鎌倉大仏さま~鎌倉長谷観音 誓願記

 7月2日、鎌倉・ジタン館での「加藤力之輔展」を辞してから、梅雨の晴れ間に恵まれていたので、久しぶりに鎌倉大仏さまを拝顔することに致しました。

 10年ぶりぐらいですが、もう何度目でしょうか…。10回ぐらいはお参りしていると思います。(拝観料300円)

小学校5年生 秋の遠足 小生は前から3列目にいます。前列に吟さんもいますね。

 初めて行ったのが、もう半世紀以上昔の小学校5年生の10月の遠足の時でした。子どもですから、ここが高徳院(大異山高徳院清浄泉寺)という名前の寺院だということを知らず。長じてからも、この高徳院が法然上人(1133 ~ 1212 年)を開祖とする浄土宗の寺院だということも知らずに過ごしてきました。

国宝です

 そして、肝心の鎌倉大仏とは、阿弥陀如来坐像だったということも、恥ずかしながら、つい先年になって知りました。大仏は、大仏という大きな枠組みでしか意識していなかったのです。ですから、当然のことながら、毘盧遮那如来も釈迦如来も阿弥陀如来も阿閦如来も薬師如来も、区別がついておらず、意識もしていませんでした。

 それでは駄目ですから、仏像の見方やお経の基本などを俄か勉強し、しっかりと実体を意識して、鎌倉大仏さまを改めてお参りしたかったのです。

 鎌倉大仏は、阿弥陀如来に特徴的な両手の印相が、瞑想を示す禅定印(ぜんじょういん)になっています。

 しかも、九品往生印の中でも「上品上生」にみえます。

 写真をご覧になればお分かりのように、平日のコロナ禍ということもあって、観光客の数がめっきり減り、本当に少なかったでした。(それでも、日本人より外国人の方が多い気がしました)

 説明文にあるように、この鎌倉大仏は、源頼朝の侍女だったといわれる稲多野局が発起し、僧浄光が勧進して造った、とあります。しかも、「零細な民間の金銭を集積して成ったもので、国家や王侯が資金を出して作ったものではない」とわざわざ断り書きまで添えています。

 そうでしたか。貧困の中、なけなしのお金を寄付する人も多かったことでしょう。当時の庶民の人々の信仰の深さが思い寄せられます。

 自分では絵葉書にしたいぐらい良い写真が撮れた、と勝手に思ってます(笑)。

 以前は大仏さまの胎内に入ることができましたが、またまたコロナ禍で閉鎖されていました。

 鎌倉時代の創建当初は、奈良の大仏さまと同じように寺院の建物内に安置されていたそうですが、台風で何度か吹き飛ばされ、以後、建物は再建されていません。

 吹きさらしで、しかも、海の潮風で大仏さまが傷まないか心配です。あと、1000年、2000年と持つでしょうか?

長谷寺

 鎌倉大仏には、江ノ電の長谷駅で降りて行ったのですが、何度も行っていたはずなのに、道が分からず少し困ってしまいました。多くの人が歩いているので、付いて行った感じです(笑)。方向音痴で地図の読めない男ですから、困ったものです。

 長谷駅から高徳院へ行く途中、長谷観音で有名な長谷寺があったので、帰りに立ち寄りました。生まれて初めての参拝です。400円。

この寺も浄土宗でした。御本尊さまは十一面観音菩薩です。像高9.18メートルで、国内最大級の木造観音だということです。

 観音堂の隣りが「観音ミュージアム」になっていて、そのまま入ろうとしたら、「そちらは入館券が必要です」と係の人に怒られてしまいました。失礼致しました。300円。

 私以外、誰一人も入館する人はいませんでしたが、ここの「観音三十三応現身立像」は圧巻でした。法華経の第二十五章「観世音菩薩普門品(ふもんぼん)」(「観音経」)によると、観音菩薩はさまざまな人々を救うために、三十三身に化身するといいます。聖者の仏身、天界の梵王身、八部身の迦楼羅身などです。ヒンドゥー教と習合したバラエティーに富んだ化身が見られます。(こうして、事前に勉強しておけば、参拝し甲斐があるというものです)

 観音三十三応現身立像は、室町時代につくられたようですが、長谷寺によると、三十三身が全てそろった立像は全国でも珍しい、ということですから、機会が御座いましたら、皆さんもお参りされたらいいと思います。

時宗総本山遊行寺(藤澤山清浄光寺)お参り記

 柳宗悦著「南無阿弥陀仏」(岩波文庫)に巡り合って以来、日本の仏教、中でも浄土思想にかなり興味を持つようになりました。(日蓮は「真言亡国」「禅天魔」「念仏無間」「律国賊」と痛烈に批判しましたが…)

