華やかな江戸文化の中心人物、大田南畝

  やっと、浜田義一郎著「大田南畝」(吉川弘文館)を読み始めています。この本は、6月に東京都墨田区の「たばこと塩の博物館」で開催された「没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界」展の会場で販売(2200円)されていたものでした。初版が1963年2月20日となってますから、60年ものロングセラーです。大田南畝に関する伝記・評論本は、この本を超えるものがあまり出ていないせいなのかもしれません。

 兎に角、この本は6月に最初に15ページほど読みましたが、他の本に取り掛かっていたら、内容をすっかり忘れてしまい、もう一度最初から読み始めています。というのも、登場人物の名前がなかなか頭に入って来ないからなのです。

 例えば、大田南畝の師匠に内山賀邸(1723~88年)という人がいました。名は敦時(あつとき)、号は陳軒(ちんけん)、牛込加賀屋敷に住んだので賀邸(がてい)とも号しました。私塾を開いて、漢学も教えましたが、国学が主で、和歌は当時江戸六歌仙の一人に数えられたといいます。その賀邸の門人、つまり南畝の同門に小島謙之(けんし)という四谷忍原横丁に住む幕臣がおりました。通称は源之助。年は南畝より6歳上。和歌が得意で、20歳ごろから狂歌をつくり、橘実副(たちばな・みさえ)という狂名を名乗っていました。それが、師の賀邸から狂歌を褒められ、唐衣橘洲(からごろも・きっしゅう=1743~1802年)と師によって改名されたといいます。小島謙之は、小島源之助であり、橘実副でもあり、唐衣橘洲でもあるわけです。

 このように、同一人物なのに、本名(諱)の他に、通称や雅号や狂名や字(あざな)まで出てきて、頭がこんがらがってしまうのですよ。日本人は古来から、本名をあけすけに言われることを忌み嫌いました。そこから、本名のことを諱(いみな)と言われます。(だから、目上の人に対しては、官職名や住んでいる所=例えば、鎌倉殿=などで呼び掛けしたのでした)通称というのは綽名(あだな)のような別名のことです。一方、字(あざな)となると、中国で始まった風習で、元服して本名以外に正式に付けられた名前のことを言います。特に漢学の素養のある日本人は好んで付けたといいます。最後に、雅号は、文人や画人が自称した名前ですね。

 こうなると、一人の人間が幾つもの名前を持つことになります。でも、こういうのは個人的には大好きですね。ですから、私も、渓流斎と号し、複数の名前や雅号を持っているわけです(笑)。

 この本の主人公である大田南畝(おおた・なんぽ=1749~1823年)は、江戸牛込仲御徒町生まれで、御徒(おかち)職の幕臣です。御徒職というのは、文字通り、将軍らが公用や鷹狩りなどで出掛ける際に、徒歩で側に仕える一番下っ端の直参のことです。本名が直次郎で、南畝は号です。中国の古典「詩経」の「大田(だいでん)篇」から取られたといいます。同時に、ここから、子耜(しし)を字(あざな)として取っています。でも、これだけでは済みません。19歳の時に出版した詩文集のタイトル「寝惚先生」は晩年になるまで呼ばれ、22歳の頃に狂名として名乗った四方赤人(よもの・あかひと)、後に四方赤良(あから)もあります。また、30歳代後半から、幕臣としての仕事に専念するためいったん文芸の筆を折りますが、乞われて断り切れずに再開した際、匿名として名乗ったのが蜀山人でした。他に、風鈴山人、山手馬鹿人、姥捨山人などの筆名も使っています。

 幕臣大田直次郎は知られていなくても、大田南畝も四方赤良も蜀山人も歴史に名を残しています。一人でこれだけ複数の名前を残す偉人も多くはいません。

 大田南畝は19歳から本格的に文芸活動を始め、いわゆる文芸サロンのようなものを開催したり参加したりしますが、その幅広い交際には目を見張ります。江戸時代は、士農工商のガチガチの身分社会と思われがちですが、南畝は幕臣なのに、町人とも気軽に交流します。特に平秩東作(へずつ・とうさく=1726~89年)という町人は、南畝に多大なる影響を与えた戯作者であるといいます。南畝より23歳年長で、内山賀邸の同門でした。東作は、稲毛金右衛門という町人で、内藤新宿で煙草屋を営み、文学を好んで立松東蒙と称し、字は子玉。「書経」から取った平秩東作を筆名にしたといいます。この東作の親友に川名林助という漢詩人がおり、大田南畝はこの川名を通して、あの平賀源内と相知ることになります。

