健康に老いる脳のための栄養学

新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

日本国憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定されおります。

ということで、昨日は東京駅日本橋口に隣接するサピアタワーという私も生まれて初めての超高級会員制の建造物内で開催された関西にある有名大学が主催する「秋期講座・研究会」を、皆さんを代表して、有料で受講してまいりました。

関西の大学でも東京都心にネットワークキャンパスがあるわけです。

テーマは「健康に育ち、健康に老いる脳のための栄養学」です。

複雑な事情を抱えた小生にとっては、喫緊の課題で、背に腹はかえられない状況でもありましたので、少し講義料が高いと思えましたが、2カ月も前から予約して銀行振込(メガバンクによる手数料強奪)してこの日に備えておりました(笑)。

非常に次元の低い話ではありますが、講義では、しっかりとお茶とお菓子とお土産のチョコレートまで用意されていて、十分元が取れました(笑)。

「講義料が高い」なんて言ってごめんなさい。次回も何か面白そうな講義があれば、お菓子目当てに参加したいと思っています(子供かいな?)

 新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

講義は、全く聞いたことがない初耳の話は少なく、今では、ネットでチョコチョコと検索すれば、出てくるような内容でしたが、やはり、肉声で聴いて、自分でメモする、という行為そのものは、必ずや、記憶に結びつくものだという考えに、この講義を聴けば誰でも至ります。

とにかく、脳や身体の健康を保つのに最も重要な要素は、睡眠食事の二つだということが分かりました。

講義をされた睡眠科学がご専門の知能情報学部の准教授によりますと、私は個人差があると思いますけど、人間の理想の良質な睡眠時間は7時間半なんだそうです。

睡眠不足だと、(1)グレリン(空腹ホルモン)が増加し、レプチン(満腹ホルモン)が減少することから、肥満率が増加。
(2)コルチゾール(ストレスホルモン)が過剰分泌され、風邪などウイルス性疾患に罹りやすくなる。
(3)成長ホルモンの分泌が抑制されて、骨粗しょう症や骨折などを発症しやすくなる。
(4)作業・学習効率の低下(長距離バス事故、スリーマイル島事故)につながる。

…そうです。このほか病気としては、心血管疾患(ストレスホルモン過剰)、糖尿病(インスリン感受性低下)、高血圧、そして精神疾患のリスクが高くなります。

※コルチゾールは、ストレスを起こす抗酸化物質という悪い面がある一方、睡眠ホルモンのメラトニンを抑え、日中、ヒトの活動を活発化させる元気の基となる良い面があります。古代ならヒトは、敵や猛獣に襲われる危険があり、闘争逃走本能が引き出されます。コルチゾールが分泌されなければ、朝起きることさえできません。

睡眠には、(1)オーバーヒートした脳を休める
(2)心身を修復する(筋肉を動かし、脳を働かせるミトコンドリアを増やしてくれる)
(3)成長を助ける(20分程度の昼寝で、アルツハイマーの予防になります)
(4)記憶を根付かせる
…効果があるそうです。

人間の一日の「生体リズム」を簡略してみますとー。

(1)朝、コルチゾールで目が覚める。
(2)朝食は必ず摂ること。特に、タンパク質のトリプトファン(大豆食品、乳製品、肉、卵、バナナなど)がいい。
(3)このトリプトファンは、昼間の日光を浴びると、セロトニン(幸福物質)というホルモンが分泌され、「楽しい」「幸せ」を感じる。
(4)夕方から夜は、オレンジ色の光を浴び、パソコンやスマホ、テレビなど明るい光を避け、入浴は就寝の2時間前に済ます。
(5)夜食は、海老、ホタテなどグリシンがお勧め。亜鉛が多く含まれるから。亜鉛は成長ホルモンと細胞再生の働きがある。
(6)夜は睡眠のため、高カロリー食品、高タンパク質、アルコール、カフェイン、チョコレートは避ける
(7)トリプトファン効果で、睡眠ホルモンのメラトニンが分泌され眠くなる

※セロトニンは、腸に90%、血液に8%、幸せ物質になる脳にはわずか2%しか行きません。腸で過敏になると、下痢になり、血液で過敏になると偏頭痛を起こします。
※亜鉛の細胞再生の働きとは、特に舌が関係します。舌は熱い食べ物などによって細胞が破壊され、常に再生されているそうです。ですから、亜鉛が不足すると大変なことになります。
※メラトニンには、オーバーヒートの体温を下げ、成長ホルモンの分泌を促し、深い睡眠に導く効果があります。

