「幕末下級武士の絵日記」の作者尾崎石城さんのお墓参りをしたくなりました

来月8月に京都に行くことになっています。

京洛先生のお導きですが、最近、寺社仏閣巡りにスイッチが入ってしまったので、京都は本当に楽しみです。歴史ある京都は、ほんの少し歩いただけで、名所旧跡、古刹名刹だらけですからね。

◇安養寺と安養寺

 今回は目的がありまして、村上純一氏が住職を務める京都市左京区にある「青龍山安養寺」(浄土宗)を訪問することです。村上氏は作家村上春樹氏の従兄弟に当たる方で、小生が今年5月のブログで、思い込みの勘違いで、同じ京都市の安養寺でも、 東山区にある「慈円山安養寺」吉水草庵(時宗)の方だとご紹介してしまい、村上氏ご本人から間違いを指摘されてしまった経緯がありました。繰り返しになるので、これ以上述べませんが、御住職にお会いして、仏教の宗派の違いや、現代仏教の問題点などをお伺いすることを楽しみにしています。

 お目にかかるのはちょうどお盆の頃でして、お盆は、新幹線指定席の予約が取りにくい話を聞いてしまいました。その前に、お盆シーズンは割引切符が効かないことも知らされました。京洛先生に相談すると、新橋の安売りチケット屋をウロチョロするなんて貧乏臭くて野暮ですねえ。(それ、ワイのことやないけ!)JR系旅行代理店で予約すると、ホテルと往復切符付きで格段に安く買えますよというので、そうしようかと思ったら、やはり、お盆シーズンだけは割高で、べらぼうに高いことも分かりました。

 そう言えば、私が京都を訪問するのはシーズンオフが多く、お盆に訪れるのは学生時代以来数十年ぶりだということに気がつきました。

◇JR社長に告ぐ

 慌てて、1カ月前に東京・有楽町駅のみどりの窓口に朝の9時過ぎに行ったところ、係りの人が「午前10時からしか販売できません」と言うのです。「えーー」です。仕事が始まってしまうのです。独占企業のJRさんよ、せめて、午前9時からの販売にするべきではないでしょうか! 仕方がないので、昼休みの13時ごろに行ったら、やっと指定券が買えました。ヤレヤレです。

 さて、この間から、 大岡敏昭著「新訂 幕末下級武士の絵日記 その暮らしの風景を読む」(水曜社 )を少しずつ読んでいますが、自分自身が幕末の下級武士になった感じです。タイムマシンがなくても、こういう本を読めば、いつでも過去の時代に暮らしている感覚になれます。

 絵日記の作者は、謹慎中の忍藩(現埼玉県行田市)の下級武士尾崎石城(隼之助)でしたね。先日のブログ(2019年7月19日)で、この本をご紹介した時に、「石城さんの生まれが天保12年となっているが、年齢が合わずおかしい」と書きましたが、後ろの彼の年譜を見たら、「文政12年生まれ」と書かれていました。文政12年なら1829年です。これなら平仄が合います。

 単純ミスなんでしょうが、このほか、93ページの「左端」は「右端」の間違い、97ページの「72図」は「74図」の明らかに間違い・・・と、ちょっと校正が杜撰な感じです。

◇大酒呑みの石城さんと和尚さん

 絵日記の作者尾崎石城は、毎晩のように寺や友人宅や料亭などで、僧侶や町人や女性も交えて酒盛りをして遊びます。田楽、紫蘇茄子、玉子焼き、茶碗蒸し、むきミにつけ、志ゝみ汁などその日何を食したかメニューも伝えてくれます。

 スマホどころか電話も、テレビも映画もない時代です。何を楽しみにしていたのかというと、いわゆる田舎芝居や、浄瑠璃、酒の勢いに任せた即興の歌舞、それに、仏様の誕生日である花祭りや金比羅祭りなどの祭祀、そして、植物を愛でたり、石城さんの場合は、襖絵や屏風絵などのために写生したりしているのです。下級武士だけでなく中級武士との交流もあり、石城さんは毎日、誰か5~6人と、驚くほど多くの人と会い、交流しているのです。

 聖職に就き、「斎戒沐浴」しているはずの大蔵寺の宣孝和尚も、龍源寺の猷道和尚も大酒呑みの女好きで、時には二日酔いで寝込んだり、大変魅力的な人物に描かれています。

◇半端じゃない読書量

 また、学問好きの石城さんの読書量は半端じゃなく、中国の古典として「左傳十五巻」「六経略記十巻」「史記評林二十五巻」「論語新注四巻」「書経集注六巻」「荘子林注十巻」など、我が国では、賀茂真淵「万葉考三巻」、新井白石「藩翰譜」、「源氏忍草十巻」「古今集」「和漢朗詠集」「俳諧七部集」、徳川家康「御遺訓」、平田篤胤「古道大意」…とキリがないほどです。

