現場から実況見分します=銀座・高級腕時計店強盗事件

 昨日5月8日、私がシマにしている東京・銀座の高級腕時計店で強盗があり、NHKの7時のニュースでトップになるなど大きな話題になりました。

 銀座は私のシマですから(しつこい!)、本日昼休みに現場検証、いや単に見に行って参りました。そしたら、結構な人だかりです。店前の歩道にはテレビカメラ数台があり、リポーターさんたちもおりましたが、何の用もない野次馬も集っておりました。

 現場は、高級ブランドショップなどが並ぶ銀座の中でも超一等地の銀座通り(裏道ではなく、メーンストリート)の瀟洒な繁華街にあり、日本を代表する街とあって、治安は全く悪くありません。当日も多くの通行人が行き通っていたはずです。(そのせいか、通行人がスマホで映した写真や動画が拡散しました)

銀座8丁目

 事件は、アノニマスの仮面を被った3人組が店員を脅して、バールのようなものでガラスケースなどを壊して、100点以上の高級腕時計を強奪して白いワンボックスカーで逃走したというものでしたが、容疑者たちは、運転手役も含めて数時間後に赤坂で「確保」されました。蓋を開けたら、横浜の高校生を含む16~19歳の少年(18歳以上は成人ですが)だったというから驚きです。「お互い知らない」と言いますから、恐らく、ネットの闇アルバイトか何かで集合し、何の計画性もなく、誰か大きな広域犯罪組織の上からの指示で動いていただけでしょうが、何ともお粗末な事件です。

 冷静に考えれば逃げ場はなく、120%捕まることが分かるはずですから、何とも幼稚で浅はかな事件であり、もしそれを知りながら実行したとしたら、若者たちがそこまで追い込まれていることになり戦慄します。

 今年1月には東京都狛江市の住宅でそこに住む90歳の女性が殺害されて現金や高級腕時計などが盗まれる事件が発生するなど、最近はどうも、世の中不景気なのか、全国あちこちで強盗事件が多発しています。しかも、実行犯は10代や20代の若者が多く、見ず知らずの者がネットの闇バイトで集まったといわれていることも共通しています。

 それにしても分からん。人類学的に見て、人間が劣化したのか、前後見境なく善悪の判断が出来なくなったのか、楽をして金儲けをしようとしたのか、それとも自暴自棄になるほど追い込まれたのか、指南役が余程強権的だったのか、人を殺めなければ、数カ月でムショから出られると思ったのか(実は強盗罪は懲役5年以上)、そのいずれか、もしくは全部含まれるのかもしれません。

 昔の人は、よく「人を見たら泥棒と思え」と言ってましたが、現実的にそう考えざるを得なくなってしまいました。

◇◇◇◇◇

 5月8日から新型コロナが5類に移行したというのに、庶民の皆さんは、お上の言うことを信用していないのか、無視しているのか、いまだに街中や電車等ではマスクを着用しています。銀座では、日本人の75%ぐらいはマスクをしてます(電車内は9割以上)。5類になったとはいえ、ウイルスが消えたわけではないので、感染したら「自己責任」、治療費・薬剤費は「自己負担」に変わっただけ、ということになりますから余計に警戒してしまいますよね?

 そういう私も、防衛費が倍増したことだし、「自己防衛」でマスクをしております。

東久留米市上の原は海軍大和田通信隊跡だったとは!

 大型連休の最終日(5月7日)、ちょっと必要に迫られて、東久留米の実家に久しぶりに行って来ました。

 この日は時間的に余裕があったので、昔住んでいた上の原の団地街に寄って来ました。ここも10年ぶりぐらいでしょうか。懐かしい、非常に懐かしい。異様に懐かしい。とは言っても、私が東久留米に棲んでいたのは1963年から84までの21年間です。最初に来た時から60年も経ってしまったので、すっかり様変わりしてしまいました。仕方ないですよね。半世紀以上の年月が経ってしまったわけですから。当時、ニューファミリーを引き連れてこのニュータウンに全国から集まって来た人たちの殆どが、30歳代の働き盛りでした。60年も経てばほとんどの大人たちは鬼籍に入り、子どもたちは老人になってしまいました。かつて、この東久留米市上の原の広大な敷地には、公務員住宅と日本住宅公団の団地が66棟ぐらいありましたが、今では殆ど取り壊されてなくなってしまいました。高層マンションに様変わりした団地も何戸かありますが、昔の面影は全くありません。

東久留米上の原

 何と言っても私が卒業した母校東久留米第四小学校は2012年3月末で閉校してしまいましたからね。(ジャニーズのTOKIOの国分太一さんも同校出身で、後輩に当たります)

 ただし、天文台のある東中学校はかろうじて残っております!

東久留米市上の原「海軍大和田通信隊跡」

 先程、東久留米市の上の原の広大な敷地に66棟の団地があったことを書きましたが、何と、もともとこの広大な敷地は、戦時中、外国無線を傍受する帝国海軍の「大和田通信隊」基地だったというので、大変驚いてしまいました。

 上の写真が東久留米市教育委員会が設置した看板です。設置場所は、西友ストアーの近くにある狭い運動公園前で、私も子どもの頃、ここで、よく草野球をしたものでした。公園の近くには団地集会所がありました。また、この今ある西友ストアーは大きく再建されたもので、昔は、団地商店街というその中の一画にありました。この西友ストアーの家電売り場にあったカレーテレビ(確か、家には白黒テレビしかなかった!)で、私は、アポロ11号に乗船した人類初の月着陸をカラー生中継で見たのでした。1969年7月20日のことで、この日は日曜日だったので、学校を休んだわけではありません(笑)。

 おっと、「海軍大和田通信隊跡」のでした。看板には「東京都北多摩郡清瀬村下清戸、同久留米村神山に及ぶ本隊、清瀬村中清戸の副受信所の3町村にまたがる広大な面積を有し、(中略)戦後、久留米村の用地の大部分は国有地となり、昭和37年(1962)に日本住宅公団の大規模な『東久留米団地』が建設されました。また、久留米村の通信施設の一部は米軍の「大和田通信所」の基地となり、その後、昭和38年から昭和52年まで運輸省航空交通管制本部として利用されました。…」と書いてあるではありませんか!

