1970年の「レット・イット・ビー」から半世紀も経つとは…

 YouTubeで「うちで踊ろう」を公開したミュージシャン星野源のサイトに、日本の最高指導者の安倍晋三首相がコラボ投稿して、自宅自粛要請を呼び掛けたことに対して、喧々諤々の論争になっています。

 安倍首相は自宅の居間で、愛犬とじゃれたり、珈琲を飲んだりしてくつろいでいるブルジョワ生活をあからさまにしてしまったせいか、派遣切りに遭った人とか、店舗休業を余儀なくされたりした人たちから、「何を呑気なことやってるんだ。そんな暇があったら、休業補償の問題を即刻解決してもらいたい」といった切実な投稿のほか、「国会議員ら特権階級は減給されることなく満額振り込まれるから羨ましい」といった皮肉な意見が殺到したようです。

 安倍さんに期待し過ぎるからいけないんですね。モリカケ問題をあやふやにし、財務省の現場職員が自殺してもまるで他人事。公金の私的流用の疑いが濃厚な「桜を見る会」を結局、なかったことにした安倍さんですからね。最初から、そういう人だと肝に銘じていれば、「裏切られた」なんて思わないはずです。

 それより、この星野源のサイトを、先週8日に逸早く教えてくれたのが、高校時代のバンド仲間の神林君でした。そんな政治的な話ではなく、全く音楽的な話で、曲のコードが普通のメジャー、マイナーではないので、「あの変なコードをコピーできるかい?」と投げかけてきたのでした。我々が、バンドをやっていた初期の頃、ロックの楽譜などほとんど発売されていなかったので、レコードが擦り切れるほど何回も何百回も聴いて、音を取ったものでした。その点、彼には「絶対音階」があるので、仲間が驚愕するほど簡単にコピーしてしまうのでした。

 ということで、早速聴いてみたら、その「うちで踊ろう」は、ボサノヴァ風と言えばボサノヴァ風で、バリバリにブルーノートとかマイナーペンタトニックのようなジャズコードをふんだんに使っていました。記号で書けば、例えば、CとかCmとかではなく、C7(♭9,13)といった複雑なコードです(笑)。

 ギター片手にそんなことをしていたら、久しぶりに自分の音楽遍歴を思い出してしまいました。全く個人的などうしようもない話ですから、ご興味のない方は、ここで左様なら(笑)。

◇◇◇

 ざっくり言いますと、子どもの頃は歌謡曲や演歌なども聴いてましたが、10代の多感な時代に入ると俄然、ロックです。それが20代まで続きます。ビートルズ(解散後のソロも含めて)、ローリングストーンズ、レッド・ツェッペリン、クイーン、エリック・クラプトンなどはほぼ全てのアルバムを買い揃えました。

 30代に入ると、一変してクラシック音楽オンリーです。特に、モーツァルトのCD全集を40万円ぐらいかけて買い揃えたほか、グレン・グールドにはまってからバッハ、ベートーベン、ブラームス(交響曲第1番は10種類近く)を中心に聴き、ショパンもルビンシュタインによる全集、ポリーニ、ホロヴィッツ、ポゴレリッチ、キーシン、ブーニンらの演奏に耳を傾けました。ドビュッシーは卒論のテーマだったので、改めて、偏屈なミケランジェリのピアノに惚れ、歌劇「ペリアスとメリザンド」まで買い、そして何と言っても、のめり込んだのが20代の時に最も感激したワグナーです。フルトベングラーよりもクレンペラーが好きでしたね。当時ブームだったマーラーもチャイコフスキーもスメタナも堪能し、バルトーク、ストランビンスキー、シェーンベルク辺りまではカバーしました。現代音楽はグバイドーリア、アルボ・ペルトらも聴きましたが、苦手でしたね。武満徹は例外ですが。

 40代になると、今度はジャズです。若い頃は「爺の音楽」として敬遠していましたが、もしかしたら、今は、ロックやクラシックよりも一番リラックスできて好きかもしれません。グレン・ミラーやベニー・グッドマンなんかは既に聴いてましたが、ジャズにはまったきっかけは、ビル・エヴァンスでした。彼のアルバムをほとんど買い占めて、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ウィントン・ケリー、トミー・フラナガン、オスカー・ピーターソン、ジョージ・シアリングなどピアノばかし聴いてました。ラッパは、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、アート・ペッパーら王道ばかりでしたが、オーネット・コールマンと晩年のマイルスあたりの前衛的になるとついていけなくなりました。

 ウエス・モンゴメリーにはまってからは、ジャズは好んでギターばかりです。ハーブ・エリス、バーニー・ケッセル、ケニー・バレル、タル・ファローらがお気に入りで今でも聴いてます。ヴォーカルは、ヘレン・メリルを端緒に、やはり、ビリー・ホリデイ、ナット・キング・コール、エラ・フィッツジェラルドの正統派でしょうが、以前にブログで書いた通り、ジュリー・ロンドンはしびれますね(笑)。