 これだけの学問を積んだ人ですから、この絵日記が書かれた6年後に明治維新となり、石城さんは一連の咎めが赦免され、藩校培根堂(ばいこんどう)の教頭に抜擢されます。しかし、明治4年(1871年)に廃藩置県となり、藩校も閉校され、その後、石城さんは宮城県に移り、租税事務の中位の役人になります。そして、明治9年(1876年)にその地で死去し、仙台元寺小路の「満願寺」に葬られたということです。享年47。

 もし、仙台に行く機会があれば、満願寺に行って尾崎石城さんのお墓参りをしたいと思いました。年金も社会保障も人権もない時代。石城さんは、貧しい子どもたちをしばしば食事の席に呼んだりします。心優しい石城さんにはそれぐらい入れ込んでしまいました。

タモリに学ぶ人生の過ごし方

 人間の悩みの90%は、人間関係だと言われています。親と子、先生と生徒、上司と部下、男女のもつれ、夫婦関係、友人関係、親戚関係、嫁姑…、昨今、通り魔事件も多いですから赤の他人との関係も悩みの種ですね。

 私も人間ですから、嫌になる日が多々あります。思うに、毎日、政治や経済や社会など人間の問題のことばかりについて考えているからなのでしょう。他人は、正義心と自己主張の固まりですから梃子でも動きません。どうにもならないことで悩んでいるわけです。

 そんな時は、宇宙のことを考えます。今から、138億年前に突然「ビッグバン」が起きて、何もなかった所に、急に時間と空間と重力とエネルギーが生まれて宇宙が出現した、なぞという話を聞かされても、俄かに信じがたいのですが、眩暈で気絶したくなるほどです。

 地球が誕生したのは46億年前で、宇宙の歴史を1年のカレンダーにすると、8月30日に当たるそうです。(ビッグバンを1月1日とする)

生命(タンパク質や核酸の生成)の誕生が40億年前(9月15日)。

 少し飛ばして、恐竜の誕生が3億年前(12月23日)

 その恐竜の絶滅が6500万年前。(12月29日)

 やっと、我々の御先祖さまとつながる新人類ホモ・サピエンスが誕生するのが20万年前。(12月31日午後11時37分)

 農耕牧畜の始まりが1万年前(12月31日午後11時58分)

 となると、宇宙から見れば、人間の歴史などたかだか一瞬に過ぎないんですね。それに比べて恐竜さんは、実際、地球上で2億年近くも繁栄していたのですから、大したものです。

 「誰それがどうした」「誰それがあれした」などと、人間に拘っているから、毎日、鬱屈してしまうんですね。

築地「C」 おまかせ丼 1000円

 私はあまりテレビは見ませんが、NHKの「ブラタモリ」はよく見ます。この番組では、その土地の地殻変動や噴火した溶岩や堆積岩など地学、地質学の話がよく出てきます。それが10万年前の話だったり、100万年前の話だったりすることはザラで、中には人類が誕生するはるか大昔の何億年も前の話だったりするのです。

 人間が出て来ず、主人公でもなかったりするのです。番組進行のタモリさんは、学者並みに、異様に地質や地学に詳しいのですが、珍しい岩石に出合ったりすると、人に会った以上に感動したり興奮したりするのです。

 御本人に会ったことがないので断定できませんが、この方は、どうも人間関係はサバサバしていて、恐らく人間関係で悩んだことがない性格に見受けられます。まず、深い意味で、人類自体に興味を持っていない。結晶片岩や蛇紋岩の方がはるかに興味があると思われます。

 となると、人類の歴史の1万年のスパンというより、何千万年、何億年のスパンで物事を洞察しているんじゃないのかと思ったわけです。

 勿論、タモリさんにも悩み事はあるでしょうが、あまり人間だけに捉われていない。彼の目先に拘らない、長い年月のスパンでの物の見方も、見習いたいものだと思いました。

高野山奥の院と青龍山安養寺とトランプ大統領来日の真の目的

 早いもので、もう6月ですか。。。うーん、ネガティブなことを書くのはやめておきましょう。泣こうが、喚こうが、時間は経ち、人生は過ぎていきます。泰然自若の境地でいるしかありません。

 そこで、明るい気持ちになろうと、早くも夏休みの計画を立ててみました。一応、いまだに会社組織にしがみついている身なので、自由はききませんけど、休みが取れればということで、二つの大きな計画を立ててみました。本当は昨年のスペイン旅行に続いて、ポーンと、また海外旅行に行きたかったのですが、お代官様の目が厳しくて今年は無理そうです(苦笑)。

