銀座、ちょっと気になるスポット(2)=南町奉行所

 銀座と言いながら、第2回で取り上げる気になるスポットは、有楽町です。地下鉄ではなく、JRで銀座に行くには、駅は有楽町か新橋になりますので、有楽町も銀座と言えば、銀座なのですが、正確に言えば違います。

有楽町「交通会館」

 何と言っても、有楽町駅の住所は東京都千代田区です。三省堂書店や北海道物産店などが入っている交通会館も千代田区ですが、駅前広場をもう少しだけ南下して、銀座インズの首都の速の下をくぐると、やっと中央区銀座になります。ものの数分ですが。(首都高の下は、数寄屋橋下にしろ、大抵、川が埋め立てられた所です)

有楽町駅前広場

 有楽町の名称は、皆様ご案内の通り、茶人としても知られた織田信長の実弟、織田長益こと織田有楽斎(うらくさい)から由来するものです。有楽斎が、関ヶ原の戦いの後、徳川家康から数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領し、その屋敷跡が有楽原と呼ばれていたことから、明治時代に「有楽町」と名付けられたのです。江戸城からかなり近いので、家康の有楽斎に対する信任が篤かったと思われます。家康はかつて信長に仕えていましたから、織田家に対する御恩返しかもしれませんが。

有楽町駅前広場にある南町奉行所跡

 江戸切絵図を見ると、今の有楽町駅辺りは、主に阿波徳島の蜂須賀藩の上屋敷だったようです。その隣接する今の駅前広場辺りが、何と、あの名奉行・大岡越前守忠相が活躍した「南町奉行所」があったところでした。

 奉行所は、江戸の行政、司法、警察などの職務を担っていた組織で、老中の支配下にありました。ということは、奉行が全ての権限をもって裁定したわけではなく、特に重罪などの最終判断は老中や将軍に仰いでいたともいわれます。

 白洲でのお裁きも本当にあったのかどうか…。ま、それらしきものはあったことでしょう。

有楽町駅前広場にある「南町奉行所跡」

 「南町奉行所」の御奉行は、八代将軍吉宗の時代に活躍した大岡越前が有名ですが、現在の東京駅八重洲北口にほど近い所には「北町奉行所」があり、こちらは、天保改革の頃に、「遠山の金さん」こと遠山景元という名奉行がおりました。「遊び人金さん」はかなり脚色された話ではありますが、景元自身は、水野忠邦や鳥居耀蔵らとの政争で一時失脚しますが、後に南町奉行に返り咲いたといいます。

 また、元禄期から享保年間にかけて、17年間という短い期間に南北奉行所の中間点に「中町奉行所」がありましたが、それほど詳しいことは分かっていないようです。

 南町奉行所は、2005年の発掘調査で、奉行所表門に面した下水溝や、奉行所内に設けられた井戸などが発見されました。この写真の「南町奉行所跡」の碑もその記念?で出来たと思われます。ということは、2005年以前は、こんな碑はなかったと思います。

 私自身は、よく有楽町駅を利用するのですが、この碑を初めて見つけた時(恐らく2005年頃)は本当に驚いたものです。テレビの時代劇のヒーローが、実在人物だったという証拠みたいなもんですからね(笑)。

 南北町奉行所の奉行は、月番制で、3000石程度の旗本が任命されたようです。実働部隊の幹部である与力は南北奉行所に各25人、その配下の同心は各100人しかいなかったというので、これまた驚きです。彼らのポケットマネーで御用聞き(岡っ引き)を何人も抱えていましたが、江戸町人の人口は50万人だったと言われ、こんなに少ない人数で警察・治安維持や行政、防災に当たっていたわけですから、本当に驚くばかりです。

南町奉行所跡から発見された穴蔵

 ちなみに、時代劇などでよく出て来る「八丁堀」は、与力・同心の組屋敷があったところです。八丁堀から有楽町までの距離は2キロちょっと。与力は馬かもしれませんが、同心は組屋敷から歩いて奉行所まで通ったことでしょう。

 与力の平均禄高は200石、諸大名や豪商からの付け届けなどの別途収入があれば良いのですが、ない人は家計は火の車です。何世代にもわたって、禄高は上がらないので、屋敷を人にまた貸ししていた与力もいたようです。与力の配下の同心ともなると、禄高は30石程度だったといいますから、さらに生活が厳しかったことでしょう。

 江戸時代は、火付け盗賊が多く、治安が悪かったイメージが時代小説で我々は植え付けられていますが、案外、現代よりも治安が良かったのではないかと思ったりしています。「南町奉行所跡」碑の前に立つと、与力・同心たちの「こんな安月給で、やってられないよ」と言う声が聞こえてきました(笑)。

銀座、ちょっと気になるスポット(1)=ジョン・レノンの「樹の花」

 《渓流斎日乗》のブログは2005年3月に始めたので、今年でもう17年になります…中途半端ですね(笑)。この17年間、どういうわけか、このブログが原因でかつては親しかった友人たちが、疎遠になってしまう事案が複数回、起きています。このままブログを続けて良いものか迷い道にはまり、正直、かなり落ち込んでおります。

 ある友人の非難の理由は、このブログが「衒学的過ぎる」ということでした。ま、小難しいことばかり書いていて、気取っている、ということなのでしょう。生意気だ、気に喰わないということなんでしょう。本人は全くペダンチックだとは思ってはおりませんが、預言者というものは、お里が知れた故郷では受け入れられないものです。