 大戦時の通信傍受研究の大家である名倉有一さんがこの看板を見れば、恐らく、嬉しくて涎が出ることでしょうが(笑)、私自身は、自分の個人史の中にドンピシャリと当てはまるので武者震いしてしまいました。私の亡くなった父親は運輸省の航空管制官で、36歳の時に、埼玉県のジョンソン基地勤務からこの東久留米(当時は東京都北多摩郡久留米町)の地にやって来たわけでした。昭和38年から昭和51年ぐらいまで、この運輸省航空交通管制本部で勤務しておりました(航空管制本部は所沢に移転。父もこの後、釧路空港、所沢、成田空港…など転勤ばかりでしたが)

 そして、上に書かれている米軍の大和田通信所(埼玉県新座市)は、現在もいまだに米軍によって運用されて健在のようですが、私が子どもの頃、この敷地内に「外人プール」があり、米軍関係者だけでなく、我が家を含む日本人の公務員の子弟も利用できました。(入場券は木の札で、その木札を海水パンツに身に付けました!)深さが2メートルぐらいもある25メートルプールで、私は何度もプールの水を飲みながら、ここで泳ぎをマスターしました(小学校にプールがなかった!)。覚えているのは、プールサイドではいつも米軍用のラジオFEN(現AFN)が掛かっていて、ここでクリームの「ホワイトルーム」やドアーズの「ハートに火をつけて」などの最新ヒット曲を耳にして、洋楽ロックがすっかり好きになってしまったことです。

 大和田通信所も運輸省航空管制本部も東久留米団地も、もともとは海軍の広大な通信基地跡だったとは!…これで全部繋がり、何故、我々が外人プールを利用できたのかも、全ての謎が解けました。

東久留米市上の原 天然温泉「スパジアム ジャポン」

 さて、60年も経てば、かつて走り回って、住み慣れた土地も「異国」です。今の東久留米市上の原は、天然温泉が湧き出たということで、随分な賑わい様です。

 バスの東久留米団地駅終点近くで、コロシアムのような異様な建物があったので、何かと思ったら、それが、例の噂の天然温泉でした。かつては、同級生が住んでいた47号棟とか48号棟などの団地があった前の林の公園があった辺りだと思われます。数歩歩けば埼玉県新座市との県境です。そんなこと、今の人たちは何も知らないだろうなあ、としみじみとした思いで辺りを散策しました。

 団地の南大通り商店街も歩きましたが、玩具屋さんの「グリム」とか、喫茶店の「白樺」とかお店の殆どがなくなってしまい、悲しくなりましたが、団地の先の埼玉県新座市にあった「西堀商店街」の床屋さん「バーバー(ヘアサロン)くるめ」はまだ健在だったので驚いてしまいました。恐らく、後を継いだ二代目か三代目でしょう。この商店街には山崎パン店があり、同級生の高橋君の実家でしたけど、今は跡形もなく消えて住宅になっていました。彼はどうしているのかなあ?

 そう言えば、東久留米駅前から東久留米団地西友ストアー前まで西武バスに乗ったら、料金は180円でした。昔は、つまり昭和38年頃は、駅から団地までのバス代は、大人が10円、子供が5円だったことをはっきり覚えています。ということは、60年間で物価は18倍になったということになります。当時、映画も池袋の文芸座なら100円で見られましたが、今の新文芸座は1700円ですか…17倍ですね。…大体合ってますね(笑)。

入場料が2カ所で何と50円!=「半蔵門ミュージアム」で大日如来像、「たばこと塩の博物館」で「大田南畝 没後200年」展を鑑賞して来ました

 5月4日のみどりの日。大型連休の真っ最中、何処も異様に混んでいるので、恐らく、ほとんどの御上りさんが行かないと思われる都心の博物館を梯子しました。梯子といっても、「半蔵門ミュージアム」(千代田区)と「たばこと塩の博物館」(墨田区)の2カ所だけですが、いずれも予想が当たって空いておりました。しかも、入場料が前者は無料、後者はシニア料金ながらわずか50円で済みました。それでは申し訳ないので両館のミュージアムショップで書籍を購入してお許しを乞いました。本代は入場料の100倍以上掛かりましたが…(笑)。

半蔵門ミュージアム

 半蔵門ミュージアムは、運慶作と推定される木造大日如来坐像(1193年? 61.6センチ、重要文化財)がお目当てでした。2008年3月に、米ニューヨークで行われたクリスティーズのオークションで、新興宗教団体「真如苑」が約14億円で落札したあの有名な大日如来像です。

 この渓流斎ブログを御愛読して頂いている皆様だけは御承知でしょうが、最近の私は大日如来と密教にハマってしまい、「母を訪ねて三千里」じゃありませんが、大日如来が鎮座する寺院や博物館なら三千里歩いてでも追い求めたい気持ちだったのです(笑)。

 それが、こんな都心の美術館(半蔵門駅からゼロ分!)で、しかも無料で公開されているとは全く知りませんでした。真如苑の大日如来像は、もともと鎌倉初期に足利義兼(母が源義朝の従妹、妻が北条政子の妹)によって今の栃木県足利市に創建された樺崎寺(廃寺)に安置されていたと言われ、どういう経緯でニューヨークのオークションにかけられたのか不明ですが、明治の廃仏毀釈のゴタゴタで、誰か個人の手に渡っていたことでしょう。

 結局、海外に流出せず、日本に戻って、こうして無料で一般公開(2018年から)までしてくださるのですから有難いことです。半蔵門ミュージアムでは目下、「修験と密教の美術」特別展が開催中で、大日如来の化身と言われる不動明王像や両界曼荼羅なども拝観することができました。所蔵品は建物も含めて真如苑のプロパティですが、恐らく信徒の皆様による多額の御布施ということでしょうから、宗教の力を感じざるを得ませんでした。(全く関係ない話ですが、私が浪人時代、大学受験で通っていた東京・大塚の武蔵予備校に行ったら売却されていて、真如苑の施設になっていたので吃驚したことを覚えています。真如苑は1936年、真言宗醍醐寺で得度した伊藤真乗により開かれ、現在世界20カ国で100を超える寺院があり、信徒は100万人=国内90万人=同教団のHPより)