 新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

最後に栄養のある食事について記述します。

【身体のための栄養】
(1)タンパク質(バリン、ロイシン、イソロイシン)
(2)脂肪(コレステロール)⇒細胞壁やホルモン合成に働く
(3)ミネラル
(4)ビタミン

【脳のための栄養】
(1)タンパク質(トリプトファン、メチオニン、ヒスジチン、チロシン)
(2)脂肪(コレステロール、アラキドン酸、EPA/DHA、ホスファチジルコリン)

※トリプトファン⇒幸福感、やる気(大豆食品、乳製品、肉、卵、バナナ、蕎麦)
※メチオニン⇒うつ状態の改善(大豆食品、乳製品、肉、卵、キンメダイ、サバ)
※ヒスジチン⇒学習力、記憶力(鶏肉、豚肉、マグロ、カツオ、イワシ)
※チロシン⇒学習力、記憶、やる気(大豆食品、乳製品、肉、卵、カツオ、イワシ、海苔、キウイ、タケノコ)
※アラキドン酸⇒アナンダマイトに変わり、満足感、幸福感を誘発(豚の肝臓)
※EPA/DHA⇒動脈硬化を抑える(魚)
※ホスファチジルコリン⇒アセチルコリンに変わり、運動、学習力を高める(麦芽、ピーナツ等)

以上、いずれの物質も、ホルモンも良い面、悪い面があり、バランスを取ることが肝心です。過ぎたるは及ばざるがが如し!

マカローニ、ナポリターノ、トレルナラトッテミーロ

マカローニ、ナポリターノ、トレルナラトッテミーロ

皆様ご案内の通り、渓流斎ブログは、ほぼ毎日、通勤電車の中でスマホで、この私、濁流斎が書いております。

何と!今朝スマホを見たら、充電不足で、電池切れしそうです。

そこで、今日はあんまり書けませんので、お許し下さい。…何?ちょうどよかった、てか?

マカローニ、ナポリターノ、トレルナラトッテミーロ

これは、学生時代にヨーロッパを放浪していた頃、電車内で一緒になったある日本人の学生が、パスポートと切符の点検で回ってきた車掌さんに向かって言い放った言葉です。

その車掌さんがイタリア人だったかどうか、忘れてしまいました(笑)。ただ、確実に言えることは、車掌さんにはまるっきり通じなかったことです。もともと意味ないですからね。

しかし、周りの我々日本人は大爆笑。妙にその場の雰囲気にピッタリでした。そこで、我々も暫く、何処に行っても、真似して使ったものでした。

あ、今日は、昨日の続きを書くのを忘れてしまいました(笑)。

ボブ・ディランがノーベル賞とな!?

ローマ・ナヴォナ広場

最近、沢山のコメントをお寄せくださいまして、感謝申し上げます。

さて、今年のノーベル文学賞に、ミュージシャンのボブ・ディラン氏が受賞したということで、驚きの声が上がっています。

しかしながら、彼はもう25年以上も前から候補リストに上がっていました。(主催者が発表するわけではなく、あくまでもリストとして)

25年以上も前にこのリストを見たとき、流石の私も驚いたものでした。

そもそも、私のディランとの出会いがあんまり良くありません(笑)。代表曲「風に吹かれて」を初めて聴いたのは、ピター・ポール&マリーで、彼らの十八番だと思っていました。

ヒット曲「ミスター・タンブリンマン」もバーズで初めて聴きましたし、いずれも「本家本元」のディランの唄を聴いた時は、非常にガッカリしたものです。

でも、フォークからロックに転向したとして、観衆からブーイングを受けた象徴的な「ライク・ア・ローリングストーン」を聴いた時は、ノックアウトされました。この曲は、ローリングストーンズもカバーしていますが、やはり、ディランじゃなきゃ味が出ません。

ということで、ディランの追っかけは、ジョージ・ハリスンの「バングラデシュ・コンサート」にも出演した1970年代(この頃でさえ、既にディランは過去の人とみなされていた)で終わってしまいました。90年代にニューアルバムを一枚買いましたが、とりわけ感心したわけでもありませんでした。(しかし、2005年公開、マーティン・スコセッシ監督の映画「ノー・ディレクション・ホーム」はよかった!)

