フェイスブックの功罪

岡崎城

私自身、覚悟を決めて、昨年からフェイスブックをやってるので、偉そうなことは言えませんけど、今回、5000万人もの個人情報が漏出して、2016年の米大統領選で、トランプ陣営がそのデータを利用したという事件が発覚し、創業者のザッカーバーグCEOが謝罪に追い込まれ、米議会でも証言を求められたようです。

米議会の証言というのは、日本の国会の証人喚問みたいなもんでしょうかね。それなら、ザッカーバーグ氏も「刑事訴追の恐れがありますので…」と、核心部分は語らないかもしれませんね(笑)。

何しろ、フェイスブックは、世界的には「素晴らしい無料のソーシャル・メディア」なんて言われてますが、実情は、つまり本業は、広告代理店業者なんですからね。

世の中、タダほど怖いものはない。タダで利用できて便利だと思っていたら、自分の個人情報がダダ漏れで、広告主に直結していたなんて、誰一人、想像すらできませんからね。

名古屋城

3月23日付日経は、「フェイスブック問題でリスクあらわ いつ・どこで・何買った…知らぬ間に広告主へ」といったタイトルで、「惨状」を報告しています。

ここに出てくる49歳の男性は、チェコに出張して、プラハを訪れ、そこの地場ビールの写真をフェイスブックに載せただけで、ビールや欧州旅行の広告が無造作に入ってくるようになったというのです。

写真をアップしただけで、ですよ!

要するに、フェイスブックの実態は、「名簿屋」商売といいますか、それ以上に、住所、氏名、年齢、職業から学歴、経歴、それに、趣味趣向まで登録されていますから、手っ取り早く広告主に個人情報を売るパブ(広告)屋だというのが正解なのです。

しかも、いったん登録してしまうと、やくざの世界のように、なかなか、抜けられない。まずは、どうやって退会したらいいかさっぱり分からない。頑張って、色々検索して、調べて、やっと、退会しようとすると、「写真やデータが永久に消滅します。それでも退会しますか?」「退会すると困る友人がおります。それでも退会しますか?」といったような文句が5回も6回も10回も出てきて、途中で退会を諦めさせるような趣向と工作に満ち溢れているのです。

「タダで利用してるんだから、それぐらいいいじゃないか」と言う人もいます。それに、何と言っても、サービスを利用することで、利用者は「情報を収集し、使用することに同意」したものとみなされることが明記されているというのです。

え?そうなの?と多くの人は初めて知って驚くことでしょうね。要するに、「おまえの個人情報は、全て吸い取って、広告主に売って金に換えるからな、分かってるな」と言ってるようなもんですからね。

このような毒牙から逃れるには、即座に退会して、アプリを削除するしか他に方法はありません。

しかし、便利さの前に、現代人はなかなか足を洗うことはできません。

銀行口座や暗証番号やパスワードなどが盗み取られてから初めて、その「不都合な真実」に気づかされるのです。

これだけ警告されているのに、オレオレ詐欺がなくならないのと一緒です。

私の場合は、フェイスブックは、単にアクセスを増やそうという魂胆でやっているだけなので、被害や損害に遭えば脱会するつもりです。

いや、こんな批判を書けば、本家本元が「除名」してくれるかもしれませんけどね(笑)。

しーちゃんの割烹着店でランチ、そして落合陽一さんのこと

今日のお昼は、例の東京・銀座の割烹着居酒屋のランチに行ってきました。あの「しーちゃん」のお店です。(と書いても以前の記事を読んでいない方は分からないと思いますが。。。。このブログ内で「しーちゃん」と検索すると出てきます=笑)

接遇係の女性の割烹着姿は、夜だけかと思ったら、お昼もそうだったんですね。

とっても狭いお店でした。

詰めれば12人ほどが座れるカウンターと4人掛けの椅子とテーブル1組といった感じで、接遇係の割烹着の女性が2人。それでも、「主任」さんクラスの女性は、どういうわけか本日は(も?)てんぱっていて、その緊張感がこちらにも伝わってきました。

サバ塩定食910円を注文しましたが、残念ながら、魚はそれほど新鮮という感じじゃなかったですね。

それより、目の前に張ってあった夜の居酒屋のお酒ー1合か2合か知りませんが、1200円とか、2000円とか、3000円とかあって、ちょっと驚き。私のような大貧民では夜は無理だなあということが分かりました(笑)。

