高級腕時計は高級車並みに維持費が掛かる?

 ほんの少しですが、今日は動揺したことがありました。

 愛用する腕時計の電池が切れて、針が止まってしまったので、会社の昼休みに電池交換のために東京・銀座の和光に行きました。この腕時計は購入してから6年近く経ちますが、電池交換はこれで2回目です。前回、電池交換した際に、「次回は是非、オーバーホールをご用命ください。3〜4年に一度が目安ですから」と言われたので、その通りにしたところ、そのオーバーホールに掛かる金額が何と4万円以上もしたのです。修理ではなく、単なるメンテナンスでそんなに掛かるとは! そして、もし、バンドの留め金等の交換が必要になった場合、さらに1万円以上掛かるというのです。合計5万6100円。安い腕時計なら1〜2個買える値段ではありませんか!(笑)。

 しかも、オーバーホールには1カ月半も掛かるというのです。

東京・銀座の和光

  実は、私の腕時計はグランドセイコーで、国産時計の中では一、二位を争う高級腕時計と言われています。定年退職を記念して、誰も買ってくれないので自分で買ったのですが、確か、25万円ぐらい致しました。でも、高級時計ともなると、高級自動車並みに維持費がかかるとは、今回初めて知りました。

築地「鳥藤」親子丼950円 旨い

 銀座4丁目の和光とは服部時計店、つまりセイコーの本店ですが、私があまりにも裕福そうに見えたのか(笑)、お店の人から少し高く吹っ掛けられたのかなあ、と疑ってしまいました。が、会社に戻って、ネットで調べたところ、ロレックスだのパテック・フィリップだの世界の超高級腕時計クラスとなると、その基本メンテナンス代だけで、5万円とか、さらには12万円とかすることを初めて知りました。ということは、グランドセイコーのオーバーホール代も相場の値段だったということになります。

 やはり、高級腕時計って、金喰い虫だったんですねえ(笑)。

 そこで、会社の同僚が、最近買ったというちょっと見映えが良い腕時計について詳しく教えてもらうことにしました。その時計はデンマーク製でしたが、3万円程と驚くほど格安です。デザインが良いので、そんなに安い代物には全く見えません。30万円ぐらいの腕時計に見えます(笑)。しかも、ソーラー電池なので、電池交換は必要なし、とまで言うのです。

 随分、レベルの低い、せこい話ではありましたが、このデンマーク製の時計を買おうかどうか、迷ってしまいました(笑)。3年ごとに5万円のオーバーホール代が掛かる高級腕時計か、3万円の格安腕時計を3年故障なしでもたせるか、の違いのような気がしたわけさ〜(何で急に沖縄弁?)

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景」の「改定普及版」が出ました

 スマホ中毒の私でしたが、FacebookなどのSNSを控えたお蔭で、中毒から立ち直りつつあります(笑)。

 要するに、ご贔屓筋からの「いいね!」などが気になり、電車の中でも、歩いていても、寝ても醒めてもスマホをいじっている悪循環が続いていたようです。いい年をして、「餓鬼かあ~?」と叫びたくなります。

 アプリの「サウンド」も「表示」もオフにしましたので、何の通知も来なくなり、気にならなくなりました。これが本来の姿だと思えば良いのです。

銀座・イタリアン「エッセンス」Aランチ(コーヒー)1100円

 思い返せば、私が初めてパソコンを買ってインターネットを始めたのは1995年のことでした。当時は、まだダイヤル式接続で、ブラウザはネットスケープナビゲーターを使い、動画は夢のまた夢で、画像が1分ぐらいかけて出て来ると大喜びでした。メールなんかも1週間に1回チェックする程度でした。牧歌的時代でしたねえ。

 今では車内を見回すと、90%の人がスマホと睨めっこしている時代になりました。スマホ中毒から解放されると、やはり、最先端の人類があんなものに振り回されて気の毒に見えるようになりました。

 さて、昨日、拙宅に版元から本が届きました。著者は、皆様御存知の松岡將氏でした。「えっ?また新刊出されたの?」と吃驚したら、表紙は見たことがありました。2年前に出された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー 参百景」(5280円)の「改定普及版」(同時代社、2022年6月30日初版、2750円)でした。

 2年で普及版を出されるとは、よっぽど評判で版を重ねていたのでしょう。確かに、「アングルのバイオリン」ながら、著者の写真撮影技術はプロ級でした。

 2年前の底本と今回の改定普及版と何処が違うのかと言いますと、まず大きさです。底本は大型のA4判のハードカバーでしたが、普及版は持ち運びも出来るソフトカバーのA5判です。

