ワクチンで85人が死亡?=何を信じていいのやら…

Mt Fuji Copyright par Duc de Matsuoqua

 不可解なる孝之進の変節の背後に毬ありき。友情より毬を取りし孝之進の行為は人倫に悖り両者諸共別次に堕ちなんと覚ゆ。今生どころか来世でもゆめ相まみえまじ。

Copyright par keiryusai

 相変わらず、毎日、ワクチン報道のオンパレードです。東京と大阪で大規模接種会場が特設されて、テレビや新聞は「やっと打てて、これで一安心です」といった声ばかり拾ってます。まるで、「バスに乗り遅れるな!」といった感じで煽っています。でも、本当に安心なのでしょうかー?

 というのも、「医療従事者」ということで私の娘が一昨日ワクチン接種したところ、発熱し、自宅の階段も昇れないほどフラフラで、昨日は仕事を休んだという話を聞いたからです。

 そこで、本日発売の「週刊現代」の「日本人ワクチン死85人『自分は打たない』と決めた医師たちの意見」という記事を読んでみました。いきなり、鹿児島県のひらやまのクリニックの森田洋之院長が「私はワクチンを打たない」と宣言しています。

  厚生労働省は26日に開いた専門家部会で、3月の接種開始から5月21日までの約3カ月間で、ファイザーのワクチンの接種を受けた601万6200人余のうち25歳から102歳の男女85人の死亡を確認したことが報告されたというのです。ただし、政府は、ワクチンと死亡との因果関係が認めていません。

 週刊現代では、69歳の妻を亡くした夫が「基礎疾患もなくあんな元気だったのに…。死因はワクチン以外考えられない」と悲痛なコメントを寄せています。

躑躅 Copyright par keiryusai

 同誌によると、インフルエンザワクチンによる一般人の死亡例は100万回に0.08人ですが、新型コロナワクチンの場合は、100万回に9.9人(5月21日時点)もいるというのです。

 「接種後に亡くなった人を解剖していない。だから、因果関係が分からない」と言う医師もいるので、上に挙げた数字の信憑性まで分かりません。が、普通、ワクチン開発には10年、20年単位の治験が必要だという話を聞いたことがあります。今回のコロナはわずか1年です。やはり「大丈夫なのかなあ」という疑念は払しょくできません。

 かなりの接種が進んでいる米国や欧州での死亡例がほとんど報道されていないことも疑念に拍車が掛かります。米国では「ワクチン接種した人に100万ドル(1億1000万円)が当たるクジをプレゼント」などという州(オハイオ州など)もありましたが、何か、怪しいなあ~。

「明治維新」は必ずしも「正義」ではない?

 昨日は是非とも書きたいことがあったのですが、「自己検閲」で書くのはやめにすることにしました。どうやら、この渓流斎ブログを毎日、熱心にチェックされている方がいらっしゃるようで、もし何かあれば、その方は「殿に御注進」を図るらしいのです。もし書いたら、完璧に人間関係が崩壊するので、やめた方がいいですね。こちらには全く落ち度がないので、冒険してもいいのですが、やはり、大人げないのでやめました(笑)。

◇渋沢栄一は幕末の志士

 さて、今、NHKの大河ドラマは、渋沢栄一が主人公の「青天を衝け」をやってます。渋沢と言えば、「近代日本資本主義の父」と言われ、500もの会社を起業した実業家として名を残しましたが、もともとは幕末の動乱期を生き抜いた志士だったことがドラマでは描かれています。

 何しろ、運命の巡り合わせで、今の埼玉県深谷市の豪農の生まれながら、最後の将軍徳川慶喜の幕臣として取り立てられるんですからね。その関係で、西郷隆盛にも、新撰組の土方歳三にも幅広く直接会っているのですから、まさに「歴史の証人」です。(栄一と一緒に行動した渋沢喜作こと栄一郎は、後に彰義隊の頭取になります)

 NHKの大河ドラマは、(大袈裟ですが)、やはり日本を動かします(笑)。便乗商法で、民放の番組や雑誌で渋沢栄一が取り上げられたり、観光資源(深谷市、東京都北区飛鳥山など)になったりするからです。

 この週刊朝日MOOK「歴史道」Vol.15もその便乗商法の一つかもしれませんが(笑)、「明治維新と戊辰戦争の真実」を特集しています。第1部「1年5カ月におよぶ激闘の軌跡をすべて追う!戊辰戦争 全史」、第2部「『文明開化』&『富国強兵』を目指した新政府の改革の軌跡を追う!明治維新と近代日本の幕開け」といった内容で、時間を掛けて通読しましたが、正直、あまり、スッと頭に入って来ませんでしたね。

 執筆者が複数いるので、重複する箇所もあり、内容が整理されて頭に入って来なかったのです。勿論、こちらの頭の悪さのせいでしょう。でも、表や図版や写真等が多く採用されているので、幕末通史としては大変参考になりました。

