作者不詳「とりかへばや物語」

昨晩は、奈良の西大寺先生が急に所用で東京に下って来られるということで、赤紙の召集令状が舞い込んできました。

いつものように、どんな方が来られるのか、一体何人集まるのか、全く分からない怪しい謎の懇親会です(笑)。

場所は、昔、服部半蔵が守っていたとも、屋敷があったとも言われる都心の半蔵門。

銀座・高松    煮込みハンバーグ定食1080円

定刻に着いたら吃驚でした。あのベストセラー「永六輔 時代を旅した言葉の職人」(平凡社新書)を書いた畏友隈元信一さんがいるではありませんか。実に10年以上ぶりの再会です。とても忙しい方で、昨年は出版記念会でも催そうかと思っていたのに、返事もなく、尻切れ蜻蛉に終わってしまうかと思っていましたから、嬉しい再会です。

勿論、お互い老けましたが、中身は変わっていませんでした。旧交を温めることができました。彼のフェイスブックのお友達が「1000人」というのには驚きましたけどね。

10人ぐらいが参加しましたが、例によって、《渓流斎日乗》は莫大な人がお読みになっている関係上(笑)、どんな密談をしたのかあまり細かいことを書けないのが残念です。相川君が書くとうるさいのです。

しかし、昨晩の最大のエピソードは「とりかへばや物語」でしょう。帰りに、井上さんが間違えて、赤坂さんのダウンコートを着て帰宅してしまい、後から帰ろうとした赤坂さんが、気を遣って、その井上さんのコートは身に着けないで、極寒の雪道の中、セーター1枚だけで、凍えながら豪邸に帰宅したというのです。

井上さんは、途中で西大寺先生からの電話で気がつかされて、取りに戻ってきたようですが、駅まで迎えに行かなかった北の政所の話しでは、赤坂さんは帰宅後、終始、御機嫌ななめだったとか。

いやはや、本当に本当にご苦労さまでした。

長崎ちゃんぽんの話

先日、名古屋にお住まいの篠田先生と電話で話しをしていて、長崎ちゃんぽんの話が出てきました。「東京銀座の7丁目か8丁目かにある」店ということで、「そこが美味いから是非行ってみたらどうですか」という話だったのか、「その店は、チェーン店だから名古屋にもある」といったような話だったのか。どういう脈絡で、どういう筋道で長崎ちゃんぽんの話が出てきたのか、つい最近のことなのに、すっかり忘れしまいました(笑)。

いわゆるひとつの認知何とかかもしれません。

最近、どうも思考回路に脈絡がないのです。

ということで、今日のランチは、潜在意識に訴えるサブリミナル効果が現れて、足がいつの間にか銀座7丁目のリンガーハットの店の方角に向き、長崎ちゃんぽんを食べてきました。普通盛りで626円。まあ、安いこと。

「長崎ちゃんぽんは、どういう文脈で話が出てきたのでしたか?」と篠田先生に伺うことができませんから、謎は謎のまんまです。

そしたら、今日、学生時代の友人から、急に「Hootersって知っている?どんなところか、探究心旺盛な人はきっと行って見たくなるよ。結果を『個人的な日々の逍遥録』に書きたくなることでしょう」とメールが来るではありませんか。

「個人的な日々の逍遥録」と言えば、《渓流斎日乗》の歌い文句ですよ!?(笑)。

検索したら、Hootersとは「アメリカンダイニング&スポーツバー」らしく、都内のほか、名古屋、大阪、福岡にもあるようです。都内にある一つ、銀座は、8丁目の銀座ナインにあるようです。

だからといって今日の話は、やはり脈絡ないですね(笑)。

「脈絡なし」の話ついでに、先日ラヂオを聴いていたら、確かプロ武闘家という方が、「不安というのは、まだ起きていない未来のこと。しかし、未来は今の自分の力では何ともできない。不安になりたくなければ、未来を手放しなさい」といったような趣旨の話をしておりました。

確かに、「将来の不安」と言いますが、「過去の不安」とは言いませんからね。昔なら「言い得て妙」で、ひどく感心したものですが、何となく、「だからと言って…」という猜疑心ばかり募り、どういうわけか、あまりズシンと腑に落ちなかったですね。

「言葉は無力だなあ」と最近ヒシヒシと感じています。

えっ?脈絡がない?

