山本勉著「完本 仏像のひみつ」(朝日出版社、2021年5月31日初版)を読了しました。「完本」と銘打っているので、大いに期待して読んだのですが、どうもお子ちゃま向けに書かれていました。お子ちゃま向けということで、筆者は、神のことを「カミ」、漆を「ウルシ」、渡来仏のことを「トライ仏」と明記しますが、よっぽどカタカナが好きなのか、カタカナで書けば易しく書かれたと思い込んでいるのか、そのどちらかなのでしょう。しかし、残念ながら、実に読みにくい。善光寺のことを「ゼンコージ」などと書かれると、「馬鹿にしてんのか?」と、さすがに頭に来てしまいます。
仏像の種類として「如来」「菩薩」「明王」「天」の階層(筆者は「ソシキ」と書いてます!)があることなど基礎的なことは全て網羅されておりますが、筆者は東京芸大出身ということもあってか、仏像の技法や製法等の解説に重きを置いている感じです。「金銅像」「塑像」のほか、「脱活乾漆造り」「木心乾漆造り」「寄木造り」「割矧ぎ造り」などです。川口澄子さんのイラストもしっかり描かれているので分かりやすいです。
この本で面白かったのは、仏像もその時代、その時代の流行があり、年代によって太ったり、痩せたりしているという史実でした。飛鳥時代の7世紀は、例えば法隆寺の百済観音像に象徴されるように、薄っぺらい痩せ型で、奈良時代の8世紀は少しだけ横に長い楕円形、それが9世紀の平安時代になるとまん丸型となり、平安時代後期の11世紀になると、寄木造りを発明した定朝の影響で、また横にすごく長い楕円形になり、12世紀後半の鎌倉時代となると、今度は縦に少し長い楕円形に変化します。
恐らく、仏像学者は、仏像の形から何世紀ごろの製作か、推量するんでしょうね。
もう一つ、仏像を製作した人のことを、日本だけ「仏師」として認知されているようですが、仏像に仏師が自分の名前を台底などに墨で銘記するようになったのは、平安後期から鎌倉時代に活躍した運慶からだと言われているようです。勿論、飛鳥時代の渡来人の子孫である鞍作止利(法隆寺の釈迦三尊像など)や平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像を造った定朝といった名前は残っており、特に有名ですが、ほとんどの仏師は知られていないようです。ただし、運慶さん前後になると、名前が明記されていなくても、仏像の耳の形を見れば、製作者が推定されるそうです。耳を見れば、これは運慶作、これは快慶作、これは康慶作とそれぞれ特徴があるので特定できます。
仏像をお参りしている人の中で、一風変わって、特に耳ばかり見ている人は、仏像学者に間違いない、かもしれません(笑)。
【追記】同月同日
と、書いたところ、著者の山本勉氏から直々にSNSでツイートがありました!(恐らく正真正銘の御本人だと思われます)
ご紹介ありがとうございます。子ども向けの文体やカタカナ多用でご不快をあたえたとのこと、申しわけありません。巻末「仏像のひみつ最終顚末」に記したように、もともと子ども向けの展覧会からできあがった本ですので、文体や表記は展覧会でのそれらを継承していることをご理解いただけると光栄です
吃驚です。小生も返信しました。
ありま〜すびましぇん! 読まれてしまいました! まさか、ご本人の目に留まるとは想像もしてなかったもので…。でも、ごめんなさい。訂正しません。ゼンコージでは、やはり、子どもも馬鹿にしている感じです。幼い時こそ難しい漢字に親しむべきだという信念を持ってますもので。ただ、並行して読ませて頂いている「運慶✕仏像の旅」は最高です。大人向きのせいか?(笑)引き続き、感想文を書かさせていただきます!