で、話は変わりますが、今、若者のカリスマ的存在と言われている学者落合陽一さん。30歳という若さながら、筑波大の学長補佐を務められております。

デジタルメディアがご専門のようで、最近、陸続と本を出版され、結構、ベストセラーの上位になってます。

この方、あの国際ジャーナリストで作家で、知る人ぞ知る落合信彦さんのご子息だったんですね。これには本当に、椅子から落ちるほど魂消てしまいました。

色んな噂がある方のようで、私にとっては専門外で、それほど興味が沸かない分野なので、まだ彼の本を読もうとは思いませんが、将来の日本をたって、しょうような大物なのかもしれません。

落合信彦さんに関しても色んな毀誉褒貶がありましたから、そのご子息となると当然注目され、今はメディアで引っ張りだこです。

もし、彼の本を読んだり、彼について詳しい方がいらっしゃいましたら、コメントしていただくと嬉しいですねえ。

しーちゃんは流石でした

昨晩は、京都方面からホット指令が飛びまして、東京・銀座の「一枚の絵 画廊」で開催中の加藤力之輔個展を鑑賞して参りました。

何と言っても、銀座の画廊ですからね。

加藤画伯は、京洛先生の御友人で、スペインに長らくアトリエを構えて生活しておりましたが、数年前か、10年前か、京都に拠点を移されて芸術活動を続けておられます。

加藤画伯の作品

何しろ、あのフランコ時代にスペインにいらしていたそうですから、まるで歴史的人物のようでした。

この後、一緒に鑑賞に来ていたおつな寿司セミナー仲間5人で、近くの銀座バー「伽藍」に向かいました。

吾人は最近は、検非違使のように規則正しく、謹厳実直、質実剛健。髭もそらず、くしゃみもせず、酒も呑まず、博打もせず、不純行為も致さぬ誠に姿勢を糺した清く正しい生活を送っておりました。

夜の街を彷徨するなんて、もってのほかでしたので、久しぶりのネオンの灯りには頭がクラクラするほどでした。

「伽藍」特注ビール

地下2階にある「伽藍」に入ると、最近、同人誌に濃厚な「官能小説」を発表されたという噂の、あの美人ママさんが優しく迎え入れてくれましたが、ガルーダ博士の指令でお客さんとして、しーちゃんという若い美人の女性もカウンターで待ってました。ご関係はよく分かりませんが、京都でママさんと一緒に、彼女も京洛先生とお会いしたそうです(笑)。

見るからに、利発そうと言いますか、活発そうな女性ですが、個人情報保護法の関係で、世界中に読者の皆様がおられるこの《渓流斎日乗》に彼女の写真も掲載できなければ、詳しくプロフィールを書けないことが残念です。が、彼女は色んなお仕事を掛け持ちされていて、銀座にある今はやりの「割烹着居酒屋」に夜はバイトをやっているということは書けるでしょう。

割烹着?昔は、スチュワーデス(今は、舌をかみますが、フライトアテンダントとか言うんすかねえ?)の格好をした女性が注文を聞いてくれるパブとかあったようですが(あたしは知りませんけど)、今は、割烹着ですか…。

あっ、例のあの「スタップ細胞はあります!」のオボカタさんから来てるんですかねえ?

「家庭料理をお客様の目の前で作ってお出ししたりもするんですよ。知らないんですか? 割烹着は、はやってますよ。今晩も予約で満杯なんです。広尾にもう一軒あるんですよ。お客さんは、『お袋の味』を求めているんじゃないですかねえ」と、しーちゃん。

この後、会津の元祖「喜多方ラーメン」を食べに行きましたけれど、俄然興味を持ったチョイ悪、実は素敵なおじさまたちは、途中で、しーちゃんのお店を覗いてみることにしました。

そしたら、しーちゃんは、本当に割烹着を着て、忙しそうに立ち働いているのが外からもよく見えました。そしたら、我々に気付いた彼女はわざわざ外に出てきて、「あらまあ、お客様、きょうは、予約で満杯なもので、すみません…」と、分かっているのに、白々しく言うじゃありませんか。さっき、伽藍で会っていたばかりなのにねえ(笑)。

さすがだなあ、と思いました。何が流石なのか、分かりませんが、いたく感心してしまいましたよ(笑)。

コメント投稿は、そんなにむつかしいすんか?