 それにしても、歴史の「解釈」は、日進月歩で変わっていくものです。例えば、巻頭の「明治維新が後世に遺した『功』と『罪』を読み解く」で一坂太郎氏は明治維新について、こんなことを書いております。

 先年、政府は「明治百五十年」をイベント化して盛り上げようとしたが、民間ではアンチ本が多数出版された。国が押し付ける「明治維新」は、必ずしも「正義」ではないとの思いが、多くの国民の胸底にあるのだろう。

 その通りですね。明治150年は2018年でしたが、「え、そうだったの?」と言う国民の方が多いと思われます。私が子どもだった1968年は「明治百年」の記念式典が政府主催で日本武道館で開催されましたが、それはそれは大盛り上がりだったことを覚えています。えらい違いです。

躑躅 Copyright par Keiryusai

 上で一坂太郎氏が書かれた「アンチ本」というのは、私もこの渓流斎ブログで取り上げた武田鏡村著「歴史の偽装を暴き、真実を取り戻す 薩長史観の正体」(東洋経済新報社)もその一つかもしれません。このブログを長年愛読されている方にはバレてますが、私は、圧倒的に会津派であり、幕臣派です(笑)。明治維新は「維新」などではなく、薩長土肥による暴力革命であり、薩長対徳川の内戦であるという見方でいいと思います。

 関ケ原の戦いで勝利を収めた徳川家康がつくった幕藩体制と幕末を比較するととても面白いですね。家康が最も警戒した毛利(長州)と島津(薩摩)に、結局やられてしまうんですからね。最後まで徳川方として戦った会津藩は保科正之(家康の孫)以来の伝統で、桑名藩は、徳川四天王の一人・本多忠勝の立藩ということで分かりやすいのですが、家康が警戒していた伊達政宗の仙台藩が奥州越列藩同盟の雄となってしまったのは、歴史の皮肉か?

 何と言っても、鳥羽伏見の戦いで、徳川慶喜が「敵前逃亡」で大坂城から江戸に逃げ帰ったことで勝敗は決まったようなものでした。革命軍は、「錦の御旗」を掲げたお蔭で、官軍となり、あれだけ家康から恩顧を受けた藤堂高虎の流れを汲む津藩までもが寝返って、徳川を裏切ってしまうのですからね。歴史は、勝ち馬に乗りたがる「日和見主義」によってつくられる、と私なんか確信してしまいました。

◇暗殺が多い幕末から明治

 明治になって新政府が出来ますが、権力闘争そのものです。征韓論を巡る明治6年の政変、不平武士による反革命武力闘争の大団円となった明治10年の西南戦争、そして明治14年の政変で薩長土肥の土佐と肥前が脱落し(自由民権運動に走り)、陸軍は長州、海軍は薩摩という棲み分けで「軍事政権」が確立し、それが昭和の敗戦まで続く、というのが私の大雑把な見方です。

 それにしても、幕末から明治にかけて、坂本龍馬、中岡慎太郎、佐久間象山、横井小楠、大村益次郎、そして渋沢栄一を幕臣に取り立てた平岡円四郎、大久保利通…と暗殺が多過ぎます。

テレビの時代は終わった?

「築地の貝」定食 1300円 築地に貝専門の食堂があるとは知りませんでした。「鴨亭」の斜め向かいに発見。

※※※※※

 先日、通勤電車の中でざっと見渡したら、本を読んでいる人が一人もいなかった。私だけだった、といったことを書きましたが、忘れていました。本だけでなく、新聞も週刊誌も雑誌類も読んでいる人はいませんでした。新聞、週刊誌を読んでいる人は、月に2~3回見る程度です。

 そう言えば、通勤電車内で、多分、昨年辺りから週刊誌の「吊り広告」が消えてなくなりましたね。あれは、楽しみだったんですけどねえ。週刊現代と週刊ポストはもっと前からなくなっていましたが、昨年か今年初めぐらいまでは、週刊新潮と週刊文春は頑張っていたんですけどね。

 大抵の通勤客は、スマホを見ています。7割か8割近くはスマホです。ゲームやSNSが多いんでしょうが、中には新聞や週刊誌のニュースをチェックしているかもしれません。若い人たちは、紙媒体から電子媒体に変わったということなんでしょう。

 でも、変化があったのは、紙媒体だけではありませんでした!昨日、報道された「若者のテレビ離れ」には本当に衝撃的で吃驚しました。NHK放送文化研究所が5年に1回実施する「国民生活時間調査」で、平日の1日にテレビを見る人の割合は5年前の85%から79%に減り、特に16~19歳では5年前に71%だったのが、わずか47%と大幅に減少したというのです。

 テレビを見る10代が半分以下というのは、これはテレビ業界の関係者にとっては危機的状況ですよ。将来を担う10代が47%では、もう「テレビの時代は終わった」という事実を見せつけられたということになります。(同時に、広告媒体の王様が、テレビからインターネットに取って代わったことを意味します)

 思えば、日本でテレビ放送が開始されたのは1953年のことです。我が家にテレビ受信機が導入されたのは、その10年後の1963年でしたが、2021年にテレビ時代が終わったとなると、わずか68年で終焉を迎えたことになります。

