男と女のたたずまい

 

 

 

昨日の「映画『靖国』が見たい」は意外にも反応がありましたね。

ただ、筆者としましては、この事件を「政争の具」にはしたくはないんですよね。

私は、どちらかと言えば、天邪鬼のミザントロープで、政治的人間ではないからです。

まあ、単なるディレッタントなだけなのです。高田純次さん扮する「テキトーないい加減な人間」(本人はかなり計算高くキャラクター作りをしているのでしょうが)に憧れています。

「無責任男」植木等は、実は住職の息子で本当はインテリのミュージッシャンなのに、「無責任男」を演じていていましたからね。

ただ、純粋に映画「靖国」が見たいと叫んでいるだけで、こんな小さな声が広がればいいと思っているのです。ということは、これは政治運動になるのかもしれません。いやあ、随分、矛盾していますが…。

さて、先日、友人の戸沢君から薦められた嵐山光三郎氏著「妻との修復」(講談社現代新書)を読んでいます。これまた、意外にも面白いですね。知らなかった逸話がたくさん出てきます。

例えば、「『いき』の構造」で知られる九鬼周造は、明治の美術界のドン岡倉天心と、アメリカ公使・九鬼隆一の妻初子との間にできた子供ではないかという疑惑が書かれています。驚きましたね。天心の奥さんの大岡もと子は、大岡越前の末裔だったそうですね。これも驚き。九鬼初子は、京都祇園の芸者だったようです。

作家武者小路実篤は、インタビューに来た大阪毎日新聞記者の真杉静枝と情交を結びますが、これは「喧嘩両成敗」。静枝の方が友人に「ムシャさんをものにしてみせる」と豪語していたというのですから。ムシャさんの方も一生懸命に励みながら「人の幸福のために役立とうとする女にならなければいけません」と人道主義を説くのを忘れなかったそうです。

 

嵐山氏は、【教訓】として、「不倫しつつも愛人に『人の道』を説く余裕がなくてはいけない。反省するのが一番健康によくない」と書いています。これには爆笑してしまいました。

 

このほか、野口英世が米国人の奥さんと結婚していたとは知りませんでした。もっとも、奥さんになったメリーさんは、はすっぱな酔っ払い女でニューヨークの下町で働いている時に、酒場で野口と知り合ったらしく、かなりの浪費家で野口の全財産を湯水のように浪費してしまったそうです。

 

一方の野口についても、偉人伝に書かれているような立派な人ではなく、友人や先輩らを利用するだけ利用して借金を踏み倒して米国に逃れ、うまく立ち回って、秀才にありがちな計算高い性格だった。メリーと結婚したことは野口英世、一世の大失敗だった、と書かれています。

 

ここには、有名無名を問わず、古今東西の男と女のたたずまいが描かれ、今トラブルを抱えている人にとっては、ある意味で精神安定剤になりますよ。

森の哲人さんが傘寿に

北海道紋別郡滝上町に住む「おじじ」こと徳村彰さんが、3月26日に傘寿、つまり80歳の誕生日を迎えました。今時珍しいガリ版活版刷の「森の子どもの村つうしん」を送ってもらっていますが、そこに書いてました。

おじじのことは、以前、「森の哲人」のタイトルでこのブログでも何回か書いたことがあります。40歳の頃に、病気になり、当時、名医といわれた人から「あと2年の命」と宣告され、子供たち向けの「ひまわり文庫」を(確か)横浜の日吉に創設し、25年ほど前に北海道に移住して「森の子ども村」を創った人です。

 

主に不登校などの問題を抱える子供や、都会の生活になじめない子供たちの受け皿となったり、夏休みのシーズンだけ預かって、キャンプ生活や集団生活を体験させる場を提供してきました。

その間、1985年夏に、移動中に子供二人を交通事故で亡くす災難に遭ったり、一昨年には火事で山小屋を焼失して、「形あるもの全部を失ったり」と散々でしたが、その都度、森を通しての「愛の関係」で乗り越えてきたといいます。

一昨年の9月から4ヵ月半、原因不明の長い下痢に悩まされて、一時は骨と皮の状態で体重も40キロにまで落ちたそうですが、森の中では、寝込もうという気が全く起きず、毎日、雪かきや薪割り、厳寒の沢の水浴びを続けているうちに昨年の2月12日に奇跡的に治ってしまった、と「つうしん」に書いてありました。

