新銀行東京は、もう引き際では

 

北海道に住んでいた頃、街ではシャッター商店が目立ちました。張り紙には「60年間のご愛顧を感謝致します」などと書かれていて、胸が痛かったことを思い出します。

 

今、東京の街を歩くと至る所で建築ラッシュで、マンションやファッションビルが次々に建てられています。「東京は景気がいいんだなあ」と羨ましくなります。

で、今日は、その金持ち東京の「新銀行東京」の話です。都が出資した1千億円のほとんどが貸し倒れや赤字の累積で失ったので、400億円の追加出資しようというのです。2005年の開業からわずか3年で、17人の役員が辞任したという報道もあります。

これでは、銀行の体をなしていないと素人の私なんか思ってしまうのですが、石原都知事は「私は、シーザーやアレクサンダー大王ではない。独断だけで組織が動くものではない」と自らの責任を棚上げしているようです。では、一体、誰が責任を取るんですかね?

 

石原知事は、経営陣に責任を押し付けていますが、「創設しよう」と言い出したのは石原氏ですし、これだけ、赤字を累積してしまったからには、潔く、撤退することが筋ではないかと思います。

 

私は都民ではないので、あまり文句をつけられないのですが、都民の皆さんはご自分の税金の使い道にもう少し目を配った方がいいのではないかと、おせっかいな感情が湧いてきます。

 

新銀行東京が、軌道に乗って、1千億円の不良債権を回収できて、なおも収益を生み出すということなら話は別ですが、どうやらその話は夢のまた夢のようです。

経済に詳しいどなたか、うまく解説して頂けたら有り難いです。

傲慢はセレブの特権

 

メダルが期待される北京五輪のマラソンの日本代表男女6人が決まりましたね。

野口みずきさんの史上初の女子マラソン2連覇をはじめ、大いに期待したいと思っています。

人気者のQちゃん高橋尚子は選考会の名古屋マラソンで27位と惨敗して惜しくも代表の座を逃しました。驚いたことに途中でトイレに駆け込んだそうですね。悲喜こもごもです。

スポーツ選手の人気は、いや増すばかりです。注目度は政治家や芸能人に匹敵するぐらいです。スポーツ記者でさえ、昔と比べ、格が上がった気もします。今や、マスコミの中でも政治記者や経済記者を目指すのではなく、スポーツ記者は志望の上位を占めているそうです。そういえば、スポーツ記者出身で現在マスコミの社長になっている人もいますね。

それだけ、スポーツ選手に品格が求められているというのに、海の向こうの中国でちょっと傲慢な選手がいて、話題をさらっていました。いや、もう、これは先月2月下旬の話なので、かなり古いニュースです。2000年シドニー五輪で銀2個、04年のアテネ五輪で金2個、今度の北京五輪でも連覇が期待される女子飛び込みの女王、郭晶晶のことです。

 

彼女は、記者会見で、「北京五輪でのライバルは誰ですか?」との質問に、選手名を言わずに「カナダのデブ」と言い放ったのです。これには、地元マスコミも大騒ぎ。しかし、郭本人は「私には何の影響もない」と批判に動じず、謝罪する意志もないというのです。

中国では、オリンピックで金メダルを獲得するような選手は、日本以上にに「セレブ化」し、広告の出演も引く手数多。特に郭は、中国ではプロポーションの整った超美人として人気が高く、賞金や広告収入で、1億元(約15億円)以上の財産があるというのです。

15億円もあれば、悠々自適で一生暮らせるでしょう。まさに「女王様」そのものです。これでは、誰でも傲慢にならなければおかしいのかも。

イラク戦争5年を想う

 

最近、気になったNYT紙の記事…

 

間もなく5年を迎えるイラク戦争の戦費総額が「3兆ドルに達するのではないか」という記事です。ノーベル経済学賞受賞のジョセフ・スティグリッツ氏の試算。

 

同氏は「この戦費の一部でもあれば、社会保障制度を今後半世紀にわたって健全に維持できた」と発言していますから、裏を返せば、米国は今後半世紀にわたって社会保障制度を健全に維持できない、ということになりますね。

 

昔、子供の頃、ヴェトナム戦争華やかりし頃、市井の勉強家に「アメリカは戦争をやり続けなければもたないんだよ。資本主義国家というのは、不況になれば、戦争によって好景気を生み出していくものなんだよ」と聞いたことがあり、今も深く印象に残っています。

 

「大量破壊兵器があるから」という大義名分の下で、イラク戦争を起こしたアメリカですが、国内の不満や経済的不況を打開するために戦争を始めたとしたら、5年経った現在、それは、失敗だったのではないでしょうか。

 

ブラックジョークで、戦争によって、景気が良くなれば、講釈も後付けで何ともなります。しかし、サブプライムローンをはじめ、大幅なドルの失墜で経済危機が叫ばれる今の米国で、イラク戦争が米国内に好景気をもたらしたという話は聞いたことがありません。

 

何と言っても、社会保障という国民の根幹にかかわることを蔑(ないがし)ろにしてまで、対外戦争を続ける意図が私にはいまだによく分かりません。

 

賛否両論をお待ちしています。

言葉が見つかった?

