金持ちは逃げるは恥だが役に立つ、では駄目でしょう

 新年2020年はどんな年になるかと思ったら、米軍が1月3日に、バグダッド国際空港近くでドローンを使ってイラン革命防衛隊クドゥス(アラビア語でエルサレム) 部隊のカセム・ソレイマニ司令官らを殺害するというとんでもないニュースが飛び込んできたことは、ご案内の通りです。

 どんな大義名分があるか知りませんが、断じて戴けない行為です。トランプ大統領は、保安官気取りなのでしょうか。いや、失礼、気取りではなく、世界最高権力者そのものである米国の大統領でした。日本の政府は一言も非難しませんが、日本への影響は計り知れず。

 これで、中東は一触即発の気が漲り、報復を誓うイランは、イラクやシリアにいるイスラム教シーア派 、それにレバノンのヒズボラ、イエメンのフーシー派などと連携を深め、米国との間で全面戦争が始まるのではないかという緊張に包まれています。原油先物価格も急上昇しています。早速、株式市場が反応して、3日(金)のダウ平均は一時350ドル超も暴落したというのに、6日(月)は小幅反発して68ドル高でした。日本も日経平均は、6日(月)に一時500円超も下落したというのに、7日(火)は反発して370.86円高です。

 あれっ? ですよ。

 識者によると、軍事力では圧倒的に劣るイランが、全面戦争に踏み込みたくても、実際無理なので、報復といっても小競り合い程度に長期にわたって続く可能性が高い、といった分析が、株高につながったものとみられます。

 もう一つ、防衛産業大手のロッキード・マーチン社の株が過去最高値を更新したそうじゃありませんか。そうだったのか!何か読めた気がしますね。(とはいえ、8日になってイランによる米軍駐留基地攻撃が開始されると、日経平均は、またまた370円以上値を下げました)

 暗殺されたソレイマニ司令官(62)は、日本でいえば、山本五十六大将に匹敵するぐらいの英雄でしょう。ペルシャ帝国の流れを汲み、1979年の革命で国王を追放してイスラム統治国家になったイランは、殉教者は最高の地位になるといわれ、ソレイマニ氏は、まさに軍神として祭り上げられることでしょう。軍需産業に唆され、再選しか頭にないトランプさんは、権力の魔力に取りつかれたとしか言いようがありません。

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ゴーン被告の場合

 今回のイラン司令官殺害事件のニュース関連で、久しぶりにレバノンの国際テロ組織ヒズボラの名前を聞きましたが、国外逃亡したカルロス・ゴーン被告(65)は、レバノンで悠々自適な生活を送れるのでしょうか?やはり、難しいでしょうね。日本脱出するのに22億円もかかったという週刊新潮の報道もありましたが、レバノン入りの際、手ぶらで入国できるわけがなく、政府高官に多額の資金が贈与したのではないかと言われています。賢いゴーン被告のことですから、ヒズボラのハッサン・ナスララ書記長にも手を回したかもしれません。

 レバノンという国は、シリアを委任統治していたフランスが1920年代にキリスト教徒が多かった地域を独立させたのが始まりです。かつて、首都ベイルートは「中東のパリ」なんて呼ばれていましたが、1975年から宗教上の理由から内戦が始まり、90年に停戦になったとはいえ、今でも政情は不安定です。35歳以下の失業率が37%とも言われています。現在、国会ではイスラム教徒とキリスト教徒が50%ずつ議席を持つことが決まっており、ゴーン被告も信者であるキリスト教マロン派から大統領が、イスラム教スンニー派から首相が、イスラム教シーア派から国会議長が選出されているそうです。だから、ゴーン被告は、同じキリスト教マロン派のミシェル・アウン大統領を頼ったわけですね。同大統領は関与を全面的に否定しても、現政権がゴーン被告を日本に強制送還しないことから何らかの取引があったのではないかと忖度されます。

 日本人社員の首を散々切って合理化した功績で、私腹を肥やしたゴーン被告の総資産は200億円ともはるかそれ以上とも言われていますから、日本政府が没収した保釈金15億円なんて、庶民換算すれば、本人にとって15万円程度なんでしょう。でも、その15億円は何に使うんでしょうか?偽証の疑いで国際手配されたゴーン被告の妻キャロル容疑者も含めて、2人を捕縛して日本に送還した人への報奨金とすれば、元グリーンベレーの連中とか、次々と手を挙げてくるんじゃないでしょうか。皮肉ですけどね。

 8日の午後10時(日本時間)に、本人は記者会見するそうですが、自己弁護と自己保身と自己正当化に終始することでしょう。宣撫活動として利用したいがために会見をすることは目に見えています。金持ちは「逃げれば恥だが役に立つ」という先例をつくっては駄目でしょう。