銀座「エスペロ」

 有名どころとの交際と言えば、ほかに、戯作者の山東京伝、版元の蔦屋重三郎、絵師の鈴木春信勝川春章(北斎の師)、葛飾北斎谷文晁、歌舞伎役者の五代目市川團十郎(写楽が描いた有名な「市川鰕蔵の竹村定之進」)、それに塙保己一らがおり、大田南畝は、華やかな江戸文化の中心人物だったとも言われています。

 ところで、狂歌というのは、私自身、江戸時代に大田南畝によって開始された文芸だと勝手に誤解していたのですが、史実は、鎌倉時代初期(平安時代という説も)から、既に歌会や連歌会の余興として行われていたといいます。和歌と同じ五七五七七ですが、和歌とは違って、風刺や諧謔に富んだものです。そのせいか、当初は、座興による読み捨てにするべきものとされていたようです。大田南畝の時代である江戸中後期が全盛期のようで、明治以降は廃れてしまったようです。

 本日はこれだけ書いて、いっぱい、いっぱいになりました。続きはまた次回に。

台頭するインドの衝撃=4年後、経済大国世界第3位に?

  先日放送されたNHKスペシャルの混迷の世紀シリーズ 「台頭する”第3極”インドの衝撃を追う」はタイトル通り、実に衝撃的でした。

 一人っ子政策の弊害?から早くも少子高齢化社会に突入した中国を追い抜いて、インドは今年(2023年)、世界一の人口大国(14億2800万人)に躍り出たといいいます。そんなインドの台頭が緻密に描かれていました。

 何しろ、4年後の2027年には、インドはドイツ、日本を抜いて世界第3位の経済大国になると言われているのです。その背景のメリットとして平均年齢27.9歳という若さがあります。若さは高度経済成長の要です。中国の平均年齢は38.5歳、日本ともなると48.7歳ですから、どんなに頑張っても(老人をこき使う手もありますが)この予想は覆されないことでしょう。

向日葵

 インド発展のバックグラウンドには、IT技術の強みがあります。インド人はゼロを発見した民族ですから、古代から数学に強い民族です。仏教のお経にも「阿僧祇(あそうぎ)」「那由多(なゆた)」など、とてつもない桁数の数字が出てきます。弥勒如来も、釈迦入滅から56億7000万年後に出現すると言われています。現代人が今、普通に使っている1、2、3…といった数字は「アラビア数字」と言われていますが、実は、インド数字の表記がアラブ世界に取り入れられ、欧州人は中世にアラブ世界からそれらの数字を輸入したのでアラビア数字と呼んだだけで、事実はインド数字だったといいます。

 インド人は数学やITに強いので、米国Googleの社長サンダー・ピチャイ氏も、アドビの会長、社長兼CEOでシャンタヌ・ナラヤン氏らもインド系米国人です。インド系が世界のIT業界を制覇しているといっても過言ではないかもしれません。

 番組では、そんなIT技術の強みを生かして、モディ首相がインド国内だけでなく、エチオピアやフィリピンなどグローバルサウスと呼ばれている国々に対してもデジタルインフラを推し進めている有り様を追っていました。デジタルインフラには、個人のIDが生体認証システムとドッキングし、銀行口座にも紐づけされ、決算が飛躍的に便利になるメリットがあります。その半面、個人情報が何処まで守秘されるのか疑問符が付き、政権が変わって、独裁者が出現すれば、国民を奴隷のように意のままに扱うことが出来る危険性もあるわけです。

 今の日本のマイナーカードでさえ、トラブルが頻発しているわけですから、この個人IDシステムがインド国内はともかく、海外で何処まで伸びるのか、まだ誰も分かりません。

 インドは長い間、英国による植民地支配を受けて苦しんできた国です。そのため、デジタル技術も欧米に奪われて支配されたくないといった高邁な精神から、IT技術を促進していったといいます。つまり、インドによるグローバル・スタンダードの構築です。インドは、グローバルサウスの最貧国にはIT技術を無償で提供すると言われています。

ヤブカンゾウ

 ただし、インドはヒンズー教を国教とし、いまだにカースト制度が残存していると言われます。番組では、モディ政権による少数民族やイスラム教徒に対する弾圧も描写していました。カースト制の最下層に多いと言われる少数の仏教徒も弾圧されているのかもしれません。ウイグル族らを弾圧している中国と同じことをしておきながら、欧米社会は、批判せずにインドを受け入れるという矛盾した態度を取っているわけです。

