ルソーの一族は時計職人だった=銀座・高級腕時計店巡り

 このブログでは、これまで、「銀座ランチ」とか、「銀座・明治新聞街」とか、「銀座・地方物産店巡り」など色々と「銀座企画」をやって来ましたが、少し、飽きてきたので(笑)、他のものをやろうと考えてみました。

 代替案はすぐ見つかりました。「銀座・高級腕時計店巡り」です。銀座を歩いていると、やたらと高級腕時計の販売店が目立つのです。もしかして、飲食店に次ぐぐらい多いかもしれません。

 何と言っても、銀座のシンボルは、4丁目の服部時計店=セイコーですからね。世界各国から、特にスイスの高級腕時計店が銀座に集まって来るのも頷けます。何しろ、高級腕時計は安くても数十万円、パテック・フィリップともなると数千万円もする代物ですから、「信用」が肝心です。消費者は、銀座に出店しているから安心して買うのです。その点、銀座に画廊が集中しているのと同じ論理です。やはり、偽物はつかませられたらたまりませんからね。

銀座SIX「シチズン」

 最初に取り上げるのは、日本に敬意を表してシチズンです。銀座SIXにあります。

 1918年創業。関東大震災の翌24年にシチズンの前身・尚工舎時計研究所によって懐中時計が販売され、30年にシチズン時計株式会社が創立されたとのこと。シチズンの命名者は、当時、東京市長だった後藤新平です。この人、色んなところで登場しますね。本社が、今でも、私も土地勘がある西東京市田無町にあるというのがいいですねえ。

銀座SIX「アーノルド&サン」1764年創業

 このシチズンの隣りにあるのが「アーノルド&サン 1764」です。恐らく、シチズンと販売契約を提携していると思われます。英国の時計職人ジョン・アーノルド(1736~99年)に敬意を表して、その名前を冠していますが、スイスの時計店です。1764年とは、アーノルドが国王ジョージ三世に小さな2度打ち時計を塔載した指輪を献上した年なんだそうです。

銀座6丁目「IWCシャフハウゼン」1868年

 私の得意な「みゆき通り」を歩いても、何軒か、高級腕時計店を見かけます。

 上の写真の 「IWCシャフハウゼン」 は、確か、以前はここに風月堂の喫茶店があったと思います。風月堂ビルのままですし、よく、取材でも使ったので間違いありません。

 今や、スイスの高級腕時計店にリースしているということなのでしょう。IWCとは「インターナショナル・ウォッチ・カンパニー」とのこと。スイスでもドイツ語圏のシャフハウゼンが本拠地に1868年創業。パイロット・ウオッチが世界的にも有名で売れ筋のようです。安くても50万円ちょっとなので、あたしには関係ないですが。

銀座5丁目 ブランド時計販売店「エバンス」1987年創業

 みゆき通り、銀座5丁目でよく見かける「エバンス」はブランド名かと思ったら、販売店の名前のようでした。ロレックスやウブロなど高級腕時計を扱っているので、勿論、お店の中には入りずらいのです(笑)。

銀座5丁目 総代理店「シェルマン」フィリップ・デュフォー、ハブリング・ツー、クドケなど個性豊かなと時計を販売

 この 「シェルマン」 も時計のブランド名かと思っていたら、高級腕時計の総代理店名でした。(水曜日は休みのようでした)

 この店の前は、通勤でしょっちゅう通るので、馴染みになっていますが、店に入ったことはありません(笑)。日本ではあまり知られていない 「フィリップ・デュフォー」「ハブリング・ツー」「クドケ」など個性豊かなスイスの高級腕時計を販売しているようです。

銀座5丁目「センチュリー」1966年創業

 本日最後は「センチュリー」です。 1966年に創業されたサファイアを使った高級時計ブランドですが、恐らく、日本人でも知る人ぞ知るブランドだと思います。(この店も水曜日は休みでした。契約が水で流れると禁忌している日本の不動産屋さんが、水曜日を定休日にするみたいですね)

 このビルが建つ前の、取り壊された古いビルから知っていましたが、銀座にこんな立派なビルを建ててしまうことができる高級腕時計会社というものは、「儲け率」が高いのではないかと下衆の勘繰りをしてしまいました。

 「だから、何なのだ」と言われそうですが、スイスの時計というのは、草創期の17~18世紀では、今で言う超ハイテク機器だったことでしょう。世界中の王侯貴族が買い求めたと言われ、それは今でもあまり変わりありませんね。

 あの自由思想主義者のジャン・ジャック・ルソーはスイスの仏語圏のジュネーブ生まれで、ルソーの父イザークを始め、ルソー家は代々、時計職人だったことは有名です。ルソー家は、いわばエリートだったのです。

「銀座で最も評価が高い」とネットで評判のとんかつ屋さん(あえて名前は秘す)。目立たない地下にあり、やっと探し当てて、少し並んで、ロースかつランチ定食(1200円)を食しましたが、ちょっと脂身が多くて、小生の口にはちょっと…。大いに期待していたので、ネットの評判も当てにならないなあ(笑)

 このルソーの話もまた、「それがどうした」と言われそうですね。

 「いいじゃないか。だって、ブログだもん」と言い返すしかありません(笑)。

(本当は、「ベル&ロス」という1992年、パリで、カルロス・A・ロシロとブルーノ・ベラミッシュにより共同創業された異様に格好良い高級腕時計(銀座4丁目に今年5月に旗艦店がオープン)を御紹介しようと思って、今日行ってみたら、お店は改装中でした。残念)

「明治十四年の政変」がなければ海城はなかった?

