「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」は★★★★★

 久しぶりに映画館で映画を観て来ました。

 調べてみたら、2月11日に東京・恵比寿の日仏会館で観たアルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」以来でしたが、封切映画なら2月8日に有楽町で観た第1次大戦のAIカラー映像化した「彼らは生きていた」以来で、いずれにせよ半年ぶりでした。

 小生、皆さまご案内の通り映画好きですが、こんなにブランクが開いたのは初めてぐらいです。コロナ禍の影響で、映画館の席は間隔が開けられ普段の半分しか入れない状況でした。

 観たのは「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(ポーランドのアグニェシカ・ホランド監督作品)です。先週、たまたま新聞の広告でその存在を知り、私の”興味津々”範疇の「スパイもの」だというので飛びついたわけです。子どもの頃から、「007」シリーズ(特にショーン・コネリー)を観て育ちましたからね。

 でも、この作品は全くのフィクションではなく、主人公ガレス・ジョーンズ(1905~35)は英国ウエールズ出身の実在の人物で、スターリン政権のソ連に潜り込んでその実体をスクープしたフリーのジャーナリストでした。彼は、ロイド・ジョージ首相の外交顧問も務めたことがあり、日本にも取材で6週間滞在したことがあるらしく、最期は満洲でソ連の秘密警察の手によって暗殺されたようでした。30歳の誕生日を迎える1日前のことでした。ジョーンズ記者が、潜入したウクライナ地方の凄惨な飢餓状況を初めて西側に発表したことから、ソ連側から「要注意人物」として恨みを買っていたためでした。

 この作品には、「動物農場」などでスターリンの恐怖政治を痛烈に批判した、私も大好きな作家のジョージ・オーウェル(1903~50)が準主役として登場する一方、スターリニズムを称賛するニューヨーク・タイムズのモスクワ支局長ウォルター・デュランティ(1884~1957)が、ジョーンズのスクープはデマだと否定したりして「悪役」として活躍します。何しろ、デュランテイは1922年から36年まで14年間も支局長としてモスクワに滞在し、その間にピュリッツァー賞も受賞した大物ジャーナリストでした。

 そのデュランテイは、モスクワから一歩も出ず、地方の飢餓や窮乏を見て見ぬふりをし、夜ごと裸になって変な麻薬パーティーを開いたりします。麻薬パーティーが事実だったかどうか知りませんが、ホランド監督の彼に対する痛烈な皮肉と批判の現れでしょう。フェイクニュースが跋扈する現代と状況はほとんど変わっていないことを再認識させられます。

 若きジョーンズ記者は無鉄砲で、ソ連の官憲から逃れて、凍てつく吹雪が荒む凍土のウクライナを彷徨います。そこでは、あちらこちらで餓死した遺体が無造作に転がり、…いやあ、これ以上書けませんが、大変衝撃的な場面も出てきます。

 今ではすっかり忘れられたジョーンズ記者を掘り起こしたホランド監督は、ポーランド出身ということもあり、征服されたソ連の無情と残忍さは骨身に染みるように親から伝えられたことでしょう。1930年代の「ウクライナ大飢饉」(実に300万人の人が餓死したと言われる)は史実として知っておりましたが、この作品で、スターリン粛清主義の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。

日仏会館でデプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」を観る

日仏会館

 昨年12月に見事厳しい審査を経て(?)、東京・恵比寿にある日仏会館の会員になることができました。そこで開催されるフランスに関する色んな講演会やセミナーやイベントに参加できます(非会員の方もbienvenu)。1月に「ジャポニスム」に関するセミナーがありましたが、仕事が遅くなり、キャンセルせざるを得なくなりました。

 昨晩は会員として初めて参加しました。(そう言えば、2015年1月に日仏会館で開催された「21世紀の資本」のトマ・ピケティの講演を取材したものです。ということは5年ぶりでしたか…早い、早すぎる)

ヘアーサロン・ヤマギシ 月曜休みでした

 その前日に、京洛先生から電話があり、明日、日仏会館に行く予定だと話したところ、「恵比寿ですか…そうですか…懐かしいですね。中華のちょろりに行ったらいいじゃないですか」と仰るではありませんか。

 えっ?何ですか?ちょろり?

