漢字を知らない私

 恥をさらします。

 仕事で、たくさんの地名や人名を扱っています。他人様の名前の中には吃驚するほど、今まで聞いたことも見たこともないお名前に遭遇したりします。例えば、祖母井(うばがい)さん、八月一日(ほずみ)さん、薬袋(みない)さんとかです。地名は、読めない漢字が多いのは沖縄や北海道に多いのですが、沖縄の豊見城村(とみぐすくそん)、北海道豊頃町の十弗(とおふつ)、青森県の鷹架沼(たかほこぬま)などがあります。まあ、何千件もありますから、キリがないのでやめておきます。

 私が取り上げたいのは、この年になるまで、間違って覚えていた漢字です。

 東京都葛飾区の「葛」です。「かつしかく」の「かつ」ですが、「くず」とも読みます。この漢字の下方に、周りに囲まれるようにして、「人」の文字が入っております。恥を忍んで申し上げますが、私は、ずっと、これは「人」ではなく、カタカナの「メ」だと思い込んで手書きでそう書いていたのです。

 その間違いに気が付いたのは、つい最近ですから、もう救いようがありませんね。それとも、「生涯勉強だ」と前向きに捉えることにしますか。

築地「魚竹」

 最近、驚いたお名前に、高橋胄さんというという方がいらっしゃいました。「胄」は「よつぎ」と読みます。この漢字は、理由の「由」の下に「月」を書きます。ところが、この「胄」に似た漢字に「冑」があります。こちらは、理由の「由」の下に「月」ではなく、月に似た、横棒がくっつかない字を当てます。実は、こちらの方が馴染み深い漢字で、甲冑(かっちゅう=よろいかぶと)の冑でした。

 逆に言いますと、甲冑の「冑」(かぶと)は、「胄」(よつぎ)ではないのです。

 新聞社や出版社にはこうした間違いを「発見」するお仕事があります。「校閲」とか「校正」とか呼ばれています。縁の下の力持ちで名前は出ませんが、なかなか大した仕事をされているのです。

 いくら大作家、文豪と呼ばれている人でも、校閲さんの影の支えがあってこそなのです。

「マティス」展で作品の撮影が解禁! 著作権は大丈夫でしょうか?

 2月24日(土)に、東京・乃木坂の国立新美術館で開催中の「マティス」展を観に行って来ました。土曜日の午前中でしたが、意外と空いていました。5月27日まで開催されるので、皆さん余裕を持っていらっしゃるからでしょう。

 国立新美術館は本当に久しぶりです。10年ぶりぐらいかもしれません。ですから、行き方もすっかり忘れておりました。そしたら、地下鉄千代田線の乃木坂駅に直結していたのでした。

 でも、入場したら、あまりにも広大で何処に行ったら良いのか、訳が分からなくなりました。何しろ、マティス展だけでなく、他の会場では、多摩美術大学や日大芸術学部など東京の5大学の美術部の展覧会が同時に開催されていまして、私なんか3階にまで行ってしまい、迷子になってしまいましたよ。(マティス展は2階でした)

4×8メートルの切り紙絵「花と果実」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 フランスの画家アンリ・マティス(1869~1954年)に関しては、日本人も大好きですし、御説明するまでもないでしょう。フォーヴィズム(野獣派)の代表作家であり、「色彩の魔術師」の異名まであります。私も知っているつもりでしたが、若き頃、官立のフランス高等美術学校に入学できず挫折を味わっていたことまで詳しく知りませんでした。ただし、ギュスターヴ・モローから特別に個人指導を受けることで才能が開花します。

 また、絵画だけでなく、生涯にわたって彫刻や切り絵も手掛け、ライフワークとして南仏ヴァンスにステンドグラスから壁画、礼拝台に至るまで「ロザリオ礼拝堂」を設計し、今展でその礼拝堂の一部が展覧されていました。

「ロザリオ礼拝堂」(マティス展・乃木坂・新国立美術館)