 50代になると、主にボサノヴァが中心で、シャンソンやカンツォーネもよく聴くようになりました。ボサノヴァのアントニオ・カルロス・ジョビンはレノン・マッカートニーに引けを取らない20世紀が生んだ世界最高の作曲家だと思ってます。シャンソンは、何と言ってもセルジュ・ゲンズブールです。エディット・ピアフもシャルル・トロネもいいですが、フランソワーズ・アルディ、シルビー・バルタン、イブ・モンタンというミーハー志向。カンツォーネはジリオラ・チンクエッティと極めてオーソドックスなポップスですが好んで聴きました。

◇「14歳の法則」を発見

 今は、昔のCDを引っ張り出して色んなジャンルの曲を聴いています。正直、今流行のラップにはついていけません。分かったことは、人間は、14歳の時に聴いた音楽がその後の人生を決定づけることでした。大袈裟な言い方ですが、人生で最も多感な14歳前後に聴いた音楽が、その人の「懐メロ」になるということです。14歳と言えば中学生ですから、お小遣いも少なく、そんなにレコードなんて買えません。私の場合は、「ミュージック・ライフ」などの音楽雑誌を買って、レコードのジャケット写真を何度も何度も穴があくほど眺めて「欲しいなあ、お金があったらなあ」と思っていました。それが、長じて金銭的に余裕ができると、その反動で、昔買えなかったCDレコードを次々と買い集めることになってしまったのです。

 個人的ながら、私の場合は、写真でアップした通り、S&G「明日に架ける橋」、サンタナ「天の守護神」、CSN&N「デジャ・ヴ」、CCR「コスモズ・ファクトリー」、EL&P「展覧会の絵」、フェイセズ「馬の耳に念仏」、ジャニス・ジョプリン「パール」などです。いずれも1970年か71年に発売されたものだったことが後になって分かり、この「14歳の法則」を新発見したのです(大袈裟ですが、商標登録申請中=冗談です)。記憶していた耳が自然と当時流行った音楽を求めたのでしょう。嗚呼、当時聴いていたシカゴ、BS&T、チェイス、クリスティー、カーリー・サイモン、ジェームズ・テーラー、カーペンターズなんかも本当に懐かしい。

 1970年は、4月にビートルズか解散し、最後のLP「レット・イット・ビー」が発売され、映画も公開された年でした。私は、朝早くから夜遅くまで、3本も4本も、この同じ映画「レット・イット・ビー」を新宿の武蔵野館で何回も見続けたものでした。当時は、入れ替え制ではありませんでしたからね。よく飽きなかったものです(笑)。

 あれから半世紀もの年月が過ぎてしまったとは、とても信じられません。振り返ると、邦楽はほとんど聴かず、洋楽ばかり聴いていたことになります。

 この私が発見した「14歳の法則」、きっと貴方にも当てはまると思いますよ!

日仏会館でデプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」を観る

日仏会館

 昨年12月に見事厳しい審査を経て(?)、東京・恵比寿にある日仏会館の会員になることができました。そこで開催されるフランスに関する色んな講演会やセミナーやイベントに参加できます(非会員の方もbienvenu)。1月に「ジャポニスム」に関するセミナーがありましたが、仕事が遅くなり、キャンセルせざるを得なくなりました。

 昨晩は会員として初めて参加しました。(そう言えば、2015年1月に日仏会館で開催された「21世紀の資本」のトマ・ピケティの講演を取材したものです。ということは5年ぶりでしたか…早い、早すぎる)

ヘアーサロン・ヤマギシ 月曜休みでした

 その前日に、京洛先生から電話があり、明日、日仏会館に行く予定だと話したところ、「恵比寿ですか…そうですか…懐かしいですね。中華のちょろりに行ったらいいじゃないですか」と仰るではありませんか。

 えっ?何ですか?ちょろり?

「中華屋さんですよ。あたしはよく行きましたよ。恵比寿ビアガーデンの近くでもあります。そこで、よく炒飯と餃子にビールを注文したものですよ」

 いい話を聞きました。京都の京洛如来様は、まだ東京で調布菩薩だった頃、職場が恵比寿にあったことから、恵比寿は自分の庭みたいなものでした。

 「恵比寿駅近くにヤマギシという床屋がありましてね。社長はあの大野で修行した人で、あたしはよく行ったものです。今でも東京に行った時に予約して行きますよ。貴方も行ってみたらどうですか?『京都の京洛から話を聞いて来ました』と言ったら、喜びますよ」

 あれ?それ、もしかしたら、恵比寿商店会から宣伝料のマージンでももらっているんじゃないですかねえ(笑)。

 でも、私も、当日の夕飯はどうしようかと思っていたので、良い店を紹介してもらいました。

 中華「ちょろり」は、日仏会館の目と鼻の先にありました。夕方5時頃入ったら、お客さんはまだ誰もいなく、しばらく一人でした。大衆中華料理屋さんというか、大きなテーブルが7個ぐらいあって、30~40人で満杯になる感じでした。(帰りの夜9時過ぎに店の前を通ったら、超満員でした。夜中の3時までやっているようです)

 京洛先生のお薦め通り、炒飯と餃子とビールを注文。炒飯は、何か、和風で、昔懐かしい味。餃子は野菜がいっぱい入ってました。

 さて、肝心の日仏会館の催しは、「映画と文学」の6回目でした。アルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」(2015年、123分)が上映された後、目白大学の杉原先生による、特に、映画のフラッシュバック技法とマルセル・プルーストとの関係について解説がありました。