「中華屋さんですよ。あたしはよく行きましたよ。恵比寿ビアガーデンの近くでもあります。そこで、よく炒飯と餃子にビールを注文したものですよ」

 いい話を聞きました。京都の京洛如来様は、まだ東京で調布菩薩だった頃、職場が恵比寿にあったことから、恵比寿は自分の庭みたいなものでした。

 「恵比寿駅近くにヤマギシという床屋がありましてね。社長はあの大野で修行した人で、あたしはよく行ったものです。今でも東京に行った時に予約して行きますよ。貴方も行ってみたらどうですか?『京都の京洛から話を聞いて来ました』と言ったら、喜びますよ」

 あれ?それ、もしかしたら、恵比寿商店会から宣伝料のマージンでももらっているんじゃないですかねえ(笑)。

 でも、私も、当日の夕飯はどうしようかと思っていたので、良い店を紹介してもらいました。

 中華「ちょろり」は、日仏会館の目と鼻の先にありました。夕方5時頃入ったら、お客さんはまだ誰もいなく、しばらく一人でした。大衆中華料理屋さんというか、大きなテーブルが7個ぐらいあって、30~40人で満杯になる感じでした。(帰りの夜9時過ぎに店の前を通ったら、超満員でした。夜中の3時までやっているようです)

 京洛先生のお薦め通り、炒飯と餃子とビールを注文。炒飯は、何か、和風で、昔懐かしい味。餃子は野菜がいっぱい入ってました。

 さて、肝心の日仏会館の催しは、「映画と文学」の6回目でした。アルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」(2015年、123分)が上映された後、目白大学の杉原先生による、特に、映画のフラッシュバック技法とマルセル・プルーストとの関係について解説がありました。

アルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」 左は、 ポール役のカンタン・ドルメール、右は エステル役のリー・ロワ・ルコリネ

5年前に日本でも公開されたこの映画は見逃していましたが、なかなか良かったですね。よほどの映画通じゃなきゃデプレシャン監督作品は知らないでしょうが、私も初めて観ました。1960年生まれのデプレシャン監督の青春時代を色濃く反映した作品で、私もほぼ同世代なので、心に染み入りました。満点です。

 デプレシャン監督は、ベルギー国境に近いフランス北東部の田舎町ノール県ルーベ出身で、パリに上京して仏国立高等映画学院で学んだようです。映画の原題はTrois souvenirs de ma jeunesse で、直訳すると「我が青春の三つの物語」となります。主人公のポール・デダリュスは人類学者で外交官ですが、タジキスタンかどこかの旧東側国の税関で捕まり、スパイ容疑で取り調べられるところから物語は始まります。その時、主人公が青春時代の三つの物語をフラッシュバックで思い出すという展開です。

 後で聞いた杉原先生の解説によると、主人公のポール・デダリュスとは、ジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」に登場する作家志望の青年スティーヴン・ディーダラスから拝借したもので、ユリシーズもこの映画も「帰還」がテーマになっているとか。

 主人公のポール(青年時代はカンタン・ドルメール、現在の壮年時代はマチュー・アマルリック)とエステル(リー・ロワ・ルコリネ)との淡い悲恋の物語といえば、それまでですが、恋する若い二人の心の揺れや不安が見事に描かれ、私も身に覚えがあるので懐かしくなりました(笑)。ポール役のドルメールも清々しく格好良かったですが、エステル役のルコリネは、男なら誰でも夢中になるほど魅力的で、強さと弱さを巧みに表現できて、なかなかの演技達者でした。

 そして、何と言ってもプルースト。これでも、学生時代は岩崎力先生の講義に参加して少し齧りました。今でも「失われた時を求めて」 À la recherche du temps perdu の第1章「スワン家の方へ」(1913年) Du côté de chez Swann の最初に出てくる「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた」の《 Longtemps, je me suis couché de bonne heure 》は今でも諳んじることができます。岩崎先生には、マルグレット・ユルスナールやヴァレリー・ラルボーらも教えてもらいましたが、名前を聞いただけで異様に懐かしい。何の役にも立ちませんが(笑)。

 デプレシャン監督には、「魂を救え!」(1992年)や「そして僕は恋をする」(1996年)、「クリスマス・ストーリー」(2008年)などがありますが、登場人物に関連性があり、一種のシリーズ物語になっているようです。バルザックに「人間喜劇」、エミール・ゾラには「ルーゴン・マッカール叢書」などがありますが、フランス人は作品は違っても、続きものになる、こういう関連シリーズ物語が好きなんですね。

 映画では、主人公は人類学者になる人ですから本をよく読み、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」などを読んでいる場面も出てきました。私は、青春時代にフランスに首をつっこんでしまったので、この先、死ぬまで関わることでしょうから、日仏会館のイベントにはなるべく参加していくつもりです。お会いしたら声を掛けてください(笑)。

🎬「彼らは生きていた」は★★★★★

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 100年以上昔の第一次世界大戦(1914~18)のドキュメンタリー映画「彼らは生きていた」(ピーター・ジャクソン監督)を土曜日に観てきました。

