土用の丑の日は「竹葉亭」木挽町本店のうな丼

7月21日、今日は土用の丑の日。

 長期入院を余儀なくされている方もいらっしゃるというのに、大変申し訳ございません。本日は、一世一代の懸け、といいますか、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、お昼に豪華「うな丼」を食して参りました。

 そんじょそこらの「うな丼」ではありませんよ。な、な、何と、竹葉亭です。

 スーパーやファミレスやファストフード店の「うな丼」ではありません、念のため。

 しかも、竹葉亭の中でも、銀座支店ではありません。木挽町本店です。分かったかああ?頭が高いぜよ…

 ははあああ、御意。

 竹葉亭は慶応2年、江戸は大富町(東京・新富町)で創業の老舗です。日本を、いや世界を代表するうなぎ店でしょう。

 私もうなぎは大好きですから、調布先生のお導きもあり、色々なうなぎ店を行脚したものです。

 思い出深いのは、十三世片岡仁左衛門が贔屓にしていた「小満津」(京橋から現在東高円寺に移転)、十一代将軍家斉の寛政年間創業の「野田岩」(麻布飯倉本店と日本橋高島屋店)、浅草の「色川」(文久元年創業)、築地「宮川本廛」、神保町の「なかや蒲焼店」、関内「わかな」、小江戸川越の「いちのや」(天保3年創業)、浦和で最も古い「山崎屋」(創業文政年間頃)…。

 まだ、行ったことはありませんが、一度行ってみたい老舗は、重光葵が贔屓にした日本橋の「伊勢定」、評判高い駒形の老舗「前川」、そして何よりも神楽坂の「たつみや」。ここはジョン・レノンがヨーコに連れられて入った店ですからね。

完食 写真を撮るのが難しかった 赤羽村長の苦労が分かりました

 肝心なお味ですか?

 いやあ、グルメ雑誌でもテレビでもないので、野暮なリポートはやめときましょう(笑)。

 竹葉亭は、他店と比べると上品な味付けだと思います。個人的には、表が少しカリッとして中がふんわりと焼いた「野田岩」が一番の好みですが。

 以前は、と言っても6、7年ぐらい前までは、うな丼ならランチで1200円ぐらいで食べられましたが、今は、高騰してしまい、夢のまた夢です。

 今、竹葉亭木挽町本店の昼メニュー「うな丼」(B)は、3520円です。…明日から当分、立ち食いソバになりそうです。

またもや感染者

 月曜日に出勤したら、社内でまたコロナ感染者が出たという話が伝わって来ました。今回は私の職場とはフロアが違いますが、どうも会社全体で緊張感が見られません。昨日の日曜日に消毒を済ませたらしいのですが、あんまり甘く見たら、また感染者が出てくるんじゃないのでしょうか。

 緊張感があるのは、高齢者が多い我々の部署ぐらいです。他の皆んなは、何処か他人事のような振る舞いですが、よく言えば、実に冷静でパニックにならずに落ち着いているという言い方もできるかもしれません。

 でも、人間は痛い目に遭わなければ分かりません。重症化して死者でも出れば、社内でもパニックになるかもしれませんが、それでも慣れて、また普段と変わらない生活を送ることでしょう。懲りないのです。「嗚呼、今日は一人で済んだかあ」で終わり。代わりは他に何人もいますから。

いわし定食 1050円

 それにしても、最近の政治のドタバタ、アタフタぶりには目を覆いたくなります。特に、「Go toキャンペーン」か、「強盗キャンペーン」かよく知りませんけど、ここ1週間、200人前後の感染者を輩出している東京を対象から除外したり、赤羽国交相が、団体や高齢者の旅行を控えるよう命じたり、迷走しています。どんな基準なのか、よく分かりませんが、首都圏の神奈川、千葉、埼玉は東京と同じような増加傾向ですし、大阪だって、昨日19日は89人とこれまでの2番目に多い感染者を記録していますから、東京だけ除外するのは辻褄が合わない気がします。

 今朝の東京新聞1面トップに出ていた共同通信の調査(7月17~19日)によると、22日開始予定の観光支援事業「Go to トラベル」キャンペーンを全面的に延期するべきだとした人が62.7%に上ったといいます。私も延期するべきだと思っています。