 若い頃に表面的に触れていた仏教は、かなり理解が浅く、それどころか、誤解している面が多々ありました。曰く、「浄土教は単に極楽浄土への往生を願い、来世だけが大事で、現世はどうでもいい…」、曰く、「浄土思想も踊り念仏も、いたって前近代的で、現在ではもはや通用しない…」云々。

 そんな誤解を吹き飛ばしてくれたのが、柳宗悦著「南無阿弥陀仏」でした。特に、法然(浄土宗)~親鸞(浄土真宗)~一遍(時宗)に至る一連の浄土教の変遷、発展、止揚、変容には目を見張るものがありました。

 著者の柳宗悦は、中でも、当時(終戦後間もない頃)軽視され過ぎていた一遍上人(1239~89年)に焦点を当て、再評価し、名誉を復活させたい意気込みを感じました。一遍は「捨聖(すてひじり)」の異名を持ち、臨終間際には、所持していた全ての経典を寺僧に譲るか、焼き捨ててしまいました。上人は「多くの学僧が色々と立ておかれた教えがございますが、全て色んな疑念に対する仮初めの教えである。念仏行者はこのような教えも捨ててしまって念仏すべきである」とまで言ってます。(ですから、本人は教団を設立する意思はなく、時衆→時宗教団をつくったのは二祖真教上人=1237~1319年=でした)

 私の古い友人に、財産を捨て、家族を捨て、友人を捨て、名誉を捨て、全てを捨てて「捨聖」のような生活を送っている人がいるので、個人的に尚更、一遍上人に惹かれます。

 本を読んで、いつか、一遍上人が開いた(ことになっている)時宗の総本山遊行寺に行ってみたいと思っていました。遊行寺のある神奈川県の藤沢市は、自宅から遠方なので、いつになることやら、と思っていましたが、先日、意外と早く、その夢を実現することができました。

遊行寺本堂

総本山だけになかなか立派な寺院でした。

本堂内にはかろうじで靴を脱いで中に入れました。無人でしたが、監視カメラが見張っていたと思います。御本尊は、金色に輝く立派な阿弥陀如来さまでした。写真を撮りたかったのですが、もちろん、控えました。

一遍上人像

 本堂前に一遍上人像があります。時宗の宗祖ではありますが、この寺を創建したわけではないことは先に書いた通りです。

 一遍上人は、全国各地を遊行し、出会った人々に「南無阿弥陀佛」と書いた念仏札を配り歩いて定住していなかったからです。(その活動は、算(ふだ)を賦(くば)り、結縁することから賦算(ふさん)と呼ばれました)

 ということで、この総本山遊行寺は、正式名称は藤澤山(とうたくざん)清浄光寺(しょうじょうこうじ)といいます。創建したのは、1325年、四祖の呑海上人でした。

 上の写真の説明文にある通り、この呑海上人の実兄が地頭の俣野景平で、この広大な敷地を寄進したとあります。景平は死後、俣野大権現として境内で祀られています。

 藤沢は、東海道五十三次の宿場町としても栄え、歌川広重の浮世絵などに描かれています。ですから、藤沢は近世の宿場町から名前を取ったものとばかり思っていましたら、既に中世鎌倉時代から遊行寺の門前町として大いに栄え、藤沢山から取って、藤沢の地名になったというのです。

 勉強になりました。

 本堂の裏手の長生院に「小栗判官の墓」があるというので足を運んでみました。

 小栗判官は、歌舞伎の演目「當世流小栗判官」にもなった実在の人物で、私も20年近く昔に、先代市川猿之助主演で舞台を見たことがあるので、馴染み深かったからです。

 小栗判官と照手姫伝説の「史実」に関しては、上の写真の看板に書かれていますので、お読みください。

上の写真の「中雀門」はなかなか風格がありました。

 説明では、幕末に紀伊大納言の徳川治宝による寄進とありますが、徳川家の葵の御紋ではなく、菊の御紋の方が目立ちますね。

 ◇「国宝 一遍上人聖絵」買えず、非常に残念

 今回、時宗総本山遊行寺をお参りしたもう一つの目的は、境内で販売している「国宝 一遍上人聖絵」の図録(2000円)を購入することでした。しかしながら、残念。この中雀門の奥にある寺務所にも行きましたが、「新型コロナの感染防止」を理由に閉まっておりました。「お守り札も御朱印もお手渡ししません」と掲示されていたので、大声を出して呼んでも無理なのでしょう。残念でした。

 この寺務所だけでなく、境内にある「遊行寺宝物館」も新型コロナのため、まだ依然として休館でした。「新型コロナを世界で一番怖がっているのはお坊さんですよ」と言う人がおりましたが、その通りですね。広い境内では、たったのお一人も僧侶に遭遇することはありませんでした。

【追記】

一遍上人語録に以下のものがあります。

 念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をもすて、貴賤高下の道理をもすて、地獄をおそるる心をもすて、極楽を願ふ心をもすて、又諸宗の悟りをもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願に尤もかなひ候へ。(消息法語5)

 地獄を怖れる心を捨て、極楽浄土を願う心も捨て、仏教の悟りも捨て、とにかく智慧も愚痴も一切の事を捨てろ、とまで言ってます。超過激な究極の思想ではないでしょうか。

東京アラートを発しないのは小池知事の選挙対策か?

