銀座で安くて美味いとんかつ屋さん

 銀座のど真ん中の交詢社通り。以前は北海道新聞社の東京支社、今はフランスの有名ブランド「ルイヴィトン」になっているビルの近くに空き地ぽいところがあって、通りすがりにこのとんかつ屋さんの看板をよく見ながら、一度も入ったことがありませんでした。

 今、銀座近辺でとんかつを食すとなると1300円~3000円が相場です。1000円は大丈夫かなあ?ーと敬遠しておりました。そしたら、この店「不二」は、とんかつ屋の老舗「銀座梅林」と同じく昭和2年創業だというので吃驚、あらあら、知らなかった。これならいつか行かなきゃならん、ということで本日、行ってみました。

銀座・「とんかつ不二」ヒレ定食1000円

 本当にロース定食もヒレ定食も1000円でした。実に良心的な値段です。しかも、味も良い。でも、1000円で吃驚しては駄目でした。何と、午後1時過ぎに入ると、ミックス定食が600円で食べられるというのです。ただし限定15食。

 もう一つ。メニューを見ると、午前11時半からは、これまた限定15食ながら、魚フライ定食が600円で食べられるというのです。

 こりゃあ、凄い。いつか、挑戦してみますかぁ。。。

 今はコロナ禍ですから、カウンター席に5人ぐらいとテーブル席二つの狭いお店なので、並ぶかもしれません。

銀座・ロシア料理「マトリ・キッチン」

 銀座の老舗とんかつ屋さん「梅林」は、ここ1~2年、ビルの建て替え工事で、他のところで営業しておりましたが、最近、かつての地に新ビルが完成して新規開店したようです(7月1日のようでした)。

 でも、以前、このビルの2階にあった「渋谷画廊」はもう入居していませんでした。亡くなった片岡みい子画伯がよくお仲間と一緒に個展を開き、私も顔を出しては、この梅林の名物のヒレカツサンドを頂いたものでした。

 事情通によると、とんかつ梅林のオーナーが渋谷さんというお名前で、自分の画廊をオープンしておりましたが、ビルを建て替えることを契機に撤退されたというのです。とんかつ梅林は、シンガポールやハワイなど海外にもチェーン展開して成功しているらしく、本業に専念といったところでしょうか。

 ということで、渋谷画廊の責任者だったIさんとはしばらくお会いしておりませんでしたが、お仕事の方はどうされてしまったのか気になっていました。でも、またまた事情通によると、彼女は、他の銀座の画廊のお手伝いをしたりして、細々ながら、お元気で活躍されているということでしたので一安心しました。

談志が愛した銀座の中華料理店

 落語家の立川談志(1936~2011年)が亡くなって、今年でもう10年になるんですね(行年75歳。命日は11月21日)。時間の流れの速さには卒倒しそうです。

 その談志師匠が贔屓にしていた中華料理店が銀座にあるというので、ランチに行って参りました。北京料理「東生園」という店です。場所は、泰明小学校の近くで、ちょくちょく行っていた蕎麦屋「泰明庵」の斜め向かいといったところにありました。

 灯台下暗し、です。

 やっぱり、グルメは脳で食べるものなんですね。旨い、不味いは関係ない(笑)。誰それ有名人が贔屓にした店とか、ミシュランで三ッ星を取ったから、といった「情報」でヒトは、食欲を満たす動物なんですよ。

 私もそんな動物の一人ですから、秘密に仕入れた情報だけを頼りに行ってみました。

東京・銀座・北京料理「東生園」五目チャーハン・ランチ900円

 注文したのは、五目チャーハン。談志師匠がこよなく愛した五目チャーハンは1300円ですが、私が注文した五目チャーハンは、ランチでしたので900円でした。

 うわっ! うまっ!

 北京料理の看板を掲げていますが、とても上品な味でした。今まで食べた五目チャーハンの中でもベスト3には入ります。加えて、給仕してくれるお店の女性も感じが良い。900円ランチは、酢豚から中華風カレーライスまで9種類ありましたから、これから全部制覇しようかしら(笑)。

 談志師匠のグルメぶりには見直しました。

東京・銀座・北京料理「東生園」

 立川談志と言えば、一時閉園の危機から一気に全国的な人気動物園に再建した北海道の旭川動物園の元園長小菅正夫さんのことを思い出します。今から15年以上昔に帯広に赴任していた時に、講演会の講師にお招きしたことがあるのですが、小菅さんは談志の大ファンで、控室で初対面でお会いした時、最初から最後まで談志の凄さを熱っぽく語っていました。北海道で落語会があれば必ず行くと話していました。

 そう言えば、私自身は、彼のこと、テレビやラジオで接しても、寄席で生で一度も見たことありませんでしたね。亡くなった時に、翌日の某スポーツ紙が「談志がシンダ」と回文のような上手い見出しを付けていたのが今でも忘れませんが、「嗚呼、一度くらい見ておけばよかった」と後悔したものです。

◇一期一会の立川談志

 でも、立川談志師匠には一度だけ取材したことがあります。1998年頃だったか、東京・赤坂にある有名な前田病院に検査か入院かで行くという報せがあって、各社の芸能記者が取材に走ったのです。その前年にがんの手術をしたりして、一時「談志死亡説」まで流れていたからでした(その後治癒)。

