

 これらのことを「目安」として頭に入れて頂いて、現代の話に戻します。現在も位階は、天皇の裁可によって、亡くなった方に授与されています。意外と知られていませんが、企業のトップや議会議員だけでなく、かなりの数で学校の校長先生にも叙位されているのです。地方自治体などからの推薦がありますが、最終的に取りまとめているのが、内閣府大臣官房人事課恩賞係というところです。

 さて、この位階の基準がよく分かりません。例えば、この人は「正五位」だけど、この人は「従五位」にしよう、といったことを誰が、どんな基準で決めているのか、外部からは全く分かりません。でも、少し想像だけはできます。

 ごく近々の話では、「ゴルゴ13」で知られる劇画作家のさいとう・たかを(本名斉藤隆夫)さんは今年9月に84歳で亡くなりましたが、授与された位階は「正六位」でした。意外にも低いので、この論考?を書くきっかけとなりました。何故なら、「正六位」は大体、小・中学校の校長経験者に多く授与される位階だからです。高校の校長となると、「従五位」前後が多く、大学の教授クラスともなると、「従四位」か「正四位」といった感じです。この中で、私大の名誉教授は「従四位」、国立大学名誉教授、それも特に、東大、京大など旧帝大系となると「正四位」となる傾向が強いのです。

 特例は、昨年12月に90歳で亡くなった物理学者の有馬朗人氏で、破格の?「正三位」でした。元東大学長だった上、文部大臣を務め、文化勲章まで受章したということからの判断だと思われます。

鎌倉・円覚寺

 位階は死後授与ですから、やはり生前に日本芸術院会員や文化勲章などを受章されていたりすると、位階が上がると思われます。

 松山バレエ団創立者の松山樹子(本名清水樹子)さんは「正六位」、作曲家のすぎやまこういち(本名椙山浩一)さんは、文化功労者であっても「従四位」でしたが、「渡る世間は鬼ばかり」などで知られる脚本家の橋田壽賀子(本名岩崎壽賀子)さん(今年4月、行年95歳)と、11月に99歳で亡くなった作家の瀬戸内寂聴さんは、ともに「従三位」でした。お二人とも文化勲章受章者だということが効いているのではないかと推測されます。