古い友人のMさんから連絡がありまして、「《渓流斎日乗》にコメントしようとしたら、英語の画面が出てきて分かりにくい。どうしたらいいんだ?」とご立腹でした。

あたし、本人は、もう既に、この「ワードプレス」に登録しておりますので、改めて登録する必要がないので、コメントなんかは簡単にできます。ですから、何でうまくいかないのかよく分からないのです(笑)。

そんなにコメント投稿って、むつかしいんすか?

もっとも、あたし自身が登録したわけではなく、すべてIT青年実業家にやってもらったので、実はよく分かっていないのですが(笑)。

せっかく、読者の皆さんと双方向で交流したいのに、コメント投稿が難しいのなら、ヤバイっすねえ。

そう言えば、この《渓流斎日乗》の読者の方と思われるAさんから、どういうわけか、私のメール宛てに「ご用件」との投稿がありました。

あれっ?何でコメントが、直接、あたしのメールに来るんでしょうか?そのカラクリが、まだいまいち分かりません(苦笑)。

ということで、改めて、Aさんからの「ご用件」をアップさせて頂くことにしました。

【ご用件の主旨】
歴史探偵の気分になれるウェブ小説「北円堂の秘密」を知ってますか。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索すればヒットし、小一時間で読めます。その1からラストまで無料です。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレに最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。
夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。
岡潔が後半生を暮らした奈良が舞台の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。
(日本史の好きな方には面白いと思います。)

ついにパソコンよ、さらば?

JR浦和駅

不動産情報サイトが実施した「住みたい街ランキング 2018関東版」で、あの吉祥寺が首位から陥落して、横浜がトップになったそうで、おめでとう御座います。

しかし、私が注目したのは、埼玉県の大宮(9位)と浦和(10位)がトップ10にランクインしたことです。

へーと思ってしまいました。

でも、昨年辺りから、東海道線などと乗り換えなしで運行されるようになり、大宮、浦和から直接、横浜や熱海、小田原、伊豆まで、直行できるようになったので、便利と言えば便利です。

以前は、埼玉と言えば「ダサいたま」と言われ、住むのが恥ずかしいイメージがありましたが、そんな偏見も無くなったようです。

これから読もうかと思っている谷川彰英著「埼玉 地名の由来を歩く」(ベスト新書)によると、古代、埼玉は、武蔵国の中心どころか、東日本の中心だったようです。そして、何と言っても、埼玉(さきたま)の由来は、幸御魂(さきみたま)から来ているらしいですね。「人に幸せを与える心」という意味らしい。武蔵国には、古代には、出雲の人たちが渡ってきて、氷川神社などを建てたり、高句麗や新羅からの渡来人が移住したり、古代からなかなかのロマンと歴史があったようです。

この本を読むのも楽しみです。

 

さて、長年使っていたパソコンを処分することに決めました。メーカーが無料で引き取ってくれるという記事を新聞で読んだからです。

私の個人パソコンは、ウインドウズ7で、どうやら昨秋あたりから、マイクロソフトさんの戦略でサポートをやめたらしく、潮時となりました。

保証書と一緒に保管していた領収書を見たら、購入は2011年3月6日でした。東日本大震災の直前だったんですね。ちょうど、7年経ちますが、途中、入院したりして1年間殆ど全く使わない時もありました。

まだ、使えそうですが、バッテリーが劣化して、途中で電源が落ちたりして困ったことがありました。それに、動作が遅くてイライラしたりします。

もうパソコンも文房具みたいなもんですね。これが何台目だったのか、もうすっかり忘れてしまいました。

それに、今は、iPhoneとiPadがあるので、自宅でパソコンを使わなくても済んでしまいます。何しろ、iPhoneの最新機種のiPhoneⅩなんか、10万円以上するのに、パソコンは7万円ぐらいでも新品が買えるんですからね。パソコンもどうせ、5、6年持てばいいでしょうから、そして、ソフトもハードもそのように作られているのですから、それで十分です。