 個人的な話ながら、最近、どうもメンタルが不調気味でしたので、「色彩の魔術師」の力によって煩悩を圧倒してもらおうと会場に足を運びました。2200円と入場料が高かったのですが、それだけの価値はあったと思いました。

 会場に足を運んで、一番驚いたことは、一部の作品が「撮影可能」だったことです。ですから、こうして、恐る恐る、一部写真を渓流斎ブログに掲載させてもらっています(もっと沢山撮影したのですが、ほとんど破棄しました)。

 何故、恐る恐るなのか、と言いますと、実は私は、もう30年も昔ですが、1990年代に美術記者をしていまして、当時、新聞にマチス(当時はマティスではなく、マチスでした)作品を取り上げて、その写真を掲載する際、かなり高額の著作権料を請求されたからでした。それで、マティス作品の著作権は大丈夫なのかなあ、と気になってしまったのです。

 そして、「そっかあ、マティスは1954年に亡くなっているから、没後50年の2004年で著作権は切れていたのかあ」と気付いたのです。しかし、話はそんな単純なものではなかったのです。例えば、海外の作家には「戦時加算制度」というものがあり、通常の著作権保護期間(50年間)に、第2次世界大戦の期間に相当する日数を加えることで、戦時中保護されていなかった著作権者の利益を回復する制度があるのです。マティスのフランスは、3794日(約10年5カ月)なので、50年ではなく、60年5カ月となります。

 となると、マティス作品は、2004年ではなく、2014年で著作権が切れたということになります。しかし、これでは安心できないようです。2018年に著作権法(TPP11協定)が改正され、1968年以降に亡くなった作家の著作権は、没後50年から没後70年まで延長されることになったからです。これにより、例えば、藤田嗣治画伯は、1968年に亡くなったので、これまで50年後の2018年まで著作権は保護されていましたが、改正により、70年後の2038年12月31日まで保護されることになったのです。

 さてさて、肝心のマティスさんです。繰り返しになりますが、2018年の著作権法改正に該当しない1954年に亡くなり、戦時加算を入れても、2014年には著作権が切れているはずです。しかし、フランス本国ではどういうわけか、マティスの著作権は切れておらず、「マティス財団」(著作者人格権)が管理しているというのです。彼らは、ミュージアムショップ等で売られるカップやバッヂなどのグッズに関して、いまだに制約しているといいます。

 私は著作権法に関しては素人なので、これ以上踏み込めませんが、今年2024年はマティス没後70年です。それで、展覧会の主催者さんは、会場の作品の撮影を許可したんじゃないかなあ、と判断しました。はい、間違った解釈でしたら、このブログに掲載した写真は全て取り下げますので、マティス財団さんの御見解も宜しくお願い申し上げます。

 (写真にも著作権があり、だから私が撮影した写真ですから、著作権は私にあるはずです。しかし、平面の絵画には写真の著作権がなく、立体の彫刻を撮影した写真なら著作権が有効になるとか、色々と複雑なようです。詳しい方、どうか御教授ください。)

 

今年も自家製味噌づくりのお手伝いをしました

 今年も恒例の味噌づくりのお手伝いを致しました。鬼より怖い我が家の総司令官の命令で、大豆の足踏みから始まります。

 材料は大豆と麹と塩だけです。至って簡単ですが、その工程はかなり大変です。大豆は北海道産の鶴の子大豆です。5キロで5100円。麹は栃木県那須の味噌麹専門店「日野屋」さん。5キロで5500円。麹は大豆より高いのです。何よりも、麹菌は育成するのが大変で、もし、納豆と一緒に麹を冷蔵庫に入れたりすると、たちまち麹菌は死んでしまうそうです。それだけ、麹菌は弱く、納豆菌は強いのです。そして、塩は赤穂浪士で有名な「赤穂の天塩」で、1キロ443円。

 大豆は20時間も水に浸し、その後、4時間も煮込みます。この茹で上がった大豆を(冷めてから)一枚100円もする厚手のビニール袋を二重にして詰め込んで、その上から足で踏んで、豆をつぶしていきます。私の出番はここからです(笑)。市販のお味噌の場合、大量生産ですから、こんな人が足で踏むような面倒臭いことはやってられません。機械で潰していきます。