それが、ディランを見直すきっかけになったのが、2005年に発行された「ボブ・ディラン自伝」を読んでからです。本当に魂消ました。(ネット通販では、この本が1万9480円にも値上がってる!捨てなきゃよかった)その読書量の半端でないこと!仏詩人ヴェルレーヌ、ランボーなんか序の口で、若い頃から、プラトンもアリストテレスも、デカルトもカントも、それにマックス・ウェバーもケインズもあらゆるジャンルの本を読破しているのです。

ディランは、若い時は、暇に任せて毎月100冊近く読んでいたようです。しかも、記憶力が抜群で、いちいち細かい所まで覚えているのです。

嗚呼、これなら、ミュージシャンである前に、超一流の詩人になれるはずだな、と確信したわけです。

ボブ・ディランの本名は、ロバート・ツィマーマンで、ジョン・レノンの「マザー」の中でもその名前が(ディランではなくて、ツィマーマンが)登場します。ユダヤ系で、祖父の代から、オデッサ(あのオデッサ・ファイルで有名)から米国に移住したようです。

新聞各紙(て言うか、共同通信)では、この本名が明記されないので、不思議に思っていたら、どうやら改名して、芸名を戸籍に届けたようですね。ディランは、英国の詩人ディラン・トーマスから借用された、と言われますが、真実は知りません。

1986年に二度目の来日を果たした時の記者会見で、「悩み? あるよ。人間だからね」と発言した言葉が、今でも妙に頭の奥底に残っています。

稲荷山古墳の国宝鉄剣と相見ゆ

さきたま古墳群

どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座います。地方から東京に出てきた多くの若い人は、雑誌かネット情報で、世田谷とか目黒とか吉祥寺辺りに憧れて住みたがりますが、都内には意外と知られていない穴場があるわけです。

昨日は体育の日で、渓流斎の出所記念日に当たりましたので、遠足会を実施しました。

目的は、さきたま古墳群の稲荷山古墳で1978年に出土した115文字の金色の銘が刻まれた国宝の鉄剣の拝観です。

この企画に宇都宮氏の末裔で、古代豪族の流れをくむとも噂される栗林氏が賛同して下さり、十返舎一九さながらの弥次喜多道中で楽しくお参りができました。

まずは、埼玉県行田市の皆様には感謝申し上げます。JR行田駅東口に「行田市観光案内所」がありまして、そこで無料のレンタル自転車を拝借させて頂いたのです。

JR行田駅周辺には、驚くべきことに殆ど商店がなく、はっきり申し上げれば、かなり寂れており、道路の横断歩道の改修も何年もやっていない感じで、表示が薄れていました。市の予算がないのでしょう。

それなのに、無料で自転車を貸し出してくれるのですから、頭が下がります。

さきたま古墳群には、10基ぐらいの古墳がありまして、全てを回りきれませんでした。史料館の入場料は、200円という安さです。

お目当ての鉄剣は、本物は、東博か宮内庁で保管されて、レプリカが展示されているかと思いましたら、当時の埼玉県知事の畑和(はた・やわら=加須市出身。旧制浦和高校~東京帝大~弁護士)氏が「国宝鉄剣は、埼玉県の宝だから、県が責任を持って保管しよう」と提案して、茲、さきたま古墳群史料館で展示されるようになったそうです。これ以上錆びないように、つまり、酸化しないように、窒素ガスで、保存されておりました。

よく知られているように、この古代のさきたまの地名が、入間郡と争って県名になりました。もし、さきたまが敗れていたら、今頃、入間県になっていた可能性があるわけです。

史料館では、運良くボランティアの80歳前後のガイドさんと巡り会い、鉄剣の由来をじっくり説明して頂きました。やはり、第21代雄略天皇の時代のものらしく、鉄剣の銘には、この剣の持ち主の祖先は代々天皇の親衛隊長を務めていたと書かれているそうです。

この埼玉の豪族が、大和の天皇族との交流があった確かな証拠ですが、この埼玉の豪族がもともと大和の豪族で、埼玉に移住したのか、埼玉の豪族が大和に行ってまた戻ってきたのか、不明で、まだ解明されていないそうです。

しかも、これだけ広大な古墳をつくる豪族ですがら、邸宅跡や統治した民の住居跡があるはずなのに、古墳近辺では未だに発見されていないそうです。(周辺の火山噴火による埋没説もあるそうです)

これだけ権力を振るった埼玉の豪族の名前も不明。まさに、謎だらけです。

古墳と言えば、関西や九州にあるとばかり思っていましたが、関東にもかなり多く発掘され、今の千葉県や茨城県にはかなりあることが史料館の地図に描かれていて、私は知らなかったので、大変勉強になりました。

さきたま古墳群は綺麗に整備されて公園のようになっており、家族連れが目立ちました。

天下のNHKでは、今、古墳がブームで、沢山の古墳女子が溢れていると放送してましたけれど、一人も見かけなかったなあ…

忍城

古墳近くの小汚いお店で、名物のゼリーフライ(お好み焼き)を食してから、マイカー(レンタル自転車)で、忍城に行きました。

あの石田三成も落とせなかった「のぼうの城」として、小説化、映画化されて一躍全国区的に有名になりました。

城内は史料館になっていまして(入場料200円)、江戸時代、この忍城は徳川家康の四男が城主になったことから、譜代大名として多くの老中を輩出した雄藩だったということも初めて知りました。

