?「記者たち 衝撃と畏怖の真実」は★★★★★

 大変遅ればせながら、ロブ・ライナー監督作品「記者たち 衝撃と畏怖の真実」を東京・日比谷の東宝シャンテ・シネマまで観に行って来ました。(最初、間違えて、東宝シネマ日比谷に行ってしまい、案内係の人も呆れておりました。駄目ですねえ)

 封切りが今年3月29日で、もう1カ月半近くのロングランとなり、来週で、いよいよ公開終了(東京・日比谷は)ということで、慌てて観に行ったのでした。

 とても良い映画でした。満点です。「スタン・バイ・ミー」「ウルフ・オブ・ウォールストリート」などで知られる巨匠ロブ・ライナーが、監督、製作、そして出演(新聞社ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコット役 )まで兼ねた意欲作です。

 先日、バイス(悪徳)ディック・チェイニー副大統領を正面から取り上げた「バイス」を観て、その感想をこのブログにも書きましたが、その「バイス」も、この「記者たち」とほぼ同じ題材(「9.11」からイラク侵攻へ)を扱っていながら、「記者たち」の方が骨組みがしっかりして、人物相関図も分かりやすく、時間の経過を忘れるほどの力作でした。

 それに、CNNやNBCやFOXなど当時のテレビ・ニュースを挿入してドキュメンタリータッチに描く手法は、マイケル・ムーア監督の得意とするところで、ロブ・ライナー監督は、その手法にかなり影響を受けているというか、はっきり言って、真似をしていますが、こう言っては何なんですが、ロブ・ライナー監督の方が上品に感じました。

 今でこそ、「フェイク・ニュース」は有名になりましたが、ブッシュ息子大統領政権は、イラクに大量破壊兵器(WMD)がないにも関わらず、NYタイムズやワシントンポストやNBCといった大手メディアに、嘘の情報を垂れ流し、世論をイラク戦争への道に駆り立てます。

 そんな中、ナイト・リッダーという新聞社というより、田舎の地方新聞社31社に記事を配信している通信社だけが、地べたを這いずり回るほど地道な取材で、政府発表の嘘を見抜いて、ただ1社だけ、イラク戦争反対のキャンペーンを張ります。

 これでも、私自身もジャーナリストの端くれですから、観ていて、記者魂が燃えてきましたね。全米でも最も信頼されている高級紙ニューヨーク・タイムズは「イラクのフセイン政権は、大量破壊兵器を隠し持っている」といったスクープを連発するというのに、規模も小さく、信頼度も大手紙と比較すれば劣るナイト・リッダーは、その正反対のことを書き、9.11以降、日増しに高まる「愛国心」を持った市民らから非難されたり、記者に脅迫メールが送られたりします。加盟紙も記事掲載を拒否したりします。

 この時のナイト・リッダー社の主人公であるジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)という2人の記者の猜疑心と孤立感と不安と焦燥と怒りが、本当に手に取るように分かり、観ていて、こちらも気持ちが高ぶってしまいました。

 特に、大手紙は、恐らく、ブッシュ大統領やチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官といった中枢と直接取材できるのに、弱小メディアであるナイト・リッダーは、それが出来ずに、末端の政府職員や、かつての情報分析官らからしか取材できないという事情もあったことでしょう。それが、逆に「政府広報紙」にも「御用新聞」にならずに済んだ要因になったことは皮肉と言えば皮肉ですが、「真実を報道したのは1社だけだった」ことは称賛すべきでしょう。

 映画は、実話に基づく話ですが、ロブ・ライナー監督は、もう一人、愛国心に燃える19歳の黒人青年が、志願してイラク戦争に従軍し、重傷を負って帰還する姿も描き、物語に厚みを持たせていました。

 2003年のイラク戦争も、もう多くの映画になるほど「歴史」になってしまったとは感慨深いですが、ベトナム戦争開戦の火ぶたとなった「トンキン湾侵攻」に賛成し、後に後悔することになる上院議員が「歴史は繰り返す」と発言していたことも印象的でした。

 ハリウッド映画(ワーナー系)でしたが、久々に骨太の映画を観ました。間に合えば、今からでも多くの人に見てもらいたいと思いました。

 

