ゼロ円のカラクリ(IT業界裏事情)

宝登山神社(長瀞)

昨晩は、IT青年実業家松長社長と神田神保町の著名居酒屋「酔の助」で、IT業界の極意を伺いつつ、痛飲してしまいました。

「酔の助」は、いわゆるひとつの大衆酒場ですが、よくテレビドラマのロケで使われ、「居酒屋のシーンが出てくれば、あれは『酔の助』だ」と言われるくらい、その筋の人なら知る人ぞ知る有名な居酒屋です。

松長社長には、この「渓流斎日乗」のホームページ化で大変御世話になりました。これまで、gooブログで配信していたのですが、思い切って一本独鈷で、新規に独立サイトをこの9月1日から始めたのです。

彼の言うことが粋です。

「渓流斎さん、これまでのgooブログでは、300万人か500万人の中の一人で、いわば小池で泳いでいたようなものです。今回独立したということは、世界に飛び出し、60億人の中に飛び込んだということになるんですよ」

うーん、うまいこと言いますなあ。

「だから、渓流斎さんのサイトは60億分の一になるわけですから、アクセスの上位にいかないと誰も見ないのです。しっかり更新しないと埋没してしまいますよ」

はっ、それが言いたかったんですね(笑)。

松長社長は、IT業界で長年苦労してきたせいか、さすがに業界通で何でも知っています。何しろ、自分でプログラムまで書けてしまうので、これまで地方の地元有力者(と言えば分かりますよね?)の監視カメラや売り上げ伝票のソフト製作など幅広く手掛けてきたようです。

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色んな話を聞きましたが、一番印象的だったことは、よく大手ネット通販が「ゼロ円」で中古本などを販売している、その裏のカラクリです。

「渓流斎さん、この生き馬の目を抜く厳しい資本主義社会で、利益の出ないタダなんてあり得ないでしょ?」

嗚呼、そう言えば、私も数年前にゼロ円で買ったことがあり、ドキッとしました。

「それはですね。モノをタダで買うような厚かましい輩が、どんな顔して何処に住んで、何をしているのか、年齢住所職業、メルアド、携帯番号、銀行口座まで、個人情報を登録させて、その情報を転売している可能性があるんですよ」

えーーー!!それは困る。

「でも安心してください。渓流斎さんも私も庶民ですから、何億も何十億も資産があるわけない。銀行口座がバレたとしても、犯人は10万、100万の端金には見向きもせず、最初に目をつけて手をつけるのは、数百億円クラスの大金持ちでしょう?だから、渓流斎さんは何の心配もいらないのです」

そっかー。そう言われて嬉しいやら、哀しいやら。複雑な気持ちになってしまいました。

Gメールやヤフーメールなどの無料メールも、何でタダなのか、疑ってかからなければなりません。スノーデンが暴露したように、あらゆるメール情報は当局に筒抜けになっていることは、業界では常識のようです。

そんなこんな話で盛り上がりました。

松長社長は、名門(笑)海城高校の後輩で私より一回りも若いので、私より確実に10年も20年も長生きしてくれるので、このホームページを任せてよかったと思ってます。

松長社長、今後とも宜しくお願い致します。

「スマホ大学」には驚きを超えて

長瀞駅

今朝の新聞各紙の全面二面広告を見て、吃驚しました。

来年4月から、スマホで授業を受けて学士号がもらえる「東京通信大学」なるものが開校されるというのです。英語名が、Tokyo Online University だとか。

私も、こうして、日乗を通勤電車の中でスマホで書いてますから、とやかく言う筋合いはないのですが、わずか15分の動画をスマホで見て、試験やレポートはどうするのか分かりませんが、とにかく大卒の肩書が取れるというのですから、驚きです。

スマホなら、自宅で引き篭もりの人や入院中の人でも授業を受けることができるでしょうけど、学友と居酒屋で議論したり、一緒に学食を食べたりするような、いわゆる普通の学生生活とは違うんだろうなあ、と思われます。

何しろ、年齢も職業も不問らしいので誰でも入れるということなのでしょうか。

情報マネジメント学部と人間福祉学部があるようですが、これらの学士号を取って、就職に有利に働くということなんでしょうね。

しかし、この大学を経営する母体は他に東京モード学園なども運営しております。モード学園は、ファッション関係の専門学校で実技を重んじる学校として知られています。スマホ授業では、実技はできませんよね?

