仏ニースでテロ事件があり昔を思い出す

Paris C’est a moi.
Oh! Mon Dieu !

7月14日のフランス革命記念日の祝賀祭を狙ったと思われる仏南部ニースで起きたテロ事件には非常な衝撃を受けました。

84人が死亡、100人以上が重軽傷と伝えられています。犯人は、チュニジア生まれで仏との二重国籍を持つ31歳の運転手と言われ、トラックで花火を見物していた群衆に突っ込み、銃を乱射した無差別殺戮と言われています。

まだ、動機や背景については捜査中ですが、現場となったプロムナード・デ・ザングレ(「英国人の遊歩道」という意味)というコート・ダジュール(紺碧海岸)沿いの通りは、国際観光都市ニースのメイン・ストリートで、有名な夏祭りやカーニバルのパレードもそこで行われます。

私が大変なショックを受けたのは、遥か遠くの大昔、渓流斎がまだ学生時代だった頃、ここを訪れたことがあったからです。大学のフランス語の恩師マリ=フランス・デルモン先生のお兄さんが、このプロムナード・デ・ザングレに面したマンションに住んでおられ、ちょうど我々と年恰好が近かったデルモン先生の姪っ子に当たる美女二人とそこでお会いしたことがあったからです。

城壁を歩く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

デルモン先生のお兄さんは、ニース大学の医学部の教授でした。旅先で知り合った日本人今村君と他に誰かいたか忘れてしまいましたが、突然訪れたのにも関わらず、一家は歓待して出迎えてくれて、奥さんの手料理を振る舞われたことをよく覚えています。

今のように、インターネットも何もない時代ですから、牧歌的で、デルモン先生には図々しくもニースに行く予定だということはお伝えしていましたが、いつ、何時に行くのか未定で、住所と電話番号をお伺いしたことだけは覚えています。

先ほど、今はアメリカに住んでいる今村君にメールしたところ、自分は、姪っ子さんの名前を間違って彼に伝えていたことに気がつきました。彼の方がよく覚えていました。

何しろ、彼は、いつ何処から用意したのか、盗んだのか(そんなわけないか=笑)、旅行途中のノミの市で買ったのか、分かりませんが、今村君はネクタイを着用して、ちゃっかり、紳士ぶってフランス人の美人さんと一緒に写真に収まったぐらいですからね(笑)。

そして獅子に見送られ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

私が勘違いしていた姪っ子さんの名前はイザベラさんで、愛称はザザでした。一度、彼女が日本に遊びに来た時、二回ほど会ったことがありました。私がニースに行ったとき、ザザは確か、米国に留学中で、彼女はその後、ジョディー・フォスターが映画「羊たちの沈黙」で演じたようなFBI訓練生になったと思いましたが、その後どうなったか、音信不通になってしまい、分かりません。何しろ、フランス人が、アメリカのFBI捜査官になれるかどうかも不明で、記憶違いかもしれません。

その頃、ニースにいたのは、確かザザの妹のマニュエラさんで、これまた不確かですが、ザザとマニュエラの従妹に当たる16歳のクリスチーナちゃんもいました。16歳といっても、フランス人のおなごはませていますから(笑)、20歳過ぎに見えましたが。

家族が住んでいたのは10階建てぐらいの高級マンションの確か最上階で、鍵が二つぐらい開けないと入れないほどセキュリティがしっかりしていて、当時そんなマンションは日本では見たことがなかったので、驚いた印象があります。

そのバルコニーからは、ちょうど、プロムナード・デ・ザングレでのお祭りのパレードが見え、多くの観光客でごったがえしていました。バルコニーは、まさに特等席でした。

あの時の御礼をしなくてはならないのに、先生一家とは音信不通となってしまい、そのまま月日が流れてしまいました。

そしたら、このテロ事件です。

教授夫妻も、マニュエラさんもクリスチーナさんも、まさか事件に巻き込まれていないでしょうが、妙に心配です。

パレードを観た後、マニュエラさんの提案で、若いもん同士だけで、近くのカフェバーに行き、未成年のクリスチーナちゃんだけはお酒を頼めないので、ふくれっつらをしていたことを思い出しました。

翌日は、今村君と二人で、コートダジュールで泳いでいたら、日本人の若松さんと、あと誰だったか…3人娘とばったり会ったことも思い出しました。

残忍なテロ事件の話から、全く関係ない青春時代の思い出を披露してしまいましたが、テロ事件とは、そんな他愛のない日常生活を不条理にも断ち切るということで、どんな大義も何もない、本当に許しがたい卑劣な行為だということは強調したかったのです。