?「幸福なラザロ」は★★★★

 何か予定調和のように、ゴールデンウイークのどこかいつかに観に行きたいと、このブログで予告していた映画「幸福なラザロ」を渋谷の文化村ル・シネマにまで観に行って参りました。渋谷の人混みが大嫌いなので、朝一番の回を観て来ました。

 物語の終わり方がちょっと腑に落ちなくて、しばらく、「どゆこと…?」と目が宙に浮いてしまいましたが(笑)、「この物語は、ファンタジーか寓話なのかな?」と考えているうちに、段々、感動が胃の腑の下にまでゆっくりと降りてきました。

 新鋭のイタリア人女性監督アリーチェ・ロルヴァケルは、実際にあった詐欺事件と、聖書の「ルカによる福音書」などに出てくる死者から復活したラザロの逸話などから着想して脚色したようです。

 【注】以下に書くことは少し内容に触れますので、これから御覧になる方はお読みにならないでください。絶対に!


 映画ポスターに「その人は疑わない、怒らない、欲しがらない」と書かれているように、正直者のラザロの物語です。舞台は、急な渓谷によって外の文明世界から遮断されたイタリアの片田舎の村。今から20年ほど前の話です。54人もの小作人たちが、領主であるデ・ルーナ侯爵夫人によって賃金も支払われずにタバコ農園で働かされ、搾取されいます。

 その中でも青年ラザロは、人一倍の働き者で、人に指図されても怒らないし、何でも人の言うことを聞き、食べ物も飲み物も欲しがらない。そもそも搾取されていることについてすら何ら疑いもしない。純真無垢なラザロには、血筋が通っているのかどうかもよく分からない祖母らしき老婆がいるだけで、天涯孤独です。

 そんな中、侯爵夫人の我儘息子タンクレディが起こした誘拐騒ぎがきっかけで、警察の捜査が入り、村人たちは都会へ「解放」されます。しかし、ラザロだけは、タンクレディを探し求めている時に足を滑らして崖から転落して気を失ってしまいます。

 正気を戻して村の中心に戻ると、他の村人たちはもう何処にもいません。ラザロは、再びタンクレディを探し求めて、雪が降る中、夏服のまま歩いて都会に行くことにします。

 すると、いつの間にか、とんでもない年月が経っていて、かつての村人だったアントニアと偶然再会します。ラザロの姿を見たアントニアは、彼が聖人だったことが分かり、彼の前で跪(ひざまず)きます。

 ここが最大のポイントで、私も、あっと驚く為五郎で、思わず感涙してしまいました。(何故か、については映画をご覧になれば分かります)

 あ、かなりのことを書いてしまいましたね(笑)。これから御覧になるつもりの方は読んでいないと思われますので、このまま続けますが、アントニアがラザロの前で跪いた時がハイライトで、この後の物語展開がちょっと不満でした。ラザロは奇跡を起こすわけでもなく、最後の最後まで、純真無垢の普通の青年で、他人のためになることしか考えず、あっけないエンディングを迎えてしまいます。

 ファンタジーや寓話なら、もう少し、どうにかならないものかと思い、不可思議感が尾を引きました。でも、この映画は不可解だっただけに、今年私が見た映画のベスト5、いやベスト3に入るかもしれません。

映画「バイス」は★★★★

  ディック・チェイニー(1941~)第46代副大統領(78)の半生を描いた映画「バイス」(アダム・マッケイ監督作品)を観てきました。もうちょっと、コメディタッチで、皮肉的に描かれているかと思っていたら、意外にも正統派のドキュメンタリータッチで真面目に描いていました。ドキュメンタリータッチなら、マイケル・ムーア監督ならもっとスパイスを効かせたと思いますので、はっきり言って、その点だけは面白みに欠けていました。

 また、後半部分で、「心臓移植?」のオペシーンなど、日本人としては目を背けたくなる場面も多く出てきて、日本人の監督ならここまで描かないだろうなあ、と、いかにも米国らしい映画に思えました。

 この映画のコピーでは「まさかの実話!アメリカ史上最強で最凶の副大統領」となっていましたが、「最凶」ぶりはあまり感じませんでしたね。しっかり者の妻リンに尻を叩かれて、政界に進出し、権力の実態とその「蜜の味」を知っていくうちに自然に頂点を目指すようになる男の家族の物語に終始しておりました。次女が同性愛者ということで、選挙運動にネックになったりしますが、あくまでも家族として結束する姿が描かれ、これまた米国らしい、米国人が納得しそうなファミリー映画でした。