あ、そう言えば、昔から通信制の大学がありましたから、そのスマホ動画版と思えばいいということなんでしょうか?

しかし、最近はどこもかしこも、大学になりたがっているのが流行ってますね。明治30年まで、日本には大学と呼ばれるものはたった一つしかありませんでした。だから、東京も付きません。ただの帝国大学です。今の早稲田大学も東京専門学校です。

それだけ学士様は希少価値があったわけですが、これだけ学士様が増えると…あとは書きません(笑)。

「終わった人」は終わっていなかった人というお話

真夏の夜の夢 Copyright par Duc de Matsuoka

心に浮かぶよしなしごとを書き連ねて半世紀。一昨日の9月8日(金)、東京駅前の新丸ビルにある高級居酒屋「神田新八」で、小学校〜中学校時代の同級生だった三由君と石田君と3人で10年ぶりぐらいに懇親会を開き、昔話と病気自慢の話で花が咲きました。

お店の女の子に勧められるまま、高級魚と「森伊蔵」や「佐藤」とか「魔王」とか注文していたら、あとで眼の玉が飛び出るほどの金額を請求されてしまいました(笑)。

「男は過去の自分に用がある。女は未来の自分に忙しい」という格言があるらしいですが、男の方が案外女々しくて過去の自分に未練があるようです。

「ああしておけばよかった」「あの時、こうしておけば今頃、出世して日々の暮らしに困っていなかったはず」云々…。

とはいえ、あたしの場合は、大病したせいか、もう過去のことに拘りがないんですよね。三由君の場合も、小生よりもっと重い病気で9カ月も入院して会社も休職して散々苦労したので、今を生きる有り難みを感じているようでした。

桃源郷  Copyright par Duc de Matsuoka

彼は、子どもの頃から頭がよかったので記憶力は抜群でした。私が中学に入って、不良の友達と付き合うようになって、ボウリング場やビリヤード場に出入りしたり、タバコを吹いて(当時は吸うこと知らず=笑)、警察に補導されたりして、散々遊んで成績が急降下したこともよく覚えてました。

「タカちゃん(私の子どもの頃の愛称)は、学年でトップクラスだったのにね。平田典子は東京都で1番か2番で特別だったけど、俺とか、石田とか、バチローとか、高橋とか、須田とか、その隙にスイスイと成績上げていったなあ」などと、一応、過去の私を持ち上げてくれました(笑)。

東京都下の田舎の公立中学校でしたが、公務員住宅という団地から通って来る子弟(あたしもそうじゃん)もおり、東京都内でもトップクラスの子どもが多かったようです。考えてみれば、親が大蔵省や外務省や法務省などの役人だったわけですから、大人になれば、その理由は納得できます。

それにしても、思い出してみても、自分の中学生時代は、頭の中に蜘蛛の巣が張った状態で、勉強に手がつかず、おかしな行動ばかりしていました。

それでいて、つまらない自尊心があったので、自分より遥かにできなかった周囲の生徒からドンドン追い越されてしまい、挫折心の塊のような人間になってしまいました。

恐らく、今の捻くれ者の性格は、中学校時代に養われたんでしょうね(笑)。

陽朔 Copyright par Duc de Matsuoka

ということで、2〜3日前から内館牧子著「終わった人」(講談社)を読んでます。2015年9月16日初版。当時、かなり話題のベストセラーとなり、「終わった人」も流行語となり、私もよく使わせてもらってます(笑)。

小説を読むなんて、20年ぶりぐらいです。20年ほど前から、「他人の書く作り物や妄想に付き合っている暇はない」と偉そうに傲岸不遜な人間となり、読むものは、歴史や社会科学やノンフィクションに転向したためでした。

「終わった人」は、脚本家かドラマ作家が書くような小説で(そのままズバリじゃん)、読者が飽きそうになると、色恋ものを入れたり、登場人物が急死したり、現実ではあり得ないことのオンパレード。まるで、テレビドラマを見ている感じでした。