【追記】
来週は、渓流斎の記念すべき区切りの誕生日ですので、京都は老舗「鼓月」の桃山の中でも天下一品「華」を取り寄せてお祝いに贈りました。楽しみだぎゃがな。

超極秘機密グルメ情報 第7刷

 これはお墓です Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨晩は、約1年ぶりに、東下りされた京洛先生を囲む「おつなサロン」に顔を出してきました。まだ、立ち上がりなので、「お酒は2杯まで」という厳しい自己管理規制の中で参加しました(笑)。

場所は、都心の半蔵門にある旧半蔵門会館の地下「門」。昔からよく行っていた所です。

約1年ぶりの「夜遊び」でしたので、少し疲れました。サロンに参加したのは、京洛先生と私渓流斎以外では、ウマズイめんくい村の赤羽彦作村長、麹町館の羽賀館長、今度王室秘書となったラファイエット夫人、分福茶釜包装の今岡嬢という京洛先生お気に入りの仲間たちでした。

ラファイエット夫人が過日、王室秘書という対外交渉の責任者となり、何が大切なのか、というと拍子抜けするほどの話でしたが、やはり、日本らしい「おもてなし」が最も大切で、わざわざ来訪してくださったお客様に対しての「手土産」に何をしたらいいのか、ということが一番頭を悩ませているというのです。

そうしましたら、この自由闊達なサロンで、何処の雑誌にも、何処のネットのブログにも書かれていない超機密事項とも言えるグルメ情報が出るわ、出るわ…。

何しろ、今や「グルメの巨匠」と呼ばれる赤羽村長、「蛇の道は蛇」情報を内に秘めてあまり口外しない羽賀館長、そして、何と言っても古今東西のうまいもん情報に関してはこの人の右に出る者はいない、いるなら左から出てこい!と言われ続けて半世紀の京洛先生、食に関しては一家言の持ち主の今岡嬢が揃っておりましたからねえ。

超極秘機密情報を得ることができました。

いわゆる一つのスイーツ情報ですが、皆さんもお知りになりたいですか?

これさえ知っていれば、恥をかかない。逆に、こんなご贈答品をもらえば、「ヌヌヌ、お主(ぬし)もなかなかやのを~」と唸らされるという意味で、あなただけに特別にお教えしませう。…まるで、詐欺師の手口みたいですね。プレゼント待ってますよ~(笑)。
城壁を歩く Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

まずは復習です。

かつての渓流斎ブログは、「グルメ」欄にも力を入れており、さまざまなお気に入りのお店を紹介してきました。しかし、事情があって、そのブログは消滅してしまいました。ですから、以前のブログに何回か書いたことがあり、重なってしまうということで、「復習」という表現を使ったわけです。

最初に取り上げるのが、「東京の三大大福」です。
(1)隠田(原宿)の「瑞穂」
(1)護国寺の「群林堂」
(1)泉岳寺の「松嶋屋」

このブログは、宣伝広告ではないので、店情報の詳細は省きます。何しろ、渓流斎は宣伝費を頂いておりません(笑)ので、もっと知りたい方はご自分でお調べください。ちなみに、私めは、この中で、まだ、「松嶋屋」の大福しか食したことがありません。残り二つは、愉しみに取っておきます。今岡嬢情報では、隠田の「瑞穂」は、まず店頭では手に入らないので、事前に予約しておいた方がいいそうですよ(これも凄い情報です)。

最新のウマズイめんくい村通信には、「東京三大どら焼き」が紹介されておりますね。
(1)上野(日本橋)の「うさぎや」
(1)浅草の「亀十」
(1)東十条の「草月」の「黒松」http://tabelog.com/tokyo/A1323/A132304/13003793/

赤羽村長は、この「三大どら焼き」に負けずと劣らないほどうまいどら焼きが、人形町の「清寿軒」と書いておられますね。渓流斎、いずれも未体験ですが、写真を見るだけでも、涎が出てきました。

さて、ここからが本番です。

麹町の羽賀館長情報によりますと、日暮里は三河島にある「苺屋」http://ichigoya.org/item.htm のロールケーキが抜群の旨さを誇るそうです。私は、未経験なので分かりませんが、ボリュームありそう。

ラファイエット夫人が自ら申すには、銀座と言いますか、日比谷にある「かずや」の練という和菓子は、ご進物にもちょうど良い、知る人ぞ知る一品だそうです。渓流斎、もちろん、未体験ですが、触覚と臭覚が、ピクッと動きました。http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130102/13019670/

1990年代に廃業しましたが、本郷にある羊羹の「藤むら」は、夏目漱石の「吾輩は猫である」「草枕」にも登場しますが、かつてのアイドル「キャンディーズ」のミキちゃんこと藤村美樹の親戚筋だそうです。嗚呼、食べたかったと。(何で急に九州弁…)