入場料代わり

 真如苑といえば、有名芸能人が多く入信し、華々しい面がありますが、入場しても特にしつこく勧誘されるわけでもなく、信徒ではなくても、必要な人が必要な時にこうして無料でお参りさせて頂くことが出来ます。その点は高く評価したいと思い、ミュージアムショップで販売されていた書籍2冊を購入しました。特に「仏像のひみつ」(朝日出版社)の著者で宗教学者の山本勉氏が、この半蔵門ミュージアムの館長になっておられたので驚いてしまいました。

墨田区「たばこと塩の博物館」

 次に向かったのは、「たばこと塩の博物館」です。地下鉄半蔵門線の「押上」駅が最寄り駅の一つなので、半蔵門から地下鉄1本で行けました。

墨田区「たばこと塩の博物館」

 お目当ては「没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界」展です。JTが運営する「たばこと塩の博物館」は昔は渋谷の公園通りにありました。私がまだ20歳代の頃、原宿の岸記念体育会館にあった日本体育協会(体協)の記者クラブに詰めていた頃、昼休みのランチの帰り、仕事を少しさぼって、いやほんの少しだけ休み時間を延長してこの博物館を出入りしたものでした(笑)。博物館の人に聞いたら、渋谷からこの墨田区に移転したのは2015年でもう8年になるそうです。(押上駅から歩13分、錦糸町駅から歩21分ぐらい掛かります)

 押上といえば、東京スカイツリーの最寄り駅ですから、外国人観光客を含めて人が雲霞の如く群がっていましたが、「たばこと塩の博物館」はスカイツリーとは正反対の方向にありますから、人が少なく、むしろ寂しいぐらいでした。

東京スカイツリー(錦糸町駅付近)

 大田南畝については、個人的に、昔から大変気になる人物でしたが、この年になるまでついに勉強が手に回りませんでした。私自身が漢籍の素養がなく、あの文語体の崩し字(古文書)が読めなかったからでした。

 大田南畝は寛延2年(1749年)、御家人とは言いながら将軍警護の御徒役の下級武士として江戸牛込で生まれ(本名覃 =ふかし、通称直次郎)、幼い頃から多くの書籍に親しみ、神童の誉高く、博覧強記の典型みたいな人です。漢詩人・寝惚先生であり、狂歌師・四方赤良(よものあから)であり、戯作者・山手馬鹿人であり、随想家・大田南畝でもあり、号は蜀山人。いわゆるマルチタレントです。交流関係も華々しく、葛飾北斎、鳥文斎栄之、歌川豊国、山東京伝、上田秋成、酒井抱一、木村蒹葭堂、蔦谷重三郎、市川團十郎といった著名人が並びます。

 館内では、大田南畝の「万載狂歌集」「蜀山余禄」「浮世絵類考」などの恐らく貴重な「原本」(写本)が多く展示されておりましたが、残念ながら、こちとらは学がなくて何と書いてあるのか崩し字が読めませんでした。わずか200年前の出版物なのに、本当に情けないですね。

大横川親水公園(東京都墨田区)

 先述した通り、入場料は50円でしたので、またまた申し訳ないので、ミュージアムショップで浜田義一郎著「大田南畝」(吉川弘文館)を購入しました。はい、残された人生、古文書を含めまして、大田南畝先生についても勉強していきます。私自身、正統派よりも異端児を好むタイプで、正統派の短歌よりも、風刺と皮肉と諧謔に富んだ狂歌の方が好きなんですよ(笑)。

 大田南畝の本職は幕臣ですから、真面目に勤めたお蔭で、御徒役やから長崎奉行詰まで出世したりしてます。文政6年(1823年)4月6日に数えの75歳で亡くなりますが、死の三日前まで元気で「妾と芝居見物に行っていた」と年表で見つけて思わず苦笑してしまいました。

 大田南畝の菩提寺は白山の本念寺(日蓮宗)だということで、いつかお参りしたいと存じます。南畝を崇敬する永井荷風も度々お参りしたようです。

頭をかじられたら痛そう=「恐竜博2023」

 大型連休の合間の5月2日(火)の仕事帰り、東京・上野の国立科学博物館で開催中の「恐竜博2023」を観に行って参りました。

 入場料(一般・大学生)が2200円とはちょっと高いなあ、と思いつつ、やはり、化石とはいえ、実物を観たいという誘惑に抗しきれず、思い切ってネットの時間指定で購入しました。入場券はネット販売が最優先で、連休中はどの日も午前や午後は完売で夕方の5時以降しか空いておらず、それなら、ということで仕事帰りに行くことにしたのでした。

 結果的に、鑑賞時間も30分程度で終わってしまい、やはり「入場料は高かった」(いつまで言ってんねん?)ですが、あれだけの化石を掘り当てて、復元して、遠く海外から東京まで莫大な保険をかけて運搬して来た恐竜もあったことでしょうから、「しょうがないかなあ」と言った気持ちで慰めました。

 会場内は、写真撮影がOKで、上の写真は、絶滅した恐竜の系統の子孫が鳥のカワセミに繋がっていると明示されたパネルがあったので思わず撮ってしまいました。

 上の写真は初期の恐竜で、推定全長1.2メートルといいますから、小ちゃい、小ちゃい。アントニオ猪木なら勝てそうです。

 ヘスペロサウルスは、ステゴサウルス科で、推定全長4.5メートル。もう人類の手に負えません。

 これは、ズールとゴルゴサウルスだと思われます。結局、高い図録を買わなかったので、自信がありません(苦笑)。

 これは間違いなくズールですね。全長6メートル、体重25トンらしいですが、実物とはお会いしたくありません。

このデカさには魂消ます。

 これは、ティラノサウルス・レックス「タイソン」。世界初公開らしいです。名前から掃除機か、ボクシング選手かと思いましたが、こちらは最強の肉食獣と言われただけあって、迫力満点です。