 

ここ数ヶ月間、どこか自分の心の奥底で、言葉にならない、未達成感というか、齟齬感というか、不安定感というか、unfitness というか、疎外感というか…何か、毎日生きていて、「そぐわない」感覚に苛まれていました。

 

それは何か…。言葉が見つかれば、うまく収まって、また、やり直しがきくかもしれない…。そういう思いでいっぱいでした。

 

それが、昨晩、ふと、これに近いのではないかという言葉が見つかりました。

 

「幻滅」です。

 

仕事に対する幻滅

家庭に対する幻滅

友人に対する幻滅

世間に対する幻滅

人生に対する幻滅

何と言っても、こんなことを感じている自分に対する幻滅…

 

しかし、幸か不幸かそれは「絶望」ではありませんでした。幻滅であれば、また、一からやり直してみようという気力も残っています。

こんな自分の心の奥底を曝け出してしまって大丈夫かなあ、と思いつつ、やはり書いてしまいました。

また、一から出直します!

私の立ち位置

 

再び、Cahier(覚書)…

 

●今、見たい映画。コーエン兄弟監督作品「ノーカントリー」(アカデミー賞作品賞、監督賞など主要4部門受賞)。若松孝二監督作品「実録・連合赤軍」(ベルリン国際映画祭・最優秀アジア映画賞)。李纓(りいん)監督「靖国 YASUKUNI」。

 

●最近、佐藤優氏の著作を続けざまに3冊も読んだ。「国家の謀略」(小学館)、「日米開戦の真実」(小学館)、「国家論」(NHKブックス)…。

「右翼・保守派」を公言する著者だけに、「国体護持」を骨格とした国家論は実に明解で、物の考え方に影響を与える力を持つ。私自身は、非常に新鮮に感じた。別に「左翼・革新派」を気取っているわけではない。自分の「立ち位置」が未だに政治的イデオロギーに反発を感じるせいかもしれない。私自身は、所詮、単なるディレッタントなのだろう。

本の要約をここでまとめるのは困難だ。ただ「国家論」の中にあったフレーズを抜書きしてみる。

 

・要するに、思想というのは究極的には生き死にの問題になる。人を殺す思想こそが、ある意味で本物の思想なのです。(同書15ページ)

・国家というと抽象的な存在のように聞こえますが、国家の実体は、税金を取り立てることによって生活している官僚です。(同51ページ)

…非常に分かりやすく、ドキッとする言葉だ。

 

●「返事がないのはいい便り」と、昔から言われてきたが、そうだろうか。非礼のような気がする。「返事をしない」ことが回答なら、相手に不愉快感を味わわさせる魂胆なのかもしれないが、それは見事に成功する。返事がないということは、究極的には「不作為」ということになる。不作為とは、あえて積極的な行為をしないこと。今流行りの言葉でいえば、「ニグレクト」になる。返事がないことは、ニグレクト行為と解釈するしかない。

 

●It doesn’t matter if people don’t like our records,  our looks or what we say.  They’re entitled to not like us and we’re entitled not to have anything to do with them. We’ve all got our rights, you know.

 

僕らのレコードや見かけや発言が嫌いならそれでも構わないよ。彼らにはそういう権利があるからね。それなら、僕たちだって彼らと関わらない権利だってあるはずだ。我々皆、そういう権利があるんだよ。

 

ー「今やキリストよりビートルズの方が人気がある」との発言が問題視されたジョン・レノンの回答(1966年)

世界はあるだけ

 

Cahier(覚書)

 

●2月18日、85歳で死去したフランスのヌーヴォー・ロマンの巨匠アラン・ロブ=グリエの言葉。

「世界は、意味があるわけではないし、不条理であるわけでもない。それは単に、在るだけなのだ。」

…うーん…悲しみも苦しみも、喜びも、楽しさも、そこにあるだけなのかもしれない。感じている自分がいるだけで。嫌なことは考えないこと、感じないことが一番なのかもしれない。気にしない。そうすれば、必ず、気にならなくなる。達観せよ、達観せよ。世界は自分の考え次第。自分が構築したものが世界…