 報道陣に囲まれた談志師匠は当時62歳。少しやつれて痩せた感じでしたが、口調ははっきりしていて、「皆さん、こんなに集まってくださって、どうもすいませんねえ」とあまりにも低姿勢だったので吃驚。談志と言えば、べらんめえ調で、人をどやしつけるタイプだと思っていたので拍子抜けしてしまったことを覚えています。勿論、その時は、高座に上がった立川談志ではなく、本名の松岡克由という素顔を晒していただけなのかもしれません。

スマホ中毒者の独り言=アンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」を読んで

 我ながら、自分自身がスマホ中毒だということは自覚しております。中毒というより、スマホ依存症かもしれません。

 まあ、どちらでも同じことですか…(笑)。

 さすがに、他人様に迷惑となる「歩きスマホ」は絶対しませんが、スクランブル交差点での長い信号待ちでは、イライラしてスマホを取り出して、メールをチェックしたり、酷い時にはこの渓流斎ブログを書いていたりしておりました。

 しかし、もうそれは過去のことにしよう、と思っています。

 今、大ベストセラーになっているアンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳「スマホ脳」(新潮新書)を読むと、「そんなことしてられない」と冷や水を浴びせられます。(我々は1日に2600回以上スマホを触り、平均して10分に1度スマホを手に取っているとか!)本来なら、ベストセラー本は、このブログではなるべく取り上げない方針でしたが、(だって、私が紹介しなくても、売れてるんだもん)この本は、意外に面白いというか、もっと言えば、世界的ベストセラーになるだけあって、とても素晴らしい本だということを発見し、書かずにはいられなくなったのです。

 この本は、技術書でも手引書でもなく、1974年、スウェーデン生まれの精神科医から見たヒトの志向、性癖、思考の分析本でした。脳科学、人類学、進化論の書と言ってもいいかもしれません。でも、専門書のような堅苦しさはなく、訳文が良いのか大変読みやすいのです。

銀座・ロシア料理「マトリ・キッチン」日替わりランチ、サラダ、デザート付 1100円

 デジタル・デバイスに関して、人類で最も精通していると思われるアップル共同創業者のスティーブ・ジョブズは、自分の10代の子どもに対しては、iPadの使用時間を制限し、マイクロソフト共同創業者のビル・ゲイツは、子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったといいます。これらの機器が若年層に与える弊害を知り尽くしていたからなのでしょう。

 面白いのは、ジャスティン・ローゼンスタインという30歳代の米国人です。彼は自分のフェイスブックの利用時間を制限することを決め、スナップチャットはきっぱりやめたといいます。依存症の面ではヘロインに匹敵するという理由からです。このローゼンスタインさん、単なる米国の青年とはわけが違う。何と、フェイスブックの「いいね」機能を開発した人だというのです。彼は、後にインタビューで「思ってもみないような悪影響があることは、後になって分かった」と語っているぐらいですから、デジタル機器の恐ろしさを人一倍、身に染みて痛感したことでしょう。

 ヒトは、どうしてスマホ中毒になるのかー?

 端的に言うと、脳内にドーパミンと呼ばれる報酬物質の量が増えて、やめられなくなってしまうからです。人類誕生以来、ヒトは過酷な環境の下で生き延びるために進化してきましたが、このドーパミンによる作用によることが大きいのです。生き延びるために食欲を満たすことによって、エンドルフィンと呼ばれる快楽物資が発散され、自分の子孫を残す生殖行為でもエンドルフィンが促されるといった具合です。

 生き延びるために、ライオンや虎などの捕食者に出会わないようにしたり、蛇や毒グモから避けたりしなければならず、そういった探索能力や、何処に行けば果実が成っているのか、何処に行けばマンモスがいるのかといった情報収集能力を発揮するには、このヒトに行動の動機付けを与えるドーパミンの助けが必要とされるといいます。

 ということは、スマホで情報を探索し、ニュースに接しているときに発出するドーパミンと、他人からの「いいね」といった承諾を得ることで出るエンドルフィンで、際限のない満足と欲求不満の連鎖で、中毒、もしくは依存症に陥ってしまうということなのかもしれません。

 そして、何と言っても、もしかしたら、スマホは、人類誕生以来の最も恐ろしい脳破壊兵器なのかもしれません。。。

 そんなカラクリが分かったとしても、ヒトはスマホを手放すことができるのでしょうか?ー多分、この「スマホ脳」は大ベストセラーなのに、読んでいないのか、通勤電車内では9割近くの人がスマホの画面に吸い込まれています。

 今から、貴方はフェイスブックやツイッターやLINEを辞められますか? もう禁断の果実を食べてしまったからには、無理かもしれませんね。

 私自身も利用時間を減らすことはできても、きっぱりとやめることはできないと思っています。(とは言いながら、広告宣伝媒体のフェイスブックなんかやめちゃうかも=笑)メールチェックもパソコンで1週間に1回ぐらいだった時代が懐かしい。スマホもパソコンもなかった時代に戻れるものなら戻りたいものです。