 「賢い読者からの指摘があれば、問題になりそうな箇所はすぐ削除する。まるで自民党の手口だね。男気がない」などという批判もありました。

 「どうしようもない三流のマスコミに何十年もしがみついてきた三流のジャーナリストの書くものは、読むに値しない」と直球を投げて来る友人もおりました。

 読みたくなければ、読まなければいいのですよ。わざわざ、アクセスする必要もないでしょう。と、言わなくても友人たちはとっくに離れて、このブログはもう読んでいないと思いますが(笑)。

 それにしても、世間に影響も与えないこんな小さな無名のブログが、何でそこまで、見ず知らずの赤の他人からではなく、親しかった友人たちから非難されなければいけないのか、理解に苦しみます。欧米では食事中に政治や贔屓チームの話をすることはタブー視されていますが、私自身もなるべく現在の世論を二分にするような政治的イッシューを取り上げることはわざと避けて来ました。炎上してもその場限りです。実にくだらない。わざとらしいし、恥ずかしい。わざわざ火中の栗を拾うこともないでしょう。

 もう、生身の現代人を扱うことは嫌になったので、最近のブログでは、なるべく歴史上の人物を取り上げるようにしていたのですが、それでも、やはり、衒学的ですかねえ?

 まあ、好きにしてくださいな。嫌ならアクセスしなければ良いだけの話です。こちらは、お読み頂ける読者の皆様がいらっしゃる限り続けていくだけです。勿論、感謝を込めて。

 さて、そんな中で、考えた企画は「銀座、ちょっと気になるスポット」シリーズです。飲食店だけでなく、気になった史跡なども取り上げて、お茶を濁そうかと思ったわけです。実は、これまでこのブログに登場したサイトも重ねて取り上げるかもしれませんが、その点はどうか御勘弁ください。

 記念すべき第1回は「樹の花」という喫茶店を取り上げることに致しました。失礼ながら、ランチにカレーライスを出すような何の変哲もない喫茶店ですが、あのジョン・レノンとオノ・ヨーコが利用したお店でした。

 1979年夏のことです。何とこの店が開店して4日目だったそうです。東銀座の歌舞伎座の「横」にありますから、てっきり、ジョンとヨーコが歌舞伎を見た帰り、たまたま立ち寄った喫茶店かと思っていたら、お店にしっかり説明書きがありました。

 ジョンとヨーコはハイヤーで築地の映画館に来ると、子どもたちだけを降ろして「スーパーマン」が終わる時間までどこかゆっくり過ごせる場所を探して銀座4丁目の方へ歩き始めた。…少し歩いた所で、偶然、樹の花という看板を見つけた。…二人は入り口に近い窓際のテーブルに向かい合って座った。コロンビアコーヒーとダージリンティーを注文すると互いの目を見つめながら静かに語り合う。…

 築地の映画館とは恐らく「東劇」のことでしょう。このビル(松竹本社)は改修(建て替え)されることが決まっており、間もなく閉館されます。

 「樹の花」は、ビートルズ・フリークの私ですから、一度、ジョンとヨーコが座った同じ席に座ったことがあります。今はどうなっているのか知りませんが、10年ぐらい昔、私が利用した時は、席の壁に二人の写真が飾られていました。

上野・洋食「黒船亭」1979年8月 ジョン・レノン(前列右から2人目)とオノ・ヨーコ ※お店の人に許可を得て撮影しております

 そう言えば、今年2月28日に行った上野の老舗高級洋食店「黒船亭」にも、訪れたジョンとヨーコの写真が店内に飾られていました。撮影日が1979年8月とありますから、ちょうど銀座の「樹の花」を訪れた時と同じような頃です。偶然の一致に少し驚いてしまいました。

 それにしても、「樹の花」が開店して4日目にジョンとヨーコが偶然、訪れ、この店は、それ以来今日まで43年間も続いているとは…。残念ながら、ジョン・レノンはそれから1年半後の1980年12月8日にニューヨークの自宅前で暗殺されてしまいます。行年40歳。

「気分の落ち込みから守ってくれるのは歩数」=アンデシュ・ハンセン著「ストレス脳」を読んで

 徐々に健康も回復し、やっとビールも飲めるようになりました。さらには、恐々ながら高級アイスのハーゲンダッツも食べましたが、翌日、何ともありませんでした(笑)。

 これで、少しは生きる自信を取り戻しても良さそうなものですが、またまた、色々と御座いまして、すっきりしない毎日を送っています。

 それではいけないので、アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳「ストレス脳」(新潮新書、2022年7月20日初版、1100円)を読むことにしました。まさに、読むクスリです。ハンセンは、ちょうど1年ほど前に「スマホ脳」を読んで、大いに感心して、私がFacebookをやめるきかっけをつくってくれたスウェーデンの精神科医です。

 間違いないだろう、と、迷わず購入したのですが、体調の関係で読むのに少し時間が掛かってしまいました。でも、目から鱗が落ちると言いますか、逆説的ながら、脳の仕組みを明瞭に解明してくれて、生きる自信も回復しそうです。