 国際社会というものは、うわべでは握手してニコニコしながら、水面下では足の蹴り合いをして覇権を争っている社会と言えるのかもしれません。

【追記】

 本日7月18日、銀座の会社に出勤して、無事、誕生日を迎えることが出来ました。Facebookを停止したのにも関わらず、(私から見て)多くの皆様からお祝いのメッセージを頂きました。この場も序でにお借りして御礼申し上げます。

 有難う御座いました。

 誕生日が過ぎれば、精神的にも落ち着くことでしょう(笑)。

日日是好日、自助努力のすすめ

「命に関わる危険な暑さです。出来る限り外出はお控えください」

 ラヂオを聴いていると、アナウンサーが盛んに呼びかけています。私の趣味は、全世界のお城や寺社仏閣・仏像巡りです。3連休なので、何処かに行こうかと思いましたが、ここまで言われると、さすがに遠出は諦めました。誰も老骨を拾ってくれる奇特な方はいらっしゃいませんからね(苦笑)。私の住む関東地方は、連日、これまでに経験したことがないような、36度とか38度か異様な暑さです。先日は、福岡県、佐賀県、大分県、秋田県などで、死者が出るほどの線状降水帯による甚大な被害があり、お見舞い申し上げます。その一方で、関東地方は猛暑ですから、異常気象極まり、といった感じです。

 猛暑で遠出できないので、自宅近くの市民プールに行って来ました。コロナ禍の影響で実に4年ぶりです。4年ぶりに行くということで、ネットで確認したところ、市民プールなのに、窓口で入場券を発行しないというのです。何と特定のコンビニと結託して、そこでしか買えないシステムになっておりました。いわゆる行政の民間への丸投げです。チケットは、コンビニ内にある機械を操作しなければならないので、老人には大変面倒です。まあ、老人はプールなんか、もう行かないかあ…(苦笑)。

 それでも、渓流斎翁は「健康第一」と、慣れないコンビニ機械を一人で操作して、チケットを購入(440円)してプールに行って来ました。でも、さすがに年を取ったせいか、ひと泳ぎしただけで、疲れました。結局、25メートルプールを合計3往復しただけで帰宅の途に就きました。わずか30~40分。まるで烏の行水ですねえ(笑)。それでも、久しぶり、良い運動になりました。

 久し振りのブログ執筆ですが、正直言いますと、書けなくなってしまったのです。金縛りに遭ったといいますか、自家撞着になったといいますか、何か、世迷言ばかり書き連ねているような気がして、絶対矛盾的自己同一です。と書いて、自分でもよく分かっておりませんが、まるで自分がハムスターになって、回し車の中を全速力で走っていて、目的地も意味もなく、ただ単に体力だけを消耗しているような気がしてしまったのでした。

 何と言っても、ブログを含めてSNSは、特に必要がない「要らない情報」という真理がありますからね。

 それに、年を取ると、寛大さがだんだん薄れてきて、好き嫌いが激しくなります。特に、嫌いな評論家やタレントらがテレビやラヂオに出たりすると、直ぐにチャンネルを替えたくなります。例えば、時の政権に追従しておべっかしか使わない政治評論家とか、学者から政治家・実業家に転向して我田引水的政策しか断行しない政商評論家とか、「老人は早く死ね」と言った趣旨の発言をしても反省すらせず、相変わらずテレビに出続ける若い経済学者とか、さらには、やたらと露出して稼ぎの良いCMばかりに出たがるタレントとかです。奴らに「もっと汗水たらして、真面目に働け」と言っても馬耳東風ですし、関わるだけで精神的に無駄ですか?

 しばらく、(とは言っても5日ぶりですが)渓流斎ブログを更新しておりませんでしたが、その間に、意外にも皆さまからの多大なるアクセスがあり、コメントまで頂きました。本当に、嬉しい限りです。御礼申し上げます。ブログ更新が出来なかったもう一つの理由は、「誕生日病」かもしれません。私は、子どもの時分から、誕生日が近くなると、妙に気分が落ち込んでしまうのです。誕生日は一番、おめでたい日ではありますが、欲しくもない馬齢ばかり重ねて、不甲斐ない気持ちでいっぱいになってしまうのです。