ついに夢のポール・ボキューズ亭の門をくぐったお話=銀座ランチ

  週刊ポストによると、今年2月17日から6月4日までにワクチンを接種した約1412万人のうち、196人が死亡したそうですね。厚生労働省は「因果関係がはっきりしない」と火消しに必死ですが、ある程度、都市伝説化して、陰謀論さえ囁かれております。

 でも、こんな報道を目にすれば、誰でも構えてしまいますよね? まして、私は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、明後日にワクチン接種を決断した身です。もしも、のことを考え、思い切って、本日の銀座ランチは、高級フランス料理に決めました。

 なあんだ、肝っ玉がちっちゃいですね(笑)。

「ポール・ボーキューズ」 前菜の前のアミューズブーシュ テリーヌみたいな感じでしたが、抜群の美味さ

 向かったのは、ブラッスリー「ポール・ボキューズ」銀座店です。伝説の料理人(1926~2018年)。ミシュランの三ツ星レストラン。1950年代後半からのヌーヴェル・キュイジーヌ運動の先駆的開拓者…。彼に対する賛辞は耳にたこができるくらい聞かされます。

 しかし、私は、これまで、その「門」には一度もくぐったことがなかったのです。学生時代にフランス語を専攻しながら、ポール・ボキューズ(の味)を知らないとは…。ワクチンで、もしものことがあったら、死んでも死にきれない…。嗚呼、やはり大袈裟でした(笑)。

何と美味しいフランスパン

 「ポール・ボキューズ」店は、ホームページがしっかりしていますから、店に行く前にメニューを調べて最初から注文する品目を決めて出掛けました。ランチコース2750円です。何しろ、昼休みは1時間しかありませんから、ゆっくり時間を掛けて選んでいる暇もありません。

 入店した第一印象は、やはり、正直、お高く留まっている高級店でした(銀座店は、レストランひらまつとのジョイント)。でも、後で、シェフがわざわざテーブル一件、一件を回って、「お味は如何でしたか?」と御挨拶に来るなど、随分と低姿勢でした(笑)。

 本来、「ブラッスリー」を名乗っているのなら、ランチ1200円ぐらいの庶民的なビストロより格上ながら、超高級レストランより格下の居酒屋風のはずです。

 銀座の超高級フレンチといえば、やはり、資生堂にある「ロオジエ」でしょう。ランチでも1万1000円から2万5000円ぐらいのコースが御用意されています。作曲家の三枝成彰氏ご贔屓の馴染みのお店らしいですが、さすがに私クラスではお呼びじゃありませんね(苦笑)。

 ブラッスリーが背伸びして行けるギリギリの料理店です。

【前菜】 サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)

 前菜は、単なる前菜ながら、「サラダ・ニソワーズ ブラッスリーポール・ボキューズ銀座スタイル (パプリカのグレック、ウフミモザ、トマト、ツナ、アンチョビ、オリーブ、いんげん豆)」という長ったらしい名前が付いておりました。

 簡単に言えば、ニース風サラダでしょうね(笑)。「何だ、これは!?」という旨さです。隠し味が二重三重四重に効いています。旨さがトグロを巻いているようです。これまで食したサラダの中でベスト3に確実に入ります。

プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風

 メインディッシュは、魚にしました。

 「プロバンスの香る夏鱈のロティ バジル風味のソースブールブラン アーティチョークのバリグール風」と、これまた長ったらしいお名前です。フランス語のロティは、英語のローストですから、「タラの炙り」といったところでしょうか。

 今まで食べたことがない上品なバジル風味のスープで、病みつきになりそうな味です。昔日、イタリアンが巷で流行っていた頃、有名になったイタリア料理店のシェフOさんは「イタリアンは毎日食べても飽きないから」と発言されておりましたが、ポール・ボキューズなら毎日食べても飽きない!(笑)

 いや、ここで食べてしまっては、もう他では食べられない!

デザートは、ムッシュ ポール・ボキューズ”のクレーム・ブリュレ

 私は探訪記者ですから、お店の客の会話も聞き逃しません。100人か200人は入れそうな食堂でしたが、皆さん、一様にフォーマルなスーツ姿が多く、さすがにジーパンにTシャツにゲタ履き姿の人は見かけませんでした。

 お隣りは30代の若き青年実業家といった風情の恰幅が良いネクタイ姿の男性と、如何にも「やり手」らしい初老の女性。二人の関係は分かりませんが、青年実業家の両親は会社を経営しているらしく、自社株を59%も保有しているとか、ロンドンの高級住宅街セント・ジョンズ・ウッドに何か物件を持っているらしく、「ここはビートルズのアビイ・ロード・スタジオがあり、レコードのジャケットにもなった有名な横断歩道もあるんですよ」と自慢げに話していました。

 嗚呼、ビートルズ・フリークのおじさんも、アビイ・ロードには行ったことがあるので、「そうだよね、そうだよね」と心の中で相槌を打っておりました(笑)。

 やり手の女性は、今日の株が上がっているとか、投資がどうのこうのとか話していたので、コンサルタント関係の人かもしれません。まさか、一人で暇そうな渓流斎が、隣りで話を盗み聞きしているとは思わなかったことでしょう(笑)。