いやあ、今回は、かなり収穫のある遠足会でした。

異国文化の受容と変容の研究

ミラノ

来週あたりに発表される今年のノーベル文学賞は、日本のあの作家さんが毎年のように候補筆頭として挙げられておりますが、私は、現代日本を代表する作家なら、彼ではなくて、池澤夏樹さんを挙げます。

常軌を逸した熱狂的なファンが多いあの作家さんについて、批判的なことを書くと差し障りがあるので茲では書きません(笑)。

池澤夏樹さんは先日、新聞のコラムで、「権利という言葉は、rightの翻訳だが、rightの元々の意味は『正しい』ということ。正しいから要求できる。そこに『利』を使ったために、この概念はどこか物欲しげになってしまった。『権理』だったら、理は『ことわり』だから、もっと堂々と要求できたのに」と、随分面白いことを書いていました。

ところが、です。明治になって欧米の言葉を悪戦苦闘して盛んに翻訳した先人の一人である福沢諭吉は、ちゃんとrightを「権理」と翻訳するよう主張していたのですねえ!(池澤大先生は知らなかった?)

「権利」と主張したのは、西周(にし・あまね)です。「哲学」「科学」「抽象」なる翻訳語を生み出しのは、フリーメンソンの会員だったとも言われる西周の手柄ですが、「権利」だけは、「経済」などの言葉を作った福沢諭吉の方に「理」がありそうですね(うまい!)。

以上のこと(小生も補足しましたが)を教えてくれたのは、袖川裕美著「同時通訳はやめららない」(平凡社新書)です。

以前にも書きましたが、著者は渓流斎の大学の同級生で、この本を手に入れるのにネット通販の苦天を利用したため、散々な目に遭ったことを書きました(笑)。例の本です。

袖川さんはレディですから、女優の吉田羊さんのように生年月日を公表してませんので、私も堂々と同級生と公言できます(笑)。この本は、実に面白いので、いつかまた書きます。御本人については身近で知っていたので、文章を読んでも超真面目な彼女の息遣いまで聞こえてきて、可笑しくなります。

私も袖川先生(昨年から大学の教師になったようです)に負けないように、何十年も英語とフランス語を勉強し続けておりますが、いまだに分かりませんね。イタリア旅行に行った際、航空機内で字幕なしの米国映画を見ましたが、理解度は4割程度。半分以上聴き取れなかったわけです。情けない。

先日、ラジオのビジネス英語講座を聞いていたら、「日本とアメリカは、喪服は黒色が通常ですが、中国や韓国は白色が正式です」という話を聞いて、「知らなかったなあ」と感心してしまいました。私は、御葬式は世界中、黒色かと思ってました。政治が好きな皆さんは、日本と中国・韓国は、文化が違うことを前提にしなければなりませんね。

もう一つ、「ジャーナリストの死」のことを英語で何というか?これまた、吃驚です。えっ?そうなの?じぇーん、じぇーん知らなかったです。ヒントは、中学一年生で習う単語です。

賢明な読者諸兄姉の皆様は、ご存知だと思いますが、答えは次回。お楽しみにです(笑)。

スッピンマスク

ミラノ

先日、テレビで、「イタリア人は、マスクをしない」といったバラエティー番組をやってましたが、イタリア人は、マスクをしないどころか、マスクそのものを知らないといった風情でした。「暑苦しい」と、イタリア人は、すぐマスクを外してしまうのです。

で、そんな中で、この間のイタリア旅行の 帰国のミラノ国際空港で、ツアーで一緒だった日本人の若い女性の殆ど全員がマスクをかけていたので、それはそれは異様な光景でした。

これは、後から聞いたら、「スッピンマスク」と言うらしいですね。詳しい事情は、以下の通り。

今回のイタリア旅行のツアーには33人が参加しました。親子3人、初老の熟年アベック(死語)、女友達同士、新婚のハネムーンカップルなどでした。

その中で一番目立っていたのが、たった一人で参加した若い女性でした。お人形さんのように可愛らしく、二十歳そこそこの学生さんに見えました。

「こんな若い女性が一人で参加して大丈夫かな?相手は世界一腰が軽いイタリア男だからなあ」と内心心配しておりました(笑)。

そのうち顔見知りになり、少し話をしたところ、見掛けとは全く違って、かなり男っぽくて、物怖じしない性格だということが分かりました。また、美大を卒業してキャラクターデザインの会社で働くデザイナーさんであることも分かりました。