 それでも、寂しい人生を送っておりますから、自分の誕生日プレゼントは、事前に自分で買って来ました(笑)。一つは、スイス製(とは言ってもベトナム製)の「オン」というスニーカー靴(1万7380円)です。靴底が厚くゴムのクッションが異様に効いていて歩きやすく、この靴を履いたら、他の靴が履けなくなってしまいました。これで、オンの靴は何と3足目なのです。前の2足はブラックでしたが、今回は薄茶色にしました。

 もう一つは、上の写真にある本格焼酎「里の曙 ゴールド」(4368円)です。奄美大島の黒糖焼酎で、アルコール分が実に43度もあります。昨秋、三軒茶屋の山本氏邸で、40度の焼酎を御馳走になって前後不覚となり、帰りは、他府県にまで電車で乗り過ごしてしまい、最終で最寄り駅に帰還できましたが、その後、塀やら、アスファルトに転倒して、今でもところどころに傷跡が残っているほど重傷を負いましたから、この焼酎は慎重に、翌日何も予定がない日を選んで「家呑み」することにしました。外で呑んだら危ない!危険です。でも、この「里の曙」は、まだアルコール分25度しか呑んだことがありませんが、口当たりがよく、さっぱりしていて、実に美味いのです。高級ウイスキーもウオッカもワインもどんな洋酒も、剣菱や越乃寒梅など、どんな日本酒も、この「里の曙」には敵いません。つまり、今の自分の好みが一番合っているアルコール飲料ということです。

 でも、これは宣伝でも何でもないし、何と言っても危険ですから、よゐこの皆さんは真似しないでくださいね(笑)。

味とは情報なり、味より情報が全てなり

 「歴史人」(ABCアーク)8月号「江戸の暮らし大全」特集を読んでいて、驚いてしまいました。

 「江戸町民の食事」なんですが、朝は、1日に1回しか炊かない炊き立てのアツアツのご飯と味噌汁、そして香の物だけ。卵も海苔もありません。お昼は、朝に炊いたご飯の残りと、干物の焼き魚、そして香の物。結局、このランチが一番豪華なのです。というのも、夕飯は、残った冷や飯をお茶漬けにして流し込み、おかずと言えば、香の物だけですからね。コロッケも生姜焼きも餃子も何もありません。これは、庶民の暮らしぶりなので、将軍さまや大名家ともなれば、これより遥かにましな食事をしていたことでしょうが、それにしても庶民は質素です。

 恐らく、江戸時代、庶民は、かなりの肉体労働に勤しんだはずですから、カロリー的にも足りるわけありません。昼間働いているからランチを豪華にしているんでしょうか。

 その点、現代人、特に私は、将軍さまや大名も驚くほど超豪華なランチを毎日のように取っていることになります。その贅沢さは、江戸幕府の将軍さま以上、ということになるかもしれません。

 まあ、お許しください。私が今働いているのは、ランチを食するため、と言っても過言ではないからです。働くためにランチを食べるのではなく、ランチを食べるために働いているのです(笑)。

新富町「蕎麦和食 はたり」

 そのためには情報収集が欠かせません。かと言って、あまりネット情報は重視しません。「孤独のグルメ」のように、自分の足で稼いで、フラッと入った店が美味しかったりするからです。

 とは言いながらも、全く、ネット情報を参考にしないわけでもありません。本日は、猛暑ですから、あっさりと蕎麦にでもしようと、検索してみたら、新富町の「蕎麦和食 はたり」という店が味、人気とも界隈ナンバーワンだということを知りました。

 「はたり」? あまり聞いたことがないので、地図で調べてみたら、何と、以前に1回か2回、行ったことがあった店だったのです(苦笑)。最近、ちょくちょくランチに行くようになった小料理屋「中むら」の近く、というより、同じビルの地下にあります。

新富町「蕎麦和食 はたり」もりそば+ミニ豚丼ランチ 1100円

 初めて行った時は、何も知らず、外の看板とメニューをチラッと見て入り、今では味も覚えていないくらい、淡々と済ませたのですが、今回は違います。ネット情報から、この店は、「厳選したそばの実を石臼で丁寧に挽いた、そば粉100%の十割そばがいただける人気店」という情報が私の脳の奥底にインプットされていました。

 そんな情報が入っていて、いざ食べてみると、まるっきり味が違うのです。蕎麦をすすりながら、「おー、これが石臼で挽いた蕎麦粉100%なのかあ~。さすが、十割蕎麦だなああ~」と、味に磨きがかかります。それこそ、情報の恐ろしさです。何でもそうでしょう。「ウチは魯山人の器を使っておるどす」なぞと言われれば、急に背筋がピンと伸びて、旨さも格別になってくるんじゃないでしょうか。