失礼しました!

嗚呼、我が青春の巣鴨、大塚、駒込

先日、川越に行く途中、大宮駅で電車の待ち合わせ時間が30分もあったので、駅構内の本屋さんに入り、「散歩の達人」(交通新聞社)誌が、「巣鴨、大塚、駒込」を特集していたのを見つけ、思わず、久し振りに買ってしまいました。

かつて、出身大学の東京外国語大学が東京都北区西ヶ原にあったため、この辺りはよく散歩したものでした。専攻していたフランス語にかけて「ふらふら同好会」なるものを結成して、御学友の皆さんと本当に目的地も決めずに近辺をフラフラして、最後は何処かの安い居酒屋に入って談論風発の哲学論議。帰りも千鳥足でフラフラしたものでした。

大学近くの染井霊園には二葉亭四迷芥川龍之介らのお墓があり、西巣鴨の「妙行寺」には四谷怪談のお岩さんのお墓がありました。その頃から掃苔趣味があったわけです(笑)。

また、大学近くには染井銀座や霜降銀座など、長~い古い商店街があり、今から考えても、とても恵まれていました。

大学は移転したため、学生相手の麻雀屋さんやお店は残念ながらつぶれてしまいました。よくランチに通ったのはスパゲティー(パスタなんて気の利いた言葉は当時なし)の「サニー」もなくなっていました。ご夫婦がやっていたお店で、学生たちの良き相談相手でもありました。

もう一つよく通ったのが、沢山食べると胃が少しもたれますが(笑)、安くてボリュームだけは多いとんかつの「みのや」、そして、よく行ったわけではありませんが、ジャズ喫茶の「厭離庵」。検索してみたら今でも健在のようでした。

◇駒込、巣鴨は三菱村だった!

この雑誌を買ったのは、「東洋文庫」のことが掲載されていたからでした。学生時代は、フランス関係で精一杯で、中国関係にほとんど興味がありませんでしたので、行ったことはありませんでした。ということで、当時付き合っていた彼女とよく行った六義園(当時は無料公開)の隣りにあることさえも知りませんでした。

東洋文庫は、三菱財閥の三代目総帥、岩崎久弥が今の価値で70億円と言われるほどの巨費を投じて、在上海の英国人アジア研究者モリソンから購入した東アジア関係の書籍2万4000冊を誇る収蔵文庫です。収集・分類・整理に当たって活躍したのが芥川龍之介の一高時代からの友人石田幹之助でした。このことは、以前にもこの《渓流斎日乗》で書いたことがあります。

何で、東洋文庫が六義園の隣りにあるのか、この雑誌を読んで初めて分かりました。この六義園は、元禄時代の赤穂浪士事件の際に、絶大な権力を握っていた五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保の別邸といいますか、隠居所だったことで知られ、私もそのことは知っておりました。

それが、明治維新後、新政府のものとなり、それを買い求めたのが三菱財閥だったのですね。何と、六義園内には岩崎邸も建てられていたとか。それどころか、今では都内の豪邸街として名高い駒込の大和郷(おおやまとごう)一帯も全て、岩崎様の敷地だったというのです。吃驚したなあ。

しかも、三菱岩崎様の御用邸の敷地は延々、巣鴨の方にまで続いていたというのです。そう言えば、巣鴨駅近くに「三菱養和会」があり、サッカーかホッケーのグラウンドなどもありました。学生時代、何で、ここにあるのかと不思議でしたが、昔から三菱様の敷地だったんですね。本当に魂消ましたよ。

◇大塚の予備校跡に新興宗教教団支部が

大塚は、予備校で一年通っていましたので、これまた懐かしい。今ではその予備校はつぶれて、10年ほど前にそこを訪れたら、今ではその敷地に、芸能人の信者も多い新興宗教の教団支部が建っていたことにはこれまた驚きました。

大塚は、恩師の故朝倉剛先生の行きつけで、小生も連れて行って下さった居酒屋「江戸一」(一度、劇団四季の浅利慶太氏が女優さんと一緒に飲んでいたのを遠くで拝見したことがありました。後にお二人は結婚)も懐かしいのですが、この雑誌には出てきませんでしたね。

巣鴨、大塚といえば、大塚の三業地帯を除けば、それほど高級というイメージではないのですが、どういうわけか、この雑誌で紹介されているお店は、ランチなのに1600円とか高めのものばかり。銀座より高い!