 それほど難しいことは書かれていません。約20万年前に霊長類から進化した現生人類(ホモ・サピエンス)は、約1万2000年前に農業革命が起こして定住生活するまでに、狩猟採集生活を続けてきました。ですから、99%近く、現代人の脳には、狩猟採集生活時代の進化がそのまま残っているというわけです。それは、一言でいうと、脳は「生き延びる」ことを第一に進化していったということです。そのためには、ライオンや狼などの捕食者から一刻も早く逃げること、死に至る感染症に罹らないようにすること、餓死しないよう食物を確保すること、雨露を凌ぎ、暑さ寒さから身を守るーといったことを最優先に脳が進化していったというのです。

 「生き延びる」ことが最優先ということは、幸福感とは無関係で、残念ながら、脳は幸せになるように出来ていないというのです。これには驚きです。例えば、好きな人と結婚できても、直ぐに現実に直面して離婚したくなったり、豪華なプレゼントを貰っても、すぐその喜びは消え、もっと欲しい、と欲望にキリがないように脳がつくられているということか?

 著者によると、現代人の4人に1人がウツや強い精神的不安を経験しているといいます。とはいえ、人が不安になったり、気分が落ち込んでウツ状態になる、というのは、脳が正常に機能している証拠だと言える、とまでいうのです。不安信号は、これから何か危険が迫っているので警戒するように注意しているということ。ウツ状態になって外出を控えたくなるのも、感染症が蔓延していて、他人と接触を避けようとしていること、だと言うのです、ただし、これら危険信号は、狩猟採集生活時代の脳が過剰反応しているだけで、現代のような安心・安全世界ではあり得ず、まず当てはまりません(今の新型コロナやウクライナ戦争の話はおいといて)。つまり、免疫系の過剰反応や誇大妄想などが、精神疾患を引き起こしてしまう。脳はそういうメカニズムになっているというわけです。

 以上は私がこの本を読んで勝手に斟酌したものですが、著者の言葉をそのまま引用すると、以下のようなものがあります。

 ・脳は精神的に元気でいるように進化せず、常に最悪の事態に備え(不安)、場合によっては自分を守るために引きこもらせる(ウツ)ようにした。

 ・過去に体験したトラウマをわずかでも思い出せるものは何であれ、脳に記憶を取り出させてしまう。…あなたにも時々思い出すような辛い記憶があるかもしれない。それは脳が、同じようなことが起きないようにあなたを守ろうとしているのだ。時々再体験させることで、前回どのように対処したのかを思い出させる。思い出すことで精神が悪くなったとしても、脳にしては大したことではない。脳は生き延びるために進化したのであって、幸福を感じるためではないのだから。

 ・なぜ孤独はリスクなのか? 長く孤独でいると睡眠も途切れがちになる。…独りで寝ている人は危険が近づいても誰にも教えてもらえない。だから、深く眠り過ぎず、直ぐに目が覚めることが重要だったのだ。

 さてさて、現代人がウツにならないようにするにはどうしたらいいのか?ー著者はあっけなく、回答を出しています。「運動すれば良い」というのです。精神科医として多くの患者を診察した結果、運動をしていた人がウツになる例はあまり見られなかったというのです。「毎日じっと座っている代わりに15分間ジョギングするだけで、ウツになるリスクが26%減る。1時間、散歩しても同じだけリスクが下がる。つまり、ジョギングのように心拍数の上がる運動は散歩の約4倍も効率的だということだ。15分以上走ったり、1時間以上散歩したりすると、さらに防御効果が高まる。」(175ページ)

 著者のハンセン氏は「最終的に、あなたを気分の落ち込みから守ってくれるのは歩数なのだ」とまで言い切ります。狩猟採集時代、人間は1日平均、1万5000~1万8000歩は歩いていましたが、今の西洋諸国の現代人の平均は5000~6000歩と、昔の人のわずか3分の1しか歩いていないというのです。 

 世界はパンデミックとなり、私も映画館や博物館に行くことは減り、部屋に引き籠って、本ばかり読んでおりました。そして、いつの間にか、心身ともに不調になっておりました。

 これからは、一日平均8000歩は歩くことを目標にして、免疫系の「過剰反応」から我が身を守ることにしますか。                                      

高級腕時計、ドタバタ騒動記=結局、売っちゃいました…

「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」ー。夏目漱石の「坊ちゃん」の冒頭が思い浮かんできます。

 例の私が所有する高級腕時計グランドセイコーが、3~6年おきのオーバーホールに5万円も掛かる話は以前、このブログに書きました。そして、そのオーバーホールは工場に直送してやってもらうために、1カ月半も掛かるというので、その間に、代替時計として、デンマーク製の腕時計をわざわざ購入した話も書きました。

 話はとんでもない方向に転換してしまいました(笑)。

 オーバーホールは、天下の東京・銀座の和光(服部時計店)でお願いしたのですが、そのオーバーホールに1カ月半掛かると言われていたのです。それが、わずか2週間で済んでしまったのです。どこも故障もなく、部品交換もなかったので、4万1800円で収まりました。

 でも、3~4年に1回は必ず電池交換(5500円ぐらい)しなければならず、オーバーホールで毎回5万円近く掛かるようなので、この先、ものは考えようです。デンマーク製だろうが、何だろうが、3万円の腕時計を5年ごとに買い替えて楽しめばいい、という考えもありだなあ、という考えに至ったことも、以前、このブログに書きました。