 東京・有楽町の映画館で午前9時45分からの上映。63席しかないので、チケットは25分前に完売してしまいました。その様子をその場で見た私は、チケットはネットで購入していたのでセーフ。次の上映時間は夜の9時10分からですから、遠方から来られた方は絶望的な表情を浮かべていました。でも、こういう良心的な映画をご覧になる方がたくさんいるとは、世の中、捨てたもんじゃありませんね。私も含めて遠方の方は、良質な映画鑑賞の場合、次回はネット購入をお薦めします。

 この作品は、ジャクソン監督が、大英帝国戦争博物館に所蔵されていたモノクロの未公開フィルムを最新技術でカラー化し、当時従軍した兵士のインタビューの肉声をバックに重ねたものですが、信じられないほど画像が鮮明になり、つい最近に起きた戦争にさえ錯覚してしまいます。1961年生まれのジャクソン監督は、この映画を同大戦に従軍した自分の祖父に捧げていました。

第一次大戦では、戦場での兵士の移動は、トラックやジープがまだなく、徒歩か馬で、映画では、爆撃機は登場しませんでしたが、既に新兵器である戦車(タンク)が開発され、重機関銃、毒ガスまで使用されていました。

  第一次大戦では、7000万人以上の軍人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員は700万人以上死亡したといわれます。映画では、フランス国内の戦線で対峙した英国とドイツが、互いに迷路のような塹壕を掘り合って、陣取り合戦のような肉弾戦が中心でしたから、両軍ともに甚大の戦死者を生みます。

 おぞましい戦闘シーンや、腐乱した戦死者の遺体など出てきますが、よくぞこんなフィルムが残っていたと感心します。

 多くの日本人は、第1次世界大戦については、太平洋戦争ほど関心がないというのが本音かもしれません。私自身も、レマルクの「西部戦線異状なし」を読んだぐらいで、どちらかと言うと第2次世界大戦の方がもっと詳しく知りたい派です。

 しかし、欧州人にとっては、欧州大陸そのものが戦場となり、勝者も敗者も、いずれも甚大な損害を蒙ったことから、第1次世界大戦への関心度は、日本人と比較にならないでしょう。

 この映画の原題は、They shall not grow old で、敢えて逸脱して意訳すれば、「彼らの生きざまは並大抵ではなかった」辺りでしょうが、「彼らは生きていた」という映画タイトルは、実に巧いなと思いました。1914年のサラエボ事件を発端に、戦意が高揚し、マスコミが煽り立て、英国では、19歳から志願兵を受け入れるというのに、18歳、17歳、いや中には15歳や16歳まで年齢を偽って従軍していた様子から、この映画は始まります。

 100年前とはいえ、我々の父親、祖父、曾祖父の世代ですから、日々の喜怒哀楽は万国共通で、時代は変わっても本質は何も変わっていないことが分かります。

 兵士たちの食事は非常に粗末で、トイレがなく、穴を掘ったところに板を張って集団で用を足し、中には板が折れて、肥溜めに落ちる兵士もいました(尾籠な話で失礼)。

 塹壕は雨が降るとぬかるみになって、ネズミや病気が発生し、泥沼に落ちて亡くなる兵士もあり、苦心惨憺する有様も出てきます。このほか、英国軍のドイツ兵の捕虜に対する扱い方が、ちょっと紳士的に描きする嫌いがあり、本当かな、と思ってしまいました。

 1918年11月11日午前11時に休戦条約が調印され、大戦は終結しますが、帰還した兵士たちは、白い目で見られ、求職を断られるなど、市民生活とのギャップが描かれていました。帰還兵たちは「戦場に行った者しか分からない」と嘆いていましたが、この映画を観た観客は、塹壕での悲惨な戦闘を疑似体験しているので、非常に気持ちが分かります。こういうことは、時代を現代に置き換えても同じことでしょうね。

🎬「リチャード・ジュエル」は★★★★★

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名古屋にお住まいの篠田先生から電話があり、「ああたが、ブログで批判していた韓国映画『パラサイト』、観に行きましたが、よかったじゃありませんか。今度のアカデミー賞も獲るかもしれませんよ」と仰るので、気は確かなのかと思いましたよ。

 週刊文春でも、映画評論家と称する人たちが全員、「満点」を付けていたのを発見して唖然、呆然としましたが、あんな残酷で後味が悪い、血みどろの不愉快な映画、ないじゃありませんか。今年のアカデミー賞候補には、殺害場面の多すぎるあのハリウッド映画「ジョーカー」までなっているというのですから、映画産業界に対する不信感さえ抱きました。そしたら、篠田先生は「それは、ああたの限界ですね。映画なんて作り物だと割り切って観なければならないんですよ。『パラサイト』の後半のとんでもない展開なんて、日本人なんかとても作れませんよ。『万引家族』の是枝監督なんて、とても及びもつきません。今の時代を反映しているわけだし、『パラサイト』のようなとんでもない世界の方が、現実世界を如実に反映しているわけですよ」と悪びれた様子もなく、かつ丼をペロリと平らげる有様です。