 東京・銀座 朝日稲荷神社

  新型コロナの感染者は、首都東京ではここ数日50人超と、なかなか減りませんね。「東京アラート」(6月2~11日)が発令された頃は、30人前後でしたから、本来なら再びアラートを発しなければならないのですが、再選を狙う小池百合子知事はその素振りも見せません。

 選挙対策なんでしょうか?

  しかも、アラートを発する感染者数は基準を超えているというのに、その基準は見直して、「新指標」として、今度は病床数の「余裕の数」で判断しようとしてます。為政者たちに都合の良いように勝手にルールを変更しているようにみえます。(6月29日現在の入院者数は1000床の病床数に対して272人、重症者は100床に対して12人)

 選挙対策なんでしょうか?

 いや、台所事情もあるようです。東京都は4月15日に新型コロナウイルス対策に伴う補正予算案として東日本大震災やリーマン・ショックを大きく上回る総額8000億円を超える規模を組みましたが、どうやら、再び、店舗に自粛要請して、休業補償給付をしようものなら、枯渇しそうだという話です。東京都の予算は、スウェーデンの国家予算に匹敵するらしいですが、まあ、どこの国でも事情は同じです。

 ですから、為政者は、どうも「自粛、自粛」と言いにくくなり、今度は「自衛しろ」という始末。「感染したらあんたらの責任ですよ」と言わんばかりです。識者の中には「行政放棄だ」と批判する人もいますが、見方を変えれば、「当局による監視態勢が緩和された」と言えなくもないですね(笑)。

 昨日は、東京だけでなく、首都圏のさいたま市や宇都宮市内のキャバクラ、ホストクラブで集団感染が発生し、ニュースを見ていたら、栃木県知事が「県外から来た人でした」と、ウイルスを持ち込んだ人が県外の人だったことを明らかにしていました。まあ、それは事実のようですが、そこまで強調しますかね?また、埼玉県知事は、緊急記者会見し、「東京での会食は控えるよう」アラートまで発令していました。これでは、ますます、藩閥政治が復活したみたいにみえます。しかし、「自分の藩だけ、感染者を出さなければいい」という話でもないでしょう。

 恐らく、コロナとの付き合いは長期戦になることでしょう。私自身も、7月になれば、「県外から」東京にまで出てきて、夜の街に繰り出そうかと思っていましたが、感染者が減らない状況で躊躇しています。まさか、マスクをしながら呑むわけにはいかないでしょう(笑)。

 いずれにせよ、為政者や他人に丸投げすることなく、自分で考えて覚悟するか、もしくは楽観主義で自分自身を洗脳してから、繰り出すつもりです。

傘、受難物語とATM物語

 東京のコロナ感染者がここ数日50人超と、また増えてきました。もう第2波が始まったんでしょうか?東京人の感染率は0.05%などと計算した偉い学者さんもいますが、そんな統計数字ではなく、忘れてならないことは、感染確率とは、経路不明にせよ、濃厚接触にせよ、感染するか、しないかの50%だということです。夜の街に繰り出すのは個人の自由ですが、自分で自分の身を守るしかないのです。

 さて、梅雨の季節真っ盛りです。毎日、傘が手放せません。ですから、私は大抵、バッグに折りたたみ傘を入れているのですが、それが、しょっちゅう壊れます。超一流の東京・銀座の三越で買った傘だから安心していたら、1年ぐらいで骨が折れたり、壊れてしまいました。同じ銀座の傘専門店で買った折り畳みも1年ちょっとで使えなくなりました。 

 すると、調布先生が「いい傘がありますよ」と薦めてくれたのが、前原光榮商店の傘。何と高い傘で21万円もします。折りたたみ傘も2万円ぐらいからです。買えるわけないじゃないですか! 文句を言ったら、「それでは貴方だけに特別にお教えしましょう。仲御徒町にある『ワカオ』、ここなら手頃な価格で買えますよ」というので、早速買い求めました。7000円もしましたが、これも1年持ったか持たない感じで壊れてしまいました。最初は傘の柄がスポンと取れてしまい、一度は直してもらいましたが、結局ババをつかまされたのか、使い物にならなくなりました。駄目ですねえ。