 和光で自分のグランドセイコーを受け取った時、そっかぁー。オーバーホールで新品同様になったのだから、このまま売っちゃえばどうだろう!?と思ってしまったのです。

 調べたら、和光の向かいにある銀座4丁目交差点近くにある有名な「鳩居堂」の地下に「なんぼや」というブランド品買い取り店があることが分かり、早速、行ってみました。

 心の中では、「10万円切ったら、そのまま持ち帰ろう」という魂胆でした。いくら5年以上も使用としたとはいえ、オーバーホールもしたわけだし、購入した時の半額の15万円ぐらいいけばベストだ、と思ったわけです。

 でも、提示された金額は唖然としたものでした。6万5000円だというのです。何やら、高級腕時計の中古販売には暗黙の買い入れ価格基準があるらしく、現在、出回っている中古市場の販売価格の0.4倍か0.5倍が買い入れ価格の相場になるというのです。ただ、ロレックスだけは投資目的で未使用が多いために、特別に0.7倍になるという裏話も聞きました。(でも、ロレックスでしたら、オーバーホールに10万円近く掛かりまっせえ)

 私のグランドセイコーの同色、同機種の中古販売価格は、現在、最高でも15万円だとか。買い入れ価格は、0.4倍なら6万円、0.5倍なら7万5000円となるわけです。阿漕だなあ。何と言うボロ儲け!(笑)。

 私は10万円以下なら売るつもりはなかったのですが、話をしていると少し妥協してくれる姿勢を「バリューデザイナー」という肩書の名刺を持つM氏が見せてくれました。「そうですね…。オーバーホールをしたばかりで、5万円ぐらい余計に掛かっていらっしゃるようですからね…、7万円とかなら、どうでしょう…」

 そこで、私は清水の舞台から飛び降りる覚悟で提案しました。「分かりました。10万円以下なら売るつもりはなかったのですが、8万円ならどうですか?それ以下でしたら、持ち帰ることにしますが」

 そしたら、百戦錬磨のM氏。「わ、分かりました。8万円。成立ということで!」

 てなわけで、最初の漱石の「坊ちゃん」じゃありませんが、「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている」というフレーズが頭に過ぎったわけです。東京都心の銀座のど真ん中で、我ながら、何やっているんでしょうかねえ?恐らく、僕のグランドセイコーは、これから、業者間で取引され、中古市場で15万円以上で販売されることでしょうが…。

 でも、何か、これでスッキリしました。何と言っても、もうメンテナンス代の心配もなくなりました! 大損はしましたが、十分楽しめました。たかが腕時計、それでも腕時計の話じゃありませんか。

【追記】2022年7月28日(木)

 グランドセイコーもピンからキリまでありまして、最安で大体25万円、最高となると500万、600万円クラスもあります。安いのはクオーツ式と呼ばれ、約3年おきに電池交換が必要(5500円)です。3~5年おきのオーバーホールは4万1800円ぐらい。次は機械式と呼ばれ、いわゆるゼンマイによる自動巻きなので、電池交換はありませんが、オーバーホールに5万1700円以上はかかります。

 最高級品はセイコーが独自に開発した「スプリングドライブ」と呼ばれ、クオーツと機械式が合体した正確無比の時計です。私が欲しいなあと狙った白樺をモチーフにした「エボルーション9(SLGA009)」は、税込みで104万5000円もします。勿論、電池交換は必要ありませんが、3~5年おきのオーバーホールの料金が8万6900円以上かかります。100万円クラスの時計なら、当然、それぐらいするでしょう(笑)。

 「家宝」として購入しても良いのですが、譲られた子孫も大いに迷惑することでしょう。3年ごとに10万円近く維持費を払わなければいけませんからね(爆笑)。

クール・マスクと田中帽子

 都心でも連日34度の猛暑が続いています。第7波のコロナ激増中ですから、これにマスクを付けて外を歩かなければならない、となると苦行僧そのものです。

 私は病み上がりですから対策を取らなければなりません。マスクは結構、買い溜めして余っているのですが、それらは真冬用といいますか、付けているだけで息苦しくなります。そこで、ドラッグストアで、「クール」用のマスクを買って来ました。30枚入りで980円でした。

 結構涼しい。息苦しくないのです。皆さんにも、夏場は、クール用をお勧めします。

田中帽子店 明治十三年創業 天然草木(麦わら)100%

 さて、もう一つが帽子です。結構、持っているのですが、改めて、ブランド品を買ってみました。明治13年に埼玉県春日部市で創業された田中帽子です。現在の社長は6代目という老舗です。

 単なる麦わら帽子なんですが、馬鹿にしちゃあいけません。驚くべき機能性を持っていたのです。7月19日に民放のバラエティ番組で、この田中帽子店が取り上げられ、私も随分感心してしまいました。

 麦わら帽子の利点は、何と言っても、その驚くべき通気性です。私は夏の帽子として他にイタリア製の帽子を2年前に購入したのですが、被ると汗でびっしょりになります。帽子に表示されているマークを読んでみると、その素材は「再生繊維(紙)」と書かれていたのです。そっかぁー、紙だったら、通気性がないわけでした。

 その点、麦わらだと通気性抜群ですから、それほど汗をかくことはありません。それに何と言っても軽いので、頭にかかる負担も少ないのです。

 私が7月14日(木)にJR大宮駅構内の田中帽子店臨時ショップで購入したのは、「シモン」という麦わら 細麦中折れハットでした。1万1000円もしましたが、テレビの番組で見たら、製品の製造過程が全て手作りだったので、「これぐらいの価格なら安いぐらいだ」と納得しました。