  「明治十四年の政変」と呼ばれる事件は、教科書ではサラッと触れられる程度で、ほとんんどの人が歯牙にもかけません。しかしながら、実は、後世に多大な影響を与えた日本の歴史上、重要なターニングポイントになった政変でした。議会開設と憲法制定のきっかけにはなりましたが、最大のポイントは、明治維新の功労藩と呼ばれた薩長土肥の四藩のうち、この政変によって、肥前が追放され、その前に土佐が脱落し、薩長二藩の独裁体制に移行したことでした。

 結果的に、この政変で中央政府から弾き飛ばされた肥前(大隈重信)と、明治六年の政変で政権から脱落した土佐(板垣退助)は自由民権運動に走り、それぞれ立憲改進党や自由党などを創設します。こんなに歴史上重要な政変だったのにも関わらず、あまり人口に膾炙しなかった理由は、この事変があまりにも複雑怪奇で、憶測の域を出ないことが多く、先行研究が少なかったからということに尽きるかもしれません。

銀座アンテナショップ「まるごと高知」

 恐らく、現在手に入る一般向けの研究書で最新資料が盛り込まれ、最も充実した関連書は、久保田哲(1982~)武蔵野学院大学教授著「明治十四年の政変」(集英社インターナショナル新書、2021年2月10日初版)だと思われますが、この本を読んでも、結局、あまりよく分かりませんでした(笑)。なぜなら、本当に複雑怪奇な政変で、この政変を境に薩長独裁政権ができたわけではなく、政変後でも政府内には大隈に近い副島種臣や佐野常民らが留まったりしていたからです。(「開拓使官有物払い下げ」を沼間守一の「東京横浜毎日新聞」に誰がリークしたのかさえ分かっていません)

 ただ、肥前の大隈重信が参議の職を剥奪されて追放された背景には、議会開設と憲法制定問題があり、大隈が進めたかった英国型議員内閣制と長州の伊藤博文ら(フィクサーは肥後の井上毅)が推し進めようとしたプロシア(ドイツ)型立憲君主制が対立していたこと。同時に、薩摩の黒田清隆(バックに政商の五代友厚がいた)が関わっていた北海道の開拓使官有物払い下げ事件があったという構図だけは理解できました。

 また、政変の主役の一人である大隈重信の背後では、「福沢諭吉と三菱が裏で糸を引いて操っている」といった噂が宮中・元老院グループや中央政府の薩長出身者の間で、真面目に信じられていたことをこの本で知りました。後に早稲田大学と慶應義塾の創立者としても知られる大隈と福沢は肝胆相照らすところがあり、 英国型議員内閣制を日本に導入する考えで一致し、日本で初めて外国為替業務が出来る横浜正金銀行(戦後、東京銀行、現在、三菱UFJ銀行)が設立されたのは、この2人の尽力によるものだったこともこの本で初めて知りました。(政変の「敗者」となった福沢諭吉は、その翌年、「時事新報」を創刊します)

「まるごと高知」カツオのたたき定食1500円

 私自身が、明治十四年の政変の重要さを認識したのは、4年ほど前の高校の同窓会で、恩師の目良先生から御教授を受けたからでした。我々の高校の創立者は、古賀喜三郎(評論家江藤淳の曽祖父)という肥前佐賀藩出身の海軍少佐でした。この明治十四年の政変をきっかけに、政官界だけでなく、軍人の世界でも肥前出身者はパージされ、陸軍は長州、海軍は薩摩出身者が優遇されるようになります。古賀喜三郎少佐も、限界を感じて、海軍を去り、教育界に身を投じて、明治24年に海軍予備校(海城高校の前身)を創立します。ということは、明治十四年の政変がなければ、古賀喜三郎はそのまま海軍軍人として生涯を終えていたかもしれません。

 そんなわけで、私はこの政変には人一倍興味を持ち、先ほどご紹介した 久保田哲著「明治十四年の政変」を読んだわけです。 久保田教授は学者さんにしては(失礼)、文章が非常に上手く、名文家で、大変読みやすい。あれだけ複雑怪奇な政変をよくここまでまとめ上げたものだと感心しました。「維新三傑」と呼ばれた木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通がそれぞれ、病死、戦死(自決)、暗殺という形で亡くなり、混沌とした中で、政変は、権力争いで勃発した内紛と言えるかもしれません。

◇井上毅は日本のキーパースン?