私は、おじじとは一度お会いしたことがあります。滝上町は、真冬は零下30度くらいになり、雪も2m近く降ります。まず、普通の人はとても生きていけません。おじじも、当初、郵便配達の人から「これ以上奥地に人は住めないだろうと思ったのに、住もうとするので驚いた」と聞かされたそうです。

 

毎日、雪かきしないと、生きていけません。そのため、肉体労働は必須です。

おじじは、東大卒のインテリらしいのですが、そんなことは全く鼻にかけず、「美学入門」(朝日選書)などの著作もある義父の中井正一の哲学を実践しながら、毎日、森の中に暮らして、環境問題や政治、経済、国際問題について、考えをめぐらしています。

 

自然の大切さを伝えたいがために、無料で「森を語る集い」も開いています。

遅ればせながら、おじじさん、傘寿の誕生日、おめでとうございます。

落ち込みます 土浦無差別殺傷事件

 

春爛漫。 桜の咲くいい季節となりました。でも、私の場合、花粉症がひどく、頭がボーとして気分がすぐれません。

 

茨城県土浦市では、23日に無差別殺傷事件が殺傷しましたね。JR常磐線の荒川沖駅構内で、8人もの警察官が張り込んでいながら、次々と8人も殺傷したのです。

 

金川真大(かながわ・まさひろ)容疑者(24)はその後の調べで、「1月ぐらいから、誰でもいいから人を殺したいと思っていた」と自供したそうです。サバイバルナイフをネットで購入した。本当は家族や小学校を急襲するつもりだったという報道もありました。まさに、狂人の発言をしています。通り魔ですから身を守る術もありません。

 

こういう事件が起きると全国で連鎖反応のように、刺傷事件が起きます。実際発生しました。本当に嫌になります。気分が落ち込みます。

書くよりも語った方が偉い?

外山滋比古さんの話の続き

外山さんはこんなことも言ってます。

「自分が思ったことを書いた文章でも、思ったままを書くことはできない。思ったことの70%ぐらい書ければいい。本当はしゃべる方が自分の考えに近いのではないか。昔はものを書くことが一番、頭が活動するかと思ったけど、そんなことはない。しゃべった方が遥かに頭の回転は速くなります」

これと同じようなようなことを80年以上昔に言った人がいます。彼はこう言います。

「人を説得しうるのは、書かれた言葉によるよりも、話された言葉によるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家にではなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている、ということを私は知っている」

これを書いた人は誰?

アドルフ・ヒットラーでした。

浪花節だよ、日本は!(日銀総裁選の裏舞台)

 

一連の次期日銀総裁問題は、戦後初めて、「総裁空席」となり、京都大学院教授だった白川方明副総裁が総裁を代行するということで、一応の決着をみました。エコノミストの中には「今、日銀総裁がいなくても、大したことはない。ゼロ金利政策が続き、公定歩合の操作などという仕事もないし、世界経済に大した影響はない」と穿った味方をする人がいますが、政党間の抗争もからんでおり、私のような素人には何が起きていたのかさっぱり分かりませんでした。

 

よほど内部の事情に詳しい人か経済に精通している人しか、これらのゴタゴタについてはよく分かりませんよね。

 

そんな折り、昨日の日経と東京新聞がかなり詳しく裏舞台を解説してくれていたので、ほんの少しだけ、分かったような気がしました。こういう記事は本当に有り難いですよね。ネットだけ見ていては、何も分からないでしょう。ネットニュースには、解説記事が少なく、「結果ニュース」が多いので、誰が勝った、負けたとか、といった結果は分かっても、その背景や歴史や途中経過などが分からないからです。

 

部数減に悩む新聞業界は、解説、コラムによって、生き延びる道があるのではないでしょうか。

 

日経の「検証 日銀総裁空席」によると、「武藤敏郎総裁」の布石は、実に五年前にあったというのですから、驚きです。2002年12月26日、東京・赤坂プリンスホテル内で、当時の小泉純一郎首相が、武藤・財務省事務次官に「日銀副総裁を引き受けてくれ」と説得し、5年後の総裁昇格の布石まで作ったと書かれています。

 