 そうそう、テレビでは実験していましたが、再生繊維(紙)の帽子では紫外線を少しだけ吸収してしまいますが、麦わら帽子となると、紫外線は100%カットされていたのです。これなら堂々と猛暑の陽中でも歩けます。

 田中帽子店には立派なHPがありますので、御覧になると良いと思いますけど、残念なことに、私が購入した「シモン」は現在、品切れ中のようですね。

 えっ!? 勿論、私は田中帽子店の回し者ではありませんし、これは宣伝でもありません(笑)。猛暑、パンデミックという最中、皆さんも御自身の身の上を御自分で守るために、ちょっと工夫したら如何ですか、といった話でした。

ザ・ビートルズBlu-ray「ゲットバック」セッション感想

 1週間の病気療養生活で、本は読めないし、寝てばかりいられなかったので、ちょうど購入したばかりのBlu-ray3枚組「ザ・ビートルズ:Get Back」(ウォルト・ディズニー・ジャパン、7月13日発売、1万6500円)を時間を分散して見ていました。

 1969年1月2日から31日にかけて収録された「ゲットバック」セッションで、約60時間の映像と約150時間の音声を、新たに7時間47分間のDVD3枚組に編集したものです。既に昨年、ネットで配信されて話題になりました。

 私はネットの有料会員ではないので、DVD化されればいつか買うつもりでしたが、私のようなビートルズ・フリークから言わせてもらえれば、やはり、Blu-ray3枚組1万6500円は高過ぎるし、長過ぎる。普通の人なら、映画「レット・イット・ビー」で有名になったルーフトップ・コンサートが入った3枚目(2時間18分)だけで十分だと思います(バラ売りしないでしょうが)。

 会社の同僚の勧めで、DVDセット(1万3200円)ではなく、より画質が鮮明なBlu-rayセットを選んだので、53年以上昔の映像なのに昨日撮影したばかりのような驚くべき鮮やさです。デジタル・リマスター技術の進歩のおかげでしょうが、驚嘆するしかありません。

 今更説明するまでもありませんが、「ゲットバック」セッションは当初、レコーディングの様子やライブ演奏を収録してテレビ番組のために撮影されたものでした。ライブ演奏会場は当初、古代劇場だったり、テレビスタジオだったりしましたが、中止になり、結局、ロンドンのアップル社の屋上になりました。4人は激しく意見をぶつけ合い「空中分解」となり、ジョージが途中で「脱退宣言」してスタジオに顔を出さなくなったりします。

 当初は、「ゲットバック」アルバムとして、春にも発売する予定でしたが(私は、当時中学生で、「ミュージックライフ」誌に、ニューアルバム「ゲットバック」の広告が掲載されていた事を覚えています)、「お蔵入り」となり、夏に、ビートルズとしては最期のレコーディングとなった「アビイ・ロード」の方が先に秋に発売され、お蔵入りになっていた「ゲットバック」は翌70年に映画「レット・イット・ビー」のサントラ盤(フィル・スペクターによるアレンジ)として発売され、同年4月にビートルズ解散(ポール脱退)も発表されます。

 話が前後した、随分マニアックな話でした。

 ということで、このセッションではビートルズの初期のカバー曲や新曲が完成する前のラフな状態や試行錯誤が伺えるわけです。アルバム「レット・イット・ビー」収録曲は勿論、「アビイ・ロード」に収録される「オー!ダーリン」や「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」のほか、後に各自ソロになってアルバムに収めることになる「テディ・ボーイ」「バック・シート」(ポール)、「ギミー・サムシング・トゥルース」(ジョン)、「オールシングズ・マスト・パス」(ジョージ)までありました。これらは大体、3年後の1971年に発表される曲でしたから、随分早い段階で試作品が出来ていたことを初めて知りました。

 もう一つ驚いたことは、この作品を撮ったマイケル・リンゼイ=ホッグ監督が大御所かと思っていたら、メチャクチャ若いのです。BBCのポップス番組「レディ・ステディ・ゴー」のディレクターだったことから抜擢されたらしいのですが、1942年生まれということでポールと同い年。当時、まだ26歳です。(髭を生やしたポールは、40歳過ぎに見えます。)

 もっとも、有名なプロデューサー、ジョージ・マーチンも1926年生まれですから、この時、まだ42歳です。実に若かったんですね。

 また、空中分解しかけたところで、辛うじて「繋ぎ役」となったオルガン奏者のビリー・プレストンは1946年生まれですから、当時まだ22歳です!(リトル・リチャードのバックで弾いていたビリーがビートルズと初めて会ったのが16歳だったとは!2006年、59歳で病死されたことは返す返すも残念です)

 扨て、やっと感想文です(笑)。これは、病身で見るべきではありませんね。気分が落ち込みます。映画「レット・イット・ビー」が公開された時、中学生だった私は、東京・新宿の武蔵野館で朝から晩まで4回も見続けた覚えがあります。当時は入れ替え制度がなく、席も「指定席」以外自由だったからです。その後も何十回もこの映画は観ているので、内容は知り過ぎてはいるのですが、ここまで酷いとは思いませんでした。

 特に、今の時代では考えられないくらい彼らもスタッフも四六時中、煙草を吸いっぱなし!神聖な職場だというのに女(とはいっても恋人や配偶者)を連れ込み、特にジョンは遅刻魔で前半はほとんどやる気なし。ポールの独裁的な態度は強引で、ジョージがついにキレて行方をくらます始末です。呆れた事に、ワインやアルコールを飲みながらのレコーディング。会話も実に下品で野卑なのです。「ゲットバック」の歌詞に出て来る「カリフォルニア・グラス」が「カリフォルニアの大麻」のことだったとは!