ただ、今のところ、この《渓流斎日乗》を執筆するにしろ、自宅ではパソコンを使わなくても用が済んでしまいますので、また新たに買い換えるかどうか迷ってしまってます。

ハムレットの心境です。

ペイフォワードの精神

あらあら、「ウマズイいめんくい村」の赤羽彦作村長さんから「盗作の疑いあり」と抗議のコメントが入ってきましたね(笑)。

いやいや、あたしは「うまいめんこい村」の白羽村長ですから、全く似ても似つきません(笑)。どーか、どーか、ひとつ、ながーい目で見てやってください。

さいたま市岩槻区諏訪神社

さて、通訳案内士の国家試験を受験をした人で、恐らく「300選」を知らない人はいないかもしれません。

通訳案内士受験のための専門予備校「ハロー通訳アカデミー」(観光庁が事実上、無資格者でも業務ができるよう法律を改悪したため、資格が紙切れとなり、そのトバッチリを受けて廃校してしまったようです)が発行している「日本的事象英文説明300選」というのが正式タイトルで、文字通り、300件の日本の文化や宗教、政治・経済などを外国人に説明するために簡単に英語で列記されたものです。

例えば、●おでん=Oden is a dish in which a variety of ingredients such as tofu, eggs, white radish, fried fish paste, and potatoes are boiled together in a large pot of seasoned fish broth. Hot mustard is served as a condiment.
(おでんは、豆腐、卵、大根、さつま揚げ、じゃがいもなどの様々な材料を、味をつけた魚のだしが入った大鍋で一緒に煮込んだ料理である。からしが薬味として出される。)

といった感じです。

私もかつて、アカデミーの通信教育を受け、「300選」にはお世話になりました。でも、3年前に引越し、入院という人生最大の落ち込みを体験した際に紛失してしまったので、今回改めて購入を申し込んだのです。

そしたら、驚き、桃の木!この本以外に「粗品」が、斯界では有名なあの植山学院長が送ってくださったのです。

これは、恐悦至極どころか、恐縮、恐縮です。

本来ですと、植山学院長に直接恩返ししなければならないのですが、ふと「ペイフォワード」という言葉が思い浮かびました。2000年に「ペイ・フォワード」(ケヴィン・スペイシー主演)というタイトルの映画が公開された時に、私も初めてこの言葉の意味を知りましたが、あえて翻訳すれば「恩送り」ということになります。

日本語では「小さな親切運動」に近いかもしれませんが、そこまで大袈裟ではなく、もっと他に、何か、日本人らしい言葉があるんじゃないかなあ、と朝から考えていたら、先ほど、「おすそ分け」という素晴らしい言葉が見つかりました。

日本人は昔から、奥さん方のレベルでお隣同士で醤油や砂糖の貸し借りをしたり、お歳暮をもらったら、「おすそ分け」したりしたではありませんか。

そっかあ。

最近は近所付き合いもなくなり、西日本のどっかの市長のように、私腹を肥やすようなつまらない輩が増えている感じです。しかし、人様から恩義を受けて、自分のところで止めてしまっては、私腹を肥やすことになります。それではいけない。いくらお金を貯めても死んで墓場に持っていけないでしょう?

景気循環にもよくありません。確かに誰にも老後の不安はありますが、ほどほどの生活ができればいいでしょう。

私もこの御恩のおすそ分けとして、今、年老いたお袋さんの介護で大変な古い友人に何か美味しいものでも送ってあげようかなと思いました。

ペイフォワードの精神です。

うまいめんこい村通信 イタリア食堂「のら」の巻

こんにちは。うまいめんこい村の白羽村長です。

東京一の繁華街、花の都の銀座を南下しますと、東銀座、築地になります。この辺りに意外と多いのがイタリアンのお店です。全部で50軒以上、100軒近くはあると思います。

私も30軒以上は行ったことがありますが、気に入っていた中で、Dというお店がありました。格安ながら味は抜群でしたが、いつの日かを起点にして急に味が落ちてしまいました。恐らく、料理人さんが変わったのでしょう。それしか考えられません。

ですから、グルメ店の紹介というのは大変難しいものです。その時点でいくら美味しくても、板さんや、コックさんが変われば、やはり味は落ちてしまいますからね。

さて、ここ2年ほど、気に入ったイタリアンがあります。イタリアンというよりも、下町のイタリア食堂です。築地にある「のら」という内田百閒も吃驚の名前です。サラダとパンが付いたパスタランチが900円ですから、庶民的な値段です。

