長崎ちゃんぽんの話

先日、名古屋にお住まいの篠田先生と電話で話しをしていて、長崎ちゃんぽんの話が出てきました。「東京銀座の7丁目か8丁目かにある」店ということで、「そこが美味いから是非行ってみたらどうですか」という話だったのか、「その店は、チェーン店だから名古屋にもある」といったような話だったのか。どういう脈絡で、どういう筋道で長崎ちゃんぽんの話が出てきたのか、つい最近のことなのに、すっかり忘れしまいました(笑)。

いわゆるひとつの認知何とかかもしれません。

最近、どうも思考回路に脈絡がないのです。

ということで、今日のランチは、潜在意識に訴えるサブリミナル効果が現れて、足がいつの間にか銀座7丁目のリンガーハットの店の方角に向き、長崎ちゃんぽんを食べてきました。普通盛りで626円。まあ、安いこと。

「長崎ちゃんぽんは、どういう文脈で話が出てきたのでしたか?」と篠田先生に伺うことができませんから、謎は謎のまんまです。

そしたら、今日、学生時代の友人から、急に「Hootersって知っている?どんなところか、探究心旺盛な人はきっと行って見たくなるよ。結果を『個人的な日々の逍遥録』に書きたくなることでしょう」とメールが来るではありませんか。

「個人的な日々の逍遥録」と言えば、《渓流斎日乗》の歌い文句ですよ!?(笑)。

検索したら、Hootersとは「アメリカンダイニング&スポーツバー」らしく、都内のほか、名古屋、大阪、福岡にもあるようです。都内にある一つ、銀座は、8丁目の銀座ナインにあるようです。

だからといって今日の話は、やはり脈絡ないですね(笑)。

「脈絡なし」の話ついでに、先日ラヂオを聴いていたら、確かプロ武闘家という方が、「不安というのは、まだ起きていない未来のこと。しかし、未来は今の自分の力では何ともできない。不安になりたくなければ、未来を手放しなさい」といったような趣旨の話をしておりました。

確かに、「将来の不安」と言いますが、「過去の不安」とは言いませんからね。昔なら「言い得て妙」で、ひどく感心したものですが、何となく、「だからと言って…」という猜疑心ばかり募り、どういうわけか、あまりズシンと腑に落ちなかったですね。

「言葉は無力だなあ」と最近ヒシヒシと感じています。

えっ?脈絡がない?

失礼しました!

嗚呼、我が青春の巣鴨、大塚、駒込

先日、川越に行く途中、大宮駅で電車の待ち合わせ時間が30分もあったので、駅構内の本屋さんに入り、「散歩の達人」(交通新聞社)誌が、「巣鴨、大塚、駒込」を特集していたのを見つけ、思わず、久し振りに買ってしまいました。

かつて、出身大学の東京外国語大学が東京都北区西ヶ原にあったため、この辺りはよく散歩したものでした。専攻していたフランス語にかけて「ふらふら同好会」なるものを結成して、御学友の皆さんと本当に目的地も決めずに近辺をフラフラして、最後は何処かの安い居酒屋に入って談論風発の哲学論議。帰りも千鳥足でフラフラしたものでした。

大学近くの染井霊園には二葉亭四迷芥川龍之介らのお墓があり、西巣鴨の「妙行寺」には四谷怪談のお岩さんのお墓がありました。その頃から掃苔趣味があったわけです(笑)。

また、大学近くには染井銀座や霜降銀座など、長~い古い商店街があり、今から考えても、とても恵まれていました。

大学は移転したため、学生相手の麻雀屋さんやお店は残念ながらつぶれてしまいました。よくランチに通ったのはスパゲティー(パスタなんて気の利いた言葉は当時なし)の「サニー」もなくなっていました。ご夫婦がやっていたお店で、学生たちの良き相談相手でもありました。

もう一つよく通ったのが、沢山食べると胃が少しもたれますが(笑)、安くてボリュームだけは多いとんかつの「みのや」、そして、よく行ったわけではありませんが、ジャズ喫茶の「厭離庵」。検索してみたら今でも健在のようでした。

◇駒込、巣鴨は三菱村だった!