 勿論、若者はスマホのネットで、テレビのコンテンツを見ているのかもしれません。でも、プロではなく素人がつくったYouTubeや、テレビ制作者ではないセミプロがつくった動画サイトを見ている若者も多いのかもしれません。

 いやはや、時代は変わるものです。

 ところで、皆様におかれましては、毎日、《渓流斎日乗》を御愛読して頂き、洵に有難う御座います。2005年3月15日から、gooブログのネットで細々と開始し、2017年9月15日頃から、松長哲聖氏の御尽力で自分自身のサイトを独立して立ち上げました。

 独立して今年で4年になりますが、50万ページビューになろうとしています。全く世間的には無名の凡夫の個人サイトがこれほどまで読まれるとは奇跡に近いのではないでしょうか。これも全て、毎日のように、嫌々ながら(笑)チェックして頂いておられる皆様のお蔭と熟知しております。

 「世界最小の双方向性メディア」を自称しているため、最近では、コメントも屡々、送って下さるようになり、恐悦至極に存じます。書き続ける張り合いになりまする。

 改めて御礼申し上げる次第で御座います。

無名の庶民こそが歴史をつくる

川崎市 生田緑地ばら苑 Copyright par Syakusyoudou rousi 悔悛した釈悪道老師が送ってくれました

(昨日の続き)

築地「魚河岸三代目 千秋」の本日のおすすめ丼と日替わり小鉢2種 1200円 東京で、いや日本で一番美味しい海鮮丼だと思ってます。やっと写真撮っちゃいました Copyright par Keiryusai

 昨日は、「裏を取る」お話で、以前自分の書いたブログの記事のセカンドオピニオンを聴く話を書きましたが、もう一つありました。いや、間違い。ブログに書かなかったかもしれません(笑)。

 松岡圭祐著「小説家になって億を稼ごう 」(新潮新書)という本が今、異様に売れているということで、またまた、出版関係の友人にどう思うか聞いてみたのです。

 この本は、帯に書かれた宣伝文句「年収億超えの人気作家が本気で伝える禁断のハウツー 前代未聞! 業界震撼!」という惹句を読むだけで、その内容が分かるかと思います(笑)。版元は新潮新書ですかぁ…。ここの編集部に勤める、テレビにも出演したことがある編集者のY君が、ウハウハと大喜びしている姿が思い浮かびます。

 当事者のY君に話を聞いてもバイアスがかかっているので(失礼!)、第三者の友人に聞いてみました。そしたら、「まあ、中には1億円稼ぐ作家さんも本当にいるけど、それは宝くじに当たるより確率低いと思いますよ」と言うではありませんか。

 そう言えば、思い出した逸話があります。馬券や株で1億円当てるよりも、「万馬券狙いで1億円を稼ぐ方法」とか「昼寝しながら株式投資で1億円」といった本を書いた方が遥かに儲かる、といった「真実」です。

 友人が言う「宝くじの当たる確率」についても考えてみました。億単位で当選する宝くじは、2000万本に1本と言われています。となると、宝くじ1枚300円として、2000万枚買うと60億円。それで、必ず3億円か5億円か10億円当たったとしても、やっぱ割に合わないなあ(笑)。

 それでも、宝くじに当たる人はいますけど、その宝くじに当たるより、作家として1億円稼ぐ方が難しいとなると、ブログでも書いていた方が、全く経済的メリットはありませんが、精神的には楽かもしれません(爆笑)。

Copyright par Keiryusai

 さて、私は毎日、平日は都心に出勤してますが、コロナ禍と雨模様で心はスッキリしません。これは多くの国民の皆様も同じことだと思います。

 でも、今朝は、ほんの少しだけ心が解放された気分になりました。私自身は、もう若いとは言えない年齢になりましたが、バスの中で、目の前の席が空きましたが、2~3人向こうにいた私より年長と思われる方を呼んで、座ってもらったのです。

 すると、これ以上ないくらい丁重な御礼を小声で言われて、大袈裟ですが、私自身も何か、他人様のお役に立てることがやっと出来て嬉しくなったのです。他の座席には私より若い人がふんぞり返って座っていて、「誰かあの杖を持って立っているご老人に譲ってあげればいいのに」と思っていましたから、尚更嬉しかったのです。

Copyright par Keiryusai

 こんな小さなことですが、人のために役立つことが出来ることは人類として最高の幸せではないかと思うようになりました。金銭的に余裕がなくても、困った人がいれば、声を掛けるだけでも、その人は話すだけで救わるかもしれません。勿論、余計なお節介は慎むべきで、その匙加減が難しいのですが…。

 私のようにブログに書いてしまう菲才凡夫は、全く御参考になりませんが、世の中には人知れず、陰徳を積まれる方が沢山いらしゃいます。それは有名人ではなく、そして裕福でもないのに匿名で寄付されたりする方もいらっしゃって、そういうニュースを聞く度に、心が温まります。

