「新説 戦乱の日本史」(SB新書)が当たった!=月刊誌「歴史人」読者プレゼントに3度目の当選

 またまた月刊誌「歴史人」(ABCアーク)の読者プレゼントに当選してしまいました。

 これで何と3度目です。この雑誌は、あまりにも面白くてためになるので、ここ1~2年、毎月購入していますが、何か申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 今回当たったのは、嬉しくも本です。「新説 戦乱の日本史」(SB新書)という本です。倉本一宏、亀田俊和、千田嘉博、 川戸貴史の各氏ら古代史から近現代史までのその筋の権威が書いているので、面白くないわけがありません。

 取り上げられている「戦乱」は、乙巳の変から関ケ原の戦い、アジア・太平洋戦争まで15件。「新説」ですから、例えば、 乙巳の変は、「蘇我氏内部の抗争も関わったクーデターだった」とするなどこれまでの常識を半ば覆すような説が展開されているようなので、今から読むのが楽しみです。

和田アキ子さんの店、築地「わだ家」

 これで終わってしまうと、あっさりしてしまうので、また銀座ランチ、いや築地ランチです。 

 昨日は、久しぶりに歌手 和田アキ子さんの店、築地「わだ家」に行って来ました。前回行った時は、それほど混んでいなかったのですが、今回は、コロナ感染者の減少のせいか、ほぼ満員で、少し待たされました。

築地「わだ家」 豚丼定食880円

 注文したのは、豚丼定食。これだけ揃って880円とは超お得。

 でも、これまで北海道の帯広で元祖の本場もんを食べて来たので、申し訳ないですが、軍配は帯広の勝ち。こちらは、ちょっとご飯が少なめで、豚が多過ぎ。別に温泉卵もいらないんですけど…。

 こんなことを書くと、アッ子さんから怒られるので、本場帯広の豚丼の味を知っている私が悪いのです、と付記しておきます。

 

デジタル監視社会で窒息しそうだ=生かさぬように殺さぬように

 実に頭が痛い話です。

 サラリーマンには、年末に保険控除や家族・配偶者手当などを申請する「年末調整」というものがあります。それは、2枚ぐらいの紙で、既に色々と書かれている用紙に自分の名前や保険の種類などを書いて、領収書を添付すればそれで終わっていたのですが、今年から急に、何と、オンラインで一(いち)から申請せよ、との通達が舞い込んできたのです。

 会社のLANの通達文書には、そのマニュアルが50ページ近く添付されていて、若い人ならスラスラできるでしょうが、「えー、こんなもん出来るかあー」と叫びたくなりました。

 でも、よく考えてみると、年間給与、つまり年収を記入したり、家族構成を記入したりするわけですから、システム会社に情報が筒抜けです。

 これには怪しい伏線がありました。これまで、社内LANなり、社内メールなり、会社のシステム局が外部と委託したりして一応自前でやっておりました。それが、今年4月から急に、社内LANもメールも、それら全体を統括するシステムを米マイクロソフトに丸投げしてしまったのです。社員に対して経緯の説明は一切ないので詳細は分かりません。ただ、「システムを切り替えかえたので、新しい、ソフトにメールアドレスを移行してください」などといった指導があっただけでした。

 その裏に隠された重要性に気付いた社員はほとんどいませんでした。

 今読んでいる本は、実に憂鬱な話ばかりです。読んでいて嫌になります。

 堤未果著「デジタル・ファシズム」(NHK出版新書)です。いわゆるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)や中国のアリババやテンセントなどネット界の巨人によって、個人情報が思う存分に吸い取られて搾取される実態が赤裸々に描かれています。心ある人なら、必ず読むべきです。

 著者の堤氏に言わせれば、彼らのビジネスモデルは、インターネットという無法地帯の仮想空間で、人間の行動を監視し、収集し、データを変換して、加工した「未来の行動予測」を商品として市場で売ることで、国家をはるかに超える巨大権力を手にしている、というものです。

 この本では、その具体例がボカスカと列挙されています。日本の例については、回を改めていつか書いてみたと思いますが、本日は、外資に食われたフィリピンの例です。同国内の電力事業は2社の国営企業が完全に独占し、利益拡大のための経費削減と、競争の欠如からくる手抜き仕事でサービスは極めて劣悪だったいいます。そこで、ドゥテルテ大統領が奮起して、民間の電力会社を参入させ、お蔭でサービスが劇的に改善します。しかし、そこには落とし穴があって、その民間企業に「国家電網公司」という中国企業の資本が入っており、そのうち、この中国企業が電力会社の株を買い占め、幹部をフィリピン人から中国人に替え、同時に扱う部品も中国製を増やしていきます。そして、気が付いたら、フィリピンの送電網を動かすサーバー設備が中国の南京市に移されていたというのです。

 となると、どうなるのか。もはや何があってもフィリピンは中国に逆らえないことになることは誰でも想像できます。(堤氏は書いていませんが、ドゥテルテ大統領の祖父は中国出身の華僑ということで、もともと中国寄りの人物と言われていますから、こうなることは予想していたのではないかと思われます)