そもそも、日銀総裁は、日銀出身者と大蔵(財務)出身者(事務トップの次官)の「たすきがけ人事」が慣例でした。それが、1998年に大蔵官僚によるいわゆるノーパンシャブシャブ接待汚職事件が明るみに出て、大蔵出身の松下康雄総裁が失脚、その後、速水優、福井俊彦と日銀出身者が二代続けて総裁になるという異例の事態が起きたのです。

 

武藤総裁の人事が民主党が多数を占める参院で「不同意」となっても、諦めずに福田首相が、元大蔵事務次官だった田波耕治・国際協力銀行総裁を候補に拘ったのは、背景に財務省による日銀総裁奪回という「10年来の悲願」があったというのです。

 

分かりやすいですね。

 

東京新聞の「こちら特報部」(部創設40周年だそうで、おめでとうございます)の「福田首相『武藤日銀総裁』固執のワケ」によると、背景に角福戦争(佐藤栄作首相の後継を巡って、田中角栄、福田赳夫両氏が激しい政争を繰り広げた)時代の宿縁があったというのです。

 

まず、福田康夫首相は、赳夫元首相の息子。小沢一郎民主党党首は、田中角栄元首相の直々の弟子であったことを押さえておいてください。

1974年に次期大蔵事務次官の人事を巡って、当時大蔵大臣だった福田赳夫氏(大蔵省主計局長出身のトップエリート)が、慣例に従って主計局長の橋口収氏(後に国土庁初代事務次官)を押したのに対し、田中角栄首相は、主税局長の高木文雄氏(後の国鉄総裁)を事務次官にしてしまうのです。このバトルは「角福代理戦争」とも呼ばれました。

 

この橋口収氏の娘婿が何と武藤敏郎氏だったのです。福田康雄首相は、自分の親父が橋口氏に対して果たせなかった「約束」の借りを、武藤氏を日銀総裁にすることによって返したかったのではないかというのが、当時をよく知る与党議員の口から漏れたというのです。

 

これも非常に分かりやすいですね。

 

日本の政治、人事は、いまだに、恐らくこれからも「浪花節の世界」だということがよく分かります。

メメント モリ

 

5年前に早期退職した会社の先輩の水木さんが昨日、急に会社に遊びに来たので、軽くいっぱいお付き合いをしました。もっとも、水木さんは、今年1月、病気で3週間ほど入院したらしく、お酒は飲めなくなってしまい、ウーロン茶を飲んでいましたが。

 

5年ぶりの再会でした。だから、実は彼が何故急に会社を退職してしまったのか、真相を知りませんでした。話をうかがうと、5年前に会社から「肩たたき」の面接があり、人事部との面接日に指定された日に、急に、友人が亡くなってお葬式があったため、面接日を変更してもらったそうなのです。

式に参列して、友人のお顔を拝見したら、まだ若く、色々とやりたいこと、やらなければならないことがあったはずなので、大変無念そうなお顔に見えたそうなのです。

 

そこで、あと、定年まで10年近く残っていて、会社に留まることもできましたが、このまま会社にいて「唯々諾々」と過していても仕方がないという思いに駆られ、退職を決意したそうなのです。

 

その後、水木さんは、あるスポーツ団体の事務局に入り、マスコミの窓口であるスポークスマンを務めていましたが、内部抗争に巻き込まれ、二年半ほどで解任されました。結構、知る人ぞ知る話なので、スポーツ団体の名前は伏せておきます。

水木さんは現在、アンチエイジング関連の団体に勤務しています。会社に残っていれば、毎日、終日パソコンの画面に向かっているだけの人生です。今の仕事は再び色んな人に会って、ビジネスにつなげることができ「会社を辞めてよかったよ」と話していました。

 

辞めるきっかけの話を初めて聞いて、私もなるほど、と思ってしまいました。

チベット動乱の原因は中国政府にあり

 3月14日から激化しているチベット動乱については、非常に関心を持っています。

が、ますます、よく分からない「事件」になってきました。芥川龍之介の「藪の中」です。

 

チベット亡命政府は、デモによる死者は百人の可能性もーと言っているのに、中国国営新華社通信は「13人」と主張しています。

 

インド北部のダラムサラに亡命中のダライ・ラマ14世は、中国政府が「ダライ一派の策動だ」と決め付けていることに対して、「完全に誤りだ」と真っ向から否定して「国際機関やメディアがチベットに行って何が起きているか調べてほしい」と呼びかけました。

 

これに対して、中国の温家宝首相は「ダライ集団が組織的に策動している十分な証拠がある」と断定し、国際的に北京五輪をボイコットさせるのが目的だと糾弾しています。

 

どっちか本当なんですかね?