 それにしても、ブログとはいえ、現在進行形の事件を書くことは疲れます。この先、どうなるのか予想もつきませんからね。でも、ゴーン被告逃亡の遠因をつくったのは、富裕層専門の弁護士弘中惇一郎氏にもあるという記事に接し、思わず相槌を打ちました。

古着は着てても心は錦=非正規労働者と年金生活者のための強い味方

どうも人混みが嫌いなもんで、正月休みは、初詣も買い物もほとんど近場で済ましてしまいました。

 たった1日だけ行った都心は、日暮里でした。なあんだ、そんな所か、と仰らず、まあ、先を聞いてくださいな。

 日暮里駅前に建つ太田道灌像

 日暮里に行ったのも訳がありました。

 冬の寒い日用に、新しいセーターを買おうか、と思ったわけです。ちょっと気になったのが、英国製のフィッシャーマンズセーター。チャンネル・ジャンパー社のオルダニーセーターが2万0350円でした。また、英国王室御用達で、あのスティーブ・ジョブズも愛着したというジョン・スメドレー。そのケーブル編みセーターが4万5980円もしました。うーん、ちょっと高いなあ…と二の足を踏んでいたところ、思わぬ噂が耳に飛び込んできました。

 「日暮里に行けば、2~3万円のセーターでも、4~5千円で買えますよ。ただし、古着ですけど」

 古着?いいじゃないですか。自慢じゃないですが、私は、京都・北野天満宮の「終い天神」の市場で、高級英国製ジャケットの古着を格別の安さで購入したことがあるのです。

黒岩一郎商店

 で、紹介されたのは、日暮里中央通りの布専門店街の北の端にある「黒岩一郎商店」でした。JR山手線・京浜東北線の日暮里駅か鶯谷駅、または常磐線の三河島駅が一番近いようです。

 古着専門店ですが、商店の看板もなく、店構えも一見、大正か昭和時代のレトロです。畳10畳あるかないか、といった程度の敷地でした。上の写真のように、ガラスが割れても修理する余裕がないようです。でも、お宝がザックザックでした。店内全てを見なかったのですが、紳士専門店でした。

 70歳代後半と思われる店主に、「セーターありますか?」と尋ねたところ、店先に無造作にセーターが山積みになっていました。25着ぐらいあったでしょうか。直ぐ、良さそうなものが見つかりました。5000円以内ならすぐ買おうと思って、店主に値段を聞いたところ、「みんな600円ですよ」と言うではありませんか。一桁、間違っているかと思いました。

 ということで、適当に見繕って、自分が着ることができる大きさと柄だけをみて、3着も買ってしまいました。

 これで、合計、たったの1800円。

 えっ!?ですよ。まさに、クリーニング代で3着も買えてしまったのです。これなら、非正規労働者でも、2000万円の貯金がない年金生活者でも、凍死することなく冬を越せそうです。

 セーターを買うために、この店に寄ったのですが、ほかに、ダウンジャケット風のジャンパーなどがあり、これらはどれも1200円で販売されていました。原価はどう見ても1万円、いや2〜3万円しそうな代物でした。

 好きな彼氏のためのプレゼントでもいいじゃありませんか。まさか、本命の彼氏も破格の値段に気が付くわけありませんよ(笑)。私もまた、いつか日を改めて、ダウンジャケットでも買いに行こうかと思っています。

 人聞きの悪い言い方ですが、この店は、あまり儲かっていそうに見えなかったので、宣伝も込めてこの店を紹介することにしました。御主人にお金を払う際に、「採算取れているんですか?」と念を押したら、御本人は苦笑いしてましたけどね。

 

孤独は伝染する負の連鎖

今朝の朝日新聞日曜版別刷りの「グローブ」で「これから百年の『孤独』」を特集していました。

 この中の記事で、孤独感というものは「友人の友人の友人」まで伝染する、という故ジョン・カシオッポ・シカゴ大教授の説には本当に納得、実感してしまいました。同氏によると、元々孤独感を抱いている人ほど、人間に対する不信感が強くて、数少ない友人との関係も断ち切ってしまうといいます。その断ち切られた友人も孤独感に苛まられてしまい、同じようなことを真似てしまい、このようにして、負の連鎖が続くという説です。

 確かに確かに、私自身にも身に覚えがあります。大して友人が多くいそうに思えない友人が最近、メールを出しても返事がなく、疎遠になってしまい、「何かあったのかな?」と自責の念に駆られておりましたが、どうやら、ちょっとした行き違いか、私自身には身に覚えがありませんが、不信感が原因だったのかもしれません。