 ということで、国内に絞りました。一つは、7月に弘法大師空海の高野山に行くことです。一生に一度は行きたいと思っていたからです。NHKの「ブラタモリ」の影響もあるかもしれませんが、是非とも「奥の院」に行って、織田信長や明智光秀ら戦国武将のお墓(供養塔?)をお参りしたいと思います。

 もう一つは、京都です。皆様ご案内の通り、このブログのおかげで、作家村上春樹氏の従弟である村上純一御住職と不思議なご縁ができましたが、その村上住職が預かる左京区の青龍山安養寺にお詫び行脚に行こうかと思っているのです。村上おっさん(和尚様のことを京都ではそう呼びます。「お」にアクセント)は、とても怖そうなお方で、お会いするなり、「喝!」を入れられそうですが、お許しを戴ければ、8月の「送り火」辺りにお伺いしようかと思っています。ただ、8月はお盆ですから、1年で一番忙しい月ですからね。一番混む時期なので、また、京洛先生に御厄介をお掛けしてしまうと思います。

◇F35が1兆2000億円

今日書くことはこの辺にしておこうかと思いましたが、先日、国賓として来日したトランプ米大統領のことを書いておこうと思います。

 トランプさんは一体、日本に何しに来たのでしょうか?「新天皇陛下に面会することはスーパーボール観戦の100倍も凄いこと」と安倍首相に説き伏せられたから?それとも、ゴルフをして相撲を観戦して、優勝力士に米大統領杯を授与するために?

 ほとんどのマスコミはそんなお祭りムードめいた報道一色だったので、多くの日本国民もそう思い込んだことでしょう。

 でも、実際は、「ディール(取引)」に来たのでしょう。その辺りの事情をうまくまとめていたのが、5月28日付東京新聞の「こちら特報部」だけでした。見出しだけ見ても、血の気を引いてしまいそうです。「安倍爆買い外交の数々」「農産品関税削減 参院選後の譲歩を確約?」「米の顔色うかがい、国益にならず」…。これでは、ゴルフをしながら、トランプさんが「ちゃんと約束を果たしてくれるかどうか確かめに来たんだよ」と言えば、安倍首相も「おっしゃる通りです」「はい、その通りに致します」と、まるで植民地か属国のように、宗主国に対してペコペコしている感じに見えてしまいます。

 その取引の金額が半端じゃないのです。米国製最新鋭ステルス戦闘機F35、105機の追加費用が何と1兆2000億円。地上配備型迎撃システム「イージス・ショア」2基の取得関連費2404億円、維持運用費を含めて計4389億円。垂直離着陸輸送機オスプレイ1機100億円、17機導入で1700億円。これらは全て、国民の税金ですからね。でも、この桁違いの金額については、国民のほとんどは知らないでしょう。

 極め付きが、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)。カジノ運営のノウハウは日本にはないので、米国の業者が中心に請け負い、その額はプライスレスだとか。つまり、天井知らずの日本人のお金が、米国に吸い取られることになります。

 東京新聞は「金で米国の歓心を買う安倍政権。『貢ぎ物』は軍事に限らない」と、大丈夫かなと思うくらい、露骨にあからさまに書いてますから、これでは、安倍政権に嫌われるはずです。菅官房長官が東京新聞女性記者の質問を受け付けない理由が分かりました。

【お詫びと訂正】村上春樹氏御令従弟氏からの御指摘=渓流斎大失態

 昨晩、村上純一氏というどこかで聞いたことがあるような耳慣れぬ方から、このブログのお問い合わせメールが届きました。

 読んでみて吃驚仰天。作家村上春樹氏の従弟の方だったのです。村上春樹氏による月刊文藝春秋の今月号の「手記」で登場されていたので、お名前は頭の片隅に残っていたのですが、まさか、御本人から小生に直接メールが送られるとは想像だにできず、思わず、椅子から転げ落ちそうになりました。

 用件は、小生が今年5月10日に書いた「村上春樹が初めて語る自身の父親」という記事についての間違いの指摘でした。私は、村上春樹氏と純一氏の祖父に当たる村上弁識氏が預かっていた寺院である「安養寺」のことを、大いなる思い違いで、「慈円山安養寺」(京都市東山区)のこととばかり思い込んでそう書いてしまったところ、それは間違いで、京都市左京区にある「青龍山安養寺」のことです、と、現住職を務められておられる村上純一氏から御指摘があったのでした。

