徒然なるままに 

WOWOW

いやはや、毎日、渓流斎日乗に遊びに来てくださって、有難うございます。

最近、ちょっと体調が悪くて、病院に検査に行ったら、6500円も取られましたよ。自宅近くのクリニックで、東大医学部出身の先生らしいのですが、口の利き方が悪く、最近開業したらしく、元を取るのに必死なのがありありで、もうあまり行きたくないですね。アメリカの「シッコ」みたいな世界が日本にも来るのですかね。暗鬱な思いに駆られてしまいます。

お昼に喫茶店に入ったら、30代のOL風の女性が、おしゃべりをしていて、隣に座っているので、聞こえてきてしまいました。

「ねえ、聞いて、びっくりしちゃった。この間、中央線に乗っていたらすごいもの見ちゃった」

「何、何?」

「もう、ここまで来たか…って感じ」

「どうしたの?」

「歯を磨いていたのよ、電車の中で。若い子が化粧するのは見慣れたけど、さすが、歯磨きだけは、初めて…」

「若い人?」

「いやあ、60代くらいのおじさんかなあ…」

「頭おかしい人じゃないの?」

「狭いところで、歯を磨いているから、周りの人は、避けるようにして遠くからチラチラ見てるけど、一向に意に介していない感じだったしね…」

うーん、それ以上の詳しい状況は分かりませんが、今の日本は確かに変わっている。それは本当に確かです。

極秘情報 新聞業界の内幕

公開日時: 2007年11月11日 @ 11:20

昨日は、おつなセミナー。ゲストは某マスコミの内幕と昭和史を描いたI氏。こんな面白い話なのに、参加者はわずか十人ちょっとというので、驚いてしまいました。セミナーのメンバーは500人くらいいるんじゃないかと思いますが、出席率の少なさには本当に驚きです。

こういう話は、どうも、色々と差し障ることが多く、著作権やら秘匿の暗黙の了解があるので、色んな事を暈して、備忘録書きにしてしまうことをお許しください。ですから、興味がない人にとってもはつまらないかもしれません。

●日本一の新聞社だった大阪毎日新聞社は、三井系など大阪財閥の資本で創刊されたもので、その後、昭和17年に財団法人毎日会を作り、「社内株」に転換した。

●日本経済新聞社の前身である中外新報も三井系の新聞だった。戦前までは、日経よりも、福沢諭吉の創刊した時事新報の方が権威があり、企業の決算報告等は時事新報に掲載されていた。大隈重信の創刊した報知新聞(今のスポーツ新聞ではない)とライバル紙で、新聞界でも早稲田vs慶応の様相が見られた。

●時事新報は、朝毎読の販売店抗争で徐々に部数が低迷する。福沢の死後、鐘紡社長の武藤山治を招聘して梃入れを諮るが、いわゆる帝人事件にからんだ番町会キャンペーンが遠因で、武藤社長は、テロ攻撃に遭い射殺され、ますます衰退。戦後、この時事新報を買収するのが、産経新聞を創刊した前田久吉。前田は、元々大阪西成区の新聞販売店主だったが、地域のニュースをフォローした南大阪新聞を作り、後に、東の「日本経済新聞」に対抗する西の「産業経済新聞」にまで発展させる。前田は後に新聞経営をやめ、関西テレビや日本電波搭の経営に残りの半生を捧げる。

●新聞販売店の収入の半分以上は折込広告で占める。(1部5円)今や少子高齢化で部数が低迷し、これに拍車をかけて若者が新聞を読まない。マンションが増え、拡張もできない。将来性がないので、新聞店主を目指すより、コンビニ経営をした方がいいという若者が増えることになる。

●新聞社の経営に二つのタイプがある。一つは社主家。(朝日の村山・上野家、読売の正力家、娘婿の小林、関根家、河北新報の一力家、中国新聞の山本家、信濃毎日の小坂家、日本海新聞の田村家)、もう一つは社団法人。(徳島新聞、名古屋タイムズ、共同通信)