 この映画は、やはり、主役のチェイニー役を演じたクリスチャン・ベールがいなければできなかったことでしょうね。1963年のチェイニーの20代から60代後半まで演じていますが、体重を20キロも増量したらしく、特殊メイクも5時間ぐらい掛けたらしいので、本物そくりです。クリスチャン・ベールの姿は何処にもいません。(チェイニーが副大統領になった時、75歳ぐらいに見えましたが、まだ、60歳の若さだったので驚いてしまいました)

 そっくりと言えば、パウエル国務長官役の俳優も、ライス大統領補佐官役の俳優も、そして、ブッシュ大統領役の俳優もみんな名前は知りませんが(笑)、本当に「そっくりさん」でした。

 この映画は大いに期待していたので、事前に「予習」をしておいてよかったでした。もしかして、予習しておかないと時代背景は分かっても、裏に隠れた本質は分からないかもしれません。

 「大量破壊兵器」がないことを知りながら、イラク戦争を強行したチェイニー副大統領は、石油サービス会社ハリバートンの最高経営責任者(CEO)だったこともしっかり描かれていました。チェイニー氏はCEOを退任する際に、2600万ドルの退職金をもらい、「自分が想像していたより2倍も多かった」といった台詞が出てきます。

 2600万ドルは、当時でレート(1ドル=116円)で計算すると、30億円ぐらいですか。桁が違いますね。しかし、ハリバートンは、恐らくチェイニー副大統領のお陰で、米軍の食事から洗濯までのサービスを入札なしで獲得しており、イラク戦争後、株式が500%も値上がりしたので、十分に元手は取れたことでしょう。

 チェイニーの妻リンは、世界最大の軍需産業ロッキード社の取締役を務めていたことを予習していましたが、そのことは全く出てきませんでしたね。

 映画ですから、全てを描くことはできませんが、この映画を観ただけでは、何で、学生時代から飲んだくれで、飲酒運転で逮捕され、学業成績も悪く、スポーツ能力もない、平均以下の人物でイエール大学を中退した男が、石油大手のCEOになったり、「影の大統領」と呼ばれるほどホワイトハウスの頂点に上り詰めたりすることができたのか不思議でしたが、調べてみたら、イエール大学中退後は、ワイオミング大学で修士号まで取っており、やはり、後に、国防長官などを歴任するラムズフェルトらと知り合ったことが大きかったように思えました。

 それにしても、世界一の大国で権力を握ると、戦争遂行でも、企業との癒着でも、歴史を変えるほど莫大な力を行使できるんですね。この映画を観て、権力とか、パワーとか言われるものは何かといえば、はっきり言って、結局、「軍事力」だということが分かりました。

チェイニー副大統領から、話はケネディ大統領、ドレクセル商会まで飛びました

 変貌自在の「カメレオン俳優」クリスチャン・ベールが 、20キロも増量して第46代副大統領ディック・チェイニーを演じる「バイス」(アダム・マッケイ監督)が今週末の4月5日に公開されるというので楽しみにしてます。

 その予習を兼ねて、広瀬隆著「世界金融戦争」(NHK出版、2002年11月30日初版)を読み返しております。

見沼遊歩道

 チェイニー副大統領といえば、「米史上最強で最凶の副大統領」(映画のコピー)との悪名高く、能力に秀でいないブッシュ(息子)大統領に「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」と嘘の報告書を信じ込ませて、米国をイラク戦争に導いたと言われてます。どれもこれも、自らCEOを務め、大量の株式を保有していた石油サービス会社ハリバートン(米テキサス州ヒューストン)のためだったといわれてます。ハリバートンは、石油や天然ガスなどの採掘から、米軍の食事や洗濯サービスに至るまで幅広く事業を展開し、子会社にこれまた政府や米軍などと密接な関係を持つテクノロジー企業KBR(ケロッグ・ブラウン・ルート)まであります。

 チェイニーの妻リン(エイミー・アダムズが演じる)は、この映画の公式ホームページでは「文学博士号を持つ著述家」で、酒癖の悪い夫の尻を叩いて政界に進出させたしっかり者のように書かれています。しかし、広瀬氏の「世界金融戦争」では、リン・アン・チェイニーは、普通の主婦ではなく、「世界最大の軍需産業ロッキード・マーティンの重役で、保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ研究所の幹部を務めていた」と暴露しております。映画ではそこまで描かれているのでしょうか?