 この内紛で勝利を収めた伊藤博文のバックには肥後の井上毅が暗躍していたこともこの本では描かれていました。司法官僚の井上毅は、法制局長官などを歴任し、明治憲法を始め、軍人勅諭、教育勅語、皇室典範などを起草した人として知られています。結局、明治という国家、と言いますか、日本の国のかたちをつくったのは、この井上毅ではないかと、私なんかは一人で思い当たってしまいました。官僚として優秀ながら、「反・福沢諭吉」の闘士として、最高権力者である岩倉具視や伊藤博文らに取り入り、かなり政治力を使って暗躍したようです。暗躍といっても常套手段であり、悪いイメージを帳消しにするほどの功績があるので大したものです。

 井上毅こそ日本史上で欠かせない、とてつもない人物だという認識を私は新たにしました。

【追記】

 ・伊藤博文は1885年の内閣制度創設により、初代首相に就任しますが、大日本帝国憲法には首相について、特に規定はなく、行政権も国務大臣の輔弼によって天皇が行使するのが原則でした。ということで、首相とはいっても、他の国務大臣と同格の「同輩中の首席」に過ぎなかった。

 戦後、日本国憲法は、首相を国会議員の中から国会の議決で指名する議員内閣制を採用し、首相に国務大臣の任免権を付与したため、「最高権力者」となった。

 ・大隈と福沢が設立した横浜正金銀行の本店ビル(現神奈川県立歴史博物館、重文)を設計したのは、明治建築界の三大巨匠の一人、幕臣旗本出身の妻木頼黄(よりなか)。他に、東京・日本橋、半田市のカブトビール工場などを設計。三大巨匠の残りの2人は、辰野金吾(唐津藩、「東京駅」「日銀本店」など)と片山東熊(長州藩、「赤坂離宮」など)。

 

 

新企画「築地ランチ」で「わだ家」訪問=「豚丼」の帯広に行きたくなった

 大型企画「明治の銀座『新聞街』めぐり」の5回連載は、流石に疲れました。何が疲れたかといいますと、「眼」ですよ。通勤電車の中で、スマホの小さな画面で一生懸命に校正をしていたりしたので、今でも眼痛が止まりません。しかも、本もパソコンも活字もボケるようになり、こりゃ、やばい。

 最近、老人力もついてきて、先日ZOOMセミナーに参加しましたが、講師の山室信一京大名誉教授の話し方があまりにもの速いので、メモを取るのが追い付かず、深い挫折感を味わわせてもらいました。記憶力も落ちたのでしょう。

 しばらく、ブログは休ませてもらおうかなあ、と思いましたが、本日行った「銀座ランチ」ならぬ「築地ランチ」のことを書きたくなり、短く書かせて頂きます(苦笑)。

 場所は、築地の場外市場の突き当りにある波除(なみよけ)神社の近くです。

 お店の名前は「わだ家」。名前から分かるかもしれませんけど、何と、オーナーは歌手の和田アキ子さんなんだそうです。

 この店を教えてくれたのは会社の同僚のO氏。彼は、メディアやネット情報は信用していませんから、孤独のグルメの井之頭五郎さんのように、自分で足で稼いで偶然見つけた店に入ることが多いといいます。

 「わだ家」が和田アキ子さんの店だということは後で分かったことでした。

 芸能人の店だから、そして、築地という場所柄、「高い」というイメージでしたが、上の写真のランチメニューでお分かりのように、滅法安いのです。

 コーヒー付きでこの値段は、他になかなかありませんよ。ですから、皆様にも御紹介したのです。(宣伝費はもらっていません!=笑)

 小生が選んだのは、「牛焼肉と関西風おうどん」です。お味は、正直、浅草の「今半」には負けるかもしれませんけど、この値段でこれだけ食べられるのですから、最高です。関西風うどんはコシがあって、量もあって、旨い。

 次回は、懐かしい帯広時代を思い出して「豚丼」でも注文しようかなあと思っています。「豚丼」の発祥地は帯広です。もう15年以上昔ですが、帯広時代は、20軒ぐらいは回ったと思います。

 一番のお薦めは、豚丼の発祥店を自任するJR帯広駅前にある「元祖 ぱんちょう」ですかねえ。あれっ?最近、東1条の仮店舗に移転したみたいですね。何と、私の職場があった十勝毎日新聞社の近くじゃありませんか。懐かしいなあ。また、温泉にも恵まれた帯広に行きたくなりましたよ。

「銀座ランチ」企画を始めた理由(わけ)

 このブログで「銀座ランチ」の企画を始めたのには理由があります。

 一つは、もしかして、来月9月いっぱいで、会社では「お疲れさま」と肩を叩かれ、長かったサラリーマン生活に終止符が打たれ、もう、そうしょっちゅう銀座にまで出て来れなくなると思ったからでした。「仕事で銀座に通っている間、これまで行けなかった高級店でも何処でも行ってやれぃ」と思ったのです。それで、「資生堂パーラー」だの「ポール・ボキューズ」だの、ちょっと背伸びして行ったみたわけでした。(まだ、「ロオジエ」と「銀座レカン」と「南蛮 銀圓亭」が残ってるぞ!)