 それならそれで、しつこく付き纏うことなく、本人の方針に委ねるしかありませんが、先程の「グローブ」紙の別の記事で、昆虫のアリでさえ、孤立すると、死期が早まるという結果を導き出した科学者の実験も紹介していました。

 産業技術総合研究所の古藤主任研究員の実験で、オオアリの働きアリを(1)1匹だけの「孤立アリ」(2)幼虫と一緒の「同居アリ」(3)10匹の「グループアリ」-の3パターンに分けて飼育したところ、生存日数の中央値のトップが(3)のグループアリで66日、次が(2)の同居アリで22日、(3)の孤立アリはわずか6.5日しか生きられなかった結果が出たというのです。

 へー、と思ってしまいました。

 人間も社会的な動物ですから、虚勢を張るのはやめ、何と言っても、人間不信ばかりに陥ることなく、ほどほどのところで妥協すれば、短命に終わらずに済むかもしれません。

 私が、今年頂いた年賀状の中で、「今年限りで、年賀状を取りやめにすることに致しました」と書かれた方が、3人もおりました。私自身も、先方から返事が来なければ、黙って翌年は出さないというデクレッシェンド方式を始めておりますが、どうも、すっぱりと断ち切ることは躊躇っておりました。先方も何かと色んな事情があるのでしょうが、受け取った方は、たとえ1年に1度の御挨拶に過ぎないとはいえ、絶交されたようで、ドキッとしますよね。日本人はどうも「こちらに落ち度があったのか」と考えてしまいます。

 でも、こういうネガティブ思考は考えものです。負の連鎖は自分の所で止めて、自然体でいくのが賢明でしょう。ということで、このブログの愛読者の皆様方に対しては、こちらから断ち切ったりしませんから(笑)、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

戦争の抑止力にならなかった新聞社出身の国会議員=佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」

 大阪にお住まいの滝本先生のお薦めで、佐藤卓己、河崎吉紀編著「近代日本のメディア議員」(創元社、2018年11月10日初版、4950円)を読んでいます。1960年から86年にかけて生まれた「比較的」若い中堅の学者10人が共著でまとめた学術研究書です。かつてはかなり多くのマスコミ出身の国会議員や首相にまで上り詰めた人がいたことが分かります。

 滝本先生が何故、この本を薦めてくださったかというと、先日、大阪市内で、この本の編著者である佐藤卓己・京大教授の講演会を聴いたからでした。会場には、現役時代にブイブイ言わせていた朝日新聞や毎日新聞など大手新聞社のOBの方々も見えていたそうです。

 新聞メディアの歴史を大雑把に、やや乱暴に要約しますと、明治の勃興期は、薩長を中心にした藩閥政府に対する批判と独自の政論を展開する大新聞が主流でした。柳河春三の「中外新聞」、福地源一郎の「江湖新聞」、栗本鋤雲の「郵便報知新聞」、成島柳北の「朝野新聞」などです。彼らは全員、幕臣でした。その後、政府による新聞紙条例や讒謗律などで反政府系の大新聞は廃刊に追い込まれ、代わって台頭したのが、大阪朝日新聞や、大阪毎日新聞、読売新聞などの小新聞と呼ばれる大衆紙でした。政論主流が薄れたとはいえ、新聞社出身の国会議員を多く輩出します。まるで新聞記者が国会議員の登竜門の様相ですが、政治家志望の政治記者が多かったという証左にもなります。

でも、「白虹事件」で大阪朝日新聞を退社したジャーナリストの長谷川如是閑は「大正八年版新聞総覧」で、以下のような面白いことを書いています。

 …新聞記者は、主観的生活に於いては、同時に政治家であり、思索家であり、改革家であり、学者であり、文士であり得るが、客観的生活に於いては、ただのプロレタリアに毛が生えたものであり得るのみである。…

 大手新聞出身のOBの皆さんは、新聞社出身の議員の活躍を聴きたいがために、佐藤卓己教授の講演会に参加したようでしたが、見事に裏切られることになります。

佐藤教授によると、満洲事変から2・26事件などを経て、日本が軍国主義化していく昭和12年(1937年)、マスコミ出身の国会議員が占める割合は、実に34%の高率だったそうですが、その直後に支那事変(日中戦争)が起こり、皮肉にも、マスコミ出身議員は、何ら戦争の抑止にもならなかった、というのです。