 あの大天才モーツァルトに嫉妬したと言われるサリエリだったら、こんな感想を述べるかもしれません。

 「奴らは何て、下品で野卑なのでしょう。それなのに、奴らが生み出すメロディといったら天使から遣わされたような天衣無縫の旋律。あんな下ネタ好きで、酒や煙草はのみ放題。隠れてラリッているに違いない。不良少年がそのまま大人になったようで、社会の常識に染まろうとはしない。そんな野卑で下品な人間が天上の音楽を紡ぎ出すとは、神は如何にも不公平に人間を作りたもうたことか」

 それでも最後の「ルーフトップ・コンサート」は圧巻で、全ての悪や災いを帳消しにしてくれる感じです。ビートルズの音楽は鮮明な映像とともに、これから100年後も1000年後も人類の歴史が続く限り、繰り返し聴かれることでしょう。

ブログ更新できなかった言い訳=コロナは陰性でした

 ブログ更新は7月15日(金)以来実に1週間ぶりです。

病気してました(苦笑)。今年5月の大型連休中には酷い風邪に罹り、3日間も寝込みましたが、今回はもっと酷くて、17日(日)昼前から21日(木)深夜にかけて、5日間もwatery diarrhea に悩まされました。多い時は、夜中に20回もトイレに駆け込みましたから、疲労困憊。薬をのんでもなかなか治らず、こんなの初めて。さすがに人間やめたくなりましたよ(苦笑)。

 一番辛かったのは、私の人生の愉しみの「最後の砦」(笑)だった食欲が全くなくなり、少し口に入れても受け付けなかったことでした。アルコールも駄目です。

 先週までは、入院した友人や、メールをしても返信が来ない年長の先輩たちの健康問題のことばかり気になり、心配ばかりしておりましたが、自分のことで精一杯になり、それどころではなくなりました。人生、美味しいものが食べられて、夜ゆっくり眠られることが最も幸せであることを身に染みて体験しましたよ。

◇コロナが身近に

 15日(金)を最後に会社に行っていなかったのですが、その間、不運にも会社の同僚が新型コロナに感染していたことが分かりました。彼は、かなりの潔癖症で、手洗い消毒は欠かさず、帰宅する際に自分の机の周りを一生懸命にアルコール消毒するほどでした。しかも、会社の近くに住んでいるので通勤電車に乗ることさえありません。不思議ですねえ。一番気を付けていて、一番罹りそうにもない人がコロナになるとは!

 私自身は熱も咳もありませんでしたが、一応受けておいた方が良いと考え、19日に自宅近くの内科クリニックで、「ついでに」PCR検査も受けることにしました。翌日、結果が分かるはずでしたが、ここ最近、コロナ患者が爆増したこともあり(7月21日は全国で18万6246人、東京でも3万人を超え、過去最多)、検査も殺到して、間に合わず、21日の朝8時にやっと、結果が分かりました。

 結果は「陰性」でした。ヤレヤレです。

銀座「ローマーヤー」イングリッシュマフィンのオープンサンド~ローストビーフとクロックマダム~1540円

 クリニックの先生はとても良い人なのですが、どういうわけか、「症状」が出た人は院内の冷房の効いた待合室に入れてもらえず、外の炎暑で待たされます。自家用車を持っている人はいいでしょうが、私にはないので、暑い中、外のベンチで、一時間ぐらい虫の息で待ち続けました。そして、色々と症状を聴かれ(問診)、いよいよ検査でもしてくれるのかな、と思ったら、看護師さんらしき人が出てきて、会計と処方箋の紙を持ってきただけです。多分、食当たりか、ウイルス性胃腸炎でしょうが、病名も何も分かったもんじゃありません。どちらにも効く薬を処方したようでしたから。

 こんな目に遭わないためには、人間、病気にならないことです。でも、細心の注意を払っている品行方正な真面目人間に限って、病魔が襲ってくるんですよね。どうにかなりませんかねえ?…。

銀座・昭和通り

 実は、症状が一番きつかった18日(月)=「海の日」祝日=は、私の誕生日でしたので、3人の友人知人と、親戚家族からお祝いのメッセージを頂きました。その中には、Facebookをやめたのに、わざわざ私のブログに直接アクセスしてくれたり、意外にも「隠れて読んでいる」人だったりしました。驚くとともに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 というようなことがあったもので、御心配をお掛けした皆様に対して、今回、ブログを更新できなかった言い訳をクドクド述べさせて頂いたわけです。

 人間、健康が一番。健康にさえなれれば、死んでも構わない。ちっぽけなブログを貶されようが、監視されようが、大したことではありません。

 なんくるないさー。

読者プレゼントに続けて当選してしまいました=人生は縁と運

 うひゃぁ~! 何たるちいあ(死語=笑)!