この雑誌を買ったのは、「東洋文庫」のことが掲載されていたからでした。学生時代は、フランス関係で精一杯で、中国関係にほとんど興味がありませんでしたので、行ったことはありませんでした。ということで、当時付き合っていた彼女とよく行った六義園(当時は無料公開)の隣りにあることさえも知りませんでした。

東洋文庫は、三菱財閥の三代目総帥、岩崎久弥が今の価値で70億円と言われるほどの巨費を投じて、在上海の英国人アジア研究者モリソンから購入した東アジア関係の書籍2万4000冊を誇る収蔵文庫です。収集・分類・整理に当たって活躍したのが芥川龍之介の一高時代からの友人石田幹之助でした。このことは、以前にもこの《渓流斎日乗》で書いたことがあります。

何で、東洋文庫が六義園の隣りにあるのか、この雑誌を読んで初めて分かりました。この六義園は、元禄時代の赤穂浪士事件の際に、絶大な権力を握っていた五代将軍綱吉の側用人柳沢吉保の別邸といいますか、隠居所だったことで知られ、私もそのことは知っておりました。

それが、明治維新後、新政府のものとなり、それを買い求めたのが三菱財閥だったのですね。何と、六義園内には岩崎邸も建てられていたとか。それどころか、今では都内の豪邸街として名高い駒込の大和郷(おおやまとごう)一帯も全て、岩崎様の敷地だったというのです。吃驚したなあ。

しかも、三菱岩崎様の御用邸の敷地は延々、巣鴨の方にまで続いていたというのです。そう言えば、巣鴨駅近くに「三菱養和会」があり、サッカーかホッケーのグラウンドなどもありました。学生時代、何で、ここにあるのかと不思議でしたが、昔から三菱様の敷地だったんですね。本当に魂消ましたよ。

◇大塚の予備校跡に新興宗教教団支部が

大塚は、予備校で一年通っていましたので、これまた懐かしい。今ではその予備校はつぶれて、10年ほど前にそこを訪れたら、今ではその敷地に、芸能人の信者も多い新興宗教の教団支部が建っていたことにはこれまた驚きました。

大塚は、恩師の故朝倉剛先生の行きつけで、小生も連れて行って下さった居酒屋「江戸一」(一度、劇団四季の浅利慶太氏が女優さんと一緒に飲んでいたのを遠くで拝見したことがありました。後にお二人は結婚)も懐かしいのですが、この雑誌には出てきませんでしたね。

巣鴨、大塚といえば、大塚の三業地帯を除けば、それほど高級というイメージではないのですが、どういうわけか、この雑誌で紹介されているお店は、ランチなのに1600円とか高めのものばかり。銀座より高い!

何か、裏で意図があるのではないかと勘繰ってしまいましたよ(笑)。雑誌では、紹介されている店の中に「35年も長く続く老舗」みたいな文句がありましたけど、小生が学生時代にこの辺りをフラフラしていたのは、もう40年以上も昔ですからね。その店は、当時なかったわけです。嗚呼、溜息が出ますよ。

「君たちはどう生きるか」が100万部のベストセラー〜谷崎〜西郷〜【動画】東京驛舎

今、吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」が漫画化(羽賀翔一)されて、ベストセラー(マガジンハウス)になっているというので、《渓流斎日乗》に書くためだけにわざわざ買って読んでみました。

先日買った時点では「70万部突破」でしたが、今朝の新聞を見たら一面広告で、「100万部突破」の大ベストセラーになっていました。

原作の出版は、支那事変が開始された昭和12年(1937年)と言われてますから、何で、80年も昔の本が漫画とはいえ、急に蘇っってブームになったのか不思議です。

識者の中には「暗い軍国主義の世の中になる時代と、21世紀の『戦前』と共通点があるから」と仰る方もいますが、読んでみれば、コペルニクスやニュートンら科学者が多く登場し、政治家として出てくるのは異国の英雄ナポレオンぐらいです。それより、学園内でのイジメや、貧富の格差、友情と裏切りといった今でも通じる普遍的な若者が抱く悩みや疑問が描かれています。