●販売の神様:読売の務台光雄、朝日の永井大三

●特にスポーツ新聞と夕刊紙の部数急降下が昨今著しい。原因が、大リーグなど海外のスポーツが入ってきて、締め切りの関係で朝刊のスポーツ氏は一日前の話になってしまう。駅売りのスポーツ紙には色物のページがあるが、家に持って帰れない。オウム真理教の影響で駅にゴミ箱が減ったためだ。

●読売ランドは読売新聞の裏金庫だった。競艇の川崎オートや船橋オートも読売ランド。ゴルフ場は最近もうからなくなったので、社会老人福祉施設を作って売り出す構想。

これらの話はネットでも色々と噂が流れているので新味がないかもしれませんね。

さて、今のようなネット社会で、新聞業界より逸早く痛手を受けているのは旅行業界だそうです。旅行代理店には航空券を販売すると5~7%のマージンがあったそうですが、来年からこのマージンも廃止されるそうです。ということは、旅行代理店で、航空券は販売しなくなってしまうのかもしれません。皆、ネットで直接、航空会社からチケットを購入してしまうからなのです。

要するに「代理店」という社会的役目がだんだん、低下していくということです。アルマーニ、ヴィトン、フェラガモなど何でもいいのですが、ブランドものの輸入代理店も同じです。消費者が直接、ネットで注文してしまうので、代理店はいらなくなってしまうのです。

こうなると、世界最大の広告代理店も安閑とはしていられなくなりますね。

テレビも今までのように高給で胡坐をかいている時代は終わることでしょう。「私家版・ユダヤ文化論」を書いた内田樹氏が、先日、毎日新聞紙上に、フジテレビの株がこの7年間で293万円から23万円にまで、10分の1以上も値下がった、と呆れています。「テレビには先がない」とまで公言しておられます。そして、どうしてこういう情報は報道されないのか、と怒りながら、疑問を投げ掛けております。

色々、本当に最近、時代は目まぐるしく動いています。

ナベツネ考 

 

 

 

「小沢迷走」の舞台を作った張本人は、読売新聞グループ本社会長で主筆の渡辺恒雄氏だったらしいですね。

ここまで、政界を大混乱に陥れた男が、日本最大のマスコミのドンだったとは…。

彼は何を考えているのでしょうか?自らを「憂国の士」か何かと考えているのでしょうか?(福田首相を勝海舟、小沢氏を西郷隆盛、そして渡辺氏を坂本龍馬に例える週刊誌報道もありました)

山里会か山吹会か何か知りませんが、政界の大物と頻繁に会って、元首相をパシリに使って、日本国家を自らの人差し指一つで動かしていくのが自分の使命だと思っているのでしょうか?

本人は主筆として、読売新聞の社説で堂々と「大連立構想」を主張してきたらしく、ジャーナリストとしては、その手腕は認めますが、これでは、まるで、例えは悪いですが、火を付けて火事の原稿を書いているようなものじゃないですか。

本人は一切釈明していないので、真実は分かりませんが、「浅ましい」人だなあと思いました。

彼は大正15年(1926年)生まれですから、先頃の5年に1度の中国共産党大会で完璧に権力を剥奪された江沢民氏と、今でも病床にいるキューバのカストロ首相と同い年です。

そういう世代が、日本という国家をまだ動かしているわけです。

彼について、私は詩人ではないので、最初、言葉が見つかりませんでした。

関西人なら「えげつない」と言うでしょう。若者なら「うざったい」かな?

「みっともない」でも「哀れ」でもないし、「むごたらしい」では、ちょっとはずれます。「品がない」では、ちょっとニュアンスを言い切れていないような気がします。

やはり、「浅ましい」か、「さもしい」が一番、ぴったりです。

 

小沢氏の続き


昨日は休んで失礼致しました。
急に冷え込んで体調をちょっと崩したのと、帰りの電車で人身事故があり、あまりにも電車が来ないので、某駅から、自宅まで約50分かけて歩いて帰ったら、とても、パソコンの前に座る気力もありませんでしたもので…。