で、そのお人形さんのような清楚な彼女が、帰国のミラノ空港にいないのです。添乗員さんの点呼でやっと分かったのですが、彼女はお化粧をすっかり落として、コンタクトからぶ厚い眼鏡を掛け、顔全体をマスクで覆っていたので、近くにいても分からなかったのでした。

日本とイタリアは、13時間の長期フライトです。その間、若い女性は、お肌のために化粧しっぱなしでいるわけにはいかず、スッピンになるそうですが、その顔を隠すためにマスクをしていたわけです。

こんな奥床しいことをするのは、世界は広しと言えど、大和撫子だけでしょうねえ。

でも、清楚なお人形さんの風貌が全く分からなくなってしまったことには、参った、参った。見てはいけなものを見てしまった感じです(苦笑)。

「ハドソン川の奇跡」は★★★★★

ミラノ・スフォルツァ城

映画「ハドソン川の奇跡」を千葉県で見てきました。クリント・イーストウッド監督作品だからです。

2009年1月15日に実際に起きたUSエアウエイズの鳥激突による両エンジン停止でNYのハドソン川に不時着陸して、155人の乗員乗客の生命を救ったサリー機長(トム・ハンクス)とジェフ副操縦士(アーロン・エッカート)の物語です。

当初、英雄として迎えられた機長らも、事故調査委員会の調査で一転して「容疑者」となります。

どうなるのか、は見てのお楽しみです。

全編、緊張感があり、映像に少し無駄がありましたが、トッド・コマーニキの脚本が無駄がなくていいです。1時間50分という時間もちょうどいい長さです。

 ミラノ・スフォルツァ城

以下は、私がこの映画のどこに着目したか書きます。未見の方は、この先はお読みにならない方がいいと思います。

て、ゆーか、映画を観ないと、読んでも分からないと思います(笑)。

私がまず、「オー」と思ったのは、主役のサリー機長演じるトム・ハンクスらの着ているものが、何から何まで超高級品に見えたことです。

さりげなく着ていた薄いセーターも恐らくカシミア製でしょうし、上下のスーツはかなり高級なイタリアン・スーツ、ジョルジュ・アルマーニあたりかと思わせましたが、恐らく、ケネディ大統領も愛用した米国のブルックス・ブラザースでしょう。

映画の中で、飛行機がハドソン川に不時着して、着替えも何もかも置いて避難し、ホテルに落ち着いた時に、サリー機長らは、着替えとして安物のスーパーの服を航空会社の同僚から渡されます。

この時、不服そうな表情を浮かべたサリー機長らに対して、その同僚は「えっ?ブッルクス・ブラザースの服が欲しかったのかい?勘弁してくれよ。今、夜の10時なんだから、開いているのはKマートぐらいだよ」

と言い返します。

この台詞で、彼らはパイロットですから恵まれた階級であることが分かります(笑)。

 ミラノ・スフォルツァ城

映画に登場した、事故に見舞われた乗客・乗員155人のほとんどが、コーカサス系で、アフリカ系、アジア系、それにヒスパニック系がほとんどいなく、勿論、台詞はなし。実話に基づいて、想定したのかもしれませんが、何か、意図するところがあったのか、勘ぐってしまいました。

もう一つ、サリー機長を全面的に善人としてではなく、どこか胡散臭い面があったことも、さりげなく描いていたことには感心しました。

それは、台詞の中だけにしか出てきませんが、機長は一人で、別会社をつくって不動産関係の投資をやっていたことなどです。もちろん、法に違反するとかそういう話ではありませんが、通り一遍な善人として描くより、迫真性が増して、この映画は反反知性主義者が観ても納得させる要素を持っている遠因になっています。

イタリア余話もうええわ

ミラノ大聖堂ドゥオモ

イタリアでは、800枚以上写真を撮ってきましたので、頭の中でも整理がつかず、カオス状態です(苦笑)。

実のところ、帰国して3日も経つのに、時差ボケです。日本とイタリアの時差は7時間で、昼夜が逆転してますから、しょうがないでしょう。一昨日はまだ、緊張していたのか、時差ボケはなかったのですが、昨晩辺りから夜寝づらく、朝からボーとしている状態です。

ですから、渓流斎ではなく、渓流亭木瓜作にでも改名しようかなあ、と愚考している次第。

◇イタリア人気質

まだ、イタリア旅行の話が続きますが、お世話になった添乗員Kさんのイタリア人気質の話が面白かったので、ご紹介します。

??イタリア人の血液型は、B型でマイペースな人が多く(B型の人は失礼!)、何よりも仕事よりバカンスの方が大事。

お金がなくても、借金をして休暇を取って、遊興費に使うそうな。そして、その借金を返すために仕事をするという人生パターンだそうです。

A型で真面目勤勉な人が多い日本人とは対極です(笑)。ちなみに、どうでもいいですが、小生はO型。

??ローマ市民は自転車に乗らない。事故が多く、すぐ盗まれてしまうからだそうです。自宅マンションの敷地に置いておいても盗まれるので、エレベーターで部屋の中にまで運ばなければならないそうです。