作者の吉野源三郎は、東京高等師範〜一高〜東京帝大卒という絵に描いたような知的エリートです。戦前、治安維持法で逮捕された経歴があり、戦後、岩波書店の雑誌「世界」を発行し、戦後民主主義を代表する進歩的知識人と言われています。

昔でしたら、話はこれで終わっていましたが、今のようなネット時代では、極左から極右まで色んな方が発言されたり、フェイクニュース、フェイスブックならぬフェイクブックも横行したりして、あまりにもの情報過多で思想信条がグラつき眩暈が起きることでしょう。

「君たちはどう生きるか」は、叔父さんが甥っ子に手紙などで語りかける手法で、人生の先輩として若い人に一つの指針を示す様が描かれています。その中で、自分の信念を持つことの大切さを説くあたりがが印象的でした。

まあ、あまりネット情報に左右されないことが肝心ですよ。

(一昨日からの続き)

日本橋人形町は、文豪谷崎潤一郎生誕の地で、私の大好きな歴史的碑が立っていました。

詳細は上記の写真をお読みください。

昨日から始まったNHKの大河ドラマは「西郷どん」。「七福神めぐり」で日本橋人形町を彷徨いていたら、偶然、魚久本店を通り掛かり、店前に上の写真の通りの「由来」を発見しました。

江戸末期、姫路藩主酒井家の屋敷があり、維新後、参議になった西郷どんが居を構えた、と書いてありますね。

ここだったですか。

最後に「おまけ」は今年のお正月2日の東京驛前風景の動画です。100年もすれば、歴史的価値が出るやもしれません。まさか(笑)。

 

【動画】新年一般参賀に伺候仕り候

大晦日の日、極右超国家主義者の栗林先生から、極左無政府主義者、実は単なる日和見主義者の渓流斎に「果たし状」が舞い込んできました。

「新年一般参賀に伺候仕り候。つきましては、1月2日戌の刻、東京驛舎附近にてお待ち申し上げ候」

一般参賀は昨年もお伺いしましたので、どうしようかと思いつつも、逃げの小五郎では男が廃る、男の恥ということで果たし状を受けることに致しました。

2018年の新年一般参賀 見えない

来年は今上陛下がご退位されるということで、世間の関心がいや増したせいなのか、前年と比べてかなり多い人手に見えました。

宮内庁の発表によると、昨日は平成最多の12万6720人が参賀したそうです。道理で。

大、大、大行列で、実に一時間半並び、確保できた場所も、昨年と比べてかなりかなり遠方で、上部にアップした動画の如く、小旗で前方がほとんど見えない状況でした。

再挑戦

頑張って、再挑戦してみましたが、ほとんど変わりがなく、昨年も大変でしたが、昨年は場所的に如何に恵まれていたのかということが初めて分かりました。

そこで、改めて、下部に昨年、小生が捉えた一般参賀をアップすることに致しました。

2017年の新年一般参賀

栗林先生と小生は、思想信条が全く真逆ですが、歴史好きで、「伝統文化を重んじる」という意味では共通点があります。

何時間も一人でジッと並ぶことは精神的に耐えられませんから、二人で並んでいる間中、小生は一人で、徳川四天王のその後移封された藩のことや、ヴェルサイユ体制のことなど、この《渓流斎日乗》に一度書いた「受けおり」の話などを一方的に喋って、並ぶ苦痛を軽減することができました。

この後、皇居〜千鳥ヶ淵戦没者墓苑〜靖國神社参拝と昨年と全く同じコースを辿り、これまた昨年と同じ神保町のサイゼリヤで、イタリア製ワインのボトルを2人で2本も開けて懇談致しました。