 全く面目もないお話で、「思い込み」は怖ろしいもので、てっきり、法然ゆかり吉水草庵の旧跡だったと言われる慈円山安養寺のことだと思い込んでおりました。寺内大吉著「念仏ひじり三国志」の舞台にもなった所で、この本を読んで大いに感動して頭に残っていたので勘違いしてしまいました。

 とはいえ、勿論、青龍山安養寺の方も名刹です。慈覚大師円仁(794~864)が延暦寺の別所に当たる天台宗の寺として開いたと言われる古刹だったのです。

 現在、かつては浄土宗の総本山のような形だった東山区の慈円山安養寺の方は時宗に、天台宗だった左京区の青龍山安養寺は、浄土宗西山派になっていますから、素人はその辺りの変遷や経緯についてはよく分かりません。

 ところで、村上純一氏は、私の間違いについて、糾弾されるどころか、「(両寺とも安養寺と)寺号が同じですし距離もそう離れていませんので、しばしばお間違えになってご来寺になる方もございます。春樹に心を寄せてくださる方々が折々来てくださいます。
 ということは、渓流斎様の文章をお読みになった方が東山区の安養寺様にいらっしゃることも考えられます。ご点検の上、可能ならば訂正をお願い申し上げたく存じます。」などと、勿体無いお言葉をお掛けしてくれました。身が細る思いで御座いまする。

先ほどの村上春樹氏の記事の中で、私は「(村上春樹氏は )ヨレヨレのジャケットを着て風采が上がらない感じでした。 」と書いてしまいました。当然、怒られるかと思いましたら、これについて村上純一氏は「 内容について、小生が申し上げることは無いのですが…」と優しい心遣いまでされてました。ますます、面目ないことです。

 いずれにせよ、村上純一 中僧正様をはじめ、関係者の皆様には大変な御迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。

 思えば、どういうわけか、この《渓流斎日乗》は意外と色んな方が目を通されておられるようで、私が書いた記事について、直接御本人様から御連絡のあったのは、 岩波茂雄の別荘「惜櫟荘」を私財を投じて購入された作家の佐伯泰英氏の関係者(その記事は消滅しました)、「日本のスパイ王 陸軍中野学校の創設者・秋草俊少将の真実」を書かれた作家の斎藤充功氏らがいらっしゃいます。

 

運転免許を自主返納すれば特典があるとは!

 最近、高齢者による交通事故が後を絶ちません。特に、4月に東京・池袋で起きた、87歳の元高級官僚 (瑞宝重光章)による事故では、3歳の幼い女の子と母親が死亡するなど12人の死傷者を出す大惨事となり、今でも高齢者による運転の是非が問われています。

 私自身は、5年前に、信号のない交差点で、こちらは優先道路を直進しているのに、右から一時停止を無視した暴走車に追突されそうになり、ひやっとし、「こちらが道交法を順守していても、いつ何時、事故に遭うか分からない」と会得しました。たまたま、それからしばらくして、病気をして車が乗れなくなり、私的なゴタゴタもあって車を売ってしまったので、今はペーパー・ドライバーです。

 そして、交通事故のニュースを聞くたびに、勝手ながら「加害者にだけはなりたくない」と思ってしまいます。

 そんな折、運転免許を自主返納すれば、特典まで受けられる話を初めて聞きました。今、運転免許証は、区役所や銀行やレンタルビデオ店などで「身分証明書」代わりになっているので必需品です。ですから、自動車を運転しなくても、更新するつもりでしたが、自主返納すれば、代わりに「運転経歴証明書」を発行してくれて、それが身分証明書になり、しかも、特典まであると聞けば、私のような貧民は耳がダンボ (陳腐な表現!) になってしまうわけです。

3点盛り

 「特典」は、それぞれ全国の都道府県で違うようですが、例えば、映画「翔んで埼玉!」で今、全国的に最も注目されている埼玉県では、「シルバー・サポーター制度」といって、実にさまざまな特典があることが分かりました。市バスやタクシーの割引、大型店舗での駐輪代無料、それに、お茶の10%引き、和菓子の5%割引、食事をすれば、アイスクリームやドリンクの無料などいう店舗もあります。ヘアーサロンの10%オフなんてのもありますね。切る髪が少ないんですからそれでいいでしょう(笑)。

 しかし、何と言っても極め付けは、お葬式の優待価格です。「運転経歴証明書」がある、と言えば、割り引いてくれるというのです。

 これは凄い!邪魔臭かったお爺ちゃんも、死んでから褒められます。「お爺ちゃんはね、運転免許を自主返納してくれたおかげで、事故を起こさず、おまけに、お葬式も安くあげられたのよ」と、子々孫々、末代までも語られることでしょう。

果たして「舞い戻った転校生」さんは「空飛ぶ転校生」さんなのか?

