不安や怖れを感じても恥ではない=アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」

 アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」(新潮新書、2024年1月20日初版)を読了しました。先週から大きな不安を抱えていた私としては、大変時宜のかなった「読むクスリ」でした。もっと言えば「救済の書」でした。

 最も励まされたことは、メンタルの不調は、誰にでもあることで、不安や怖れを感じても何ら恥じることはないということでした。そのメカニズムというのは、脳が「生き延びるため」に警告しているに過ぎないということでした。その強度は人によって千差万別(一晩寝たらケロッと治ってしまう人から、自裁まで考えてしまうほど深刻になる人まで)ですが、その苦しみは一生続くことは稀で、人生のごく一部分に過ぎないということでした。

 なぜなら、苦しみや悲しみが一生続かないのと同じように、幸福感も一生続かないからです。美味しいご馳走を食べて満腹感を得ても、翌日になったらもう忘れてしまいます。志望校や目指す会社や官公庁に就職できても、幸福感はすぐ減少してしまいます。好きな人と結婚できても…、以下省略。

Tsukiji

 また、行動遺伝学でも問題になっていたように、人は生まれと育ちのどちらの影響が強いのかという設問がありました。遺伝か?環境か?どちらが人生を左右するのかというアレです。著者のハンセン氏の見解は「自分のゲノムを選んで生まれて来られないのと同じように、メンタルの不調に見舞われるかどうかも自分では決められない」というものです。しかし、決められるとしたら自分の意志によるもので、こうして、不安や怖れの原因(脳による防御メカニズム)を学んだりすることも一つの手です。ハンセン氏は、唯脳主義者ではないようですから、身体機能も重視し、とにかく「運動」(1日15分のジョギングか1時間の散歩程度)することでリスクを下げることは可能だと力説しています。

 このように、ハンセン氏は、メンタルの不調から自分を守る3要素として、この「運動」のほかに、「質の良い睡眠」と「友人」を挙げていました。

 それと、さらに付け加えますと、先程、ハンセン氏は、幸福感は長続きしないと説いておりましたが、だからこそ、幸せは追い求めるのはやめた方が良いと助言しています。幸福は、追え追うほど逃げていく、とまで言います。

 私自身は、自分の幸せは追求してもおかしくはない。もっと言えば、人生の目的とは幸福の追求だと思っていますので、ハンセン氏の見解とは異にしますけど、とにかく、この本に巡り会って良かったと思っています。

不安や恐怖は「生き延びるため」の警告=感情は五臓に宿ると考える漢方医学

 今年は正月から個人的に精神的ストレスが掛かる事案が立て続けに起きてしまい、神経をすり減らしておりました。幸い、以前のパニック障害のようなメンタル症状が再発するまでには至りませんでしたが、いまだに、心がどうも、不安定です。ブログ更新の気力さえ減退しました。

 何か処方箋がないか、と探していたところ、直ぐに見つかりました。アンデッシュ・ハンセン著「メンタル脳」(新潮新書、2024年1月20日初版)です。新聞の広告を見て、即、書店に走って買い求めましたが、この本の前書きの「日本の読者の皆さんへ」を読んだら、何と、10代のジュニア向けに書かれた本だったのです。「まずったかな?」と思いましたが、いやいや、大の大人が読んでも、シニア層が読んでも大丈夫です。結構歯ごたえがある難しいことも書いているからです。

 これまで、このスウェーデンの若き精神科医(とは言っても今年50歳ですか…)が書いた「スマホ脳」「運動脳」「ストレス脳」などを私は愛読してきたので、彼の説は信用しています。この本は旧著と重なることも書かれていますが、今の精神状態の私にとっては「読むクスリ」になっています。

 人間は、何故、不安や恐怖を感じるのか? 一言で言いますと、脳が我々を「生き延びさせる」ために仕組んでいることだ、というのです。我々の脳は、いまだに弱肉強食のサバンナに生きていた時代の脳を頑固に引き継いでおり、捕食者が逃れるために、「闘争か逃走か」を一瞬で判断しなければなりません。ですから、不安や怖れなどは、脳が「何かがおかしい」と警告する手段であり、信号でもあるというのです。