たまたま、ローマ市内で自転車に乗っている人を見かけたら、その人は、ローマ市民ではなく、観光客。

ヴェニスでは、自転車走行は禁止されているそうです。確かに見かけなかった。

一方、ボローニャあたりでは自転車が多く、事故も多いそうな。

ローマ市内では、歩道信号が少なく、歩行者が渡る意思表示を明確にして歩道を渡ります。優柔不断だと運転手は突っ込んできます。多少、命懸けです。

(ドトールで、アイスコーヒーとミラノサンドを注文して、イタリアを懐かしんでいます)

【追記】
そう言えば、(とはいっても、たった今、京洛先生からのメールで啓示を受けたのですが)イタリアには、ビットリオ・デ・シーカ監督の名作「自転車泥棒」がありましたね。伝統だったとは…?

イタリア余話

ラオコーン ヴァチカン

困りましたなあ。
天下のyahooが、ハッカーによって情報漏洩したらしく、小生のところにも、旅行中にメールで連絡がありました。

笑ってしまいますが、深い謝罪の文面なし!とにかく、情報漏洩の事実経過と、「早くお前のパスワードを変更しろ。さもないと痛い目に遭うぞ」と、事務的な文句を並べるだけ。いかにもアメリカらしい(笑)。

そう、いつのことか忘れましたが、私も一度、日本のヤフーではなく本家アメリカのyahooに登録していたのです。しかし、アドレスもパスワードも忘れてしまい、変更どころではありません。

何しろ、登録していたこと自体すっかり忘れていたので、どこまで個人情報を登録していたのかさえ覚えていません。住所氏名はともかく、まさか、銀行口座まで登録していないことを願うばかりです。

◇ヴェローナにはコロッセオまであった!

イタリア旅行の余話ですが、今回初めて訪れたヴェローナという街は、意外にも大きな街だったので驚いてしまいました。

シェークスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台になった街で、戯曲の世界なのに、ちゃんとロミオやジュリエットが住んでいた館があり、特にジュリエットの館にはジュリエットの像がありました。

そのジュリエットの像の胸を触ると幸福になるという言い伝えがあるらしく、観光客は列をなして、公序良俗に反する行為を白昼堂々と行って、あろうことか、男も女も写真まで撮って歓呼の雄叫びをあげておりました(笑)。

このヴェローナの街は、自然のアディジェ川と高さ5メートルぐらいの要塞に囲まれて、敵からの浸入を防ぐようになっていました。

そして、驚いたことに、ローマと同じようなローマ帝国時代のコロッセオがあり、その日は、何かの音楽公演で使われていました。2000年以上前に建てられたのに、いまだ現役とは!

「ロミオとジュリエット」は、確かにシェークスピア作ですが、10年程前に、ポーツマス大学のブレンダ・ジェームズ講師らによって、一連の作品の作者は、外交官で国会議員だったヘンリー・ネビル(1562~1615)ではないかという説が提起されました。

10年も経っても、定説が覆っていないので、シェークスピアとは今でもグローブ座の座付作家兼俳優ということになっていますが、このシェークスピアは、庶民階級で一度も英国外に出たことがないというのが、長年、疑惑の一つになっています。

シェークスピア作品の中で、「ロミオとジュリエット」と「ヴェニスの商人」「ジュリアス・シーザー」などはイタリアの話ですし、「ハムレット」もデンマークが舞台です。

ネビルは、オックスフォード大学を出て外交官になり、フランス大使にまでなった人で、海外経験は豊富です。貴族出身なので、宮廷や貴族マナーに精通しています。シェークスピアより2歳年長で、ネビルのいとこがシェークスピアの友人であったことから、いとこを通じて二人は知り合ったのではないかといわれています。

ネビルは、作品を通して政治的メッセージを伝えるのに、シェークスピアのゴーストライターになる必要があったというのがジェームズ氏らの説です。

(中途半端ですが、一旦ここまで)

イタリア、Itali、いたりあ

 ミラノの大聖堂ドゥオモ(初めて中に入りました)