 

この際、中国共産党政権は、一切合切、何が起きているのか、国際機関とメディアに公開したらどうでしょうか?

 

気になったのは、中国政府は、一切の国際機関やメディアの立ち入りを拒否していることです。おまけに、ユーチューブで、チベット関係の映像が中国国内に流れないような措置を取ったということが、今日のニュースで報道されました。また、日本人やドイツ人など、帰国した観光客に緘口令を引いています。戦車がデモ隊に発砲したかどうかについては「答えられない」というのです。

 

何か隠したいことがあるのではないかと勘ぐりたくなります。

 

ワシントンで、ブリュッセルで、世界各国でもデモが起きています。平和なのは日本ぐらいではないでしょうか。

そもそも、中国政府は、13億人の人民による投票で選ばれた代表者が政権についているわけではありません。共産党独裁の中、権力をたらい回しして、5年おきの会議で、党幹部の若い世代に禅譲しているに過ぎません。これでは、党員でなければ人にあらずです。

 

こういう国家が国連の常任理事国であり、日本も国家として認定して国交を締結していますから、チベット問題に関して、ただ眺めていることしかできないのかもしれません。ロシア政府のように、中国政府を全面的に指示した常任理事国もあります。

 

しかし、今回の、中国政府によるチベット民族のデモに対する武力鎮圧は間違っていると思います。

こういうことを書くと、このサイトも閉鎖されるかもしれませんが、はっきり書きました。

新宿副都心で

最近、出かけることが多く、3日連続の痛飲でした。

昨日は、新宿副都心の高層ビル群に久しぶりに行ってきました。

まず、京王プラザホテルに行き、そこの展示室とロビーの一角で行われていた「小島貞二・松尾鏡子 二人展」を覗いてきました。松尾さんが、私の友人の野寺さんの伯母に当たる人で、いつぞや、お茶会に誘われたのですが、ちょうど試験勉強で忙しかったこともあり、お断りしたことが昨年あったのです。(それ以来、お声がかからなくなってしまいました=笑)

今回こそ、行かなければなあ、と思って行ったのです。

松尾さんは、女子美大の工芸科で、民芸運動の第一人者である柳宗悦の甥に当たる柳悦孝(後の女子美大学長)に師事し、織物を始めました。今の肩書きは、何と言う言い方をしたらいいのか分かりませんが、織物工芸家というか、染色家というか、とにかく、染色した糸を使って、機織り機で一本、一本、紡ぐようにして織っていくのです。気が遠くなる作業です。これで、振袖や短袖などをこさえていくのですが、見事としか言いようがありませんでした。その色彩と意匠は、日本人として見ていて、とても心が温かくなり落ち着くのです。値段が付いていましたが、150万円前後でした。

私には、その価値がどれくらいか分かりませんが、すべて手作業なので、原材料をいれれば、それぐらい掛かるのでしょう。野寺さんによると、その値段は原価に近く、卸や商店を通じて消費者の手に渡る頃は、300万円になっているというのです。

実は、松尾さんは、九州の唐津市出身で、実家が私の叔父の家の近くだというので驚いてしまいました。私自身は、唐津には一度しか行ったことがないのですが、両親は九州出身で、二人は唐津で知り合ったので、大変縁が深い所なのです。

さて、その足で、ハイアット・リージェント東京ホテルまで、行きました。某有名予備校が主催する通訳案内士合格祝賀会に出席するためです。300人くらい列席したらしく、大盛況でした。会場では、礒部さん、岩本さん、飯田さん、上西さん、東条さん、島居さん、肥前さん、平島さん、中野さんと久しぶりに会いました。15人くらいのクラスで10人も合格するという大変優秀なクラスでした。

http://www.hello.ac/party/tokyo2007/index.php

試験に合格したのはいいのですが、これからが本番で、職も少なく、大変厳しい状況のようです。

学院長の挨拶が長いので通院ではなく、痛飲してしまいました。

環境ジャーナリスト村田さんの話を聞く

 