 ◇トロント市はITガリバーを追い出す

 その全く逆に、ネットのガリバー企業を追い出した市の例も出てきます。グルメ王の辻下氏もお住まいのカナダのトロント市です。同市は2017年、グーグル系列のIT企業にデジタル都市建設を発注します。当初は「夢の未来都市」「住民目線のニーズに応えた新しいライフスタイル」といった甘い言葉に魅惑されていた市民も、次第にその「負」の部分に気付き始めます。市内中にセンサーが張り巡らされ、住民の行動を逐一、スマホから追跡し、収集した膨大なデータは「参考資料」としてグーグルの姉妹会社に送られる…ある市民が何月何日何時何分にどんなゴミを捨て、誰と会って、どこで何を食べ、飲んだか、そういった情報まで調べられていたというのです。

 これには市民たちの不満は日増しに募り、猛反発の運動が起こり、2020年5月、ついにグーグルの系列会社はトロント市からの撤退と計画中止に追い込まれたというのです。

 まさにデジタル監視社会の最たるものです。こんな社会では、窒素しそうで、生きている心地すらしません。

 そんな恐ろしい監視社会が日本でも進行中です。しかも、デジタル庁なぞは名ばかりで、米国のGAFAにほぼ丸投げ状態だというのに、優しい、政治に無頓着な日本人たちの個人情報はダダ洩れで、悪魔たちに付け入る隙ばかり与えております。

 庶民ができるささやかな抵抗は、せめて、グーグルで検索せず、Gメールは使わず、iPhoneもやめ、勿論、フェイスブックも辞め、アマゾンで買い物はしないことです。でも、禁断の蜜の味を知った日本人にそんなことできますか?

  私は、手始めにスマホの「位置情報」を切断することにしました。便利さの代償があまりにも大きいことをこの本で気付かされたからです。

凄過ぎるベルーナ

会津 裏磐梯・曽原湖

この渓流斎ブログは、4年以上前の2017年2月23日に書いた「凄過ぎる滋慶学園」という記事がどういうわけか、いまだに多くの方に読まれて、ベストセラー(笑)になっております。

 ということで、本日は、柳の下の二匹目のドジョウを狙って、タイトルを「凄過ぎるベルーナ」とすることに致します。

 ベルーナとは有名な通販の大手らしいのですが、私自身は全く知りませんでした。それが、先日、会津の裏磐梯に旅行した際に大変お世話になった北原安奈さんが働いているホテルの親会社だということを小耳にはさんで、俄然興味を持ってしまったのです。

 何で、通販がホテル経営を?

 安奈さんは、私が操觚者なので、色々と書かれてしまうと困るので、ベルーナのことについては口を閉ざし、見事「忠君愛社」ぶりを発揮していたことをベルーナの社長さんにはお伝えしておきます(笑)。でも、21世紀の今は、実に簡単に、新聞やネットなどで公開されたオープンソースで大体のことが分かってしまうんですよね。

 ベルーナとは、1968年、埼玉県上尾市に印鑑の訪問販売「友華堂」として創業したのが始まりだったのです。創業者は1944年生まれの安野清氏。同氏は、衣料品をカタログ雑誌で通信販売を始めてから、今では化粧品、日本酒、ワイン、家具等も含めた「衣食住」のネット通販、看護師人材紹介、会員向けファイナンス、不動産、ホテル事業にまで拡大し、一大グループ企業を一代で築き上げて立身出世を遂げた人物だったのです。

 大変失礼ながら、私はベルーナも安野社長のことも知りませんでしが、写真で見ると、いかにもやり手のたたき上げといった感じです。グローバル企業に成長しながら、本社をいまだに出身地である埼玉県上尾市に置いているということはよほど地元愛が強い方なのでしょう。印鑑の訪問販売から起業したということは、相当な苦労と辛酸を舐めて、ここまで這い上がって来たのではないかと想像します。

会津 裏磐梯・五色沼の弁天沼

 ホテル業は、ベルーナの子会社のグランベルホテルが運営していますが、裏磐梯のほかに、札幌、軽井沢、大阪、京都、東京の新宿、赤坂、渋谷と幅広く展開しているようです。

 過去記事の中には、2015年3月10日付の日経で、「通販大手のベルーナが国内外でホテル事業に本格参入。福島県の高級リゾートホテルを買収し、10月に新装開業する」といった記事が見られます。これが、私も泊まった「裏磐梯レイクリゾート」のことで、その前はあの有名な星野リゾートが所有していたことが書かれています。ホテル業界というのは、結構、M&A(合併・買収)が激しい業界だったんですね。

 この記事では「スリランカでは同国政府と合弁会社を設立し、高級ホテルを建設する」とありましたが、その後、どうなっているのか不明です。ベルーナの公式HPにはスリランカのホテルが出て来ないので(多分)、ペンディングになっているのかもしれません。(モルディブではホテルを開業したようです)