 鎌倉武士は「名こそ惜しけれ」といって自分の名声を気にして、歴史家たちは名前が残った有名人だけを相手にして、「これが歴史だよ」と無知蒙昧な凡夫たちを教化しています。

 でも、「名前が残っていない無名の庶民こそが歴史を築いてきたのではないか」と私は最近、強く思うようになりました。

 それより、テレビや雑誌で露出する歴史学者さんの自信満々の顔は見たくないなあ。学業論文だけで十分です(あくまでも個人の感想です)。

「裏を取る」ということ

築地「鴨亭」 Copyright par Keiryusai

 新聞記者は、記事の正確さを徹底させるため、セカンドオピニオンを取ったりします。業界用語で「裏を取る」と言ったりします。

 でも、逆に、裏を取らないで、そのままスキャンダラスな見出しと記事で部数を伸ばす新聞もありますが(笑)。

 ブログは、色んな種類がありますけど、まあ、大半は個人の感想、もしくは意見の表明といったところでしょう。この《渓流斎日乗》もその範疇に入ることでしょう。

 でも、一応、このブログは「世界最小の双方向性メディア」と自称している関係で、事実が間違っていた場合など、御指摘があれば、即、訂正したり、表現を変えたりしております。まあ、取るに足らない個人の感想なので、多くの皆様には大目に見て頂いておりますが(笑)。

築地「鴨亭」鴨せいろランチ 1100円 友人に紹介されて行きましたが、結構リーズナブルで美味しかった Copyright par Keiryusai

 とはいえ、個人的に気になることは、後で、周囲に裏を取ったりします。例えば、5月18日に書いた「初めてのタコス」の記事。生まれて初めて本格的なタコスなるものを食したのですですが、「まあ、こんなもんか」といった程度の感想でした。そのことを米国人の友人に話したら、「ハハハハー、その店は、アメリカでは何処にでもあるチェーン店で、マクドナルドみたいなもんですよ」と言うではありませんか。

 そして、丁寧にも、「東京にはもっと良い店が昨年から出店しましたよ。虎ノ門にあるTWという店です。ここなら本格的ですし、美味しいし、お薦めですよ」と教えてくれたのです。

 なるほど。裏は取ってみるものですね。

Copyright par Keiryusai

 もう一つありました。5月17日に書いた「翻訳家なんかになるもんじゃない?」という記事です。あるプロの翻訳家が、印税が6%の契約を4%にダウンさせられたり、突然、出版中止を宣告されたりして、ついに裁判沙汰などで精神的に追い詰められて、燃え尽き症候群となり、翻訳業を廃業する話でした。作家の印税は10%だということは知っていましたが、翻訳家になると、最高でも8%ぐらいだという話を知り、私自身も「翻訳家にならなくてよかった」と末尾に書いたほどでした。

 そこで、また、裏を取るために、出版関係の友人に現状を聞いてみました。すると、「印税8%なんて、よっぽど有名な翻訳家だけだよ。今は4%だったら、妥当な数字だよ」と言うではありませんか。これもまた「へー」です。「出版社はかなりのリスクを取っているわけ。売れなきゃ、全部、持ち出しだからね。今の出版不況じゃ、仕方ないんじゃないかなあ」と彼は説明してくれました。

 そうですね。今朝も、通勤電車の中で、本を読んでいる人は、軽く車内を見渡したところ、私だけでした。たった一人でした。

 となると、私は出版業界に寄与しているわけですから、このブログに書く独断と偏見に満ちた書評でも、大目に見てもらいたいものです(笑)。

Copyright par Keiryusai

 話は変わり、何度も書きますが、このブログは「世界最小の双方向性メディア」を自負しておりますから、皆さまのコメント大歓迎なんですが、中には最初から粗探しをする目的ありきで、小さなミスを発見することを至上の喜びとする方もいらっしゃるので、参ります。

 例えば、上の写真もそうです。最近、花の名前が瞬時に分かる、千葉工業大学が開発したAIアプリ「ハナノナ」の写真を掲載することが多くなってきたのですが、粗探しさんは「渓流斎ブログは、ハナノナを使い過ぎてますなあ。素材から調理しないで、スーパーで惣菜を調達して来て食卓に並べるのと変わりませんぞ。取材は足で稼ぐもの。被害者の写真入手がどんなに大変かは、ご存じですよね?」と説教するのです。

 あのねえ。花の写真を撮るのに、しっかり足で稼いで撮っているわけで、矛盾してませんか?どっかの図鑑か、本の写真をそのまま写したのなら、「スーパーからの惣菜調達」になるかもしれませんけど、あたしは、しっかり、現場に行ってまっせ、釈悪道老師。

 あ、ほんの少し、胸のつかえがおりました(笑)。

 

ワクチン狂詩曲=「分からなくたっていいじゃないか。人間だもん」

東銀座「創作和食 圭」ランチ 1500円

ワクチン、ワクチン、ワクチン…

今、ワクチンの問題で、話題騒然です(変な日本語)。まだ、医療従事者の接種が70数%とか、全員に行き渡っていないというのに、高齢者接種が開始され、予約の電話がつながらないだの、システムがダウンしただの、ワイワイガヤガヤです。テレビが煽って、騒ぎ過ぎです。