アルノー・デプレシャン監督作品「あの頃エッフェル塔の下で」 左は、 ポール役のカンタン・ドルメール、右は エステル役のリー・ロワ・ルコリネ

5年前に日本でも公開されたこの映画は見逃していましたが、なかなか良かったですね。よほどの映画通じゃなきゃデプレシャン監督作品は知らないでしょうが、私も初めて観ました。1960年生まれのデプレシャン監督の青春時代を色濃く反映した作品で、私もほぼ同世代なので、心に染み入りました。満点です。

 デプレシャン監督は、ベルギー国境に近いフランス北東部の田舎町ノール県ルーベ出身で、パリに上京して仏国立高等映画学院で学んだようです。映画の原題はTrois souvenirs de ma jeunesse で、直訳すると「我が青春の三つの物語」となります。主人公のポール・デダリュスは人類学者で外交官ですが、タジキスタンかどこかの旧東側国の税関で捕まり、スパイ容疑で取り調べられるところから物語は始まります。その時、主人公が青春時代の三つの物語をフラッシュバックで思い出すという展開です。

 後で聞いた杉原先生の解説によると、主人公のポール・デダリュスとは、ジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」に登場する作家志望の青年スティーヴン・ディーダラスから拝借したもので、ユリシーズもこの映画も「帰還」がテーマになっているとか。

 主人公のポール(青年時代はカンタン・ドルメール、現在の壮年時代はマチュー・アマルリック)とエステル(リー・ロワ・ルコリネ)との淡い悲恋の物語といえば、それまでですが、恋する若い二人の心の揺れや不安が見事に描かれ、私も身に覚えがあるので懐かしくなりました(笑)。ポール役のドルメールも清々しく格好良かったですが、エステル役のルコリネは、男なら誰でも夢中になるほど魅力的で、強さと弱さを巧みに表現できて、なかなかの演技達者でした。

 そして、何と言ってもプルースト。これでも、学生時代は岩崎力先生の講義に参加して少し齧りました。今でも「失われた時を求めて」 À la recherche du temps perdu の第1章「スワン家の方へ」(1913年) Du côté de chez Swann の最初に出てくる「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた」の《 Longtemps, je me suis couché de bonne heure 》は今でも諳んじることができます。岩崎先生には、マルグレット・ユルスナールやヴァレリー・ラルボーらも教えてもらいましたが、名前を聞いただけで異様に懐かしい。何の役にも立ちませんが(笑)。

 デプレシャン監督には、「魂を救え!」(1992年)や「そして僕は恋をする」(1996年)、「クリスマス・ストーリー」(2008年)などがありますが、登場人物に関連性があり、一種のシリーズ物語になっているようです。バルザックに「人間喜劇」、エミール・ゾラには「ルーゴン・マッカール叢書」などがありますが、フランス人は作品は違っても、続きものになる、こういう関連シリーズ物語が好きなんですね。

 映画では、主人公は人類学者になる人ですから本をよく読み、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」などを読んでいる場面も出てきました。私は、青春時代にフランスに首をつっこんでしまったので、この先、死ぬまで関わることでしょうから、日仏会館のイベントにはなるべく参加していくつもりです。お会いしたら声を掛けてください(笑)。

🎬「彼らは生きていた」は★★★★★

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 100年以上昔の第一次世界大戦(1914~18)のドキュメンタリー映画「彼らは生きていた」(ピーター・ジャクソン監督)を土曜日に観てきました。

 東京・有楽町の映画館で午前9時45分からの上映。63席しかないので、チケットは25分前に完売してしまいました。その様子をその場で見た私は、チケットはネットで購入していたのでセーフ。次の上映時間は夜の9時10分からですから、遠方から来られた方は絶望的な表情を浮かべていました。でも、こういう良心的な映画をご覧になる方がたくさんいるとは、世の中、捨てたもんじゃありませんね。私も含めて遠方の方は、良質な映画鑑賞の場合、次回はネット購入をお薦めします。

 この作品は、ジャクソン監督が、大英帝国戦争博物館に所蔵されていたモノクロの未公開フィルムを最新技術でカラー化し、当時従軍した兵士のインタビューの肉声をバックに重ねたものですが、信じられないほど画像が鮮明になり、つい最近に起きた戦争にさえ錯覚してしまいます。1961年生まれのジャクソン監督は、この映画を同大戦に従軍した自分の祖父に捧げていました。

第一次大戦では、戦場での兵士の移動は、トラックやジープがまだなく、徒歩か馬で、映画では、爆撃機は登場しませんでしたが、既に新兵器である戦車(タンク)が開発され、重機関銃、毒ガスまで使用されていました。

  第一次大戦では、7000万人以上の軍人が動員され、戦闘員900万人以上、非戦闘員は700万人以上死亡したといわれます。映画では、フランス国内の戦線で対峙した英国とドイツが、互いに迷路のような塹壕を掘り合って、陣取り合戦のような肉弾戦が中心でしたから、両軍ともに甚大の戦死者を生みます。