 Go toキャンペーンは、頭が良い若き高級官僚が考えつきそうな話ですが、同じ税金を使うのなら、まず最初に医療従事者やワクチン開発に投入すべきではないでしょうか。東京女子医大病院は、看護師にボーナスを支払わないとかで、400人もの大量の看護師が退職するという騒ぎになっています。創業者一族である吉岡理事長の施設充実化に多額の原資を掛ける余裕があるなら、職員の一時金に回すべきたという看護師側からの主張です。目下、「経営者側」から歩み寄りもあり、今後の事態に変化がありそうですが、世間に悪い印象を与えてしまった感があります。

 本当に毎日、暗い、苦々しいニュースばかり聞かされます。

 「ボーヨー、ボーヨー」(前途茫洋)と中原中也のように呻きたくなりますよ。

米国差別の構造=そして誕生日メッセージ御礼申し上げます

あまり個人的な話を書くことは気が引けますが、昨日は誕生日で、予想もしなかった多くの家族親戚友人知人の皆さんから多くの祝福メッセージを頂きました。有難いですね。お一人おひとりの名前は茲では書けませんが、本当に感謝申し上げます。

 ただ、フェイスブック(FB)もやっているせいで、強制的に誕生日が通知されてしまい、本当に甚だご迷惑のことだったと存じます。だからFBは嫌いなんですよ(苦笑)。

 FBは個人情報満載ですから、勿論、実年齢はバレてしまいます。昨日の誕生日は、私にとって大変特別でした。皆さん御案内の通り、私はビートルズ・フリークです。彼らが1967年に発表したアルバム「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」に収録されている曲「When I’m 64」があるからです。1967年ですから、今から実に53年前。当時、アルバムは高くて買えませんでしたから、最初はラジオで聴きました。ビートルズと言えば、ロックですが、この曲は、ポールの作品で、影響を受けた1930年代のジャズ風の明るい曲です。

 今から何年も先の話だけど、歳を取って髪の毛が薄くなっても、君はバレンタインや誕生日を祝ってくれるのかなあ。ワインのボトルで。僕が64歳になった時に。君も同じように歳を取っていることだろう。孫たちが膝にまとまりついているかな。ーといった内容です。

 実に53年間、私も何百回も聴き続けてきましたからね。ついに、その歳になってしまいました!

 そんな特別な誕生日に娘夫婦が自宅に招待してくれて祝ってくれました。婿殿は米国人。ハーフの孫はもうすぐ1歳8カ月で可愛い盛りです。ビートルズの「When I’m 64」の再現です。まさに正夢です。

婿殿の誕生プレゼント

 婿殿は、かなり高価な日本酒「越王」を奮発して買ってくれました。日本語があまり出来ず、かなりシャイな性格なのですが、一緒にお酒を飲むと、やっと少し饒舌になり、こちらの質問にも色々と応えてくれました。こんなに深くしゃべったのは初めてぐらいです。

 例えば、小池都知事が口癖のように言っていた”Stay home” は和製英語ではないか? Stay at home が正しいのではないか? もしかして、Stay the home が正しいのかもしれない…。小生の愚問に丁寧に答えてくれました。こういう時に、身近にネイティブさんがいると便利ですね(笑)。

 彼によると、やはり、Stay home が一番正しい。「外に出ないでください」というニュアンスが強くなる。Stay at homeだと、「特定の家に留まるように」と限定される。at は場所が限定される。at the restaurant のように。Stay the home は間違い。home にtheは付けない。theを付けるとしたら、the house になる…まあ、こういった感じです。

 日本人、いや外国人にとっては、英語の冠詞や前置詞が一番難しいものです。

 例えば、It’s nice to talk to you.と It’s nice to talk with you.の違い。前者のtoだと、「貴方とお話ができて光栄です」と丁寧になりますが、後者のwith だと、「君とおしゃべり出来て楽しかったよ」とお互いの立場が対等に近いニュアンスだというのです。こういうのなかなか外国人は分かりませよね。

 今、米国で一番話題になっているのが Black lives matter(黒人の命こそ大切)運動です。黒人のジョージ・フロイド氏がミネアポリスで警察官に圧死させられて全米、全世界でこの運動が広がりました。婿殿は黒人ではありませんが、米国内ではヒエラルキーの上位に属さないので、差別については、大変よく理解できるというのです。