 この本の巻末には、「メディア関連議員一覧」が資料として掲載されているので、これだけ読んでも、興味がそそられます。

 例えば、現首相の父君に当たる安倍晋太郎は、毎日新聞政治部記者だったことはよく知られていますが、二番目に登録されています。全部で984人も掲載されているので、キリがないので、首相まで経験した有名人を取り上げると、まずは5.15事件で暗殺された犬養毅が挙げられます。岡山出身の犬養は、慶應義塾の学生の時、郵便報知新聞の主筆藤田茂吉の食客となり、明治10年の西南戦争の際には、「戦地探偵人」となり、「戦地直報」を報知新聞に連載するなどして記者生活をスタートしています。

 平民宰相として有名な盛岡藩出身の原敬は明治12年、フランス語翻訳係として栗本鋤雲の推薦で郵便報知新聞社に入社しています。「憲政の神様」尾崎行雄も、慶應義塾で学び、新潟新聞や郵便報知新聞などで記者としての経歴があります。

 明治14年の政変で大隈重信とともに下野して、立憲改進党を結成した矢野文雄は、郵便報知新聞の社長や大阪毎日新聞の副社長などを務めています。この本では、佐藤教授は、矢野文雄としか書いていませんでしたが、政治小説「経国美談」の作者矢野龍渓(雅号)のことでした。日清戦争の前後に、清国特命全権公使を務めています。

 佐藤教授は、このほかメディア関連の首相として、郵便報知新聞を買収して実質上の社主だった大隈重信、東洋自由新聞の社主だった西園寺公望、東京日日新聞で外国新聞を翻訳して収入を得ていた高橋是清、東京日日新聞の第4代社長を務めた加藤高明、戦後では、産経新聞記者だった森喜朗や朝日新聞記者を務めた細川護熙らを挙げていました。

 また、最近のメディア関連の国会議員の中の自民党系として、大島理森(毎日新聞広告局)、額賀福志郎(産経記者)、松島みどり(朝日記者)、茂木敏充(読売政治部)、竹下亘(NHK記者)、鈴木貴子(NHK)、小渕優子(TBS)らを挙げていて、私も知らなかったことも多々あり、これまた興味深かったでした。

 この本は、まだ読み始めたばかりなので、また取り上げるかもしれません。

(同書に合わせて敬称を略しました)

藤堂高虎はとてつもない築城名人

国宝姫路城

昨晩、お城関係の本を読んでいたら、三重県の津城は、正式には安濃津城ということを初めて知り、自分の不勉強を恥じるとともに、本当に驚いてしまいました。

 以前、沖浦和光著「天皇の国・賤民の国」を読んでいたら、中世になって差別をされた人々が浄土宗系の仏教に縋り、多くの寺院が建てられるようになったという話が出てきました。その中で、三重県の津市のことも出てきたので、たまたま、津市出身で、浄土系の名門中学校を出ている学生時代の友人がいるので、メールで聞いてみたところ、「私が育った安濃津(あのつ)あたりは、差別された人たちが多く住んでいて、私が通った小学校は、全国でも同和教育のモデル校として表彰されたこともあります。中学は浄土真宗の学校でした」といった答えが返ってきました。

 いきなり、初めて聞く「安濃津」という地名が出てきましたが、特に調べることはなく、津市の郊外にある地名なのかなあ、と思っていたら、どうやら、津城が安濃津城(津市丸之内)と呼ばれるぐらいですから、津市の中央部もかつては安濃津と呼ばれていたのかもしれません。

 となると、古代に征服されて、差別された人たちは、中世になって浄土系の宗教に救いを求めるようになり、その領地には寺院が建てられ、戦国時代になって、城郭が建てられたという仮説が成り立つのではないかと思ったわけです。よく知られている史実として、蓮如の建てた石山本願寺の跡地に大坂城がつくられ、このほか、 加賀前田藩の金沢城は、それ以前は、加賀一向一揆の拠点だった浄土真宗の尾山御坊という寺院だったといいます。

  私の晩年の趣味は、どういうわけか、いつの間にか、お城と寺社仏閣巡りになりましたが、城郭と寺社とは、水と油(戦闘と慰霊)で全く関係がないと考えていたら、意外にも密接な関係があったのですね。本当に驚きました。

 日本の歴史や文学、美術を知るには、仏教思想が欠かせませんが、当然ながら、寺社仏閣や城巡りの際にも、仏教思想はこうして役に立つわけです。

唐沢山城(伝藤原秀郷の築城、日本の100名城)

 先程の安濃津城は、浅はかにも、藤堂高虎の築城かと思っていたら、永禄年間(1558~70年)に、伊勢の有力国人・長野一族の細野藤光が築城したものでした。しかし、織田信長が伊勢を征服し、その弟の信包が城主となります。関ケ原の戦いの後になって、藤堂高虎が入城し、全面改修し、城下町も整え、明治維新まで藤堂家が続きます。