 まあ、好みや趣味は人それぞれですから、とやかく言えませんけど、私は、嫌ですね。断固としてあんな映画は二度と見たくない。限界を指摘されようが、批判されようが、 日本人ですから、箱庭的な墨絵のような映画の方を好みますよ。勿論、是枝監督に軍配をあげます。

 かくして、映画産業に関して、かなりの不信感を抱いてしまったので、「これではいけない」ということで、お口直しの意味で、小雪のちらつく中、またまた映画館に足を運びましたよ。1996年のアトランタ五輪の最中に起きた爆破テロ事件で、第1発見者の英雄から、一転して容疑者になった警備員の実話を扱った「リチャード・ジュエル」です。クリント・イーストウッド監督なら、大丈夫だろうという安心感と期待感で観たのでしたが、正解でした。私の採点は満点です。この映画こそ、アカデミー賞候補になってもいいのに、カスリもしません。きっと、米FBIやメディアを痛烈に批判している映画だからなのでしょうね。

アトランタ爆破テロ事件とは、五輪大会7日目の 7月27日午前 1時20分頃、市内センテニアル公園の屋外コンサート会場で、パイプ爆弾による爆破事件が発生し、死者2人、負傷者111人を出した事件です。日本人はほとんど忘れているし、第1発見者の警備員が、国民的ヒーローから一転して犯人扱いされる悲劇など、覚えている人は少ないでしょう。

 この事件の裏、というか表でどんなことが起きたのか、といったことをノンフィクション・スタイルで再現したのがこの映画です。この手のスタイルは、イーストウッド監督は、2016年の「ハドソン川の奇跡」と18年の「15時17分、パリ行き」で成功させていますから、同監督のお手の物といった感じかもしれません。

 実に良い映画でした。俳優全員が本物のように見え、全く演じているように見えなかったところが凄い映画でした。

 私は一番面白かったのは、野心に燃えるアトランタ・ジャーナル紙の女性記者キャッシー(オリビア・ワイルド)が、かなり露骨な色仕掛けでFBIのトム・ショウ捜査官(ジョン・ハム)からトップシークレットの情報を取って、スクープする場面でした。バーのカウンターでのやり取りなどは、事実かどうか分かりませんが、美男と美女なので、キツネとタヌキの化かし合いは、実にサマになっていて、いかにもあり得そうな場面で、イーストウッド監督しか描けませんね。身に覚えがあるメディアの人間が観たらたまらないと思います。私もずっと、ニヤニヤして観ていました(笑)。

 結局、警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は無実で、キャッシー記者が書いた記事はフェイクニュースになりますが、それまでは、メディアスクラムによってリチャードとその母親ボビ(キャシー・ベイツ)の2人は、天国から地獄に突き落とされ、私生活が台無しにされてしまいます。

 FBIという強大な国家権力とメディアに対抗するために、この2人を助けたのが、弁護士のワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)でした。この映画は、リチャードと弁護士ワトソンとの出会いの場面から始まるので、何で、そこまでして、ワトソンが、リチャードのために親身になれるのかよく分かります。ワトソン役の俳優は、何処かで観たことある、と思ったら、2018年の「バイス」(チェイニー米副大統領の映画)のブッシュ大統領役でしたね。

 とにかく、この映画のおかげで、映画産業界に対する不信感が、ほんの少し和らぎました。(ということは、なくなったわけではない!)

🎥「パラサイト 半地下の家族」は★

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あまり、観るつもりはなかったのですが、新聞各紙の映画評で、いずれも高得点を獲得していたので、今話題の映画「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)を観て来ました。何しろ、第72回カンヌ国際映画祭で、韓国映画としては初めて最高賞であるパルムドールに輝いた作品ですからね。

 大いに期待して観たのですが、前半はよかったんですけど、後半はグロテスクで観ていられなくなりました。席を立って帰りたくなりましたが、最後まで見届けようと覚悟して、 我慢して観ましたよ。

 格差社会を静かに糾弾する社会派映画かと思ったら、サスペンス映画だということで、最後の結末がどうなるか、茲でタネ明かししてしまうのはフェアではないのでやめておきます。