今日もお昼に行ってきて初めて気が付いたのが、上記写真です。

天下の読売新聞の副社長さんが、「推薦文」を書いており、それが壁に貼ってあったのです。普通、飲食店で見られる「推薦文」てゆーか、「寄せ書き」は、芸能人か、もしくは著名作家か、画家が多いものです。私も、宮崎で入った居酒屋に、壇一雄の揮毫があったので、感激したものでした。どうやら壇先生の馴染みの店だったようです。

しかし、読売という名の知れた新聞社とはいえ、マスコミの、しかし、無名の副社長さんの揮毫を飾るとはよっぽどのことです。あまり聞いたことはありません。笈河記者も知らないはずです。もしかして、店の主が、熱烈な読売巨人軍のファンなのかもしれません。

それに、ここは築地ですから、わざわざ大手町から遠征に来ているんですかね?もしかしたら、ご自宅が傍なのかもしれません。あのネベツネさんに断っているのかなあと、余計な心配にもなります(笑)。

本日のランチも美味しく頂きましたが、帰り際、小生だけ、パンが付いていなかったことに気が付きました。サラダは付いてましたけど。

勘定するときに、「パンなかったですね?」と念を押したら、お店の人は「えっ?!」と驚いてましたが、それっきりでした。

ということで、この店はもう行かないかもしれませんので、宣伝ではないので、取り上げることにしました(笑)。

それにしても不思議。

銀座の名店「伽藍Bar」に行ってきました

昨日、ガルーダ博士こと山本悦夫先生から小包が送られてきまして、中を開けたら同人文藝雑誌「四人」が入ってました。98号です。もうすぐ100号です。ということは、もう100年も続いているのかしら…。いや、年に何回か発行の不定期刊行なので、そこまでいかないらしいですが。熱心な同人の方は、大阪や福岡の人までおられます。

この中で、山本博士は、永井荷風の「断腸亭日乗」に対抗して、「私事雑想」の連載を開始されて、ポルトガルに行った思い出や「右側通行か左側通行か」など示唆に富んだエッセイ風の日乗も書かれておられます。

赤羽村長も愛読されている日暮さんの「赤穂浪士異聞」は三回目。長瀧さんという方は「太宰の船橋、荷風の市川」なる玉稿を書かれ、太宰治と永井荷風の旧居などをネット情報を参考に再訪したりしてます。

文学しているなあ。皆さん。

今の若い人は、同人誌なんかやらないどころか、その存在さえ知らないでしょうから、まさに奇跡的です。

ところで、山本博士が「編集後記」の中で、「東京・銀座のバー『伽藍』で「四人」が500円で買えます」と、住所まで書いて宣伝されていたので、今日の昼休みに早速場所を確かめに行ってきました。

「伽藍」ハヤシライス・ランチ 1000円

「まさか空いていないだろうなあ」と思って行ってみたら、「ランチ」をやってるじゃありませんか。地下2階の長い長い階段を降りて行ってみました。そしたら、誰もいなくて、声をかけたら、意外にも(笑)美人の若いママさんが出てきて吃驚です。この方は同人文藝雑誌「四人」で、「伽藍みずか」の筆名で作品を発表されている閨秀さんでした。

しかも、夜は美人バーテンダー兼ジャズボーカリストに早代わりするというではありませんか。大した魂消たです。

ランチは昨秋から始めたらしく、理由は「朝はちゃんと起きようと思ったから」だそうです。地下奥深い隠れ家のような店で、私も、知らない店だったら入ることはためらっていたことでしょう。ランチは、私以外お客さんが一人もいないので、心配したところ、「いえ、その方がいいの。私一人でやっているので、あまり多いと対応できないし、どうせ、自分でお昼ご飯つくりますから」と、あまり説得力のない(笑)理由を述べておられました。

実は、山本博士に「四人」を贈ってくださった御礼のメールをしたところ、今朝、「今度、銀座の『伽藍』をご案内しますよ」という返信がありました。山本博士にはいつもご馳走になっておりますので、気が引けて、今日のお昼に偵察に行ってみたわけです。速攻です。ピッとしてパーです(意味不明)。小生の素早い行動に、山本博士もさぞかし、吃驚しているはずです。

そして、また、実はですが、美人のママさんから、ランチの定型メニューのほかに、特別に料理1品か2品、内緒で(誰に?)添えて頂いたのです。

みずかさん有難う御座いました。

銀座という場所柄ではありますが、リーズナブルで、夜は、ムードのあるジャズとショットバーで寛げるお店だと聞いてます。ご興味を持った方のために、リンクも貼っておきます。

「伽藍Bar」 ←こちら

 

「五六豪雪」を知ってますか?