 いずれにせよ同HPの安野清社長のメッセージとして、「中長期の方針は『売上高3000億円、営業利益300億円を通過点に通信販売総合商社の熟成を目指す』としております。」と高らかに宣言されております。コロナ禍の痛手を受けて、この目標はまだ達成できていないようですが、いずれ実現するのではないかと思います。

 特に、安野社長は「中学卒業後、国立埼玉総合訓練所を卒業」ということですから大学は出ていないと思われます。勉強もしないで下手に大学に行ったり、学歴ロンダリングで海外留学なんかしてもしょうがないということですよ。商才や経営手腕や購買層の動向などを見抜く先見の明などは本を読んで身に着くようなものではありませんからね。

 安野社長は、23歳で印鑑販売で起業し、それからここまで大企業に育てたわけですから、お会いしたことはありませんが、松下幸之助や本田宗一郎のような立志伝中の人物ではないかと私なんか睨んでいます。特に、国税庁のように決算を監査したり、従業員の声を聞いたわけではありませんが、とてつもない方のように思われます。

 とにかく、滋慶学園も凄いですけど、ベルーナも凄過ぎます。

【追記】

 本日11月10日(水)毎日新聞(東京発行、13版)15面で、何とベルーナが全面広告(酒の通販)を打っておりました。何というコインシデンス(偶然の一致)!

会津漆塗りの盃と小鹿田焼の五寸皿

 最近、どうも「ぐい呑み」づいております。

 このブログの10月30日付「備前焼のぐい吞みをゲット=友人Y君から」に書いた通り、備前岡山出身の友人から備前焼のぐい呑みを頂いたことを書きました。

茂徳作・会津漆器盃

 今度は、先日、会津の裏磐梯に行った際、お出迎えして頂いた安奈さんから、この会津漆塗りの盃を記念に戴いてしまいました。

 ロバート・キャパにならって、写真は「ちょっとピンボケ」ですが、名工・茂徳作の高級品です。箱入りです(笑)。「ガラス工芸のうるし塗り」という説明書の最初に、「会津漆器の生産は天正18年(1590年)、時の藩主・蒲生氏郷公が基礎を築かれ、云々」と書かれております。

 出ました。蒲生氏郷ですよ。このブログの今年3月21日付「商業発展に注力した戦国武将・蒲生氏郷=近江商人や伊勢商人までも」に書いた通り、戦国時代の武将蒲生氏郷(がもう・うじさと、1556~95年)は、「日本商業の父」とも言うべき大名で、今でも連綿と続く近江商人や伊勢商人を育成し(伊藤忠、武田薬品、三井財閥、イオンなど)、会津に移封されると地元の殖産興業の一つとして、漆塗り器の生産などを奨励します。

 400年以上経っても、蒲生氏郷の遺産が残っているわけです。

小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)いい景色です

 話は代わって、このブログの10月31日付「民藝運動に対する疑念を晴らしてくれるか?=小鹿田焼が欲しくなり」に書いた通り、小鹿田焼(おんたやき、と読みます)の「飛び鉋」(とびかんな)の五寸皿を通販で購入したことを書きましたが、割と早く、昨日届きました。

どうです? 実に見事な景色じゃあーりませんか。普通のおかずにも、フルーツ盛りにも、何でも使えそうではありませんか。鉋模様は、職人さんの手彫りですから手間暇が掛かっています。二度と同じ文様の作品は作れないそうです。

会津裏磐梯で買ってきた赤べこと小鹿田焼(飛び鉋の五寸皿)

 やっぱり、渋いですね。歳を取るのもいいもんです。渋さの味わいが分かるようになるからです。

 恐らく柳宗悦の民藝を知らなければ、この小鹿田焼も知らなかったと思います。

 小鹿田焼は江戸中期の宝永2年(1705年)、今の大分県日田に福岡県の小石原焼の技法が伝わったのが始まりだと言われています。その後、衰退しかけていたのですが、大正時代に柳宗悦らの民藝運動で「再発見」され、現在でも根強いファンが多いと言われています。

 ええんでなえかえ(北海道弁)

備前焼のぐい吞みをゲット=友人Y君から

 何の風の吹き回しなのか、岡山出身の友人Y君から備前焼のぐい吞みをもらってしまいました。

 Y君は先週、高齢の親御さんの介護のために1週間近く岡山に帰郷していたのですが、そのついでに倉敷の大原美術館にあるエル・グレコの「受胎告知」を再見しに行き、またまたそのついでに商店街で備前焼専門店で見かけた「ぐい呑み」が小生に合うんじゃないか、とわざわざ買って来てくれたのです。

 焼き物は、備前に始まり、備前で終わる。

 と、彼に対して釈迦に説法のような偉そうなことを言いながら、私が銀座で高価な備前焼の湯飲み茶碗を買ったことを自慢したことを彼は覚えていたのかもしれません。もしくは、内心、彼は「備前は俺の地元だぜい」と馬鹿にしていたのかもしれません。それでもー。