本郷三丁目には、あの勝海舟も愛した「壺屋総本店」の最中が有名だそうですね。http://sugoroku.tokyo/?p=3117 いやあ、渓流斎はまだ食べたことはありません。

そしたら、南青山の「紅谷」には、大福、どら焼き、何でもありますよ、と赤羽村長。あれっ?もしかしたら、ラファイエット夫人の発言だったかもしれません。少し酔ってきて忘れました(笑)。http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130602/13054058/

いやいや、青山なら「豆屋」が美味しいよ、と麹町館長さん。私は、聞いたことがないので、調べてみましたが、もしかして、1894年創業の老舗「青山但馬屋」のことでしょうか? http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13093929/

さてさて、やっと遅れてきた大御所京洛先生の登場です。

練馬区大泉学園にある「大吾」の「爾比久良(にいくら)」は絶品ですよ。和菓子と洋菓子を折衷したようなお菓子で、近くに東映の撮影所があり、高倉健さんらの大好物だったそうです、と早速薀蓄を傾けます。

我々がサロンを開催していた半蔵門会館のすぐ近くにある有名な「村上開新堂」は、もともと京都の和菓子店で、明治維新後に、「とらや」と同じように、天皇陛下について京都から東京に出店します。なるほど。しかし、東京の半蔵門の店は、敷居が高く、「一見さんお断り」なんだそうです。庶民の方は諦めてください。…それにしても威張っているなあ(笑)。http://www.kaishindo.co.jp/

京洛先生のお膝元、京都では、「桃山」というお菓子が有名だそうですが、これも私は未体験。桃山とは、坂東人には馴染みがありませんが、最中や大福といった種類の一つだとお考えください。http://kyoto-wagasi.com/teiban/momoyama.html 市内のデパートや和菓子店で売られていますが、「中西鼓月」という和菓子店で売られている桃山の「華」が一番有名なようです。

京都のお次は奈良。

その桃山に関しましては、「菊屋」の「菊之寿」が秀逸だそうです。

また、「白玉屋栄寿」の名物みむろの最中は絶品だそうです。うーん、食べてみたい。
http://www.begin.or.jp/mimuro/item.html

もう一つ、奈良「鶴屋徳満」の三笠 http://www.tsuruyatokuman.co.jp/。これだけ知っていれば、誰にでも威張って騙れます。もう十分でしょう(笑)。

ついでながら、もう2~3年前になりますか、「渓流斎ブログ 200万アクセス記念会」を内幸町の「はらぺこ」で開催した際に、奇特なお師匠様から東京・銀座「萬年堂」の「御目出糖」を贈答されまして、初めて「萬年堂」の名前を知りました。飯田橋にも同名の「萬年堂」がありますが、一説では、銀座本店からの暖簾分けではないそうです。間違っていたら訂正しますが。

まだ、続けますよ(笑)。

夏目漱石の小説にも出てくる銀座の老舗「空也」最中。情報通の今岡嬢の話では、当代の御子息が品川に洋菓子店を出したとか。

このほか、荻窪の天沼にある「高橋」の酒饅頭  http://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13044820/
演劇評論家安藤鶴夫が有名にした四谷の「わかば」のたいやき http://tabelog.com/tokyo/A1309/A130902/13000848/
大門にある「芝 榮太郎」の最中と大福 http://www.shiba-eitaro.com/index.html の話も出ましたけど、渓流斎は、じぇーんぶ、全然(じぇんじぇん)食べたことありません。

最後に、庶民は行けないので、関係ありませんが、虎ノ門のホテルオークラの「山里」では、最上級の「剣菱」がご用意されております。せんべろ店で出される「剣菱」と称されるものとは名前が同じでも、似て非なるモノなりだそうです。

「山里」は国家の最高権力者やマスメディアの最高峰の方らが行かれる和食天ぷら店です。

お呼びでないと思います。

あ、そういえば、昨日書いた代々木公園近くにあるノルウェーの店「フグレン・トウキョウ」。(えっ?読んでないの?!)何と、今岡嬢のお住まいの近くのお店だそうで、大変雰囲気が良さそうなお店ですが、いつも、いつも、いつも、何時行っても超満員で入れないそうです。