 ま、上の写真の映画ポスターで御判断できるかもしれませんが、最初に書いた通り、個人的にはグロテスク過ぎて、目をそむけたくなりました。

 韓国では知らない人はいない、「シュリ」や「JSA」などに出演して日本でも馴染みのある名優ソン・ガンホ主演作ですが、やっぱり個人的には戴けませんね。「半地下家族」の副題が付いているので、同じくカンヌで2018年に最高賞を受賞した日本の是枝裕和監督の「万引き家族」を連想しましたが、民族性の違いが如実に表れているのか、全然違いましたね。

 この作品は、「万引き家族」というより、昨年日本でも大ヒットしたハリウッド映画の「ジョーカー」に近いですね。やたらと殺人場面が出てくる辺りです。私は、この「ジョーカー」を観て、ハリウッド映画が大嫌いになり、何で、日本でも大ヒットしたのか、さっぱり分かりませんでした。

 「パラサイト」は、本当に前半はよかったのです。大金持ちのパク社長の娘である女子高生の家庭教師の職を得た「半地下家族」キム一家の長男が、練りに練った計画で、家族4人がこの豪邸一家と関わることになるまで、観ていて痛快でした。しかし、この後がいけない。後半のああいう惨たらしい場面を観て喜ぶ観客がいるんでしょうか?信じられません。この分だと、韓国映画まで嫌いになりそうです。

 脚本も担当したポン・ジュノ監督は、もうちょっと、大事件なんぞ起こさなくても、もっと穏やかに描けなかったんでしょうかねえ。コメディーで終わってもいいじゃありませんか。これでは、いくら、カンヌ映画祭で最高賞を取ったといっても、日本では文部科学省推薦映画にはならないでしょう。(韓国映画ですが、映像から、朝日新聞とサッポロビールなどが出資していることが読み取れました。マスコミが出資した映画はほとんど批判されることがありません)

 映画の世界のフィクションの話とはいえ、現代人は、それほどまでに血に飢えているんでしょうか?もしくは、人生経験の少ない血気盛んな若者向きの映画なんでしょうか?それなら、私は個人的には、こんな映画はたくさんです。正直、もう観たくないですね。

 単なる個人的な感想で、遠吠えに過ぎませんが。

🎬「男はつらいよ お帰り寅さん」は★★★★★

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

喜劇だと思ったら、悲劇でした。見事やられてしまいました。途中から泣き笑いで、いい歳をして、感情を抑えることができませんでした。

 22年ぶりの新作シリーズ第50作目「男はつらいよ お帰り寅さん」は、製作費と同じくらい宣伝費をかけているようにみえるので、新聞でもテレビでも週刊誌でも、ラジオでも、どこでもこの映画のことで話題持ち切り。

 今では簡単に予告編も見られ、あらすじまで分かってしまいますから、知った気になって、観た気になってしまいますが、それでは、勿体ない。劇場に足を運んで大きなスクリーンで御覧になることをお薦めします。

 私のような1969年の第1作から1997年の第49作まで、大体見ているロートル世代でしたら、涙なしには見られません。(もしかして、初めて見る若い世代でも楽しめるかも)

 若い頃は、寅さんシリーズは当たり前のように上映され、いつもお決まりのパターンのマンネリズムだと思ってましたが、それが見事浄化して、様式美に昇格していたことが、今になって分かりました。

 寅さんこと渥美清(1928~96)さんも本当に亡くなり、(68歳の若さだったは!当時は、彼の訃報原稿を書いたりして大忙しだったので、そこまで若かったことは実感できませんでした)この映画でも、既に寅さんは亡くなって、甥っ子の満男(吉岡秀隆)が小説家になり、偶然初恋のイズミちゃん(後藤久美子)と再会する話で、喜劇ではなく、次回もまた続くような気の持たせ方で映画が終わります。

 まあ、そこがいい所です。

 寅さんは、回想シーンでしか登場しませんが、4Kか何か知りませんが、デジタル処理した昔の映像が、今の映画と同期して、違和感がないのが、この映画の凄いところです。

 この映画は、満男役の吉岡秀隆(49)主演作ですが、彼は、「三丁目の夕日」などで、売れない作家役をやっているので、今回の小説家役も適役でした。また、ゴクミと言っても、30年前の美少女ブームの頃の後藤久美子(45)のことを知らない人も多いでしょうが、私生活では、フランス人F1レーサーと結婚して、スイスなどに住み、半ば引退した格好でしたが、山田洋次監督から手紙による熱烈な説得により、イズミ役として復帰したことが、週刊誌に書かれていました。

 イズミは、ゴクミの私生活通り、英語とフランス語が堪能で国連難民高等弁務官事務所の職員になって世界中を飛び回っている役でしたから、本人と重なってしまいました。流石に英語もフランス語も発音が良かった。山田監督の「アテ書き」ですね。