 それゆえ、過剰判断だったり、古い脳の勘違いだったりすることもあるといいます。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」みたいなものです。

 でも、脳に悪気はありません。とにかく、我々を生き延びさせることだけを考えているからです。

 この本について、いずれまた書くことにしまして、またまた、NHKラジオで聴いた薬膳料理家阪口珠未さんのお話を引用させて頂きます(記憶で書いておりますので、間違いは訂正しますから、御堪忍願います)。阪口さんは北京に留学して、漢方(中医学)を学んだ方です。ですから、ハンセン氏の西洋医学とは考え方が全く違うので、非常に興味深いのです。西洋医学では、人間の感情や思考は全て、脳の機能という考え方ですが、中国医学は違うのです。いわゆる五臓六腑が感情を司り、脳はその補助的に機能するといったような考え方です。以下のような感じです。

・肝臓→怒り

・心臓→喜び、興奮

・脾臓→憂い

・肺臓→悲しみ

・腎臓→怖れ

 人間は強度の精神的ストレスに晒されると、下痢になったり、不眠になったりします。となると、脳だけでなく、五臓六腑が感情を司るという漢方の考え方は捨てがたいですね。日本人ならこちらの方が分かりやすいです。阪口さんは薬膳料理家なので、これらの五臓をコントロールする食材の話もされていました。

 肝臓の「怒り」を抑えるには、菊の花やセロリや香の物が良いそうです。心臓の「喜び」は良いのですが、興奮し過ぎたり、人に気を遣い過ぎてエネルギーを消耗します。自己嫌悪になったりして不眠にもなります。それには、食材として、レバーやアサリ、ヒジキや海苔などが効くそうです。特に赤い食材が良いのでナツメも良いそうです。

 「憂い」の脾臓は、思い込んだり、悩み過ぎたりすると消化機能、特に胃腸が不調になります。取り返しがつかない過去を反芻したり、将来悪いことが起きたらどうしようなどと妄想したりするといっぺんに脾臓が悪くなります。腸を整えるには、雑穀や高麗人参、発酵食品などが良いようです。

 「悲しみ」の肺臓というのは、人は、喪失感などから悲しむと呼吸が浅くなります。その対策には呼吸器を強くしなければなりませんが、白い食材が効果あるといいます。カブやダイコン、白キクラゲなどです。

 腎臓は、低下すると、恐れや不安感が増します。残念ながら、「腎力」は加齢とともに失われていくといいます。だから、高齢者は、若者のように無茶しなくなるということなのでしょう、例外の方もいますが(笑)。確かに外出する際、火の元や戸締まりが気になってしょうがなくなります。「腎力」を強めるには、黒い食材が良いようです。黒豆、黒ゴマ、ヒジキ、海苔、昆布、ウナギなどです。他に、安神(精神安定)作用があるナツメ、クルミ、アーモンドなどのナッツ、ヤマイモ、レンコン、里芋、キノコ、シジミ汁なども効果あるようです。

 私も、読むだけでなく、実際に試してみようかと思っています。

「気滞」と「瘀血」を防いで朗らかに生きたい

(※渓流斎ブログは新サーバーに移行する予定ですが、主宰者=私のこと=の技術的無能力によって消滅する可能性もあります。)

 正月早々、ノロウイルスに感染して寝込んだり、集合住宅の役員として難題を突きつけられたり、一難去って一難の状況が続き、ついに、この渓流斎ブログの存続問題にまで発展してしまいました。

 そのせいか、毎日、憂鬱と不安で、肩痛、腰痛、関節痛などが少しも収まりません。何処かのマッサージにでも行けば、一時的には治るでしょうが、また再発しそうです。

 そんな折、大変為になる面白い話を聴きました。またまた、NHKラジオの聴き逃しサービスで、「日曜カルチャー」漢方薬膳研究家の阪口珠未氏による「元気に美しく年を重ねる食養生」の話です。

 以下は「如是我聞」で、阪口先生の話をそのまま要約したわけではないことを最初にお断りしておきます。

HigashiKurume この樹木は、中学生の頃、私の膝下しかありませんでしたが、半世紀以上過ぎて3メール以上の高さに成長していました

 漢方の考え方に、人間の身体には「気」と「血」と「水」の三つの構成要素が通っており、これらが停滞したり、鬱血したりすると、病気になったり、不調になったりするといわれています。