主人公の田代壮介は、盛岡市出身で、名門県立南部高校から東大法学部に入学し、1972年に同校卒業後、国内トップのメガバンク万邦銀行に入行したエリートして設定。49歳で関連会社に出向を命じられ、その会社で専務取締役となり63歳で定年退職して、それからの話がああだこうだと独白調で書かれ、投げだしたくなると、波乱が出てきて、最後まで読ませてしまうのはベテラン作家の力量ってことなんでしょうね。

結局、「終わった人」だと思っていたら、まだまだ、煩悩もあり、最後は、「終わってない人」じゃん、と思わせる小説かもしれません。

あ、批判ばかし並べましたが、IT企業のミャンマー進出の話や熟年離婚の話やら、色々タイムリーな話を盛り込み、あとがきによると、専門家にもかなり取材して書いたようで、ま、よく出来た小説でした。と、付け加えておきます。

築地「かつ平」から空爆を逃れた戦前の街並みへ

築地「かつ平」

東京は銀座と築地と新富町辺りは私のシマなので顔役(笑)として、老舗店舗から細い路地まで知り尽くしていたつもりでしたが、まだまだ修行が足りませんでした。

築地本願寺の裏手に当たる築地6丁目に、池波正太郎がこよなく愛したトンカツ屋「かつ平」があるというので、ランチを食べに行ってきました。

午後1時過ぎだというのに超満員。初めて行くので、壁に貼ってあった「ロースカツランチ」1150円を注文してみました。

待つこと13分。出てきたのはかなり大きめのロースカツ。あとから分かったのですが、ロースカツは脂身が多く、ヒレカツ(1050円)はそれ程でもないということでした。

なるほど、やはり、ロースカツは白身の脂がそのままでしたから、後からちょっと胃がもたれてしまいました。

今度はヒレカツにしてみようかしら。

池波正太郎先生がおススメする店は、銀座の「煉瓦亭」とか「資生堂パーラー」とか、ちょっと高めのお店が多かったのですが、ここは庶民的と言えるかもしれません。

 

この築地本願寺の裏手の6丁目、7丁目辺りは米軍による空襲爆撃を逃れたため、こうして、古い戦前の建物が残っており、一瞬、タイムスリップしたような感じに襲われます。

何故、この辺り、空襲がなかったかといいますと、隣の明石町に聖路加病院があったため、戦後、米軍が占領した時に戦傷者らの治療のために残すべく爆撃を避けたと言われてます。

繁華街の銀座は空襲に遭いましたが、その隣の日比谷界隈にはGHQの置かれた第一生命本社や東京宝塚歌劇場(占領時は、兵士の慰安のためのアニー・パイル劇場に)があったため、態と爆撃せずに残しておいたわけです。

かつての敵国は、日本全土にどんな建物があり、何処に軍事工場があり、何処に学校や病院があるか全て把握した上で、精密機械のように空爆していたことが分かります。

果たして日本は、そこまで把握して、戦後世界をどう築くかまで構想を持って戦争を始めたのか甚だ疑問です。情報戦では最初から負けていたわけです。

領収書がすべて!だがやな

浜松城

(昨日の続き)

今、税務署に来てます。どんな裁可が下されるのか、この歳になっでドキドキです(笑)。

今朝の新聞で、「遺伝の法則の『優性』『劣性』は今後使わない」という記事が印象的でした。

日本遺伝学会が用語を改訂したらしいのですが、例えば、これまで、「色覚異常」とか「色盲」とか言っていたものを、今後は「色覚多様性」と言い換えるそうですね。

以前にも何回か書きましたが、私の亡父は「色盲」でした。戦争末期に帝国陸軍に志願して、航空隊に配属されましたが、色盲のお陰でパイロットになれず、整備兵となりました。

しかし、万事塞翁が馬。パイロットになっていたら、特攻隊になって散華していたかもしれません。となると、私もこの世に生まれて来なかったし、こんなブログを書いてることはなかったでしょう。

今は、こうして「父は色覚多様性だった」と胸を張って言えますね。

浜松城

そうこうしているうちに、税務署でのマルサ捜査(?)は終わりました。

意外や意外!