 おぞましい戦闘シーンや、腐乱した戦死者の遺体など出てきますが、よくぞこんなフィルムが残っていたと感心します。

 多くの日本人は、第1次世界大戦については、太平洋戦争ほど関心がないというのが本音かもしれません。私自身も、レマルクの「西部戦線異状なし」を読んだぐらいで、どちらかと言うと第2次世界大戦の方がもっと詳しく知りたい派です。

 しかし、欧州人にとっては、欧州大陸そのものが戦場となり、勝者も敗者も、いずれも甚大な損害を蒙ったことから、第1次世界大戦への関心度は、日本人と比較にならないでしょう。

 この映画の原題は、They shall not grow old で、敢えて逸脱して意訳すれば、「彼らの生きざまは並大抵ではなかった」辺りでしょうが、「彼らは生きていた」という映画タイトルは、実に巧いなと思いました。1914年のサラエボ事件を発端に、戦意が高揚し、マスコミが煽り立て、英国では、19歳から志願兵を受け入れるというのに、18歳、17歳、いや中には15歳や16歳まで年齢を偽って従軍していた様子から、この映画は始まります。

 100年前とはいえ、我々の父親、祖父、曾祖父の世代ですから、日々の喜怒哀楽は万国共通で、時代は変わっても本質は何も変わっていないことが分かります。

 兵士たちの食事は非常に粗末で、トイレがなく、穴を掘ったところに板を張って集団で用を足し、中には板が折れて、肥溜めに落ちる兵士もいました(尾籠な話で失礼)。

 塹壕は雨が降るとぬかるみになって、ネズミや病気が発生し、泥沼に落ちて亡くなる兵士もあり、苦心惨憺する有様も出てきます。このほか、英国軍のドイツ兵の捕虜に対する扱い方が、ちょっと紳士的に描きする嫌いがあり、本当かな、と思ってしまいました。

 1918年11月11日午前11時に休戦条約が調印され、大戦は終結しますが、帰還した兵士たちは、白い目で見られ、求職を断られるなど、市民生活とのギャップが描かれていました。帰還兵たちは「戦場に行った者しか分からない」と嘆いていましたが、この映画を観た観客は、塹壕での悲惨な戦闘を疑似体験しているので、非常に気持ちが分かります。こういうことは、時代を現代に置き換えても同じことでしょうね。

古代史の新発見が望まれる=東博で「出雲と大和」展

 新型コロナウイルスが猛威を奮う中、「よゐこは不特定多数の人が集まる所に行ってはいけません」と一国の総理大臣から通告されていたにも関わらず、上野の東京国立博物館に行って来ました。「出雲と大和」が開催されていたからです。

 週末なので混むはずでしたが、空いていたわけではありませんが、近くで見られました。けど、中国語が聞こえると(彼らは何処にいようが我が物顔で声がデカい!)、ドキッと緊張している自分を発見しました。

出品目録をざっと見ただけですが、出品111点中、国宝が23点、重要文化財75点という豪華絢爛さです。失礼、太古の発掘物ですから、絢爛さまではいかず、正直、余程、古代に関心があり、ある程度の知識がないとつまらないかもしれません。

 国宝「銅剣、銅鐸、銅矛」(出雲市荒神谷遺跡出土、弥生時代、前2〜前1世紀、文化庁蔵)や日本書記にも記された国宝「七支刀(しちしとう)」(古墳時代、4世紀、奈良・石神神宮像)など眼を見張るものが沢山ありました。でも、私自身は、ある程度の知識はあるつもりでしたが、はっきり言って難しかったですね。

 銅鐸一つ取っても、祭司用だと言われてますが、実際にどのように使われたのか諸説あります。

 また、考古学や古代学は、大半は文字がない時代ですから発掘された出土品から想像しなければなりません。専門家なら勾玉一つ見ただけで、色んなことが分かるでしょうが、悲しい哉、素人には限界があります。

 個人的には古代には48メートルの高さを誇ったと言われる出雲大社本殿の縮小版の模型が良かったですね。昨年は、実際に初めて出雲大社をお参りする機会に恵まれたので、感激も一入です。巨大本殿が存在したという証明になる鎌倉時代の宇豆柱(うづばしら)も展示されていました。

 出雲では博物館に立ち寄らなかったので、今回、初めて色んなお宝を見ることができました。

 3世紀になって大和に王権が成立し、巨大な前方後円墳がつくられます。しかし、多くの古墳は文化庁と宮内庁の管轄で、学者でさえ立ち入り禁止されているので、まだまだ未解明な所が多いのです。

◇国譲りで大和が出雲を征服したのか?