 中身のギャラリーの絵画の写真も、底本では額縁付きが多かったのですが、今回は額縁なしの画像です。これは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーの方針変更で、作品の中で、「パブリック・ドメイン」と明示されていたら、その作品の当該画像をダウンロードして一般利用が可能になったからだといいます。(著者の「あとがき」より)

 確かに、美術作品の場合、著作権はかなり厳しいです。個人が撮影した絵画の画像でも、新聞記事や出版物に掲載する際には著作権料が発生します。特に、MやPやFはうるさいことは、昔、美術記者だった私も経験上知っています(苦笑)。

 でも、ワシントン・ナショナル・ギャラリーがこうして「方針」を変更してくれたお蔭で、掲載写真がスッキリした感じになりました。

 恐らく、私自身はこの先、ギャラリーのある米ワシントンDCに行く機会が巡って来ないと思われますので、ワシントンに行ったつもりになって、この本を読みながら脳内で館内を散策しようと思っています。

 ついでに、スマホ中毒からも脱却するとしますか。

そもそもメディアとは「恣意的」なのでは?=食べログ訴訟で考えたこと

 グルメサイト「食べログ」による評価が不当に下げられて客足が減ったとして、焼き肉チェーンがサイトを運営する「カカクコム」に6億円余りの損害賠償などを求めた訴訟の判決が6月16日に東京地裁であり、林史高裁判長は「不当な不利益を与えており、優越的地位の乱用に当たる」と認め、カカクコム側に3840万円の支払いを命じました。

 食べログの掲載店舗数は約82万店舗(4月時点)、月間利用者数はで約8800万人(3月時点)だといいます(公式サイト)。そんな絶大なる影響力を持つ食べログが、運用しているアルゴリズムが恣意的過ぎるというわけです。

 このアルゴリズムとは何なのか?ー毎日新聞が「コンピューター上の評価点の算式」と一番分かりやすく説明していますが(他紙は、「計算手順」=朝日、読売、「計算手法」=日経、産経、東京、スポニチ、報知、「評価ルール」=時事通信など)、原告側の弁護士は「食べログは不正防止を理由にアルゴリズムを開示せず、ブラックボックスになっている。透明性と公平性を重視してほしい」と指摘しています。

 でも、このアルゴリズムこそ、企業機密です。企業機密を開示する会社はないでしょう。判決が不当だという被告側も、賠償額が少ないという原告側も控訴するといいますから、今後の裁判の行方が気になります。

銀座・シュラスコレストラン「アレグリア」

 私自身があまりグルメサイトの点数を参考にしないのは、最初から「恣意的」だと分かっているからです。「有料会員ならサイトの上位に掲載する」というのは誰でも知っている周知の事実ですし、グルメサイトだけでなく、世界最大の検索エンジンGoogleだって、有料企業がサイトの上位に掲載されるように配慮していると言われています。

 買いたい本を検索すると、必ずと言っていいくらい、Amazonがトップに来るので、「これは怪しいなあ」と私なんか睨んでいます。

 食べログもメディア(媒体)だとしたら、そもそも、メディアというものは恣意的なものです。「社会の木鐸」「公正中立の公器」を標榜する新聞だって、そうです。「是非もの」と隠語を使って、自分の新聞社が主催したり、出資したりしている映画や舞台、展覧会、コンサートは優先的に多くの紙面を使って派手に報道します。監督や主演俳優のインタビュー記事も掲載します。それでいて、他社主催のイベントは、取り上げなかったり、扱いが小さかったりします。

 雑誌となると、普通の読み物と見せかけて、バーター広告記事がふんだんに盛り込まれています。最初から「広告宣伝ありき」と言っても良いかもしれません。

 これらを「恣意的」と言わずとして何と言うんでしょうか?

銀座・シュラスコレストラン「アレグリア」ビーフプレート・ランチ1000円

 グルメサイトも同じようなものです。表向きは「お客様による評価を基準にしたアルゴリズムです」と主張しても、点数は、やはり、「会費を増額した」会員店舗には「特別な計らい」で甘く付けるのが人情であり、仁義というものです。仁義というと、どうも、グルメサイトの評価に関わる会費は、店から徴収する「みかじめ料」にさえ見えてきます。ネットになったとか、デジタル社会になったから、といっても、やってることは所詮、アナログ時代と変わらない気がしています。

 最終的には、消費者がもっと賢くなって、ネット情報に左右されないことが肝心ですが、まあ、無理でしょうね。既に、日本人は、テレビよりもスマホのアクセス平均時間が今年になって初めて上回ったというではありませんか。これは、テレビより、ネット情報の影響力が強くなったということを意味しますから。

 私の経験では、どんなに美味しいと言われている飲食店でも、シェフが代わったりすると味が落ちます。その逆を言えば、行きつけの店の味が変わったら、私は「シェフが代わったんだろうなあ」と判断します。それに、味覚は主観的なものであり、人それぞれです。点数化すること自体が怪しいと思っています。

