迂生は、昨年は「理科系転向」宣言を致しまして、古人類学、進化論、生物学、宇宙論、行動遺伝学、相対性理論、数学、物理学、量子学等に関する書籍を乱読したものでした。
しかし、メンタルに不調をきたすと、本が読めなくなるもんですね(苦笑)。雑念が湧いて、同じ箇所を何度も繰り返して読んでも、頭に入って来ません。しかも、暫く間が空くと、それまで読んでいたことを忘れてしまい、また最初から読む始末です。
今読んでいるブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)もそんな感じで同じ箇所を何度も読んだりしているので、昨年12月中旬から読み始めて、もう1ヶ月以上経つというのに、まだ半分も読んでいません。難解と言えば、難解ですが、一応、「基礎知識」だけは身に付けて臨んだので、読めないことはありません。含蓄のある文章なので、まるで「聖書」か「仏典」のように何度も同じ箇所を繰り返して読み進めています。
前回、2023年12月21日付の渓流斎ブログ「死の恐怖から逃れようとする人類=B・グリーン著『時間の終わりまで』」でも取り上げましたが、まずは著者の読書量の多さには圧倒されました。学者だから当たり前だろう、と言われそうですが、著者のグリーン氏は、専門の量子力学だけではなく、哲学、歴史学、文学、心理学、神話、宗教学に至るまで幅広く「文化系」の書籍を読破しているのです。
これだけの知識と教養があれば、新書で686ページに及ぶ大著も難なくものにすることが出来るのでしょう。さて、前回は、この本は科学書ではなく、哲学書みたいだ、といった印象を書きましたが、第3章の「宇宙のはじまりとエントロピー」辺りから、ぐっと著者専門の量子力学の学説が頻繁に登場してきます。最初は「人間とは何か」といった哲学的アポリアから問題提起を始め、いよいよ「生命とは何か」といった科学的真実のアプローチが始まります。
ざっくばらんに生命とは何か、他の本からの知識でご説明しますと、138億年前に時間と空間もない無の状態からインフレーションとビッグバンにより宇宙が誕生します。46億年前に太陽系と地球が生まれ、適度の温度と水に恵まれた「奇跡の惑星」である地球に40億年前に生命が誕生します。40億年前の生命とはまさに量子論の世界です。水素やヘリウムなどの原子が結合して、アミノ酸が出来たり、タンパク質が出来たりするわけです。この後は、生物学、進化論の世界になります。
生命とは、もともとは原子や粒子の結合ですから、著者のグリーン氏は実に面白い言い方をしています。何年か前、著者がテレビに出演して宇宙について話した際、グリーン氏は司会者に向かって「あなたは物理法則に支配されている粒子たちが詰め込まれた袋に過ぎない」と言ったというのです。この「あなた」とはグリーン氏自身でもあり、人類全員のことでもあります。いや、生物だけでなく、石などのモノでさえ、「粒子の袋」でもあるというのです。
しかし、人間には意識や思考があっても、石は何も考えません。本書の中で、著者はさまざまな疑問を読者にぶつけてきます。もしかしたら、自問自答なのかもしれませんが…。
心も思考も感情もない粒子たちの集まりが一体どうやって、色や音、気持ちの高まりや感嘆の念、混乱や驚きといった内なる感覚を生み出すのだろう?
本書では、このようなアポリアが何度も登場し、著者は色んな学説を引用して説明しますが、明解な答えまでには行き着いていません。読者も一緒に考えてみようというスタンスなのかもしれません。
それにしても、「粒子の袋」とは言い得て妙です。私も、歩道や駅構内で故意にぶつかってきたり、電車内で足を踏んだりしても謝らない人間に対しては、「物理的に制御された粒子の袋」だと思い込むことにしました。そうすると、不思議と腹も立ちませんからね(笑)。