 最後のコーナーの年譜を見ていたら、大陸との交流が盛んだった出雲の勢力というか文明圏は弥生時代初期からあり、その一方で、後から大和政権は成立して、「国譲り」で大和が出雲を併合したのは明白に思えました。

 「古事記」は、敗れた出雲の側の立場を描き、出雲のことはあまり触れていない「日本書記」は、大和の側から叙述したものだということをある学者さんは言ってましたが、そう考えると分かりやすいですね。

 いずれにせよ、古墳が考古学者に公開されて、新史実が発見されれば、素晴らしいと思っております。

 この後、遅ればせの新年会が根津駅近くの「駅馬車」という店であるので、地下鉄で行こうとしたら、博物館のチケットの裏を見たら地図が載っていて、歩いて行けそうな距離だと分かり、徒歩で行きました。

 そしたら、参加した赤坂さんも東博を見て歩いて根津まで来たという小生と同じコースだったので笑ってしまいました。

 新年会では赤坂さんは、ピントが外れた唐変木なことばかり発言するので皆の笑い者、いや人気者でした(笑)。

🎬「リチャード・ジュエル」は★★★★★

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名古屋にお住まいの篠田先生から電話があり、「ああたが、ブログで批判していた韓国映画『パラサイト』、観に行きましたが、よかったじゃありませんか。今度のアカデミー賞も獲るかもしれませんよ」と仰るので、気は確かなのかと思いましたよ。

 週刊文春でも、映画評論家と称する人たちが全員、「満点」を付けていたのを発見して唖然、呆然としましたが、あんな残酷で後味が悪い、血みどろの不愉快な映画、ないじゃありませんか。今年のアカデミー賞候補には、殺害場面の多すぎるあのハリウッド映画「ジョーカー」までなっているというのですから、映画産業界に対する不信感さえ抱きました。そしたら、篠田先生は「それは、ああたの限界ですね。映画なんて作り物だと割り切って観なければならないんですよ。『パラサイト』の後半のとんでもない展開なんて、日本人なんかとても作れませんよ。『万引家族』の是枝監督なんて、とても及びもつきません。今の時代を反映しているわけだし、『パラサイト』のようなとんでもない世界の方が、現実世界を如実に反映しているわけですよ」と悪びれた様子もなく、かつ丼をペロリと平らげる有様です。

 まあ、好みや趣味は人それぞれですから、とやかく言えませんけど、私は、嫌ですね。断固としてあんな映画は二度と見たくない。限界を指摘されようが、批判されようが、 日本人ですから、箱庭的な墨絵のような映画の方を好みますよ。勿論、是枝監督に軍配をあげます。

 かくして、映画産業に関して、かなりの不信感を抱いてしまったので、「これではいけない」ということで、お口直しの意味で、小雪のちらつく中、またまた映画館に足を運びましたよ。1996年のアトランタ五輪の最中に起きた爆破テロ事件で、第1発見者の英雄から、一転して容疑者になった警備員の実話を扱った「リチャード・ジュエル」です。クリント・イーストウッド監督なら、大丈夫だろうという安心感と期待感で観たのでしたが、正解でした。私の採点は満点です。この映画こそ、アカデミー賞候補になってもいいのに、カスリもしません。きっと、米FBIやメディアを痛烈に批判している映画だからなのでしょうね。

アトランタ爆破テロ事件とは、五輪大会7日目の 7月27日午前 1時20分頃、市内センテニアル公園の屋外コンサート会場で、パイプ爆弾による爆破事件が発生し、死者2人、負傷者111人を出した事件です。日本人はほとんど忘れているし、第1発見者の警備員が、国民的ヒーローから一転して犯人扱いされる悲劇など、覚えている人は少ないでしょう。

 この事件の裏、というか表でどんなことが起きたのか、といったことをノンフィクション・スタイルで再現したのがこの映画です。この手のスタイルは、イーストウッド監督は、2016年の「ハドソン川の奇跡」と18年の「15時17分、パリ行き」で成功させていますから、同監督のお手の物といった感じかもしれません。

 実に良い映画でした。俳優全員が本物のように見え、全く演じているように見えなかったところが凄い映画でした。

 私は一番面白かったのは、野心に燃えるアトランタ・ジャーナル紙の女性記者キャッシー(オリビア・ワイルド)が、かなり露骨な色仕掛けでFBIのトム・ショウ捜査官(ジョン・ハム)からトップシークレットの情報を取って、スクープする場面でした。バーのカウンターでのやり取りなどは、事実かどうか分かりませんが、美男と美女なので、キツネとタヌキの化かし合いは、実にサマになっていて、いかにもあり得そうな場面で、イーストウッド監督しか描けませんね。身に覚えがあるメディアの人間が観たらたまらないと思います。私もずっと、ニヤニヤして観ていました(笑)。

 結局、警備員のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は無実で、キャッシー記者が書いた記事はフェイクニュースになりますが、それまでは、メディアスクラムによってリチャードとその母親ボビ(キャシー・ベイツ)の2人は、天国から地獄に突き落とされ、私生活が台無しにされてしまいます。

 FBIという強大な国家権力とメディアに対抗するために、この2人を助けたのが、弁護士のワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)でした。この映画は、リチャードと弁護士ワトソンとの出会いの場面から始まるので、何で、そこまでして、ワトソンが、リチャードのために親身になれるのかよく分かります。ワトソン役の俳優は、何処かで観たことある、と思ったら、2018年の「バイス」(チェイニー米副大統領の映画)のブッシュ大統領役でしたね。

 とにかく、この映画のおかげで、映画産業界に対する不信感が、ほんの少し和らぎました。(ということは、なくなったわけではない!)