 米国の階層は、白人、ヒスパニック、アジア系、黒人ぐらいの区別しか日本人の多くはできませんが、彼によると、もっともっと複雑でした。白人の中でも差別意識があり(それらは職業や住居などに表れる)、「支配階級」の一番トップは、アングロサクソン系、次がドイツ系、その次がフランス系辺りじゃないかといいます。同じ白人でも後から来たイタリア系や英国と長い間戦争していたアイリッシュ系は下に見られる。ポーランドやハンガリーなど東欧系も同じように見られる。でも、ロシア系は国力があるので、かなり上のランクだそうです。そして、ユダヤ系はやはり、上位ではありません。

 続いて、ヒスパニック。ラティーノと呼ばれることもあります。ヒスパニックの中でもスペイン系は白人なので、白人系に属してかなりの上のランク。同じヒスパニックでも米国に近いメキシコ系はまだましですが、その下がペルーやコスタリカなどの南米系、その下がホンジュラスなどの中米系、最後はプエルトリコなどカリブ海系のヒスパニックなんだそうです。なぜなら、カリブ海系は肌の色が黒い人が多いからです。彼は「結局、見た目で判断されます」。(そう言えば、英国人は植民地の現地人とほとんど結婚しませんが、スペイン人は現地人との混血が進んだ。そのため、肌の白いヒスパニック系が多くなったといいます)

 続いてアジア系は、「エイジアン」の一言でお終い。米国人は、日系と韓国系と中国系が全く区別できないから「エイジアン」の一括りで、多くの米国人は、アジアの国の文化も理解しようとしないし、区別しようともしないといいます。東南アジアもエイジアンですが、インド人は、エイジアンとは言わず、インディアンと別のカテゴリーになります。これも、インド人の肌がやや黒いからです。

 黒人は、アフリカンですが、例えば、アルジェリア系、エジプト系、コンゴ系は民族も宗教も文化も全く違うのに、全部いっしょくたんで、区別しようとしないそうです。

 ロサンゼルス出身の婿殿が、差別問題で印象的だった事件の一つは、2013年2月に起きた「クリストファー・ドーナー事件」だというのです。クリストファー(クリス)・ドーナーは黒人で、ロス市警の優秀な警官でしたが、同僚の白人女性警官の不正を告訴したら、逆に解雇されたというのです。彼は「人種差別だ」とすっかりキレてしまい、ロス市警の家族ら3人を殺害し、山小屋に逃亡したところを見つかり、銃撃され、最後は警察によって爆死させられた可能性が高いという事件です。

 この間は、ロス市警は黒人と見れば、怪しいと銃撃して、誤射で何人かの黒人が亡くなったといいます。そこで、街では、「僕はクリス・ドーナーではありません。どうか撃たないでください」と大きくプリントしたTシャツが黒人の間で飛ぶように売れたそうです。

 いやあ知りませんでしたね。婿殿はこういう治安の悪い米国が嫌になったことが、日本に来るきっかけになった一つだったようです。「米国では、車のスピード違反が白人だったら、警官は『今度は気を付けなさい』で終わってしまうが、黒人ではそうはいかない。日本は平気で何処でも安全に歩き回れるけど、ロスでは絶えず緊張して外に出なければならない。いつ、何処からか銃弾が飛んで来るか分からず、心が休まらなかった」と打ち明けてくれました。

効くのかしら「補中益気湯」?

 ついに、とうとう私の会社の社員から新型コロナ感染者が出ました。

 私がこの事実を知ったのは、今朝の新聞ですよ。まるで「マスコミ辞令」ですね。知らぬは本人なりけり、です。昨日は社内の部署で一切話題にならなかったので、知っていた人はごく一部だったと思われます。でも、会社が会社なので、灯台下暗しです(苦笑)。

 感染した人は、九州の現場に行って罹ったので労災かもしれません。でも、発症が早すぎるので、東京で罹った可能性もあります。恐らく彼は今、自宅待機か、病院にいるのかもしれませんが、その人の部署は、私と全く同じフロアで、すぐ近くなので、……(そう、この後、何と書けばいいというのでしょうか?)