 藤堂高虎は、築城の名人と言われ、調べば調べるほど、とてつもない偉人だったことが分かります。伊勢の人ではなく、もともと、近江の甲良荘(滋賀県犬上郡)出身で、甲良大工という築城集団がいたようです。藤堂高虎もその影響で、伊予の今治城(海城)と宇和島城(重要文化財)、それに伊勢の安濃津城と伊賀上野城などを作り、江戸城、大坂城、二条城、丹波亀山城などを改修、篠山城、名古屋城などの縄張りを任されています。徳川家康も一目置いて、江戸の屋敷は、寛永寺そばの上野の領地を与えます。上野は、勿論、伊賀上野から取って付けられた地名です。

 明智光秀もいいですが、藤堂高虎も大河ドラマの主人公にしてほしいものです。

スマホに支配される前に自分自身を知れ!=ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」

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 ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社 ) を読了しました。どちらかと言えば、歴史書ではなく、哲学書でした。深い歴史の知識に支えられた歴史哲学書でした。深く考えさせられました。

 色んな書評が出ているでしょうが、どれも、象を撫でて、犬だ、猫だと言っているような類で、どれも的確でない気がします。一言でまとめること自体、複雑な示唆に富む論考が数多含まれているからです。強いて言えば、「訳者あとがき」が最も著者の意図を端的に代弁しているかもしれません。(例えば、著者のハラリ氏は、謙虚さを重視し、一神教よりも多神教に優しい目を向ける、とか、著者は人類の将来に非現実的な期待を抱いていないが、絶望もしていない、などといった部分)

 前著を読んでいない私が意外だったことは、ハラリ氏はイスラエル出身の人ですから、ユダヤ教やシオニズムなどに対して絶対的な信仰と信頼を置いているかと思っていたら、言ってよければ、冷ややかに批判的に見ていることでした。それどころか、人類の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史から見れば、宗教も思想も人間の生きる価値までもが取るに足りない、大したことはないと明示しているのです。科学者らの見解を引用して、そもそも2億年後には哺乳類は絶滅する、とまで書いていますから、王の墳墓も歴史的建造物も何もかも無意味に思えてきます。

 ハラリ氏はこんなことを書いています。

 「自己嫌悪に陥ったユダヤ人」あるいは「反ユダヤ主義者」だ思われたくないので強調しておきたいのだが、私はユダヤ教が特別邪悪な宗教だとか、暗愚な宗教だとか言っているわけではない。ただ、ユダヤ教は人類史にとって、特別重要ではなかったと言っているだけだ。ユダヤ教は何世紀にわたって、…書物を読んでじっくり考えることを好む、迫害された少数派の質素な宗教だった。(255ページ)

 シオニズムは、地表のおよそ0.005%の土地を占める、人類のおよそ0.2%の人々(ユダヤ人のこと)がほんのわずかな時間に行った冒険を神聖なものとしている。シオニズムの物語は、…モーセやアブラハムが生きた時代や類人猿の進化の前に超過した果てしない歳月にも、何一つ意味を与えていない。(354ページ)

 エルサレムは「ユダヤ民族の永遠の都」であり、永遠のものに関しては絶対に妥協できないと、彼らは主張する。…現在の宇宙の年齢は138億年。地球はおよそ45憶年前に形作られ、人類は少なくとも200万年存在してきた。それに対して、エルサレムはわずか5000年前に創設され、ユダヤ民族は長くても3000年の歴史しか持たない。これでは永遠という資格はとうていない。(同ページ)

 ユダヤ教超正統派の男性の約半分が一生働かない。彼らは聖典を読み、宗教的儀式を執り行うことに人生を捧げる。彼らと家族が飢えずに済むのは、一つには妻たちが働いているからで、一つには(イスラエル)政府がかなりの補助金や無料のサービスを提供し、基本的な生活必需品に困らないようにするからだ。(67ページ)

 このほか、現代人に対して、こんな風に批判しています。

 テクノロジー自体は悪いものではない。…だが、人生で何をしたいのか分かっていなければ、代わりにテクノロジーがいとも簡単にあなたの目的を決め、あなたの人生を支配するだろう。…スマートフォンに目が釘付けになったまま通りを歩き回るゾンビたちを見たことがあるだろう。あなたは彼らがテクノロジーを支配していると思うだろうか?それとも、テクノロジーが彼らを支配しているのか?(345ページ)