見沼遊歩道

 さて、「世界金融戦争」にはあまりにも多くの欧米を中心にした世界の人名と企業が出てきますので、一回読んだだけではとても頭に入りきれません(苦笑)。ドストエフスキーの小説を読むより大変です。

 同書では、ロスチャイルド系のゴールドマン・サックスやメリルリンチ、リーマンなどウォール街のユダヤ資本と石油企業とホワイトハウスが三位一体で利権をたらい回ししている構造を明らかにしてます。

 この本は、2001年の「9・11事件」直後に書かれたので、米国とイスラム資本との対峙も描かれて、なかなか濃密な内容です。私は、学生時代は「イスラム教の預言者マホメット(ムハンマド)は、アラブの商人だった」といった程度しか勉強しませんでしたが、同書によると、ムハンマドを生んだハーシム家は、小規模ではなく、恐らく、日本の三井、三菱、住友、安田財閥を足して数百倍にもしたような超・大財閥だったようで、著者が作成した系図からは、その子孫としてサウジアラビアやイエメン、イラン、インドネシアなどイスラム圏の国王を生んでいたことが明かされています。実に驚きです。

 でも、私自身、頭が悪いせいか、もう既に、ここに描かれている「エンロン事件」も「ワールドコム倒産」などもすっかり忘れているんですからね。情けない。ま、20年前の話ですから、日本人の多くも忘れていることでしょうが…。


見沼遊歩道

 この本が書かれた2002年当時は、現在ほどネット情報が充実していなかったので、著者はよくぞここまで「手作業」で調べたと思います。例えば、「アメリカの政党や大統領で石油利権と無関係の政権は、1870年にロックフェラーがスタンダード石油を創業してから一度も出現していない」と自信たっぷりに書き、関係者の人間関係を明らかにします。

 その内容について、色々書きたいのですが、長くなるので今日は、ジョン・F・ケネディ大統領のことだけ書いておきます。その父、ジョゼフ・ケネディは1929年のニューヨーク株式大暴落の際、事前に持ち株を売り逃げて莫大な財産をつくり、その資金でルーズヴェルトを大統領に押し上げる最大な功労者だったと言われます。

 ルーズヴェルトは、その見返りにジョゼフをウォール街の番人とも言うべき米証券取引委員会(SEC)の初代委員長に任命します。ジョゼフは息子のジョン・フィッツジェラルド(JFK)の結婚相手にジョン・ブーヴィエの娘ジャックリーンを指名します。ブーヴィエの大伯父が、米国の産業界を支配するモルガン商会のパートナー、フランシス・ドレクセルだったからだと言われています。フランシスの弟のアンソニー・ドレクセルがジョン・ピアポント・モルガンとともに、ドレクセル・モルガン商会を設立し、のちにモルガン商会、J・P・モルガン・チェースに発展します。

 また、ドレクセル商会から生まれた投資銀行がドレクセル・バーナム・ランベールです。バーナムは、証券ブローカーを経営していたアイザック・バーナムのこと。そして、残りの共同創業者の一人、ランベールは、リュシー・ロスチャイルドと結婚したベルギーの男爵レオン・ランベールの孫だったと言われてます。

 同書では、このようなユダヤ系のウォール街の金融マフィアたちが、インサイダー取引や政界工作などで巨万の富を築く話が描かれ、さらに、後に逮捕されるアイヴァン・ボウスキーやマイケル・ミルケンといった超大物投機家も登場しますが、話が複雑になるのでこの辺でやめておきます。

また、次回ということで。

映画「翔んで埼玉」は★★★★

  あまり公表したくはないのですが、私の「終の棲家」は埼玉県です。九州出身の父親が、御縁のあった埼玉県内の「聖地霊園」を手に入れて鬼籍に入ったので、私も、いずれは、そちらでお世話になるつもりだからです。