銀座「ポール・ボキューズ」 ホットコーヒー

 まあ、こういう高級店には、こういったお金だけはふんだんに持っているスノッブな連中が来るんだな、ということだけは分かりました。

 でも、ランチコース2750円はそれなりの価格で、年に何回かのハレの日の食事会なら安いぐらいだと思いました。私のような分際でも、「また行ってやろう」と心に誓い、会計の際に会員カードまで作ってしまいました(笑)。

 ところで、最近、御隠れになってしまったのか、例の釈正道老師から全く連絡が来なくなりました。皮肉屋の老師ですから、こんなことを書くと、また「どうせ、接待かタカリで行くんだろ!」と上から目線で断言することでしょう。

 「いえいえ、ちゃんと自腹で行っておりますよ」と再度強調させて頂くことに致します(笑)。

銀座でロシア料理店を発見=3丁目の「マトリ・キッチン」

 東京・銀座でもう一軒、ロシア料理店を偶然見つけました。(1軒は、5丁目メルサにある「ロゴスキー」です)

 上の写真の看板ですから目立たないわけがない(笑)。不二家のペコちゃんより大きく、KFCのカーネル・サンダースさんぐらいの大きさの「おじさんシェフ」がメニューを持って立っていますから、迷うことありません。メニューを見たら、ロシア料理だということが分かりました。

 「よし、今度行ってみよう」。そう決めたのは一昨日の水曜日のこと。そこで、早速、昨日の木曜日にまたその店に行ってみました。「あれっ?」探せど、探せど、あのおじさんシェフが見つかりません。

 「確か、この道だったはずだけどなあ…」。しかし、おじさんはいません。実は、私は大の方向音痴なので、銀座のような碁盤の目に近い道路配置でさえも迷ってしまうのです(笑)。「仕方ない」ということで、昨日のランチは、飛び込みで鮨屋「まる伊」という店に入ることにしました。

銀座「鮨処 まる伊」握り1・5人前1500円

 「まる伊」では握り1・5人前(1500円)を平らげましたが、悔しいので、何度も何度も同じ道を行き来しながら、また例の店を探してみました。

 「なあんだ」。その店は2階にあり、1階の間口はとても狭く、降りたシャッターに張り紙が貼ってありました。「木曜定休日」。勿論、シェフおじさんはそのシャッターの奥に隠れているので、おじさん目当てにお店を探していては、分かるわけありませんでした。

銀座「マトリ・キッチン」ストロガノフ・ランチ1100円のボルシチ

 そして、本日金曜日は開いておりました。その店は、ロシア・欧風料理「マトリ・キッチン」というお店です。後で分かった、というか、会計を済ます時にお店の人が教えてくれたのですが、昨年2020年10月に出来たばかりのお店でした。道理で、「銀座の顔」である私が知らないはずでした(爆笑)。

 ちょうど、コロナ禍での新規開店なので、大変苦労されたことでしょうが、お客さんは中年女性を中心に結構入っておりました。短期間で固定客をつかんだ感じでした。

銀座「マトリ・キッチン」ストロガノフ・ランチ1100円のストロガノフ

 ランチは数種類ありますが、私は「ストロガノフ・ランチ」1100円を注文しました。サラダ、ボルシチ、ストロガノフにデザートまたは飲み物まで付きます。こんな手頃な値段で、味は日本人向けにアレンジしている感じで、美味しくて気に入りました。ロシア人と思われる女性が給仕をしてくれ、小柄なシェフは日本人のようです(お客さんが多いとシェフも給仕してくれます)。隣りの席のおばさん連中の傍若無人なうるさいおしゃべりは気に障りましたが、お店の人の応対が凄く丁寧なので、また気に入りました。月に1~2回は利用しようかと思いました。3ポイントで150円引きのポイントカードも貰ってしまいました(笑)。

 あらあら、本日もまた話題がないので「銀座ランチ」の話になってしまいましたね。

銀座「マトリ・キッチン」ストロガノフ・ランチ1100円のデザート

 これで終わってしまっては、《渓流斎日乗》らしくないので、ロシアのプーチン大統領に一言。

 5月28日に北海道稚内市の沖合でロシアの警備当局によって拿捕(だほ)された日本漁船の乗組員と船体を早く解放してほしい。            ロシア料理を愛する日本人より

「ナイルレストラン」とパール判事

東銀座「ナイルレストラン」 真ん中中央に創業者アヤッパン・M・ナイルの写真が

 ランチは、東銀座の有名なカレー店「ナイルレストラン」に行って来ました。この店は、何度も行ったことがあります。初めて行ったのは、25年ぐらい昔、今や歌舞伎評論の大家になられた毎日新聞の小玉先生に連れて行ってもらった時、と記憶しています。この店は、歌舞伎座の近くにあります。