奈良・春日大社「国宝殿」で「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」

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ご無沙汰しております。奈良に居ります、御存知「西大寺先生」です。

 奈良通信員として拝命していますが、本業が多忙で渓流斎ブログに出稿せず誠に申し訳ありません。令和二年の新年になり、第一弾の出稿です。

 奈良の美術展と言えば、国立奈良博物館の「正倉院展」があまりにも有名ですが、県内にはあまりにも多くの国宝、文化財があり、しかも、お寺、神社そのものが歴史遺産であり、美術展を見に行くというより、歴史遺産自体が自然体の「美術展」でもあります。ですから、奈良では東京のように博物館、美術館に「美術展」を見に出かける必要もそれほどないわけですね。

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そんな奈良ですが、新年3月1日まで春日大社「国宝殿」で開かれている「最古の日本刀の世界 安綱・古伯耆展」は見ごたえがありますよ。

 平安時代に伯耆(ほうき)の国(今の鳥取県中・西部)にいた安綱(やすな)の一門の刀は武家社会は勿論、神にも捧げられましたが、その後、この刀匠の流れは途絶え、作品もほんのわずかしか残っていません。現存の安綱の作品はほとんどが「国宝」「重要文化財」になっています。

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 今回はその国宝に指定された春日大社所蔵の「金地螺鈿毛抜形太刀」や、あの源頼綱が酒呑童子を斬った刀と言われる、やはり安綱作の国宝「童子切」(国立東京博物館所蔵)、重要文化財で「大平記」にも記されていて渡辺綱が鬼退治に使ったと言われる「鬼切丸」(髭切)(北野天満宮所蔵)が並び、日本の刀の歴史がよく分かります。

 会場はそれほど広くなく、展示数も厳選され、ゆったり、時間をかけて展示品が見られるのは好いですね。特に伯耆の国が、たたら、砂鉄がとれることから古代から刀作りが盛んで、この展覧会でも、安綱の作品だけでなく古伯耆の太刀も展示されています。

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 また、お城巡りを趣味にされている渓流斎山人ですが、徳川家を中心にした全国の諸大名が「家宝」にしていた太刀、名刀はいずれも、平安期から時の権力者のもとを迂余転変してきたことも分かりやすく説明がされていました。「へえ!足利、信長、秀吉、各大名家にこうして伝わったのか」「名刀には歴史の逸話がある!」と、貴人もご覧になれば関心、興味が倍加するでしょう。

 刀は歴史好きには堪えられない面白さがあると思いますよ。茶器とは別の奥深さが秘められています。単なる「武器」だけでなく「祭事や儀礼用」の意味、価値も持っているということです。春日大社「国宝殿」は同大社の本殿傍にあり、上の写真のように、境内の鹿も入口付近にやって来て、都心の美術館では味わえない雰囲気が漂います。

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この展覧会も館内の写真撮影は禁止でしたが、ただ、一点だけ国宝のレプリカは撮影OKでした。あまり上手く撮れませんでしたが、悪しからずご了承ください。

 3月1日まで開催しているので、奈良に行かれる機会があれば覗かれると良いでしょう。入場料は800円ですが事前に金券ショップのガラスケースを覗けばさらに格安のチケットが売られていると思いますよ(笑)。

 西大寺先生より

◇◇◇◇◇

 いやあ、有難いですね。いつもながら、ネタ切れになりますと、特派員リポートが送稿されます。紙面を埋めなければならない新聞社や雑誌社のデスクの気持ちがよく分かります(笑)。

 お城と並んで、今、刀剣もブームです。特に若い女性が全国の品評会にまで回っており、「刀剣女子」と呼ばれているとか。

 日本刀は武器ですが、美術工芸品でもありますね。戦場では、刀の威力はそれほど発揮せず、殺傷力では(1)弓矢(後に鉄砲)(2)薙刀(後に槍)(3)投石(4)刀ーの順らしいですね。何故、刀より投石による戦死者の方が多かったのか、というと、農民が合戦に駆り出されて、高価な刀剣は買うことができないか、刀の使い方ができなかったというのが有力な説です。刀狩りで、農民は刀剣を奪われていましたしね。

🎥「パラサイト 半地下の家族」は★

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あまり、観るつもりはなかったのですが、新聞各紙の映画評で、いずれも高得点を獲得していたので、今話題の映画「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)を観て来ました。何しろ、第72回カンヌ国際映画祭で、韓国映画としては初めて最高賞であるパルムドールに輝いた作品ですからね。

 大いに期待して観たのですが、前半はよかったんですけど、後半はグロテスクで観ていられなくなりました。席を立って帰りたくなりましたが、最後まで見届けようと覚悟して、 我慢して観ましたよ。

 格差社会を静かに糾弾する社会派映画かと思ったら、サスペンス映画だということで、最後の結末がどうなるか、茲でタネ明かししてしまうのはフェアではないのでやめておきます。

 ま、上の写真の映画ポスターで御判断できるかもしれませんが、最初に書いた通り、個人的にはグロテスク過ぎて、目をそむけたくなりました。

 韓国では知らない人はいない、「シュリ」や「JSA」などに出演して日本でも馴染みのある名優ソン・ガンホ主演作ですが、やっぱり個人的には戴けませんね。「半地下家族」の副題が付いているので、同じくカンヌで2018年に最高賞を受賞した日本の是枝裕和監督の「万引き家族」を連想しましたが、民族性の違いが如実に表れているのか、全然違いましたね。