 そんな中、先日、新聞で丈夫そうな折りたたみ傘を紹介する記事を発見しました。アウトドア専門のモンベルmont-bell(日本の会社だったんですね)が発売している傘です。価格は5720円。どこか記事稿(記事に見せかけた宣伝広告)の臭いがしましたが、登山用なら頑丈にできているはずでしょうし、暴風雨でも大丈夫でしょう。ということで、わざわざ御徒町の店舗にまで買いに行きました。そしたら、10種類ぐらい傘があり、迷いましたが、トレッキングアンブレラを選びました。4950円。まあ手頃な値段でした。

 購入の際、店の人から「会員カードをお作りしませんか?このように様々な特典がありますよ」と勧めてくれたのですが、「老い先短いので」とやんわり断りました。もう、昔のように山に登ったりキャンプしたりする体力がなくなってきたからです。これでも若い時は南アルプスの北岳(3193メートル)と北アルプスの奥穂高岳(3190メートル)を登頂したことがあるのです。日本一の富士山(3776メートル)には登ったことはありません。あれは遠くから拝見するものです(笑)。ちなみに北岳は日本で第2位、奥穂高岳は第3位の高峰です。

 そう言えば、大型遊園地にある「絶叫マシーン」と呼ばれるジェットコースターには、65歳以上はもう乗れないそうですね。65歳以上は前期高齢者とはいえ、まだまだ若い。私の世代の漫画ではありませんが、遊園地でそんな決まりになっているのなら、「北斗の拳」のケンシロウから「おまえはもう死んでいる」と宣告されたようなものです。

 誰にでもヒトには老いがやってきます。でも心の持ち様だけは大切です。先日、テレビの「何でも鑑定団」を見ていたら、91歳10カ月になる方が出演されてましたが、どうみても70歳ぐらいにしか見えません。司会者が「若さの秘訣は何ですか?」と尋ねると、その人は「ATMです」と答えるのです。これは「明るく」「楽しく」「前向きに」の略称だそうです。

 確かにそうですね。良い話を聞きました(笑)。

築地本願寺の親鸞聖人像

 最近読んでいる本が仏教書。聴いている音楽がブラームス、ベートーベン、マーラーの難い交響曲ばかり。これでは気持ちも重苦しく暗くなります。(クラシック通が「軽音楽」と馬鹿にしているモーツァルトを聴いて少し楽になりましたが)

 世の中の見方も斜に構えて悲観的なので、ニュースを見聞すれは絶望的になります。これではATMとは程遠い生活ですね(苦笑)。思い切って、心を入れ替えますかぁ…。

スパコン「富岳」が世界一、おめでとうございます!

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 昨日、「ブログを書き続けることが億劫になった」と正直に吐露したところ、このブログを熱心にお読み頂いているYさんを始め、皆様から「是非続けてください」とのメッセージを頂きました。しかも、昨日は普段の2倍以上のアクセスがありました。有難いことです。

 「ほとぼりが醒めてから」再開しようかと思っていましたが、早速書きたいことが出てきてしまったので、もう再開することにしました。懲りませんねえ(笑)。

 6月24日。今日ついに一律給付金10万円が地元の銀行に振り込まれました!やっとですが、やったー!です。高額商品の返済に充てます。はい、これで終わりなんですが、これだけではあっけないので、続けます。懲りませんねえ(笑)。

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 いつも、このブログの写真を使わせて頂いたり、歴史的証人として当時の体験談を伺ったりしてお世話になっている満洲研究家の松岡將氏の御子息である松岡聡・理化学研究所計算科学研究センター長が、開発リーダーとして陣頭指揮を執った富士通製スーパーコンピューター「富岳」がスパコンの計算速度ランキング「TOP500」で世界一になった、というニュースが昨日飛び込んできました。

 日本勢が首位を奪うのは、蓮舫さんから「2位じゃ駄目なんでしょうか?」と指弾された先代の「京(けい)」以来9年ぶりなんだそうですが、久しぶりの明るいニュースで嬉しいじゃあありませんか。

 富岳の計算速度は1秒間に41・6京回(京は兆の1万倍)、と言われても何のことか素人にはさっぱり分かりませんが、昨年まで首位だった米国製スパコンを2倍以上引き離したという話ですから、凄いことです。ただし、進境著しい中国が「富岳」の2倍の性能を持つスパコンで王座奪回を狙いながら、今年は間に合わなかったということで安閑としてはいられませんが…。開発費として国費だけで1100億円も投入した国家プロジェクトですから、センター長としての重責は相当なものだったと推測されます。まずはお疲れ様でした。そして何よりもおめでとうございます。