何か、食べ物などの持ち込み可能だそうで(未確認)、長居する人が多いからだそうです。

あたしも、トレジョリジュヌファムと行く予定でしたが、ずわんねん。

追記しますと、上記に書きました極秘店は、知る人ぞ知る店なので、午前中で売り切れるそうで、要注意。

Mr Sekoi のようなせこい話

エベレスト・カレーセット通常1500円が…

野々村猿太郎です。

いつぞや、我が愛用しているiPhoneが、月々7200円であると、この渓流斎ブログで書いたことがありましたが、よくよく領収書を見ると、7550円ぐらいでした。

これでも、端末代はゼロ円で仕入れたので、もし毎月の端末代分割料金があれば、毎月1万円近くにはなっているはずです。IT事情に詳しい石田先生は「iPhoneなんて、お金持ちしか持てないですよ。それだけ、維持費が掛かるということです」と力説されておりましたが、その通りでした。

私の記憶違いで、毎月の支払いが400円近く高かったのは、auのスマートパス会員として、毎月401円払っていたからでした。

しかし、この会員になると、特典がいっぱい付いてくるのです。何と言っても、私のよく行く映画館が、土日でも一般通常1800円のところ、1100円で済むのです。これで、700円分浮き、月に一回映画館に行けば元が取れることになります(笑)。

もう一つ、この会員になったのは、iPhoneがもし壊れた場合、保険代が出て、自己負担額が1500円だったか、その程度で済むからでした。全額負担となると、2万円近くなると聞いたことがあります。

最後に、これはちょっとせこいのですが、割引きランチがあることです。これは、昨日初めて使ってみました=写真。銀座にあるインド・ネパール料理店で、3種類のカレーが食べられ、サラダ、コーヒー付き。通常セット1500円のところ、1000円也でした。

これで、スマートパスの1カ月分の元が取れてしまうのです。

増添君とは、ゼロが三つも、四つも違うので話になりませんが、いずれにせよ、「せこい」話でした。

ま、庶民は、こうして、無い知恵を絞るちゅうことですよ(笑)。

ITガジェット奮闘記

著名な千ベロ店

ちよつと、どころではないスマホ中毒で、一昨日、とうとう毎月契約しているデータ通信の5GBを使い切ってしまいました!

iPhoneに機種変更して半年。こんなこと初めてで、不便なこと、この上ないです。まず、動画は完璧にアウト(見ること能はず)。検索を掛けて、そのサイトに画像があれば、かなりの時間、待たされます。もしくは、諦めます。旦那、極上もののイライラでっせ(笑)。

恐らく、アプリの更新で、WiFiを使わないで、そのままやってしまったので、データ通信量を喰ってしまったと思われます。(東京五輪が近いので、ホーチミン市のように街中に無料WiFiを張り巡らせてくださいよ!増添さん!あ、もういないか)

メールはどうにか繋がりますが、驚いたことに、昨晩は、音声通話が全く使えなくなりました。もし、万が一、昨日、渓流斎めに電話を掛けて下さった方が、仮初めにもありましたら、お詫び申し上げます。今朝も不通なら、auショップに行くつもりでしたが、今朝は通話できました。

とにかく、たかが、ITガジェットに振り回されていますね。

この渓流斎ブログは、後世の歴史家の参考にしてもらおうと、態と値段や価格など金銭価値を挿入しております。嫌らしいですね(笑)。

私の場合、iPhoneのデータ通信5GBで、月7200円ぐらい。パソコンは、WiFiのモバイルoneを契約してまして、毎日使わないので、1日110MBコースで充分いけて、月額わずか972円です。光回線とか契約すれば、月5000円ぐらい取られるのではないでしょうか?

私の大嫌いなそふとぶあんくのWiFiは、確か、月4000円も踏んだくられました。

月972円は、ネットサーフィンやメールのやり取り程度ならこれで充分。コストパフォーマンスがいいので、満足してます。

《お知らせ》
名古屋にお住まいの海老不羅江先生から、東京は紀尾井町にある著名な老舗料亭「福田家」(「福田屋」じゃありませんよ)で、北大路魯山人の焼物などのネットオークションをやってますよ、と御連絡奉りました。ご興味のある方は、覗いてみたら如何でせうか?料亭政治が煩く糾弾されるシガない世の中になって、福田家さんも経営が大変になったということでしょうか?

天変地異の証なのか?

蜻蛉大群

昨晩6時ごろのことですが、自宅近くの大空に蜻蛉の大群が無数、南東から北西に向かって飛んでいきました。

異様な光景を目の当たりにしました。

証拠として、iPhoneカメラを使って撮影しておきましたが、あまりにも小さくて、この写真でお分かりなれるかどうか…。

何か、天変地異でもあるんでしょうか?

第一、上空20メートル以上の高さです。こんな高く蜻蛉さんは飛ぶのでしょうか。その数は、ざっと数十万。ゲルマン民族の大移動は、30分以上も続きました。

これは、日本のローカルに起きた取るに足らない出来事なので、ニュースにもならず、注目する人もそれほどいません。

蜻蛉さんは、何の目的で、何故あれ程の大群を率いて、何処に行こうとしたのか?