 全長11.2メートルと書いてありますが、デカい、デカい。これだけ観るために会場に足を運ぶ価値はあります。

 こちらも同じティラノサウルス・レックスの「スコッティ」。こちらもティッシュかと思ったら…くどいですね、もうやめておきましょう(笑)。

 Tレックスの「タイソン」と「スコッティ」。二人合わせてヤンマーだ、と意味不明のことを書きますけど、頭をガブリとかじられたら、痛そうです。

 御同輩の皆様、とにかく、恐竜時代(2億3000万年前~6600万年前の中生代=三畳紀、ジュラ紀、白亜紀)に生まれて来なくてよかったです。

 地球46億年。ホモ・サピエンスの登場はわずか20万年前。書記された人類の歴史時代はわずか5000年前からです。1億6000万年以上繁栄した恐竜を侮るなかれ。

密教が少し分かったような…=「縁」と「運」を大事に

 またまたちょっとした偶然に巡り合いました。かつて流行(はや)った言葉を使わせて頂ければ、セレンディピティということになるのでしょうか。

  まず一連の流れからご説明致します。今年3月にランチで新橋の「奈良まほろば館」(奈良県の物産店)に行ったところ、偶然、運慶作の国宝「大日如来坐像」のミニチュアがあり、迷わず購入したことをこのブログで書いたことがあります。

 何故、購入したのかと言いますと、私の「守護仏」が誕生の干支(未・申)で大日如来だということを知り、「いつかお守りとして欲しいなあ」と思っていたのでした。奈良まほろば館で展示されていた坐像には、ただ「大日如来像」と書かれていただけでしたが、御顔立ちが気品に満ち溢れて素晴らしく、価格も手頃でしたので躊躇せず購入しました。後で調べたら、それは、奈良県の円成寺の運慶の20代のデビュー作と言われる大日如来像がモデルだったことを知り、二重の喜びでした。

 さて、毎日拝むことにしましたが、何と唱えたらいいのでしょうか? 浄土系の「南無阿弥陀仏」や法華経の「南無妙法蓮華経」は使えません。大日如来は密教の根本神です。後からまた詳しく書きますが、私は密教に関してはそれほど知識がない、と言いますか、大日如来は阿弥陀仏どころか、仏教を説いた釈迦如来まで「手下」として従えてしまっています(両界曼荼羅)。「密教って、仏教じゃないんじゃないのか?」といういわゆる偏見があったのです(後で少し訂正致します)。

 そこで、密教の勉強を始めることにしました。ちょうど、表紙写真の「密教でひも解く禁断の日本史」(宝島社、2023年5月10日発行となってます)を新聞の広告で見つけたので(最新知識が欲しいので)、早速購入してみました。なるほど、色々と初心者でも分かりやすく基本的なことが書かれています。ただし、文字だけでは分かりづらい点も多々ありました。

 そしたら、偶然にも、会社の同僚が「今、ラジオの聞き逃しサービスで、空海さんの特集をやってますよ」と教えてくれたのです。その番組は、奈良国立博物館の西山厚名誉館員による「NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 生誕1250年 空海と日本の密教」というシリーズでした。全13回放送される予定で、5月1日現在、4回分がネット上でアップされています。(スマホのアプリでも聴くことが出来ます)

 講師の西山氏の語り口が絶妙で分かりやすいので実に面白い。あまりにも面白いので、昨晩は、4回分(1回30分間)を一気に聴いてしまいました(笑)。一番驚いたのは、密教というのは、平安時代初期に遣唐使として長安に渡って、恵果から灌頂を受けた空海から日本に初めて齎されたと思っていたのですが、何と、その前の飛鳥時代に既に密教が日本に入っていたというのです。十一面観音像や葛井寺の千手観音像などは密教(の具現化)だというのです。

 仏教は紀元前5世紀、カースト制を是認するバラモン教に対するアンチテーゼとして、釈迦によって教義が開かれ、その500年後に出家者だけでなく広く衆生救済を主眼とした大乗仏教が生まれ、そのまた500年後、つまり釈迦から見て1000年後の紀元5~6世紀に密教が生まれます。細かく言うと、飛鳥時代の密教は初期密教、九世紀の空海が唐から持ち帰ったのは中期密教で、後期密教はチベット仏教になり、後期は日本には入って来なかったといいます。でも、空海の師に当たる恵果(けいか、746~805年)は、そのまた師匠に当たる「金剛頂経」の不空(ふくう、705~774年)から金剛界を、「大日経」の一行(いちぎょう、683~727年)からは胎蔵界の密教をそれぞれ伝授されて、両界を統一させて中期密教を完成させた高僧でした。この金剛界と胎蔵界の両界が二つそろって初めて効能があるというのです。その後、中国では密教は衰退してしまうので、日本人の空海(774~835年)が継承出来たことはまさに奇跡的です。

 先ほど、大日如来を拝む際に、何と唱えたらいいのか? と自問自答しましたが、以下の通りになるわけです。つまり、

 金剛界大日如来(忍者のように胸の前で智拳印を結んでいます)は、梵語(サンスクリット)で「オン バザラ ダト バン」と言います。これがなかなか覚えられないので、意味を調べましたら、「オン」とは帰依するという意味で、「南無」と同じような使い方なのでしょう。「バザラ」は金剛で、ダイヤモンドのこと。ダイヤモンドのように硬くて傷付かない智慧のことです。「ダト」は界のこと。「バン」は大日如来の種子字です。種子字とは、尊称的な梵字の表記です。種子とは、仏教用語で、阿頼耶識(無意識)の中に蓄えられている膨大な記憶や業を指しますが、物事を引き起こす要因とも言われます。金剛界大日如来は智慧の象徴です。

 もう一つ、胎蔵界大日如来(座禅を組むように両掌を重ね合わせています)は「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」です。これも覚えにくい(笑)。「ノウマク サンマンダ ボダナン バク」は釈迦如来になるので、大日如来はアビラウンケンだけでも良いかもしれません。アビラウンケンは、宇宙の生成要素の地、水、火、風、空を表していると言います。胎蔵界大日如来は慈悲を象徴します。