昨日は、プレスセンターで開催された「おつな寿司セミナー」に参加しました。ゲストは、環境ジャーナリストの村田佳壽子さん。

色々お話をうかがっていると、結局、環境問題は、人間問題に行き着いて、人間が生きている限り、食物を動植物から搾取し、空気を吐いて、大気に二酸化炭素を撒き散らすわけですから、どんな奇麗事を言っても、始まらないという感想を持ってしまいました。

「不都合な真実」でアカデミー賞とノーベル平和賞を受賞したアル・ゴア元米副大統領だって、大変大変、高邁な精神をお持ちながら、ご自宅の大豪邸では、年間3万ドル(350万円)もの電気・ガス代を消費していたことが判明したように、人間さまは、皆さん「自分だけは特別」だと思っていますからね。

ですから、このまま、人類は破滅に向かっていくのでしょうか?

村田さんのお話によると、今、盛んに話題になっている「地球温暖化」の問題より以上に、「人口問題」や「食料・水問題」「エネルギー問題」の方がもっと深刻だということです。

1985年に全世界の食糧生産高がピークに達し、年々減少し、現在の食糧生産では57億人分しか養うことができない。現在の世界の人口は68億人ですから、11億人が餓死するという計算になるそうです。お金があっても、食糧が買えない時代になるというのです。

世界の68億人の人口のうち、28億人が先進国に暮らしていますが、世界の80%が途上国に暮らし、絶対貧困と言われる1日百円以下で暮らしている人が世界に8億人から10億人いるということです。世界人口が「静止人口」と言われる80億人を突破すると、人類は破滅すると言うのです。2050年には、世界の人口は90億人に達するという予測もあります。

皆さんは生きているので大変ですね。

日本は、現在食糧自給率は39%と言われています。つまり、70%以上、食糧は輸入に依存しているのです。

それなのに、全体の40%を賞味期限切れや売れ残りなどを理由に廃棄されているというのです。

資源についても、石油の場合、1990年と比べ、消費伸び率が0%なら645年、2%なら133年、5%なら70年持つと言われていたのですが、現在、中国だけで11%の伸びなのだそうです。そうなると、あと10年、いや5年ぐらいしか持たないのかもしれません。それ以前に2015年になると、石油価格は高騰して、もう使えないという専門家の予測もあります。何しろ、デビアスのダイヤモンド鉱山は、今年2008年いっぱいで掘りつくしてしまうという予測もあるくらいですから。

うーん、何か絶望的な話ばかりですね。村田さんの話ですと、もっと、市民が意識を持って、環境問題に取り組む代表を政界に送り込んで、改革しなければならないということになります。政治に無関心で現状の30%ぐらいしか投票率がないと現状の大企業などをバックにした既成の政党出身の代表しか政治家になれないというのです。

個人個人でできることは、なるべく車を使わず、エレベーターやエスカレーターにも乗らず、レジ袋を断って「マイバッグ」を用意し、とにかく省エネに配慮するということなのですが、もし、日本人100万人が実行するとCO2を6%削減できるそうです。

結局、環境問題ではなく、人間問題、もっと言えば、「人間、いかに生きるべきか」という哲学問題に行き着くのではないでしょうか。そういう思いを強くしました。

怨憎会苦 

 

年度末です。 昨晩は会社の上司のご栄転送別会に出席しました。

 

最後の方では酔いが回っていたせいもあり、「四苦八苦」の1つである「怨憎会苦」(嫌な相手と会わなければならい苦しみ)の天敵が横に座っていて、つまらない誹謗中傷を私にするものですから、一触即発の大喧嘩になるところでした。いい年をしてみっともないのですが。

 

怨憎会苦の天敵のいない皆さんのような聖人君子は、うらやましく思います。

 

調布先生などは「『天敵』などと、いつまでもそんな青臭いことを言っていては駄目ですよ。むしろ、敵に塩を送る気持ちで接しなければいけません。そうすれば、向こうも『さすが心が広い』と感服するはずです。何でも拘らないことが一番です。人情紙風船。来るものは拒まず、去る者は追わずの精神ではなく、実践でやっていかなければ駄目ですよ」と諭してくださるのですが、なかなか、そこまでの領域に達しません。

 

七転八倒、転んで転びまくって生きていくしかありません。