「エントロピーが増大する」とはどういうことなのか?=ブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」を再読してやっと分かりました

 以前、予告しました通り、ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで」(ブルーバックス)を読了した後、今は再読しております。

 一回目は、著者特有の韜晦的な書き方によって、正直、よく分からない部分が多かったのですが、再読すると、意味がよく分かるようになりました。えっ?韜晦(とうかい)的の意味が分からない? 衒学的の正反対です。えっ? 衒学的も分からない? 韜晦的とは、自分の才能を包み隠すこと。衒学的とはその逆で、自分の知識を自慢したり見せびらかしたりすることです。

 著者のグリーン氏は、自分の知識を包み隠すような書き方で、はっきりした結論は書かないように一回目に読んだとき思ったのですが、二回目に読んだ時は、実は印象が少し変わりました。例えば、109ページに「ビッグバンから、10億分の1の10億分の1のさらに10億分の1秒後には、斥力的重力は空間の小領域を大きく引き伸ばし、…広がった。…それと同じくインフラトン場もまた、いずれ『破裂』し、場の粒子たちは霧になる。」と書いた後、「その粒子たちが正確に何だったのかは分かっていない」とはっきりと、分からないことは分からないと明言しておりました。

王子神社

 宇宙の生成から終焉において、熱力学第二法則の「エントロピーは増大する」というキーワードが最も重要で、本書の後半にかけても何度も出てきましたが、この意味を深く理解することがなかったので、1回目に読了したとき、どうも痒い所に手が届かなかった読後感がありました。が、再読してみたら、前半で、はっきりとエントロピーとは何かについてかなり詳述されていたことが分かりました。一回目は一体、自分自身何を読んでいたのかしら?

 「エントロピー」とはざっくばらんに「無秩序状態」と翻訳して良いと思いますが、本書の70ページでは、実に分かりやすく、エントロピーとは何なのか説明してくれています。一回目で読んだはずなのに、覚えていなかったとは本当に情けないですね。メンタルの不調のせいにしておきます(笑)。

 著者はこのように書いています。(少しだけ差し替えています)

 エントロピーは時間とともに増大する圧倒的な傾向がある。きれいにアイロンのかかったシャツが皺になるように「特別な配置は平凡な配置に近づく傾向がある」とか、整理されたガレージが、道具類や収納箱や遊び道具がごちゃ混ぜに詰め込まれた物置になるなど「秩序は無秩序になる傾向がある」といったことだ。

 なるほど。エントロピーが増大する、とはガレージが散らかったり、シャツが皺になったりすることでしたか。こりゃあ、分かりやすい。

王子神社

 また、著者のグリーン氏によると、宇宙が生成されるきっかけとなったビッグバンは、高度に秩序立った極めてエントロピーが低い出発点だったといいます。つまり、最初は極めて秩序が整った状態だったということです。それが、熱力学第二法則により、エントロピーが増大すると、宇宙に存在するもの全ては、衰え、劣化し、朽ちるという、抗いがたい傾向を持ってしまうのだといいます。ということは、これで、宇宙に終焉があるという結論が導き出されるわけです。

 その前に、地球の生命体の一つである人類の消滅が先にあります。人類だけが持つ「考える」という行為そのものも、(思考することによって)無益な環境エントロピーを増大させてしまうせいで自滅するともいいいます。あまり、自分勝手に苦しんだり悩んだりしたら、エントロピーが増大するということなのかもしれません。

 ところで、18世紀のニュートンの時代まで人類はモノが引き寄せられる「重力」しか分かっていませんでしたが、20世紀になって、その逆のモノが引き離される「斥力」が発見されました。同じようにエントロピーが増大する、とだけ考えられていたのに、エントロピーは減少することも分かってきました。エントロピーの減少とは、カメラを逆回しにしたようなSFのような世界ですから、専門外の私からはうまく説明できませんが、この本にはそういった話も多く出てきます。

 いずれにせよ、私自身は「エントロピーが増大する」とはどういう意味なのか? 再読してやっと分かったという、実に情けない恥さらしなお話を御紹介しました。

オートルマンって何のことですか?

 2月16日、北極圏にある刑務所で、プーチン政権によって殺害されたのではないかとされているロシアの反体制指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(行年47歳)。日本のマスコミでは、「ナワリヌイ」と表記されますが、英字紙では Alexei Navalny と表記されています。このまま日本語に置き換えればアレクセイ・ナヴァルニイとなります。ナワリヌイとは読めません。ロシア語では Алексе́й Анато́льевич Нава́льныйと表記され、アレクセイ・ナヴァリヌイと読むらしいので、これが一番正しいのかもしれませんが。

 国際語になっている英語は、あくまでも独自路線を貫いているということなのでしょう。地名にしても、オーストリアのウィーンは、「ヴィエナ」と言うし、イタリアのヴェネツィアは「ベニス」と発音したりしますからね。

新富町「躍金楼」(明治6年創業)天ぷら膳(五点盛)1320円 本文と全く関係ないやないけ!

 何でこんな話をするのかと言いますと、先日、久しぶりに婿殿に会った時、驚く体験をしたからです。婿殿は米国人です。その彼が急に「オートルマンは知ってますよね」と言うではありませんか。えっ? オートルマン? 聞いたことないなあ~ 「知らないなあ」と応えると、彼は「えっ?日本人なら誰でも知ってますよ。そりゃあ、おかしい」と言いながら、スマホを取り出して、そのオートルマンというものの画像を私に見せたのです。

 なあ~んだ。ウルトラマンじゃないか! 「オートルマンじゃないよ。ウルトラマン。オートルマンじゃ、日本人に通じないよ」と諭しましたが、彼はあくまでも、「いや、違う。絶対にオートルマンだ」と譲らないのです。仕舞いには、「ゴジラ」ではなく、「ガジ~ラ」が正しい、とまで言い出しました。

 これで、私は1970年代に流行ったテレビCMを思い出しました。パナソニックのカラーテレビ「クイントリックス」のCMです。1930年代から「あきれたぼういず」で活躍していた坊屋三郎(1910~2002年)が、相手の外国人タレント、トニー・ダイヤが「クイントリックス」と連呼するのに対して、坊屋が日本語風に発音して、「英語でやってごらんよ。なまってるよ。外人だろ、あんた。発音だめだねえ」と切り返して笑いを誘っていました。坊屋さんは随分お爺さんに見えましたけど、当時まだ61歳だったんですね。

 英語は現地語の発音を超越して自分たちの発音を押し通すように、日本語も同じことをやっています。

 この渓流斎ブログで、以前にも取り上げましたが、第2次世界大戦下の米国の大統領を日本のマスコミは「ルーズベルト」と表記しますが、本来は、つまり、米国では「ローズベルト」Rooseveltと発音します。米下院議長を務めたナンシー・ペロシはペロシではなく、「プロウシイ」Pelosi と発音するので、ペロシと言っても誰のことなのか分かりません。

 もっとも日本では和製英語が氾濫しています。今や事故だけでなく、事件や災害の際に大いに活躍しているドライビング・レコーダーがあります。これはdriving recorder で欧米でも通じるかと思っていましたら、米国では、略してdashcam、もしくは dashboard cameraというんですってね。ドライビング・レコーダーでは通じないのです。

 何か、本日は「ゲーテとは、俺のことかとギョーテ言い」みたいな話になってしまいましたね(笑)。