苦しいときは良いこと

 本当に、今年に入って心安まる時間がありません。(眠っている時以外ですが)

 一難去って、また一難です。どうしちゃったんでしょうか???思い起こせば、ここ6~7年は私生活の面で、平穏無事とまではいきませんでしたが、大きな波風が立つことはありませんでした。まるで極楽とんぼです。

 それが、今年に入って、急に難題、課題、難問が次々と押し寄せて来るのです。しかも、こちらは素人の専門外のことばかりですので、すぐには解決できません。

 昨晩は、天下のGoogleさんからメールが来ました。

 「Gmail の保存容量を 50% 使用しています」というのです。「空き容量がなくなりますと、Gmail でのメールの送受信や、Google Driveと Google Photosへの新しいファイルや写真のアップロードが行えなくなります」と、かなり脅し文句に近い印象を受けました(失礼!)。こりゃ、困った!

 仕方がないので、今朝チェックしてみたら、私のGmailは10年前の2014年のメールも残っていました。友人からの懐かしい私信もありましたが、仕方ない。削除するしかありません。10年分のうち、5年分を削除しました。もうこれで、暫くは「警告」は来ないかもしれません。作業中は、何か「終活」をやっているような気分で、さらに落ち込んでしまいました。死んだら紙もデジタルも持って行けませんからね。

銀座「マトリキッチン」

 そんな折り、作家の真山仁さんが、本日1月30日付毎日新聞の朝刊で、「私人逮捕系」と呼ばれるユーチューバーたちについて、インタビューに応じていました。「私人逮捕系ユーチューバーは自分を正義の味方のように思っていたのかもしれません。…しかし、逮捕権を一般の人が自在に使うとリンチになる恐れもあるのです」などと発言しておりましたが、私が注目したのは、情報過多の対処の仕方についての質問に対して、「情報や雑音があまりにも多くなり過ぎたときに遮断することはあります。苦しいときは良いことだと思います。ただ、それはイレギュラーだと思ってほしい」と彼が発言したことでした。

 えっ!? 苦しいときは良いことなの? パッと目から鱗が落ちるような感覚になりました。「苦しいときは良いこと」とは、恐らく、真山氏は、情報遮断する際に、苦しかったらそうしなさい、という意味で使ったのでしょう。しかし、私は、そのまま、独立して「苦しい時は、良いことが起きる証拠」と曲解してしまったのです。そう曲解した瞬間、ほんの少し心が軽くなりました。

誤解とはいえ、この言葉には大いに救われました。