 「気」はエネルギーであり、これが滞ると「気滞」と呼ばれます。ストレスや心配や不安で気滞になるようです。イライラしたり、うつ状態になります。病は気から、とよく言いますから、私も慢性になっている肩痛、腰痛も、気滞の影響の一つだと思っています。

 阪口先生は、気の流れを良くするには、香りの良い食材を摂ることを勧めていました。香りの良い食材とは、レモン、ゆず(の皮)、カボス、シークワーサー、グレープフルーツなどの柑橘類なんだそうです。他に、ふきのとうや赤紫蘇なんかも良いといいます。そして、ジャスミン茶やバジルやミントなどのハーブも気の流れに良い、というので、私はこの話を聞いて、早速、遠くの専門店に行ってジャスミン茶を買ってきましたよ。すっかりお酒も弱くなってしまったので、これからジャスミン茶でも飲みますか。。。

 「血」はここには栄養が流れており、これが滞ると「瘀血」(おけつ)と呼ぶそうです。私は初めて聞きました。瘀血になると、冷え症や倦怠感など身体のあらゆる器官や部所で不調や不振が起きます。私の肩痛、腰痛もそうかもしれません。瘀血にならないようにするには、阪口先生は、下半身を使う運動を勧めていました。ウオーキングなんか良いのでしょう。血液の流れを良くするには、ショウガやニンニクを摂ると良いようです。また、阪口先生は個人的に瘀血対策として、ハイビスカスとバラとサンザシ(林檎に似た果物)などを混合したお茶を飲んでいるそうです。

 この他、気滞や瘀血にならないために、サバ缶はお勧めですが、油が酸化したスナック菓子や乾物などを摂りすぎると良くないそうです。

 「水」は、人間の身体の50~75%を占めていますから、ご説明するまでもないでしょう。人間は水で出来ているといっても過言ではないので、水がなければ確実に死に至ります。水は肌などのうるおいにも関係しますので、老人になれば、うるおいもなくなり、身体に占める水量も減ります。

 いくら、気滞や瘀血や水量に気をつけていても、人間は「加齢」からは逃れられません。平均的に女性は閉経となる49歳、男性は56歳から加齢が始まるといいます。(まあ、その前から始まるヒトも多いことでしょう。)

 私のように、毎日、抑鬱や不安にさらされていては、老化は進行することでしょう。阪口先生は、何よりも我慢せず、ストレスを溜めないことをお勧めしていました。そう言われてもねえ。。。

 私は日本人の典型ですから、どうしても我慢してしまうんですよね。これからは、ジャスミン茶でも飲んで、なるべくリラックスしますかぁ。。。

 

《渓流斎日乗》存続の危機?

 拙ブログ《渓流斎日乗》は、2005年3月から始めましたから、もう20年近くなります。その間、多くの読者の皆さまに支えられてここまでやって来られたと思います。感謝申し上げます。

 2017年9月から、高校の後輩でIT会社社長の松長哲聖氏のお導きで独立して広告収入まで得ることができました。このまま順風満帆に行くかと思いましたら、その松長氏が一昨年、53歳の若さで他界されてしまいました。技術面で彼におんぶにだっこの状態でしたので、今後存続できるかどうか不安を覚えてしまいました。

 広告収入を得ていますので、確定申告をしています。正直に書きますと、一昨年の広告収入は年間約4万2000円で、松長氏を引き継いだ管理者の方が管理するサーバー代とドメイン代が計年間2万円で、差し引き、約2万2000円の「収入」がありました。

 昨年はお蔭様で、アクセス数が急激に増え、「100万回アクセス」まで突破しましたので、今年の確定申告は大いに期待したのですが、わずか約3000円でした。あれっ?3万円の間違いではないのかな?と問い合わせをしたところ、ブログサイトの広告へのクリック数が減り、広告収入は約2万3000円でした。これに、サーバー代、ドメイン代を差し引くと、手取り3000円になるというわけです。

 このブログを書くために、書籍代やら映画など観劇費やら交通費やら「取材費」が相当かかっています。年収3000円ではとてもやっていけません。

HigashiKurume

 と、思いましたら、今朝、ブログの管理者の方から初めて電話があり、今後、会社組織として再編成する関係で、ブログのサーバー代、ドメイン代を月1万円にしたい、との御提案がありました。年間12万円ではとてもやっていけません。