東京・銀座「赤の広場」 目下、日本一の有名店

 「点数評価」は分かりやすいということは確かです。とはいえ、今回の訴訟を見るにつけ、デジタルプラットフォーマー、と舌を噛みそうな企業が独り勝ちする世の中にますますなってきたということなのでしょう。

 嫌な世の中になったものですが、せめて、消費者には、もっと賢くなって世の中のカラクリを知ってもらいたい。「皆さん、騙されないようにしてください」と忠告するしかありません。

我々は一瞬のDNAの運搬車に過ぎないのか?=ノンフィクション作家S氏と新宿・思い出横丁で歓談

 昨晩は、久しぶりにノンフィクション作家のS氏と、新宿・思い出横丁の「五十鈴」で歓談しました。

 コロナの影響で、S氏と直にお会いするのは半年ぶりぐらいでした。今回は、かなりS氏の私的な話を伺ってしまい、プライバシーの侵害になってはいけないので、「S氏」ということで留めておきます(笑)。

 S氏は今月6月で何と、満81歳を迎えました。何処も病気らしいものはなく、矍鑠して元気そのものです。今でも、週に何本か(の締め切り)原稿を抱えているというので、これまた驚くばかりです。「何でそんなにバイタリティーがあるんですか」と毎回お会いする度にお尋ねするのですが、いつも「好奇心ですよ。人間に興味があるんですよ」と答えます。

 私なんか、最近色々あって、人間なんて大嫌いになっていたところでしたので、お話は大いに刺激を受けました。

新宿・思い出横丁「五十鈴」

 新宿は久しぶりでした。紀伊國屋書店などがある東口なら、1~2年前に新宿三丁目の呑み屋さんから歩いて来てフラフラしましたが、西口ともなると5~6年、いや7~8年ぶりぐらいです。いやあ、実に変わりました。特に地下街が変わり、どこから地上に出ていったらいいのかさっぱり分からず、迷子、いや迷い人になりそうでした。S氏が指定された彼の行きつけの焼鳥店「五十鈴」がある「思い出横丁」も、昔は「しょんべん横丁」と即物的に言ったものでした。戦後間もない闇市の面影が残っていて、昔はバラック建ての簡素な店が多かったでしたが、今は、少しあか抜けしておりました。

 思い出横丁には、630坪という狭い土地に、屋台のような間口の狭い呑み屋が60軒も連なっているので、行き慣れていないと訳が分かりません。「五十鈴」は、看板が目立たず、ギブアップしてしまいました。S氏に電話をかけ、迎えに来てもらい、(とは言ってもほんの数メートルの距離)やっと辿り着くことができました。S氏は開口一番、「この店はもう60年ぐらい通い詰めてますよ。主人は三代目かな」。へー、そんな長く!とは言っても、給仕をしてくれたのは中国人の若い女性でしたが。

 さて、乾杯して呑み始めたところ、S氏のスマホに電話がかかってきました。ノンフィクション作家の沖藤典子氏からだ、と後から教えてもらいました。さすが、顔が広いS氏でした。(沖藤氏もこんなところで名前を出されて御迷惑でしょうが)

 以前、S氏にお会いした時、主にS氏の御先祖さまのことを伺いました。大正生まれの御尊父は、陸軍大学卒のエリート軍人で南京駐在武官、明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒の海軍大佐、江戸幕末生まれの曽祖父は、六百石扶持の馬廻役の直参旗本という血筋の良さでした。

 今回は御子息のことを伺いました。長女の方は、米国の名門スタンフォード大学に留学し、そのまま米国に住んでいるようですが、「(職業は)今何をしているのか知らない」としらばっくれておりました。長男さんの方は、東工大を出て、今は、結婚した奥さんの実家である薩摩の島津系の建設会社の社長さんを任されているとか。

 御先祖さまが優秀なら、子孫も優秀だということです。リチャード・ドーキンスが言うように、我々は、生物の連環の中で、ほんの一瞬のDNAの運搬車に過ぎないのかもしれません。

 これ以外で、本当は、二人でもっと重大な密談をしたのですが、密談なので茲には書けません。悪しからず(笑)。

侮辱罪の功罪について

 侮辱罪が厳罰化され、今夏に施行されるといいます。もちろん、人様を自殺にまで追い込むほどの根拠のない誹謗中傷する人には厳罰を与えるべきです。当然です。でも、時の権力者に対する批判など言論活動までもが自粛されることが懸念されます。