 この作品は、「万引き家族」というより、昨年日本でも大ヒットしたハリウッド映画の「ジョーカー」に近いですね。やたらと殺人場面が出てくる辺りです。私は、この「ジョーカー」を観て、ハリウッド映画が大嫌いになり、何で、日本でも大ヒットしたのか、さっぱり分かりませんでした。

 「パラサイト」は、本当に前半はよかったのです。大金持ちのパク社長の娘である女子高生の家庭教師の職を得た「半地下家族」キム一家の長男が、練りに練った計画で、家族4人がこの豪邸一家と関わることになるまで、観ていて痛快でした。しかし、この後がいけない。後半のああいう惨たらしい場面を観て喜ぶ観客がいるんでしょうか?信じられません。この分だと、韓国映画まで嫌いになりそうです。

 脚本も担当したポン・ジュノ監督は、もうちょっと、大事件なんぞ起こさなくても、もっと穏やかに描けなかったんでしょうかねえ。コメディーで終わってもいいじゃありませんか。これでは、いくら、カンヌ映画祭で最高賞を取ったといっても、日本では文部科学省推薦映画にはならないでしょう。(韓国映画ですが、映像から、朝日新聞とサッポロビールなどが出資していることが読み取れました。マスコミが出資した映画はほとんど批判されることがありません)

 映画の世界のフィクションの話とはいえ、現代人は、それほどまでに血に飢えているんでしょうか?もしくは、人生経験の少ない血気盛んな若者向きの映画なんでしょうか?それなら、私は個人的には、こんな映画はたくさんです。正直、もう観たくないですね。

 単なる個人的な感想で、遠吠えに過ぎませんが。

🎬「男はつらいよ お帰り寅さん」は★★★★★

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喜劇だと思ったら、悲劇でした。見事やられてしまいました。途中から泣き笑いで、いい歳をして、感情を抑えることができませんでした。

 22年ぶりの新作シリーズ第50作目「男はつらいよ お帰り寅さん」は、製作費と同じくらい宣伝費をかけているようにみえるので、新聞でもテレビでも週刊誌でも、ラジオでも、どこでもこの映画のことで話題持ち切り。

 今では簡単に予告編も見られ、あらすじまで分かってしまいますから、知った気になって、観た気になってしまいますが、それでは、勿体ない。劇場に足を運んで大きなスクリーンで御覧になることをお薦めします。

 私のような1969年の第1作から1997年の第49作まで、大体見ているロートル世代でしたら、涙なしには見られません。(もしかして、初めて見る若い世代でも楽しめるかも)

 若い頃は、寅さんシリーズは当たり前のように上映され、いつもお決まりのパターンのマンネリズムだと思ってましたが、それが見事浄化して、様式美に昇格していたことが、今になって分かりました。

 寅さんこと渥美清(1928~96)さんも本当に亡くなり、(68歳の若さだったは!当時は、彼の訃報原稿を書いたりして大忙しだったので、そこまで若かったことは実感できませんでした)この映画でも、既に寅さんは亡くなって、甥っ子の満男(吉岡秀隆)が小説家になり、偶然初恋のイズミちゃん(後藤久美子)と再会する話で、喜劇ではなく、次回もまた続くような気の持たせ方で映画が終わります。

 まあ、そこがいい所です。

 寅さんは、回想シーンでしか登場しませんが、4Kか何か知りませんが、デジタル処理した昔の映像が、今の映画と同期して、違和感がないのが、この映画の凄いところです。

 この映画は、満男役の吉岡秀隆(49)主演作ですが、彼は、「三丁目の夕日」などで、売れない作家役をやっているので、今回の小説家役も適役でした。また、ゴクミと言っても、30年前の美少女ブームの頃の後藤久美子(45)のことを知らない人も多いでしょうが、私生活では、フランス人F1レーサーと結婚して、スイスなどに住み、半ば引退した格好でしたが、山田洋次監督から手紙による熱烈な説得により、イズミ役として復帰したことが、週刊誌に書かれていました。

 イズミは、ゴクミの私生活通り、英語とフランス語が堪能で国連難民高等弁務官事務所の職員になって世界中を飛び回っている役でしたから、本人と重なってしまいました。流石に英語もフランス語も発音が良かった。山田監督の「アテ書き」ですね。

 映画の舞台も、葛飾区柴又のほか、銀座と神保町と八重洲ブックセンターで、個人的に、私が最も縁と馴染みの深い東京だったので、それだけで胸が熱くなってしまいました。

 この映画で、寅さんが関わったマドンナが、最後の回想シーンで、ほぼ勢ぞろいしました。最初に私は「寅さんのシリーズをほとんど観ている」と豪語しましたが、「あれ?彼女誰だっけ?」という女優さんが2人ぐらいいました。後で調べたら思い出しましたが、女優さんに失礼に当たるので、その人の名前を書いた公文書は、現政権のように、シュレッダーにかけて、隠蔽しておきます(笑)。

 でも、22年ぶりに「男をつらいよ」を観ると、すっかり忘れていた意外な女優さんまでもが、マドンナ役で出ていたことが確認できました。サクラ役の倍賞千恵子さんは、若い頃は本当に正統派の美人だったことも、改めてこの歳になって気が付きました。そして、ヒトは残酷にも年を取り、タコ社長もおいちゃん役の俳優さんも既に亡くなって、この世にいないのにスクリーンで復活していました。これもまた、ロートル世代にとっては感慨深いものでした。