 高齢者接種だというのに、比較的若い自治体の首長さんが、「余って廃棄するのがもったいない」と見え透いた理屈を付けて、優先的に接種したり、薬局チェーン店の創業者一族が、優先的に接種するよう自治体に圧力をかけたり、今朝の朝刊には、関東のある県のまだ若い市長さんが、自分だけでなく、奥さんと、自分のお抱え運転手さんにまで接種したという記事がありました。全く悪びれた様子もないそうなので、自分は特別な存在だと思っていることが分かります。

 でも、本人たちは恥ずかしいと思わないんでしょうかねえ? こっちだって、彼らの名前や地名を出すことさえ恥ずかしいと思っているというのに…。

 日本人らしいと言えば、日本人らしい。こういう時、殊更、日本人の美点を誉めそやす右翼の皆さんには頑張って非難してもらいたいものです。

 東京・池袋で母子2人を死亡させる事故を起こしながら、寛大な措置と待遇を得ている「上級国民」という、あの嫌あな言葉を思い起こさせました。

 私の周囲の友人知人には、厚生労働省が規定する高齢者の方が多いので、ワクチンに関しては色んな情報が入ってきます。

 既に1回目を接種した方、予約が出来て、これから受けるのを心待ちにしている方、「慌てず、騒がず、問題ないことが分かってから受ける」方などさまざまです。中には、「5月14日現在、ワクチン接種で死亡した医療従事者が39人いる」という理由で、病院の入り口に「当院では新型コロナワクチンを接種した外来患者の診察および院内への立ち入りを当分の間お断りさせて頂きます」といった張り紙をする医療機関(場所不明)まであることをSNSで知らせてくれた友人もおりました。

 何だかよく分からない。「芸術は爆発だ」と岡本太郎さんのように叫びたくなります。

 ついでながら、「分からなくたっていいじゃないか。人間だもん」と、相田みつをさんを真似して呟きたくなりました。

 赤坂さんから、いつも「長い」と批判されているので、本日はこの辺で(笑)。

翻訳家なんかになるもんじゃない?

 一昨日まで、江戸時代の仙台藩士のことを書いていたかと思えば、昨日は、フランスのマルセル・プルートの話となり、関連性もまとまりもなく、読者の皆様もこのブログに付いていくのが大変だと拝察申し上げます。

 私自身は、毎月30冊読破していた若い頃の仕事の延長線みたいな感じでブログを書き続けていますが、さすがに御老体となり、日常生活にも差し触り、「誰か止めてくれ~」と叫びたくなるほどです(笑)。

 とは言いながら、またまた、ずばぬけて面白い本を読んでしまったので、このブログで御紹介せざるを得ません。宮崎伸治著「出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記」(フォレスト出版、2020年12月1日初版)です。内容は、タイトルになっているそのものズバリです。出版業界の、特に翻訳家の皆さんが、これほどまでに「天国」と「地獄」を味わうものなのか、全く知らず、まさに手に汗を握る推理小説(実際は過酷なドキュメントなんですが)を読んでいる感じで、一気に読んでしまいました。

 著者の宮崎氏は、本の略歴等を引用させて頂きますと、1963年広島県生まれ。青学大卒後、英シェフィールド大学大学院で修士号を取得し、大学職員、英会話講師を経て、翻訳家になった人です。30代の10年間で50冊もの翻訳書を出版するものの、出版社と裁判訴訟になるほど数々のトラブルに見舞われます。最後は裁判で勝訴しますが、精神的トラウマや燃え尽き症候群などで2012年に出版業界から足を洗い、現在は警備員をされている方です。(ご本人は、裁判中に受ける精神的苦痛や、出版中止などのリスクを負うくらいなら、警備員の方が何倍もいいという結論になる、とあとがきで書いています)

 本書の中では、「裁判記録の非公開」を条件に和解した案件もあるので、出てくる出版社や翻訳書の書名等はイニシャルなどになっているので推測するしかありませんが、大手出版社と思われる有名出版社も、随分、えげつないことをやっているなあ、という記述が散見します。

 勿論、著者が翻訳した本がベストセラーになり、かなりの印税も入って、「天国」を見ることもありますが、ほとんどは「地獄」の話です。私も、作家の印税は10%だということは知っていましたが、翻訳者の印税について不勉強で知りませんでした。最高に近いのが8%で、宮崎氏の場合、最初は「6%」と提示されていても、「出版不況」だの何だのと色々と理由を並べられて、「4%」に大幅ダウンさせられる暴挙を突き付けられ、涙を飲んで忍ぶ場面が数々出てきます。

 翻訳家にとって、最も痛手となるのが出版中止です。7年がかりで訳した1650ページに及ぶ翻訳書が出版中止されて、「死を考えることすらあった」という翻訳家(宮崎氏ではないが、裁判所でその陳述書を読んで、「胸が張り裂けそうになった」と書いています)の話も出てきます。