 サントリーからタダでお酒をもらって、ホテルから酒類持ち込み料までタダにしてもらって、それでもって、自分に投票してくれる地元有権者を特別格安料金で、花見まで付け加えて接待する我田引水の王者を批判して、「侮辱罪です」と言われたりしたら、大変困りますよ。「公然と人の社会的評価を害した場合に適用される」ということですから、明らかに、我田引水の王者の社会的信用を貶めていることになりますから。

 だって、黒川弘務元東京高検検事長などの例があるように、検察官も裁判官も時の権力者に都合の良い人物が選ばれているのではないかという不信感が根底にあります。一体、どれくらいの国民が「国民審査」の存在を知っているのかも疑問です。

 となると、賢いブロガーは、なるべく現代人と関わりを持つことを避けるようになります。所詮、他人の不正や悪事を非難しても、一時的に痛快感を味わうかもしれませんが、ブログともなるとずっと残りますからね。これがネットの恐ろしいところです。

 それに、マスコミ情報を信じて、犯人を非難したら、後でそれが冤罪だったりすることもあり得るわけです。マスコミ情報だって、警察情報をそのまま取材して書いているだけですからね。

 遥か昔の牧歌的時代の話ですが、私もよく知っている毎日新聞のM記者が、容疑者に向かって「おまえ、やったんだろう」と言ったところ、怒りに駆られたその人から大声で怒鳴られながら、追い掛け回されたそうです。恐らく、その人は潔白だったんでしょう。M君も警察発表から容疑者だと信じて、質問しただけでしたが、「殺されるかと思った」と振り返っていました。

 新聞記者なら「当事者」と実際に会うことができますが、普通の人は新聞やテレビの二次情報に接するしかありません。M記者のように、事実かどうか確かめようもありません。

 それに、昔ならSNSなんかありませんから、お茶の間や学校のクラスでの噂話で終わっていた話でした。誰だって、人の悪口を言った覚えはあるはずです(笑)。でも、昔なら消えてなくなっていた話が文字化されると、残って、当事者の目に触れることになってしまいます。

 本人が気軽に投稿したつもりでも、責任重大になってしまうわけです。

 とはいえ、新聞記者諸君、どうか、怖れることなく、政治家や政商、高級官僚、強者に対する批判の舌鋒は、鈍ることがないよう、宜しく御願い致します。

 人間というものは、強欲と嫉妬心と名誉心の塊ですから。

千葉、大月、米子、臼杵…面白い地名の由来

  いつも渓流斎ブログを御愛読賜り、洵に有難う御座います。特にFacebookにポップアップすることは止めましたので、直接このサイトにアクセスしなければなりません。わざわざアクセスして頂きまして、本当に感謝申し上げます。

 さて、相変わらず、学者さんでもないのに本ばかり読んでいます。「本は捨てて、街に出なければ駄目ですよ」と寺山修司のような人生の先輩がおりますが、最近、どうも、映画さえ観に行く気がおきません。傲慢ですが、他人が作った妄想についていけなくなりました(笑)。

 古今東西の名作と言われる絵画、彫刻、陶磁器、青銅器、インスタレーションも見尽くしたので、美術館や博物館に行くのもどうも…と偉そうなことを言いたくなりますが、要するに、田舎の自宅からわざわざバスと電車を乗り継いで都心に出掛けるのが億劫になってきたということなのでしょう(笑)。

 今のところ、本の方が何よりも面白い、と正直に告白しておきます。

 「歴史道」(朝日新聞出版)21巻「伊能忠敬と江戸を往く」を読みましたが、この雑誌の伊能忠敬特集は飛ばし読みしてしまいました。映画とタイアップしたパブ記事(宣伝)であることが見え見えで、その宣撫活動に嫌気を指したからでした。それに、伊能忠敬なら、千葉県香取市にある伊能忠敬記念館にも行って、ちゃんと現地で取材して、関連本も読んだことがあるので、それほど驚くほどでもないと思ったからでした。

 それでも、この雑誌を買ったのは、古地図の読み方や日本全国の地名由来事典が掲載されていたからでした。

 例えば、徳川家康が1590年、小田原征伐の後に豊臣秀吉から関東(江戸)の地を与えられますが、一面湿地帯の上、何度も洪水の被害に遭う難所でした。(小石川、赤坂、牛込は沼地だった)そのため、利根川と荒川の流れを変えたり、神田山を削って、日比谷の入江などを埋め立てしたりして、大改革を成し遂げたことはよく知られています。大雑把に言いますと、利根川の大半は銚子に流れを変え、行徳の江戸湾に注ぐ川を江戸川に、荒川が勢いを弱めて江戸湾に注ぐ支流が隅田川になります。