今もって不思議。

小倉さんと松崎さんのファミリーヒストリー 第59刷

孫悟空の火焔山 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 沖縄のUさんが、6月20日付の「沖縄タイムス」と「琉球新報」の2紙を航空便で送って下さいました。米軍属によって若い女性が殺害された事件に抗議する県民大会の模様を報じた紙面です。一面と最終面が「陸続き」で特大の写真とともに飾られています。

 この2紙は、ベストセラー作家と称す傍若無人な無神経な男が「つぶさなければならない」と暴言を吐いた新聞としても、世界的に有名になりました。

さて、今日もまたまた、宣撫費をもらわずに、国策電気紙芝居協会の番組を取り上げます。ちょうど通勤時間帯のため、見られなかった「ファミリーヒストリー」を録画までして見たのですよ。最近、涙腺がかなり弱くなってしもうた、もんで、見ていて、何度も画面が曇ってしまいました。

 録画したのは、キャスターの小倉智昭さんと歌手の松崎しげるさんの二人で、正直、それほど、このお二人について個人的に関心があったわけではないのですが(笑)、そのご両親の来歴に興味がありまして、見たところ、見事にはまってしまったわけです。しかし、お二人のファミリーヒストリーを録画して、2本続けて見てしまい、ごっちゃになってしまいました(笑)。

 まず、小倉さんですが、祖父の五郎平さんの代まで、小倉家は、香川県丸亀市で農業を営んでいたようですが、この五郎平さんは二男だったため、(跡を継げず)一旗揚げようと、日清戦争で獲得した台湾に移住します。明治41年に台南で生まれたのが、小倉さんの父勇さんです。

 祖父の五郎平さんは、早く亡くなったのか、事業がうまくいかなくなったのか、忘れてしまいましたが(笑)、とにかく、勇さんは、かなり底辺の極貧生活の中で、小学校の時から、新聞配達や雑用係などをして学費の足しにした苦学生でした。高等教育を受けたい、と学費を稼ぐために仕事を辞めて、途中3年間も働いてお金を貯めて、努力を重ねて、台湾の理系では超難関・台北第一工業学校(現台北科技大学)と高等工業学校(現台湾成功大学)をいずれも首席で卒業し、台湾総督専売局に再就職します。大学には、勇さんの学生時代の記録がいまだに残っており、地元の台湾日日新聞にも、勇さんが卒業式で代表して答辞を読んだことも記事になったりしていました。

その後、勇さんは日本鉱業に転職し、太平洋戦争が勃発すると、石油技術者の責任者として海軍に徴用され、オランダから日本が独立させたインドネシアのボルネオに行きます。敗戦が濃厚になった昭和20年4月、勇さんの運命を決める日がやってきます。日本に帰還できる阿波丸に乗り込む予定でしたが、乗員がオーバーとなり、勇さんは、現地責任者としてボルネオに居残ることになります。

 ところが、その阿波丸は、民間船にも関わらず、しかも、緑十字の旗を掲げていたにも関わらず、勝てば官軍、国際法違反の憎っき米軍の魚雷によって撃沈されてしまうのです。乗員2000人は海の藻屑と消えます。タイタニック号の惨事より犠牲者が多かったと、番組ではやってました。

 一命を取り留めた勇さんら、残った一行も連合国軍の爆撃で、逃避行を余儀なくされます。終戦で捕虜になり、翌昭和21年に日本に帰国を果たし、戦後は、帝国石油の技術者として職務を全うします。

 小倉智昭さんは、小さい頃は吃音に悩んでいたそうですが、父親から「目標を持ち、頑張った分だけ願い事は自分のものになるよ」と言い聞かされ、河原で発声練習し、成人してから、ついに狭き門の東京12チャンネルのアナウンサーに合格するのです…。

 一方、小倉さんの母親玉利妙子さんは、父勇さんが結核の疑いで台北病院に入院し、そこで看護師をしていたときに巡り合い、二人は結婚するのです。この母方の祖父玉利伝十さんという人がまた凄い。鹿児島出身で、東京の慶応大学に進学し、そこで同級生だった同じ九州出身の野依秀市と知り合い、一緒に雑誌「実業之世界」などを発行し、ジャーナリストとして活躍するのです。あの革命家孫文に突撃インタビューしたりします。その後、フリーの作家となり、鹿児島出身の郷土の政財界の大物に取材した本を出版したりします。しかし、病気のため、44歳の若さで死去。