 もう一つは、会社の同僚たちを見ていると、近くのコンビニの菓子パンでお昼を済ませたり、節約のためか、家でお弁当を作って持って来る人が何人もいたからでした。「そんなにケチケチお金を貯めても、あの世に持っていけないのになあ…」と、ムラムラと反発精神が巻き起ってきたのでした(笑)。

 結局、多くの人にとってはどうでも良い話ではありますが、私の「9月いっぱいでサヨナラ」は、直前になって撤回され、首の皮一枚で繋がり、もう少しだけ、会社にいられることになりました。これもこれも、「高年齢者雇用安定法」の改正(令和3年4月1日から施行)のお蔭でした。有難い話です。

 ということで、私も、もうしばらく、銀座回遊を続けられそうです(笑)。

銀座バール・デルソーレ「本日のランチ」(ペペロンチーノ)セット1100円

 本日行った銀座ランチは2丁目にあるイタリアンの「 バール・デルソーレ 」です。実は、先週、1丁目の「銀座の金沢」で石川県の郷土料理を食べようとしたら、緊急事態宣言でお休みで、代わりの店を探していたらなかなか見つからず、結局、以前よく通っていたのこの店に入ったのでした。安くて味が良い店です。

 そしたら、会計を済ませたら、何と、この店でも使える「500円割引」のランチ券をもらってしまったのです。(「1500円割引」のディナー券も)しかし、利用期限が「2021年8月31日」まで。今日か明日に行かなければ行けないので、本日、出掛けたわけです。

銀座バール・デルソーレ「本日のランチ」(ペペロンチーノ)セット1100円

 でも、今日は、仕事でちょっと遅くなり、店に着いたのが13時半頃でした。それでも、意外にも満席で、ギリギリ、最後の1席を確保することができました。「本日のランチ・パスタ」を注文したら、ペペロンチーノでした。日本語で、アサリ入りピリ辛細うどん?と言うんでしょうか。…うーむ、これは旨い。

 銀座にはかなり多くのイタリアンがありますが、中には板(いた)さんが喧嘩して?辞めた店があり、味が変わることがあります。私はすぐ分かっちゃうんですよね(笑)。この店は、以前と変わらない味なので、恐らく、以前からのシェフは変わっていないことでしょう。

銀座バール・デルソーレ「本日のランチ」(ペペロンチーノ)セットのデザートとアイスコーヒー 1100円

 本来なら、ランチセット1100円のところ、割引券があったので、わずか600円で食すことができました。

「大丈夫かなあ?」…

 本当は、コロナ禍の影響で、お店の売り上げも大幅ダウンしているはずなので、申し訳ない気持ちになりました。

 また、行きますから、許してつかあさい。

「しまね館」で「のどぐろ丼」に挑戦しましたが…

 「郷土ランチ」シリーズ第2弾。昨日(金曜日)は、大手出版社の編集者から、島根県観光協会幹部に華麗なる転身を遂げたH氏のことを思い、東京・日比谷にある「しまね館」に行って来ました。ここの「のどぐろ丼」が、どえりゃあ評判、だっちゅうことで、挑戦してみたかったのです。

 「しまね館」の場所は、日比谷シャンテの地下1階にありました。日比谷シャンテには、昔はよく行ったものですが、久しぶりです。確か、10年前には「しまね館」はなかったと思います。

日比谷シャンテB1「しまね館」

 以前にもこのブログに書きましたが、銀座の隣りの、有楽町駅に近い日比谷は、「東宝村」です。東宝系の劇場や映画館が林立しております。勿論、東宝本社もあります。改めて説明するまでもなく、「東宝」とは、東京宝塚の略でしょうね。あの阪急の小林一三翁がつくった宝塚の東京進出版です。ですから、勿論、日比谷には東京宝塚劇場があります。ここは、敗戦後の米軍占領期にGHQによって接収されて「アニー・パイル劇場」と呼ばれました。アニー・パイル(1900~45年)というのは、沖縄で戦死した「ワシントン・デイリー・ニューズ」紙の従軍記者でした。

 さて、猛暑の中、歩いて日比谷に着いて、何か嫌な予感がしました。日比谷シャンテの真向かいには「東京宝塚劇場」があり、真横には「シアタークリエ」があります。そのせいで、平日の昼間だというのに凄い密状態です。人流が半端じゃありません。(この言葉は、今しか通用しない?)しかも、ほとんどが、有閑マダムか独身貴族(いずれも死語か、ポリティカル・コレクトネスに接触しかねない言葉?)の女性たちです!日比谷シャンテのビルに入っても、中は、女性たちでいっぱいです。どんな女性たちかは、ご想像にお任せします。

 そして、地下1階の「しまね館」に着き、お目当ての「のどぐろ丼」を注文しようとカウンターに座ろうとすると、若い女性が「あそこのレジで、会計してください」と、ぶっきらぼうに言うではありませんか。初めて来たので、そんな「作法」分かるわけありませんよ。会計を済ませて、カウンターに戻ると、9席しかないカウンターは、既に満杯に近い状態。やっと、残りの1席に滑り込むことができました。(後で、何人か並んで待ってました)

日比谷「しまね館」のどぐろ丼(しじみ汁)1300円

 のどぐろというのは、アカムツのことで、今や高級魚だそうです。私もこの年で、生まれて初めて食べました。それに、島根県の名産、郷土料理だとは知りませんでした。確かに、クセがなく、美味でした。

 東銀座の歌舞伎座の裏手に、のどぐろ専門店がありますが、ランチは、安くても「のどぐろ御膳」2500円ですから、ここの「のどぐろ丼」1300円は、リーズナブルな価格かもしれません。