 もし、ご興味があれば、「富岳世界一獲得記者会見」がユーチューブで御覧になれます。

露悪趣味のブログを書き続けるという億劫さ=辺見庸氏の文明批判を聞いて

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作家辺見庸氏がNHK-Eテレの「こころの時代~宗教・人生~」という番組に出演し、「緊急事態宣言の日々に」というタイトルで、新型コロナウイルス感染拡大がもたらした世界を深く深く思索し、鋭い洞察力で分析していました(放送は6月13日)。

 緊急事態宣言をテコにして、個人の自由を奪い、監視しようとしている権力者たち。それにあまり頓着しない大衆。そんな事態に辺見氏は、憂い、嘆き、心の底から呻きます。まさに「坑道のカナリア」です。氏の御尊父は同盟通信記者、本人は共同通信記者出身ですから、政治や社会批判は舌鋒鋭く、病気で体調を崩したとはいえ、衰えていません。

 アフターコロナというか、ポストコロナというか、ウイズコロナの時代が早くも叫ばれ、政府は「新しい生活様式」を推奨します。「何でそんなことまでお上から言われなければならないんだ」と辺見氏は憤ります。そして、店頭で売り切れ続出の消毒液が1万5000円もの値段で販売している広告を目にしてキレます。新型コロナで、金持ちと貧乏人との格差はますます広がることから、「弱者と貧者を切り捨てることがニューノーマルになる」と断言するのです。(記憶で書いているので、細かい数字などは間違っているかもしれません)

 これから書くことは、辺見氏は私の尊敬する作家の一人ということを前提に、彼を貶めるつもりは全くないことを意図した発言ですが、この番組を見て、彼の「毒」に当てられた感じでした。こういう批判は誰かがしなければならないし、言葉や音声で具象化して叫ばなければならないし、それは辺見氏が一番相応しい役割だと思っています。が、それでも、聞いていて段々苦しくなってきました。彼の世の中の見方や分析にも違和感を覚えました。一言でいえば、辺見氏と同じように追い詰められた考え方に捉われた人があと10人もいれば、集団パニックになるのではないかと危惧してしまったわけです。

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 彼の言わんとするところの貧富の格差拡大も、弱者、貧者切り捨ても、何もアフターコロナから始まるわけではなく、もう20世紀どころか、人類の歴史始まって以来延々と行われてきたことです。新型コロナで不況になり、パンデミックで世界は惨憺たる有り様になることでしょうが、コロナが終息すれば、その後の世界は何も変わらないと私は確信に近い形で思っています。人間の心因性が何も変わらないからです。ヒトは相変わらず、裕福になりたいという願望を持ち続け、他人より優位に立ちたいと思い続ける限り、何も変わらないからです。効率主義にはますます拍車がかかることでしょう。人々はコロナのことは忘れ、また100年後に新型コロナが蔓延すれば、未来人は過去の我々の作為を振り返り、あまりにも共通点が多いことに驚くことでしょう。

 辺見氏の叫びは共感できますし、彼の真骨頂である鋭い文明批評は100年後も読み継がれることでしょう。しかし、その作為的あざとさが、どうしても喉元に引っかかってしまうのです。人を怖がらせ、絶望にさせ、名状し難い暗い気持ちにさせられるせいなのかもしれません。

 「坑道のカナリア」としていち早く世間に危険を知らせることは素晴らしいことです。しかし、テレビに出たり、書いた文章を出版して代償を得た上でのことです。それがプロだから、世間で認められているから許されているということなら、「これは素晴らしい」「これは美味しい」と笑顔でコマーシャルに出ているタレントさんにも同じ論理が適用することができるはずです。

 木で鼻をくくったような言い方になってしまいましたが、プロの表現者には共通して自己顕示欲や露出願望といった作為がどうも見え隠れしてしまいます。「嫌あな感じ」がします。

 となると、こんなブログを書いてネット上に公開している、そういうお前は何なんだ、ということになります。何様だ、というわけです。そうですね、認めます。露悪趣味の権化みたいなものです。

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 今話題になっている公職選挙法違反の買収容疑で逮捕された前法相で衆院議員の河井克行容疑者(57)と妻で参院議員の案里容疑者(46)の資金源は、自民党党費からの破格の1億5000万円で、その党費が政党交付金だとしたら、原資は回りまわって国民の税金になるのではないか?国民の血税で買収?許せない。ーこんなことを書いても、事態は何も変わることなく、所詮、犬の遠吠えか蟷螂の斧で、ただ言いたい放題に言っているだけで、ワザとらしい…。露悪趣味もいいところだ、お前も同じ穴のムジナじゃないか、となるわけです。