 そこで、管理者の方からもう一つあった御提案は、「引っ越し」です。自分で新たにサーバーとドメインを契約し、グーグルの広告も新たに契約しなさい、といったものでした。レンタルサーバー代は月1000円、ドメイン代は年間2000円で済む会社もあるようです。

 いやはや、このブログを続けるにはそれしかありません。ただし、私自身は、技術面でズブの素人ですから、自分の力だけで「引っ越し」が出来るかどうかは、全く心もとないのです。

 うまくいかなければ廃業するしかないかなあ、と諦めています。まさに青天の霹靂で、どうなってしまうのか? 《渓流斎日乗》の存続の危機です。

SNSの恐怖と嫌悪感=Facebookやめましたが…

 Facebookはやめたつもりでしたが、メッセンジャーに全く知らない若い女性から、急に「FBの知り合いかもにお名前があったので何か繋がりがあるかと思い、メッセージを送っています。人との交流からインスピレーションを受けて交流の幅を広げたいと思います。友達になれたらいいですね」とのメッセージが送られてきました。

 若くて綺麗な女性ではありますが、私はやはりぞっとしてしまいました。私のFacebookの顔写真が大昔の若い時の写真なので、先方さまは何か勘違いされていたかもしれません(苦笑)。でも、彼女だけではなく、他にも複数の若い美しい女性からメッセージがありました。中にはこれ見よがしに、ビキニ姿の姿態を披露されている方もいらっしゃいました。ここまで来ると、本当は毛むくじゃらの男なのに若い美しい女性を騙った「国際結婚詐欺」かもしれないと疑いたくたります。

 こうなれば、Facebookのアカウントを削除すればいいのですが、そうすると、メッセンジャーが全く使えなくなります。辛うじてメッセンジャーだけで繋がっている学生時代の友人もおりますので、結局、メッセンジャーだけは残せるFacebookの「アカウント停止」にしました。これだと、もう私のFacebookは(更新していませんが)誰も見ることが出来ないと思います。

 この話に関連しますが、先日見たNHKの海外ドキュメンタリー「SNSが作った“世論”#ジョニー・デップ裁判」(フランス、2023年)にはかなり衝撃を受けました。恐怖と嫌悪感でいっぱいになりましたよ。

 内容は、有名なハリウッド俳優ジョニー・デップと元妻で女優のアンバー・ハードとの離婚裁判をを巡る騒動です。最初はデップによる家庭内暴力(DV)が認められたものの、全面的にデップを擁護する男性優位主義者たちが被害者のハードを中傷する動画などを拡散し、世論はハードに対して批判的になっていく経緯を追ったものでした。ユーチューブやティックトックなどSNSによる印象操作が世論を変える恐ろしさを伝えていました。

 特に驚愕したのは、デップの辣腕弁護士が、デップとハードとの私的会話録音を、男性優位主義のユーチューバーに渡し、それをユーチューバーたちは使って、ねじ曲げた「編集」でハードが悪意を持ってデップを攻撃しているようにみえかねない録音に改竄して流していたことでした。また、ハードが法廷で証言した際、泣いたりすると、それを茶化して、ティックトックで物真似したりする輩が出現し、まさにハードさんの社会的信用を貶める誹謗中傷を行っていました。

 ユーチューブもティックトックも視聴回数か何かで「収益」が得られるシステムになっていますから、とにかくアクセスしてもらえれば、内容は嘘でも何でもいいのです。日本でもユーチューバーだったガーシーこと東谷義和被告が暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)などで裁判になったりしておりますが、欧米ですと、ガーシーとは比べものがならないくらい過激で虚偽に満ちています。そして唖然とするほどその量の多さです。

 SNSの閲覧数が収益につながるビジネスモデルとなっているのなら、その過激度は際限ないことでしょう。視聴者=世論も真実よりも陰謀論に飛びつく傾向があります。私は、改めて、SNSに恐怖と嫌悪を感じました。

病院開院ラッシュ=自宅徒歩圏内に3軒も内科医院が林立!