 でも、接客の若い女性が、私の両隣の客には、ちょっと変わった味の「冷茶」のお替りを注いでいるのに、私のところは、少なくなっているのに、いつの間にか無視して行ってしまう。食事が終わって出ようとしても、3人ぐらいの接客女性たちは奥にわざと隠れて、うんともすんとも言わない。とっても、感じが悪い接客だったので、帰りに県の物産も何も見ないでそのまま帰ることにしました。(気分が良ければ、変わった味の冷茶を買っていただろうに)

銀座・カフェ「みゆき館」モンブランとアイスコーヒー1265円

 大人げもなく、少しムッとしたので、会社に戻る途中、カフェ「銀座みゆき館」があったので、そこで、モンブランを食べてしまいました。

 アイスコーヒーと一緒に頼んで、帰りに会計したら、1265円。お昼のランチとデザートで合計2565円の散財ですか!ちょっと、無駄遣いしてしまったかなあ、と少しだけ反省しました(笑)。

鳥取県と岡山県との関係は?=「鳥取県産 紅ずわい蟹重」を味わう

I’m stuck.

 ちょっと、行き詰ってしまったので、新企画を考えました。誰も傷つかない、のんべんだらりと、まったりとした企画が良いに決まってます(笑)。

 東京・銀座周辺には、全国道府県が、郷土の名産を集めたアンテナショップを構えているのは皆さん御案内の通りです。そこでは、結構、地元料理を出すショップもあり、2階にレストランなんかがあったりします。そうだ!新企画「郷土料理巡り」はどうだろう? ーなあんだ、結局、「銀座ランチ」と同じじゃないか!(笑)。まあ、台湾、ロシア、タイ、ヴェトナム、インドネシア…と世界各国料理巡りもそろそろ飽きてきたので、愛国心を燃やして、全国各地の郷土料理にチェレンジしてみますか…。

 ということで、早速、昨日は、下調べも何もせずに、銀座1丁目にある「銀座の金沢」に出掛けてみました。そしたら、残念ながら、緊急事態宣言のため、食堂は休業でした。しかし、後で調べてみたら、加賀前田藩の本格的な郷土料理を提供するお店らしく、ランチ会席4200円でした。

 恐らく、銀座周辺で、最も客入りが良いアンテナショップは、有楽町の駅前「交通会館」にある「北海道どさんこプラザ」だと思います。私もよく利用しますが、残念ながら、ここにはレストランがありません。アイスクリームを食べることができるぐらいです。

 銀座5丁目にある「銀座熊本館」には、2階に「ASOBI・Bar」と呼ばれるレストランというより、食堂コーナーのようなeatery があり、いつぞや、そこで「真鯛の漬け丼」(1000円)を食したことがありました。驚くほど風変りではなく、まあ、「こんなものか」といった感じでしたが。

とっとり・おかやま新橋館・ももてなし家「鳥取県産 紅ずわい蟹重」1680円

 本日は、新橋駅銀座口の目の前にある「とっとり・おかやま新橋館」に行って来ました。この2階にあるレストラン「ももてなし家」が提供するランチ 「鳥取県産 紅ずわい蟹重」(1680円 )を是が非でも食してみたかったからでした。値段は二の次です(笑)。

 その前に、鳥取県と岡山県が何で、一緒になってアンテナショップを出しているのか、御存知ですよね? えっ? 知らない? 駄目ですねえ。もう少し、歴史を勉強しなければ…。両県は「親戚」だからです。えっ?これでも分からない?

 話が長くなるので、手短にしますと、江戸時代、鳥取藩も岡山藩も、池田氏が代々藩主を務める従兄弟、縁戚関係だったのです。キーパースンは池田輝政です。あの姫路城(国宝)を改築した初代播磨姫路藩主として知られます。

 輝政は、もともと、父池田恒興以来、織田信長と豊臣秀吉に仕えた重臣でしたが、徳川家康の娘督姫を娶ったり、石田三成と不仲だったりしたこともあり、関ケ原の戦いでは、家康方の東軍に付き、論功行賞で、15万石の三河吉田城から52万石の播磨へ加増転封されます。 

 鳥取藩には、恒興の三男で輝政の弟に当たる長吉が6万石の城主となりますが、その後、鳥取藩主には輝政の孫光政が継ぎます。

 一方、岡山(藩)は、関ケ原の前は、西軍の宇喜多秀家が治めていましたが、敗れたため八丈島に島流し。代わって初代藩主に就いたのが、西軍を裏切って東軍に勝利を齎した小早川秀秋です。しかし、「大谷刑部の祟り」とも言われ、わずか2年で病死。代わって、31.5万石の岡山藩主となったのが池田輝政の二男忠継でした。続いて三男忠雄が就きます。しかし、忠雄亡き後、三代目の家督を継いだ光仲(輝政の孫)は、この時わずか3歳で、山陽の要衝である岡山藩を治めるには荷が重いと幕府は判断し、寛永9年(1632年)、鳥取藩主の光政を岡山藩主とし、幼い光仲を鳥取藩主としたのです。つまり、池田氏同士で国替えをしたわけですが、光仲の子孫は「鳥取池田家」と呼ばれ、明治維新まで鳥取藩主を務め、光政の子孫は「池田家宗家」と呼ばれ、明治まで岡山藩主を務めたわけです。