 応募した懸賞が続けて当選してしまいました。一つは、東京新聞の「6月16日 和菓子の日・読者プレゼント」(全国和菓子協会)です。応募したことさえも忘れていたので吃驚です。

 当選したのは、和菓子柄のエコバッグです。折り畳めばポケットに入る便利なバッグです。

 こりゃあいい。こいつは春から縁起がいい。(今は夏でした!)

 東京新聞と全国和菓子協会に感謝です。

もう一つは、「鎌倉殿の13人 大河ドラマ館」の入場券です。ここ数年、毎月購読している「歴史人」(ABCアーク)7月号の読者プレゼントで当選しました。

 実は同誌6月号で、あまりにも誤字脱字が多かったので、応募はがきにそれらをクドクドと指摘したので、恐れをなした編集部が気を遣って、私に当選させ、「口封じ」(笑)を狙ったものとみられますが、残念、こうして書かれてしまいました(爆笑)。

 「歴史人」読者プレゼントに当選したのは、これで4回目ぐらいです。凄い当選確率です(笑)。それだけ、私が、毎号、熟読して意見もどしどし述べているせいなのかもしれませんが、過去の当選者でも排除しない出版社の心意気には大変感謝したいと思っております。

 有難う御座いました。

 そして、「大河ドラマ館」も、2017年の井伊の「おんな城主 直虎」(浜松市)、2020年の明智光秀の「麒麟がくる」(岐阜市)、2021年の渋沢栄一の「青天を衝け」(東京都北区飛鳥山)と結構行っておりますので、今年の「鎌倉殿の13人」(鎌倉市)も「勉強のために、是非とも行って来い」ということになったのでしょうね。

新橋演舞場

 話は飛びますが、私のこれまで生きて来た苦難の人生の経験上、得た教訓は、「人生とは縁と運」でした。そして、それはてっきり自分だけが考えたものだと誤解していました。

 そしたら、先日、NHKラジオの「ビジネス英語」を聴いていたら、出演者のジェニー・シルバーさんが、こんな発言をしたのです。

 Life is about fate and luck, but fate will only come to you when you make the effort.

(意訳)人生とは縁と運みたいなものです。でも、縁というのは、努力して初めて恵まれるものではないでしょうか。

 えーー!? 「運」なら、西洋的な思想に思えますが、「縁」とはまさに仏教思想というか東洋的だと思っていたので、欧米人でも、縁と運の両方を重視する人がいたとは意外に思ってしまったのです。

 ま、同じ、人類として西洋人も東洋人も何も変わらない、ということなのかもしれませんが。

デンマーク製の腕時計、買っちゃいました

 ムフフフ…やはり、買ってしまいました。

 私の愛用のグランドセイコー高級腕時計が、目下、オーバーホール中であることは以前、この渓流斎ブログに書きました。そして、そのオーバーホールに1カ月半も掛かるということも書きました。その間、どうしようかと思いを巡らし、3~4年ごとのオーバーホールで毎回5万円も掛かるようでしたら、3~4年で壊れてしまっても、メンテナンスの掛からない格安腕時計を買い換えればいいのかもしれない、ということも書きました。

 具体的には、会社の同僚が買ったばかりのデンマーク製の格安腕時計です。ちょっと見ただけでは、そんな格安時計には見えず、デザインが良いので高級腕時計に見えるほど見映えが良いーといったことも書きました。

Bering fabrique en Danemark

 じゃーん、それが、この腕時計ベーリングでした。

どうっすか? そんなに安物には見えないでしょ? でも、グランドセイコーのオーバーホール代でこの腕時計が2個ぐらい買えちゃいます(笑)。

 これで、何と3年間の保証書が付いているのです。不可抗力でガラスが破損した場合、5年以内なら格安割引修理もしてくれるそうです。

 本当は、色はブルーを狙っていたのですが、店頭にはこのブラックしかありませんでした。でも、ソーラー電池ですから、電池交換は一切なし。太陽や蛍光灯にさらしておくだけで充電してくれるのです。これ以上のメンテナンスの経費が掛からないところがいいですよね。

 ありがたや、ありがたや。

銀座「ひょうたん屋」うな丼2000円

 今日から、わざとらしくこの腕時計を周囲に見せびらかして、歩くことにします。

 何か言われたら、「うーん、この時計、デンマーク製なんだけど、ソーラーなんで充電しなきゃなんないんすよお」と弁解することが出来ます(笑)。

 私は、実に単純な人間なので、この腕時計をはめると、何か、自分がデンマーク人になった気分になれます(笑)。

銀座・ドイツ料理「ローマイヤー」ポークソテー1100円

【追記】2022年7月5日

 通勤電車の中で監察したところ、腕時計をはめている人は、7人中3人と半数以下でした。若い人だけでなく、60歳代とみられる紳士までもが腕時計を付けていませんでした。夏は半袖なのですぐ分かります。恐らく、スマートフォンを腕時計代わりに使っていると思われます。

 「クールビズ」でネクタイが絶滅危惧種となったように、スマホのお蔭で、腕時計も絶滅危惧種になったということかもしれません。

 うーん、何処も同じく大変ですね。

 

 

奇跡のような音楽セッション=ジョージさんのお導きで

 昨日は、またまた奇跡のようなことが起きました。この渓流斎ブログにかなりの頻度でコメントをお寄せ頂いている小澤譲二氏(以下ジョージさん)からお誘い頂き、初対面ながら彼の友人の自宅で行われた音楽セッションを見学して来ました。