 「これから寒くなるし、これで熱燗でも呑むとうまいよ」

 さりげなく、彼はプレゼントしてくれたのです。プレゼントなので、さすがに値段を聞くわけにはいきませんが、お店の「陶備堂」のホームページを見て吃驚です。かなり敷居が高く、入るのに勇気がいりそうな高級店です。何と言っても、「倉敷最古の備前焼専門店」と銘打っていますからね。

備前焼 紀文春氏 1975年備州窯入社、伝統工芸中国支部展、茶の湯造形展等入選

 また、このぐい吞みの作者の紀文春氏は、1975年に備州窯入社と略歴にありますので、この道、半世紀近い大ベテランさんです。

 「陶備堂」のHPを見ると、この店の「お抱え作家」の中に、「人間国宝」の伊勢崎淳氏がおり、彼の壺は77万円、茶碗が55万円の価格が付いておりました。

 紀文春氏の場合は、そこまでは行かないと思いますし、「箱入り」ではなかったので、それほど高価なぐい吞みではなかったかもしれません。(そうじゃなければ、気軽にお酒は呑めましぇん!)

備前焼 ぐい吞み(紀文春作)工房:岡山県和気町

 本当に、それでも、わざわざ、小生のために買って来てくれるとは…。その「心意気」だけでも感謝感激です。

 実は、Y君とは、趣味嗜好も、性格も、育ちも全く違い、どちらかと言えば、気も合わないのですが(笑)、彼と知り合ったお蔭で、これまで自分自身、若い頃は全く興味がなかった経済や金融について関心を持つことができるようになりました。彼がいなかったら、ケインズの「一般理論」やハイエクの「隷属の道」やトマ・ピケティの「21世紀の資本」などまず読むことはなかったと思います。

 その点、彼には大変感謝しています。彼のお蔭です。たとえ、趣味や気が合わなくても、いや、合わなかったからこそ、別の世界を知ることが出来たわけですから。やはり、持つべきものは有形文化財(お金)ではなく、無形文化財(友人)ですよ。

 Tu ne penses pas?

久しぶりの痛飲=S氏の御先祖様は幕臣旗本だった

 J’ai mal aux cheveux.

 上のフランス語は、直訳すると「私の髪の毛が痛い」、もしくは「私の髪の毛の調子が悪い」ですが、これで「私は二日酔いだ」という意味なんです。フランス人の思考回路はよく分かりませんね(笑)。

 ともかく、昨晩は久しぶりに居酒屋さんで痛飲したため、本日は「髪の毛が痛い」です。

銀座「竹の庵」竹の庵膳1200円

 専門家は「感染拡大の第6波は必ず来る」と警告しておりますが、ここ半月、コロナ感染者数も減っていることもあり、間隙をぬって、呑兵衛の友人と少しずつ夜の街に繰り出しています。昨晩のお相手は、今年8月に「中野学校全史」(論創社)を上梓されたノンフィクション作家の斎藤充功氏でした。履歴はオープンにされているので、書いてしまいますが、1941年、東京市小石川区生まれです。名門都立小石川高校、旧制府立五中卒業の60年安保世代です。何と、御年80歳なのですが、頗るお元気で、「私は100歳まで生きますから、大丈夫です」と豪語されておりました。

 序に、 「中野学校全史」 の著者紹介欄には「東北大学工学部中退。陸軍中野学校に関連する著者が8冊。共著を含めて50冊のノンフィクションを刊行。近著に『ルポ老人受刑者』(中央公論新社)。現在も現役で取材現場を飛び回っている。」と記されています。陸軍中野学校創設者の一人である「日本のスパイ王」秋草俊の足跡を追うために、今でもベルリンに取材旅行を計画されているというので、本当に頭が下がります。何しろ80歳ですからね。

 高齢になると、記憶力も気力も落ちるものなのですが、斎藤氏の場合、頭脳はいまだに明晰で元気溌剌です。何でかなあ…、と思いつつ、雑談していると、「何あんだ、遺伝だったのかあ」と分かりました。

 斎藤氏の大正生まれの御尊父は陸軍士官学校~陸軍大学卒の超エリート軍人(戦後は、自分の軍人恩給は、亡くなった部下の遺族に渡していたそうです)。明治生まれの祖父は、海軍兵学校卒で最終階級は海軍大佐。江戸幕末生まれの曽祖父は、何と幕臣で、しかも、六百石扶持の馬廻役の旗本だったというのです。これには吃驚です。血筋が違う。身分が違う。昔だったらお目見えできない人でした。

鎌倉「龍口寺」 本堂

 斎藤家の菩提寺は、日蓮が処刑されそうになった鎌倉の龍口寺だというのです(私も昨年9月、お参りに行きました)。墓石を新調するため、先祖伝来の宝刀を売却したそうです。斎藤氏の御尊父が中国大陸の総軍である支那派遣軍に赴任した際、長刀は紛失してしまったので、その宝刀とは残った脇差の方でしたが、それでも500万円の値が付いたそうです。やはり、旗本は違いますね。