 そう指弾されると、全く弁解の余地はありません。どうも今年で15周年になるこのブログを書き続けていくことが億劫になってきました。

都知事選に注目と、あるブロガーの弁明

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 18日に東京都知事選が告示され、過去最多の22人が立候補しました(7月5日投開票)。現職の小池百合子さんが、暴露本「女帝」出版もものかは。恐らく再選することでしょう。立憲民主や共産、社民の支援を受けた元日弁連会長の宇都宮健児氏と、れいわ新選組代表の山本太郎氏が、「反小池」票を分散してしまうからです。

 東京都の予算は、スウェーデンの国家予算に匹敵すると言われてますから都知事は強大な権力です。でも、今回のコロナ禍で都の貯金はほとんど使い果たしてしまったという話も聞きます。コロナ対策や五輪問題が選挙戦の焦点になることでしょう。私は都民ではないので、選挙権がありませんが、注目しています。

 それにしても立候補が過去最多の22人ですから、色んな方が出馬されていますね。政党代表や元副知事といったその筋のプロのほか、弁護士、薬剤師、作家、ミュージシャン、歌手…。今の時代を反映してか、ユーチューバーなんておられますね。私は、Wi-Fiは月に6GB程度しか契約していないので、ユーチューブはあまり見ないのですが、中には年に何億円も稼ぐユーチューバーがいるらしく、子どもたちの将来なりたい職業のナンバーワンだとか。驚くしかありません。

 私は、本当に狭い世界で生きているので、漫画も読みません。私が知らないだけで、何百万、何千万部も売れている人気漫画があるらしく、作者の年収も億を超えるとか。いつぞや、1億6000万円もする都心のマンションをローンではなく、さらりと現金で買ってしまう漫画家がテレビに出演していたので唖然としたことがあります。

 本は読みますが、決まってノンフィクションか歴史もの、古典、宗教関係なので、サスペンスとかスリラー小説は読みません。そしたら、森博嗣さんという推理小説の作家が、印税収入が20億円を超え、「お金の減らし方」なる本まで出版されたとかで、これまた吃驚です。大変失礼ながら、1957年生まれの森氏のことを小生は全く存じ上げていなかったのですが、大ベストセラー作家らしく、作品の多くがドラマ化されているそうです(テレビのサスペンスドラマは全く見ないからなあ…)。森氏は、名古屋大学の工学博士号まで取得し、現在は2000坪の自宅敷地に線路を敷いて、毎日、趣味の機関車を運転して広大な庭巡りをして、1日1時間の範囲で執筆を続けているそうです。ポカンと口が空いてしまいます。

 都知事選の話からつい一人で脱線してしまいました(笑)。

 私は推理小説家にも、漫画家にも、ユーチューバーにもなれず、単なるブロガーとなり、年収1億円どころか、1万円ぐらいでしたっけ? 忘れてしまいましたが、年間収益はそんなもんです。えっ?そんなにない?(笑)。「このブログには最近やたらと広告が付く。動画広告まで付く」とお嘆きの皆様。そういった台所事情を察して頂き、文字だらけのつまらないブログでも、広告をクリックしながら(笑)、大目に見て頂ければ幸いです。

 【追記】

 2017年9月に新しく独立してサイトを開いたこのブログは、いつの間にか、30万ページビューを超えておりました。3年弱で30万ですから凄いペースです。これも愛読賜っています皆様のお蔭です。改めて感謝申し上げます。

あの「週刊新潮」までもが「政商」竹中平蔵氏とパソナを批判しているので驚きです

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 櫻井よしこさん、百田尚樹さん、高山正之さん…超硬派のゴリゴリ保守派論客のコラムを連載している体制護持派の「週刊新潮」が本日発売の6月25日号で、まさか、保守派政治活動家竹中平蔵氏を批判する記事をトップに掲載しているので大吃驚。思わず買ってしまいました。いまだにNHKも産経新聞も竹中氏も採用しているのに、週刊新潮は反旗を翻したのでしょうか?

 題して「疫病禍を拡大させた『竹中平蔵』がコロナで潤う!『Go Toキャンペーン』も食い物にする『パソナ』の政治家饗宴リスト▼『西村経済再生大臣』が『パソナ迎賓館』で喜び組に籠絡された行動履歴」。さすがですね。週刊新潮は、創刊編集長で「怪物」と呼ばれた新潮社のドン斎藤十一氏以来の伝統があり、タイトル付けは天才的です。もう少し中身が読みたい微妙なところで、「寸止め」しています。