銀座からスカイツリーを望む

私が住む、そして勤務もしてる首都圏は、今日も雲ひとつない晴天です。

それなのに、今年は、日本海側の県が何度も大雪に見舞われ、特に福井県は6日に積雪136センチという37年ぶりの豪雪に見舞われたそうで、「今日も晴天。首都圏でこんな楽な生活をしていいものか」と、何とも申し訳ない気持ちになってしまいました。

福井県内の国道8号では、豪雪のため車が1500台も立ち往生して、24時間経っても回復していないようです。一酸化中毒で亡くなった方までいました。食べ物やガソリンやトイレにも困っていることでしょう。

37年ぶりの豪雪といえば、前回は1981年、昭和56年のことです。大雪に見舞われた福井県を始め、青森、山形、新潟、福島、富山、石川、兵庫などの各県では、今でも「五六豪雪」の名称で語り継がれているそうです。福井県出身の友人から教えてもらいました。

ネット検索したら、ウィキペディアまでもが「五六豪雪」の項目を設けておりました。

家康が幕府を江戸に開いたのは、さまざまな偶然が重なった結果であり、明治維新になっても、東京が首都になったのも、さまざまな思惑で決まったにしろ、誤解を恐れずに言えば、もし、東京も豪雪地帯だったら、完璧に首都機能は麻痺してしまいますね。

人口もマスコミも首都東京に集中しているので、情報発信がどうしても都会中心になりがちです。北国の豪雪被害報道も、どうも少ない気がします。これが、東京だったら、もっと大騒ぎしていたはずです。100センチも雪が積もれば、都市圏の電車もバスも車もストップして、「帰宅難民が続出」なんて、ずーとやっていることでしょう。

世の中、不公平にできてますね。

でも、田中角栄のパワーの源は、豪雪地帯の新潟出身だったということに全く関係がなかったわけではないと私は思っています。逆に、東京人はヤワだということです(笑)。

作者不詳「とりかへばや物語」

昨晩は、奈良の西大寺先生が急に所用で東京に下って来られるということで、赤紙の召集令状が舞い込んできました。

いつものように、どんな方が来られるのか、一体何人集まるのか、全く分からない怪しい謎の懇親会です(笑)。

場所は、昔、服部半蔵が守っていたとも、屋敷があったとも言われる都心の半蔵門。

銀座・高松    煮込みハンバーグ定食1080円

定刻に着いたら吃驚でした。あのベストセラー「永六輔 時代を旅した言葉の職人」(平凡社新書)を書いた畏友隈元信一さんがいるではありませんか。実に10年以上ぶりの再会です。とても忙しい方で、昨年は出版記念会でも催そうかと思っていたのに、返事もなく、尻切れ蜻蛉に終わってしまうかと思っていましたから、嬉しい再会です。

勿論、お互い老けましたが、中身は変わっていませんでした。旧交を温めることができました。彼のフェイスブックのお友達が「1000人」というのには驚きましたけどね。

10人ぐらいが参加しましたが、例によって、《渓流斎日乗》は莫大な人がお読みになっている関係上(笑)、どんな密談をしたのかあまり細かいことを書けないのが残念です。相川君が書くとうるさいのです。

しかし、昨晩の最大のエピソードは「とりかへばや物語」でしょう。帰りに、井上さんが間違えて、赤坂さんのダウンコートを着て帰宅してしまい、後から帰ろうとした赤坂さんが、気を遣って、その井上さんのコートは身に着けないで、極寒の雪道の中、セーター1枚だけで、凍えながら豪邸に帰宅したというのです。

井上さんは、途中で西大寺先生からの電話で気がつかされて、取りに戻ってきたようですが、駅まで迎えに行かなかった北の政所の話しでは、赤坂さんは帰宅後、終始、御機嫌ななめだったとか。

いやはや、本当に本当にご苦労さまでした。