 本日出かけたのは、例の阿古真理著「日本外食全史」(亜紀書房)の中で、この店の創業者のアヤッパン・M・ナイル(実際は日本人妻の由久子さんが1949年に料理人として開業)が、極東国際軍事裁判(東京裁判)で被告人全員の無罪を主張したインドのパール判事の通訳を務めた人だったことを知ったからでした。

 このことに関しては、印度料理専門店「ナイルレストラン」の公式ホームページにも書かれていました。アヤッパンは、インド南部ケララ州出身のインド独立運動家(戦前、インドは大英帝国の植民地だった)で、京都帝大にも入学したインテリでした。戦後は在日インド人会会長を務めるなど日本とインドの親善に貢献した人でもありました。

 一方、東京裁判でパール判事がA級戦犯の被告人を無罪としたのは、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は戦勝国によって後から作られた「事後法」であり、事後法をもって裁くことは近代の国際法に反するといった理由でした。

  しかしながら、結局、東京裁判(1946年5月3日~48年11月12日)では25人が有罪判決となり、このうち東條英機(64)ら7人が死刑となりました。日本は、この東京裁判の判決を受け入れることによって、やっと占領(1945年9月2日~1952年4月28日の6年7カ月間)から独立することができたので、今さら何をかいわんや、ですが、パール判事の主張は尤もなことだと私も同調します。彼の裁判官としての信念だったことでしょうが、当時としては大変勇気がいることだったと思います。

1949年創業以来味が変わらないという「ムルギーランチ」1500円

 さて、ランチはナイルの名物「ムルギーランチ」を食しました。本当に久しぶりでしたが、「本場の味」は相変わらずでした。スパイスが他店とは違うんでしょうね。

 店は、以前と比べて随分従業員の方が増えたような感じがしました。インドの人と思われる人が多かったでしたが。

 テレビによく出演してすっかり有名人になった二代目のG・M・ナイルさんは、奥にいるのか、お見かけしませんでしたが、三代目の善巳ナイルさんらしき人はいらっしゃったようでした。マスクをしていたので、よく分かりませんでしたが(笑)。

 勿論、お店の若いインド人従業員さんに「ナイルの創業者はパール判事の通訳をしていたんですよね?」と尋ねるわけにはいきません。多分、パール判事のことを知らないかもしれません。まあ、江戸っ子の言葉で言えば、聞くのは「野暮」ってなところでしょうか(笑)。

和食、洋食、中華、何でもござれ=「日本外食全史」(亜紀書房)

 ここ数週間、ずっと阿古真理著「日本外食全史」(亜紀書房、2021年3月22日初版)を読んでいました。3080円と、私にとってはちょっと高めの本でしたが、ちょうど銀座の資生堂パーラーや煉瓦亭など「銀座ランチ」を食べ歩いていたので、参考になるかと思い、思い切って購入したわけです。

 まあ、色んなことが書かれています。「買った者の特権」と誤解されたくはないのですが、ちょっと「ごった煮」状態で、引用が多いカタログ雑誌のような感じでした。見たことも聞いたこともないテレビドラマや漫画やアニメ、映画で使われた「グルメ」を書かれても、あまり漫画やドラマは見ない者にとってはピンと来ませんでしたし、「えっ?」と思うぐらいネット記事からの引用も多く、「今の時代の本って、ブログみたいになってしまったなあ」というのが正直な感想です。勿論、この書物の価値を貶めるつもりは毛頭ありませんし、こんな個人の感想を遥かに越えた労作です。

 戦後の外食ブームは、1970年の大阪万博がきっかけらしいのですが、とにかくよく調べています。和食、中華、洋食、何でもござれ、といった感じです。何しろ、本文、索引を入れて659ページという長尺ですから、ほんの一部、印象に残ったものだけご紹介致します。

 タチアオイ Copyright par Keiryusai

 その一つが「伝説の総料理長サリー・ワイル」です。スイス人のワイルは1927年、関東大震災復興のシンボルとして開業した横浜のホテルニューグランドの外国人シェフとして招聘された調理師でした。20世紀初頭にフランス料理を確立したエスコフィエの正統料理のほか、ドイツの地方料理も得意としたといいます。日本料理界の伝統だった、後輩に教えない悪弊を廃止し、料理人の服装や態度、飲酒、喫煙まで細かく指導して近代的システムを導入したといいます。(この本では、後に帝国ホテル第11代料理長になる村上信夫が、若き修行の皿洗い時代、鍋底に残ったスープやタレの味を隠れて覚えようとすると、先輩から、塩を掛けられたり、洗剤に浸けられてしまう逸話などが出てきます)

 ワイルは多くの弟子を育て、ナポリタンやプリン・アラモードなどを考案したホテルニューグランド二代目料理長入江茂忠、ホテルオークラの総料理長を務めた小野正吉、帝国ホテルの第四代料理長内海藤太郎、アラスカの飯田進三郎、レストランエスコフィエのオーナーシェフ平田醇、レストランピアジェの水口多喜男、東京プリンスホテルの木沢武男、札幌パークホテルの本堂正己、そして1964年東京五輪選手村の総料理長を務めた馬場久らがいます。