 あらかた潰れて、ペースト状になった大豆に塩と麹を混ぜ合わせていきます。

 その過程で、まだ潰れていなかった大豆の豆粒も手でつぶしていきます。

 大方、それが出来たら、その塩と麹の入った大豆ペーストを大きな団子状にして、木樽の中に投げつけるようにして入れて行きます。

 この木樽は、福岡県八女市の桶店「松延工芸」から取り寄せたものです。

 木樽が満杯になったらもうお終い。蓋をして寝かせますが、定期的な天地返しや水取り、黴取りなどの大変な作業もあります。お味噌が食べ頃になるのは、やっと秋になってからです。

 自家製味噌づくりを始めたのは7~8年前だったでしょうか。最初は私は全く手伝わなかったので、はっきり覚えていません(苦笑)。

 でも、自家製味噌を食べるようになってから、申し訳ないのですが、市販の味噌が食べられなくなってしまいました。あまり書くと営業妨害になるので詳しくは書けませんが、要するに人工添加物も人工保存料も何も入っていませんから、本来の味噌の風味を味わうことができるのです。小さい頃から味噌汁は食べていましたが、やはり自家製味噌となると、数倍、数十倍、数百倍も美味いのです。何も高級会席料理店に行かなくても良いのです。

 手間暇かけることを惜しまなければ、何でも美味しく食べられるのです。ですから、手間暇がかからないコンビニなどで手軽に手に入るような、大量生産の人工調味料で作られた食べ物はとても私の口には合いません。

 贅沢ですね。

Midnight Scat Parole et Musique de Kîn-no-souké TAKATA

今からもう半世紀近い大昔、私がまだ20歳の時に作詞作曲した「Midnight Scat」という曲があります。

 亡友神林康君がギターのフレーズを手伝ってくれましたので、彼との最初で最後の共作でもあります。

 「Midnight Scat」ですから、真夜中にお一人で気が向いたときにお聴きくだされ。

 

Midnight Scat

1, Don’t make me haste.

Please don’t let me go.

Because I don’t like its taste.

2, Don’t make me sad.

Please do let me know.

Because I don’t wanna be mad.

※ Isn’t it in a hurry to decide?

I wish you’re here by my side.

Isn’t it worry to suicide?

I hope you’re there by inside.

”repetition”

SNSは環境毒物? それとも諸刃の剣?

 私はどうも正直な性分なもんですから、何でも正直に書いてしまいます(苦笑)。ここ最近、ずーと、「メンタルが不調」だったことも書いてしまっております。その原因は、ブログの設定の問題だったことは既に御承知だと思いますが、もう一つは日々接するニュースにありました。

 今年1月1日の能登半島地震に始まり、もう2年も続いているロシアによるウクライナ侵攻とイスラエルによるガザ市民の虐殺、それに、自民党国会議員の裏金問題や東京・浅草での自分の4歳次女や姉の不可解な殺害事件など、見るにつけ、聞くにつけ、心が押しつぶされて耳を塞ぎたくなるほど落ち込んでしまうニュースが続いているからです。まともな神経な持ち主でしたら、とても耐えられません。

 ですから、ブログぐらい、明るい前向きなことを書きたいと思ってはいても、なかなかそうもいきません。

 このブログは、暗闇の中で孤軍奮闘、暗中模索で書いておりますから、皆さまからコメントを頂きますと本当に嬉しいです。また、自分が恐る恐る書いたことでも、大新聞やテレビ・ラジオなど大手メディアが同じような意見を採り上げてくれたりすると非常に安心したりします。

白梅

 先日も、「SNSは疎外感を増大する」(2月14日付)という記事を恐る恐る書いたのですが、本日(2月20日)付の毎日新聞朝刊のコラム(大治朋子氏の「火論」)で、「SNSは大気汚染やニコチンと同様に『環境毒物』だ」という米ニューヨーク市が14日に発表した提言を取り上げていたのです。同市はSNSが特に若者の健康を損なうとして同日にYouTubeとTikTokなど五つのSNSを運営する企業に対策と損害賠償を求めて訴訟を起こしたといいます。