コカ・コーラをたくさん飲んでも若返られないし、健康になれないし、運動が得意にもなれない。むしろ、肥満と糖尿病になる危険が高まる。それにも関わらず、コカ・コーラは長年、膨大な資金を投じて、自らの若さや健康やスポーツと結びつけてきた。(309ページ)コカ・コーラや アマゾン、百度、政府がみな我先にあなたをハッキングしようとしている。あなたのスマホやパソコンや銀行口座ではなく、あなたとあなたの有機的なオペレーションシステム(OS)をハッキングしようと競っている。私たちはコンピューターがハッキングされる時代に生きていると言われるが、…、実は私たち人間がハッキングされる時代に生きているのだ。(一部換骨奪胎)(346ページ)

 やはり、訳者もあとがきで、引用しているように、この本で著者が最も言いたかったことは、次の部分かもしれません。

 もちろん、あなたは、権限を全てアルゴリズム(AIによる問題解決の方法や手順)に譲り、アルゴリズムを信頼して自分のこともそれ以外の世の中のことも全て決めてもらって、満足そのものかもしれない。それならば、くつろいで、そういう暮らしを楽しめばよい。…だが、自分という個人の存在や生命の将来に関して、多少の支配権を維持したければ、アルゴリズムより先回りし、アマゾンや政府より先回りし、彼らより前に自分自身のことを知っておかなければならない。

 著者のハラリは、その自分自身を知る一つの方法として最後にヴィパッサナー(物事をありのままに鑑札する、という意味)瞑想を挙げていました。確かに、タイトル通り、21世紀に生きる人類のための指南書でした。

【追記】

 ●法然は「選択本願念仏集」の中で、念仏(仏を念ずる)の手段として、凡夫では到底できない瞑想よりも、易行である称名を選択するべきだ、という革命的理論を展開していました。

 ●著者のハラリ氏が本書で言いたかったことは、既に古代ギリシャの賢人が述べています。

 人生の究極的な価値とは、ただ単に生き長らえるということではなく、むしろ、気づきと深い思考を巡らすことに掛かっている。(アリストレス)

京都・北野天満宮「終い天神」で猿まわし

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おはようございます。京洛先生です。

クリスマスも終わり、「もういくつ寝ると♪お正月♪♪」ですね。帝都での忘年会は大盛会で何よりでした(笑)。

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洛中では、12月25日(水)は、北野天満宮の今年最後の「天神市」でした。毎月、菅原道真の命日の25日に開かれている「天神市」ですが、一年の最後なので「終(しまい)天神」と呼ばれています。

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以前、渓流斎さんも、大枚をはたいて、中古の「英国製高級ジャケット」を買い求められましたが、「終い天神」は、年の瀬ということもあり、正月の飾りつけ、料理の材料用品などが売られていて、季節感を味わえますね。

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朝から晴天に恵まれ、10万人を超える参拝客や買い物客で、北野天満宮周辺は終日、大にぎわいでした。

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境内周辺には約1000軒の露店が並びましたが、本殿近くでは、「猿まわし」も来ていて、昔の風情も残っています。好いですね。

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お猿の飛んだり、跳ねたりの熱演後、見てのお代の「ザル」が回されましたが、気風の好い人も多く、ザルの中には、小銭だけでなく、お札もかなり投げ込まれていて、お猿さんも満足したと思いますよ(笑)。

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神社の境内と、見世物、興行は一体ですが、貴人も、お正月は近所の氏神様だけでなく、初詣で賑わう都心の大きな神社に出向いて、こうした「猿まわし」などのパフォーマンスが今も続けられているかどうか、実地検証されては如何でしょうか。

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部屋に閉じこもって、本ばかり読んでいる場合じゃないですよ(笑)

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以上

「昼の憩い」京都農林水産通信員、いや、京都ふるさと通信員の京洛先生でした。

人口減で年金が出ない?

 今年2019年に国内で誕生した日本人の子どもの数は、1899年の統計開始以来初めて90万人を割り込むそうですね。厚生労働省の推計では86万4000人だとか。アジャパーです(死語)。

  とにかく、かなりの人口減で、厚労省の国立社会保障・人口問題研究所の試算では、2019年の1億2615万人が2050年には1億人を切り、2100年には今の半分以下の5000万人を割り込むと予想しています。

 日本の財界を牽引するメディアである日本経済新聞は「少子化は社会保障の支え手の減少に直結するほか、潜在成長率の低迷を招く恐れがある。人口減が予想より早く進む事態への備えが求められる」などと書いておりますが、何処か他人事のように聞こえます。