 とにかく、あまり甘く見ないことにしています。

 昨日16日は、東京での感染者が286人と過去最大を記録しました。国内で622人です。もう第2波がやってきたのか、「夏は落ち着く」と言っていた専門家の予測が間違っていたのか、真実は、後世にならなければ判明しないことでしょう。今の時点で後付け解釈はするべきではないと思っていますが、事実、感染は拡大しています。

 7月16日現在、日本国内での感染確認総数は2万4443人、死者998人となっていますが、米国では1日の感染者が6万人前後と、驚くほど桁違いです。昨日の東京新聞に、6月1日と7月14日の感染者の比較が出てました。それによると、アリゾナ州では6月に感染者が187人だったのが7月は4274人。死者は11人から92人に。テキサス州では感染者が593人から1万0745人、死者が6人から87人に増加。フロリダ州では、感染者667人から9194人、死者が9人から113人と激増したというのです。音信不通になったテキサス州に住む友人の安否が心配です。

 これでは、トランプ大統領の再選は黄信号、いや赤信号が灯りそうです。

 また、我が身を振り返って、「コロナは単なる風邪」と主張する人はいますが、自分として「危ない」と気を引き締めて、細心の注意を払っていきたいと思ってます。従って、まだ、友人たちとの居酒屋談義は再開できていません。残念ですが、周囲に迷惑掛けたくありませんからね。

 もう一つ、一部の医療関係者の間で「コロナに効く」と評判の漢方の「補中益気湯(ほちゅうえっきとう)」をやっと入手できました。都心のドラッグストア(はっきり言ってマツモトキヨシ)では売っていなかったのですが、自宅近くのドラッグストア(はっきり言ってウエルシア)には売っておりました。4378円。サプリメントも効くかどうか分からないし、これも本当に効くかどうか分かりませんが、まあ、気休めにはなるでしょう(笑)。箱の裏の効能には「体力虚弱で元気がなく、…疲労倦怠、病後衰弱、食欲不振」などと書いてあります。そうですね、最近、疲れが取れず、ブログなんか書いているせいで、目、首、肩、腰が痛く、満身創痍で元気がないので、この薬をのめば効果あるのかしら?

 そうそう、効能には最後に「感冒」としっかり書いています。信じる者は救われる?

他人から嫌われたい人は天才かもしれない

日米のプロ野球で大活躍したイチロー元選手が出演しているユーチューブの動画が大好評で、6月23日に公開されて2週間余りで再生回数が1800万回を超えたそうです。

 見てみると、半端じゃない生活信条と人生哲学の持ち主で、一芸に秀でた天才というのは、こういうものかと思わせます。

 私はかつてプロ野球担当記者をやったことがありますが、幸か不幸か、彼を取材したことはありません。阪急が身売りしたばかりのオリックス球団(上田利治監督)を担当したことがありますが、イチロー選手がまだ入団する前の話でしたからね。その後、彼がとてつもない記録を打ち立てるようになり、米大リーグに渡っても、全米記録を更新するなど日々、彼の活躍ぶりが報道されました。

 ただ、彼の評判に反比例して、「取材しにくい」とか「生意気で高飛車だ」とかいった話を後輩のスポーツ記者から聞くようになりました。中でも大リーグ時代は、仲の良いお気に入りの記者としか口をきかず、試合が終われば、ロッカールームにはそのお気に入りの共同通信の記者だけが入って話を聞き、ライバル記者は、彼の話をまた聞きするしかなかったという話も聞いたことがあります。ライバル記者たちは屈辱的だったことでしょう。ですから、少なからずの記者たちは彼を嫌っていたか、反感を抱いていたと思われます。相手にしないで済めばいいのですが、実力を伴っているのでどうしても追いかけなければなりません。仕方がない。仕事ですから。

 私も彼の担当記者でなくてよかったと神に感謝したい気持ちになりましたが、先程の動画で、「他人から嫌われるのは怖くないですか?」との質問に、46歳のイチロー氏は「僕は他人から嫌われるの大好きなんです。その人たち僕に対するエネルギー半端じゃないでしょう。興味がないことが一番辛いですよ、僕にとって。無関心が一番辛いですね。大嫌いと言われればゾクゾクしますよ」などと応えていました。

 なるほど、ほとんどの人は、まあ、99.99%の人は、他人から好かれようとして生きているはずです。いや、家族でも友人知人でも、仕事関係でも、他人から好かれるために生きているといっても過言ではないでしょう。そのために、嘘をついたり、おべっかを使ったり、心にもないことをしゃべったりします。どこかの元大臣さんなんかは、党から貰ったお金まで渡したりしますからね。