 そう、食べ物は結局、情報なんですよ。「天保3年創業」の鰻屋とか「嘉永2年創業」の和菓子屋なんて言われれば、震えて、思わず襟を正してしまいます。

 また、宮内庁御用達の銘菓なんて言われれば、何か自分が偉くなったような気分にもなれます。オーギュスト・エスコフィエやポール・ボキューズなんて名シェフの名前が出たりすれば、眼も眩んで圧倒されます。

 味は二の次です。情報を食べているようなものですからね。「ミシュランの星が付けば、絶対に美味い」なんという法律はないのに、多くの人が盲目的に信じ込んでいます。本末転倒ではありますが、これが日本人の哀しい性(さが)なのです。

 要するに、人間の脳は何とでも、騙されてしまうものなのです。

星座にはギリシャ神話とアラビア語の知識が必要だ

 永田美絵著「星空図鑑」(成美堂出版)は一応、読み終わりましたが、やはり、星座名はすぐ忘れてしまいます。お経のように、繰り返し繰り返し、何度も読み直さないと記憶できない、と覚りました。

 でも、シリウスや北斗七星、カシオペヤ座など子どもの時から知っている星座や、商品名に拝借された星座は、さすがに忘れることはありません。個人的ながら、一番覚えているのは、スバルです。冬の星座、おうし座のプレアデス星団の日本名だったんですね。清少納言の「枕草子」にも出てきます。

 スバルと言えば、スバル360です。子どもの頃、父親がその中古車を買いました。確か10万円でした。感覚的には今の100万円近い値段です。我が家初の自家用車だったので、嬉しくてしょうがありませんでした。この自動車会社は以前は富士重工業と言ってましたが、2017年からSUBARUに変更しました。社章もスバル星になっています。

 この会社、戦前は中島飛行機だったことは知る人ぞ知る話。戦闘機「隼」や「疾風」などを製造していました。創業者は、海軍軍人から実業家、政界に転じ、商工大臣や立憲政友会総裁なども歴任した中島知久平です。私は城好きですから、いつぞや群馬県太田市金山町にある金山城に行ったことがあります。戦国時代につくられた山城で、復元された石垣の大手虎口が素晴らしい。一見の価値はあります。また頂上に金山新田神社がありますが、鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞をまつっていました。この辺りは新田氏の所領です。(徳川家康は、新田義貞の子孫を自称しておりますが、それを認めていない歴史学者の方が多いことは御案内の通りです。)

 この金山城の本丸付近に、誰か知らないおっさんの銅像が立っていました。それが、中島知久平だったのです。彼も、群馬県太田市出身でした。いわゆる企業城下町となり、この地に中島飛行機の工場やスバルの工場もあったといいます。郷土の偉人でした。

 星座の話でしたね(笑)。沖縄に有名なオリオンビールがありますが、恐らくですが、オリオン座から名付けられたのではないでしょうか。

 昔、1970年代にマツダから販売されたカペラという自家用車が人気になりました。アラン・ドロンが ”Capella, c’est mon plaisir.’ 「カペラは、僕の愉しみ」と宣伝しておりました。(現在、販売終了)そのカペラは、恐らく、6星ある「冬のダイヤモンド」の一つ、ぎょしゃ座のカペラから取られたと思われます。

 商品名に星座を付けられたのは、まあ、そんなもんでしょうか。意外と少ないですね。(音楽グループ「カシオペア」もカシオペア座から取られたかも知れません。)最近では、中京競馬場で7月に開催される重賞レースとして「プロキオン・ステークス」があることを新聞記事で見つけました。このプロキオンも、6星ある「冬のダイヤモンド」と「冬の大三角」の一つで、こいぬ座を形成しています。私は競馬をやらないので詳しく知りませんが、恐らく、プロキオン星からこのレース名が命名されたことは間違いないことでしょう。

新富町「壮石」海鮮丼1200円 またまた本文で関係ないんじゃないの?