 個人的ながら、ノロウイルスは昨日、やっと小康状態になってくれました。1月3日から7日まで diarrhea が5日間も続きましたから、軽症ではありません。特効薬がない上、1年半前、つまり2022年7月にも同じノロウイルスに罹って苦しめられたというのに、免疫もできないとは、ナンタルチヤです。

 今回、遠出が出来ないので自宅近くの病院といいますか、診療所で少しだけお世話になりました。ここは昨年10月に出来たばかりです。もともと、自宅近くにはバスの停留所名にもなっている診療所がありますが、もう大分昔に院長の先生が早く亡くなり、奥さんも女医さんでしたが、高齢になっておられました。

そしたら、また自宅近くに明日9日に、同じ内科の診療所が開院するというのです。

 駅前通り商店街は、ほとんど閉店してシャッター通りになってしまったというのに、やたらと病院だけ出来るとはドユコト? しかも、自宅から歩いて数分圏内に同じ内科の診療所が林立するとはドユコト? このブログをお読みになったファンの皆さまが殺到されると困るので、地名は明かせませんけど、こりゃあブログに書くしかありませんよね?(思い誤って検索しちゃ駄目よ)

X 診療所

 まず、バスの停留所名にもなっている「X 診療所」です。バスの停留所として「X 診療所前」があるくらいですから、かなり古い診療所です。開院の詳細は分かりませんが、地元の医師会の登録が1971年になっています。

 ここは先述したように、院長先生がもう25年ぐらい前に他界されました。自宅から徒歩で4分と近いので、昔はよく通ったことがありますが、昨今は全く行かなくなりました。

Y 内科・循環器内科

 次は、昨年10月に開院した「Y 内科・循環器内科」です。ここは、何の前触れもなく、いきなり開院したという感じです。ポストの中に「開院内覧会」のチラシが入っていましたが。ここは、「X 診療所前」から最寄り駅に近い次の次のバス停の目の前に造られました。写真のように、ちょっとモダンな瀟洒な建物です。自宅から歩いて6分ぐらいです。確か、以前は個人の自宅を兼ねた税理士事務所があった所だと思います。

 ノロウイルスで少しお世話になったのがこの病院です。

Z 内科

 最後は、「Z 内科」です。ここは、バス停「X 診療所前」から最寄り駅行の次のバス停の近くにありますので、私の自宅から歩いて5分ほどです。

 ここは以前から大きな看板が建てられ、病院と薬局建設の案内があったので、いずれ建つだろうことは知っておりました。ここは以前はお蕎麦屋さんがあった所でしたが、2年前に火事で焼失してしまいました。

 蕎麦屋より病院の方が儲かるということなんでしょうか? そんなこと言ってはいけませんね(苦笑)。 でも、「開院内覧会」があるというので、昨日、ちょっと覗いてみました。そしたら、吃驚です。駅に近い所にある、私もそこでコロナワクチンを打ったことがある「N 内科」のチェーン店だったのです。チェーン店なんて言ったら、またまた怒られますね(苦笑)。胃カメラ、大腸カメラ等も備え、リハビリ設備も整え、この辺りでは一番、機器が充実している感じでした。

 駅前通り商店街では、果物屋さんが消え、肉屋さんが消え、時計屋さんが消え、寿司屋さんも中華料理店もなくなったというのに、病院だけは元気なんですね。個人商店で健在なのは、クリーニング店と理容・美容店ぐらいです。(最寄り駅近くに理容・美容学校があるので、この辺りはやたらと床屋さんと美容院が多いのです。)

 とにかく、いずれにしても、私の自宅から4~6分の徒歩圏内に内科医院が3軒も林立するなんて、異様に感じてしまいました。

クラウドファンディングで9億円超=国立科学博物館

 むふふふ、ご覧の写真の通り、国立科学博物館からクラウドファンディングの御礼書と入場券が送られてきました。

 同博物館所蔵の500万点のコレクションの保存・維持等に掛かる経費が不足していて、「このままでは危ない」という記事を読み、僅少ながら、私も寄付したのでした。

 クラウドファンディングは今年8月7日から11月5日まで行われ、「1億円」が目標だったのに、最終的には5万6584人から9億1602万5000円の寄付金が集まったといいます。