 米国では2020年までの10年間で、継続的な悲しみや絶望感を訴える未成年は40%増加し、自殺しようとする未成年も36%増え、SNS依存との因果関係が指摘されているといいます。

 やはり、そうでしたか!! ニューヨーク市が「SNSは環境毒物だ」と発表した日と私がブログで「SNSは疎外感を増大する」と書いた日は同じ2月14日だったとは、奇遇を感じてしまいますねえ(笑)。

 勿論、SNSの中には、この《渓流斎日乗》のように役に立つものもあり(爆笑)、一長一短です。使う人によっては利器になったり凶器になったりします。つまり、諸刃の剣です。ですから、未成年の段階ではとてもセーブが効かず、自殺まで考えてしまうことは残念ながら頷けてしまいます。

 でも、SNSはお酒と同じように、これから先、この世からなくなったりしないことでしょう。

 私の提言は、せめて、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでもらって、いかにSNSは「時間どろぼう」であるか、ということに気づいてもらい、自分自身の実りある人生を取り戻してほしいと願うばかりです。野蛮な口をきけば、「他にやることあるだろう?」てなことですよ。

新生《渓流斎日乗》、タイガーマスクさんのお蔭で復活しました

 本日、ここ1カ月間もの長い、長い間、個人的に苦しめられていましたGoogle アドセンスの申請がやっと出来ました。

 これもこれも、覆面レスラーのタイガーマスクのような篤志家のお蔭です。本当に信じられませんが、最初から最後までボランティアでやって頂きました。覆面レスラーなので、お名前も、どういう方なのかも、このブログでは詳しく書けませんが、仮にお名前はMさんと呼ばせて頂きます。勿論、コンピュータ専門技師で、マイクロソフトなど大手IT企業の大幹部とも顔馴染みのITコンサルタントです。

 私は運が良いのか、天のお導きで、Googleアドセンスのフォーラムで知り合うことが出来ました。大変失礼ながら、ほんの少しだけ変わった方で(本当にごめんなさい)、「私はお助けマンでもレスキュー隊でもありません」と仰ったり、「Googleアドセンスを単なる宣伝目的のお金儲けのためだけの人でしたら、助言するつもりは全くありません」と厳しく仰ったりしました。それでも、私とはこの1カ月近く、フォーラムで90回以上もメールのやり取りをしてくださったのです。

 90通以上もやり取りをした、というのは、細かい専門的な話ですが、プラグインの無効化とか、SiteKitでの申請に際しての、必要なチェックの入れ方とか、レンタルサーバーのセキュリティの問題とか、何度も何度も試行錯誤で試してきたということです。お蔭様で、スクリーンショットの画像の撮影はベテランの域に達しましたが(笑)、それでも、設定がうまくいかなかったということです。

 私もその度に、喜んだり、意気消沈したりし、もうこんな苦しいんだったら、もうブログなんかやめてしまおうと何度思ったか分かりません。

東銀座「ふらいぱん」ハンバーグ定食(珈琲付)1100円

 そしたら、Mさんが、「最後の手段」として、Google MeetというZoomのようなリモートを使って、私のサイトの画面共有して、同時進行で作業を進めて行きましょう、と提案してくださったのです。(Mさんは、Google Meet の方が、Zoomより遥かにセキュリティがしっかりしていると強調されていました!)