 また、佃煮で有名になった佃島は、家康が大坂摂津の佃村から連れて来た漁師集団(森孫右衛門一族33人)がつくった村だというのは知っておりましたが、彼らは単なる漁師ではなく、軍事船の船頭だったということをこの本で知りました。要するに、三河の家康は江戸土着の人たちを信用していなかったのです。佃村の森孫右衛門は、本能寺の変の後、逸早く、堺にいた家康の逃亡の水路を確保して助けたことから、家康から絶大な信頼を得ていたというのです。

 このほか、私自身が知らなかった勉強になったことを列挙します。

・古地図で、江戸の上屋敷(大名、家族、家臣が住む)は「家紋」、中屋敷(嫡男と隠居した先代が住む)は「🔷」、下屋敷(別荘、蔵)は「●」で表示された。

・千葉県は鎌倉時代の御家人千葉常胤に由来するのではなく、下総国千葉郡に由来する。千葉は茅が生い茂る土地「茅生(ちぶ)」が転化したという説が有力。

・山梨県の大月は、「大きな欅の木」が由来。欅の古称が「槻」で、「大槻」が、寛文検地の際、駒橋から月が一層大きく見えたことから、「大月」となった。

・長野県の安曇野は、白村江の戦い(663年)で水軍を率いた安曇比羅夫(あずみのひらふ)の一族が移住したという説あり。

・名古屋市の御器所(ごきそ)は、熱田神宮に献上する土器をつくっていたことから命名された(既報)。

・兵庫県の神戸。神社に租庸調を収める農民のことを神戸(「かんべ」または「かむべ」)と呼んだことから由来するので、全国にある。兵庫の場合は生田神社。

・鳥取県の米子は、「八十八の子」の意味。この地の長者が賀茂神社に詣でて、88歳の高齢で子を授かったから。

・大分県の臼杵は、臼杵古墳に由来する。出土した石甲(せっこう=甲冑をまとった武人の石像)が、逆さにすると臼と杵の形に似ていたことから。

・愛媛県今治(いまばり)の治は、「張」「針」「墾」が転訛したもので、開墾という意味。尾張も、本来は「小墾(おはり)」だった。

アダム・スミスの「国富論」と税金のお話

 東京国税局の現役職員(24)が、国の新型コロナウイルス対策の持続化給付金を詐取していた事件には本当に吃驚、唖然としました。(約10億円も不正受給してインドネシアに逃亡した詐欺師もおりましたが)

 本来なら税を徴収し、不正を糺す側の人間が、逆に不正受給という悪に手を染めていたとは! 例えは悪いですが、警察官が泥棒を捕まえたら、実はその泥棒は現役の警視正だったようなものです。いや、警視正ではなくて、巡査でもいいのですけど。(このオチは、警察官の階級を知らなければ面白くありません)

 持続化給付金に関しては、私自身、もし申請すれば、100万円ぐらい受給できると思っています。コロナの影響で、外国人観光客が途絶え、通訳ガイドの仕事がなくなってしまったからです。私が辛うじて所属している通訳団体からも、給付金の申請の仕方の案内メールが何度も来たりしましたが、私は結局、申請しませんでした。

 嫌だったからです。原資は国民の税金ですし、受給しても後ろめたかったからです。

 そもそも、税は主権国家の根幹をなすものです。税収がなければ、予算も組めず、国家として成立できません。だから、民主主義国家なら、国民は、政治家指導による税金の使い道は厳しくチェックしなければなりません。なんて、堅い話を書いてしまいましたが、ほとんどの人は、無関心でしょうね。ただし、納税、収税に関しては敏感です(笑)。

 ビートルズのアルバム「リボルバー」(1966年)1曲目に「タックスマン」という曲が収録されています。ジョージ・ハリスン作詞作曲のヴォーカルで、ポール・マッカトニーがリードギターという珍しい組み合わせです。歌詞は皮肉たっぷりです。「もし、車を運転するなら道路に課税しよう。…もし、散歩するなら脚に税金をかけましょう。だって、俺はタックスマン(徴税人)だからさ」といった調子です。

 徴税人と言えば、すぐにイエス・キリストの十二使徒の一人、マタイのことを思い起こします。古代ローマ帝国では、取税人とか収税官とかいったらしいですが、マタイはイエスの弟子になり、「マタイの福音書」の記者だという説もあれば、別人だという説もあります。当時でも嫌がられた税金徴収者が、聖なる使徒に変身するギャップは印象的です。

 徴税は古代国家が成立して以来あることでしょう。

 ところで、いまだしつこく、私は、ほんの少しずつアダム・スミスの「国富論」(高哲男・九州大名誉教授による新訳=講談社学芸文庫)を読み続けているのですが、今読んでいる下巻の後半部分で、スミスの時代の18世紀の税金の話が出てきます。土地や建物や貿易の関税やビール、ワイン、塩、タバコなどに掛けられた税金は現在でも当然のように受け継がれていますが、この時代、部屋の暖炉や窓にも課税されていたとは驚きでした。為政者たちは、「取れるものなら何でも取ってやろう」といった魂胆が丸見えです。