 先程の、若い頃に相当苦労して修行を積んだ帝国ホテル料理長の村上信夫は、NHKの「きょうの料理」で有名になった人で、私でもお名前だけは知っていました。1921年生まれの戦争世代ですから、先輩から「お前はどうせ戦争で死ぬんだから秘密は漏れない」と、やっと料理のコツを教えてもらったそうです。1942年に召集されて中国戦線へ。戦後、シベリアに抑留され、帰国できたのが1947年ということですから、恐らく満洲だったのでしょう。前線で4回も負傷し、体に残った銃弾と地雷の破片を取り出したのは1988年のことだったとは驚きでした。

◇巨人・辻静雄

 もう一人、この本で章立てて紹介されているのが、辻調理師専門学校を創立した辻静雄です。著者は「日本の特にフランス料理現代史を考える上で彼の存在は大きい」巨人と紹介しています。もともと大阪読売新聞の記者でしたが、結婚した辻勝子の父辻徳光が経営していた人気料理学校の後継ぎとして見込まれ、新聞社を退職します。早稲田大学で仏文学を専攻したので、仏語文献の翻訳を手掛け、フランスに料理修行にも行った関係でポール・ボキューズらと知り合い、1950年代末のヌーベル・キュイジーヌの勃興に立ち合うことになります。逸話に事欠かない人でしたが、1993年に60歳の若さで亡くなっています。

 でも、特に平成以降になると「辻調理師専門学校卒」の有名料理人が続出します。ミシュラン三ツ星を取った大阪HAJIMEのオーナーシェフ米田肇、「里山料理」で世界的評価も高いNARISAWAの成澤由浩、大阪の名店で「きょうの料理」でおなじみのポンテ・ベッキオの山根大助、志摩観光ホテル総料理長の樋口宏江らです。

 あ、料理そのものの話から外れて、人物論の話になってしまいましたね(笑)。勿論、北大路魯山人も登場しますが、彼はあまりにも有名なので省略します。

Copyright par Keiryusai

 私自身は、この本に出てくる高級料理よりも、ラーメン、カレー、餃子といった大衆料理の歴史の方が興味があり、面白かったです。例えば、東京・蒲田の有名な羽根つきギョウザを作り出した(1983年)のは「你好(ニーハオ)」の八木功(1934~)で、この方は旧満州旅順生まれの日本人で、苦労して引き揚げてきた中国残留者だったんですね。この人の波乱万丈の生涯は一冊の本になりそうです。(失礼!実際に本が出版されていました)

 もうキリがないので、この辺でやめておきますが、166ページの「佐多啓二」(佐田啓二のこと?)と212ページの「JR埼京線の赤羽」(間違いではないのですが、赤羽は他に高崎線や宇都宮線なども通り、一つだけ線路を書くとしたら「JR京浜東北線の赤羽」というのが関東育ちにはしっくりいく)はちょっと気になりました。あと、中華料理の歴史で、長崎、神戸、横浜の中華街の話は出てきますが、周恩来ら中国からの留学生目当てに中華料理店街になった神田神保町のことももう少し詳しく触れてほしかった。もう一つ、ファミレスの「すかいらーく」の名前は、1962年に横川兄弟が東京・保谷町のひばりが丘団地前に開いた乾物屋「ことぶき食品」が原点なので、その場所のひばり(スカイラーク)から取ったものだと聞いたことがあります。それも触れてほしかった。私が不良の中学生だった頃、よく、ひばりが丘をフラフラしていたので、個人的な理由です(笑)。

 何か、自分が「あら捜し」の小舅になったような気がしましたが、この本が「永久保存版」になってほしいので、敢えて書きました。よくぞ茲まで書いてくださいました。

(一部敬称略)

ワクチンで85人が死亡?=何を信じていいのやら…

Mt Fuji Copyright par Duc de Matsuoqua

 不可解なる孝之進の変節の背後に毬ありき。友情より毬を取りし孝之進の行為は人倫に悖り両者諸共別次に堕ちなんと覚ゆ。今生どころか来世でもゆめ相まみえまじ。

Copyright par keiryusai

 相変わらず、毎日、ワクチン報道のオンパレードです。東京と大阪で大規模接種会場が特設されて、テレビや新聞は「やっと打てて、これで一安心です」といった声ばかり拾ってます。まるで、「バスに乗り遅れるな!」といった感じで煽っています。でも、本当に安心なのでしょうかー?

 というのも、「医療従事者」ということで私の娘が一昨日ワクチン接種したところ、発熱し、自宅の階段も昇れないほどフラフラで、昨日は仕事を休んだという話を聞いたからです。

 そこで、本日発売の「週刊現代」の「日本人ワクチン死85人『自分は打たない』と決めた医師たちの意見」という記事を読んでみました。いきなり、鹿児島県のひらやまのクリニックの森田洋之院長が「私はワクチンを打たない」と宣言しています。

  厚生労働省は26日に開いた専門家部会で、3月の接種開始から5月21日までの約3カ月間で、ファイザーのワクチンの接種を受けた601万6200人余のうち25歳から102歳の男女85人の死亡を確認したことが報告されたというのです。ただし、政府は、ワクチンと死亡との因果関係が認めていません。