 宗派によって、両界の大日如来の唱名の仕方はこれとは違う場合もありますが、いずれにせよ、密教とはまるで宇宙論に近いですね。

 以前、私自身「密教は仏教ではないのではないか」と疑問に思っていたのは、両者があまりにも違うからです。仏教と言えば、覚りを啓くために厳しい修行を重ねて、煩悩を否定し、肉食妻帯せず、飲まず食わず、夜も寝ないで、只管お経を唱えて自分自身を追い込んで苛め抜くイメージがありました。まさに、千日回峰行です。それが密教となると真逆になるのです。

 密教修法の一つに護摩焚きがありますが、その目的とは「息災」「増益(ぞうやく)」「敬愛」「調伏(ちょうぶく)」の4種類があると「密教でひも解く禁断の日本史」(宝島社)に書かれていました。これだけ読んだだけでは私はよく分からなかったのですが、ラジオの「空海と日本の密教」を担当している西山厚氏は、見事に分かりやすく解説してくださいました。こんな感じです。

 「息災」とは、マイナスをなくそうとすることです。「増益(ぞうやく)」とはプラスを増やすこと。「敬愛」は人から好かれたいと思う心。「調伏(ちょうぶく)」は、嫌な奴を何とかしてやりたいという気持ち。これらは全部、欲望です。でも、密教ではそれらを否定しないのです。それどころか、空海は、食欲も性欲も否定せず、「罰はない」とまで言ってます。

 そっかあー。私は目から鱗が落ちるように密教の根本を理解することが出来たような気がしました。当然のことながら、密教も仏教(の宗派)だったのです。

 先日お墓参りした親友の菩提寺は真言宗豊山派であることをこのブログにも書きました。となると、何か,みんな繋がっているような気がして来たのです。「ご縁」です。以前、京都の東寺や和歌山県の高野山金剛峰寺にお参りして空海の世界にどっぷりつかったことがありましたが、密教の奥義を理解するまではなかなか至りませんでした。もっと密教を深く知りたいと思うきっかけになったことが親友の菩提寺もその一つでした。これを縁だったんですね。

 最近、自分自身のこれまでの人生体験から、常々思っていることは、人生とは、60%が両親や御先祖様から受け継いだDNAによって決定されますが、残りの20%は「縁」、最後の20%は「運」で決まると思っています。偶然はご縁の一つだと考えています。

 このことに目覚めてから、毎日、「縁」と「運」を大事にしながら、一生懸命に生きております。

通好みの家康の家臣板倉重昌の江戸屋敷は現在、宝殊稲荷神社に

 ゴールデンウイークだというのに、結構このブログにアクセスして下さる奇特な方もいらっしゃいまして、主宰者としましては、深く感謝を申し上げる次第で御座います。

 さて、小生が愛読している「歴史人」(ABCアーク)5月号は、「徳川家康 人名目録」の特集で、大河ドラマ「どうする家康」のまさしく便乗商法ですが、大変読み応えがありました。

 徳川家臣団に関しましては、既に今年1月に週刊朝日ムック「歴史道」第25号が、「真説! 徳川家康伝」を特集していてかなり詳しく書かれていて、私もこのブログで取り上げたことがあります。(渓流斎ブログ2023年1月22日付「徳川家臣団の変遷が面白い=『歴史道』25号『真説! 徳川家康伝』特集」

 「歴史人」では、家臣だけではなく、家族やライバル(真田幸村、石田三成ら)などの「人名目録」が掲載されていますが、私自身は、やはり、家臣団の形成過程について、一番興味深く拝読させてもらいました。

 徳川家康は、自分自身は新田源氏の子孫であることを自称しておりましたが、もともとは三河松平郷の小さな郷主でした。段々と勢力を拡大して、国衆~三河国守~三河・遠江・駿河の大名~関東八州大名、そして天下人と大出世して行きます。その間に、撃退した今川氏の家臣や武田氏の家臣などは、全て滅亡させるのではなく、優秀な人材なら取り込んでいく様は見事と言うほかありません。

 家康のルーツの中で、キーパースンとなるのは、家康の6代前の松平信光ではないかと私は思っています。この人には何と40人もの子どもがいたそうです。家康は本家の安城松平家でしたが、40人もの子どもたちのお蔭でかなり多くの分家が生まれます。竹谷松平、大給(おぎゅう)松平、能見(のみ)松平、深溝(ふこうず)松平、長沢松平、鵜殿松平…等々です。そのため、初期の家康(松平元康)は、親戚間での血と血で争う本家争奪戦に勝利を収めなければならず、これが後々に、親族よりも、代々仕えてきた三河以来の家臣を重用するようになったと思われます。(家臣たちは幕末まで続く大名になったりします)

 徳川家臣団の中で最も有名なのが「四天王」と呼ばれる酒井忠次、本多忠勝(楽天の三木谷さんの御先祖さま)、榊原康政、井伊直政の4人ですが、これはどなたも御存知の家臣なので、まさに序の口。駿府人質以来の家臣である石川数正、平岩親吉や三河一向一揆などで活躍した服部半蔵、鳥居元忠や大久保忠世、一揆側について後に許された本多正信、渡辺政綱、夏目広次となると初級クラス。玄人好みとなると、家康が江戸幕府を開くに当たって登用した優秀な官僚型家臣に注目します。例えば、関東総奉行として抜擢された本多正信、内藤清成、青山忠成の3人です。本多正信は、先述した通り、一向一揆で家康に反旗を翻したのに、許されて名参謀として復活しました。清成は、新宿内藤町の地名として、青山忠成も港区の青山の地名や通りなどとして今でも残っています。

 (もう一人、私が以前、古河藩城址に行った時に知った藩主土井利勝は、家康から二代秀忠の年寄(側近)役を任されますが、土井利勝は家康の庶子とも、家康の伯父に当たる水野信元の庶子とも言われています)

 個人的に注目したのは初代江戸町奉行を務めた板倉勝重です。この人、駿府町奉行、関東代官などを経て江戸町奉行になり、その後京都町奉行(京都所司代の前身)に就任して、朝廷や豊臣家の監視に当たり、訴訟の裁定にも定評があったようです。この勝重の嫡男(次男、もしくは三男)が板倉重昌です。この人は、家康の近習となり、大坂の陣で軍使として活躍し、三河深溝1万5000石の領主になったりします。が、1637年の島原の乱の際、幕府軍の総大将となり、戦死します。