この日は、1万5000歩近くも歩いたので、私は疲労困憊でしたが、栗林先生は日頃から鍛えているので、疲れなど何処を吹く風。

栗林先生は、恩給を受けられているほどの御年ながら、御自宅近くの身躰向上倶楽部で週に7里も泳ぎ倒し、超美人の淑女とは週数回交際されているという噂の超人的身躰機能の持ち主です。羨ましい限りです(笑)。

先生は、今、人生で最も充実しておられるということを、熱く語る政治思想の話とは違って、滔々と話しておられました。

御馳走様でした。

年賀状あれこれ

Italie

年賀状というものは、出すのは大変ですが、もらう、頂く、となると、やはり大変嬉しいものです。もう何十年も会っていない旧友の近況が分かり、懐かしくなります。

私の場合は、もう隠居に近い状態ですから、お返事は必ず書くにしても、交際の方は音楽用語で言うところのデクレッシェンドすることにしました。つまり、今後は、前年お返事のなかった方は遠慮させて頂き、徐々に50枚ぐらいに減らして行こうかなあと思っております。(前年なかった方から、今年は来たりして慌てましたけど)

パソコンのプリンタを所有していないので(笑)、住所は手書きなので、なかなか大変だからです。現役で最高の時は、350枚ぐらい出したことがありましたが、今では120枚ほど。あの経済評論家の阿部さんなんか、毎年3000枚も出しておられるそうで、ここまで来ますと、職人芸の領域ですね(笑)。

小生の所には、かつての仕事の関係で有名女優さんからも毎年、年賀状が届きます。が、今では、いつ、何処で、何のことで取材させて頂いたのか、すっかり忘れております(笑)。有名女優さんの方も、「毎年来るのでしょうがないから出している」「この人誰だったかしら」といった感じかもしれませんね(笑)。

Italie

今年の年賀状で最も印象的だったのが、関西在住で、読売新聞運動部に勤めていた先輩記者の俵本さんからでした。昨年、無事古希を迎えられ、「余生を考え、身軽であることが必要と思い至り、誠に身勝手ながら本年をもちまして新年の御挨拶を辞退させて頂くことに致しました」との宣言。私のようなデクレッシェンドではなく、スパッと切り替える雄々しさと清々しさを感じましたね。

もう一人は、朝日新聞の敏腕学芸記者で昨年、満期定年退職された白石さん。どういう経緯か知りませんが、米国の小惑星センターが、火星と木星の間の軌道を5年ほどかけて1周する小惑星に彼の名前を付けてくれたというのです。

その名前は「(20096)Shiraishiakihiko」。そのまんまじゃん(笑)、てな感じです。18等級と暗く、普通の望遠鏡では見えにくいそうですけど、「これからの人生の支えになりそうです」とか。

白石さんは、小生も尊敬する文芸記者ですが、今は菅江真澄とドイツ語の勉強に勤しんでおられるとのこと。菅江真澄? もちろん、皆様もよく御存知のはずです。

平成三〇年(2018年)新年明けましておめでとう御座います!

La vue de Mont Fouji du balcon du immeuble situé dans le centre de Tokio copyright par Duc de Matsouoquasousoumou

アケオメ

コトヨロ

La vue de Mont Fouji de Higashikouroume copyright par Osamoutakada

《渓流斎日乗》のご愛読の皆様

最近の日乗は「長い」「つまらん」「読むのがかったるい」とお嘆きの読者諸兄姉の皆様方

平成三〇年の元日を無事迎えられまして、恐悦至極に存じ上げ奉ります。

新年の執筆始めとしまして、今年は皆様方のご要望にお応えしまして、二言のみと致しました。

ですので、今年も宜しゅう頼んます…(笑)。

大晦日と「京都学派酔故伝」

鎌倉街道

◇1年間御愛読有難う御座いました

今日はもう大晦日です。今年も本当に色んなことがありましたが、1年間はアッという間でした。年を取ると、年々幾何学級数的に歳月の流れが早くなりますね。

今年も一年間、わざわざ検索して、この《渓流斎日乗》を御愛読して頂きました皆々様方には感謝申し上げる次第で御座います。

今年は何と言っても、《渓流斎日乗》が新規独立して、オフィシャルサイトが開通したことが最大のイベントとなりました。これには、東京・神保町にあるIT企業の松長社長には、大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。