 もっとも、御本人はノンフィクション作家として中野学校の「生き残り」の人たちを捜して熱心に取材していたというのに、自分の先祖についてはいまだに詳しく調べていないというのです。「駄目じゃん。斎藤さんは凄い人かと思ったら、御先祖様の方がもっと、もっと凄いじゃないですかあ」と、酔っ払った私は、何度も何度も80歳の老人の肩を小突いてしまいました(笑)。

銀座「魚金」おまかせ握り定食1280円

 二人で呑んだ居酒屋は、東京・赤羽でも有名な「まるます家」。少し外で待たされ、入店して色々と注文したら、「午後7時で閉店します」と言われてしまいガッカリです(その代わり朝の11時開店だそうな)。イカフライが旨かったですが、メニューも以前と比べて随分少なくなっていました。

 それでは、二軒目に行こうということになり、城山三郎の「毎日が日曜日」のモデルになったと言われるOK横丁の「八起」を目指したら、いくら探してありません。「おかしいなあ」と思いつつ、店先に立っていた呼び込みのお兄さんに聞いたら、「ここがそうでしたよ」と言うではありませんか。「魚友」という店でしたが、3年前に「八起」の経営者が代わって、店名も変わったというのです。勿論、二軒目は、この店にしましたが、諸行無常ですね。

 斎藤さんとは今後、定期的に飲み会でも開くことに致しました。御相伴されたい方は、御都合が合えば、御一緒にどうぞ(笑)。

国民の総意として祝福できなかったことが残念=「眞子さま 小室圭さん 結婚記者会見」

  昨日10月26日の「眞子さま 小室圭さん 結婚記者会見」に注目しなかった日本人はまずいなかったと思われます。

 「記者会見」と言いながらも、記者との質疑応答がなく、10分間程度のお二人の一方的な談話発表だけではよく分からなかったのですが、後で(本日)、宮内記者会、日本雑誌協会、外国報道協会からの5問の質問に対して、お二人が文書で回答されたものを読んで、お二人のご苦衷を察した次第です。

 週刊誌メディアやネット投稿などを中心とした「謂れのない誹謗中傷」によって、眞子さまは「強い恐怖心」を覚えて、複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)まで発症されたということですから、事は重大です。

 とはいえ、「国民総意」による祝福を得られたかと言えば、個人的にはそうでもなかったと感じました。眞子さまは、秋篠宮殿下の長女として生まれた内親王という皇族だったため、残念ながら、ある程度の国民的関心から逃れられない運命にありました。将来、天皇の義兄になると予測されている眞子さまのお相手についても、国民が無関心でいられないことも同じです。

 雑協の質問の中で、「すでに刑事告発されている小室さんの母親による遺族年金の不正受給の疑惑について、現在の状況を詳しくご説明ください。」とありましたが、小室圭さんの答えは「遺族年金の不正受給については、そのような事実はありません。」であり、もう一つ、「圭さんは『プリンセス・マコのフィアンセ』として、米フォーダム大学の学費全額免除の奨学金を受けるなど特別な待遇を受けたのではないかという疑念があるが、どうお考えですか」との質問には、彼は「私が皇室利用をしたという事実はありません。」と答えています。

 やはり、「でも、そう言われてもねえ…」となってしまいます。

サッカーJリーグ浦和レッズ御用達「レストラン ヒロ」の牛肉のオイル焼き920円 あと味噌汁も付きました

 何と言っても、小室圭さんの家族の金銭問題が解決していないことが国民の喉に引っかかっています。母親の元婚約者との話し合いも進展していないようですし、第三者ながら国民の一人として「こうなる前に、もっと早くどうにかならなかったものか」と思ってしまいます。

 小室圭さんの母親が元婚約者から受けた金銭的援助は、恐らく、圭さんの学費に当てられたものと想像します。そうでなければ、普通の学校と比べてかなり学費が高いインターナショナルスクールなどに通えなかったことでしょう。そういう意味でも圭さんは「解決に向けて、私が出来る限り対応したいと思います。」と答えていますが、それは宿命的に仕方ないことでしょう。

 となると、母親の元婚約者に対して一刻も早い返済に向けて努力するということが、庶民的感覚なのですが、小室圭氏の場合はそうではないようです。

 ニューヨークで生活するマンションの家賃が、嘘かまことか月額80万円と報じられていますし、ニューヨークに行くまで、滞在する都内のマンションについても、ネット上では、驚くべきことに、早くも「渋谷区神宮前」の超高級マンション〇〇〇〇だ、などと話題になっています。月額の賃貸料が、1LDKでさえも55万~66万円という代物です。

 それだけ払える余裕があるのでしたら、元婚約者への返済を少しでも回すことができなかったんでしょうか?