 イチロー氏は、他人から嫌われることが分かっていて、現役時代、あのような行動を取っていたのかもしれません。他人からの邪気をエネルギーに代えていたのかもしれません。いや、確信的に好きでやっていたのかもしれません。でも、そういうことが出来る人はほとんどいません。第一、実力を伴っていなければなりません。他人から嫌われれば、皆離れていきすから、単なる変人で終わってしまいますからね。となると、イチロー元選手のような人間は、先程の確率で言えば、残りの0.01%ぐらいでしょう。ちょうど、天才と呼ばれる人たちの比率に合うんじゃないでしょうか(笑)。

  30年以上昔のプロ野球担当記者時代を振り返ると、私にも色んな思い出があります。阪神タイガースの担当になった時、大阪の会社の先輩デスク(故人)から「阪神の悪口書いたら、ワシがしょーちせーへんからな」と真顔で恫喝された時は、背筋が凍りそうになりました。そう言われてもねえ…。試合中に怠慢行為をしたり、采配ミスしたりしたら書かざるを得ないでしょう。「こっちは仕事なので仕方なくやっているだけで、勝敗なんぞ興味ないわい」と心の中で反発しましたけどね。(その後、仕事を離れてからはプロ野球は一切見なくなりました)

 そして、とても取材しやすく、非常に好感が持てる選手に限って、1軍と2軍を行ったり来たりして、一流選手になれませんでした。逆に、大変、言ってみれば傲岸不遜で、記者など「人でなし」などと心の中で思っているような選手で、あまり取材に応じない選手に限って超一流で良い記録を残していました。誰とは言いませんけど、これはプロ野球の世界だけでなく、あらゆるスポーツ、いや、あらゆる業界にも言えることでしょう。

 私も、せめて、「他人から嫌われるのは大好き」と公言できるくらい神経が図太くなりたいと思っていますが、煩悩具足の凡夫ですから、所詮、無理でしょうね。

マツタケも人類も絶滅危惧種?

 今朝の朝刊各紙で、「マツタケが絶滅危惧種として初めて指定された」という記事を読み、何か、「偶然の一致」の既視感を味わいました。

 私自身、高級食材マツタケとは、「縁なき衆生」(誤用)ではありますが、絶滅してしまう、というニュアンスにビクッと反応してしまったのです。

 というのも、昨日の日経夕刊の記事で、生物学者の池田清彦氏が人類の滅亡を予想していたからです。池田氏によると、これまで地球上に存在した生物の99%は絶滅したといいます。実に99%ですよ!! ほとんど全部じゃないですか。絶滅種といえば、すぐアンモナイトとか恐竜とか思い浮かびます。人類も700万年前に誕生し多くの種類がいましたが、ほとんど絶滅し、我々ホモサピエンスは人類最後の一種だといいます。記事には書いていませんでしたが、絶滅した人類とは北京原人とかネアンデルタール人とかのことでしょう。いずれにせよ、池田氏は「我々ホモサピエンスが遠からず絶滅するのは自明だと思います」と発言しています。

 マツタケどころの話ではありませんね。

 人類が滅亡したらどうなるんでしょうか?

 人類が生み出したあらゆるものー理性も知性も、科学も、歴史も、文明も芸術もなくなるということでしょうか?なくなることはないでしょうね。せめて化石として残るでしょう。書物やDVDとして残っても、それを理解する人類がいなくなったらどうなるか?といった方が問題です。池田氏は、一部の金持ちが自分の脳のシステムをAIにコピーして、不老不死のAI人間が取って代わると「予言」していますが、それって、人類なんでしょうか?

 遠からず、人類滅亡の日、その時は、老若男女、富裕層も貧困層も区別なく、権力者も弱者も分け隔てなく一様に滅びて、財産も名誉も勲章も、そして名声も全く意味がなくなると私なんか思っています。それじゃあ、生きている意味あるの? と皆さんは訝しがることでしょう。

 人生は無意味と言えば無意味だし、宗教や哲学で意味付けしようとすれば、それもできる、としか言いようがありません。

 不安や恐怖に駆られるのも人間だし、死亡率100%と「達観」できるのも人間です。

 でも、絶滅ともなると、それすら越えてしまいますね。はっきり言って、人類もマツタケと同じように、「絶滅危惧種」に指定してもおかしくないでしょう。これだけパンデミックが蔓延り、地球環境が悪化すれば。(40億年以上前から生存しているウイルスは、コウモリでもハクビシンでも生物に取りつくわけですから、絶滅することなく不滅なんでしょうか?)