◇戦勝国史観だけでは世の中分からない

日々のことは、毎日この《日乗》に書いた通りですが、 個人的な今年の最大の収穫は、数々の書籍を通して、物事も、歴史も、色々と多面的に眺めることができたということでしょうか。世の中は、数学のようにスッキリと数字と割り切れるわけではなく、スポーツのように勝ち負けで勝負がつくわけでもなく、哲学のように論理的でもなく、小説や映画の世界のように善悪で割り切れるわけでもなく、社会倫理のように正義と不正義に峻別されるわけでもないことがよおーく分かりました。

来年のことを言えば、鬼も笑うかもしれませんが、個人的な抱負としましては、引き続き、健康には気をつけますが、「何があっても気にしない」(笑)をモットーにやって行きたいと存じます。

あと、毎日電車の中でスマホでこの《渓流斎日乗》を更新し続けてきましたら、今年9月下旬に急に体調を崩してしまい、「これはいけない」ということで、「スマホ中毒」からの脱出を図ることに致しました。

以前のように、毎日更新できないかもしれませんが、今後とも御愛読の程、宜しく御願い奉ります。

京都にお住まいの京洛先生のお薦めで、櫻井正一郎著「京都学派 酔故伝」(京都大学学術出版会、2017年9月15日初版)を読んでいます。著者は英文学者の京大名誉教授。残念ながら、あまり読みやすい文章ではありませんが、「京都学派」という知的山脈の系譜が「酔っ払い」先生をキーワードに描かれています。

京都学派というと、私のような素人は、湯川秀樹博士のような物理学者を思い浮かべましたが、著者によると、初めて京都学派という言葉が使われたのは1932年で、戸坂潤が「西田=田辺の哲学ー京都学派の哲学」という著書の中で使ったもので、哲学の分野が最初だったといいます。

そこから、京都学派の第1期は、哲学者の西田幾多郎、田邊元、九鬼周造、東洋学者の内藤湖南、中国学者の狩野直喜らが代表となります。第2期では、中国文学の吉川幸次郎、仏文学の桑原武夫(実父は第1期の東洋学者桑原じつ蔵)、生物学の今西錦司、梅棹忠夫、作家の富士正晴、高橋和巳らとなり、本書では彼らを取り上げて詳述しています。

京洛先生は、三高と京大の名物教授だった英文学者の深瀬基博(織田作之助も三高生のとき習った)が贔屓にしていた祇園ではなく「場末」の中立売通のおでん屋「熊鷹」(今はなき)が、お近くのせいか、えらくお気に入りになって、「現場」まで足を運んだそうです。

この本の中で、赤線を引いたところはー。

・仏文学者の桑原武夫は、小林秀雄に対して厳しく、「小林君というたら無学でっせ」と言ったとか。同じ仏文学者の生島遼一も小林には厳しく、後輩の杉本秀太郎が生島の家で小林を褒めると、生島は「君たちは小林小林と言うけど、彼は僕や桑原君みたいにはフランス文学は知りませんよ」と言うなり、杉本に出していたカステラを取り上げて、窓を開けてカステラを犬に食わせたとか。

・「海潮音」の翻訳で知られる上田敏は、京大英文科の初代主任教授だった。

・中国文学者の吉川幸次郎が、東京・銀座の金春通りにあった料亭「大隈」に飾ってあった、客として来た画家の岸田劉生が書き残した画賛が読めなかった。生真面目な吉川は「これは語法に合うとらん」と言った。そこに書かれていたのは、