 様々な意見があるにせよ、日本人にとって、天皇制は核であり、バックボーンであることは否定できないでしょう。だからこそ、日本国憲法の第1章に「天皇」の項目が設けられ、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とあります。皇室維持のために国民の税金が充てられます。

 眞子さまは、皇籍を離脱され、小室眞子さんになられ、都内のマンションに住みますが、買い物等は宮内庁職員が担当し、皇宮警察の代わりに警視庁の警護がつく、などと報じられています。彼らは勿論、公務員ですから、いわば国民の税金で雇われています。臣籍降下しても元皇族という身分は永久になくなりません。

 だから、国民は言いたいことを好き勝手に言っているのでしょう。昔から「人の口に戸は立てられぬ」といいますから、飛鳥時代や平安時代ならともかく、21世紀のこれだけネットが発達した時代に、国民の口封じをすることはまず不可能です。戦前の大逆罪も不敬罪も廃止されましたし。

 勿論、あまりにも酷過ぎる誹謗中傷は、もう一市民ですから、名誉棄損で訴えることができます。

 恐らく、日本人は熱しやすく醒めやすい国民性ですから、そのうち、今の熱狂など忘れ去られるのではないか、と私なんか睨んでいます。だから、せめて、「国民の総意」としてお二人の結婚を祝福できる状況だったら良かったのになあ、と悔しい残念な思いで記者会見のニュースを見ていました。

 

人間に関心がない今の人たち

 世間では一応ある程度認知されているマスコミ業界で、私は今でも働いているのですが、最近、気になるのは、会社の特に若い人たちの人間関係の希薄さです。

 希薄といいますか、そもそも根本的に人間に対して無関心なのです。勿論、挨拶もしません。

 他人と関わりを持ちたくない、人と交わりたくない、話をするのも真っ平だ、という感じなのですが、病理学的には「コミュニケーション障害」、略して「コミュ障」というらしいですね。そういう人が増えた気がします。病気なら仕方がないですし、私の周囲に限るのかもしれませんが、そういう若い人が最近、妙に増えた気がするのです。

 ただし、昔もそういう人がいたけれど、病名が「発見」されていなかったし、本人もただ単に我慢して付き合っていただけで、症状を隠していたか、潜在的に隠れていたのかもしれません。

銀座「沖縄ちゃんぷるぅ家」半タコライス900円

 しかし、少なくとも私たちのような職場は、他人とコミュニケーションを取ることが仕事なので、他人に無関心では取材すらできず、仕事にはなりません。

 何と言っても、そもそもマスコミの仕事は、ニュースを追いかけることであり、人間に興味や関心がなければ始まりません。森羅万象に好奇心を持たない限り、企画記事は生まれてこないし、読み応えのある記事や見応え十分の番組も生まれてきません。厳しい言い方をすれば、もし、人間や社会的事件や不条理や矛盾に興味がなければ、マスコミの仕事をしなければいいのです。他にも、対人関係のない仕事が世の中にはたくさんあるはずですから。

 もしかして、本来、他人に無関心では仕事にならないはずのマスコミ業界でこれだけ無関心派が増えているということは、他の業界でも、そういった人たちが増えているのかもしれません。仕事が終わって飲みに行く、といったことを今の若い人たちは拒否するようになったと聞きますし、忘年会などは、もってのほか、と考える人も増えたといいます。

 それに、「草食系男子」とかで、実際の女性と付き合うのが面倒で、振られて傷付きたくないのか、アニメやフィギュアと時間を過ごす方が楽しいという若者も少なくないと聞きます。

銀座7丁目 世界の高級腕時計店が集まったビル

 勿論、これらは善悪の問題でもないので、個別の趣味趣向は尊重されるべきかもしれません。私自身でさえ、できればそっとしておいてほしかったり、都会人なら見て見ぬふりをしてほしいなあと思うときもありますから。

 ただ、少なくともマスコミ業界の人間なら、仕事のこともあるわけですから、もう少しプロ意識を持って、人間にも興味を持って、深堀りしてもらいたいと思うのです。

 昔のマスコミの職場、特に編集局は鉄火場みたいな所で、大声で怒鳴り合ったりすることはしょっちゅうでした。マスコミと言っても、まだまだ、昔の古い徒弟制度が残る男社会で、若い人間の意見は通らず、不条理な世界でした。しかし、今はメールでやり取りしているせいか、電話も少なく、病院の待合室のように静かです。

 逆に言うと、今は、若い人でも尊重されますし、他人に無関心でも仕事ができる温床と苗床が21世紀の今のマスコミ業界では恵まれている、と言えるのかもしれません。他人に無関心で済んでしまうのは、若い人だけに限りません。役職が付いたロートルも同じです。年長者に対する侮蔑な態度があからさまで、挨拶すらしません。まあ、その人の個人的な性格によるものであることは確かですが。