 まずあり得ませんよね?(笑)。

 いくらブログにコメントをお寄せくださる方でも、書かれていることが真実かどうか確かめようがありません。ですから、いくら招待されたからと言っても、ノコノコとついて行くのも大胆不敵、というかマヌケです。

JR高輪ゲートウェイ駅

 でも、このジョージさんは、毎回、コメントでかなり御自分のプライベートなことを微に入り細に入りご報告くださり、そのせいか、全員が簡単に読むことが出来るブログの「コメント欄」にアップするのは憚れました。それでも、大変正直そうな方に見え、大変な音楽好きなセミプロで、一時期、一世を風靡したゴダイゴのタケカワユキヒデさんとも御関係があるというので、これも何かの御縁、ということで、出向くことにしたのです。

 人生、縁と運ですからね。

 ジョージさんの御祖父は、横浜の貿易商として来日した英国人でした。小学校から高校まで横浜のインターナショナル・スクールに通い、大学はICU(国際基督教大学)です。ICUと言えば、私の小中学校時代の友人の三由君の母校でもあり、授業は英語だったと聞いたことがあります。かなりレベルの高い大学です。

 ジョージさんの自己紹介によると、小学校から大学のICUまでクラスメートだったジョニー野村さんと大学でバンドを結成し、その際、ヴォーカルに同じ大学の奈良橋陽子さんを迎えたといいます。後にジョニーさんと奈良橋さんは結婚します。この二人は、業界では知る人ぞ知る有名人で、ジョニーさんは、音楽プロデューサー、奈良橋さんは、ハリウッド映画のキャスティング・プロデューサーなどとして活躍します。

 二人は、大学時代のESSで、後に俳優になる中村雅俊さん(慶応大学)やタケカワユキヒデさん(東京外国語大学)らと知り合います。そこで、ジョニーさんは、旧友でゴールデンカップスで活躍していたミッキー吉野さんをタケカワさんに紹介して、あのゴダイゴ結成に繋がったといいます。ゴダイゴは「銀河鉄道999」や「ガンダーラ」などヒット作を連発します。

 また、奈良橋さんの方は、トム・クルーズ主演の映画「ラスト・サムライ」(2003年)のActing Producerとして渡辺謙らを抜擢して大ヒットさせます。

 奈良橋さんは現在も演出家、劇作家、作詞家などとしてご活躍されていますが、ジョニー野村さんは、昨年(2021年)、惜しくもセブ島の自宅で亡くなりました。行年75歳。

 ゴダイゴのタケカワさんは、私の大学の先輩で、しかも、私も在籍した同じ音楽クラブの先輩だったという浅からぬ御縁がありました。もっとも、大学のキャンパスでは一度もお会いしたことがなく、見るのはテレビのブラウン管を通してでした。彼は、外語大に行かずに、ICUばかり通っていたことが分かりました(笑)。

気温35度という炎天下のため、都心なのに、人影もまばら

 さて、ジョージさんとは2020年に出来たばかりで、私も生まれて初めて降りるJR高輪ゲートウェイ駅の改札で待ち合わせしました。初対面のジョージさんは意外と小柄な方だったので驚きました(とはいえ、170センチはあると思いますが)この時、ジョージさんのICUの同級生で、C&Wバンドのプロ(キーボード)になった西村さんと、横浜のインターナショナル・スクール出身でヴォーカルのメアリーさんを紹介されました。

 西村さんは以前、吉祥寺に住んでいた時、近くにゴダイゴのタケカワさんも住んでいて、あの名曲「ガンダーラ」を、ミッキー吉野さんらと一緒に作曲している途中経過の場面に遭遇していたエピソードを後で伺い、これまた吃驚しました。

 音楽セッションをやる会場は、ジョージさんの古くからの友人の営ちゃんの自宅マンションの一室でした。もう50年近く住んでいるということでしたが、地下鉄泉岳寺駅から数分ですから、かなりの高級マンションでした。営ちゃんは、立教大学出身で、学生時代にテレビの「エレキ合戦」に出演して決勝まで進んだとかいう伝説の持ち主でした。

JR高輪ゲートウェイ駅

 マンションには、もう一人、営ちゃんの立教大学の後輩で一緒にバンドをやっていたメンバーの一人で、サックス奏者の全ちゃんもいらっしゃいました。これで全員ですが、初対面の方ばかり一気に5人ですから、こんがらがってしまいました。普通の人だったら臆するところでしょうが、私は人と会うのが仕事でしたから、辛うじて大丈夫でした。

 皆さん、私より年長の70歳代でしたから、ジョージさんのギター、西村さんのキーボードのセッションでやる曲は、ポール・アンカとかフランク・シナトラとか、エディット・ピアフとか、ディーン・マーチンとか、かなり古いのです。私の青春時代の音楽は背伸びしても1960年代の洋楽ポップスですが、先輩方の青春音楽は1950年代でした(笑)。でも、名曲ばかりで、「若造」の私でよく知っている曲で、昼間からビールを飲みながら、一緒に口ずさむことができました。

 2時間ぐらいでお暇しましたが、やはり、奇跡のような出来事でした。

 ※肖像権がありますので、渓流斎ブログではあまり顔写真はありません。