 別に皆さんを不安や恐怖に陥れる目的で、こんな一文を書いたわけではありません。これだけ壮大な話になると、小さな、細々(こまごま)とした日々の悩みなんか吹き飛びませんか?

 人智を遥かに超え、私なんか、微苦笑さえ浮かびます。厭世観や不条理観に浸っていても、意味もないし、報われることもないからです。

 「だけども問題は今日の雨 傘がない」(井上陽水)

必要でないのかもしれない=コロナ後を見つめてーマイナンバーカードが怪しい

 昨日、大型書店に行ったところ、会計の際に「袋は有料ですが…」と言われてしまいました。えっ!?です。7月1日からスーパーやコンビニで、レジ袋が有料になるという話は聞いてましたが、本屋さんまで有料ですか…。3冊、締めて5000円以上もの「お買い上げ」でしたのに…。

 でも、考えてみれば、袋なんて必要なかったのかもしれません。欧米の書店なんか、丁寧に包装してくれたり、袋に入れたりしてくれるところは滅多にありませんでした。日本だけがバカ丁寧だったのかもしれません。

 昨日はこのブログで、経路依存性(偶然に起こったことについて、因果関係を見い出して必然だと思い込んでしまう人間の性)のことを書きましたが、考えてみれば、何でも習慣的に必要だと思い込んでいただけで、本来は必要でなかったのかもしれません。

 特にコロナ禍で自粛を余儀なくされたりすると、今まで絶対に必要だと思っていたことは、大して必要ではなく、単なる商業資本主義に洗脳されていただけだったことに気付かされます。

銀座のスペイン料理店

 例えば、こんなことを書けば、アパレル業界やファッション業界や出版業界の人に怒られ、「商売妨害」と訴えられるかもしれませんが、流行などいうものは、業界人が「今年のトレンドは紫」とか「今年はセシルカット(古い!)が流行の兆し」などと、作為的につくるもので、「流行に遅れたら大変だ」と焦る若者には必要かもしれませんが、それ以外の人には全く必要ではありません。(例えが悪くてすみません。コロナ禍で、リモートになり、たまたま、リンカーン大統領も愛用したブルックス・ブラザーズ破綻のニュースを聞いたもので)

 そう言えば、先日、「マイナンバーカード」の更新のお知らせが届きました。5年経過したから、カードは使い物にならなくなるぞ、というのです。更新するには、市役所、区役所の担当窓口に会社を休んで平日に行かなければならないというのです。「マイナンバー」は、会社から半ば強制的に登録させられましたが、カードとなると現在、全国の普及率はわずか16%だというのです。

 私の周囲に聞いても、カードまで申請している人はほとんどいなく、「カードは下請けの下請けに作らせて、中国の子会社で製作したりしているから、個人情報が中国当局に筒抜け。お前みたい奴は、中国に入国できなくなるだろう」なぞと脅す奴までいました。もちろん、その人はマイナンバー登録してもカードまで作っていません。

 今、マイナンバーカードを作れば、「5000円ポイント還元」のキャンペーンをやっているようですが、そこまでやるとは! 実に怪しいですねえ。個人情報を根こそぎ採取して、他人の財産を監視するのにこんな簡単な手段はありませんからね。カードのメリットはパスポートを取る際の本人証明になる、とか書いてますが、そんなもんなくたって、自動車免許証や保険証があれば取れますからね。だから16%しか普及しないんですよ。しかも、「隗より始めよ」であるはずの国家公務員のカード取得率でさえ25%(2019年10月末時点)なんですからね!国家公務員は日本で一番賢い人たちですから、彼らが取得しない、ということは、何か裏があるということなのでしょう。

 マイナンバーカードも必要ないのかもしれません。

ランチ1250円

 経路依存性を突き詰めていくと、本当に、衣食住の最低限と病院と薬局さえあれば、他のものは必要ではないのかもしれません。それだけでなく、これまでの人生経験も教養も今後、何ら役に立たず、必要でないのかもしれません。

 さらには、家族も友人も必要でないのかもしれません。宗教も科学も経済学も必要ではないかもしれません。当然、SNSもブログも必要ないということになります。うーん、いやこの辺で止めておきましょう。このままでは、地獄への恐れも、極楽への願いまでも捨てた「捨聖」の一遍上人になってしまいそうですからね。

 ただ、コロナ禍で自粛を余儀なくされた芸術もスポーツもギャンブルも酒も、本来なければないで済んでしまうものかもしれません。でも、必要ないからこそ、逆に、人々は熱狂したり熱中したり、アイドルに貴重な時間やお金を捧げたりするのでしょう。ーということだけは付け加えておきます。

セレンディピティは経路依存性なのかなあ?