 「昔は良かった」と懐古趣味の老人のような言いぐさをするつもりはサラサラないのですが、最近、どうも、読み応えのある新聞記事や見応えあるテレビ番組が少なくなった気がします。因果関係が気になったので、本日はこんなことを書いてみました。

ジョン・レノンも「パテック・フィリップ」だったとは=銀座・高級腕時計店巡り(終)

 結局、「不評」だの、何のかんのと、自分で言っておきながら、「銀座・高級腕時計店巡り」企画は4回も続いてしまいました。この辺で、お開きということにしましょうか。

 実は、この企画、私の心配をよそに結構好評で、読んでくださる方も多かったようでした。最初は、銀座をブラブラと歩いていると、やたらと高級腕時計店ばかり目に付くので、何か、このブログで特集でもやってみようか、というのがきっかけでした。下調べもせずに始めたので、世界三大高級腕時計メーカー(Vacheron Constantin、PATEK PHILIPPE、AUDEMARS PIGUET)の存在さえ知りませんでした。御粗末ですねえ。やはり、「情報」がすべてです。

 そして、やはり、人間は「情報」に左右されます。その高級腕時計そのものよりも、そのブランドをはめている有名人が気になります。そして、さらに、その自分の好きな有名人がどんな時計をしているのか気になり、自分も全く同じ時計を身に着けたくなってしまうものです。

銀座3丁目「ウブロ」1980年、スイス・ジュネーブで創業

 五輪のメダリストもパレードする銀座のメインストリート、銀座通りには高級腕時計店があるのは前回、書いた通りです。本日は3丁目の「ウブロ」に行って来ました。いや、単に、写真を撮りに行って来ました(笑)。HUBLOTと書いて、「フブロット」ではなく、「ウブロ」と読みます。フランス語の「H」(アッシュ)と最後の「T」は発音しないことは、皆さん御存知の通りです。

  1980年、スイス・ジュネーブで創業と、他の高級腕時計メーカーと比べて歴史が浅いのに、どういうわけか、世界的に人気が高いのです。サッカーのネイマールや日本代表の長友、元大リーガーで現・楽天の田中将大投手とスポーツ選手の愛好家が多いですが、異色なのは、明石家さんまや博多華丸、アンタッチャブルのザキヤマらお笑い界でも大人気なのです。

 さらには、トヨタの豊田章男社長まで愛用しているとか。

 あまりにもメカニックなゼンマイなどが見える機種(?)もありますが、落ち着いた普通の時計もあるので、人気なのかもしれません。 

銀座3丁目「タグホイヤー」1860年、スイス・サンティミエで創業

  銀座3丁目にある「タグホイヤー」は、1860年、スイス・サンティミエで創業。私でさえ、名前を知っていました(笑)。

 米元大統領のバラク・オバマさんもこの時計の愛用者だったんですね。話は少し飛びますが、米国で最も人気が高い大統領だった若きケネディは、「ファッション・アイコン」でした。彼が愛用したスーツは「ブルックス・ブラザーズ」、スニーカーは「ニューバランス」だったとか言うので、誰かさんも真似して買ったりしています(笑)。肝心のケネディが愛用した腕時計は、この後、御紹介します。

 タグホイヤーは、ハリウッド・スター御用達といった感じです。ブラッド・ピット、キャメロン・ディアスらが愛用しています。コマーシャルだけなのか、その辺りは不明ですが。

銀座2丁目「カルティエ」1847年、パリで創業

 最後は、銀座2丁目にある「カルティエ」です。1847年、パリで創業した時計店というより宝飾店です。 何故、カルティエかといいますと、1919年に発売された長方形の「タンク」(第一次世界大戦時の戦車のキャタピラーがモチーフだとか)がセレブの間で大流行したからです。

 先ほどのケネディ米大統領が、ジャクリーヌ夫人とともに愛用したのが、このカルティエ「タンク」でした。この他、アンディ・ウォホールやアラン・ドロン、カトリーヌ・ドヌーブ、イブ・モンタン、モハメド・アリらも愛用していたといいます。

 そうそう、忘れるところでした。私の大ファンであるジョン・レノンはどんな時計をはめていたのか?ーうーむ、今は簡単に調べられますね。やはり、そうでしたか。「Patek Philippe Chronograph」でした。

 「永久カレンダー」付きの時計で、何と、私が以前から一番欲しいと思っていたほぼ同じ腕時計でした! でも、1000万円近くはします(笑)。当たり前の話ながら、ジョン・レノン氏は超お金持ちだったんですね。(ちなみに、ポール・マッカートニーもエリック・クラプトンも違うタイプのパテック・フィリップを愛用しております)

 お後がよろしいようで。

【追記】

 ジョン・レノンのパテック・フィリップは、1000万円どころか、2500万円以上はするタイプかもしれません。ジョンと安田財閥出身の小野洋子さんの名誉のために訂正しておきます。