何か、裏で意図があるのではないかと勘繰ってしまいましたよ(笑)。雑誌では、紹介されている店の中に「35年も長く続く老舗」みたいな文句がありましたけど、小生が学生時代にこの辺りをフラフラしていたのは、もう40年以上も昔ですからね。その店は、当時なかったわけです。嗚呼、溜息が出ますよ。

水道橋博士著「藝人春秋2」上下二巻を読んで

水道橋博士著「藝人春秋2」上下二巻(文藝春秋、2017年11月30日初版)を駆け足で読了しまた。「週刊文春」連載を単行本化したものでした。

ビートたけしの弟子である自称「芸人」。それが、自他ともに認めるように文章がうまい。よくいる田舎の秀才タイプで、文章のうまさは、多読乱読濫読によるものか、かなりの読書量から来る趣きです。

しかも、取材相手が、橋下徹、石原慎太郎、猪瀬直樹、立川談志、三浦雄一郎、田原総一朗ら周囲にいる有名人だらけですから、ネタ元には困りません。「取材元」と書いたように、著者の水道橋さんは、学者かジャーナリストのように、取材相手の文献やインタビューの過去記事をかなり読みこなして上で、相手に当たっていますから、相手のかなりの本音を引き出すことに成功してます。

文章のうまさというより、取材力が文章に現れている感じです。

ただ限界もあり、「大物のタブーに挑戦する」と言っておきながら、例えば、石原前都知事の「票田」である某新興宗教団体には触れず仕舞い。本人は著作で多く語っているのに、水道橋さんは、まるで態とその部分を避けて通り、三浦雄一郎氏との個人的な確執ばかり取り上げておりました。

その一方で水道橋さんは、他人を笑わすことが商売なのに、エピローグの中で、かなり重症の鬱病を再発して、この本、というより、週刊誌連載執筆の時の壮絶な体験まで告白してます。保険が効かない治療を行ったため、貯金が減っていく辛さや、家族以外に打ち明けられない仕事場での苦しみなども吐露してました。

同じような病に罹った作家北杜夫や開高健、ナインティナインの岡村隆史、泰葉、ジャーナリスト田原総一朗らの例も取り上げておりました。

著者は、「お笑い」と「作家」の二足の草鞋を履くことを後押ししてくれた恩人の一人に立川談志を挙げ、かなりのページを割いておりました。彼が亡くなったのは、2011年。ちょっと、あれからもう7年も経つとは、時間の流れが速すぎませんか?!(著者に従い、一部敬称略)

北野天満宮の「天神市」は毎月25日に菅原道真のご命日に開かれています

東京は、昭和45年以来の寒さで雪が積もったという事ですが、渓流齋先生におかれましてはお達者にお過ごしでしょうか?京洛先生です。

こちら京都も、昨日、今日と、雪や粉雪が舞い散り、寒い日々です。油断すると風邪をひきますね。


25日は「北野天満宮」で、新年最初の「初天神市」が開かれました。

渓流齋さんが数年前、この「天神市」を見に来られて、露店の多さに吃驚仰天。「凄い人と屋台の数ですね。想像以上です。露店がどれくらい出ているんですかね」と言われましたね。そして、目ざとく、その中の一軒から、古着、と言っても、殆ど新品に近い、丈夫そうな、上着を見つけて、自分の体格にピッタリで、手ごろの値段だ、と、分厚い財布から、ピン札を数枚出され、買い求められたのを思い出します(笑)。

…分厚くなかったすけど(渓流斎)


北野天満宮の「天神市」は毎月25日に菅原道真のご命日に開かれていますが、その年の最初の1月の「初天神」と12月最後の「終い天神」は、人出はいつもより多くなるので、昨日も朝から、境内と天満宮周辺の道端に古着、古道具、骨董、植木、手作り様々な工芸品や干物、漬物、饅頭など食品まで、千軒以上の露店に並んでいました。