 この本には書かれていませんが、この時代は絶対王政ですから、王様が絶対的な権力を持っていました。国民から徴収した税金は、何に使われたのかなあ?まさか、王様が、中国や日本から陶磁器を買ったり、奢侈品を買ったり独り占めにしたわけではないだろうなあ?と素朴な疑問を持ちながら読んでいます。

 スミスの時代の主君は、ジョージ3世(1738~1820年)です。81歳と当時としては長寿で、在位も1760~1820年の約60年という長期間です。(世界最長はフランスのルイ14世1638〜1715年の在位72年で、先日6月6日には英国のエリザベス女王がそれに次ぐ在位70周年を迎えた)

 ジョージ3世の時代は、七年戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争というまさに激動期でしたから、税金の大半は戦費に使われたのではないかと想像されます。他に街のインフラ整備にも使われたかもしれません。

 と、まあ取りとめもないことを書き連ねましたが、アダム・スミスの「国富論」は難解過ぎるので、こうして脱線しながら読まないと続けられないからでした(笑)。

 こんな難解な「国富論」を、このブログの愛読者でもある大阪の栗崎さんは、学生時代に原書(英語)で通読されたという話を聞いて吃驚してしまいました。世の中には秀才がいるんですね。

 【追記】2022年6月10日

 アダム・スミス(1723~90年、行年67歳)「国富論」上下(高哲男・九州大名誉教授新訳=講談社学芸文庫)をやっと読了できました。正直、ところどころをやっと理解できたといった感じです。

 結局、スミスが最後に言いたかったのは、「訳者解説」にあるように、植民地経営のため、軍隊を送り、返済できないほどの国債を発行して厖大な戦費を調達し、国民の富を浪費し続けてきた大英帝国の統治者=政治家を批判することにあったようです。政治家だけでなく、政治家にそのような政策を進めさせた一部の商人や、製造業者による重商主義政策もスミスの批判の対象になりました。

 アダム・スミスは、無神論者で、スコットランドのエディンバラで生涯独身を通しましたが、哲学者デイヴィビッド・ヒュームや化学者・医師ジョゼフ・ブラック、地質学者ジェイムズ・ハットンら親友との交友を楽しみました。また、毎週金曜日に開催される公演会で、ヘンデル、コレッリ、ジェミニアーニらの室内楽、協奏曲を愉しんでいたという面もあったようで、そこだけは、人間らしい近しさを感じました。モーツァルトとも同時代人ですね。

考え方のクセを治したい=無意識過剰が一番

  イデオロギー(観念形態)などという仰々しい言葉を持ち出さなくても、ヒトは、その行動を左右する根本的な思想体系を持っていると言われています。

 もっと平ったく言えば、「考え方のクセ」です。

 その考え方のクセですが、どうも私を含めてですが、日本人は悲観的に考えるクセがあるような気がしてなりません。いわゆるラテン系と言われる人たちは楽天的で、ケセラセラ(なるようになるさ)といった調子で生きている、といったように、ほとんど科学的根拠のない話ではありますが…。

 しかし、日本人の悲観的クセというのは、大火災が起きれば、紙と木で出来た家屋は灰燼に帰し(これに目を付けたのが、東京大空襲を指揮した米軍司令官カーチス・ルメイ。あろうことか、1964年、日本政府から勲一等旭日大綬章を受章)、地震や津波や洪水といった自然災害が多く、戦災や疫病の蔓延で多くの死者を出して来た過去の歴史が大いに影響したものだと思われます。

 悲観的に将来を考えていれば、イザ、実際に災難に遭った時、それは想定内の話で、それほど落ち込むことはないという長年の知恵によるものではないかと私は睨んでいます。

  何でこんなことを書いたのかと言いますと、作詞家で精神科医のきたやまおさむさんが新聞のインタビューで「人生ってそんなに面白いもんじゃない。実はみんな迷い、やるせない悲しさ、むなしさを抱える」と応えていたからです。(6月6日付朝日新聞朝刊)

 きたやまさんと言えば、元フォーク・クルセダーズのメンバーとして「帰って来たヨッパライ」「青年は荒野をめざす」など大ヒット曲に恵まれ、解散しても「あの素晴らしい愛をもう一度」などの名曲を生み、大成功。精神科医に転身され、現在、75歳にして白鸚大学長まで昇り詰められ、私なんかと違って、挫折知らずの順風満帆の人生を送られていると思っていたからです。