 先日、このブログで、お医者さんは、色んな症状や病気に名前を付ける名人だ、という話を書きましたが、お医者さんだけでなく、経済学者もそうですね。

 過日、テレビのドキュメント番組「シリーズ コロナ危機『グローバル経済 回復力の攻防戦』」を見ていたら、「経路依存性」なる用語が出てきました。ネットのウイキペディアでは、

 経路依存性(けいろいぞんせい)path dependenceとは、人々が任意の状況で直面する決定の集合が、過去の状況がもう関係なくなっているとしても、人々が過去にした決定や経験した出来事にどのように制限されているかについての説明である。

 ーなぞと小難しく書かれていますが、番組では「偶然に起こったことについて、因果関係を見い出して必然だと思い込んでしまう人間の性(さが)のこと」と説明してくれて、非常に納得しました。

 この用語が、どんな話の流れで出てきたかと言いますと、新型コロナの世界的蔓延で、不況となり、失業者が増大(米国では4000万人だとか)しているというのに、株価が値を取り戻し、わずか2カ月で昨年並みに回復し、今でも値上がりを続けている。それは、何故なのか?といった話の中で出てきたのです。

 結論的には、株価は実体経済を反映していない、といったものでしたが、新型コロナで需要が落ち込み、人々も消費を控えることになったことから、余ったお金は、将来の不安に備える意味でも貯蓄に回ることになった。米国では、FRBの政策で金利はゼロになり、銀行に預けても利子が付かないのなら、株でも買うか、といった動きが、株価上昇の原因の一つではないか、といった見方でした。(番組に出演していたノーベル経済賞受賞の米スティングリッツ氏も「私もゼロ金利なら、株に投資するね」と発言していました。また、独経済ジャーナリストのヘルマン氏は「実体経済で得られない利益を株に投資した」と発言していました。)

 人々が株に投資すれば、株価が上がる。上がれば、もっと株を買っておこうか、という心理が働く…。しかし、実体経済が伴わない株価上昇であることから、米大手投資銀行日本人初の部門トップである居松秀浩氏の口から「経路依存性」という言葉が飛び出してきたのです。つまり、今の株価は、偶然の重なりで値上がっているのに、そこに因果関係を見つけて、必然だと思い込んでいるという意味なのでしょう。

 なるほど。ケインズが言った「株価は美人投票みたいなものだ」といった言葉を思い出しました。(番組では、「経済学とは道徳学であり、自然科学ではない」というケインズの言葉も紹介していました)

 経路依存性の話を聞いて、10年以上前に日本でも一時期、爆破的に流行ったセレンディピティという言葉を思い出しました。「予測もしていなかった偶然によってもたらされた幸運」とか「幸運な偶然を手に入れる力」などという意味があるようですが、私の場合、「偶然によってもたらされた小さな幸せ」はあったかもしれませんが、どでかい幸運に恵まれることはありませんでしたね(笑)。

 セレンディピティも経路依存性なのかしら?

【お断り】

 記憶で書いたので、テレビ番組の内容を正確に反映したものではありません。悪しからず。番組では、トマス・セドラチェクさんという髭を生やしたチェコの銀行家が登場し、「考えてみれば、仕事なんて人為的につくられているんですよ」「あなたが生きていくためには私なんか必要がないでしょう」といった皮肉を込めた発言が、一番脳髄に残りました。

 このブログの読者の皆様も、生きていくためには、私なんか必要ないのです(笑)。

HSPとは何ぞや?神経過敏症?=そのうち和らぎますよ

ラファエロ WST National Gallery Copyright par Duc de Matsuoqua

 新聞や雑誌で、医療関係の記事を読んでいると、本当に色んな病名が出てきます。日常のわずかな刺激がきっかけで、顔面に激痛が生じる「三叉(さんさ)神経痛」、加齢により食事でむせたり食べこぼしたり、滑舌が悪くなったりする「オーラルフレイル」…等々。そんな時、「医者はちょっとしたことでも名前を付けることが好きだなあ」と傲慢にも思ってしまいます。