私自身、サラリーマン生活を何十年間も続けて、確定申告など一度もやったことがなかったのですか、結論を先に書きますと、経費として控除されるので、「領収書がすべて」だということが分かりました。

とはいえ、私は領収書なんかすぐ捨ててしまいます。よほど大きい買い物をした時は別ですが。

ということで、「原稿料」としての税金を取られるなら、経費として本代やセミナー代やらも入るはずです。しかし、それはもうない。あ、そうだ!iPad を買っていた!これで原稿書いたり、調べものしたりする。ダメモトで、このiPad 代を経費として申告してみました。たまたま領収書が残ってましたからね(笑)。

そしたら、驚き。経費として認められ、何とわずかですが、還付金まで出たのです。この他、前年分もあり、こちらは一つも領収書がないので、まるまる10%の地方税を取られました。今後、延滞金を払わなけらばならない可能性もありますが、生まれて初めての納税交渉は、痛み分けか、あたしの勝ちでしょうかね?(笑)

【教訓】

•給与以外に、20万円以上の雑収入があると、確定申告しなければなりません。

•その際、経費として認められれば、逆に還付金がありますから、領収書は必ずこまめに取っておくこと。

•医療費は、長期療養費還付等を差し引いて10万円以上あれば控除があることを覚えておいてください。

追徴課税の恐怖

気賀のお姫様(本文とは関係ありません)

民進党の前原代表の船出を見てますと、役員人事でゴタゴタがあり、「嗚呼、こんなんじゃ駄目だなぁ」と暗澹たる思いです。

何しろ幹事長に内定していた山尾元政務調査会長とやら。突然、その内定が白紙になった理由は「週刊誌に男性スキャンダルを書かれそうだから」というもの。次元が低いですね。

まあ、党を後ろ足で砂を蹴って出て行った細野氏を始め、民進党には異性スキャンダルには伝統がありますからね。あれっ?皮肉に聞こえましたか?

この民進党の前原代表は「消費税増税」を公言してますから、自民党だろうが、民進党だろうが、誰が首相になろうが所詮同じ。2年後の2019年10月からの10%は確実になりました。

民進党のスキャンダルで、産経と読売が大喜びです。とはいえ、反体制派のフリをしている朝日も、財務省の役人に折伏された著名編集委員さんとやらが、消費税増税の旗振り役として盛んに財政危機を煽って紙面に展開してます。

産経と読売がやるなら分かりますけど、朝日のやり口は汚ないなあ。個人的感想ですけど(笑)。

消費税10%ともなると、私のようなお金持ちは、100万円のキュウリを買うと10万円もの消費税を支払わなければなりません。これは大きい。

先日ニュースになりましたが、消費が全く伸びず、景気回復観がないのは、個人の所得が伸びず、企業の「内部留保」とやらが、昨年は史上最高の400兆円もあったから、らしいですね。これは当たってますよ。

少しでも、馬車馬のように働く社員に還元すれば、消費も伸びるはずですけどね。

※※※※※

ところで、先日、私のところに、市の税務課と名乗る者から急に手紙を寄越して、「御相談があるので、9月×日×時に来てください」と呼びつけられてしまいました。

どうやら、昨年「原稿料」収入が年間30万円ほどあり、市税と県税と合わせて10%の税金を納めていない、と断罪するのです。

ひょっえー、です。

原稿料は、源泉徴収で10%取られてますから、税金はそれで十分だと思ってましたのは、赤坂の夜はふけてです。(古い!ちなみに、若い読者のために、浅はかだった、という意味です)

税務課の説明では、年間20万円以上の原稿料収入があると、サラリーマンでも確定申告しなくてはならないそうな。

あたしの場合は、一昨年の分もあるので、「追徴課税」も取られそう。

嗚呼、もう勘弁してくれい!卓袱台をひっくり返したくなりました。

宝登山神社ご参拝(続 長瀞紀行)