 野依秀市とは、電脳空間から消滅した旧版・渓流斎ブログで以前取り上げた佐藤卓己著「天下無敵のメディア人間」(新潮選書)のあの野依です!「特務機関長 許斐氏利」(ウェッジ)の著者牧久氏が、学生時代に、野依がつくった大分県人会の東京寮に住み、「実業之世界」でもアルバイトをしたことがあるというので、驚きを持って今はなきその旧・渓流斎ブログに書いたこともありました。

小倉さんの祖父が、あの野依と一緒に政財官界を駆けずり回っていたとは、これまた卒倒するほど驚いてしまいましたよ。

ベゼクリク克千仏洞 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 もう一人の歌手松崎しげるさんのファミリーも凄かったです。

 父邦泰さんは、あの悪名高きインパール作戦に従軍し、自らもマラリアに罹るも、一命を取り留めて帰国していた人でした。

 松崎さんの先祖は、取材班の必死の捜査で、新潟県上越市柿崎区で農業を営む家系だったことをつきとめます。冬の農閑期には、群馬県の伊勢崎市で「菊屋」という屋号で造り酒屋もやっていたようです。

 松崎さんの曽祖父に当たる長作さんは、明治38年に新潟から東京・深川に移り住み、その息子である松崎さんの祖父泰三郎さんの代から「菊屋」の屋号で、靴屋を始めます。松崎さんの父邦泰さんは、大正9年にここで生まれますが、大正12年9月1日の関東大震災で、父の兄弟3人が火災に巻き込まれて亡くなります。松崎さんは「父親から聞いたことはなかったし、知らなかった」と驚きます。

 父邦泰さんは、18歳になって葛飾区の製鉄所に就職しますが、当時としては珍しく、顕微鏡を使った鉄の分析の仕事をしていました。その後、陸軍に召集されて、顕微鏡が使えるということで衛生兵となり、マラリアなどの感染症の研究を任されます。

 昭和19年3月に、牟田口廉也司令官の指揮による無謀なインパール作戦に従軍し、後に「白骨街道」と呼ばれるほど、多くの餓死者や感染症死亡者を目の当たりにし、衛生兵としての無力感を感じながら、自らもマラリアに罹り、仲間からの薬の提供によって一命を取り留めるのです。

 昭和21年、5年半ぶりに日本に帰国し、学校の同級生だった福島芳江さんと再会し結婚。翌年、松崎さんが生まれますが、父邦泰さんは、飢えで苦しんでいた従軍中にミャンマー人が分け与えてくれた黒砂糖の味が忘れられず、小さな製糖会社を立ち上げます。

 父邦泰さんは昭和58年に63歳で他界しますが、それまで戦友会に参加し、いつか亡くなった多くの戦友が眠る「白骨街道」に行って供養したいと願っていましたが、当時のビルマは軍事政権では簡単に外国人が入国することができず、とうとう、その望みは叶いませんでした。

砂漠の交河故城 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 いやあ、非常に泣ける話でした。

 司会進行役のお笑いの今田耕司さんも、思わずもらい泣きしていました。

 周囲の反対を押し切ってインパール作戦を断行した牟田口将軍は、さっさとラングーンの現場から帰国して、全く兵站を考えない神州大和魂の精神論のみを強調した杜撰で無謀な「ジンギスカン作戦」などで、4万人とも、6万人とも言われる兵卒を戦死(ほとんどが餓死か、感染病死)させ、自分だけは安全地帯に逃げて責任を取ることなく、戦後は生き残り、軍人恩給とブラックジョークとも言えるジンギスカン料理店の経営者になって、ビートルズが来日した1966年まで長寿を全うします。

その生き様は、「帝国軍人の鏡」と揶揄されるほど、今でも語り継がれています。

要するに、今でも昔でも、どんな組織にでも存在する自己中心的で、せこい、確信犯的なずる賢い人間として。

京洛先生の夜はけふも更けて 第3刷

王子稲荷神社

昨晩、京洛先生から電話がありまして、もしかして、最近頂いている無署名のコメントが、京洛先生の手になるものではないかと思い、質問させて頂いたところ、「いやはや、一体誰が書いたんでしょうねえ」と、肯定も否定もしませんでした。それより、「ああたの最近のブログは、長過ぎますね。どうせタダで書いてるんですから、そんなに気張らなくてもいいでせう」と、はぐらかされてしまいました(笑)。