1週間ぶりのご無沙汰でした。

9月15日(木)から22日(木)まで、7泊8日でイタリア旅行を敢行しておりました。人にはそれぞれ、諸般の事情と人生の区切りというものがありますからね。

この渓流斎ブログは、「安否確認情報」も兼ねておりますので(笑)、渓流斎は、天候にも大変恵まれ、無事、怪我も事故も盗難もなく、元気に帰国できましたことをご報告申し上げます。大袈裟な…(笑)。

 ヴェローナ(「ロミオとジュリエット」の舞台)は世界中からの観光客でいっぱい

実は、イタリア渡航は、これで4度目でした。今回は、北部ミラノからヴェローナ~ヴェネチア~フィレンツェ~サンジミニャーノと南下しまして、最後はローマ、ヴァチカン市国といったコースでした。

「ロミオとジュリエット」の舞台になったヴェローナと、中世に皇帝派と法王派との間で血生臭い争いが繰り返され、70もの塔が建てられたサンジミニャーノが今回初めて行く所でした。

旅行中は、新聞も読まず、イタリア語が分からず現地のテレビを見てもあまりよく分からず。ホテルのWi-Fiを使ってスマホでちょっとネットニュースを確認した程度ですから、今は、「ここは何処? 私は誰?」の浦島太郎さん状態です。

まあ、たまには「情報過多」からの避難・脱出も、精神衛生にはいいことでしょう。

安心安全なツアーに参加したため、朝早くから夜中遅くまで、引き回されまして、大変疲れましたが、1週間、ただただ旅行漬けで、他のことを全く考えなくて済みました。

 ヴェニス(「水の都」はまた水浸しでした)

本も一切読まず、イタリアの空気を吸い、イタリアの料理を食べ、イタリアのベッドで寝るという肌で体感する毎日でした。

生まれて初めてイタリアに行ったのは、もう37年も大昔なのですが、当時はそれほど観光客でごった返していなかったような気がします。

しかし、今回は、どうやら、噂では、テロの襲撃に見舞われたフランスやドイツやベルギー等への旅行が控えられ、世界中の観光客がイタリアに押し寄せたらしいのです。だから、大混雑。

とにかく、文豪ゲーテにしろ、音楽家メンデルスゾーンやドビュッシーにしろ、芸術家たちが引き寄せられる、あまりある魅力がイタリアにあることは間違いありません。

 フィレンツェ(ウフィツィ美術館のボティチェリ「春」は人気ナンバーワン)

イタリア旅行については、また、これから、追々書いていくと思いますが、今日は、帰国早々の感想を並べてみたいと思います。添乗員・ガイドさんらに聞いた話、街を歩いて感じたことなどです。

・イタリアといえば、何と言っても古代帝国の首都ローマがナンバーワンだと思っておりましたが、今回見直したのはフィレンツェでした。フィレンツェは、イタリアの古都として知られ、日本の京都と姉妹都市を結んでいるそうな。

・皆さんご存知の通り、イタリアは、1861年に全国統一(Risorgimento=リソルギメント)される前まで、諸国に分かれておりました。トスカーナ、ヴェネチア、ナポリ、サルデーニャ(ヴィットリーリオ・エマヌエーレ2世)、ローマ教皇領などです。ということで、各地域の言葉が通じないほど、違っていて、現在もかなり「なまり」があるそうです。

・この中で、一番綺麗なイタリア語は、ローマではなく、フィレンツェなんだそうです。(1865~70年は、イタリア王国の首都だった)。フィレンツェは、何と言っても、盛期ルネサンスの中心地で、レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの三大巨匠が活躍した都市です。

 サンジミニャーノ(中世の塔の街。13~14世紀、皇帝派と法王派が血と血で争って70もの塔が建てられたとか。現地特産の白ワイン「ヴェルナーチャ・ディ・サンジミニャーノ」は、お買い得。コープで4・90ユーロ。ミラノ空港免税店では、1本13・50ユーロと3倍近く跳ね上がっていました)

・これら、三代巨匠芸術家らを保護していたのが、市の君主だったメディチ(Medici)家でした。メディチ家は、金融業で莫大な財産を築いて政界に進出して、実権を握りますが、もともと、医者の家系だったらしく、英語のmedicine(医学、薬)は、このメディチ家からきたらしい。

・また、このメディチ家から、フランスのアンリ2世妃カトリーヌとアンリ4世妃マリの二人の王妃を輩出します。(他に、クレメンス2世とレオ10世の二人の教皇も)。フランス王家に嫁いだこの二人の王妃は、メディチ家から料理人を何百人もフランスに連れて行ったそうです。当時のフランスは遅れた国で、ナイフとフォークさえなし。4本に分かれたフォークはメディチ家が伝えたそうです。もちろん、後に、隆盛を誇るフランス(宮廷)料理も、もともとはイタリア料理だったというわけです。