 しかし、病名が付くことによって、患者のモヤモヤが解決することがあります。原因不明の腰痛や腹痛、肩こり、眼痛、手足のしびれに襲われ、検査しても何も分からない時、医者から「それは、フレイルですよ」と言われれば、分かったような分からないような気分ですが、「嗚呼、俺はフレイルなんだ」と病名が分かっただけでも安心します。実際、「もう年なので、治しようがありませんよ」という意味なのかもしれませんけどね(笑)。

 そんな中、最近、「へー」と思ったのが、HSPという病気です。いや、病気や障害ではありません。HSPとは、Highly Sensitive Person(過度に繊細な人)の略でそういう体質、気質の人のことです。精神病理用語ではなく、心理学用語で、1990年代に米国のエレイン・アーロン博士が提唱したもので、人口の20%、つまり5人に1人の割合で見られるといいます。こういう人たちは、生まれつきストレスを処理する「扁桃体」が普通の人より活発で、不安や恐怖を感じ取りやすい性質を持ちます。

 つまり、異様に感受性が鋭く敏感な気質を持った人ということになります。昔言っていた神経質とか神経過敏症に近いかもしれません。

ヤブカンゾウ

 アーロン博士によると、HSPには四つの特性があります。

(1)行動処理の深さ Depth of processing=その場限りの快楽よりも真面目な生き方や哲学的ものに惹かれる、など。

(2)刺激に敏感で疲れやすい Overstimulation=人の些細な態度や言葉に傷つき忘れられない、など。

(3)人の気持ちに振り回されやすく共感しやすい Empathy and emotional responsiveness=人のちょっとした仕草や声音などに敏感で相手の機嫌が分かる、など。

(4)あらゆることに敏感 sensitivity to subtleties=寝る時、時計の音が気になり、強い光が苦手など。

 いやはや、確かにこういう人たちは、単に生きているだけでつらいし、疲れますよね。HSPは病気ではありませんが、こういう気質の人は、鬱病や双極性障害、統合失調症などの精神障害になりやすいと言われます。

 可哀そうですね。と言っても我が身にはね返ってきます。

 特に若い頃の私は、これら四つの特性に全て当てはまりました。(1)→とにかく、誠実に正直に生きたいという願望がありました。(2)→相手を気遣うのですぐ「人疲れ」してしまい、家に帰るとどっと疲れが出てきました。(3)→人の気持ちに作用されやすい。(4)→感受性が鋭く、ゴッホの「アイリス」を見ては感情が高ぶって涙がでてきて、ワグナーの「ニュンルンベルクのマイスタージンガー」を聴いただけで感動でむせび泣いたりしました。あまりにも繊細で感受性が激しいので、「自分の神経はピアノ線より細い!」と絶叫したことがあります。

 こんなんでは、行きつく先は、知れたものです。事実、私もそうなりました。

 でも、加齢のおかげで神経も摩耗し、大分穏やかになりました(笑)。歳を取るのも悪くはないですね。ちょっとしたことがきっかけで、神経が壊れてしまうことが分かったので、落ち込まなくなりました。気にしてもキリがないので、物事に執着しなくなりました。

 何と言っても症状が和らぎ、薬なしで夜、眠ることができるようになったことは、本当に有難いことでした。

 HSPの確率は5人に1人の20%だということは、残りの80%、つまりほとんどの人はHSPではないということになります。人の気持ちに振り回されることはなく、些細な言葉に傷つくこともなく、うるさくてもぐっすり眠られるということでしょうか?羨ましいですねえ。そう言えば、暴露本で叩かれても馬耳東風で、週刊誌に悪口を書かれても全く気にすることなく堂々とメディアに出続ける人も世の中にはいます。神経が図太くみえますが、単に「偏桃体」が正常だということなのでしょう。医学的に割り切れば何でもない話です。

 HSPだからと言っても、特別でも何でもない。歳を取れば、神経も少しは和らぎますよ、と若い人には伝えておきたいと思い、こんなことを書きました。

【お問い合わせ】高瀬照雄 様

前略

6月30日、このブログの記事に登場した「群馬県在住の88歳の作詞作曲家」についてお問い合わせして下さった高瀬照雄様。

こちらから何度か返信致しましたが、メールアドレスが間違われているようで、戻ってきてしまいます。

「ドメイン khaki.plapa.or.jp が見つからない」との理由でした。

改めて、正しいメールアドレスを御教授頂ければ幸いです。

また折り返し関係者からご連絡申し上げます。

恐惶謹言

渓流斎