鶯鳴曠野寒更新

金玉瓶茶瓶茶当天下

後日店を訪れた中野好夫は、吉川とは三高時代の同期だったので「吉川はこういうもんは読めんよ」と素っ気なく言ったとか。

これは、謎かけや隠し言葉を楽しんでいた江戸文化がまだ残っていたもので、「長らくご無沙汰していた年増女の懇願する内容」ということで、後は皆様御自由に解釈くだされ(笑)。

・古代ローマで一般教育「リベラルアーツ」の習得は自由民だけに限られ、奴隷、職人はタテ社会の一員として親方から専門教育だけを伝授された。リベラルアーツの初級は、「文法」「修辞学」「論理学」の3科目。上級は、「算術」「天文学」「地理学」「音楽」の4科目だった。

・筑摩書房の創業者古田晃は、東大出だったが、国文学の唐木順三、独文学の大山定一ら京都学派の本をよく出版した。かなりの酒豪で、最期は東京・神保町の「ラドリオ」で酔い潰れ、帰りのタクシーの中で帰らぬ人となった。

【特別エッセイ】男のサガについて

三島市「山中城」障子堀 Copyright par Osamoutakata

先日、テレビで、ある女性の心理学者さんが男と女の面白い違いを指摘してました。

テーブルの前に何枚かカードを伏せて並べて、一瞬だけ見せてからまた直ぐ伏せて、「何が描かれていましたか?」と質問すると、女性が「バナナがありましたね」などと答えるのに、男性の場合、あったカードではなくて、「葡萄がなかったですね」などと、なかったカードについて言及するというのです。

この話を聞いて、私なんか「はっはー」と思いましたね。

男という生物は、「ないものねだり」と言いますか、なくなったものに対して、妙に執着心があると思ってしまうのです。女性は、「ある」ものにしか興味がない、とも言えます。

だから、男は「失われた時を求めて」のような長編小説が書けるし、今はない幻想を追い求めたり、まあ、過去の歴史が好きだったりするんでしょうね。

男は、もう別れてしまった恋人や愛人やガールフレンドだけでなく、交際が絶えてしまった同性の友人たちについても、時々、ふと思い出したりします。

ところが、女は違うんですよね。

築地・イタリア食堂「のら」

女は、今、現前にあるものにしか相手にしません。「歳月日々に疎し」とよく言われます。英語では、Out of sight, out of mind. つまり、目の前から消えたら、はい、さようならです(笑)。

ある友人の話ですが、彼が遠く離れてしまった昔の女性に、誕生日が近いので久し振りに連絡したところ、電話も通じず、メールもラインのアドレスも変更されていたというのです。それは、それは、誠にお見事なものだったそうです。つい2〜3カ月前までは通じていたのに、一切、予告なしにプッツリ切れてしまったというのですからね。

昔、山本リンダの唄の中の歌詞に「ボヤボヤしてたら、あたしは誰かのいい娘になっちゃうよぉ〜♪」というものがありましたが、今の時代からすると、凄い歌詞で魂消てしまいますが、一理ある歌詞だったんですね(笑)。

いなくなってしまった人やモノのことでウジウジ悩んでいる男性諸君!貴方のせいではありません。単なる男のサガだったのです!

【教訓】

これからは、「ない」ものに執着することはやめて、今「ある」もの(明日飢えない程度のお金と、雨風を避けられる住む家、優しく声を掛けてくれる友人たち等)に感謝の気持ちを持って生きていけば宜しいのではないでしょうか。

iPhone 新機種断念は残念無念

シュークリーム fabriqué à la main

朝出勤して、トイレの鏡を見たら、口の周りに白い歯磨き粉が山賊のようにべったりとくっついていました。この顔で、バスに乗り、電車に乗り、華の東京は銀座の街を闊歩していたので、我ながら、一瞬、冷や水を浴びせられたような心境で微苦笑してしまいました。