・フィレンツェ共和国出身のミケランジェロは、ローマ市庁舎の階段と庭園設計や、サン・ピエトロ寺院の「ピエタ」、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井壁画(「最後の審判」など)を製作して、ローマで大活躍しますが、お墓はフィレンツェのサンタ・クローチェ教会にありました。

・このあまりにも有名なシスティーナ礼拝堂の壁画ですが、ローマ教皇ユリウス2世から依頼されて渋々応じたそうです。なぜなら、ミケランジェロの本職は彫刻家で、フレスコ画を描いたことがなかったからです。しかし、4年の歳月をかけて、艱難辛苦を跳ね除けて堂々と完成させるのですが、色んなエピードもありますので、ご興味のある方は、参考書を手に取ってみては如何でしょうか。

 ローマ・コロッセオ(ローマといえば、コロッセオかな?今でも、猛獣と人間が剣闘していると思っている人がいました。とはいえ、2000年以上昔の建物なのに現在も公演などに使われています)

・とにかく、何処に行っても、人、人、人でした。この時期、日本のような「シルバーウイーク」ではあるまいし、皆さんお仕事していないんでしょうかねえ?ま、小生と同じように、休暇を取ってらっしゃった、と解釈しましょう。

・観光客は圧倒的に白人が多かったです。でも、何処の国の人か分かりません。言葉を聞けば少しは分かりますが、外見ではさっぱり分かりません。イタリア在住20年のガイドさんが面白いことを言っていました。「私には、何人(なにじん)か分かりますよ。服装を見れば分かります。イタリア人とフランス人は、ファッションの国ですから、まあ、ファッショナブルな格好をしています。それに比べて、スペイン人は、少しダサい(笑)。ドイツ人の服装は、機能重視という感じです」。

・そう言えば、イタリアは先進国とはいえ、失業率も高く(ナポリは30%だとか。ひえー)、日本以上に貧富の格差は大きいようです。それに、民族差別といえば、言い過ぎかもしれませんが、どうしても、ルーマニアなど旧東欧系は低くみられる傾向があるようです。街で、物乞いをしている人は、その顔だちから、ほとんどがロマーノ(ジプシー)系。犯罪スリ集団もロマーノ系が多いようです。ローマのテルミナ駅周辺で、手持無沙汰で屯していたのは、中東系、インド、アジア系とアフリカ系。道路の「中央分離帯」で掃除や植栽しているのは、イタリア人ではなく、ほとんどアフリカ系でした。道路で、観光客相手に、スマホの「自撮り棒」などを売っているのは、圧倒的に、アフリカ系か、インド系の人でした。イタリア人はいなかった。

・道で物売りしているアフリカ系のお兄さんからは、よく「ニイハオ」と我々のツアーは声を掛けられた。これも、30年前にはなかった現象。「俺たちゃ、日本人だあぁぁ」。

 ヴァチカン市国サン・ピエトロ寺院(エレベーターで中2階まで登った後、恐怖の閉所300階段。しかし、昇った人しか見られない光景が!)

・イタリアは4度目と書きましたが、今回初めて、ミラノの大聖堂ドゥオモの中に入りました。入場料2ユーロ。

・何と言っても、ハイライトだったのは、ヴァチカン市国サン・ピエトロ寺院のドームに登ったことです。入場料8ユーロ。途中までエレベーターで行けますが、そこからは、人間一人が登れるスペースしかない階段を300段以上も昇るのです。膝が笑いました。

・しかし、ドームの屋上からの眺めは絶景。エヴェレストでは大袈裟なので、高尾山の頂上に登った気分でした(笑)。

・前回行ったときもそうでしたが、ヴェネチアのサンマルコ広場は、最初はよかったのですが、帰りの集合時間の14時までに戻ろうとしたら、またもや広場は水浸し。歩くのが大変で、集合時刻に間に合うか、冷や冷やでした。

・旅行中、添乗員さんが気をきかして、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」をパヴァロッティの歌唱で聴かせてくれましたが、イタリアで聴くと何とも感動が倍増し、涙が出てきました。その土地の乾燥した風土といいますか、気候といいますか、そんなもんが音楽に作用されることに初めて気がつかされました。

・イタリアは、やはり、ロックは似合わないでしょうね。やっぱり、カンツォーネ。そして、何と言ってもオペラです。

・帰国して、無性にイタリア映画を観たくなりました。フェデリコ・フェリーニもいいですし、あらかた観てしまったヴィスコンティでもいいですし、「ニューシネマ・パラダイス」「鑑定士と顔のない依頼人」のジュゼッペ・トルナトーレでもいいです。最新作「ある天文学者の恋文」もいいかな?