 Mさんの御提案に、私は天にも昇る気持ちになりましたが、さすがに、ここまで来たら、ボランティアでやって頂くわけには行きません。そこで、私がそれとなく手数料をお支払いしたい旨を提案したところ、「私のクライアントさんは大企業のビジネスクラスの方が多く、正直申し上げて、コンサルティング料はかなり高額です。個人の方にはその旨をお伝えして、事前に契約書に記入して頂くことになります。」と仰るのです。私は血が凍りつきました。どうやら、このMさんは世界でも5本の指に入る超一流のIT技術者で、世界の大企業から引っ張り凧の有名な方だったようです。当然ながら、超多忙です。

 となると、私のような無名の庶民ではとても払いきれませんので、諦めかけました。ところが、頂いたメールの先をよく読んでみると、「乗り掛かった舟ですから、私の性分で、このまま舟を乗り捨てるわけに行きませんから、続行致します」と仰るではありませんか! 実は、Mさんは私との90回以上のフォーラムとメールでのやり取りの中で、私の個人的事情(私のブログのフォーマットを作成してくれた高校の後輩でIT会社社長の松長哲聖氏が急逝したため、サーバーの引っ越しを余儀なくされ、全く素人の私がイチから、ITの設定に追い込まれているといった事情)を汲んでくださったからだと思われます。

 何よりも、これは自分の勝手な思い込みですが、Mさんがこの《渓流斎日乗》をお読み頂き、もう20年近くも続いているブログがこのまま廃業してしまうのは惜しいと思ってくださったのではないかと想像しております。あくまでも、想像ですが、そうでなければ、ここまで会ったこともない見ず知らずの人間に手を差し伸べたりすること自体があり得ないからです。

 勿論、私は個人的に、Mさんの御厚情と恩義に感謝し、お返ししたいと思っているのですが、Mさんは「それはお気持ちだけ受け取っておきます。」としか述べないのです。こんな奇特な方がこの世に存在し、私のような人間と巡り会うとは奇跡に他ありません。他の人ではこんな幸運に巡り会うことはないと思います。大袈裟な書き方ですが、そうとしか言いようがありません。

 そして、本日、Googleアドセンスの設定をSiteKit ではなく、他の方法で設定して頂いたのですが、何と、わずか数分で終わってしまいました。本当に5分も掛かりませんでした。唖然、呆然ですよ! 今まで苦労したこの1カ月間は一体何だったのか? 僕の青春を返してくれ!といった心境になりました。

 もっとも、私はもう高齢者ですから、青春も何もないのですが、これで、残された人生、ブログを出来る限り、書き続けて行こうという気持ちになりました。これからも、皆様の応援、御支援の程、宜しくお願い申し上げます。

(注=M氏のお言葉は意訳で、本人のお言葉そのものではありません)

SNSは疎外感を増大する

 ちょっと前にこの渓流斎ブログに書きましたけど、私はFacebookをやめました。Facebookがヒトの個人情報をただで収集して、小賢しく再利用する「広告メディア」だという正体を見破ったことと、性的羞恥心をくすぐるような動画投稿が増えてきたことと、友達の友達のそのまた友達らしき女性からメッセージが送られたりして気持ち悪く感じたりしたのがその主な理由です。

 そう、何よりも「SNSは疎外感を増大する」と確信したからでした。友達が増えて「いいね!」してくれるから万々歳どころの話ではありません。本人は全く意識もなくその気も何もないのですが、高級装飾品を身に付けた写真をアップしたり、京都の豪華・会席料理の写真だったり、高級外国のスポーツ車の写真をアップしたりしていて、そういう写真や動画を見たりすると自分の惨めさが倍増してしまうのです。

 別に、高級車に乗りたいとは思いませんが、大変失礼ながら、今挙げた写真は、「友達」とはいっても特別に緊急に必要とする情報でもありません。私はミヒャエル・エンデの「モモ」が大好きなのですが、SNSとは「時間どろぼう」だと確信したのです。

 今の子どもたちは不幸です。SNSで中傷されて自殺するような子どもたちが世界中に多くいると聞きます。先日(1月31日)FacebookのザッカーバーグCEOも米議会上院の公聴会に呼びつけられて、「SNS上の有害なコンテンツから子どもを守る対策が不十分だ」として謝罪に追い込まれました。

 老人の繰り言に聞こえるかもしれませんけど、「昔は良かった。SNSがなかったからねえ」と低い声でつぶやきたくなります。

 今の世の中で、生きづらさを感じるのはSNSのせいではないでしょうか?