宝登山神社本殿

9月3日(日)午後3時、埼玉県立自然博物館を後にして、宝登山(ほどさん)神社を目指して歩きました。

約2キロの旅程。結構歩きました(笑)。その途中で、名古屋にお住まいの篠田さんから急に電話がありました。

「渓流斎さん、北朝鮮が水爆実験やったの御存知ですか?」

「えっ?今、あたしは長瀞にいるもんで知りませんでした」

「そんなことだろうと思ってましたよ。3時半から記者会見があるようですよ」

「はあ、貴重な情報有難う御座いました」

宝登山神社二の鳥居

途中に踏切がありましたが、大変幸運なことに観光用のSL機関車を見ることができました。

というわけで、程なくして宝登山神社に着きました。

社伝によると、創建は景行天皇41年(西暦111年)というとてもとても古い神社でした。神武天皇らを祀っておりますが、特に防火守護の神様を祀っており、その御利益があるらしいです。

日本武尊を祀る祠

というのは、記紀にも書かれておりますが、景行天皇の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、この辺りに立ち寄り、山頂に向かっていると巨犬が出てきて道案内をしたといいます。

その途中で猛火に遭い、日本武尊が難儀をしていると、巨犬が猛火の中に飛び込んで火を消し止め、そのおかげで、日本武尊は無事頂上へ登ることができたそうです。

この山は「火止(ほど)山」と呼ばれるようになり、時代が下って「宝登山」となったそうです。

また、巨犬は大山祇神の神犬であったことから、防火守護のため火産霊神として社殿が建てられ、このような立派な宝登山神社となったそうです。

宝登山神社本殿

本殿にはこのように、中国の「二十四孝」を題材に取った見事な彫刻を見ることができます。

関東首都圏の神社仏閣を紹介する松長会長主宰の「猫の足あと」には、どういうわけか、この宝登山神社について詳細情報がなかったので、僭越ながら、「渓流斎日乗」に紹介させて頂いた次第です。

家に帰って、北朝鮮の核実験のことが気になっていたので、ラジオの夕方のNHKニュースを聴いたところ、トップニュースは、「タッキー&翼さん、活動を一時休止」でした。

以上

日本人の死生観とは?

京都にお住まいの京洛先生は神出鬼没で、月曜日に東京に出て来られ私を含め何人かの親しい方々と懇談行脚されたかと思ったら、いつの間にか盛岡にまで足を伸ばし、盛岡市内の「聖寿寺(しょうじゅじ)」にまで行かれたようでした。

この聖寿寺は、盛岡藩主(南部氏)の菩提寺なのですが、諸般の事情で無住となり、京都は建仁寺僧堂で 修行されていた禅僧が住職になって赴任されたので、顔の広い京洛先生のことですから、そのご住職を訪ねに行かれたのでした。

何しろ、南部藩の菩提寺ですよ。「盛岡五山」の筆頭格に当たる由緒ある古刹なのに、無住になってしまうのですから、他の名の知られていない地方の寂れた寺は、況やをやです。

こういう話は何処の大手マスコミもネットも取り上げないので、ここまで地方(いや都心もそうでしょうが)の有名無名の神社仏閣が荒廃してしまったことを知る人は少ないことでしょう。

京洛先生曰くー。

…聖寿寺は「妙心寺派」のお寺ですが、お坊さんがいないので、本山の妙心寺から、同じ「臨済宗」の別派ですが、建仁寺の本山に「誰か適当な人材がいないか」との懇請があり、「それなら私が行きましょう」と高橋英玄住職が引き受けられたわけです。

同老師は貴人よりも若いですが、お釈迦様の戒律を守って妻帯していません、明治の廃仏毀釈、神仏分離令などによって、仏教界が如何にそれまでに比べて俗化してしまったのか、具体的な話を伺いました。

この背景には、明治維新後、神道を「国教」にしようという事もあり、アウトロー的な僧侶を管理する流れも生まれ、それまで「妻帯、肉食禁止」とともに、お寺の「世襲」は否定されていたのが、事実上容認されてしまった、という事ですね。「世襲」によって、お寺の私有財産化に拍車がかかり、「独身で一代限り」だったのが、妻帯、子供への継承になるわけです。

折口信夫が神道、神職の事務化を批判していますが、仏教界もそれと同じです。むしろ、英玄老師によると、かつての仏教界はむしろそういう事には神道以上に厳しかったそうなのですが…

なるほど。現代宗教の在り方、日本人の死生観は、他人事ではなく誰も逃れることはできません。

 この話を聞いて私も考えさせられました。

新しい《渓流斎日乗》は茲にいます!