  ソ連崩壊を予言した歴史人口学者のエマニュエル・トッド博士に、これからの日本はどうなってしまうのか、聞いてみたいものです。 でも、明るい未来像を描いていないでしょうね。そもそも、少子化の要因の一つが、規制改革とやらで団塊ジュニア世代を中心に非正規雇用者を大量に生み、結婚したくても、できない若者が増えたことにあります。政治権力者による政策の失敗という人災みたいなところがありますから。

 出生率の低下は日本だけではなく、お隣の韓国でも深刻です。2018年の日本の出生率は1.42でしたが、韓国では1を切って0.98だったといいます。人口減に苦しむ極東の先進国は、開発途上国からの移民を受け入れざるを得なくなり、国家や国の在り方が激変するかもしれません。そうでなくても、日本は学校や職場でも陰湿ないじめや村八分が多いですから、異国人とはマナーや宗教や文化などの相違で摩擦と軋轢が生まれることでしょう。

◇日本人は本を読まなくなった

 さて、国立青少年教育振興機構がこのほど、全国の20~60歳代の男女5000人を対象に、読書習慣に関して調査した結果、1カ月に本を全く読まないと答えた人は、全世代で49・8%に上ったといいます。2013年の調査では28・1%でしたから、大幅に増えたことになります。特に20歳代に絞ると52・3%ですから、この世代の半分以上は本を読んでいないことになります。

 確かに電車内で本を読んでいる人は、年配者しかおらず、若い人のほとんど全てがスマホと格闘しています。ニュースやSNSをやっている人もいますが、まあ、大体、文字通り、スマホ・ゲームで格闘していますね。

 外国から来る人たちは、生活と生命が掛かっていますから、一部ですが、電車内でも一生懸命に勉強しています。

鳥取砂丘

◇Tomorrow never knows

  今、ユヴァル・ノア・ハラリ著「21世紀の人類のための21の思考」(河出書房新社 )を読んでいますが、「雇用」「宗教」「移民」「戦争」「神」など21の項目を哲学的に論考しています。「人工知能(AI)の発達のおかげで、無用者階級が生まれるだろう」などと予測していますが、「未来のことは、どうなるのか誰にも分からない」と正直に語っています。そこがこの本の良いところです。

 あと80年もすれば、日本の人口が半分になってしまうなんて、想像もつきませんが、悲観的、絶望的にならざるを得ないなあ、と思いつつ、途中で筆を置いて(正確にはパソコンを切って)、ランチに行きました。そしたら、某レストランで40歳代後半と思しき男性サラリーマン4人が、何と、人口減の話題で盛り上がっていました。そのうちの一人が「人口は51万人ぐらい自然減となり、鳥取県と同じ人口が消えたんだって。でも、鳥取は県だけど、八王子市と同じくらいの人口だけどな」と、さも自分が調べたかのように、新聞で読んだことを話してました。

 そしたら、もう一人が「俺たちの年金、どうなっちまうのかなあ。支えてくれる世代がいなくなれば、出なくなっちまうんじゃないか」と反応し、その一言で、一座はシーンとなってしまいました。

「一笑一若 一怒一老」=笑う門には福来る

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週末に何気なくテレビを見ていたら、声優の羽佐間道夫さんという人が登場し、随分含蓄のあるタメになる人生訓のような話をされていたので、つい見入ってしまいました。

 大変失礼ながら、よく存じ上げなかったのですが、この方は、テレビ草創期から洋画の吹込みなどで活躍してきた大御所というか、重鎮でした。 羽佐間という名字はどこかで聞いたことがあると思ったら、実兄は元NHKアナウンサーの羽佐間正雄氏で、従兄はフジサンケイグループ代表などを歴任した羽佐間重彰氏だったんですね。「赤穂浪士の間光興の直系子孫で、オペラ歌手の三浦環の親戚」という情報もありました。

 それはともかく、声優としては、「ロッキー」のシルベスター・スタローンを始め、ポール・ニューマン、ハリソン・フォードらの吹き替えなど数多ありました。意識していませんでしたが、結構耳に入っていたわけです。

 今はアニメブームとやらで、声優になりたい若い志願者がたくさんいるようで、羽佐間氏も後進の指導に怠りありません。オーディションのような風景も写っていました。確かに若い女性の「演技」はテクニックがあり、上手いといえば上手い。しかし、どこか、コンピュータのような金属的な音の感じがします。その場で、羽佐間氏が比喩的に批判した言葉が妙に的を射ていました。「君はネズミの役はできるかもしれないけど、それじゃあ、ゾウの役はできないね」