とっとり・おかやま新橋館・ももてなし家「鳥取県産 紅ずわい蟹重」1680円

 やっぱり、長くなってしまいましたが、これで、鳥取と岡山の関係がお分かりになったと思います。

 ああ、そう言えば、郷土料理の新企画の話でした。

  とっとり・おかやま新橋館の2階「ももてなし家」で食したランチ「鳥取県産 紅ずわい蟹重」は、御飯が少なかった、というのが第一感想です(笑)。知らなかったのですが、ズワイガニは、鳥取県が 全国で一番水揚げ高が多いらしいのですが、旬は、秋から冬にかけてということなので、真夏は、身が小ぶりの感じがしました。

 でも、大変美味しゅう御座いました。

 メニューを見たら、岡山名産の「白桃のパフェ」があり、注文しようとしましたが、値段が 「鳥取県産 紅ずわい蟹重」 と同じ1680円。うーん、さすがに諦めました(笑)。

 1階の売り場には、岡山名産の美味しそうな大振りな葡萄もありましたが、一房5000円也。いつか、迷わずに買えるご身分になりたいものです。

焼肉が食べたくなって…

 コロナの新規感染者が、毎日のように「過去最多」を更新しているというのに、銀座を歩いていると10人に1人ぐらいマスクをしない輩を見かけます。バカップルも含め、老若男女問わずです。「ニュースを見ない人間なのか?」「他人に対する配慮に欠けている自己中か?」「自分だけはワクチン打ったから重症にならないと思っているのか?」「週刊新潮の読み過ぎなのか」…などと一人で色々と考えてしまい、いつの間にか、自分自身が「マスク警察」になっていることに気付きます。

 さて、テレビの「孤独のグルメ」を見ていると、結構の割合で何度も焼肉屋さんが登場します。主人公の井之頭五郎さんは、何でも、金に糸目を付けず、2人前も3人前も平らげてしまいます。ちょっと信じられない食欲だ、と思ってましたが、考えてみれば、漫画のフィクションの話でしたね(笑)。焼肉も、原作者の大好物だから、何度も題材として取り上げるのでしょう。

 その焼肉屋さんですが、あまりにも登場するので、機会があればランチで行きたいとずっと思ってましたが、やはり、銀座で食べるとなると高嶺の花子さんです。でも、思い切って、行ってみることにしました。

銀座・焼肉「天壇」歌舞伎役者のサイン色紙がいっぱい

 その焼肉店は、晴海通りを挟んで、歌舞伎座の向かいにある高層ビルの10階にある「天壇」という店です。店に入ると、入り口近くにずらっと有名人のサイン色紙が飾られていました。よく見たら、片岡仁左衛門丈を始め、歌舞伎役者がずらり。歌舞伎座が目の前ですからね。よく御利用されているのでしょう。(東銀座は松竹の本社もあり、業界人は「松竹村」と呼んでいます。松竹のライバル東宝の本社は、日比谷にあるので、日比谷が「東宝村」です。)

 緊急事態宣言下でどこの飲食店も客足が落ちていることでしょうが、人気・名店となると、それほど影響を受けない感じです。この店は、結構、お客さんが入っていて、入口でちょっと待たされました。

銀座・焼肉「天壇」天壇ロースランチ1650円

この店の正式名称は「焼肉の名門 天壇銀座本店 since 1965」でした。自ら「名門」と付けるぐらいですから、よっぽど自信があるんでしょうね。1965年に創業した本社といいますか、本店は京都の祇園にあり、出汁のようなタレで食すのがこの焼き肉店の特長だそうです。

 事前に下調べしてきたので、最初から注文するランチは決まっていました。 天壇ロースランチ(1650円)です。

 上の写真のように、ロース2枚が付いており、これにご飯、スープ、サラダ、小鉢、デザート、コーヒーが付いておりました。

銀座・焼肉「天壇」ロースランチのコーヒーとデザート

 お肉は柔らかく、上品な味で、韓国料理というより、もう和食でしたね。

 井之頭五郎さんのように、お肉は2人前、3人前食べたかったでしたが、遠慮して、その代わり、白御飯をおかわりさせてもらいました(笑)。

 周囲を見渡す必要はないのですが、やはり、独りで来ている若い男性も、美男美女の若いカップルも、富裕層というか、高価なネックレスや高級腕時計をはめ、お金には不自由しない雰囲気を皆、プンプンと醸し出しておりました。

 その時、どういうわけか、昔、池田勇人総理大臣が、「貧乏人は麦を喰え」と発言したことを思い出しました。(事実は、蔵相時代の池田さんが、米価が高騰していた1950年12月の参議院予算委員会で「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿った方へ持っていきたい」と答弁したため、これが「貧乏人は麦を食え」と伝わり、国民の顰蹙を買った。)

 この伝でいきますと、「金持ちは焼肉を喰え」てなことになるのかなあ、と思いながら、舌鼓を打っておりました。

緊急事態宣言・疫病下の東京五輪狂詩曲

 宰相のガースーさんは「もう民百姓の面倒は見きれん」と、ついに匙を投げてしまいました。「もうどこの病院も患者でいっぱいじゃ。疫病に罹ったら中等症でも長屋で黙って寝ていろ!」と御前会議での勅許を得ることなく、記者会見も開かず勝手に通達してしまったのです。