 世間的に「成功者」と思われている人でも、裕福でも、健康で家族にも恵まれていても、日本人は悲観的に物事を考えるクセがあるのではないか、と思った次第です。特に、今のように新型コロナのパンデミックはまだ収まらず、ウクライナ戦争で世界が多大な影響を受け、日々、物価が上昇している昨今では尚更です。

 それでも、いつまでも不安に駆られて落ち込んでばかりはいられません。そこで、私は「考え方のクセ」を思いついたのです。クセですから、何んとか考え方を変えれば治せるのではないかと思ったのです。

 「そんなにうまくいくわけがない」と思われたでしょう?(笑)。

 ま、その通りです。でも、我々は、これまで散々悩んで苦しんできたのだから、もうそろそろ楽に生きてみよう、という考え方はどうでしょう?そのために、わだかまりを持たず、何があっても気にしない。神経質にならない。過去のことはくよくよせず、気にしない。ややこしいことや人には関わらない(うまい投資話も誘惑も)。何事も拘らず、気にしない。まだ起きていない明日のことなど気にしない…。

 こんな考え方のクセに方向転換するのは如何でしょうか?

 何よりも、悩まない、苦しまない、心配しない。そして、考え込まない、のが一番良いと思います。お薦めです。目下、売り切れ続出と言われる「ヤクルト1000」を飲まなくても、夜、よく眠られるようになります。

 最近、落ち込んでいるT君、こんなアドバイスで如何でやんしょうか?江藤淳さんの言葉をお借りすれば、「無意識過剰」が一番良いですよ。

ウクライナ戦争は長期戦か?=ロシアの大義とは?

 2月24日に始まったウクライナ戦争は「長期戦」となるというのが目下、世界の専門家の一致した見解のようです。フランスの歴史学者エマニュエル・トッド氏のように、「第3次世界大戦」と呼ぶ人も現れました。

 ロシアとウクライナの二国間の戦争ではなく、武器を貸与している欧米諸国と、ロシアを支援する中国も含まれているからだといいます。

 何と言っても、侵略戦争を起こしたロシアのプーチン大統領による民間人殺戮などの戦争責任が問われることが先決ではありますが、米国際政治学者ジョン・ミアシャイマー氏のように「ウクライナ戦争を起こした責任はアメリカにある!」と主張する人もいます。同氏は、ウクライナ戦争をロシアと米国の代理戦争とみなし、米国はウクライナの被害をそれほど重視しておらず、むしろ、ロシアの大義の方が米国より上回るので、この戦争はロシアの勝利で終わると予測しています。

 ミアシャイマー氏(74)は、米空軍元将校で、現在、シカゴ大学教授ですが、敵国の肩を持つ発言と捉えられかねないのに、敢えて冷静に、現代史と国際情勢から分析した勇気のある発言だと言えるでしょう。米国も、湾岸戦争では、ロシアがウクライナでしているのと同じように、イラクの都市を徹底的に破壊し、太平洋戦争では、日本の都市を爆撃して、無辜の民間人を虐殺したというのです。(米国の元軍人が、日本への無差別爆撃のことを触れるとは驚きです。そんな人がいるとは!)

 そう言えば、ドローンによる撮影で、ウクライナの都市で破壊された建造物が毎日のように、テレビで映し出されますが、湾岸戦争では、ドローンもなく、イラクも国力がないので破壊された戦地はそれほど国際社会に公開されませんでした。

 ウクライナ戦争が始まって、アフリカ諸国からそれほどロシアに対する非難や批判が巻き起こらないのは不思議でした。よく考えてみれば、アフリカ諸国は18世紀から20世紀にかけて、特に英国、フランス、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガルなどの植民地となり、徹底的に搾取され、奴隷のように抑圧された歴史があったわけです。それなのに、ロシアは「大国」だったはずなのに、英仏等と比べるほどの植民地はありません。そのせいで、ロシアに対するアレルギーが少ないのかもしれません。

 アフリカ諸国としては、欧州列強に対して、「お前たちが過去にやったことを思い出してみろ。ロシアを非難する資格があるのか?」とでも言いたいのでしょうか。

 私は、国際法を無視して戦争犯罪をし続けるロシアを非難する側に立ちます。それでも、原因をプーチン大統領の狂気とだけ決めつけて思考停止するつもりはありません。ロシアの大義を知ったとしても、非難の度合いは変わりませんが、知ることは需要だと思っています。

 ロシア史研究の第一人者塩川伸明東大名誉教授によると、スラブ系でウクライナ正教徒の多いウクライナは一時期、カトリック教徒が多いポーランドに支配され、単一の行政区域が存在しなかったといいます。それなのに、ソ連時代に「ウクライナ共和国」が誕生したため、今のロシアの指導部には、ウクライナとはソ連が人為的に作ったという認識があるといいます。(毎日新聞6月3日付夕刊)

 つまり、ウクライナが出来たのは、ロシアのお蔭だというわけです。それなのに、NATOの東方拡大か何か知らないが、ウクライナは、西側にすり寄って、親分のロシアに歯向かとは何事だというのが、ロシアの大義なのでしょう。

 ヨーロッパの歴史は、地続きですから、戦争に明け暮れ、国境も複雑です。「21世紀にもなって、何で戦争?」と私は思いましたが、「欧州の火薬庫」とは、バルカン半島だけでなく、至る所にあるということなのでしょう。

熱田神宮の草薙神剣は本物だった?