 星座は、国際天文学連合(IAU)によると、88ありますが、これまた意外にも、植物から取られた名前は一つもないそうです。植物学者の牧野富太郎がそれを聞いたら、怒りまくることでしょうねえ(笑)。だって、羅針盤座、竜骨座、帆座まであるのですから。でも、星座は古代から、船乗りの道しるべ、つまり、羅針盤の役割を果たしていたわけですから、無関係とは言えません。

 星座は真面目に勉強しようと思えばキリがありません。何故なら、古代ギリシャ神話、ローマ神話、それにギリシャ語、ラテン語、アラビア語の知識が必要とされるからです。う-む、もう、ちょっと手遅れかなあ…悔しいけど。

 ま、星空観賞は、趣味の一つとして、これからも楽しみますよ。

【追記】2023.7.12

 星座の商標名が少ないので、真面目に88星座全部をチェックしてみました。

・海蛇座 ヒドラ=ウルトラマンに登場する怪獣ヒドラは、ここから取ったか?

・山猫座 Lynx=ゴルフクラブのメーカー

・山羊座 カプリコーン=1971年に「ハロー・リバプール」を日本でもヒットさせた英国のグループ名。レコードジャケットに山羊が登場しているので間違いないでしょう。

・鳳凰座 フェニックス=漫画、アパレルブランド、中古車販売、色々あります。

・双子座 ジェミニ=米宇宙計画が1960年代にありました。

・竜骨座 カリーナ=1970年から2001年までトヨタが生産販売したセダン。

・水瓶座 アクエリアス=1969年、フィフス・ディメンションのヒット曲。ロック・ミュージカル「ヘアー」でも使われた。日本ではラーメン屋さんもあるみたいです。

 やっぱり少ないですね。

チャットGPTによって、脳が搾取されているのかもしれない?

 先日、本屋さんに行ったら、やたらと「チャットGPT」関連の本が5~6種類、平積みになって売られていました。実は、表紙を眺めただけで、一冊も手に取ったりしませんでしたが、「チャットGPT」は目下、話題にならない日がないぐらい注目されていますから、関連書もそれだけ多く出版されるのでしょう。

 「チャットGPT」は、以前、小生も試してみましたが、あまりにも杜撰なので、すぐさま止めてしまったことをこのブログでも書きました。(2023年3月8日付「《渓流斎日乗》は俳句なのか!?=ChatGPTはいまいちです…」

 何と言っても、チャットGPTさんは、この《渓流斎日乗》ブログのことを「江戸時代中期の俳人・与謝蕪村が著した俳諧の随筆集の一つです。」なんて答えてくれてしまっているんですからね。 ありえない! です。

ヤブカンゾウ

 こんなにいい加減なツールなのに、チャットGPTの勢いは止まりません。小中高校でどうやって扱うのか、学生が論文をAIで仕上げたりしないのだろうか、コンクールにAI作品を出品したりしないだろうか…等々、喧々諤々です。

 私は、IT関係について、からっきし弱いのですが、このチャットGPTというのは、「生成AI」という技術を使っていることを知りました。ですから、この技術を使えば、「チャットGPT」社だけでなくても、他のIT企業でも、問答形式で答えたり、写真や動画を作成したり出来るツールをリリースできるのです。日本人が大好きなLINEも、チャットが出来る「AIチャットくん」なるものをリリースしたことを最近、新聞の記事で知り、私も早速試してみました。

 この「AIチャットくん」は、どうやら、悩み事相談やアイデア相談に特化しているようです。私は、これでも毎日豊富な悩み事を抱えていますから、相談してみました。

 「AIチャットくん」なるものを「開通」させて、最初に開いてみると、いきなり「最近悩んでいることや気になっていることはありますか?」と向こうから逆に質問してくるのです。相手はAIです。生身の人間ではないので、こちらも、調子に乗って、誰にも言えないような、秘密の悩み事を書き込むと、パッと答えてくれました。でも、最後は決まって「プロのカウンセリングによる相談を行うことが必要になるかもしれません」などと、AIらしからぬ、当たり障りがない、優等生の作文のような回答に段々なって来ました。

 こちらも納得がいきませんから、「貴方は何者なのですか?医者でも弁護士でも裁判官でもないのに、正しい回答が出来るのですか?」とまで質問してみました。すると、「本日の制限回数に到達しました」「プレミアムプランをご用意させていただきました。プレミアムプランへ加入すると、利用回数無制限でお使いいただけます!」との表示が出て来たのです。

 なんじゃあ、こりゃあ~

 大人げないですが、一番いい所で切れたので、こちらもキレました。

築地

 冷静になって、色々と探っていくと、「チャットGPT」にせよ、「AIチャットくん」にせよ、無料で使わせておいて、どうやら、秘密裡にデータを蓄積し、編集加工して、広告主などに有料で販売しているようなのです。まあ、当然ながら、それがビジネスモデルということになるのでしょう。IT企業は、儲けを追求する営利団体であり、ボランティアでも慈善運動でも何でもありませんからね。他人の脳を搾取しているようなものかもしれません。

 ということで、「タダより高い物はない」いや、「タダより怖いものはない」という教訓になりますね。 それでも、あなたは、「覚醒剤やめますか?それともチャットGPTやめますか?」と詰問されたら、どうしますか?