実は、小沢一郎さんの記事も書きかけでした。でも、彼は前言を翻して代表を復帰してしまったので「もう、好きにしてください」という気分です。

唐突な比喩ですが、あの小沢さんの行為は、関が原の戦いで、土壇場になって徳川方に寝返った小早川秀秋みたいなものです。これは、国民は忘れてはならないと思います。

その一方で、福田首相の(説明)責任も問われていますが、その通りだと思います。「私は説明しない」と開き直っていては、また憶測を呼ぶだけです。

読売新聞のナベツネ氏の陰謀説やら、小沢氏を第二の角栄とすべきアメリカの陰謀説とやらが週刊誌に面白可笑しく書かれているようですが、(まだ読んでません)陰謀といわれるほど、今回の話は奥深いものではなく、単なる茶番劇のような気がしてなりません。(アメリカの言うことをきかない小沢を貶めるために、アメリカが罠をかけたという陰謀説は説得力があって、とても面白いですけどね…)

「永田村」に住む甘やかされて育った議員2世の駄々っ子ぶりが露呈しただけのような気がします。

小沢氏に異議あり


今の政界は大混乱ですね。

新聞を通してしか情報を得ていませんが、どうも小沢一郎さんという政治家は、もう引退した方がいいんじゃないかと思います。同氏の代表辞意に翻意を促す民主党幹部も同罪です。これで、本当に政治に対するイメージが低下し、国民の政治不信は増長するのではないでしょうか?

「大連立」構想を、福田首相が先に持ちかけたのか、小沢さんが持ちかけたのか、密室談合で行われたわけですし、真実はこの二人だけしか知らないので、分かりません。ただ、福田首相の「あうんの呼吸」という言い方は、どうも、小沢さんが乗り気だったということを証明したようなものです。

これは、国民に対する裏切り行為ではないでしょうか。あれだけ、小沢氏は「自民党に代わる政権を樹立する」と選挙でも訴えてきたわけですからね。その言説に期待に込めて有権者は民主党に過半数の議席を与えたわけですから、連立を組むなどということは、裏で手を組むようなもので、国民は、まるで、二階に上らせられて、梯子をはずされた気分です。

小沢氏に政権という政治権力を託すのは危ういという判断は至極まっとうだと思うのはもう私だけではないでしょうね。

それに、政治というのは、思ったほど、頭脳明晰な人たちが慎重に、思慮深く、高尚に知的活動として行っているのではなく、目的を達成するためには手段を選ばず、夜郎自大的で、騙したり、すかしたり、脅したり、裏切ったりすることだということを今回、白日の下に晒された感じがします。

政治の世界は全く「一寸先は闇」です。

つまらない芝居を見せられた感じです。

過敏性腸症候群 

もう最近では、人の口に上ることはなくなってしまったのですが、安部前首相が突然辞任した理由は、健康問題で、病名は、過敏性腸症候群(IBS)だった可能性が高いようですね。

これは、心因性の病気で、心理的なストレスで腹痛や下痢や便秘などが慢性的に持続し、不安や神経症なども併発するそうです。安倍前首相もストレスで、「晩年」は、食事も思うように摂れなくなり、ひどくやつれていたことを思い出します。

「そうです」と書きながら、私もかつて、この病気に罹ったことがあるので、よく分かっています。私の場合は、「出社拒否症」と「帰宅拒否症」が原因でしょう。後者の場合は、笑って済ませすが、前者は、本当に発狂しそうになるくらい苦しい病気でした。

原因が分かっているからです。しかし、情け容赦なくIBSは襲ってきます。私の場合は、下痢の方で、自宅を出る直前に二回も三回もトイレに行っても、電車に乗るともよおしてきます。途中下車してトイレに駆け込むことが何度もありました。しかし…、こういう時に限って、恐らく同じ病気を抱えた人でトイレは満杯なのです。卒倒しそうになりますよ。悪循環で、電車拒否症になるといった具合です。

最近、年を取ったのか、開き直ったのか、IBSは襲ってきませんが、今でも念には念を入れて、途中下車の駅のトイレの場所をすべて把握して、出社時間の一時間前に着くように、家を出ることにしています。電車もトイレも空いているからです。