 週刊現代では、69歳の妻を亡くした夫が「基礎疾患もなくあんな元気だったのに…。死因はワクチン以外考えられない」と悲痛なコメントを寄せています。

躑躅 Copyright par keiryusai

 同誌によると、インフルエンザワクチンによる一般人の死亡例は100万回に0.08人ですが、新型コロナワクチンの場合は、100万回に9.9人(5月21日時点)もいるというのです。

 「接種後に亡くなった人を解剖していない。だから、因果関係が分からない」と言う医師もいるので、上に挙げた数字の信憑性まで分かりません。が、普通、ワクチン開発には10年、20年単位の治験が必要だという話を聞いたことがあります。今回のコロナはわずか1年です。やはり「大丈夫なのかなあ」という疑念は払しょくできません。

 かなりの接種が進んでいる米国や欧州での死亡例がほとんど報道されていないことも疑念に拍車が掛かります。米国では「ワクチン接種した人に100万ドル(1億1000万円)が当たるクジをプレゼント」などという州(オハイオ州など)もありましたが、何か、怪しいなあ~。

「裏を取る」ということ

築地「鴨亭」 Copyright par Keiryusai

 新聞記者は、記事の正確さを徹底させるため、セカンドオピニオンを取ったりします。業界用語で「裏を取る」と言ったりします。

 でも、逆に、裏を取らないで、そのままスキャンダラスな見出しと記事で部数を伸ばす新聞もありますが(笑)。

 ブログは、色んな種類がありますけど、まあ、大半は個人の感想、もしくは意見の表明といったところでしょう。この《渓流斎日乗》もその範疇に入ることでしょう。

 でも、一応、このブログは「世界最小の双方向性メディア」と自称している関係で、事実が間違っていた場合など、御指摘があれば、即、訂正したり、表現を変えたりしております。まあ、取るに足らない個人の感想なので、多くの皆様には大目に見て頂いておりますが(笑)。

築地「鴨亭」鴨せいろランチ 1100円 友人に紹介されて行きましたが、結構リーズナブルで美味しかった Copyright par Keiryusai

 とはいえ、個人的に気になることは、後で、周囲に裏を取ったりします。例えば、5月18日に書いた「初めてのタコス」の記事。生まれて初めて本格的なタコスなるものを食したのですですが、「まあ、こんなもんか」といった程度の感想でした。そのことを米国人の友人に話したら、「ハハハハー、その店は、アメリカでは何処にでもあるチェーン店で、マクドナルドみたいなもんですよ」と言うではありませんか。

 そして、丁寧にも、「東京にはもっと良い店が昨年から出店しましたよ。虎ノ門にあるTWという店です。ここなら本格的ですし、美味しいし、お薦めですよ」と教えてくれたのです。

 なるほど。裏は取ってみるものですね。

Copyright par Keiryusai

 もう一つありました。5月17日に書いた「翻訳家なんかになるもんじゃない?」という記事です。あるプロの翻訳家が、印税が6%の契約を4%にダウンさせられたり、突然、出版中止を宣告されたりして、ついに裁判沙汰などで精神的に追い詰められて、燃え尽き症候群となり、翻訳業を廃業する話でした。作家の印税は10%だということは知っていましたが、翻訳家になると、最高でも8%ぐらいだという話を知り、私自身も「翻訳家にならなくてよかった」と末尾に書いたほどでした。

 そこで、また、裏を取るために、出版関係の友人に現状を聞いてみました。すると、「印税8%なんて、よっぽど有名な翻訳家だけだよ。今は4%だったら、妥当な数字だよ」と言うではありませんか。これもまた「へー」です。「出版社はかなりのリスクを取っているわけ。売れなきゃ、全部、持ち出しだからね。今の出版不況じゃ、仕方ないんじゃないかなあ」と彼は説明してくれました。

 そうですね。今朝も、通勤電車の中で、本を読んでいる人は、軽く車内を見渡したところ、私だけでした。たった一人でした。

 となると、私は出版業界に寄与しているわけですから、このブログに書く独断と偏見に満ちた書評でも、大目に見てもらいたいものです(笑)。

Copyright par Keiryusai

 話は変わり、何度も書きますが、このブログは「世界最小の双方向性メディア」を自負しておりますから、皆さまのコメント大歓迎なんですが、中には最初から粗探しをする目的ありきで、小さなミスを発見することを至上の喜びとする方もいらっしゃるので、参ります。

 例えば、上の写真もそうです。最近、花の名前が瞬時に分かる、千葉工業大学が開発したAIアプリ「ハナノナ」の写真を掲載することが多くなってきたのですが、粗探しさんは「渓流斎ブログは、ハナノナを使い過ぎてますなあ。素材から調理しないで、スーパーで惣菜を調達して来て食卓に並べるのと変わりませんぞ。取材は足で稼ぐもの。被害者の写真入手がどんなに大変かは、ご存じですよね?」と説教するのです。

 あのねえ。花の写真を撮るのに、しっかり足で稼いで撮っているわけで、矛盾してませんか?どっかの図鑑か、本の写真をそのまま写したのなら、「スーパーからの惣菜調達」になるかもしれませんけど、あたしは、しっかり、現場に行ってまっせ、釈悪道老師。

 あ、ほんの少し、胸のつかえがおりました(笑)。

 

初めてのタコス=そして、老舗の料亭は何処か?