 こりゃ凄い。

 私もバリバリの文系人間から理系人間に転向したので、嬉しい限りです(笑)。自宅に届いた封書の送り人は、国立科学博物館の篠田謙一館長の名前になっており、「どっかで聞いたことあるお名前だなあ」と思ったら、思い出しました。昨年12月にこのブログでも何度か取り上げさせて頂いた「人類の起源」(中公新書)の著者でした! あの本はベストセラーになったので、皆さんもご存知だと思います。700万年前にヒトがチンパンジーから枝分かれし、20万年前に現生人類であるホモ・サピエンスが誕生する物語を素人でも分かりやすく書かれていました。未読の方は是非お勧めです。現生人類と旧人のネアンデルタール人が交雑していたという意外な真実まで書かれていました。

 この本がきっかけではありませんが、古人類学と呼ばれる関連書は、ジェレミー・デシルヴァ著、赤根洋子訳「直立二足歩行の人類史  人間を生き残らせた出来の悪い足」(文藝春秋)を始め、結構読んできました。その後は、進化論や宇宙論、それに量子論(量子力学、量子化学、量子生物学)、さらに踏み込んで行動遺伝学まで関心が広がってしまい、個人的には、理科人間に転向したつもりになってしまいました。

新富町

 もうぐちゃぐちゃした人間関係が嫌になったからでした。偉人だろうが、傑人だろうが、有名人だろうが、もう人間はいいです。もう、よおく分かりました。十分です。領土的野心で無辜の市民を殺戮することを厭わない人間が地球上に一人でもいる限り、とても人間に共感も興味も持てません。だから、人間を扱う、と言いますか、人間なしでは成り立たない歴史も宗教も経済も心理学も一応一区切りにしたいと思っています。人間とは何か?というより、生物とは何か? 生命とは何か? 宇宙とは何かといった自然科学に目を向けたいと存じます。

 偉そうですねえ(笑)。本日は12月27日。早くも2023年の暮れも押し詰まってきました。この1年を振り返ってみると、このブログで取り上げさせて頂いた本も、文系より、量子論や星座や宇宙論など理系が増えたのではないかと思います。

 しかし、根本は変わりません。フランスの後期印象派の画家ゴーギャンの描いた「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」の題名にちなんで、それらを解明することです。これは、以前にも書きましたが、「我々はどこから来たのか」は古人類学で分かってしまいました。ヒトとは、神が創造したのではなく、生物の霊長類で700万年前にチンパンジーから枝分かれした類人猿でした。「我々はどこへ行くのか」も絶望的ながら分かってしまいました。地球が滅亡する前に絶滅し、人間の功績も偉業も名前も無に帰するということが最新の宇宙論が教えてくれます。最後の「 我々は何者か 」も量子生物学で解明できます。タンパク質、アミノ酸で出来ているという前に、炭素、水素、酸素、窒素、リン、硫黄の六つの元素で出来ており、それらはさらに、原子核と陽子と中性子と電子で出来ていることになります。

 でも、それでは、あまりにもつまらないので、人間は霊魂を信じたり、神を創造したり、物語をつくったり、いもしないヒーローに憧れたりするのです。そして、奇跡や偶然が起きたりすると大喜びして、欣喜雀躍するのです。

 ありゃまた身もふたもない話をしてしまいましたが、あくまでも真理は追究していきたいと思っています。宇宙から「そんもんはない」と諭されても、人間として生きる意味や意義を考えていきたいと思っています。皆さんも伴走者として、もう少しお付き合いください。

大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です

 昨日、この渓流斎ブログに音楽の話題を掲載しましたところ、皆様ご存じの宮さんからメールを頂きました。

 

渓流斎高田謹之祐様

 お久しぶりです。
 記事としては久しぶりの音楽ネタ、待ってました。
 バンド演奏中のミュージシャンとしてのお姿も拝見することができよかったです。
 カッコいい!
 どんな演奏なのかな? 動画が見たいです。または音源が聴けると良いですね。
(LINEだと何でも送れますね)