 ですから、日本全国の中で、一番気になる県は埼玉県なのです。

 とはいえ、埼玉県のイメージがあまりにも悪い。ダサイタマだの、クサイタマだの、田舎もんだの、世間では鼻つまみものです。私は東京生まれで、埼玉出身ではありませんが、許せませんねえ。

 それなのに、埼玉県を馬鹿にしたような映画「翔んで埼玉」(武内秀樹監督)が世間では大うけで、しかも、全国的に大ヒットしているというのですから、見逃すわけにはいきません。仕方がないので、ロングラン中の埼玉県内にある映画館に遠出して観に行ってきました。

 原作は30年以上も昔に発表された同名のコミック(魔夜峰央・作、1986年)だそうで、埼玉県人が東京に入るには「通行手形」がなくてはならず、三等市民扱いです。埼玉県特有の恐怖の熱病「サイタマラリヤ」まであります。

 「埼玉県には何もない。海もない。郷土愛もない」 

 「埼玉県人は、そこらへんの草でも喰わせておけ!」

 凄い台詞が飛び出します。

 とはいえ、パロディーであり、実は、かなり埼玉県民に対する愛情に溢れ、ホロリとしてしまう場面も出てきます。勿論、大いに笑えます。

 よく観ると、同じ関東圏なのに、 東京と横浜のある神奈川県は一等市民扱いですが、群馬県や茨城県や栃木県は、埼玉県以下の扱いです。

 所詮、荒唐無稽の架空のバカっ話なのですが、生徒会長・壇ノ浦百美役の二階堂ふみも、米国帰りの転校生・麻実麗役のGACKTも、執事・阿久津翔役の伊勢谷友介も、こちらが恥ずかしくなるくらい真面目に演じています。

 細かく観ると、大宮と浦和が仲が悪いことなど、しっかり「取材」しており、もう一度観てみたくなるほどです。ヒットする要因が少し分かった気がしました。

 最初に書いた通り、私の場合、埼玉県が終の棲家になりますので、少し、埼玉県を擁護する薀蓄を述べておきます。

 埼玉の語源は、「幸御魂(さきみたま)」と言われ、これは「人に幸福を与える神の霊魂」を意味します。凄いですよね。この映画のように、他人様を笑わせ、埼玉県の位置を知らしめて、全国的にも有名にしてしまったのですから。

 また、かなり歴史もあり、行田市に「さきたま古墳群」があります。古代に豪族が支配し、文明が開けていた証拠です。大和朝廷時代には「武蔵国」とされ、江戸時代にはその一部が、江戸になったため、将軍さまは、「武蔵守」みたいなものでしょう。だから、大岡「越前守」とか、島津「薩摩守」などは名乗ることは許されても、「武蔵守」を名乗ることは禁止されました。それだけ、「格」があったのでした。

以上

名脇役があってこその主役

 昨日、ジャズ・シンガーの新倉美子のことを書いたところ、京洛先生から「ああたは、新倉美子も知らないんですか」と、早速、京都から、上から目線で電話がかかってきました(笑)。

 京洛先生は、私よりも一回り年長、という老世代ですから、よく御存知なのでしょう。それでいて、京洛先生は若作りですから、京都の街中では、2人でいると、ちょくちょく私の方が年上に、つまり老けて見られてしまい、若く見られた彼は大喜びしているのです。ずるいですね(笑)。

 「画家の東郷青児の長女のたまみ(1940~2006)だってジャズ歌手だったんですよ。朝丘雪路、水谷良重と『七光り三人娘』を組んで舞台に立ったこともあります」

 さすが、物識りの京洛先生。何でも知ってますねえ。朝丘雪路は、画家伊東深水の娘、水谷良重は、父が14世守田勘弥、母が初代水谷八重子でした。

 「水谷良重はジャズ・ドラマーの白木秀雄と結婚しました。えっ?知らない?駄目ですねえ。白木は東京芸大出身ですよ。後に離婚しますが、水谷の『愛しているから別れます』は当時の流行語になったんですよ」

 えー、知らなかった。1963年のことですか。白木さんは、晩年が悲惨で、自分のバンドも解散し、渡辺プロダクションからも解雇され、最後は、赤坂の自室で、精神安定剤の過剰摂取で亡くなったようですね。享年39。