●昨晩は、南青山の寿司店で業界と業界通の大物二人の会合に同席しました。私が固有名詞を出して、質問したら「誰が聞いているか分からないのに、如何なものか」と業界の大物に睨みつけられてしまいました。ベテランの私でも子供扱いです。確かに業界を動かしているのは60歳代後半。私なんぞはまだまだひよっ子です。後継者問題などについて、高言を拝聴致しました。

●米大統領選、民主党候補指名争いは、益々熱を帯びています。崖っぷちに立たされたヒラリー氏が、大票田の4州で3勝1敗と挽回。新聞は「オバマ氏のモロさが露呈した」と盛んに書いています。でも、報道を見ただけでは、さっぱり分かりませんね。そもそも、民主党は、労働者や弱者の味方で、共和党は金持ち優遇政党みたいな報道がされてきましたが、民主党の方が対日政策の厳しさは苛酷で(変な日本語ですが)、日本人にとって、民主党が政権を取れば、碌なことはないと言う人もいます。

2030年には、米国では、黒人人口が白人人口を上回り、白人はマイノリティーになるという予測もあります。バラク・フセイン・オバマ氏が大統領になる可能性は十分あるでしょうが、バラ色の世界を期待するのは危険かもしれません。

●某誌で知らされたこと。外国人の名前で語尾に「-ヤン」とか「-アン」とあると、その人はアルメニア系だということです。有名な人は、あのベルリン・フィルの指揮者だったカラヤン。旧ソ連の作曲家ハチャトリアンもそう。画家のジャンセン、シャンソン歌手のシャルル・アズナブールもアルメニア系らしい。

実業界ではロッキード事件で有名になった同社副社長のコーチャン氏、米国の不動産王でルノー・日産とGMの提携を画策したカーク・カーコリアン氏、美術館でも有名な石油王カルスト・グルベンキアン氏もアルメニア系ということです。

27年なんて、あっという間です

「三浦和義事件」はまだ、尾を引いていますね。サイパンからロスへ移送するか、しないかという審理で、数週間もかかるという話ですから、とてつもないことです。

 

「日本の最高裁で無罪が確定しているのに、逮捕するとは何事か。一事不再理の原則に反する」と弁護団は怒っていますが、日本でも、1967年に在日米軍の裁判で無罪とされた米兵を改めて日本で裁判しても憲法違反にならないという判断を最高裁が判断したことがあるようです。

 

異常なケースではなかったのですね。

 

この27年前に起きた事件について、周囲にいる若い人に聞いたら「知らない」という人もいるのです。ビックリしてしまいました。もっとも、その人はドリフターズでさえ知らないというのですから…。あと、「三浦和義逮捕される」というニュースを聞いたある人が、「(サッカーの)カズさん逮捕されちゃったの?」と叫んだといいます。これにも驚きました(笑)。

あれだけ、大騒ぎした事件は、これまでの私自身の記憶にないくらいなので、「三浦事件を知らないなんて!」と世代間ショックを感じてしまいました。当時もうバリバリの社会人でしたから。

そこで、ちょっと、戦後27年はいつだったのか、数えてみました。1972年です。当時の私はロック少年で、政治的社会的事件にはほとんど関心がなく、ビートルズからツエッペリン、ELP、イエス、GFR、グラム・ロック…と聴きまくって毎日を過していました。浅間山荘事件には衝撃を受けましたが。

1972年。あの悲惨な太平洋戦争を「経験」した人は、30代以上で、10代で軍隊経験をした人でもまだ40代半ばだったでしょうから、つい昨日の出来事だったことでしょうね。少年の私は、戦争は遠い時代の出来事で、正直ほとんど、実感として湧きませんでした。街には戦争の傷跡はほとんど残っていませんでした。

ですから、27年前の三浦事件を知らないという若い世代の気持ちも、これでやっと分かったです。

「とにかく、時間の経つのは速い。人生なんてあっという間に終わってしまう」という感を強くしました。

街の写真屋さん奮闘記

公開日時: 2008年3月4日 @ 09:47

 

出版不況の影響でいわゆる街の本屋さんが次々と姿を消しています。ここ十年で全国で1万軒以上の小さな本屋さんが廃業したという統計があるほどです。

 

それでは、これだけデジタルカメラが普及した現在、街の写真屋さんはどうなったかと思ったら、何とか頑張って生きているのですね。私も昨日、ちょっとお世話になりました。

いわゆる「デジカメプリント」という奴です。

 

デジカメのSDカードか何かをそのまま持っていくと、簡単にプリントしてくれるのです。もちろん、自宅のパソコンでもプリントできます。

 

私の場合、なぜ写真屋さんでお世話になったかというと、自宅のプリンタが芳しくないという問題がありました。それともう一つ、デジカメのデータを、パソコンに「コピー」するのを間違えて、「移動」してしまい、SDカードにはデータがなくなってしまったのです。