 ハムレットに言わせれば、「それが問題だ」。

45年ぶりのプラネタリウム=割と身近にありました

 相変わらず、永田美絵著「星空図鑑」(成美堂出版)を読んでおりますが、巻末に「全国プラネタリウムリスト」が載っておりました。筆者の永田さんの本職が、東京のコスモプラネタリウム渋谷の解説員であることも関係しているのでしょう。

 そしたら、小生の拙宅近くにあるプラネタリウムも掲載されていました。「へ~、そんなに本に載るほど有名なんだ」と思いましたが、30年以上住んでいて、一度も行ったことがありませんでした。その施設は、1988年に出来たらしく、名誉館長は、あの宇宙飛行士の若田光一さんです。もしかしたら、全国的にも有名なプラネタリウムかもしれません。

 そこで、昨日初めて行って来ました。小雨が降っていたので、自転車は諦め、暗渠の道を歩いて行ったら22分掛かりましたが、近いと言えば近いでしょう。プラネタリウムに足を運んだのは、恐らく、45年ぶりぐらいです。今はもうありませんが、渋谷駅前の東急文化会館にあった五島プラネタリウムです。(調べたら、2001年に閉館していたんですね。)学生時代、当時付き合っていた彼女と行ったと思いますが、星座のことは全く覚えていません(笑)。暗闇ですから、当時のアヴェックの逢引き所でした(いずれも死語)。

 さて、自宅近くのプラネタリウムですが、市営なので入場料が520円(50分間)という安さでした。まあ、私自身、たっぷり、市税を払ってますから、堂々と入場しましたよ。でも、お子ちゃまだらけで、始まる前は走り回ったり、騒いだり。始まると、急に私の空いた前の席に座って、リクライニングの椅子を倒して、狭苦しくなり、上映中も、母親と大きな声でしゃべる始末。ま、この子にしてこの親で、その母親も、事前に「スマホの電源を消すか、マナーモードにせよ」と告知されても、無視して上映中に明々と照らして、他人から見れば、それほど可愛くない息子の写真を撮ったり…。まあ民度のあまり高くない野蛮な所にしょうがなく住んでいるので仕方がないか、てな感じでした。

 とはいえ、内容はかなり充実して、楽しくてしょうがありませんでした。「星空図鑑」で勉強したばかりの「夏の大三角」ベガ、アルタイル、デネブだけでなく、「春の大三角」のアルクトゥルス、スピカ、デネボラは7月なら西の空にまだ辛うじて見えるらしいことも教えてもらいました。春の大三角のスピカは、おとめ座の女神デメテルが手に持つ麦の「穂先」という意味でしたが、スピカと同じ語源から、靴のスパイクや登山用のスピックが発生したことも解説してくれました。ん-む、お子ちゃまには分かるかなあ?

 とにかく、拙宅のベランダから見えるほぼ同じ景色から見える夜空の星座を解説してくれたので、大変重宝しました。実は、梅雨空の曇りがちで、街中の光が反射していることもあり、ほとんど星は見えないのですが、青天で明かりを消した状態で見える本来の星座の姿を「再現」してくれたので、感動してしまいました。これなら、毎月のように訪れたいと思ったぐらいでした。

 プラネタリウムは、単なる星という点に過ぎないものを結んで、星座という平面にしてくれて、大熊やさそりや射手や蟹などの図柄を見事に再現してくれるので、本とは違い、瞬時に理解することができます。

 お蔭さまで、夜空の星を見るという楽しみがまた一つ増えました。

七夕の日ぐらい夜空を見上げよう=織姫、彦星を探して

 むふふふ、「読書百遍意自ずから通ず」です。

 例の永田美絵著「星空図鑑」(成美堂出版)を読んでおります。先日、告白した通り、星の固有名詞がなかなか覚えられません。加齢臭のせいです。あ、臭は余計でした(笑)。

 でも、「読書百遍意自ずから通ず」でした。100回と言わず、何十回か、お経のように繰り返して読むと、やっと頭に入ってくるものです。そう、今、私は、星座の本をお経のように読んでいるわけです(笑)。海馬に定着するところまではいきませんが、無味乾燥なカタカナが親しみ深くなってきたことは確かです。