 この板倉重昌の江戸屋敷は木挽町にありました。現在、屋敷のほんの一部が小さな宝殊稲荷神社となって残っております。銀座の出版社マガジンハウスのすぐ近くにあります。私の会社からも近い(というより、私の会社から最も近い神社だった)ので、昼休みに、最近ではほぼ毎日、お賽銭を持参してこの神社に通ってお祈りしていたら、神社内の看板に「板倉重昌の江戸屋敷があった所」「島原の乱で戦死した板倉重昌をおまつりしております」と書かれてあったので、大層驚いてしまったのです。

 板倉重昌といっても、恐らく、現代人の殆どは知らないことでしょう。私もその一人でした。この「歴史人」の中では、初代江戸町奉行の板倉勝重は大きく取り上げられた一方、板倉重昌の方は駿府奉行衆の一人としてほんの少し出てくるだけでしたが、「あっ、何処かで見た名前だ。もしかしたら?…」とピンと来たのです。

 時空を超えて、現在に通じた偶然の一致の瞬間でした。

 

亡くなった親友が雲になって現れた話

 さあ、楽しい、愉しいゴールデンウイーク(GW)がやって来ました。

 GWという名称は、この長い連休期間中に劇場に足を運んでもらいたいという映画業界の人が考え付いたらしいのですが、今年のGWはどうも個人的には映画を観に行く気がしません。3月に観た今年の第95回米アカデミー賞で主要部門の作品賞を含む7部門も受賞した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が個人的見解では、あまりにも酷過ぎて、生涯で初めて途中退席した話をこのブログに書きましたけど、すっかりトラウマになってしまったからです。

印西牧の原の高級マンション

 「アカデミー賞作品賞受賞」といった肩書やら宣伝文句だけで、観てはいけませんね。アメリカ映画は、もうあまり観たくなくなりました。

 今年のGWは行くとしたら、都内の博物館とか美術館を計画しています。本当はまたお城巡りもしたいのですが、事情があってあまり遠出が出来ないので控えています。近場でしたら、何処かに行くかもしれませんが。

印西牧の原の高級住宅街

 本日は、2年前に急逝した親友神林康君のお墓参りに行って参りました。早いもので、今年で三回忌です。菩提寺の大生寺は千葉県の印西市にあり、最寄り駅は北総線の印西牧の原です。初めて行った時は、道に迷って、駅から50分ぐらい掛かりましたが、今回は迷わず、20分で到着できました。

 大生寺は真言宗豊山派(奈良・長谷寺が総本山、東京・護国寺が大本山)ということなので、墓前では、「南無大師遍照金剛」「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」「オン バザラ ダト バン」と唱えました。先日、自分の誕生干支の守護仏が大日如来だということが分かり、運慶作の国宝「大日如来坐像」(奈良・円成寺)のモデル仏像を入手しましたが、密教も勉強し始め、少し詳しくなりました(笑)。「ノウマク サンマンダ ボダナン アビラウンケン」も「オン バザラ ダト バン」も大日如来の意味で、お呼びかけする時の呪文のようなものです。勿論、彼の冥福をお祈りしました。

 帰り、駅に戻る際、バンド仲間だった神林君との昔の思い出を思い出しながら歩いて、ふと空を見上げると、雲の形が彼の顔そっくりになり、「今日はわざわざ遠い所から来てくれて有難う」と言うではありませんか(拙宅から墓苑まで、バスと電車と徒歩で、往復5時間近く掛かります)。その雲は目と鼻と口だけではなく、あれよという間に耳までくっきり出来たので吃驚しました。風のせいで、すぐに消えてしまい、写真は撮れませんでしたが、本当の話です。(表紙の写真は雲が消え去った後の青空の写真ですが)

 サウロ(パウロ)がダマスカスへ向かう途中、イエスの復活を見た話とはレベルが違いますが、宇宙論を齧ると、どうも肉体は滅びても、霊魂は宇宙の果ての何処かに存在していると信じたくなります。

印西牧の原「板前バル」海鮮丼1000円、一番搾り生ビール580円

 駅に着いて、昼時だったので、また、駅前の「BIG HOP」内にある「板前バル」でランチしました。「BIG HOP」は大型ショッピングセンターなのですが、閑散としていて、結構、閉まっている店が多く、空いているお店はここぐらいしかないんですよね。

 印西牧の原駅から東京の都心まで1時間ちょっとしか掛からないので、「通勤圏」ではありますが、鉄道の北総線の運賃が結構高く、首都圏で一番高く定期代がかかると聞いたことがあります。

 それでも、ニュータウンということで、立派なマンションだけでなく、かなり敷地の広い高級住宅街もありました。人通りも少ないので、「日本って、結構広いんだなあ」と思ってしまいました。何しろ、2070年には日本の人口が8700万人なる(厚労省推計)と言いますからね。この先、我らが日本はどうなってしまうのか? 私としては楽しみなので、どうなるのか、色々と見届けたいという希望を持っています。

情報デトックスと宇宙論

 スマホが普及してから、「情報デトックス」なる新語が生まれました。FacebookやInstagramやTwitterなどSNSを数分置きにチェックしなければならないほど依存中毒になった御同輩に対して、「少し休んでみましょう」といった軽い提案から始まりました。デトックスとは「毒抜き」といった意味で使われます。酷い症状の人には、アプリを削除するか、スマホ画面をカラーから白黒にして興味をなくさせる方向に持って行ったりする「対処療法」を勧めたりしてます。

 私はスッパリではありませんが、中毒になったSNS(のチェック)はやめました。Twitterは、電車が事故で遅れた時に、迷惑を受けた乗客が一斉に情報発信してくれて、鉄道会社の「公式見解」より早いのでアプリまで削除してませんが、まず敢えて見たりしません。

 やっているのはこのブログだけですが、もしかして、世間の皆様には一番ご迷惑をお掛けしているかもしれませんね(笑)。「毎日欠かさず《渓流斎日乗》を読まずにはいられない」という人が世界にもし一人でもいらっしゃれば、主宰者としては大変嬉しゅう御座いますが、自分で言うのも何なんですが、このブログは、デトックスの対象になるサイトなのかもしれません。つまり、ネットやテレビなんかに溢れている「いらない、必要もない情報」であり、生死に関わるような緊急の要件が書かれているわけでもないからです。