Paul(droite)et Jackie

皆様におかれましては突然の御連絡ですが、明日(2017年9月1日)から、この渓流斎ブログはこちらに移転することになりました。

サイトが移転しても、内容は殆ど変わりませんが(笑)、これまで12年間近くお世話になったgooブログから独立して、一本独鈷で勝負をすることになりました。これまでも何回か、サイトを移転しましたが、これが集大成として最後になります。終着点です。

まあ、大袈裟かもしれませんが、どなたも本を読む時に、内容が良ければ出版社を気にしないでしょうし、番組を見る時にどのテレビ局か拘らないでしょう。それと一緒です。

ただ、お引っ越しですから、サイトのアドレスが変わります。もし、かりそめにも、この《渓流斎日乗》をパソコン等で「お気に入り」に登録されていらっしゃった場合、大変お手数ですが、こちらにご変更下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

サイト移転に当たりましては、IT青年実業家の松長哲聖社長には大変お世話になりました。私自身は、時代遅れのIT音痴ですから、全て松長社長のお導きで、成就できたことを感謝を込めて特筆したいと存じます。

この新サイトは、御覧になると分かりますが、かなり写真が鮮明です。写真に負けないよう本職の(笑)文章も頑張っていきたいと思います。今後も皆々様方の御贔屓、御愛読、御鞭撻の程宜しくお願い申し上げます。

恐惶謹言

2017年8月31日

渓流斎高田信之介

松永耳庵記念館の旅

老欅荘

8月23日、小田原城内の歴史見聞館でレンタル自転車(300円)を借りて、松永安左衛門(耳庵)記念館に向け出発しました。

駅のツーリストインフォメーションでは、「歩いても(小田原城から)20分で行けますよ」との話でしたが、35度の猛暑の中、とても歩けないので、自転車を借りることにしたのです。(実際、途中でお祭りがあって、自転車から降りなくてはならず、自転車で30分近くかかりました)

老欅荘

松永安左衛門は、今ではすっかり忘れられてしまいましたが、明治から大正、昭和に活躍した大実業家で、日本全国の電気事業のインフラ整備に貢献したことから、「電力の鬼」と呼ばれ、勲一等瑞宝章まで受章しております。

慶應義塾出身で、福沢諭吉に師事し、埼玉県の慶應志木高校は、松永安左衛門が土地を寄附したものだと言われております。

松永耳庵として、「近代三大茶人」の一人として名を連ねております。あとの二人は、「三井財閥の番頭」として権勢を振るった益田孝(鈍翁)と横浜で絹貿易で大成功を収めた原富太郎(三溪)です。

 

老欅荘

この3人が何故、三大茶人と呼ばれるのか詳らかではありませんが、松永耳庵の年譜によると、彼がこの2人と会ったのは昭和10年で、鈍翁とは熱海小雨荘(静岡県)で、三溪とは柳瀬山荘(埼玉県新座市)とそれぞれ茶事を開催したようです。

耳庵はこの時、満60歳。本格的に茶道を始めた年でした。 老欅荘

耳庵が、埼玉県の柳瀬山荘からこの小田原市の老欅荘に移り住んだのは戦後の昭和21年のことです。この年から亡くなる昭和46年までの25年間、耳庵はここに住んで度々茶会を開催し、死後は小田原市に寄贈されます。
お陰で、私のようなお上りさんが、無料で市職員から館内の説明を受けることができるのです。
しかも、今は松永安左衛門のことを知る人が少ないので訪れる人も稀で、この日は、私、たった一人でした!

樹齢400年の欅

老欅荘とは、庭園内にある欅に因んで付けられたもので、樹齢400年と言われています。屋敷の中には三つも茶室がありました。
私は、茶道を嗜まないので分かりませんが、実に風格と落ち着きがあって、虜になりそうな雰囲気を醸し出しておりました。