 そしたら、先日、高校時代からの友人のH君(同い年)からメールがあり、「僕はガラケーだし、LINEも旧ツイッターもインスタグラムもフェイスブックもティックトックもやらない。SNSには縁がない。気楽な人生で幸せ者です」と時宜を得たような返信があったのです。別に用件は、SNSの話では全くなかったのに、いつの間にかSNS不要論の話になっていました。

 彼は、今どき、スマホを持たず、ガラケーだとは、アンモナイトの化石のような人生ですけど、彼一流の美学というか、人生観なのでしょう。

 「SNSに縁がないと気楽で幸せ」ーというH君の言葉は、この渓流斎ブログの愛読者の皆さまには是非ともお伝えしたいと思いました。

映像は古びてしまうが、音楽は古びない

 えっ!? 昨日のこの渓流斎ブログのアクセス(閲覧)数が、わずか「167」だったとは驚きました。一時期、一日当たり2000近いアクセスがあったというのにどうしたことでしょうか?

 皆さま、お気づきのこととは存知ますが、この渓流斎ブログの広告がなくなっております。実は、これは一時的なお話で、今、悪戦苦闘しています「Googleアドセンス」の設定問題が解決すれば、そのうちまた広告がくっついてくると思います。というのも、このブログは一応、プロとして記事を配信しておりますので、どうしても広告収入に頼らざるを得ないからです。もし、有料会員制にしたとしても、こんなアクセス数が167ぽっちでは、存続できないことでしょう(苦笑)。

 ビジネスとして成り立たなければ、ブログ廃業するしかないかなあ、とも考えております。

銀座「Hooters」フーターズ・バーガー1200円

 さて、昨日は凄いことを発見しました(笑)。

 1968年にフランソワーズ・アルディの唄で世界的にヒットした「さよならを教えて」”Comment te dire adieu”(歌詞はセルジュ・ゲンズブール)という曲があります。私はこの曲が大好きなので、この曲がタイトルにもなっているCDアルバムをたまに聴きます。

 でも、今の時代は、何でもYouTubeを始めとした「動画」の時代です。先日、この曲を検索して見てみました。白黒のせいかもしれませんが、かなり古色蒼然としてしまっていました。ファッションも1960年~70年代に大流行したラッパのパンタロンですから、尚更です。仕方ないですよね。今から半世紀以上昔なのですから。古びてしまったと感じても本当に仕方ないことでしょう。

 しかしです。昨晩、久しぶりに、このフランソワーズ・アルディの「さよならを教えて」をCDで聴いてみたのです。そしたら、吃驚です。実に新鮮な音楽に聞こえてきたのです。さすが、ラップ全盛の現代ポップスの流行歌には入りませんけど、少なくとも、「古びた」とは全然感じられないのです。斬新に感じたのです。

 そこで発見しました。目から情報が入ってくる映像や舞台芸術やファッションやお化粧や髪型などは、古びてしまいますが、耳から入ってくる音声や音楽は古びないのではないか、ということです。

 何かの本に、「人間が最後に残る記憶は、耳に残った音だ」と書いてあったことを覚えています。その著者もタイトルも忘れてしまいましたが、確かに、私もそう思います。

 私が若かった頃は、インターネットも動画もありませんでしたから、音楽はほとんどラジオか、レコードでした。レコードのジャケット写真などを見てアーティストの名前と担当楽器を知って、唄って演奏する姿は想像するしかありませんでした。

 でも、それだけ音楽にはパワー(力強さ)がありました。今の若い世代は、音楽は動画で楽しむのが当たり前なのでしょうが、旧い世代の私は、「音」だけでも十分です。余計なものがそぎ落とされていますから、音に集中することも出来ます。だからこそ、映像がない「さよならを教えて」を久しぶりにCDで聴いた時、新鮮さを感じたのではないかと思っています。