怪しい変なおじさんです。

Milano

私のスマホは、2年前に初めてiPhoneに買い換えてすっかり気に入ってしまい、通話から、写メール、インスタ映え(やってましぇん)、静止画に動画撮影、そして、電車の中でのこの《渓流斎日乗》書きと八面六臂の活躍をしてくれています。

でも、購入して2年ともなると、電池の消耗が早くなり、何よりも、アプリやシステム設定の更新が頻繁に来るようになりました。そこで、「2年契約」の縛りも切れることですし、新機種に乗り換えようかと画策しました。

◇iPhone6はタダだった!

実は、今持っているiPhone6は、2年前は最新機種より2世代ぐらい古い昔の機種だったため、「一括ゼロ円」で購入したのでした。つまり、タダ!

しかし、そんな素晴らしい制度は、総務省の鶴の一声で廃止されてしまいました。私が画策した範囲内ですが、何処に行っても「一括ゼロ円」がなくなったどころか、量販店でも正規ショップでも、場末の裏街の携帯屋でも、ほぼ全く料金が同じになってしまったのです。店員が同じようなタブレットを持っていて、価格をはじき出すだけでした。

今、iPhoneの最新機種は「8」と「Ⅹ」ですが、一番安いiPhone8の64GBでも約9万2000円。iPhoneⅩ256GBとなると15万円もするのです。

繰り返しますと、それが何処に行ってもほぼ同じ値段なのです。

そこで、正規ショップで、値崩れした古い機種のiPhone7を購入しようとしたら、近くのショップは全て売り切れ。遠いショップも10軒以上電話で問い合わせてみましたが、全て在庫なしでした。価格は7万5000円ぐらいです。

確かに、量販店にはiPhone7はありましたが、正規ショップの1万5000円の割引券(ポイント還元)が使えないばかりか、3240円の手数料も取られるので、馬鹿らしい。

結局、新機種買い換えは諦めてしまいました。

何しろ、今、パソコンが、台湾製ながら特別価格で2万円を切る価格で販売されているんですからね!もう文房具に近くなってきました。しかも、高級万年筆よりも安い!

しょうがないので、今のiPhone 6でも十分に使えますので、半年後、新機種iPhone 8EかiPhone 9が発売された時に、値下がりしたiPhone 8でも買おうかなあと思っています。

やっぱり、変なおじさんでした。

【動画】「勝鬨橋から隅田川を見ゆ」と電車の中の不愉快

築地・イタリアン食堂「のら」ランチ900円

久し振りに【動画】を投稿します。間違えて、iPhoneの縦で撮影してしまいましたので、両端が黒ずくめになってしまいました(苦笑)。

昼休みに会社から歩いて10分ほどで、こんな良い所があるとは気が付きませんでした。

タイトルは「勝鬨橋から隅田川を見ゆ」です。

東京・勝鬨橋

今日は通勤電車で、ちょっと不愉快なことがありました。

近くの座席に座っていた中国人の女が、ボリュームいっぱいの動画に熱中して、周囲に騒音迷惑をかけていたのに、全く誰も注意しないし、我関せずといった感じだったのです。

なぜ、中国人だと分かったかといいますと、何かアクションドラマか何からしく、中国語の罵声と、マシンガンの音がけたたましく鳴っていたからです。

周囲が注意しないのは、言葉が通じいせいかもしれませんが、女が法律違反を犯しているわけでもないせいだったかもしれません。

でも、こんな時どうしたらいいんでしょうか?私もわざわざ席を立って注意しに行くのも大人げないと思い、やめてしまいました。

インテリの皆さんは、外国人の移民大歓迎で、人権問題にも敏感です。恐らく、彼らは見て見ぬふりをするんでしょうね。

その女は五つ目ぐらいの駅ですぐ降りてしまいましたので、静かになりましたが、今から思うと、あの女は迷惑防止条例か何かには引っかかるはずでした。注意できなかった自分にも腹が立ちました。