 また、パテック・フィリップは数千万円どころか、1億円以上のものもザラにありました!高級マンションが買えるでねえか。世の中、どうなっちまってるんだぁ。

 もう一つ、ケネディ米大統領が愛用した「タンク」は、夫人のジャクリーンから1957年に結婚4周年を記念して贈られたもの。63年に暗殺された時もその時計を着用していたともいわれています。

天皇陛下も御愛用された時計=銀座・高級腕時計店巡り

 あまり好評ではなかった「銀座 高級腕時計店巡り」企画でしたが、その理由が分かりました。私自身、「世界の三大高級腕時計メーカー」なるものを知らなかったからです(苦笑)。

 それは、古い順に、Vacheron Constantin(1755年)、PATEK PHILIPPE(1839年)、AUDEMARS PIGUET(1875年)でした。

 勿論、銀座ですから、高級腕時計と言われるブランドは、ほぼ全て揃っています。あまりにも沢山時計店があるので、私自身の知識が追い付かなかったのです(笑)。

銀座7丁目 銀座通り「ヴァシュロン・コンスタンタン」創業1755年

 まず、 Vacheron Constantin 。以前は「バチェロン・コンスタンチン」と呼ばれていたそうですが、今は、ちゃんとフランス語読みで「ヴァシュロン・コンスタンタン」です。1755年、ジャン・M・ヴァシュロンによって、フランス語圏のスイス・ジュネーブで創業され、「世界最古」と豪語しています。

 銀座の専門店は、銀座のメーンストリートである銀座通りの7丁目にあり、私も、しょっちゅう、この店の前を通っておりましたが、何しろ、「知識」がなかったもので、全く気が付きませんでした(笑)。よく見たら、「Genève, depuis 1755」と堂々と書かれています。

 1755年(宝暦5年)は、九代将軍徳川家重の時代。この年の11月1日、ポルトガルでリスボン大地震(M8.5~9.0、5万5000人~6万2000人が死亡)がありました。

白鶴 創業1743年

 でも、御安心を。日本には1755年より古い1743年創業の「白鶴」があるじゃないか!あ、ちょっと、ジャンルが違いましたね(笑)。

銀座7丁目「日新堂」(1892年創業)パテック・フィリップ(1839年創業)正規販売店

 次は PATEK PHILIPPE 。「パテック・フィリップ」の読みは昔から変わらず。日本には専門店はないようで、銀座では十数軒ぐらい、「正規販売店」があるようです。上の老舗時計販売店「日新堂」は銀座で1892年に創業されているので、日本でも早いうちから PATEK PHILIPPE の正規販売店になったと思われます。何しろ、明治天皇をはじめ、代々の天皇陛下が御愛用されているといいますからね。

 パテック・フィリップは1839年、ポーランドの亡命貴族アントニ・パテックと時計師フランチシェック・チャペックによって、ジュネーブで創業。この後、時計師はフランス人のジャン・アドリアン・フィリップに代わり、1851年に正式に「パテック・フィリップ」社となります。

 まさに、高級腕時計の代名詞で、安くても500万円ぐらい。1000万円、2000万円は当たり前です。何しろ、文豪トルストイも、楽聖ワーグナーもチャイコフスキーもこの時計を愛用していたと言われますから…。まあ、君も僕も、庶民としては「話のタネ」として楽しむことです。もしくは、これから奮起して、一人50億円で宇宙旅行する前澤友作さんのように大金持ちになりますか?

銀座6丁目 外堀通り「オーデマ・ピゲ」1875年創業

 最後は、 AUDEMARS PIGUET。アウデマース・ピグエットではありません。これを「オーデマ・ピゲ」と読める日本人は、フランス語をかじった人ぐらいでしょう。私もフランス語をかじったので読めますが、 AUDEMARS は、「オーデマ」より「オードゥマール」と表記した方がいい気がしますが、余計なお世話ですね。1875年、ジュール・L・オーデマとエドゥアール・A・ピゲ によって、スイスのLe Brassus ル・ブラッスュ村で創業されました。

 こちらも、世界三大高級腕時計メーカーですから、「売れ筋」は500万円ぐらいです。懐に余裕のある方はどうぞ。

おまけは、銀座6丁目のみゆき通りにあるスイスの「ブライトリング」。1884年創業

 まあ、コロナ禍で職を失って、食べる物さえ困った人たちが、都内の公園で配られる「無料お弁当」に列をなして並んでいる御時世です。先日も新聞に記事が出ていたのですが、池袋の公園では20分で400食分がなくなったといいます。これは、「2008年のリーマン・ショック以来だ」と書かれていました。

 ですから、こんな「銀座 高級腕時計店巡り」という企画自体が、今のご時世では不謹慎だったのかもしれません。

 しかしながら、500万円の腕時計を販売する店がこれだけ銀座に乱立していてもつぶれないということは、それだけ顧客さんがいるということです。つまり、世の中には、500万円の腕時計を買う人がいれば、貯金もなく、公園で無料お弁当配布に並ぶ人もいる。それだけ、貧富の格差が拡大している証左がここにあると言いたい、とブログには書いておきます。