渡る世間に鬼はなし パートⅡ

 相変わらず、このブログに添付するGoogleアドセンスの設定がうまく行かず、難儀をしております。

 唯一、「神頼み」とさせて頂いているのが、Googleのフォーラム(公開投稿)です。ここで小生の悩みと難題に回答を下さっている方がいらっしゃるのです。ハンドルネームらしきお名前はあるようですが、御本名は知りません。それなのに、イチから、手取り足取り、ご教授してくださります。勿論、お会いしたこともありませんので、義理も恩義もないはずです。それなのに、「ボランティア」として、毎回毎回、小生の愚問に対する「解決策」を、大変お忙しいというのに、考えてくださります。

 私が初めて「公開投稿」欄に投稿したのは、もう1週間前の1月30日でした。その後、60通以上、投稿のやり取りをさせて頂きましたが、いまだに問題は解決しておりません。その途中で、「先生」は、私のブログサイトのWordpressのダッシュボードなどの「スクリーンショットの画像を貼り付けてください」との要請がありました。が、私はスクリーンショットの画像の撮り方など分かるわけがありません。そこから、話が始まったりしましたから、優に60通以上は投稿が増えてしまったわけです。

 そのスクリーンショットの画像は、公開投稿欄にうまく貼り付けることが出来ない関係で、ときたま、「テスト」として、この渓流斎ブログに掲載して、先生に診てもらうことにしました。それで、読者の皆さまは魂消てしまうでしょうが、時々、意味不明の「テスト」が掲載されているのです。(嗚呼、ご説明出来てよかった!)

上野「蓮玉庵」

 そんな精神的にカリカリする状態が、もう1カ月近く続いていますから、さすがにメンタルの調子は最悪です。それに輪をかけて、今読んでいるブライアン・グリーン著「時間の終わりまで」(ブルーバックス)が、地球の終わり、生命の絶滅、宇宙の終わりの話ですから、さすがに落ち込みの度合いに拍車が掛かります。ま、言ってみればニヒリズムです。

 ただし、この本「時間の終わりまで」は、私が生涯読んだ本の中でもベスト50以内に入る名著だと思っています。科学的真実が書かれていますから、それだけ読む価値があります。

 あれっ?何の話でしたっけ?(笑)

 あまりにも私がカリカリしているので、この渓流斎ブログのご愛読者であるYさんから、メールを頂きました。「noteにされたら如何ですか?」と仰るのです。えっ? note? 何ですか?てな感じです。そこで、早速、調べてみましたら、一言でいえば、会員制の有料ブログらしいのです。月100円とか1000円とか自分自身で料金は設定できるらしいのです。

 Yさんが、毎月400円支払って、愛読しているnoteは、有名文芸評論家のご令嬢で、山本周五郎賞などを受賞している人気小説家、Yさんのブログです。Yさんの小説は、世界各国で翻訳されており、彼女はベストセラー作家でもありますから、恐らく彼女のnoteの読者も10万人ぐらい登録されているのではないかと想像されます。

 もし仮に、10万人だとすると、年間4800円×10万=4億8000万円! えっ?ほんまかいな? 勿論、管理会社からこのうち手数料等で十何%か引かれますけど、それにしても桁違いです。

 ただし、こういう方は稀なケースです。名もない一般人がnoteをやっても、まず有料会員など集まらないし、何と言っても、ブログの過去記事も引き継ぐことが出来ません。この先、何か運営会社に粗相があったりして立ち行かなくなったりした場合(ま、そんなことはないでしょうが)、noteの記事は消滅する、というおまけ付きです。

 ということで、ここ1カ月も、メンタルの不調で、こんなことしかブログに書けません。こんなんでは、「有料会員」なんて夢のまた夢ですね(苦笑)。

東京・上野の博物館巡り=ランチは「蓮玉庵」で

 先週の土曜日は、駆け足で上野の二つの博物館を「はしご」しました。

 最初に訪れたのは東京国立博物館です。 

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 特別展「中尊寺金色堂」を是非とも観たかったからです。藤原清衡(1056~1128年)によって建立された中尊寺は、東北地方現存最古の建造物で、今年で建立から900年の節目を迎えました。