 ほぼ毎日、《渓流斎日乗》なるものを書き続けておりますが、今日はどうも食指が動くような題材がないので、つまらない内輪話を打ち明けます。

 皆様お気づきがどうか分かりませんが、先月4月24日から、このブログのサイトがおかしくなってしまいました。

 まず、このブログと、ツイッター、フェイスブックのSNSとの同期ができなくなってしまいました。以前は、ブログをアップすれば、自動的にツイッターとフェイスブックに同時にアップできたのに、それができなくなりました。このため、しばらく、記事を書いても、SNSのプラットフォームだけで御覧になっている方には届かなかったわけです。

 それが、5月のゴールデンウィーク後半で、偶然、手動でSNSに送信すればSNSに反映できることが分かり、今は、手動でSNSにアップすることにしております。

 でも、その弊害で、ツイッターには、ダブリで配信されたり、順番が変になったりして、熱心な読者の方から「どうなってるんですか?」との問い合わせを受けました。すみません。これは因果関係が分からないので、解決できませんでした。

 フェイスブックも変になっているかもしれませんが、以前と同じように、有難いことに、「いいね」やコメントまで頂いております。

湯島・酒肴「吟」にて

 もう一つ、このブログから広告が消えてしまったことです。これも紆余曲折、さんざんの苦労の末、本日、やっと復活できました。これもIT専門家の松長氏のお蔭です。有難う御座いました。

 2017年9月に、Gooブログから独立して自分のサイトを設置して以来、これでも「プロ精神」として毎日のように淡々と執筆してきましたので、皆様にはまた広告のクリックを御願い申し上げる次第です(笑)。(スマホでは広告が付かないようなので、是非、パソコンかタブレットで)

◇「舞い戻った転校生」さんとは?

 さて、本日未明、「舞い戻った転校生」さんという方から、今年5月11日付の記事「『記者たち 衝撃と畏怖の真実』は★★★★★」にコメントを頂きました。ここに転載しますが、以下の通りです。

 観てきました。最終日前日に駆けつけました。大感謝です。凄い映画でした。おまけに、9:52頃シャンテビル真ん前で、高校同期の映画監督に遭遇!お互いあれ~っと叫びました。時々とんでもない所で会うのです。3年前は京都駅ホームでした。閑話休題、

 私はこのコメントを読み、大変感動しました。このブログも、皆様に少しはお役に立てたかな、と思ったからです。

 でも、「閑話休題、」と何か途中で切れているのも気になりました。そしたら、急に、この「舞い戻った転校生」さんは、かつてのGooブログで展開していた頃に、よくコメントをお寄せくださった「空飛ぶ転校生」さんではないだろうか、と思ったのです。

 このブログの「《渓流斎日乗》について」に書きました通り、諸般の事情で、2008年8月から2015年10月までの7年間の記事は、コメントと一緒に消滅してしまいましたが、「空飛ぶ転校生」さんは、ちょうどその頃によくコメントして下さった方でした。 よく覚えています。直接お会いしたこともなく、ハンドルネームしか存じ上げておりませんが、もし、「舞い戻った転校生」さんが、「空飛ぶ転校生」さんだとしたら、こんな嬉しいことはありません。

京都の不思議=ボトルの相続

  その後、如何お過ごしですか、京洛先生です。 

ブログを拝見すると、渓流斎先生は、「歴史研究」から「スパイ研究」、さらには「映画鑑賞」と、あれこれお忙しいようですね(笑)。 世間は「天皇の譲位」、「平成」から「令和」への改元で大騒ぎですが、渓流斎ブログには、ほとんど、それが触れられていませんね(笑)。やはり、何か書いてもよいのではないですか?

 いつもながら、マスコミは鉦や太鼓をたたいて、さんざん、世間、大衆を煽っています。何も考えない大衆は、”改元音頭”を踊り、踊らされて、憂さを晴らす、というパターンです。

 新聞各社は「天皇陛下おめでとう!」「慶祝!」と、大きな名刺広告を集めて紙面に載せていますが、あの広告費はチャンと「禁裏」に納めているのですかね?(笑)。自社の財布に入り、収入、収益になるのなら、”あやかり商法”というか、詐欺”みたいな話ですよ(笑)。 

大手新聞各社は「こちらが献上しようと思っても、禁裏は固辞される」ということでしょうが、「日本ナントか協会」とかいう、国際慈善団体の名称を使って、「アフリカの子供を救おう!」と浄財を集め、豪華な自社ビルを建てる費用に充てる手合いとこれでは同じですよ。

 誰も文句を言わないのも可笑しな話です。そのうち、広告収入が、下降線のテレビ業界も、映像版あやかり「名刺広告」を始めるのじゃないしょうか(笑)。「人の褌で相撲をとる」とは、こういうことをいうのです。