 そのため、少しは遠慮して書く頻度を緩くしようかと思ったのですが、このブログの主宰者は職業病に罹っているため、即刻、断筆するまでには至っておりません。ということで、読者の皆様方には「情報デトックス」の対象にならないよう、程々のお付き合いをお願い申し上げる次第で御座います。 

東銀座「うち山」

 本日書きたかったのは、やはり、宇宙論です。先日の続きで、一生忘れないように、頭の海馬にしっかり納めておきたい数字を列挙しておきます。<参照文献は、高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」(PHP研究所)と渡辺潤一著「眠れなくなるほど面白い宇宙の話」(日本文芸社)>

 ・上空400キロ⇒国際宇宙ステーション

 ・上空4万キロ⇒静止衛星の周回軌道

 ・上空38万キロ⇒月までの距離

 ・上空1.5億キロ⇒太陽までの距離

 ・1光年⇒9兆4600億キロ

 ・10万光年⇒天の川銀河の直径(天の川銀河は、約2000億個の恒星などで出来ており、太陽系は、その中心から2万8000光年の距離にある) ※全宇宙には、他にアンドロメダ銀河など1000億個以上の銀河がある!

 ・太陽系は秒速約240キロのスピードで天の川銀河の中を移動し、2億5000万年かけて1周する。

 ・1000万年光年⇒銀河団(100個から1000個の銀河の群れ)

 ・1億光年以上⇒超銀河団(銀河群や銀河団の集団。天の川銀河は、おとめ座超銀河団の一員で毎秒300キロの速さで動いている)

 ・宇宙は「無」から生まれ、1点が膨張(インフレーション)し、138億年前にビッグバンが起きて出来た。

 ・現在の宇宙論の基礎になっているのがアインシュタインの相対性理論。ここから、相転移による多重発生によって、無限に宇宙が生まれるというマルチバース(多重宇宙)理論も生まれた。

  以上ですが、マルチバース理論によると、母宇宙は子宇宙を生み、子宇宙から孫宇宙が生まれ…宇宙は膨張していきます。ということは、未解明の異次元空間の存在があるということで、もしかしたら、人類以外の知的生物も広い宇宙の中にいるかもしれません。

 ただし、25億年後は、地球の気温が100度以上に達し、地球上の全生物が絶滅すると考えられています。それまでに、UFOや宇宙人が見つかるのが先か? 地球が壊れる前に人類が地球以外に棲める星を探し出すことが出来るのかが先か?ー少なくとも、もう、地球上で戦争をしたり、環境破壊をしたりしている暇はないのは確かです。

 そんな暇があったら、私自身も含めて、アインシュタインの相対性理論の入門書ぐらい読むべきだと思いました。人類にとって、絶対に「いらない、必要もない情報」ではないからです。

宇宙はまだ未知数が多く、その一方希望もある=高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」

 高水裕一著「面白くて眠れなくなる宇宙」(PHP研究所、2022年10月10日初版)を読了しました。昨日は、法華経やマルクス主義の本を読んでいたかと思えば、今日は、宇宙論です。まさに乱読です。節操がない。恐らく、このブログを御愛読して頂いている皆さんは、ついていけないことでしょう。

 実は、私もそうです。知的好奇心と興味が赴くまま、手当たり次第に本ばかりに手を伸ばしていたらこうなってしまったのです。だから、頭で整理できないので、こうしてブログに書いて整理しているようなものです(笑)。

 でも、宇宙論は最後に残る究極の学問だと思います。宇宙論は数学、物理学、化学、生物学、天文学、量子力学、人類学、進化論、さらには医学といった理系だけでなく、文学、哲学、宗教学、はたまた経済学にも通じ、逆に総合知識がないと理解できない究極論だと思います。

 そんな宇宙論ですが、この本によると、人類は宇宙の物質に関してはまだ全体の5%未満しか分かっておらず、9割以上は未知の謎だらけというのですから、魂げます。182~183ページには、宇宙は、通常の物質4.9%、光と反応しない物質ダークマター28.8%、そして物質なのか分からない未知のエネルギで満たされたダークエネルギーと呼ばれるものが大半の68.3%で出来ている書かれています。

 通常物質というのは、元素で表され、私も大学受験で化学を選択したのでまだ覚えていますが、「スイヘイリーベ ボクノフネ」と覚えたH、He、Li、Be、B、C、N、O、F、Ne…の元素の周期表は、宇宙で共通する元素が出来上がった順番で、宇宙の歴史そのものだというのです。へ~、それは知らなかった。そして、元素を分解すると、例えば、1番目の水素(H)は、陽子(プロトン)1、電子(エレクトン)1(質量数1.008)で出来ていますが、2番目のヘリウム(He)になると、陽子2,電子2,に中性子(ニュートロン)2が加わって出来ているので、質量数は4.003と水素の約4倍になります。この中性子というのは、陽子二つだと同じ電荷で強い斥力によって反発し合ってまとまらないため。クッション材として必要とされるというのです。

東京・大手町

 個人的ながら、虚無主義に駆られていた中学生時代にもっとこんな宇宙論を勉強していたら、虚無主義を克服して救われていたんじゃないかなあ、と思ったりします。もっとも、私が中学生時代は、宇宙は、ビッグバンから138億年で、地球はその3分の1の46億年といった基本的な数字すらまだ正確に解明できていなかったと思います。そして、太陽の寿命は最大でも150億年で、現在、太陽は50~60億歳と言われていますから、いつか太陽も消滅して、地球はその太陽の活動に完全に依存しているので、著者の高水氏は「太陽が死ねば、本質的に地球上の生命活動はなくなり、ただの鉄の塊の惑星が永遠に残るだけです」と遠回しに書かれております。要するに、泣こうが喚こうが、人類はいつか必ず滅亡するということなのでしょう。