 このブログはあまりにも複雑怪奇で、テーマに一貫性がなく、話題も縦横無尽に複層しておりますから、読者の皆様方も付いていくのが大変のことと存じます。

 案の定、昨日は数十人の方が脱落されたようです。アクセス数を見れば分かります。痛恨の極みで御座いまする(苦笑)。

 さて、先日、仙台伊達藩の江戸上屋敷跡を視察のため、東京・汐留の日本テレビ本社を訪れた話を書きましたが、そのビルの(恐らく)1階にメキシコ料理のタコスを売っている「TACO BELLタコベル」があったので、再度、行ってみました。

 勿論、ランチするためです。これまた以前にこのブログに書きましたが、世界各国の料理を食べて、コロナ禍で実際に行けない海外旅行を模擬体験しようと、銀座で、色んな国の料理を食べ歩きをしました。その中で、メキシコ料理にも挑戦したのですが、生憎、私が訪れた数日前にその店は閉店してしまっていたのです。

 「捕らぬ狸の皮算用」とはよく言ったもので、逃したものは気になります。「いつかはタコスなるものを食べてみたいものだ」と、腰を低くしてそのチャンスを狙っていたのでした(大袈裟な!)。

(ダブル)タコスセット 900円

 そして、本日、ついに、タコスなるものを食しました。私の記憶が確かなら、生まれて初めて食べました。

 まあ、こんなものか、といった程度の感想ですが(笑)。

 野菜やひき肉を包んだ皮が、カレーに付くナンのように柔らかいものかと思っていたら、パリパリとはいかなくても、少し硬めでした。まあ、ファストフードといった感じで、対費用効果としてはギリギリかな、といった感じでした。

 さて、またまた皆様には驚かれるかと存じますが、この年になって、いまだに何冊かの本を同時進行で読んでいます。渓流斎は勉強家です。と、誰も言ってくれないので、厚かましく自分で言っているだけで、その実力と内容は全く伴っておりません!

 その一つが、阿古真理著「日本外食全史」(亜紀書房)です。3080円と、私としてはかなり高価な本でしたが、書評で評判でしたので、清水の舞台から飛び降りる覚悟で買ってしまいました。

 で、大変失礼とは存じますが、正直申して、最初は、著者の文体に付いていけませんでした。私のブログのように(笑)、急に著者の個人的な友人が出てきたり、まるで、週刊誌のグラビア記事を読んでいる感じでした。と、思ったら、著者は、もともと週刊誌のライターさんだったんですね。失礼ながら、好嫌の反応が如実に出る文体です。

 でも、読み進めていくうちに慣れていき、内容も俄然面白くなっていきます。不勉強な私ですから、知らないことばかり出てきます。(そう来なくては!)例えば、和食。「貴族が完成させた儀式的な大饗料理に、僧侶らの高度な調理技術に基づく精進料理を組み合わせたもの」などと色んな定義がありますが、以下のような変遷があることを教えてくれました。

(1)本膳料理=中国や朝鮮半島の影響のもとに生まれ、平安時代に確立。切り方の工夫には日本の独自性あり。

(2)精進料理=平安末期から鎌倉初期にかけて、宋から帰国した僧侶が持ち帰った技術をもとにした魚肉を使わない料理。

(3)懐石料理=本膳料理を発展させた少人数の茶会の席で出された料理。千利休が完成。

(4)会席料理=江戸時代、懐石料理から茶道の要素を抜き、お茶の代わりに酒を料理とともに楽しむものとして登場。

 そして、日本で最初の料亭と言われるのが、元禄年間(1688~1704年)に営業を始めた大坂・四天王寺の「浮瀬(うかむせ)」なんだそうです。松尾芭蕉、司馬江漢、曲亭馬琴ら多くの文化人も訪れたとか。

 江戸は、私も何かの本で読み、聞いたことがある浅草の「八百善」は、享和年間(1801~1804年)に創業。画家の酒井抱一、谷文晁、葛飾北斎、渡辺崋山ら一流の文化人も集まる場所でもあったらしい。幕末、ペリーが来航し、日米和親条約の宴席で出された料理も八百善だったといいます。もっとも、ペリーの口には合わなかったらしい。

 京都と言えば、一番の老舗は、私も、京洛先生のお導きで、中には入らず、長い長い土塀の軒先だけを覗いただけですが、南禅寺門前の「瓢亭」かと思いましたら、高橋嘉兵衛が懐石料理を出し始めたのが天保8年(1837年)と意外と新しい。もっとも、「瓢亭」は、腰かけ茶屋として南禅寺前で始めたのが、今から400年前という長い長い歴史があります。

 京都に現存する老舗料理店は、丸太町の「柿傳」(1721年)、四条大橋近くの「ちもと」(1718年)、袋町の「はり清」(明和年間=1764~1772年)などがあります。

 皆様も是非、訪れて、その感想をお聞かせください。宜しく御頼み申し上げます。