京都「ヘルメス」

 ところで、”10日間連休”のさなか、「奇遇」、「奇縁」のお話を一つご披露しましょう。

 貴人もご存知の三軒茶屋のガルーダ博士が連休中、洛中の別荘にお見えになり、当方にも御報がありました。いつもは、ご友人らと夜の巷を徘徊されるのですが、今回は、女婿の御尊父が亡くなられ、その葬儀、御弔いのために見えました。それら大事な役目を一通り済まされた後、「時間があるので、ご一緒しませんか」と当方に有難い、お誘いがありました。

 そこで、先夜、ガルーダ博士ご夫妻のマンション傍の千本中立売周辺で食事を済ませ、さらに「もう一軒」となり、ぶらぶら三人で歩き出しました。 

「千中(せんなか)」と略称されるこの界隈は、水上勉の「五番町夕霧楼」の舞台で、「売春禁止法」以前は「五番町」という遊郭がありました。今はマンション、住居が立ち並び、そのころの賑やかさは、ほとんど消え去り、薄暗い、人出がない、狭い道筋を歩いていると、ガルーダ夫人が小さな声で「あれ!、ここヘルメスじゃないの?」と、暗がりに燈るバーの街灯を見つけ指さされました。「え!ヘルメス、どれどれ」とガルーダ博士。「そうだ、ヘルメスだ、亡くなったOさんが、よく飲みに行くといっていた、お店だ」と言うなり、「入ってみるか」となりました。

 0さんというのは、ガルーダ博士が、今回、お葬式に行かれた女婿の実父で、建築家と大学教授を兼任されていた方です。「土に還る」自然素材を用いた、独特の建築工法で、家を建てることを実践し、「藁の家」などユニークな建物も手掛けられ、その世界では有名な方だったそうです。「自由人」らしく、京都の飲み屋街にも出没し、談論風発、友人知人も多く、学生にも、大変人気があったそうです。 

「ヘルメス」は、70歳を過ぎたと思しきママさんが一人だけで、お客さんは誰もいません。時代は「平成」から「令和」に移りましたが、店内の雰囲気は、「平成」など無視して「昭和」が今も健在です。貴人が一緒なら「いやあ、懐かしいですね!こんな店がまだあるのですね、京都には」と痺れますね(笑)。店の壁際には、古いレコードが大量に整理整頓され、お客さんの好みに合わせて、それを聴かせてくれます。

 見慣れぬ客に、多少、不審げな表情で「何をしはりますか?」とママさん。そこで小生が「こちらのご夫妻の親戚で、Oさんという方が、よくここへ見えていたそうですが、ご存知ですか?」と、出しゃばって話を向けると、「え、よく存じていますよ。Oさんは。ご病気やと聞いて、心配していましたが…」と、Oさんの近況、動静もよく知っているので、話は簡単でした。

 ガルーダ博士が「いやあ、実は、先日亡くなりました、ワタシも、東京から葬儀に来て、偶然、ちょうどお店の前を通ったので、思い切って店に入ったわけです」と話されると、「え!Oさんは亡くなられはったのどすか?!いつも、一緒に来はるNさんご夫妻が、だいぶ、よおないと、言うたはったから心配してましたが、そうどすか…」。

Oさんのボトル

ママさんは「ええ先生どうしたわ。学生さんも飲みに連れて来はってね」とOさんの懐旧譚とともに、Oさんが店にキープしていたボトルを棚から出して「ご親戚やし、飲んで、センセイを偲んでおくれやす。Oさんも喜ばはるわ」と水割りを勧めてくれました。

 これには、ガルーダ博士も言葉に詰まり、しばししんみり。Oさんの好きだったという、フランク永井の「公園の手品師」などアナログのレコードプレイヤで聴き惚れました。

 ガルーダ夫人は「きっと、Oさんが導いてくれたのよ、パパ」と言われましたが、本当に奇縁、ハプニングでした。

 翌日、ガルーダ博士は、Oさんの息子さんの女婿を、「ヘルメス」に連れて行き、ボトルの引継ぎを済ませ、帰京されました。行きつけのバーにキープされたボトルの相続、形見分けというのも、珍しいと思いますね。

以上おしまい。 

再びOさんのボトル

「これが特殊詐欺師からのはがきだ!」

 昨日も書きましたが、今、このブログはツイッターやフェイスブックといったSNSとはつながっていません。おかげで1日のアクセス数が50人ぐらい減っております(笑)。復旧まで2週間ぐらい掛かることでしょう。