なぜ、大腸が心因性の病気に罹りやすいのかー。福士審著「内臓感覚」(NHKブックス)によりますと、腸は発生学的にいっても、脳に一番近い臓器だからだそうです。そもそも、脳は、腸の神経細胞組織が進化してできたもので、腸はいつも脳に神経信号を送り、脳からも常に信号を腸に送っているのです。恐らく、人類は長い間、飢餓と闘ってきたからでしょう。

だから、心理的プレッシャーがあると、腸の具合も悪くなってしまうのです。これは、両者が呉越同舟で、運命的につながっているせいだったからなのです。

 

この伝でいきますと、脳には常にプラスの肯定的な自信の持てるような前向き志向の信号を送っていけば、腸の働きもよくなるということになります。「自己暗示」でも「だまくらかし」でも何でも構いません。腸の健康のためには最後の手段です。

最近、私が、IBSに襲われなくなったのは、常に自己肯定的なメッセージを脳に送っているからだと思っています。何があっても、「すべて、すべて、そうなるようになっているんだ」「私は運命的についている」とプラスに捉えるようにしたのです。

日々、生きていけば、誰でも何らかのトラブルに見舞われます。それを、いい方に解釈して、好転させるように努力するのがいいのです。

例えば、何でもいいのですが、床屋に行ったとします。すると、混んでいて待たされたとします。以前の私なら、「ああー、僕は忙しいのに、何てこった。待っていられない。他の店にしようかなあ」と、ついていないことを呪っていました。それが、最近では、すべてを「良い事しか自分には起きない」「そうなるようになっている」と肯定的に考えていると、事態は好転するのです。目の前に週刊誌があり、新聞で見出しを読んでいて、買うまでもないけど、いつか立ち読みでもして見てみようか、と思った週刊誌だったのです。単なる待ち時間ではなく、充実した待ち時間になったわけです。

例えば、恋人と待ち合わせしたとします。恋人は、電車に乗り間違えて「30分遅刻する」とメールで連絡してきたとします。誰でも「何てこった!僕は30分も前に来てるのに!もう帰っちゃおうかなあ」と思ったりします。しかし、「そうなるようになっていた」と冷静になると、ふと近くに宝くじ屋さんがあるのに初めて気が付きます。めったに買わないのですが、「確か『ロト6』がキャリーオーバーで4億円になっていたなあ。暇つぶしにやってみようか」とやってみると、不思議と当たったりするのです。

昔はマルクスではありませんが、「すべてを疑え」という言葉が身に染みていて、私は、いつもすべてを懐疑的に見る癖がついていたのですが、現状を肯定的にとらえるようになると、腸の具合もよくなりました。

つまらない私の経験なのですが、皆さんにも役立てればと思い、書きました。

新聞を読まない若者 

公開日時: 2007年10月27日 @ 09:15

毎日新聞の読書世論調査で、新聞を読むと答えた人の割合は、過去最低の78%だったそうです。初めて、8割を切ったそうです。

70代以上は79%、60代は88%、50代が85%、40代が88%、30代が72%。これが、10代になると、48%、20代でも57%と6割を切ります。

特に学生さんで、「新聞を読まない」という人が46%にもなり、インターネットをする人が74%にも上ります。ネットで、ニュースもスポーツの結果も簡単に情報が手に入りますからね。しかし、新聞の醍醐味である論説は、ネットではあまりありません。そこまで、必要がないのかもしれません。彼らは、自分の思想信条に合わない意見は取るに足りない空論か、宿敵とみなして、まず読まない。自分の思想信条にあった意見なら、地の果てまで追いかけて探して、読み、「あーやっぱり、自分の考え方は間違っていなかった」と納得し、ますます、自分と相違する意見は読もうとしない傾向にありますからね。

この調査で、一番、私ががっかりしたのは、ラジオを聴く人が38%と、初めて4割を切ったことです。ラジオの広告費がネットの広告費に追い抜かれるはずです。私は昔からラジオファンだったので、残念です。