 人類が絶滅すれば、経済活動どころか、文化も哲学も宗教も学業も定理も消滅することになります。となると、究極的な虚無主義になりますが、逆に言えば、どんなに有名になっても、どんなに大金持ちになっても、独裁者になって他国を侵略して英雄になっても、その財産も名誉も勲章も消えてなくなるということです。最初からなかったようなものです。世界は空であり、世界は無であるというのが、究極の真理だということになります。まるで、仏教思想みたいですが、このような物理学的宇宙論に中学生の時に触れていたら、あそこまで落ち込んで虚無的にはならなかったろうになあ、と今でも思ったりします。

 著者の高水氏は、英ケンブリッジ大学理論宇宙センターに所属し、あのホーキング博士に師事したといいます。1980年生まれで、まだ40歳代の方ですが、子どもの頃は星座や天文学ではなく、アインシュタインの相対性理論の方に興味があり、手塚治虫の漫画で読んだことでハマってしまい、宇宙論を専門にするようになったといいます。

 私は、相対性理論は一般も特殊も何も理解していないので、アインシュタインといえば、雲の上の大天才だと思っていましたが、そのアインシュタインでさえ間違うこともあるんですね。その一つ。アインシュタインは、「宇宙は静かで大きさは変わらない」と宇宙定数理論を考えていたのです。が、その後、ハッブルらの観測によって、宇宙は膨張していることが判明しました。その反対で、アインシュタインが一般相対性理論として「予測」していたブラックホールは、その後すぐにドイツ人物理学者によって発見され、2019年には、イベント・ホライズン・テレスコープによって人類初めてブラックホールの撮影に成功しています。

 このように、宇宙は、まず理論が先行して、観測によって証明されることによって解明されてきましたが、近年では、機器が精巧になったお蔭で、観測が先行して解明されることが多いようです。

新富町「美好弥」美好ランチ880円 あっ!スパゲティが付いていなかった! お店の人に言えなかったあ~

 さて、宇宙は、このように、訳が分からないダークマターだの、地獄の奈落の底のようなブラックホールなどで出来ていて、何んともおっとろしい世界のように感じてしまいますが、実は光明もあります。この本に沢山書かれているたった一つだけ、取り上げますと、非常に強力な重力場を与えている環境は、モノを高速で回転させることが可能なので、例えば、ブラックホールをエネルギーとして活用する道があるというのです。「うまく軌道を計算し、利用することで、一種の発電所のように、ブラックホールの重力をエネルギーに変換することができるかもしれません」と著者の高水氏も書いています。エネルギー問題の救世主です。

 なるほどねえ。確かに、いつかは地球は消滅し、そこに棲む生命体も絶滅する運命かもしれませんが、生きている限り、何とか努力したり、改良したり、問題を解決したり、発展させたりするのが、生態系ピラミッドの頂点に立つ人類の役目なのかもしれません。

 万物は流転し、いずれ、全てのものが無に帰することが真理ならば、嫉妬や憎悪や怒りや迷いといった負の感情もなくなることでしょう。別に齷齪したり、虚無的になったりする必要はないのです。

ジェームス・ディーン似のジーンズと仏友会と北原安奈さんが議員当選したお話

 本日は二日酔いでしたので、例のLee 101zのジーンズを履いて会社に出勤しました。別に深い意味はありませんが…。「例のLee 101zのジーンズ」というのは、4月20日付の渓流斎ブログに書きましたが、「有言実行」で、ジェームス・ディーンが愛用したモデルジーンズを買っちゃったわけです(笑)。結構高かった。

 二日酔いになったのは、ちょっとワインを飲み過ぎてしまったからです。昨日は、東京・大手町のサンケイプラザで開催された大学の同窓会「仏友会」に参加し、講演後の懇親会で美味しいワインを頂いたら、すっかり調子に乗ってしまい、帰宅してから家にあったワインまで開けて呑んでしまったのでした。そりゃあ、二日酔いになります。

 仏友会の同窓会は、ちょうど1年前に不肖、この私が講師として、「仕方なく始まった僕のジャーナリスト生活」の題で講演させて頂きました。あれからもう1年経ってしまったとは!

東京・大手町サンケイプラザ

 今回の講師は、川口裕司東京外国語大学名誉教授で演題は「外語での27年間」でした。川口氏は言語学者で、「中世フランス語における方言研究の現状」などの著作や、「フランス中間言語音韻論における母音研究」「第2言語としてのフランス語教育における話し言葉のフランス語研究」などの論文がありますが、あまりにも専門的過ぎて、内容はよく分かりません(笑)。ただ、驚いたことには、川口氏は1981年に東外大フランス語科を卒業しながら、最初の留学先がトルコのイスタンブール大学でトルコ語をマスターしてしまうのです。その後、パリ大学などにも留学しますが、その後に台湾の淡江大学などとも接点が出来て、学究生活は日本とフランスだけでなく、トルコと台湾まで行き来して講義されたりしていたのです。川口氏の研究は「日本語とフランス語の否定辞比較研究」など非常にマニアックなので、「希少価値」として世界中から引っ張りだこだったのでしょう。

 懇親会では、主に、世界的な金融業界で大変な苦労をされた鈴木さんの体験談を聞きました。涙なしには聞けない話でした。

東京駅

 ワインを呑み過ぎたのは、もう一つ要因がありまして、帰宅後、朗報に接したからでした。4月21日付の渓流斎ブログに書きましたが、旧友Kさんの御令嬢Aさんが福島県の裏磐梯にある北塩原村議会議員選挙に出馬し、昨日が投開票日だったのですが、最年少の新人候補ながら、見事、当選したというのです。私以上に「有言実行」の人です。

 当選したので、もうイニシャルはいいでしょう。北原安奈さんです。

 今朝、やっと選挙結果が公表された北塩原村のホームページによると、投票率が何と85.34%。議員定員数10人のところ、16人が立候補しましたが、彼女はギリギリ10番目で当選したのです。まだ実績のない、知名度も低い新人候補ですから、当然ながら、大苦戦でしたが、天の神さまも見てくれていたんですね。奇跡の風を吹かせてくれました。

 でも、当選してから、これからが本番です。村では過疎化や産業発展など色々と問題が山積していると思われますが、是非とも、2697人の村民のためになるよう尽力してほしいものです。