 恐るべき映画でした。

🎬「カツベン」は★★☆

 黒澤明監督が亡くなって以来、あまり、監督目当てに映画を観ることはなかったのですが、周防正行監督は例外で、「この人なら外れはないな」と思いつつ鑑賞してきました。「シコふんじゃった。」「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」「舞妓はレディ」など観て来ました。

 今回も期待したのですが、残念ながら外れでした。喜劇は喜劇でも、ドタバタ過ぎて、ストーリー展開も見え見えで、「伏線」の置き方があからさまなので、次の場面がすぐ想像できてしまう。

 …いやあ、ちょっと貶し過ぎですかね?

 今から100年前の活動弁士が大スターとして活躍した時代背景は、うまく描いたとは思いますが、悪役の安田(音尾琢真)がやたらと拳銃をぶっ放して、単なる「作り物」の作品を意識するように見せつけられた感じで、興醒めでした。

 いやあ、やっぱり褒めていませんね(笑)。時代考証に見合った衣装や自動車やポスターやロケでつくった劇場などは随分とお金を掛けているように見受けられました。

 でも、誰とは言いませんけど、俳優さんの中には演技が大袈裟で、ちょっと付いていけないところもありました。引いてしまった、という感じです。

 無駄な場面も多く、その場面を20分ぐらいカットすれば引き締まって、作品の世界だけに没入できたと思います。

コピーライターから歌人・俳人に

 一昨日24日(日)は、都内で大学の同窓会。昭和37年卒業生から令和元年院卒生まで55人も集まりました。この時季、ボージョレ・ヌーヴォー解禁に当たり、懇親会ではこれを目当てに参加される方も。

 毎回、卒業生の中で、功成り名を遂げた人の講演がありますが、今回のゲストは昭和47年卒業の吉竹純氏。講演名は「天皇陛下にお会いするまでーあるコピーライターの軌跡」でした。異様に面白いお話でしたので、私も後で大先輩の著作を購入してしまいました。

「こんな時代もあったのだ」。マイナス金利時代では信じられない。

 講演名にある通り、吉竹氏は、泣く子も黙る大手広告代理店電通の御出身でした。同氏が手掛けたカメラ会社や電気会社や石油会社や自動車会社などのコピーも紹介してもらいましたが、51歳の若さで天下の電通を退職されてしまうのです。勿体ないですね。その理由について、吉竹氏ははっきり述べませんでしたが、どうやら、独立して、作家として1本立ちする考えがあったようです。

 1989年度日本推理サスペンス大賞(新潮社主催)の最終候補作の4作の中に吉竹氏の作品「もう一度、戦争」が残ったのです。この大賞がいかに凄いかと言いますと、最終的に大賞を受賞したのが、宮部みゆきの「魔術はささやく」。 もう一人、最終候補作に残ったのが、幸田精「リヴィエラを撃て」と現在、大御所として大活躍している大作家ばかりだったのです。えっ? 幸田精を知らない?高村薫の前の筆名だったのです。 高村さんは、その翌年、「黄金を抱いて翔べ」(高村薫名義)で見事、大賞を受賞しています。

 そんな凄い賞の最終候補作に残ったのですから、吉竹氏が筆一本で人生を懸けようとしたことはよく分かります。でも、結局、サスペンス作家ではなく、短歌や俳句の短詩形の専門家になるんですんね。恐らく、広告のコピーと相似形があり、仕事の延長に近かったのかもしれません。

 そんなこんなで、吉竹氏は朝日、日経など多くの新聞に短歌や俳句を投稿しまくり、2002年に毎日歌壇賞、06年に与謝野晶子短歌文学賞、08年に読売俳壇年間賞などを受賞し、11年にはついに歌会始に入選し、天皇陛下にまで拝謁する栄誉まで得たというのです。頂点を極めたわけです。ちなみに、歌会始の入選作は、

  背丈より百葉箱の高きころ四季は静かに人と巡りき

 お題は「葉」でしたが、多くの人が、「落ち葉」や、「葉桜」などといった葉に関係する無難な言葉を選ぶだろうし、選者は読み疲れるだろう。それなら、誰も思いつかない「百葉箱」ならどうだろか、と奇をてらったところが大成功に結び付いたようです。

 先月10月30日には、「出版界の東大」(本人談)岩波新書に企画書を売り込んで、「日曜俳句入門」を刊行するという大技を成し遂げました。何にでもエビデンスを要求する岩波書店の校正の厳格さで鍛え上げられた労作だそうです。小生も感動して、1冊購入させて頂きました。帯に「こんな近くに投句のたのしさ」とあるように、吉竹氏は、ダジャレ精神に満ち溢れています。タイトルの「日曜俳句」も「日曜大工」にちなんだものだといいます。 私も片意地を張らない、そういうところが好きですね。

 コピーライターとして練り上げられた文章力です。この本が好評を博せば、続編「日曜短歌入門」も出版されるかもしれません。吉竹氏が凄いところは、彼自身がどこの結社や同人誌にも属さないで独立独歩でやっていることです。さて、読み始めますか。