 東洋大教授、実は、人材派遣会社大手「パソナ」会長、実は、法律をつくって自社に還元する「我田引水」政策を陰で操る「政商」竹中平蔵氏については、昨日17日付東京新聞が「竹中氏 コロナ焼け太り? パソナG会長 持続化給付金 電通側から170億円で委託」「『派遣』旗振り 会社の利益」のタイトルで「こちら特報部」で特集しておりましたが、「週刊新潮」の記事の方が力作でした。凄い取材力です。

 記事によると、パソナグループは、持続化給付金の業務委託だけでなく、観光需要喚起対策の「GO To キャンペーン」でも3000億円超の委託に成功しましたが、批判が集中し、目下ペンディング状態だとか。しかし、これら巨額の委託事業を請け負うには、政界との強力なパイプがなければ、もしくは政治家そのものにならなければ実現できないわけです。何か、江戸時代の豪商と役人の関係みたいですね。

 東京都港区元麻布の高級住宅街に「仁風林(にんぷうりん)」と呼ばれるパソナの福利厚生施設があるそうですが、実は、南部靖之・パソナグループ代表が政財官界のVIPを個別に接待するサロンだというのです。同誌は、ここに接待された大物政治家の名前をリストアップしていますが、安倍晋三首相、菅義偉官房長官のほか、今コロナ禍でテレビの露出が過度に多い西村康稔経済再生担当相の名前も。旧民主党系では前原誠司、山尾志桜里両氏の名前もありますね。(覚醒剤取締法違反で歌手ASKAが2014年5月に逮捕された際、共に逮捕された愛人女性が元パソナの美人秘書で、この「仁風林」でホステス役を務めて二人が初めて出逢った場所だったとか。うーん凄い話ですねえ…)

 もう一つ、神戸出身の南部代表のお膝元である淡路島に、2008年からパソナが事業を開始します。廃校となった小学校(淡路市がパソナに無償譲渡したらしく市議会で問題になっているとか)を再生したカフェ・レストラン「のじまスコーラ」を開き、サンリオの人気キャラクターを前面に押し出す施設を展開するなどして、観光客を呼び込み、「迎賓館」までつくって、度々、西村経済再生担当相や安倍昭恵首相夫人らを招待し、今や、淡路島は地元にはカネが落ちてこない「パソナ島」と言われているそうです。

 パソナ島ですか…。こんなのどこの新聞も書いていないし、初めて聞きました。大手新聞記者は何をやってるんでしょうか?

社会の縮図と社会の矛盾=斎藤充功著「ルポ 老人受刑者」を読む

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 ノンフィクション作家の斎藤充功(さいとう・みちのり)氏から新刊が送られてきました。昨年の今頃、「今度、中央公論から本を出すんですよ。頼まれちゃってねえ」と嬉しそうな声で突然、電話を頂きましたが、ついに完成したのです。「ルポ 老人受刑者」(中央公論新社・2020年5月10日初版)という本でした。

 私がジュウコウさん(と勝手に呼んでいるのですが)の謦咳に接することになったのは、彼の「日本のスパイ王ー陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」という本で、このブログにその読書感想文を書いたことがきっかけでしたから、スパイと老人受刑者物語を、どう結び付けていいのか最初は分かりませんでした。

 でも、読み進めていくうちに、ジュウコウさんが老人受刑者に興味を持ったのは昨日今日の話ではなく、もう何十年も前から企画を温めていたテーマだったことが分かりました。何しろ、序章「漂流する老人受刑者」では、今から36年も昔の1984年10月にインタビューした呉刑務支所(現広島刑務所呉拘置支所)の大正生まれの老受刑者らが登場します。刑務所取材歴40年弱、筋金入りだったのです。

 法務省の資料によると、2007年の全受刑者7万0989人に対して、65歳以上の高齢受刑者は1884人で全体の2.65%だったのに、その10年後の2017年には同4万7331人に対して同2278人で全体の4.81%を占めたといいます。特に70歳以上の受刑者が10年前と比べ4.8倍と急増。さらに再入所率(再犯者)は7割を超えています。

 2017年の高齢受刑者2278人の罪状は、70歳以上を見てみると、第1位が窃盗で54.2%、次いで、覚醒剤関係が9.4%、道路交通法違反8.4%、詐欺7.2%と続いています。1位の窃盗の中身では、万引きと自転車盗が90%を超えています。つまり、高齢受刑者の多くが、強盗殺人などの凶悪犯ではなく、数千円の万引きや無銭飲食などで捕まった者が多いのです。再犯だと軽犯罪でも情状酌量も執行猶予も認められず、2年は実刑を食らい、5回も10回も刑務所を出たり入ったりしている様が、受刑者とのインタビュー通して浮かび上がります。

 高齢者ともなると、出所しても仕事が見つからず、また、再び万引きをして捕まって入所する人が多く、まさに悪循環です。受刑者の世界は確かに特別かもしれませんが、日本の超高齢社会の縮図というか、社会の鏡を写している感じでした。