 とにかく、編集者との会話や電話やメールとのやり取りを宮崎氏は本当によく覚えているものだと感心しました(恐らく日記を付けていたのでしょう)。編集者は依頼するとき、「大急ぎで、1カ月で翻訳してください」と注文し、宮崎氏は不眠不休の仕事でしっかり締め切りを守ったというのに、原稿を送っても、数週間、梨のつぶてで、1カ月待たされ、2カ月待たされ、半年、1年…と放置され、イライラのし通しです。その間は、無収入ですから、フリーの翻訳者となると生活も大変です(宮崎氏は、軌道に乗るまでアルバイトをすることを勧めていますが)

 まず、翻訳家になること自体が大変です。宮崎氏も最初は何十社もの出版社に原稿を送ったり、訪問したり、電話やメールをしたりしてアプローチしますが、最初は、翻訳者の名前すらも出て来ない「ゴースト翻訳者」扱いです。

 面白かったのは、ある翻訳書を出版する際、B書院の女性編集者から、本を売るために「監修者に渡部昇一先生の名前を出してほしい」と言われたことです。宮崎氏は「一方がビッグネームだったら、私の名前はかすんでしまう。そうなるともう、その本は実質的には渡部昇一の本になってしまう。私が何カ月もかけて翻訳したというのに、たった1日か2日だけ仕事しただけでカバーに名前を載せるんですか。それっておかしくないですか」と抵抗すると、その女性編集者は「だって、宮崎さんって、何でもない人じゃないですか」と言われたといいます。「その悔しさはその後も消え去ることはなかった」と宮崎氏は書いていますが、渡部昇一氏(ペンネーム大島淳一)に関しては、大変面白い後日談があり、それは本書をお読みください(笑)。出版界の裏が分かります。

 私もこの本を読んで、色々考えさせられました。私自身は、もう「終わった人」だからいいものの、少なくとも、「業界の実態を知らずに出版翻訳家にならなくてよかった」と胸をなでおろしています。

 

花の名前が瞬時に分かるアプリ=AIさんも悩みます

コデマリ Copyright par Keiryusai

 文章は難しい。

 書いた本人が全く意図しなかったことを、曲解する人がいたりして心を痛めています。

 先日は大の親友が急死し、その追悼文めいたことをこのブログに書いたのですが、ある人から「お前は自己中で、亡くなったK君のことを一つも慮っていない。思いやりがない。その性格は永遠に治らない」などと非難してきたのです。あまりにも心外で、問い質してみると、私自身が全く思いもつかない「悪行」を並べ立てられました。指摘してきた人は、匿名の知らない人ではなく、一緒に彼の追悼会をやろうと呼び掛けた親友の一人でもあったのですが、非難するだけでなく、その追悼会参加も取りやめると宣言するぐらいですから茫然自失です。

 かといえば、5月4日に書いた「花の美しさはない=雲の波間に消え去った彼」という記事の中で、「毒された欲望資本主義には異議を唱えたい。」と書くべきところを、変換ミスで、「毒された欲望資本主義には意義を唱えたい。」と書いてしまい、「ネット界の小舅」との異名を持つある人から、「超キモチイー」と鬼の首を取ったように指摘されました。こちらの間違いですから、反省しなければならないのですが、ちゃんと「間違いの御指摘有難う御座いました」と返信したにも関わらず、「誰にも知られないように、そっと訂正するとは、どこかのマスコミみたいだ」と輪をかけて批判する始末。

 文章だけでなく、人間関係も難しい。

Copyright par Keiryusai

 というわけで、すっかりミザントロープになってしまい、散歩がてら、路傍に咲いている花々を愛でて、心を癒しています。

 でも、残念ながら、花の名前が分からない! そしたら、偶然、ラジオを聴いていたら、スマホをかざすだけで、花の名前が分かるアプリがあるというので、早速試してみました。

 花の名前が分かるアプリは、どうやら何十種類もあることが分かったのですが、逆に何を選んだらいいのか分からなくなってしまいました。その中で、取り敢えず、千葉工業大学が開発した人工知能(AI)「ハナノナ」をインストールしてみました。

 それが上の写真の「ロベリア」です。まだ、使い方はよく分かりませんが、花にスマホのアプリの撮影モードでかざすと、花の名前の候補が何種類か出てきて、例えば、「ロベリア95%」などと表示されるので、撮影者は「決定」ボタンを選択して保存すると、上の写真のように花の名前まで印字されるわけです。

ジャガイモ Copyright par Keiryusai

 それが、100%と決定的に分かる花だったら良いのですが、AIさんでも迷うことがあります(笑)。

 例えば、上の写真の花は、花卉も栽培している農地で咲いていたので、何となくジャガイモの花のような気がしたのですが、このアプリをかざすと、「クリンザクラ45%」「サクラソウ属35%」「ワルナスビ50%」「サトイモ科65%」…と目まぐるしく変わり、「一体、何の花なんじゃい」とAIに声を掛けたくなりました。