「天神市」に掘り出し物を探しに来る人は、やはり、早めにやって来て、自分の審美眼で、掘り出し物、逸品を探したり、食い物に興味のある人は、美味くて安い物はないか、と人込みをかきわけたりして、あちこち、自分の好みに合った露店探訪を愉しむわけです。


最近、目立つのは、関東方面から日帰りでやってくる「オバサマ」達で、洒落たクラフト、西洋骨董、古着など、蚤の市の気分を味わいに見えていますね。

25日は「天神市」ですが、やはり毎月21日に開かれているのが、東寺の「弘法市」です。こちらも、弘法市と京都見物を楽しむために上洛する女性達が増えてきているようです。蚤の市巡りは、どんどん年齢が若返っている感じです。これも、女性のファッションの嗜好、多様性が影響しているのではないでしょうかね。


ご案内の通り、北野天満宮は、全国津々浦々にある天神社、約1万社の総本社です。受験シーズンを迎え、境内の「撫で牛」の祠のそばには、志望大学と名前が書かれた合格祈願のお札がドンドン増えています。

2月に入ると、「節分会」です。さらに、梅苑の梅も咲き始め、2月25日は、天神市とともに、恒例の「梅花祭」が同時に開かれます。
次から次に、年中催事があるのが京都市内のお寺・神社ですが、そのお陰で季節感を味わえるのも確かです。

養老孟司著「遺言。」を読む

最近、することといえば、髭も剃らず、運動もせず、息もしないで、本ばかり読んでいます。

これ以上、頭が良くなってどうするつもり?(爆笑)

その中で、養老孟司著「遺書。」(新潮新書・2017年11月20日初版)を非常に、非常に期待して読み始めたんですけど、正直、あんまり…でしたねえ。

大ベストセラーになった「バカの壁」などの「衝撃度」に比べると、どうも…です。プロパガンダによると、「著者25年ぶりの書き下ろしで、50年後も読まれるに違いない」とのことですが、それは果たしてどうなることでしょうか…。

25年ぶりの書き下ろしなのに、これまで、養老氏が牛が汗をかくほど沢山の著書を発表されていたのは何だったのか、と言いますと、いわゆる「語り下ろし」で本人が書いたわけではない。安河内君を始め、優秀な新潮社の編集者が耳で聞いてメモをして、あたかもゴーストライターのように、編集者が書いていたわけですねえ。

「そっちの方が面白かった」とは口が裂けても言えませんが、本人の講演や対談は爆笑したくなるほど面白いのに、文章となると魅力度が落ちてしまうのか。やはり、理系だから、と言いたくなってしまいます。だから、あまり文系をバカにしてはいけませんよ(笑)。

不満だったのは、エントロピーの話が出てきても、クオリアの話が出てきても、「1冊の本になってしまう」だの、「詳しいことは茂木健一郎に聞いてくれ、というしかない」などと丸投げしてしまって、途中で置いてきぼりにされてしまうことでした。「書き言葉」じゃありませんよね?

でも、あんまし、不満ばかり言ってはいけません。

・動物の社会とヒトの社会は明らかに違う。「同じ」つまりイコールの理解が、ヒト社会を特徴づける。「同じ」つまりイコールつまり交換が、ヒト社会の特徴を創り出す。

・ヒトとチンパンジーの成育を比べると、生後3年まではどうみても、運動能力にしても、チンパンジーが上。ところが、4歳から5歳になっていくと、ヒトはどんどん発育が進むが、チンパンジーは停滞してしまう。認知能力で差が出る。

・覚醒しているヒトの脳と、寝ているヒトの脳とでは、消費するエネルギーがほとんど違わない。呼吸や循環もそうだが、脳は死ぬまでひたすら休みなく働いている。

などといったところは、まさに蒙を啓いてくださいました。

有難う御座いました。かつ、失礼仕りました。

でも、タイトルは中身と全く関係ない。個人的趣味かもしれませんが、変です。どうにかなりません…よね?(笑)。

川越、かわごえ、カワゴエ

埼玉県川越市の喜多院

ちょっと御縁があり、思いついて、「小江戸(こえど)」の川越を散策してきました。

小江戸とは、江戸時代の雰囲気を残した城下町のことで、小江戸と名前が付くところは、全国には他に彦根市ぐらいしかないようです。

単なる江戸情緒を残した城下町なら、全国にはかなりあるかもしれませんが、「小江戸」となると、他に、「伝統的な祭りがあること」などといった条件があるようです。(川越祭りを、川越氷川神社を祭神として始めたのは、「知恵伊豆」こと、川越5代藩主松平伊豆守信綱です。新座市の平林寺にお墓がありますね。)