 そう言えば、芸能プロダクションのナベプロの渡辺晋氏も、ホリプロの堀威夫氏も、もともとはジャズ・ミュージシャンでした。

Alhambra, Espagne

 「やれスマホだ、やれインターネットだの言っても、アナログの知識がなければ、言葉も知らず、検索さえできないのですよ」と言いながら、京洛先生は、不良中学生時代に毎日のように嵌って観た東映時代劇など映画の名脇役の名前をズラズラと列挙し始めました。

 「新倉美子のお父さん辰巳柳太郎は新国劇でしたね。沢田正二郎らつくった劇団です。辰巳と並ぶスターが島田正吾です。その弟子筋に緒方拳や若林豪らがいますが、他に、悪役で名を馳せた上田吉二郎石山健二郎らもいて、彼らも新国劇の出身者だということは知らないでしょう。えっ?上田吉二郎は知っているけど、石山健二郎は知らない。いや、写真を見ればすぐ分かりますよ。タコ坊主のような独特の容貌で、黒澤明監督「天国と地獄」で田口部長刑事役や山本薩夫監督「白い巨塔」では田宮二郎の義父役で独特の印象を残しました。やっぱり脇役がしっかり固めないと、主役が引き立たないんですよ」

 そういえば、悪役と言えば、私の子ども時代は、上田吉二郎でした。あの太った、独特のだみ声で「ふ、ふ、ふざけんじゃねえ」と、笑うように怒りながら、子分たちに向かって「お、おめえたち、やっちまえ」という台詞は今でも耳にこびりついております。

 京洛先生も、子どもの時分から主役に注目しないで、脇役ばかり見ていたとは変わった人だったんですね(笑)。さらに名脇役を言及します。

 「吉田義夫ね。この人は日本画家から俳優になった人ですよ。法隆寺壁画の修復にも参加した人です。テレビの「悪魔くん」でメフィスト役をやり、映画では『男はつらいよ』の常連です。チャンバラの悪役は山形勲。この人、ロンドン生まれです。『旗本退屈男』や『大菩薩峠』に出ていました。も一人は骸骨のような顔した薄田研二、家老役がぴったりでした。築地小劇場出身です。溝口健二監督の『山椒大夫』『浪華悲歌』などに出ていた「溝口組」の進藤英太郎。いかにも憎々しい役です。
 伊東四朗や財津一郎の師匠だった 石井均は、喜劇役者ですが、新宿で一座を持っていたのに解散して、大阪の曾我廼家十吾の松竹家庭劇に入った人です。この時、西川きよしがかばん持ちをやったことがあります。松竹新喜劇と言えば、高田次郎ですね。ドラマ『細うで繁盛記』や『どてらい男』でいじめ役で、実にうまい俳優です」と、キリがないほど、ポンポンと色んな役者の名前が飛び出してきます。

Alhambra, Espagne

 「脇役は、結構、裕福な家庭の出が多くて、道楽でやってるような役者も多いんですよ。それにしても今の俳優は、駄目ですねえ。目だけギョロギョロさせて下手で下手で、顔だけで演技していて見てられませんよ。迫力がない。何度でも言いますが、脇役に凄みがないと主役も目立ちません。その点、昔の役者の方がはるかに凄かったですよ」と、「芝居通」ぶりを発揮しておりました。

 確かに、昔の脇役や悪役には凄味がありました。

「運び屋」は★★★

 クリント・イーストウッド(1930年5月31日、米サンフランシスコ生まれ)88歳。彼が製作・監督・主演した話題作「運び屋」を観にいって来ました。イーストウッドは芸暦60年以上。私も、子どもの頃、テレビの「ローハイド」から見てますからね。「ダーティーハリー」(シリーズ)も、渋谷駅前の東急文化会館にかつてあった映画館で観にいったら、ロケに使われた銃弾だらけのバスが広告で展示されていたのを覚えてますが、若い人は知らないでしょうねえ…。

 その後、監督業でも脚光浴びて、「ミリオン・ダラー・ベイビー」「グラン・トリノ」「硫黄島からの手紙」「ハドソン川の奇跡」と次々と話題作を発表し、「まず外れがない」ので、イーストウッド監督作品となると必ず観にいくことにしてました。

 で、この作品は?