 さて私も、12月23日(土)、近くの介護施設のデイサービスセンターでバンド演奏してきました。
 公民館のウクレレサークルがあっという間に18年目を迎え、これが101回目の演奏会です。
 サークル名は「大谷(おおや)ウクレレサウンズ」です。
 創立当初からの会員はもう私を含めて4名しかいませんが、指導してくれる講師の先生が86歳で最高齢、会員数は12名で私が会員で最年長の83歳、女性も含めて80代が4名、平均年齢75歳のサークルです。
 演奏曲は
 ジングルベル
 小さな竹の橋
 浜千鳥
 高校三年生
 東京ブギウギ
 昴
 里の秋
 パ-フィデア
 オ-シャンゼリゼ
 どうにも止まらない
 いい日旅立ち
 聖夜

 夢一夜
 ある恋の物語
という内容で、ウクレレで色々なジャンルを弾いています。

朝の銀座

 渓流斎さんのハイレベルな大学バンド「エトランジェ」とは違い、はっきり言って下手バンドです。が、施設の方々も一緒に歌って楽しいひと時を過ごしていただいています。
 動画を送りたいのですが、データ量が私のメールの送信容量を超えてしまうので、動画からの静止画(ボケてます)と動画から音データのみを取り込んだ音源を添付します。暇な時にご笑聴下さい。
 悩んだ末! ブログに掲載自由です(笑)

◇◇◇◇◇

 ということで、思いもかけない「朗報」が届きました。この記事の最初と最後に掲載した「音声」(両方とも同じです)が、大谷ウクレレサウンズによる「小さな竹の橋」の演奏です。ヴォーカルも宮さんのようです。頑張ってますねえ。負けました!エトランジェよりうまい!これまで101回も演奏されてきただけあります。音楽は素晴らしいですね。

 皆さまもお楽しみください。

 

《渓流斎日乗》100万アクセス突破できました!おめでとう御座います!!

 あれ?

 いつの間にか、この《渓流斎日乗》のアクセス総数が100万ページビューを超えておりました!

  • 総閲覧数:100万2046
  • 今日の閲覧数:513
  • 昨日の閲覧数:1077
  • 先週の閲覧数:8809
  • 総購読数 12月:2万6583
  • 総訪問者数:65万3082
  • 現在オンライン中の人数:4
  • (2023年12月26日午前9時現在)

これも全て、毎日、せっせとご愛読して頂いております皆さまのお蔭です。大変感謝を申し上げます。

 このブログは、2005年3月15日に開始し、当初は「gooブログ」のサイトでお世話になりました。その後、諸般の事情で消滅したりしましたが、2017年9月15日から独立して新しいサイトを立ち上げることにしました。その際、技術面で大変お世話になったのが、海城高校の後輩でIT会社の社長を務めていた今は亡き松永哲聖氏です。100万アクセスには6年ちょっと掛かりましたが、もし彼が生きていたらどんなに喜んでくれたことか。一緒に祝杯をあげていたと思います。

 ブログの筆名はもう4~5回変えましたが(笑)、今年7月に、古澤鳳悦師の助言で「高田謹之祐」に改名した途端、アクセス数が急上昇です。それまで、1日300アクセス数ぐらいでしたが、改名してからは1000を超える日が続き、吃驚です。これもこれもまた、ご愛読して頂いている皆さまのお蔭ですが、古澤師にも御礼申し上げます。

東銀座 キッチンカー

 操觚者を自称している私の場合、ブログですから、動画や写真には頼らず、あくまでも文章で勝負しております(笑)。今時、そんな面倒くさい文章を読んで頂けるなんて幸運以外何でもありません。

 ところで、ユーチューバーで、暴力行為等処罰法違反(常習的脅迫)など五つの罪に問われた元参院議員のガーシーこと東谷義和被告(52)は、東京地裁での公判で「正直、しんどかった。被害者の方には大変申し訳なく思っています。配信は二度とやりたくない」などと発言したらしいですね。彼のユーチューブでの登録者は123万人を超え、年収は1億円以上もあったそうですが、それだけ、目立つとなると自然と過激化し、犯罪と紙一重になります。

 このブログは、あくまでも目立たないように、目立たないように、強制もせず、煽動もせず、でくのぼうと呼ばれながらも、地道にやっていきますので、もし、お気に召された場合、今後もご愛読賜れば幸甚で御座いまする。