さて、このように、川越市は、皆さまご存知の通り歴史のある町です。15世紀に扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の家宰太田道灌が江戸城、岩附城とともに、河越城をつくったことで発展しましたが、平安時代初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で慈覚大師円仁が、天台宗の星野山無量寿寺を建立し、その後、関東天台宗の本山となったことから、中世は寺町として栄えていたことでしょう。

天海上人像

この無量寿寺は、北院、中院、南院と分かれており、中院が中心でしたが、江戸時代になると、あの江戸の町を風水等による都市計画(魔除けの方角に目黒、目赤、目黄、目白不動尊などを配置し、江戸城本丸の鬼門の方角に上野寛永寺、裏鬼門に増上寺を建立した)で名を馳せることになる天海上人が家康の招きで、1599年に住職に就き、北院を中心にして、北院を喜多院に改名します。中院は南に移転して、そこに仙波東照宮を建てます。そして、南院は廃院となります。(天海上人は、その後、2代秀忠、3代家光にまで使えて、108歳まで生きたとか)

仙波東照宮は、日本の三大東照宮の一つなんだそうです。(他の二つとは、日光と久能山。家康は、久能山で亡くなった後、日光に祀られる前に、家康の遺体は、仙波東照宮でしばらく留め置かれたそうです)

話は遡りますが、慈覚大師円仁は、無量寿寺を建立する際に、大津市坂本の日吉神社の御神体をお運びして、近くに日枝神社も建立します。上の写真でも看板が見えますね(笑)

日枝神社の「ひえ」は、天台宗の比叡山延暦寺の比叡(ひえい)から来たという説があり、日枝神社は、天台宗系ということで辻褄が合います、

多宝塔

喜多院の境内には、多宝塔があります。規模は小さいですが、高野山の塔に似ています。

大正浪漫通り

川越市は、36万人の人口(北海道十勝地方と同じですが、十勝は岩手県ほどの面積があります)ながら、年間650万人もの観光客を誇るそうです。その理由は、東京都心に近いことと、色んな時代の「観光資源」をうまく保存しているからに他ありません。

川越は、恐らく、古代、中世から火災が多い街で、江戸時代は織物業が盛んで、染料を煮詰めたりするのに使う藁の火が、残り火として風に煽られて引火して、町中に広まる大火事になったという説が一つあります。