 なかなか、よく出来た練り上げた作品ではありますが、予告編を観て、かなり期待し過ぎてしまった関係で、正直、その期待を上回らなかったですね。途中で、「長いなあ」と感じてしまい、あと20分ぐらいカットできる、と生意気ながら思ってしまいました。

 ストーリーは単純で、実際にあった90歳の老人がひょんなことからメキシコの麻薬組織のコカインを運ぶ危険な仕事を請け負う話です。その背景に彼の家庭事情やら、組織内の揉め事、麻薬捜査官の活躍などがありますが、「細部」は観てのお楽しみということで(笑)。

 原題の「The mule」は、本来ならラバとか、それに派生して頑固者という意味なのですが、ちゃんと、俗語として「麻薬の運び屋」がありました。最近の洋画はほとんど、原題をカタカナ表記するというマヌケな行動が多いのですけど、「ザ・ミュール」では訳が分かりませんからね。何か、宇宙船の話かと思ってしまいます。だから、「運び屋」とはうまいタイトルを付けたものです。

 とにかく、88歳になっても映画に対する情熱を失わないイーストウッドに脱帽するしかありません。

 

映画「グリーンブック」は★★★★

 アカデミー賞には弱いです。特に「作品賞」となると、できれば見逃したくありません。

 でも、最近の作品賞は、観てがっかりするものが多く、多少、信頼できなくなってきました。私もかつて、本場米国ではなく、日本アカデミー賞の審査員をやっていたことがあるので、何となく、内実が想像できるからです。

 では、今年の受賞作「グリーンブック」はどうでしょうか。アカデミー賞を獲る前の時点で、予告編を観て、面白そうなのでこれから観る候補作としてリストアップしていました。でも、作品賞を獲るとは全く予想していませんでした。私は、映画1本観るのに、新聞や雑誌の映画評に目を通して、念入りに検討するのですが(笑)、この作品に限って、評価は両極端でした。「人種差別の現実を描かれていない」ということでかなり低い評価をする評論家もいれば、「社会派の神髄を体現している」と高評価する評論家もいたのです。

 前置きが長過ぎましたが、私の評価はすこぶる良かった、です。涙腺が弱いので、何度も感涙してしまいました。あらすじは単純と言えば、単純です。1962年の、まだ黒人差別が公然と激しかった時代。黒人ということで、泊まる所も、トイレもバスの乗車も公共のベンチも差別された時代です。NYのナイトクラブ「コパカバーナ」で用心棒を務めるイタリア系の白人トニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)が、天才黒人ピアニスト、ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として雇われ、2カ月間、特に黒人差別の激しい深南部の州でのコンサート・ツアーに同行し、さまざまな差別と偏見に出遭うロード・ムービーです。


 実話に基づいた話ということですが、二人はまるっきり対照的です。運転手のトニーは、がさつで乱暴で、差別主義者ながら、大家族に恵まれ、良き父、良き夫として一家の柱になっています。ピアニストの「ドクター」シャーリーは、高等教育を受けて心理学などの博士号まで取得したインテリで礼儀正しく、才能に恵まれながら、離婚して家族に恵まれず孤独である、といった感じです。

 当初、二人は反目しながら、最後は、深い友情の絆で結ばれることになりますが、途中での虐待に近い黒人に対する差別は度を超しており、「人種差別の現実を描かれていない」という主張は的外れに感じました。想像力が足りないのではないでしょうか。

 私自身は、音楽映画としても大いに楽しみました。1962年ですから、ビートルズが英国でデビューした年ですが、まだ、米国に上陸していないので、当時のヒット曲は、リトル・リチャードやチャビー・チェッカーら黒人のロンクンロールです。これらの音楽を、クラシック育ちの天才ピアニスト、シャーリーが「知らない」といったところが、面白かったですね。

 この映画がきっかけで、私自身がその存在すら知らなかったシャーリーの古い演奏動画を見てみましたが、やはり、凄いプレイヤーで、本物の演奏を聴いたらもっと感動すると思いました。

 実話に基づくとはいえ、映画ですから、脚色した部分は多かったかもしれません。「ケンタッキー・フライド・チキン」やウイスキーの「カティーサーク」といった商品が実名で、しかも、映画の中でかなりキーポイントとして登場するので、「潜在的宣伝広告」として契約されたものに違いありません。