いつも登場する京洛先生ですが、洛中、洛外、上洛なんかもそうですが、この洛がどこから来たのか、賢明なる読者諸兄姉の皆々様方はとっくにご存知のことと拝察致します。

はい、中国の古都、洛陽ですね。隋などの首都にもなりました。「洛陽の紙価を高める」の、あの洛陽です。

京の都は、唐の首都だった長安(現西安)を参考したとばかり私なんか思っておりましたが、実は、東を長安、西を洛陽の街を参考にしたらしいですね。

京の平安遷都は794年、桓武天皇によってでしたが、この都をつくるのに陣頭指揮を取ったのが、造営大夫和気清麻呂(わけのきよまろ)でした。ということは、彼が、洛陽と長安の街づくりを取り入れたわけです。(京都は当時、山背国葛野=かどの=と呼ばれ、新羅系の秦氏が治めていました。桓武天皇の生母新笠は、百済王の末裔高野=または和=氏でした)

和気清麻呂は、現在では全く忘れられた日本の歴史上の人物ですが、戦前は知らない人はいませんでした。なぜなら、彼は、明治から昭和初期にかけて、十圓札紙幣に登場し、庶民から公爵まで、毎日のようにそのお顔を拝んだいたからです。(庶民は、滅多に拝めなかったかもしれませんが)

和気清麻呂は、道鏡事件で一時失脚して、大隈国(現鹿児島)に島流しされるなど波乱万丈の人生を送っています。もっと書きたいですけど、また京洛先生から怒られるのでこの辺で(笑)。

世界一のパン、世界一のパン職人 第6刷

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

恐らく日本で、いや世界で一番値が張るパンを食しました。

美味いといえば、美味い。漢字で書けば、旨い、という書き方の方が近いかもしれません。

普通の食パンのように見える「パン・ドゥミ」は、まず、パンそのものが、「原色」のような匂いです。(詩的ですねえ~♪)発酵した小麦そのものの香りがします。

味は、これまで一度も食べたことがないパンの味。何か、ブレンドされていて、カラス麦のようなものも混合されている感じです。

とにかく、バターもジャムも何も付けなくても、主食ではなくて、おかずのように食べられます(笑)。

1斤1188円也!!そんじょそこらのスパーで安い食パンを見つければ220円ぐらいでも買えますから、何と5倍もの値段です!!

ちょっと高過ぎるんじゃないですか?-というのはまだ早いです。

絶景 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

何しろ、パン作りに懸ける手間暇が半端じゃないのです。

下拵えに数時間、第一次発酵に掛ける時間は低温で10数時間、その後、捏ねたり、成型にしたりして、再び発酵させて、原型をつくり、特殊の石窯か何かで焼き上げているそうです。まあ、最低でも1~2日かけて手作業でつくるようですから、工場で、流れ作業で大量生産される大衆向きのパンと比べられること自体、次元が違うといった感じです。

えっ?どこのパン屋さんか、ですって?

うーん、このブログでは宣伝料をもらっていなので、アクセス数が莫大で、人気の渓流斎ブログに書く必要はないのですが(爆笑)、熱心な皆さんに「話のタネ」としてお教えしませう。

パン屋さんの名前は、「シニフィアンシニフィエ」と言います。これでピンと来た方は、学生時代に言語学を齧った方でしょう。そう、スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールの有名な造語です。懐かしいですね、記号論は。私も、共時的、通時的、ラング、パロールなんていう難解な専門用語に悩まされたものです。(この話は、またいつかしたいです)

ソシュールによりますと、言語とは記号=シーニュの体系であり、シニフィエとは、その記号の表す概念のこと。またの名を所記。シニフィアンとは、言語記号の表現すること。またの名を能記、と呼びます。

まあ、こんな説明で分かった方は、大したもんです。天才です。もし分からなければ、これから言語学を学んでみようという気がしませんか?(笑)このあと、構造主義に進み、ロラン・バルト、レヴィ=ストロース、チョムスキーを読破してみませんか?

さて、このパン屋さんのご主人志賀さんは、ソシュールが大好きなのか、フランスで修行されたのかどうか分かりませんが、パン作りに関しましては一家言の持ち主で、確固たる哲学を持ち、パン職人の間では神様扱いだそうです(推測)。もしかしたら、世界一のパン職人かもしれません。本も沢山出しておられるようです。

お店は、何と、皆さんよくご存知のガルーダ博士こと山本さんのお住まいのご近所なのです。

デパートにも支店を出されているようですが、遠くて行けない、すぐにでも食べてみたいと思う方は、ネット通販もやっております。(高くて腰を抜かすぜえ=笑)

どこですかって?