 渓流斎ブログの「熱田神宮と「自宅高級料亭化」計画=名古屋珍道中(下)」で、「宝物館」の受付の女性と大口論寸前にまでいった話を書きました。

 熱田神宮には、「三種の神器」の一つである草薙神剣を所蔵されていると言われますが、壇ノ浦の戦いで、安徳天皇とともに海中に沈んでしまったというので、「こちらの草薙神剣は本物ですか? 本物は壇ノ浦に沈んでしまったのではないですか?」と受付の人に聞いたら、「いえ、あちらは形代(複製?)でしたから、本物の神剣は非公開ですけど、ちゃんとこちらで所蔵しております。何なら、神職を呼びますかあぁぁーー!?」と怒られた話を書きました。

 正直、私自身はあれからずっと「わだかまり」を持っていたのですが、自宅書斎で積読になっていた古い雑誌「歴史道」第20巻「古代天皇の謎と秘史」特集(朝日新聞出版、2022年3月15日発行)の稲田智宏氏の書かれた「三種の神器に隠された真実」を読むと、少し疑問が氷解しました。

 稲田氏によると、三種の神器は、第10代崇神天皇が「畏れ多い」ということで、「本体」のほかに、新たに神鏡(八咫鏡=やたのかがみ)と神剣(草薙神剣)の「分身」を作らせたといいます。三種の神器の残りの八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)はそのままです。ちなみに、初代神武天皇と「欠史八代」と言われる二代綏靖天皇から九代開花天皇までは「神話の世界」で実在性を証明するのが乏しく、10代崇神天皇こそが初代天皇だという説があります。

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 いずれにせよ、まず、八咫鏡の本体は伊勢神宮に伝わり、現在でも伊勢神宮の内宮に収められていて、壇ノ浦の戦いで沈んだのは「分身」の方で、しかも、無事に回収されて、宮中に伝わり、現在は皇居賢所にあるといいます。

 八尺瓊勾玉も壇ノ浦の戦いでいったん海中に投げ出されましたが、無事に回収されて、宮中に伝わり、現在は皇居の剣璽の間に収められているといいます。

 さて、最後は問題の?草薙神剣です。壇ノ浦の戦いで海中に沈んでしまい、回収できなかったのは、「分身」の方でした。「本体」の方は、そのまま尾張の熱田神宮に伝わり、現在も所蔵されているというのです。熱田神宮の宝物館の受付女性の主張は正しかったわけです!

 海中に沈んだ分身の剣の方は、その後、鎌倉時代に伊勢神宮が新たに「草薙剣」として再生して天皇に進上し、これが宮中に伝わり、現在、八尺瓊勾玉と同じく、皇居の剣璽の間に収められているといいます。

 とはいえ、「本体」の草薙神剣とは、そもそも、スサノオノミコトがクシイナダヒメを救うために退治した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から出てきたとされています。これが天照大御神の所有物となり、伊勢神宮に奉仕する初代斎宮・倭姫命に渡ります。倭姫命は、東国平定に向かう甥の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にこの神剣を渡し、日本武尊は、途中の駿河国で、この剣で草を薙いで火を避けることができたことから、「草薙剣」の名前の由来になったといいます。(現在、静岡市清水区に草薙の地名が残っています)

 つまり、神話の世界の話なので、科学的エビデンスを示せと言われれば、難しいかもしれません。しかし、信仰の世界なので、熱田神宮の草薙神剣は「本体」であることを信じてお参りすれば良いだけの話です。

 私は熱田神宮では「健康長寿」のお守りを買いましたから、「本体」であることを信じることにしました。何か問題でも?

【追記】

 鎌倉幕府をつくった源頼朝は尾張生まれ、と聞いて、えっ?と思ってしまいました。

 実は、頼朝の生母由良御前(源義朝の正室)は、熱田大宮司・藤原季範の娘だったので、頼朝は熱田で生まれたのでした。

 頼朝も熱田神宮と関係があったとは驚き。

 宝物館の受付女性に、もし、このことを確かめるために、「本当ですか?」と聞いたら、女性は、今度は「本当です。何なら、大宮司を呼びますかあぁぁぁー!?」と怒られそうですね(笑)。