今の若い奴は…

公開日時: 2007年10月26日 @ 18:37

日経産業地域研究所の調査によりますと、仕事が終わって、「できるだけ早く自宅に帰りたい」と考える人は、20代で71.1%にも達したそうです。

20代といえば、今時、未婚者が多く、家に帰っても待っている夫や妻、子供がいないのに、若者はひたすら家路を急ぐそうなのです。

家に帰って何をするのですかね?ひたすら、テレビを見て、ガハハと笑って寝る生活なのでしょうか?いや、ネットにアクセスして、好きなサイトに投稿しているのかもしれません。

ただ、直帰するだけではなく、スポーツクラブに行ったり、つぶれる前のNOVAに行ったりして、自己研鑽している若者も多いようです。勤めている会社がいつ倒産するか分からないし、ひたすら自己を磨く姿が目に浮かびます。

昔は、赤提灯に行って、上司の悪口を言って、日ごろの憂さを晴らしたものです。今の若者には、もう、そんな憂さはなくなったのでしょうか?

いや、そうでもないんじゃないですか。
恐らく、昔の若者より賢くなったのでしょう。(ちょっと、皮肉になってしまいましたが…)

そういえば、今の私の職場にいる若い人を見ても、人間というか人類として、以前とは変わったような印象があります。一言でいえば、ドライになったということです。

まず、挨拶をしなくなりました。自己紹介さえ、できないのです。

そして、しばしば、アルバイトなのですが、辞める若い人が多いのですが、これまた、何も言わないで、いつの間にか、消えていなくなっていたりするのです。

もちろん、本人は「腰掛」程度にしか考えていないので、あまり深入りしないという信念があるのかもしれませんが、5年以上も長く勤めていた人でさえも、挨拶もなく、いなくなっていました。

彼は、茶髪に染めてピアスをした今時の若者でしたが、挨拶なしで辞める人類は彼に会うまで、これまではお会いしたことはありませんでした。

自己紹介がない人の名前は、こちらも覚えようともしません。どうせ、いつのまにか、いなくなるだろうと思っているからです。

そういう若者が一人だったら、特殊だと思うのですが、5人も6人も続くと、今の若者はそういうものだ、と思ってしまうのです。

人間関係が希薄化したのでしょうか。メルトダウンというべきでしょうか?評論家ではないので、この風潮について言葉が見つかりません。

Who are you ?

「ノミの心臓とサメの脳みその持ち主」と言われた某国の元首相の逸話に、アメリカのクリントン大統領との「密談」があります。

Ex Prime Minister : Who are you?

President Clinton : Well…, I’m Hillaly’s huseband!

PM : Me too!

P C : ……

元首相の名誉にかけて言えば、これは、作り話なのだそうです。

ついでに、もう1つ、話を聞きました。

元首相が、記者から、次の文章を過去形にしたら、どうなるか、と問われました。

I live in Tokyo.

元首相は、すかさず答えました。

I live in Edo!

リクルートスタッフィング

ノーホエアマン

 

 

 

 

 

昨晩もまたきこしめしてしまいました。

 

以前、野方さんから「渓流斎さんは、いつも大酒を飲んでいるみたいですね」と言われ、「そんなことはありませんよ」と否定していたのですが、ちょっと、このところ、続いています。

 

しかも、酔った勢いで、寝ている人を起こしてしまいました。反省しています。

 

 

 

昨晩は、以前に所属していたセクションの先輩の定年退職を祝う会でした。37年間も同じ会社でお仕事をされていたのですから、感服し、尊敬します。

 

会には30人近く出席したのですが、もう三分の二以上の方は知らない人ばかりでした。以前に所属していたとはいえ、もう17年も昔ですから、知らない人が増えるのも当然でしょう。が、諸行無常…。

 

 

 

人間は、一人で生きていくことはできず、否が応でも、どこかに所属しなければならないのですが、私はどこにいても、場違いのような、居場所がないような感じがしながら生きてきました。

 

ビートルズというかジョン・レノンの作品に「ノーホエアマン」という曲があります。(1965年発売のアルバム「ラバーソウル」に収録)

 

「何だ、自分もノーホエアマンだったのだ」と思うと、どういうわけか勇気が湧いてきました。

 

 

 

いやあ、今日は、内容がない話にお付き合いして戴き有難う御座いました。