寛政4年(1792年)に建てられた呉服店「大沢家」(現在、民芸品店)。国指定重要文化財。個人の住宅が重文となるのは、全国でもここだけ。唯我独尊(笑)です。

明治に入ってからも、大火災は続き、特に明治26年(1893年)の大火では、川越の町の3分の2が灰燼になったと言われています。

そこで、街の商人は、盛んに防災用の蔵をつくるようになり、それが、今でも商店として使われ、大切な観光資源に発展したわけです。

加えて、川越は、あの憎き米軍による空襲がなかったので、奇跡的に古い歴史的建造物が生き残ったわけです。

川越の町のシンボル「時の鐘

川越城主酒井忠勝が約400年前に、藩の民に時を知らせる為に作り、その後、大火で何度も消失し、これは四代目。

現在のものは、明治26年の大火後再建されたもので、明治天皇からも寄付が寄せられたそうです。

毎日、午前6時と正午と午後3時と午後6時の4回、鐘が鳴ります。

高さは約16メートルで、江戸時代は、これ以上高い建物の建設は禁止されたそうです。

菓子屋横丁で最も古い松陸

寛政8年(1796年)創業で、菓子屋横丁で一番の老舗。

かつては、横丁には70軒ほどの菓子屋があったそうですが、今22軒。

それでも、かなりの観光客が押し掛けておりました。

着物着ている、2〜3人一組の若い女性も多く見かけましたが、彼女たちが話している言葉は、中国語でした。

残念なことに、川越城本丸跡に今回は行く時間がなかったので、次回挑戦したいと思います。

最近の渓流斎、「城博士」を自称してますから(笑)。

小川洋子さんとフランスの出版社

「博士の愛した数式」などで知られる小説家の小川洋子さんが、1月17日付の東京新聞夕刊で、興味深いエッセーを書いていました。

海外で彼女の小説を初めて翻訳出版してくれたのは、何と英米ではなく、フランスの出版社で、その出版社の社長からプレゼントされたスコット・ロスのチェンバロCDバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴くと、今は亡きその出版社社長ユベール・ニセン氏のことを思い出す、といった内容でしたが、「フランス専門家」を自称している(笑)私ですから、その出版社がどこなのか気になってしまいました。

パリのガリマール社なら有名ですから、誰でも知っているでしょうが、この出版社は、南仏アルルで、羊小屋から起業して今でも本社はアルルにあるというのです。

※※※※※

それは何という名前か、すぐ分かりました。

ニセン社長の娘フランソワーズが後を継ぎ、彼女は昨年5月に、何とマクロン大統領によって文化大臣に任命されて驚いた、と小川さんが書いてあったからです。

それは、在日仏大使館の日本語ホームページですぐ分かりました。フランソワーズ・ニセン文化大臣が社長を務める出版社は「アクト・シュド」という会社でした。綴りが分からなかったのですが、散々調べてフランス語でActes sud ←クリック だと分かりました。「南のアクション」といった意味でしょうか。(社長は、昨年5月から代わってました。さすがに文化大臣と兼任で会社を切り盛りできないでしょう)

HPは立派ですが、大変失礼ながら、地方の小さな出版社でしょう。それなのに、かなりの点数の書籍を揃え、極東の小説家の作品にまで目を配って翻訳書まで出してしまうなんて、なかなかのものです。

小川洋子さんは、フランソワーズが文化大臣に指名されたことについて、「出版文化が尊重されているような気がして、私まで誇らしかった」とまで書いています。

ここを読んで、私も異様に感激してしまったわけです。

 

エッセーでは、4年前にフランソワーズの息子さんが10代の若さで亡くなった話など、色々書いてありましたが、さすが作家だけあって、短いエッセーでも大変読ませるものがありました。

哈爾濱学院顕彰基金によるシンポジウムのお知らせ

★哈爾濱学院顕彰基金によるシンポジウムについてお知らせ致します★
(事前申込、参加費不要です。)

「ハルビン学院と満洲国 (新潮選書 1999/3)」「満洲の情報基地ハルビン学院(新潮社 2010/8)」の2冊の著者である 芳地隆之氏の講演「ハルビン学院の25年」が東京・上智大学ロシア語学科で開催されます。

現在、ハルビン学院生は90歳以上、出席が難しくなっています。御家族、ご遺族、学院に関心を寄せる方は、哈爾濱学院についての理解を深める良い機会です。一般の方も是非この機会にご参加下さい。

詳細は以下の通りです。

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上智大学外国語学部ロシア語学科では、来る2018年1月20日(土)に哈爾濱(ハルビン)学院顕彰基金シンポジウムを開催いたします。今回は2020年に創立100周年を迎える 哈爾濱学院そのものをテーマといたしました。ご興味・関心をお持ちの方は是非ともご来場ください。事前のお申し込み、参加費は不要です。

上智大学 哈爾濱学院顕彰基金シンポジウム ~ハルビン学院100周年にむけて~
【日時】 2018年1月20日(土) 14:00~17:00
【場所】 上智大学四谷キャンパス 2号館508教室
~プログラム~
> 司会:安達祐子(上智大学ロシア語学科教授)
> 14:00~14:10 原求作(上智大学ロシア語学科教授・学科長) 挨拶
> 14:15~15:00 芳地隆之(元ロシアNIS経済研究所次長) 講演
>         「ハルビン学院の25年」
> 15:15~16:00 ワシーリー・モロジャコフ(拓殖大学教授) 講演
>         「日本の満州政策と日露関係」
> 16:00~17:00 質疑応答