 映画の舞台も、葛飾区柴又のほか、銀座と神保町と八重洲ブックセンターで、個人的に、私が最も縁と馴染みの深い東京だったので、それだけで胸が熱くなってしまいました。

 この映画で、寅さんが関わったマドンナが、最後の回想シーンで、ほぼ勢ぞろいしました。最初に私は「寅さんのシリーズをほとんど観ている」と豪語しましたが、「あれ?彼女誰だっけ?」という女優さんが2人ぐらいいました。後で調べたら思い出しましたが、女優さんに失礼に当たるので、その人の名前を書いた公文書は、現政権のように、シュレッダーにかけて、隠蔽しておきます(笑)。

 でも、22年ぶりに「男をつらいよ」を観ると、すっかり忘れていた意外な女優さんまでもが、マドンナ役で出ていたことが確認できました。サクラ役の倍賞千恵子さんは、若い頃は本当に正統派の美人だったことも、改めてこの歳になって気が付きました。そして、ヒトは残酷にも年を取り、タコ社長もおいちゃん役の俳優さんも既に亡くなって、この世にいないのにスクリーンで復活していました。これもまた、ロートル世代にとっては感慨深いものでした。

 恐るべき映画でした。

🎬「カツベン」は★★☆

 黒澤明監督が亡くなって以来、あまり、監督目当てに映画を観ることはなかったのですが、周防正行監督は例外で、「この人なら外れはないな」と思いつつ鑑賞してきました。「シコふんじゃった。」「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」「舞妓はレディ」など観て来ました。

 今回も期待したのですが、残念ながら外れでした。喜劇は喜劇でも、ドタバタ過ぎて、ストーリー展開も見え見えで、「伏線」の置き方があからさまなので、次の場面がすぐ想像できてしまう。

 …いやあ、ちょっと貶し過ぎですかね?

 今から100年前の活動弁士が大スターとして活躍した時代背景は、うまく描いたとは思いますが、悪役の安田(音尾琢真)がやたらと拳銃をぶっ放して、単なる「作り物」の作品を意識するように見せつけられた感じで、興醒めでした。

 いやあ、やっぱり褒めていませんね(笑)。時代考証に見合った衣装や自動車やポスターやロケでつくった劇場などは随分とお金を掛けているように見受けられました。

 でも、誰とは言いませんけど、俳優さんの中には演技が大袈裟で、ちょっと付いていけないところもありました。引いてしまった、という感じです。

 無駄な場面も多く、その場面を20分ぐらいカットすれば引き締まって、作品の世界だけに没入できたと思います。

🎬「決算! 忠臣蔵」は★★

 宣伝につられて、映画「決算! 忠臣蔵」を観てきました。宣伝のチラシでは、監督の中村義洋の名前が少し小さいことから、この作品は監督で売り出しているんじゃなくて、俳優で売ろうという趣旨が見え隠れします。(映画の宣伝費は、製作費と同じぐらい掛ける、と著名な映画プロデューサーから聞いたことがあります。)

 主演の大石内蔵助役が、堤真一。準主役の勘定方・矢頭長助役が岡村隆史。内蔵助の妻りく役は竹内結子、浅野内匠頭の妻瑶泉院役は石原さとみ。堤は真田広之の元付き人でアクションスター出身の俳優。岡村は、お笑いコンビ、ナインティナインのボケ役で、吉本興業所属。吉本は製作協力に名を連ねていることから、吉本のタレントが総出演という感じ。元参院議員西川きよし、桂文珍の大物までも…。

 仇討ち劇に、お笑いの人たちとは、何か違和感。

もっとも、仇討ちの剣劇場面はほとんどなく、吉良さんも登場せず、お話のほとんどが、銭カネの話。当時の1文=30円、1両=12万円と換算し、蕎麦の相場が16文だったことから、今の480円。討ち入りのためには、宿代、飯代、武具、槍、刀代などで、合計1億円近くかかる詳細内訳は、大変面白かったのですが、やはり、演ってる人たちがお笑いさんだと、違和感が…。

まるで、昭和時代の文士劇か、学芸会のようだった、と書くとこのブログも炎上するでしょうね。映画館までわざわざ足を運んで、きちんとお金を払って観た単なる一個人の感想ということで、勘弁してください。今、ブログに批判的なことを書くと殺される時代ですから、こちらも命懸けです。

 ただし、この映画の原作になった山本博文著「『忠臣蔵』の決算書」(新潮新書)は、しっかりしているようです。武士の中でも、番方(武官)と役方(文官)との間の反目が映画でもよく描かれていました。