 

例の姪の結婚式の写真です。もう二週間近く経ってしまったのに、何をやっているんでしょうね。そこで、パソコンのデータを、いつぞや買った「ICレコーダー」に入れてみたのです。これは、普段は音声を録音するものなのですが、USB端子が付いていて、フラッシュメモリーのように簡単に接続できて「データ」をコピーできたのです。

 

このICレコーダーを都心のカメラ店に持っていったところ、「これには音声のデータも入っているので、写真だけプリントできませんね」と断られてしまいました。そこで、駄目もとで、自宅近くの田舎の写真屋さんにICレコーダーを持っていったらプリントできたのです。少し感動してしまいました。

 

文書も写真も動画も音声も一つのデータとして、簡単に持ち運びできて、複写、交換、削除、追加も簡単にできる時代になりました。いやあ、すごい時代になりました。

「祭り」は言論テロです

読売新聞の一面に連載されている「ネット社会」で、自分の気に入らない文言を書いたブログなどに集中砲火を浴びせて、「祭り」と呼ばれる「炎上」を画策する裏の仕掛け人が登場しています。

マスコミのインタビューに堂々と応えるのも、全く罪の意識がなく、確信犯で行っていることが分かります。

例えば、首都圏に住む男性会社員(21)は、「祭り」の常連で、騒ぎを知れば便乗し、「うぜぇ、カス」「しねwww」と書き込む。(wとはネットの掲示板では「笑」の意味だそうです。知らなかった)その会社員は「相手への怒りも正義感も全くない。人の不幸は楽しいでしょ」と発言しています。

うーん…こういう記事を読むと背筋が寒くなりますね。今、流行言葉でいえば、集中砲火は言論テロですよ。

「ウェブ進化論」などの著書がある梅田望夫氏も「ネットとはいえ、もっと気概を持って大人の振る舞いをしなければならない」と、匿名という厚い隠れ蓑に隠れて悪事を働く不届き者を諌めていました。同感です。

私の場合、お陰様で、素晴らしい人に恵まれ、本当に素晴らしいコメントも頂いております。そのおかげで、続けているようなものです。

このブログもボランティア、つまり原義そのものの意味で、自ら進んでやっているので、不行き届き者による集中砲火を浴びれば、もちろん、嫌になりますね。
ICREO SHOP(アイクレオショップ)

材木商を救え!

何とかは風邪をひかない、と言いますが、私はどうやらその何とかではなかったようです。

何か個人的な雑用が続いて、休む暇もなく一昨日から風邪気味です。

昨日なんぞはこんな調子です。朝6時に起床し、そのまま出勤。4時に仕事を終えて、銀座6丁目の「渋谷画廊」 へ。片岡先輩がグループ展に出展されており、作品鑑賞に出掛けたのでした。事前に何も話をしていなかったので、さっと見て、名刺だけ置いて行こうと思ったら、片岡先輩は暇なのか(怒られてしまう)いらっしゃるではありませんか!

そこで、藤田さんと小林さんという妙齢な女性を紹介され、芸術談義に花を咲かせました。

皆さん、アングルのバイオリンですね。
本職は、片岡先輩のように翻訳家だったり、編集者だったり、外科医だったりするのです。お医者さんともなると手先が器用なので、芸術活動は両立するんですね。

銀座の画廊サロンで芸術談義するなんて、まるで、昭和30年代の映画のようです。主演、佐田啓二、岸恵子といった感じです。

その足で、取手のセレモニーセンターへ。会社の後輩の吉永君のご母堂が急逝され、お通夜が開かれていたからです。

会社の掲示板で初めて知り、喪服は持っていなかったのですが、たまたま昨日は黒目の服を着ていたので、飛び込みで列席しました。

吉永君とは会社の中でも数少ない家族ぐるみの付き合いで、ご母堂は彼が小さい頃から女手ひとつで育て上げたことを知っていたので、是非とも列席したかったのです。

お清めの席で、吉永君の奥さんのお父さんと初めてお会いし、色んな話を伺うことができました。

お父さんは、福島県内で材木商をされていましたが、今は、外国の安い材木に押されて立ち入っていかず、お店は閉めてしまったそうです。国内でやっていける材木商は、もう何軒も残っていないそうなのです。

建築材といえば、檜がナンバーワンだと素人の私なんかは思っていたのですが、何と赤松や欅や杉でも高級建築材として、使われるそうなのです。

世界で最も古い木造建築と言われる法隆寺は赤松でできているそうです。
意外でした。

いずれにせよ、世界に誇る木造建築を持つ日本だけに、その伝統文化が廃れるのは忍びないと思いませんか?