カラー Copyright par Keiryusai

 こちらの上の写真もそうです。

 どっかで見たことがあるので、直ぐ答えが出てくるかと思ったら、「カラーリリー75%」「アルム65%」「サトイモ科70%」「ギボウシ40%」「ミズバショウ45%」…とこちらも目まぐるしく変わります。ちなみに、この確率の%も変化します。カラーリリーでも30%になったり、80%になったり、瞬時に変わるのです。

 でも、とっても面白いアプリなので、散歩がてら遊んでいます。皆さんも御自分に合ったアプリを見つけてインストールしてみたら如何ですか? 心優しいミザントロープさんにはお薦めです。

 嗚呼、でも、この文章を読んで、また曲解する人がいるかもしれないと思うと、夜も眠れないですねえ。。。

高校時代からの親友神林康君が急死=ショックで立ち直れない

東京・銀座 「すが家」

 海城高校時代からの親友が急死したと聞いて、落ち込んでいます。

 今朝、急にテリー君から「康さん 御冥福をお祈りします。」とメールがあり、「えっ?何のこと? 高校の先輩で国際暗黒プロデューサーとして著名の康芳夫氏に御不幸があったのかしら?」と思ったら御健在で、後で、親友の神林康君のことだと分かり吃驚仰天。しかも、亡くなったのは4月27日(火)だったということで、10日も前のこと。病院に行く前に心筋梗塞で倒れ、そのまま、帰らぬ人になったというのです。行年64歳。今の御時世、若過ぎる。

 彼は一人っ子の独身で、都内で独り暮らしだったので、伝えようがありません。彼とは月に数回は連絡を取り合っていて、亡くなる数日前にテレビ電話で私の孫と一緒に話したばかりだったので、余計にショックでした。

 彼とは高校時代からのバンド仲間でした。彼の急死がどうして分かったかと言いますと、同じバンド仲間の幸信君が神林君とは中学、高校とも同窓で、中学時代のグループが、最近、神林君から連絡がないと不審に思い、連絡を取ったら、神林君の従兄弟が出てきて訃報を知らせてくれたというのです。

東京・銀座 「すが家」 広島産鯛茶漬け定食 抹茶付き 1600円

 それにしてもショックです。彼と初めて会ったのは高校1年の時で、私が無謀にも東京・池袋の東武百貨店内の楽器店で開催された素人バンド演奏会に申し込み、あまりにも下手くそだったので、観客として来ていた幸信君の中学時代からの友人だった神林君が堪りかねて飛び入り参加してくれたのでした。ギターとボーカルが私、ギターが幸信君、ドラムが黒川君、キーボードが武藤君、ベースが福沢君だったと思いますが、記憶は曖昧。皆、1年5組でした。神林君は1年8組でベーシストで、他の人とバンドを組んでいました。

 高校2年になると、彼とは同じクラスになり、ギター幸信君、ドラムス黒川君、ベース神林君との4人で、ビートルズのコピーバンドを結成しました。大学時代まで続き、名前は「ザ・ツオンズ」(雑音のこと)とか、「ドクター・ペッパーズ・ハッピー・メンタル・バンド」とか「ザ・パーハップス」(神林君と幸信君の「まあな」という口癖から)とか変遷しました。神林君はベースの他に、ギターもプロ並みにうまく、彼の日野の自宅に週末は泊りがけで遊びに行き、コードの抑え方など色々と教えてもらい、私の師匠のような存在でした。彼は楽譜は読めず、レコードを聴いただけで、音をとってしまうのです。耳が抜群に良いのです。何で?と聞いたら、彼の御尊父がピアノの調律師だったらしく、彼にも絶対音感があり、「遺伝かなあ」と打ち明けていました。

銀座 「すが家」 抹茶

 半世紀近い付き合いだったので、私の若い頃の華麗なる遍歴まで、彼は色々知っています。私が学生時代に失恋した時とか、仕事で失敗した時などは酔いつぶれて、彼には随分一方的に迷惑を掛けたものです。これから、もっとあの頃の恩返しをしたいと思っていたので残念無念です。

 社会人になってからお互い忙しくなりましたが、40歳過ぎてバンドを復活させて、幸信君の会社の同僚で、声量抜群のテリー君にヴォーカル参加してもらったりして、バンド遊びを続けてきました。でも、病気がちの彼は、急に体調を悪くしてドタキャンが続き、もう10年以上はバンド遊びができませんでした。それでも、連絡する度に「今度、またバンドやろうね」と約束してくれました。その約束を反故にするなんて…。

 確かに、神林君は社会的に何かをやり遂げたわけでもなく、市井の無名人であり、ブログに書くのもどうかなと思いましたが、私にとっては大切な親友です。もしかして、人類の中で最も、心の奥底まで何でも打ち明けることができる、かけがえのない友人でした。何と言っても、このブログを書いている本人が全く無名の凡夫なのですから、有名だからと言って、ナンボのもんじゃいですよ(苦笑)。