?「i新聞記者 ドキュメント」は★★★★★

 やたらと無意味な殺人場面が多発するハリウッド映画「ジョーカー」を観て、ひどくウンザリし、しばらくお金と時間を費やしてまで映画館に足を運ぶ気力も失せてしまったのですが、ちょっと見逃せない映画がかかったので、山手線の新駅工事の影響でダイヤが乱れる中でも、都心まで行って来ましたよ。

 オウム真理教や佐村河内守らを題材にしたドキュメンタリーを撮った監督として知られる森達也作品「i新聞記者」です。「あなたの質問には応える必要はありません」と啖呵を切った菅官房長官との対立で一躍「時の人」となった東京新聞社会部の望月衣塑子記者の取材活動を追ったドキュメンタリーです。

 面白かった。実に面白かった、大いに笑い(特に森友の籠池夫妻との会見場面)、大いに泣いた、と先程観たばかりなので、新鮮な感覚を記録として残しておきます。恐らく、2017年辺りから2019年までに起きた同時進行的事件ー例えば、沖縄・辺野古米軍基地移転問題、森友・加計学園問題、それらに伴う安倍政権に対する忖度や前川喜平元文科省事務次官の「あったことをなかったことにするわけにはいかない」発言、表現の自由問題-などが出てきて、50年後、100年後に、未来の人はこの映画をどう観るのかなあ、と思ってしまいました。

 我々現代人にとっては、つい昨日に起きた事案で、同時代で生きてきたので、皮膚感覚で分かりますが、未来の人は、この2010年代の終わりに起きた歴史になったドタバタ劇(失礼)をどう解釈するのかなあ、とフト思ってしまったわけです。

 それにしても、主人公の望月記者は、自らのプライバシーを全開にオープンしていますねえ(屋上屋を架していますが)。フォトジェニックで、ファッションセンスも良く、まだ若いのでスクリーンのアップに耐えられますが、幼い娘さんが出てきたり、森監督の趣向なのか、旦那さんが作ったお弁当などレディなのにやたらとモノを食べる場面が多く出てきたりして、何というか身内感覚的気分になると、少々恥ずかしくなりました。

 身内感覚的恥ずかしさというのは、私自身も望月記者と同じマスコミ業界で長年禄を食んできたため、新聞記者の世界というか、記者クラブや取材現場というものを熟知しているからです。(それが、単なる錯覚にすぎないのかもしれませんが…。)私は古い人間なので、今の若い記者たちが会見場で、取材相手の顔も見ないで、一言一句漏らさぬよう、やたらとパソコンに向かって文字を打っている姿を見るにつけ、「随分時代が違うんだなあ」と感じでいます(日本だけでなくどこの国も一緒)。が、それ以上に、特に日本は、国家権力に対する忖度やら同調圧力とやらで、表現の自由が失われ、ジャーナリズムが官報と同じ御用新聞に成り下がって、危機的状況になってしまったことは、自戒も込めてヒシヒシと感じました。

 望月記者自身が「恥ずかしい」などとは思っていないのでしょうが、あそこまでプライバシーを全開してまで、森監督の要望に応えたのは、ジャーナリズムの危機を救うためには自ら犠牲になっても構わない、と開き直ったようにもみえます(本人は否定するかもしれませんが)

 恐ろしかったのは、望月記者が記者会見で菅官房長官に食ってかかって、いや、失礼、真偽を糾して、有名になってから、東京新聞編集局に匿名の男が電話で「殺してやる」と脅迫する場面(音声と字幕だけですが)が出てきたことでした。望月記者を日本を貶める北朝鮮(人)と決めつけているのです。こういった言辞は、今でも、ネットに書き込まれて、残っているようですが、私は読みません。

 これを見て、望月記者の勇気には本当に感心しました。もう、恥ずかしいなどと言ってはられないでしょう。でも、非常に気丈な人で、脅迫に怯まず、森監督は、望月記者が泣く場面を撮りたかったそうですが、見事に失敗したそうです。

 「一匹狼」で「方向音痴」の望月記者の行動力には脱帽しますね。パソコンと資料いっぱい詰め込んだガラガラの付いたボストンバッグを引きずって沖縄でもどこでも行きます。宮古島の住民の話をじっくり聞いて、建設中の自衛隊駐屯地の中にある「保管庫」が、実は「弾薬庫」だったという鮮やかなスクープは見事でした。

 繰り返しになりますが、私も長年、望月記者と同じ業界に棲んできたので、映画の中で誰か知っている人は出てこないかな、と探しました。東京新聞ですから、当然、X編集局次長が出てきてもいいはずなのに、映っていませんでしたね(笑)。そしたら、日本外国特派員協会での記者会見場で、望月記者の隣りに、皆さん御存知の朝日新聞OBのAさんがちゃっかり映っていたのです。嬉しかったですね。