 ジュウコウさんは先日、79歳の誕生日を迎えられましたが、至ってお元気で、本書では殺人罪等で無期懲役となった高齢受刑者の殺人現場のスナック(今は消滅)を訪ねて、山梨県まで足を運んだりしています。相変わらずフットワークが軽い恐るべきルポライターです。

 受刑者だけでなく、矯正医療センターの看護師さんや、元矯正局長らにもインタビューしていますが、正直、あまり楽しい話はなく、スカッとする話も出てきません。死刑問題の質問には口を噤んだりします。私も帯広にいた頃、刑務所を視察させて頂いたことがあります。条例で決まっているのか、2年に1回程度、マスコミに現状を公開しているのです。その時は、受刑者と面会することはありませんでしたが、獄舎というか誰もいない独房とかは見学させて頂きました。帯広は、真冬はマイナス35度にもなる極寒の地ですから、冬は寒くて大変だろうなあ、と実感しました。

 老受刑者は、帯広ではなく、比較的温暖な呉拘置支所などに収容されますが、競争率(?)が高く、全員が入所できるわけではありません。それに、老受刑者ともなると色んな病気に罹っています。中には認知症を患っている受刑者もおり、紙オムツが倉庫に山積している拘置所もありました。「刑務所というより、病院か福祉施設のよう」という関係者の比喩も的確です。

 それにしても、日本では数百円のお菓子を盗んでも再犯なら老人でも簡単に牢屋にぶち込まれるというのに、高位高官ともなれば、賭けマージャンの常習犯でも何らお咎めなく、受刑者にもなりません。この矛盾。この不条理。この体たらく。

 【追記】

 本日発売の「週刊新潮」6月25日号にも「ルポ 老人受刑者」の書評が掲載されていました。

「三密」は本来、仏教用語

WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 まだ6月だというのに、都心の真昼の気温31度。それなのに、マスクをしなければならないというこの暑苦しさ。私もアベノマスクではなく、50枚3300円で道端で売っていた紙マスクをして頑張っています。こんなんで、予防になるのかしらと疑いながら。

 新型コロナの感染拡大で、「三密」なる標語キャンペーンが安倍政権の下で展開されています。ご案内の通り、「密閉」「密集」「密接」の三つの密を回避せよ、との指令です。

厚労省のHPより

 私の会社では、緊急事態宣言が解除されても、この政府方針に従って、職場内でのマスク適宜着用のほか、原稿チェックで読み合わせする際に飛沫が飛ばないよう「フェイス・シールド」まで配布されました。(見苦しいので、フェイスシールド姿の写真を掲載できないのが残念です)

 加えて、職場以外では、この「三密」の恐れのある飲食店や施設の利用自粛要請がありました。~感染した場合、本人だけでなく濃厚接触者も自宅待機となるなど、社内だけでなく、取引先、取材先、家族にも大きな影響を及ぼす恐れがあります~との警告付きです。

 別に、もうこの年で、キャバクラやホストクラブに行く気も欲望もなくなってしまったのでいいんですが、先日約束した居酒屋懇親会はキャンセルせざるを得なくなってしまいました。その店は地下の密閉空間で、マスクをかけて呑むわけにはいかないので、密接した濃厚接触になってしまうからです。家庭内での最高権力者による駄目だしも決定打になりました。すみません。関係者の皆様にはご迷惑をお掛け致しました。

 で、三密ですが、本来は仏教用語だったことが昨日16日付の東京新聞朝刊で知りました。勿論、「密閉」「密集」「密接」ではなく、「身密(しんみつ)」「口密(くみつ)」「意密(いみつ)」のことで、真言宗の教えです。身密は正しい行い、口密は正しい言葉、意密は正しい心のことで、こちらは避けるのではなく、人として是が非でも行うべきことです。私なんか、邪(よこしま)な心で、ついつい、世の中の不条理を嘆き、悪態ばかりついてしまうので、この三密は心に銘記しておかなければなりません。

 その一方で、同紙によると、回避すべき三密の別の言葉として「集近閉」なる略語がネット上で広まっているらしいですね。(私は、この「ネット上」という逃げ言葉を安易に使う新聞やテレビは大嫌いですが…。)

 「密集」「接近」「密閉」を略して「集近閉」になると思われますが、読み方が「しゅうきんぺい」。何処かの大国の最高指導者と同じ発音じゃありませんか。集近閉を回避する?これでは、大国では即、逮捕されかねませんよ。おお、桑原、桑原。でも、「しゅうきんぺい」は日本語読みですからね(笑)。あちらはシージンピンさん。大丈夫だあ!