 同様に「広告宣伝」ともつながっていません。ということは、何を書いても貴重な時間を無駄にしているだけ、みたいなもんで、聊か、書く気力も萎えてしまいました(笑)。

 ところが、今週発売の週刊誌(宣伝になるので誌名は省略=笑)に、新井紀子・国立情報学研究所社会共有知研究センター長が「SNSというのはタダ働きなんですよ」と、見事に的確な表現をしてくれてました。彼女は、「小中高生が算数や数学の問題を解けないのは、計算ができないのではなく、問題の内容が理解できていない。つまり、文章読解能力、国語の問題なのだ」と喝破した人でしたね。

 新井氏は、SNSは、感情を搾取される「感情資本主義」とまで仰っておりました。フェイスブックの「いいね!」が欲しいばかりに、せっせと個人情報を貢いで、広告宣伝に利用され、アマゾンの商品評価を書いて、自己満足を満たしたと思ったら、ちゃっかり、利用どころか、搾取されていたというわけです。

 搾取する代表的なものは勿論、今問題になっているGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)と言われているプラットフォーマーです。ブログも、Yahoo やgooや FC2などで、簡単に無料で利用できると思ったら大間違い。ちゃっかり、ブログの内容は宣伝や広告として利用されているだけで、実は搾取されていたのでした。的確に言えば、プラットフォーマーは自分たちで生産せず、「他人のふんどしで相撲を取っている」ようなものなのです。

Espagne

 そういう真相を知ってしまったので、今日は書く気がしなかったのですが、皆さん御存知、関東地方にお住まいの宮さんから「これが特殊詐欺師からのはがきだ!」との 凄いニュースが飛び込んで来ました。一昨日の4月24日に書いた「ついに特殊詐欺師からの電話」をお読みになって連絡をくださったのでしょう。(宮さんは、普段は、SNSのプラットフォームでこのブログを御覧になっていたのに、わざわざホームページに直接アクセスして頂き、有難い限りです)

 宮さんの場合、電話ではなく葉書による詐欺師でした。「今週火曜日、我が家にまた特殊詐欺師からのはがきが郵送されてきました。これで2回目です。前回とほとんど同文ですが、締切期日が絶妙なタイミングになっています。
…先方の電話番号が 03 ですが、もしかしたらタイのアジトにでも繋がってしまうのかもしれません。はがきの画像を添付しておきます。皆さん、どうぞ気をつけて下さい」とのことでした。

 ということで、その葉書の文面を公開することに致しました。皆さん、このような葉書が来ても、絶対に騙されてはいけませんよ。

ついに特殊詐欺師からの電話

 ついに、というか、とうとう、東京の片田舎に住む老母のところに、特殊詐欺師から電話が掛かってきました。

 母はもう齢、卒寿を超えていますから、誰を名乗った男か「覚えていない」ということでしたが、内容については、「医療保険の還付金が3万5000円も出たのにまだ取りに来ていません。キャッシュカードは持っていますか」といった丁寧な口調だったそうです。

 幸い金銭的なことは子どもたちに任せていて、本当にキャッシュカードが手元になかったので、「今はない」と答えたところ、「そんなことはないはず。それでは明日朝9時にもう一回電話します」と言って、電話が切れたそうです。

 そこで、子どもたちが、翌朝は、絶対電話に出ないように母親に伝え、それを聞いた母親は、電話が掛かってきても、約束を守って出なかったため、事なきを得ました。しかし、「リスト」に入っていたわけですから、また、手を変え品を変え、犯人たちは電話を掛けてくることでしょう。

 嫌な世の中ですね。でも、どうして詐欺師から母親に電話が掛かってきたのでしょうか?

Eapagne

 昨晩は、高校の後輩のM君と久しぶりに湯島の純酒肴「吟」で飲んだので、彼にこの話をして、「何で母親の電話番号が分かったのだろうか」と聞いてみたところ、彼は、名簿が闇取引されて個人情報が漏れているのではないかと推測していました。

 中でも、かつての携帯電話ブームで、街中あちこちで「携帯ショップ」が乱立しましたが、次第に淘汰されて次々と潰れてしまいました。倒産する際、社員に給料を払わなければならない社長が、名簿を闇で転売する事案が多くあったというのです。そこには、生年月日、性別、住所氏名、電話番号など個人情報が網羅されてますから、詐欺師にとってはバイブルになるのでしょう。 