死の恐怖から逃れようとする人類=B・グリーン著「時間の終わりまで」

  皆様ご案内の通り、私は最近、科学的知識に飢えておりますので、何か良書がないものか、と手始めに講談社のブルーバックスを探してみました。過日、同社から出た安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」を読んだばかりでしたので、ブルーバックスに関しては多大なる信頼を置いているからです。

《ご参照》

・12月6日付「大谷翔平、藤井聡太の塩基配列は我々と99.9%同じ!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(上)」

・12月13日付「心も環境も遺伝によるものだとは!!=安藤寿康著「能力はどのように遺伝するのか」(下)」

 そうしましたら、たまたま、ブライアン・グリーン著、青木薫訳「時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙」(2023年8月10日第3刷)を見つけました。新書なのに1980円もするので散々迷った末、購入しました。686ページもある部厚い本です。よく見たら、2021年に出版された書籍を新書化した世界的ベストセラーでした。

 知らなかったなあ。私は一応、新聞の書評欄には目を通しているつもりですが、著者も書籍も全く聞いたことがなかったからです。やはり、本とは偶然の出会いなのかもしれません。

 この本、「はじめに」から読み始めていますが、他の科学書と比べても一風変わっています。数式が出てこないのは勿論ですが、シュペングラーやサルトル、バートランド・ラッセルといった歴史家や哲学者が多く登場するからです。科学書ではなく、まるで哲学書です。著者は、米コロンビア大学教授で、宇宙論や超ひも理論がご専門のようですが、科学者の思考の行き着く所は哲学にあるように見えます。

Soleil Levant

 著者は、エントロピー(無秩序の度合い)の法則などの物理学や、生物学、人類学を援用しながら、こうまで言ってのけます。

 考えるという行為そのものが、無益な環境エントロピーを増大させてしまうせいで自滅するというあまりにも現実的な可能性に出会うだろう。遠い未来には、考える者はなんであれ、己の思考によって生じる熱のせいで焦げ付いてしまうのかもしれない。つまり、思考そのものが、物理的に不可能になりそうなのだ。

 えっ? どういうこと? 一瞬、何を言っているのか、著者のブライアン・グリーン氏(1963~)が何を言いたいのかさっぱり分かりませんが、何度か読むと、混沌とした状態の中で、人類の脳回路が破綻していく、という意味ではないかと私は勝手に推察しました。人類は高度に知能が発達したほぼ究極の生物ではありますが、あくまでも宇宙の中で原子と素粒子と電子が複雑に組み合わさって、偶然に出来上がった生物の種、または機能に過ぎませんから、あり得ないことはありません。

 この本では、著者は、私以上に悲観論を述べています。

・来るべき時が来れば、生きとし生ける者はすべて死ぬ。

・(シュペングラーを引用して)人間は、死を知る唯一の生物である。すべての宗教、すべての科学研究、すべての哲学は、死の怖れに由来する。

・生命の出現とともに勃興した知識もまた、生命の消滅とともに失われるだろう。永遠に存在するものは何もない。絶対的なものは何ひとつないのだ。

 ワァオゥ〜です。科学者ですから、一刀両断です。妥協や斟酌や忖度はありません(笑)。「人類という生物種は物語が大好き」なため、小説や映画演劇や音楽や美術など芸術作品を創作しようとする。それらは、すべて、死の恐怖から逃れようとするためなのだ。作品を残すことによって永遠の生命を得ようとする。しかし、それらはまやかしで科学的に否定される。人類を含め、あらゆる生物はいずれ死滅するので、永遠も絶対もない。ーというのですからこれほど、身もふたもない、絶望的な言説はありません。でも、科学的事実と言えばそうなってしまいます。

 どうしたらいいのか?

 という話になります。残りの人生、飲めや歌えや踊れやで大騒ぎしてその日暮らしをすればいいのか? それとも、あらゆる欲望を断ち切って修行して無我の境地を目指せばいいのか? 只管勉強を続けるべきなのか? うーん、難しいところです。宇宙から見れば、有名だろうが無名だろうが、歴史に残ろうが残るまいが、泣こうが喚こうが、ヒトの一生など大したことではありません。

 取り敢えず、686ページもあるこの大著を最後まで読んでいくことにしました。宇宙論の科学書として。