 これに怒った水戸浪士たちは桜田門外で、ガースーを待ち伏せておりましたが、ガースー宰相は、予定を変更して、東京・虎ノ門のホテル「The Okura Tokyo」内のレストラン「オーキッド」で秘書官と朝食を楽しんでおりましたので、難を逃れました。

 巷では、東海道五十三次飛脚大合戦と浜名湖古式遠泳競技大会の真っ最中で、これに参加した邦人と異人との間で疫病蔓延が拡大しているのではないかというのが、適塾の緒方洪庵先生の見立てです。

築地・手打そば「つきじ文化人」フランス語講師のベルギー人ローランさんが板前さんやってました

 感染拡大を怖れた庶民があれだけ大会開催に反対したというのに、国際遊戯委員会のヨハン・セバスチャン・バッハ男爵と、米南北戦争の北軍の英雄で、電気紙芝居会社を起業したエヌ・ビーシー会長らの策略で開催は強行されました。全ては天保通宝の威力の賜物でした。お主も悪やのお~、あれです。

まさに、飛脚合戦と遠泳大会は、国際政治の策謀と渦に巻き込まれました。旧おろしや帝国の流れを汲むベラルーシ国の最高責任者ルカシエンコさんという大統領(66)は、「欧州最後の独裁者」と言われ、「大会でメダルを獲らずに帰国したら、牢屋に入れちゃうからねえ」と派遣選手団を脅迫したらしく、女子飛脚大会で予選敗退したツイマノウスカヤ選手は母国帰国を拒否して、ピアノの詩人ショパンを生んだポーランドに政治亡命することになりました。3年後の巴里大会には、 ツイマノウスカヤさんは、ポーランド選手として参加するかもしれませんが、彼女のご両親やご家族はどうなってしまうのか心配です。

それにしても解せないのは、ドーピング違反で出場停止処分を受けたおろしあ国が、国としてではなく、おろしあ遊戯委員会(ROC)だったらいいよぉーと、個人参加が許されたり、香港が優勝しても、他の国の異次元の国歌が会場で流れたりしたことです。誰も「おかしい」と声を大にして叫ばないんですからね。不思議です。

築地・手打そば「つきじ文化人」淡雪せいろ1080円

 そもそも、熱中症が危険視される猛暑のニッポンの夏に大会を開催すること自体が間違いの元です。NBA、大リーグ、アメフト、サッカーとドル箱の競技が目白押しの秋のシーズン開催を避けたいという電気紙芝居エヌ・ビーシー会長の思惑と策略によるものです。

 蝦夷地も、このところ、日中は35度に迫る猛暑で、せっかく江戸開催のマラソンと競歩を蝦夷地への移転開催を決めたというのに、これでは、効果ないかもしれませんね。蝦夷地で選手がバタバタ倒れないことを祈るばかりです。

 あらあら、もっと明るい前向きな話をしたいのに…、うーん、ちょっと無理ですかねえ。

タイ料理を食して昔のタイ旅行を思い出す

 昨日は、東京・銀座のベトナム料理専門店「ニャー」に初めて行った話を書きましたが、そのお店の近くにタイ料理専門店があるのを偶然見つけました。

 「よし、いつか、行ってみよう」と思っていたら、今朝の校正原稿の料理記事の中に「ナンプラー」が出てきました。ナンプラーはタイ料理に欠かせない「魚醬」です。え?また、タイ料理?昨日今日の話ですから、これは「神の啓示」ということで、本日、その店に早速行ってみました。

銀座7丁目「バンコクナイト」

 7丁目にある「バンコクナイト」という店です。人気店なのか、緊急事態宣言下なのに結構満員でした。50人以上は入れる結構大きな店です。意外にも、お客さんは、若い綺麗な女性が多いのです。しかも、給仕してくれるお店の女性も、マスクで目しか見えませんが、結構瞳が大きく、かなりの美人さん。真っ直ぐ伸びた綺麗な黒髪で、日本人かと思ったら、「タイ人なんでっすぅ~」。

 こりゃあ、鼻の下が長いおっさんがリピーターになるはずです。この日は、残念ながら、私の隣に座ったお客さんは、30代後半か40代前半の男の野郎さん3人組のビジネスマン風で、「タイの駐在の日本人は10万人もいるんだよ」と、何となく3人の中の1人は、タイ駐在歴があるような感じでした。

銀座7丁目「バンコクナイト」ランチ「ガパオ バイトン」(鶏肉のバジル炒め)1070円

 私が注文したのは、 ランチ「ガパオ バイトン」(1070円) でした。日本語では「鶏肉のバジル炒め」となっていました。ドリンクバーが付くのでリーズナブルな価格だと思います。

  「ガパオ バイトン」 の中に、料理記事に出て来た「ナンプラー」が入っていたのかどうか…、恐らく入っていたんでしょうね(笑)。東南アジア料理特有のスパイスが効いていて、自然と額から汗が出てきました。まあ、食欲が落ちる猛暑の夏にはピッタリでしょう。

 あれっ?結局、本日も「銀座ランチ」の話になってしまいましたね。

 それが何か?