そこまで、ご興味を持って、是非一生に一度、口にしてみたいと思われるのなら、自分で調べてみてくださいな。

渓流斎ブログはコマーシャルじゃありませんからね(笑)。と言いつつ、もし、挑戦された方は、コメントください。「なあんだ、渓流斎はどうかしてる。どんな味覚持っとるんや」でも構いません(笑)。

「宇都宮の餃子」か?「浜松の餃子」か? 第2刷

5000~6000メートル級の山脈の中を帰路に Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

日雇い人間になりますと、そう毎日ブログ更新はできにくくなるもんです。はい。

そこで、皆さん、どなたもご存知ないかと思いますが、「渓流斎日乗」別冊を、他のところで、というより、はっきり言って、楽天ブログで今年4月4日から、毎日更新しております。

「渓流斎日乗」別冊←こちらです。

この別冊ブログには、私が付けたわけではありませんが、コマーシャルがいっぱい付いているので、少々読みにくいです。確かに!ですから、写真中心で、文字は「絵解き」程度となっております。

この別冊ブログでの私の肩書は「メロン名誉会員、Uポイント顧問会員、クスリの木瓜作相談役会員、苦楽天特殊会員」となっております(笑)。

別冊の方は、まだ御訪問者が30人とか40人ちょっとですので、ほんのわずかです。ですから、本編読者の皆々様も、遊びに来てくださいね(笑)。

これで、終わっちゃうと、ブーイングが来そうなので、一言。

ここ数年、地元グルメが大人気ですね。今のところ、小生が興味あるのは、「宇都宮の餃子」と「浜松の餃子」はどちらが旨いか?-です。

一説には、宇都宮餃子は、栗林提督の伯父様が、戦後、満洲から引き揚げて、その味が忘れられず、広めたという噂がありますが、全く、渓流斎の出まかせのようです(笑)。でも、歴史はあります。

一方の、浜松の餃子は、地元グルメ・ブームに乗って生まれたような気がします。やはり、浜松といえば、鰻ですから、昔はそんな餃子、餃子なんて、騒いでいませんでした。今は、鰻は高騰して、庶民の口にはなかなか入りづらくなりましたから、代替グルメとして、生まれたのではないでしょうか。

いずれにせよ、私は、どちらも未体験なので、いつか、現地に行って、挑戦してみたいです。

記憶回復発掘プロジェクト第1弾、と言いたいところですが… edition 10

九寨溝(きゅうさいこう)入口 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

いよいよ、5月10日に、注目の「パナマ文書」の内容の一部が全世界で公表されます。楽しみですね。

でも、世紀の大スクープかと思っていましたら、例の伊藤博敏さんの「黒幕」に、しっかりと出ているんですね。1990年代に四大大手証券(野村、大和、日興、山一)による損失補填=利益供与事件が大問題になり、社長さんが引責辞任するほどでした。

この中で、今は、影も形もなくなった日興証券が、パナマのペーパーカンパニーを通して、税金逃れしていたことが発覚したことを、伊藤さんは、はっきりと書いております。今に始まったことじゃなかったんですね。

さて、渓流斎ブログも長い間、書き続けておりますが、私の手違いといいますか、思い違いで、10年近く続けていた前のバージョンが消えて無くなってしまったことは、以前にも何度か書きました。

あのバージョンでは、実に多くのことを書き連ねて、自分の備忘録にもなっていたので、この世から永久に消えて亡くなってしまっては、勿体ない気がします。(渓流斎ブログを「怪文書」と断罪した古石さんのように、ざまあみろ、と悦んでいる人もいるようですが…)

そこで、可能な限り記憶の糸を辿って、残しておきたいことを復刻してみようと考えるようになりました。勿論、一字一句同じになるわけではなく、これだけは、思い出しておきたいことを、暇を見て、徐々に復活させてみたいのです。本来、渓流斎ブログは、一度書いたことは、書かないことを鉄則としておりましたが(何で?)、消えて亡くなってしまった分は例外でしょう(笑)。

まずは滝のお出迎え Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

とはいえ、同じテーマながら、結局は、新たな書き下ろしになると思います。

第一弾は、目黒の岩永裕吉の話です。あとは、画家岸田劉生の父で、東京日日新聞の主筆も務めた岸田吟香、画家鏑木清方の父で、東京日日新聞の創刊者の一人、条野採菊、「蝮の周六」と恐れられた黒岩涙香の「萬朝報」、その萬朝報の記者だった幸徳秋水が、日露戦争に反対して退社し、新たに創刊した「平民新聞」にスキャンダルを連載した妖婦下田歌子、その歌子に信頼された「日本のラスプーチン」と呼ばれた「隠田(今の東京・原宿)の行者」こと飯野吉三郎、函館の長谷川四兄弟(「丹下左膳」の海太郎=林不忘、画家の?二郎、満洲の濬、作家の四郎)などなどです。

では、第一弾を始めましょうか、と思いましたら、紙数が尽きた、というのは言い訳で、疲れてしまいましたので、また、明日(笑)。