 もしかして、神林康君の急死をこのブログで初めて知る人もいるかもしれません。皆さんと一緒に彼のことを思い出して、冥福をお祈りしたいと思っています。それにしても、悲し過ぎる。

人生に上下も勝ち負けもない、という発想=老荘思想

所沢航空公園 大正天皇御駐輦(ちゅうれん)碑 Copyright par Keiryusai

 大型連休期間中は、「不要不急の外出は控えよ」「自粛せよ」「酒は店で呑むな」といった政府の法令に圧倒されて、結局、遠出はできませんでした。よゐこなもんで(笑)。

 不良になって、ちょっと近場のお城巡りでもしたかったんですけど、それも控えました。天気のせいもありましたが(苦笑)。ただ唯一例外として出掛けたのは、お墓参りといいますが、お墓のお掃除と草むしりでした。

 お墓は、埼玉県所沢市の航空公園駅からバスで5分ぐらいの所にあります。亡き父親が購入しましたが、結構広大です。同じ霊園に、お笑いの三波伸介さんのお墓もありますが、ウチはその3倍以上の敷地面積はありました。草むしりも大変でした(苦笑)。

 何故、九州出身の父親がここを最期の地として選んだのかといいますと、御縁があったからでした。もともと、航空公園は明治44年(1911年)、日本で最初に開設された飛行場でした。戦時中には陸軍航空整備学校なども開校し、陸軍に志願して入隊した父は、最初は飛行士を目指すものの、色覚異常のため、飛行機の整備員に回され、この所沢にも配属されたことがあったと聞きます。他に青森県の三沢基地にも配属されたらしく、生前にもっと詳しく話を聞いておけばよかったのですが、整備した飛行機の中に、確か「飛燕」があったと記憶しています。

紫蘭(Y氏から御教授賜りました) 所沢航空公園 Copyright par Keiryusai

 戦後になって、父は運輸省(現国土交通省)の航空管制官になり、長らく東京交通管制部に勤務しましたが、その本部が1963年から77年まで東京都東久留米市、77年以降に所沢市に移転したので、他にも成田や釧路など色々と転勤しましたが、東久留米と所沢での勤務が一番長かったのでした。

 そういうわけで、父と所沢とは不思議な縁でつながっていたわけです。

 私は、自宅から所沢の航空公園駅まで電車とバスで行きましたが、車内でずっと読んでいたのが、この野村総一郎著「人生に、上下も勝ち負けもありません」(文響社、2019年4月初版)という本でした。著者の野村氏は、読売新聞の「人生案内」の回答者としても有名な精神科医です。

 内容はタイトル通りで、それで終わってしまいますが、著者は、「上り坂の儒家、下り坂の老荘」という言葉を引用して、元気な時は、「論語」の孔子の思想が良いかもしれないが、いまいち元気がなく、行き詰っている時は、無為自然に任せて気楽に生きろという老子の方がいいんじゃないか、と提案しているのです。

 確かに、先日、このブログでも、今最も注目されている渋沢栄一の「論語と算盤」を御紹介しましたが、500もの企業を起業したイケイケドンドンのいつも「人生上り坂」の渋沢栄一なら、そのブレーキ役のような孔子の「論語」が必要とされるかもしれませんが、何をやってもうまくいかず、いつも劣等感に苛まれているような人(私もその典型かなあ~~)にとっては、老荘思想の方が心の薬になるかもしれません。

 45年間、延べ10万人以上の患者さんと向き合ってきたという野村氏によると、ヒトの悩みや不安の根本的な原因は、他人と比較するからだといいます。そこで、人と比較したり、判定したりするような、つまり、ジャッジすることを意識的にやめることを勧めています。

 また、精神科医野村氏によると、心の問題を抱える人の傾向には4種類あるといいます。それは、(1)自分は駄目な人間だという「劣等意識」(2)自分は損ばかりして、やられてばかりいるという「被害者意識」(3)自分は完璧でなければいけないのに、それができないとう「完璧主義」(4)自分のペースに拘る「執着主義」

 これらを乗り越えるために、どうしたらいいのかー。やはり、考え方や、思考傾向を変える必要があり、それには老荘思想が役に立ち、タイトルの通り、「人生に、上下も勝ち負けもない」ことを悟るべきだと著者は言うのです。本書では老子の言葉を易しく「意訳」ではなく「医訳」してくれます。例えば、老子の「人に勝つものは力あり。自ら勝つものは強し」は「人に勝つ人というのは力(権力、経済力、腕力)がある。しかし、本当に強いのは『自分の弱さに勝つ人』だ」と医訳しています。

散歩途中で見かける花の名前が分からず困っていたので、植物の名前が瞬時に分かるアプリを発見して導入しました。このアプリは千葉工業大学が開発したAI「ハナノナ」です

 もう一つ、私が好きな老子の言葉「恨みに報ゆるに徳をもってす」は、「酷い扱いを受けても、まるで恩を受けたように、そっと優しく返してあげるのが徳というものだ」などと医訳しています。

 どなたも、気分が落ち込んだ時、この本を読めば、少しは、気持ちが楽になるかもしれません。