 ほかにも、商店街の買い物、カード、懸賞応募など、どこでどういった形で情報が漏れるのか分かったもんじゃありません。

 今の時代、覇権大国同士の「戦争」は、爆撃機やミサイルなどが飛ぶ「実弾戦」ではなく、サイバー攻撃や諜報活動などの「情報戦」になったような気がします。

 詐欺師の世界も「情報を制する者は世界を制する」といった、手段を選ばない阿漕な手口を使っているということでしょう。

 許せない。いつまでたっても特殊詐欺がなくならないのは、ウマミがあり過ぎるわりには、罪が軽すぎるからじゃないでしょうか。刑法では、懲役10年以下で、初犯の場合、執行猶予が付くということですからねえ。

 本当に許せない。

騎西城と古河城に行くのが楽しみ

 4月27日(土)からの10連休はどう過ごそうか、楽しみながら予定を練っております。人混みが嫌いなので、あまり出掛けたくないのですが、色んな事情がありますから、そうもいきませんね(笑)。

 まず、大型連休を「ゴールデンウイーク(GW )」と命名した映画業界に敬意を表して映画は1本ぐらいは観るつもりです。有力候補は、先週金曜日の日経夕刊の映画評で、五つ星に輝いていたイタリア映画「幸福なラザロ」です。

 次は、自分の部屋の片付け。生前整理のつもりで、断捨離をやってみようかと思ってます。

 あとは、「城歩き」を予定しています。「城歩き同好会」の皆さんと一緒に5月4日、赤羽村長に関係が深い埼玉県加須市にある騎西城跡に行くことは決定しています。騎西城は、康正元年(1455年)、古河公方の足利成氏(しげうじ)が、関東管領の上杉勢を攻略した地として最初に文献に登場し、江戸初期の寛永9年(1632年)に廃城され、姿を消します。

関宿城

 4月7日に千葉県野田市にある関宿(せきやど)城跡を訪れ、このブログにも書きましたが、関宿城を開城したのは梁田氏で、古河公方からの命令でしたね。

 そこで、どうしても、古河公方~古河城は外せないということで、10連休の中のどこかで、一人で古河に行ってみようかと思っています。

 古河市は茨城県です。40年近く前、運動部記者だった頃に、取材で古河サッカー場を訪れたことがあります。当時は古河第一高校が、全国制覇するなど強豪校として名を馳せていたのです。でも、当時は今のようにお城にそれほど興味がなかったので、古河城跡は訪れませんでした。

 この古河市の歴史を調べてみると驚くほど面白いですね。まず、古河公方とは何かと言いますと、京都に室町幕府を開いた足利尊氏が、関東勢力の「目付け」として「鎌倉府」を置きます。そのトップの鎌倉公方に任命 (1349年) されたのが尊氏の四男基氏(もとうじ)でした。しかし、足利基氏はまだこの時、9歳でしたので、政務の補佐役として関東管領が実務を行いました。当初は、斯波氏、上杉氏、畠山氏、宇都宮氏が関東管領でしたが、次第に上杉氏の勢力が強大となり、他氏を排除して独占します。

 やがて、鎌倉公方の足利氏と関東管領の上杉氏は対立し、1439年に永享の乱が起こり、関東管領の上杉憲実(のりざね)が第4代鎌倉公方の足利持氏(あしかが・もちうじ)を自害に追い込み、鎌倉府を滅ぼします。(この上杉憲実は、「日本最古の総合大学」と言われる足利学校を再興した人物として歴史に名を残しています)

 その後、30年に及ぶ享徳の乱の末、持氏の遺児足利成氏(しげうじ=第5代鎌倉公方)が、鎌倉府を逃れて、古河御所に本拠を置いたため、初代の古河公方と呼ばれるようになったわけです。


渡辺崋山筆 「鷹見泉石像」(国宝) 所蔵する東京国立博物館のHPから

  話は飛んで江戸時代。渡辺崋山描く「鷹見泉石像」は、国宝ですし、美術の教科書にも掲載されているので、御存知のことでしょう。でも、この鷹見泉石なる人物が何者なのか、案外知られていない。

 控えい。この方は、蘭学者ですが、古河藩の家老を務めた人でした。また、藩主土井利位(どい・としつら)が大坂城代を務めていた時に、大塩平八郎の乱が起き、鷹見自身も乱の鎮圧に当たったというのです。(土井家は代々、幕府の要である老中も務める名門大名)えーー、知らなかったですね。どうも、日本史の教科書では、乱を起こした人は取り上げますが、鎮圧した人は教えてくれません。例えば、島原の乱天草四郎時貞は誰でも知っていても、鎮圧した松平伊豆守信綱(老中、川越藩主、埼玉県新座市の平林寺に墓所あり)となると、知らないでしょうねえ。

 古河城は、日光街道の要所にあり、将軍が日光東照宮に参社する際、滞在する重要な拠点でもありました。江戸城を出たお殿様は、岩槻城、古河城、宇都宮城の順で宿泊しました。