映画「ギルティ」は★★★

 こんな映画、初めて観た、ってな感じです。

 全く言葉が分からなくて、見当もつかないと思ったら、デンマーク映画でした。キャッチフレーズは「犯人は、音の中に、潜んでいる」。そして「事件解決のカギは電話の声だけ。88分、試されるのはあなたの<想像力>」てな具合です。監督はスウェーデン出身のグスタフ・モーラー。2018年、サンダンス国際映画祭観客賞を獲ったようです。

 誘拐事件を解決するサスペンス映画なので、内容はお伝えできませんが、舞台はたった一つ。コペンハーゲンにある警察の緊急通報指令室です。セリフがある主要登場人物は、中年のハンサムなおじさんたった一人だけ。勿論、他にも数人登場しますが、セリフは一言か二言だけなのです。主人公アスガー(ヤコブ・セーダーグレン=この人もスウェーデン出身、デンマーク育ち)は、ある事件をきっかけに第一線の現場から離れ、しがないオペレーターに従事している警察官という設定ですが、やたらと彼のアップの素顔がスクリーンいっぱいに広がります。

 そんな全く単純な場面だけなのに、キャッチフレーズに書かれている通り、88分間もグイグイ観客を引き込みます。まるで、演劇の舞台のように、何が現場で実際に起きたのかは、観客の想像力に任せています。

 こういうのって、ボディーブロー映画というんでしょうか。あとで、効いてくるんですよね。終わっても「何で、アスガーは単独行動をして、内部でチームワークをとらないのか?」とか、「結局、事件の真相は何だったのか?」などと色んな疑問が湧きましたが、誰かが教えてくれるものでもありません。

 答えは、観客の想像力にあるのかもしれません。

 勝手に吟味しますか(笑)。

「私は、マリア・カラス」は★★★★

 映画「私は、マリア・カラス」(トム・ヴォルフ監督)を観てきました。彼女が出演した過去の公演フィルムや本人のテレビ・インタビューなどを繋げて編集したドキュメンタリー映画でしたが、見終わって、哀しい気持ちになりました。

 マリア・カラス(1923~77)は、説明するまでもなくオペラ歌手で、「世紀のディーバ」「20世紀最高のソプラノ歌手」などと称賛される一方、「気位が高い」「気分屋ですぐ公演をキャンセルする」などの悪評もあり、毀誉褒貶の多い人だった気がします。

 私の親の世代なので、彼女の現役時代は、ちょうど私が子どもの頃から大学生の頃だったので、海運王オナシスとのスキャンダルなども極東に住む異国の子どもの耳に入っておりました。でも、まだ53歳の若さでパリで急死したことは、私は大学生だったのに、フォローしていなくて、あまり覚えていないんですよね。

莫大な富と揺るぎのない名声を獲得しても、あっけないものです。いずれにせよ、若い頃はオペラ鑑賞など高くて観に行けるわけがなく、レコードも高くて手に届きませんでした。つまり、マリア・カラスの名声だけは聞こえてきても、私にとっては雲の上のそのまた上の存在で、たまに、NHK-FMラジオで、彼女のアリアを聴くぐらいでした。

 でも、この映画を観て、初めて彼女の苦悩が分かりました。ドタキャンも、心因性にせよ、身体性にしろ、体調不良でまともに声が出なくなったことが原因だったらしく、事情を知らない音楽記者や評論家らの非難や激しいバッシングに彼女はどんなに心に傷を負って、耐えてきただろうかと同情してしまいました。

 人間ですから当然かもしれませんが、若い頃から中年、壮年になるにつれて、まるで別人のように彼女の人相がどんどん変わっていくのには驚かされました。晩年になり、高音域がだんだん出にくくなって、発声練習に時間を掛けなくてはならなくなった焦りみたいなものまで顔に表れていました。

 彼女は確かに天才でしたが、この映画を観ると、芸術家というものは何と不幸なんだろう、と思ってしまいました。こうして、彼女の暗い面ばかり見てしまいましたが、「トスカ」の「歌に生き、恋に生き」にせよ、「ジャンニ・スキッキ」の「私のお父さん」にせよ、映像を見ただけでも彼女の最盛期の歌声はまさに比類なきもので、その巧さは空前絶後という感じがしました。それだけが唯一の救いといえば、救いでした。