 森監督はジャーナリズムの世界の人ではないので、付け加えておきますと、同じ新聞社でも政治部と社会部との内部対立や足の引っ張り合いなどエゲツない部分が昔から多かったということです。特に、マスコミ業界人は嫉妬心の塊ですから、記者が有名になると叩こうとします。「敵は本能寺にあり」てなとこでしょうか。

 

マリー・ラフォレさん追悼

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フランスの女優・歌手マリー・ラフォレさんが11月3日(日)、スイスで亡くなってしまいました。享年80ですから、平均的かもしれませんが、私なんかはもう少し長生きしてもらいたかったな、というのが正直な気持ちです。

 まだ少し早いですが、私が生涯で見た数多くの映画の中で、たった1本だけ挙げろと命令されれば、私は迷わず、ルネ・クレマン監督の仏伊合作映画、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」(1960年)に決めています。マリー・ラフォレはその相手役でしたね。撮影当時20歳。お金持ちのボンボン、フィリップ(モーリス・ロネ)の恋人マルジュ役(恐らく、美術史専攻の女子大生)でした。この映画は、映画館で何十回、テレビやビデオで何十回観たか分かりません。

 人間の野心、怠惰、嫉妬、欲望のほか、貧富の格差や人生の矛盾と不条理など、ありとあらゆるものが詰まっていました。

 マリー・ラフォレの訃報は日本でも伝えられましたが、わずか数行のベタ記事で物足りなかったので、AFP(フランス通信)などの外電を読んでみました。

 知らなかったのですが、彼女の本名は Maïtena Douménach だったんですね。 芸名のマリー・ラフォレのマリーはキリスト教のマリアさまのことで、ラフォレは、森という意味です。まあ、普通の名前でしょう。でも、本名のMaïtena Douménach は、フランス人でも極めて珍しい名前です。マイテナ・ドゥーメナックと読むのでしょうか。ドゥーメナックはバスク系の名前らしいですね。

 彼女は1939年10月5日、南西部ジロンド県スラック・シュル・メール生まれ。3歳の時に近所の男に悪戯され、それがトラウマとなって、小心で引っ込み思案になってしまったということです。それを克服したいがために、わざと逆に、はけ口となるような仕事を選んだといいます。悪戯と、差し控えて訳しましたが、フランス語の原文はviol、これは強姦という意味もあります。そのことを告白したのが35年も経った38歳の時でした。それほど心の傷が重かったということです。でも、本人は「あの事件がなければ人前に出るような仕事はしなかった」と告白しています。

 アメリカナイズされた日本では、1960~70年代に輸入される音楽は英米中心でしたから、フランスの最新ポップスは、日本のメディアではそれほど多く取り上げられませんでした。(シルビー・バルタンとミシェル・ポロナレフぐらいか)彼女は35本の映画に出演していましたが、女優というより、フランス国内ではシャンソン・ポップス歌手としての方が有名だったようです。”Les Vendanges de l’amour”(「愛の収穫」)”Vien,vien” (「来て、来て」)などの大ヒット曲に恵まれましたが、一部の好事家を除き、残念ながら日本にまでは伝わって来ませんでしたね。彼女は、歌手として3500万枚のアルバムを売り上げたそうです。

 1972年には一時、歌手活動から遠ざかりましたが、作詞やエッセイなどの執筆活動を優先にし、その後、スイスのジュネーブに腰を落ち着け、画廊を経営していたというのです。スイスの国籍も取得(二重)しました。それでも、芸能活動をやめたわけではなく、舞台に復帰して、マリア・カラス役の演劇に出演したり、リサイタルを開催していました。

 驚くことに、彼女は5回も結婚し、3人の子どもに恵まれたとか。そのうちの一人が、1965年生まれの映画監督リサ・アズエロスです。「ソフィー・マルソーの秘められた出会い」(2015)「ダリダ~あまい囁き」(2017)などの監督作品があります。父親はモロッコ・ユダヤ系の実業家ジューダス・アズエロスさん。当然のことながら母と娘の関係はうまくいってなかったようです。

 私が学生時代にフランス語を専攻した理由として、映画「太陽がいっぱい」のほか、音楽はビートルズの「ミッシェル」とフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」(ゲンズブール作曲)、哲学のサルトルとカミュ、印象派絵画、バルザック、フロベール、モーパッサン、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーなどの影響が挙げられます。

 マリー・ラフォレを知らなかったら、あれほどフランス語の勉強に熱が入っていたかどうか分かりません。そういう意味で、彼女は私をフランスに導いてくれた恩人です。ご冥福をお祈りするとともに、感謝の意を捧げます。

 Merci Beaucoup