 タイには、大昔、まだ私が20代だった頃、会社の同期のM君に誘われて夏休みに一度行ったことがあります。何処かのツアーに潜り込んだのですが、1週間ぐらいの日程で、11万円だったという金額だけはどういうわけか覚えています。バンコクを中心に寺院巡りをしたり、リゾート地、プーケット島では、スカイダイビングをしたり、モーター艇に乗ったり、かなり愉しみました。勿論、その時、生まれて初めてタイ料理を体験しました。

 このタイ旅行では、若気の至りの武勇伝もありますが、さすがに茲では書けませんね(笑)。

 お後がよろしいようで。

ベトナム料理を食べながら1泊300万円には憤慨

 猛暑の中、米国のテレビ放送権のために東京ではオリンピックをやっているようですが、それより、私自身、さすがに食欲も落ちてきました。

 暑い時には何を食べたらいいのか?

 真っ先に思い浮かぶのは、カレーですが、そうしょっちゅう食べてもいられません。そうだあ!ベトナムにしよう!猛暑のときは、東南アジア料理が一番です。先日、銀座のカレー屋さん「アナム」に行った時に、近くにベトナム料理店を見つけたので、今日はそこに行ってみよう!

 でも、まさか、本日のブログのテーマも「銀座のランチ」じゃないでしょうね? ジャーナリストを自称しているのなら、少しは社会問題、国際問題、経済問題に触れたらどうかね?

 …そんな声が聞こえてきそうですが、皆様のお声はしっかり心の内に受け止めて、誠心誠意、皆様の安心安全を留意しながら遂行していきたいと存じます。

 これでも、結構、ランチを求めて、銀座の隅々を歩いているつもりですが、このベトナム料理店「ニャー」を知ったのは初めてでした。結構、広いお店で、銀座にあるベトナム料理専門店の中でも一、二を争う広さかもしれません。単に私だけが知らなかっただけで、知る人ぞ知る有名店かもしれません。

 まあそうなんでしょう。私が入店したときは、30~40人のお客さんがいたでしょうか。緊急事態宣言下なのに、店内は超満員でした。(12時45分を過ぎると結構空きました)

銀座「ニャーヴェトナム」ランチ「バインミーのハーフセット」ドリンクバー付き1150円

 ベトナムには、ハノイ、ハイフォン、ホーチミン、ビンズオンなど仕事と旅行で何度が行ったことがあるので、私はベトナム料理は大好きです。早速、フランスパンのサンドイッチ=バインミーとシーフード・フォーのセットのランチを注文しました。

 あれだけ食欲が減退していたのに、食が進みました。懐かしいベトナムの味です。バインミーには私の嫌いなパクチーが入っていましたが、これぞ、ベトナムといった感じでした。

 ベトナムの思い出と言えば、私の世代は悲惨なベトナム戦争のイメージが強いのですが、6~7年前に初めてベトナムに行った時は、戦争の惨禍は、ホーチミンの「戦争証跡博物館」に行かなければ分からず、街中は、非常に綺麗で清潔感があり、非常に驚いたものでした。(ただし、街中はバイクだらけで、通りを渡るのも一苦労でした)当時、ベトナム人の平均年齢は27歳だとかで、若い人でいっぱいでした。でも、逆に言えば、年配者は戦争で亡くなっていたということなのでしょう。また、旧宗主国だったフランス語が全く通じなかったことも少し驚きでした。

 で、これで話が終わってしまっては、「なあんだ、また、銀座ランチの話かあ」なぞと、何や、かんや言われそうなので、追加を書いておくことに致します。

銀座「ニャーヴェトナム」

 今朝の毎日新聞を読んでいたら、国際オリンピック委員会(IOC)会長のバッハさんは、目下、1泊300万円の東京・ホテルオークラのスイートルームにお泊りになっていることを知りました。1泊250万円に値引きしたという説もありますが、割引は、滞在が1週間や10日ではなく、まあ1カ月ぐらいにはなるからでしょう。30日で7500万~9000万円ですか。…まさに、王侯貴族並みですね。失礼、彼は既に「ぼったくり男爵」として有名な「貴族」でした。

 私は「東京五輪強行開催のせいで」と言いたいのですが、コロナウイルスの急激な感染拡大が止まりません。7月31日は、東京で、ついに4000人超えの4058人が感染者を出しました。もう皆さんお忘れでしょうけど、東京五輪開催が1年延期された昨年3月24日の時点で、東京都の新たな感染者数はわずか17人でした。

 あんとき17人で大騒ぎしていたというのに、4000人超えても冷静な東京人は、もう感覚が麻痺しているというほかないでしょう。

 私は東京五輪開催前から感染拡大の恐れがあることをこのブログに書いてきましたが、何を書いてももう無駄な気がしてきました。そのうち、変異した「東京株」が世界中に蔓延したとしても、1泊300万円のスイートルームに泊まっているIOC貴族は絶対に責任取らないでしょうからね。

 それにしても、1泊300万円なんて、何が御用意されているのか想像もつきません。ワインセラーには1本200万円のロマネコンティが、当然のように「飲み放題」で鎮座しているんじゃないかと想像しますが、庶民の想像の限界はそこまでです。