 土曜日でしたので、少し列が出来ていて、入場するまで15分ほど待たされました。

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 現地の平泉(岩手県)にある中尊寺金色堂には、私もこれまで3度ほど訪れたことがありますが、特別展では、ご本尊の阿弥陀如来座像と脇侍としての勢至菩薩立像と観音菩薩立像、それに地蔵菩薩立像、増長天立像、持国天立像といずれも「国宝」を間近に、しかも360度の角度から御尊顔を拝することが出来ました。

上野・東京国立博物館「中尊寺金色堂」特別展

 平泉では、仏像は、確か、ガラスケースの奥に納められ、遠くからしか拝することが出来ませんから、足を運んだ甲斐がありました。

 ただ、本館の狭い特別5室での数少ない展示でしたので、観覧料一般1600円は少し高い気がしましたけど。

上野・東京国立科学博物館

 次は上野駅に少し戻って、国立科学博物館に行って参りました。

 実は、昨年、同博物館が収蔵品の収集・保存などで資金が足りなくなって、クラウドファンディングを募集していました。私も「博物館がなくなっては困る」という危機感からわずかながら寄付をしましたら、「入場招待券」が1枚送られてきたのです。有効期限が3月31日までとなっていたので、慌てて出かけたのです。(しかし、よく見たら、来年2025年3月31日が有効期限でした=笑)

上野・東京国立科学博物館

 入場入り口で、その招待券をお見せすると、係の人(恐らく70代ぐらいの男性)が、「じゃあ、(半券を)切りますね」と言って、切ろうとしながらも、「でも、オタクさんは65歳過ぎていますね。65歳以上は無料ですから、この券は他の人にお譲りになったらどうですか?」と仰るのです。

 えっ? なに~~~~

 この私が、見かけだけで、65歳以上に見えるのかえ!!!

上野・東京国立科学博物館「偉大な科学者たち」

うーーん、バレたらしょうがねえ~(「与話情浮名横櫛」)

 しかし、落ち込むほど、相当なショックです。自分自身はまだ若いつもりなのですが、世間様はそれを許してくれない。嗚呼~

上野・東京国立科学博物館

 しかし、国立科学博物館が資金難に陥った理由がこれで分かりましたよ。常設展は、65歳以上と18歳未満は、入館料が無料(一般・大学生は630円)なのです。無料だと赤字になるに決まっています。せめて、子どもも65歳以上も300円ぐらい取ってもいいじゃないですかねえ。日本人だけではなく、全人類の「宝」が展示されているわけですから。

 ということで、ここは丸々、一日、いても飽きない博物館です。大人も子どもも楽しめます。地下3階まで展示室があり、細かく全てを観ていったら、一日では無理でしょう。

 また、何度でも足を運びたいと思いました。

 もう午後1時を過ぎていましたので、ランチをどうしようかと探しました。最初は、以前Gさんと一緒に行った「藪そば」にしようかと思いましたが、場所がウロ覚えです。確か、アメ横辺りにあったと思いますが、アメ横はいつでも週末は地獄のような人だかりですから、出来たら避けたいのです。

 そうだ、久しぶりに「蓮玉庵」にするか。ということで行ってみました。

 そしたら、随分古びた建物になってしまい、営業しているかどうかも分からないほどです。勇気を出して暖簾をくぐりました。

上野「蓮玉庵」特別ランチ(午後2時まで)のかき揚げ蕎麦1000円とお酒800円

 入ると、ほぼ満員で、手前の席だけ空いていて、お店の人は、そこに案内してくれました。

 何しろ、安政6年(1859年)創業の老舗の中の老舗です。森鴎外先生も足繁く通っていたといいます。

 ちょっと高いというイメージでしたが、何と、土曜日なのに特別ランチメニューをやってくれていたので、その1000円のかき揚げ蕎麦と熱燗1本(800円)を頼みました。特別ランチは、午後2時まででしたので、ギリギリセーフでした(笑)。