 うまいことを言うなあと思いました。羽佐間氏によると、今の若い人たちは、上手だけど、みんな、御姫様か王子様の役ぐらいしかできないといいます。つまり、幅がないというか、かつての声優はもっと役域が広く、魅力的だったと言いたかったようです。その理由として、現在は、情報は目(視覚)から入ることがほとんどで、若い人はあまりラジオも聴かない。そうなると、声だけを聴いて想像する力が衰え、聴衆者のレベル(聴力)も下がる。同様に製作スタッフの聴力も下がるので、声優の力も衰えるというのです。

 これは名言ですね。動物はもともと、姿は見えなくとも、音によって遠くから忍び寄ってくる危険を察知していたものです。また、あらゆる芸術作品にはやはり、審美眼がしっかりした批評家や大衆がいなければ、作品そのものの質は向上しないわけです。これは何も芸術作品に限った話ではなく、政治の世界も同じでしょう。今の体たらくな政治家を選んでいるのは有権者なのですから、有権者のレベルが政治家に反映しているわけです。

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 羽佐間氏のそのバイタリティ溢れる話しぶりと容貌から、70歳ぐらいかなと思ったら、昭和8年生まれの86歳だと聞いて吃驚してしまいました。インタビューワーが、若さの秘訣を尋ねると、 東京ミッドタウン日比谷の「ザ・スター・ギャラリー」にある俳優の宝田明さんのプレートの話をしてくれました。そこには、スターの手形とサインと一緒に 一言添え書きがしてあるらしいのですが、宝田さんは「一笑一若 一怒一老」と書いているそうです。つまり、一つ笑えば若返り、一つ怒れば、年を取るといった意味でしょう。宝田さんは昭和9年生まれの85歳。旧満洲で、侵攻したソ連兵に撃たれ、一命を取りとめて苦労した宝田さんだけに、この言葉に込める意味の重さを感じました。

 羽佐間さんは若い頃、舞台俳優を目指していましたが、とても食っていけずに声優に転向したという後悔が今でも残っているようでした。当初は、声優は、俳優のように顔を出さず、セリフを暗記しなくても済むので、ギャラは俳優の7掛け(7割)と決められていたのですが、ストライキを起こして、声優も俳優並みのレベルに引き上げた苦労話もしていました。

 私は最近、街中や電車内などでも一人で怒ってばかりいたので、これでは老けますなあ(苦笑)。やはり、「笑う門には福来る」ですね。

12月23日(月)放送NHKファミリーヒストリー「阿川佐和子~祖父は知られざる名建築家 そして父の遺品に」をご覧になってください

 満洲研究家の松岡將氏から、大変嬉しいメールを頂きました。

…実は、資料提供その他、小生が色々と協力したNHKのファミリーヒストリー番組「阿川佐和子~祖父は知られざる名建築家 そして父の遺品に」が12月23日(月)夜7時30分から放送されることとなりました。よかったら、ご覧になってみてください。

 内容は、阿川家三代(阿川甲一、弘之、佐和子・尚之)のお話で、この阿川甲一は、拙著『在満少国民望郷紀行』の始めに出てくる(露清密約に基づく)ロシアの1898年東清鉄道建設着工当時からハルビンに渡るなど、時代の風雲児であり、日露戦争後、満鉄長春附属地にて、多くの土木工事を手掛けた、阿川組のトップでした。それで、あまり長くはならないようですが、(現在の)長春のシーンなども出てくるようです。

 本件に関して、阿川弘之著『亡き母や』には、「明治42年、日露戦争に通訳官として従軍した阿川甲一は、戦後長春で阿川組を設立、事業を興し、羽振りをきかし…」とあるのだが、その証左として、小生が提供した阿川組のオフィスの在所(満鉄長春附属地内 日本橋通り16)の地図が出てくる筈です。ご覧のように、「日本橋通り16」は、新京(長春)駅直近で敷地も広く、しかも、オエラさんたちが出入りしていたヤマトホテルにも直近。これも、拙著『在満少国民望郷紀行』執筆・刊行の“お勉強”の成果です(同書P133参照)。

満鉄長春附属地内 日本橋通り16  Copyright par Duc de Matsuoqua

7年ほど前にも、NHKの番組には、フィギュアスケーター小塚崇彦一家の件(祖父小塚光彦が満洲国協和会職員)で協力したことがあるのだが、今回も、その繋がりもあったかと思われます(この時は、担当者に協力して、拙著『在満少国民望郷紀行』P151、③の写真を発掘したりもしたのでした)。

 今回のファミリーヒストリーの番組最後には、小生の名前が、地図や資料提供者としてクレジットされる由。こういった機会は、小生自身にとっても、問題意識を持って歴史を深掘り出来る、大変いい機会だと思っています。…

 凄い話ですね。私も楽しみに拝見させて頂くことにします。