 カタカナはやはり意味付けしなければ、なかなか覚えられないものです。特に星座は、どういうわけか、その語源が日本人には馴染みが薄いアラビア語が意外にも多いのです。何でなのでしょう?誰か教えてください。星座の基本書は、2世紀のエジプト・アレキサンドリアの天文学者プトレマイオスの書いた「アルマゲスト」と言われています。(この本では星座48でしたが、1928年の国際天文学連合総会で、星座は88に決定)この本はギリシャ語で書かれ、その後、アラビア語に翻訳され、ラテン語にも翻訳されたようです。星座は特にギリシャ神話に登場する神々らの名前が付けられていますし、何でアラビア語が席捲したのか、つまり何故、国際共通語として命名されたのか? 恐らく、当時、天文学に関しては、欧州よりアラブ世界の方が遥かに進んでいたからなのかなあ、と思ったりしてます。

ヤブカンゾウ 何で? 星の写真はないのかえ?

 以下は、自分の学習のための備忘録です。星座にご興味のない方は、読み飛ばして頂いて結構です。(この先を読まれない方に付記しますと、地球は秒速30キロ=時速10万8000キロで公転、太陽は秒速220キロ=時速79万2000キロで銀河系内を移動しているといいます。)

【春の星座】

 ・「春の大三角形」=うしかい座のアルクトゥールス Arcturus(ギリシャ語のクマの番人の意)、おとめ座(農業の女神デメテル、もしくは正義の女神アストライア)のスピカ Spica(ギリシャ語で穂先の意)、しし座のデネボラ Denebola(アラビア語で獅子の尻尾の意)。

 ・北斗七星=おおぐま座(ギリシャ神話の妖精カリストのこと。全知全能の神ゼウスの妻ヘラ(月の女神アルテミスの説も)から嫉妬と怒りを買い、熊にされ、星に)、北極星=こぐま座(カリストが全知全能の神ゼウスとの間に産んだ男の子アルカスのこと。ゼウスにより子熊に)

【夏の星座】

・「夏の大三角形」=こと座のベガ Vega(アラビア語で急降下するハゲワシ)⇒織姫星、わし座のアルタイル Altair(アラビア語で飛翔するワシ)⇒彦星、はくちょう座のデネブ Deneb(アラビア語から由来する、雌鶏の尾の意)。

・「北の十字星」=はくちょう座のデネブDneb(雌鶏の尾)、サドル Sadr(アラビア語から雌鶏の胸の意)、 アルビレオAlbireo(アラビア語から雌鶏の口ばしの意)、 ギェナーGienah(アラビア語から雌鶏の翼の意)

・ヘルクレス座のラス・アルゲティ(ひざまずく者の頭)⇚アラビア語のラース・アル・ジャーティーに由来。

【秋の星座】

・アンドロメダ座の頭に輝くアルフェラッツ(アラビア語で馬の意)⇚ペガスス(エチオピアのアンドロメダ姫を助けにきた勇者ペルセウス王子が乗っていた天馬)座にほぼ重なっているため。

・みずがめ座⇒美少年ガニメデが、壺に入ったお酒を注ぐ姿。壺の辺りに輝くサダクビアは、アラビア語で秘密の幸せ、ガニメデの右肩のサダル・メリクは、アラビア語で王様の幸せ、左肩のサダル・スウドは、アラビア語で最高の幸運という意味。

【冬の星座】

・「冬の大三角形」=オリオン(ギリシャ神話の狩人)座のベテルギウスBetelgeuse(アラビア語から、巨人のわきの下の意)、おおいぬ座のシリウス(ギリシャ語で焼き焦がすものという意味)、こいぬ座のプロキオン(ギリシャ語で犬に先立つもの、という意味)のこと。

・オリオン座⇒狩人オリオンの右脇辺りにベテルギウス、左足がリゲル(アラビア語のリジル・アル・ジャウザから巨人の足の意)、左肩辺りがベラトリクス(ギリシャ神話に登場する女兵士。勝利を収めてアマゾン国をつくる)。一番の目印となる三ッ星はオリオンの腰のベルト辺りに輝く。

(適宜追加していきます)

 本日は7月7日の七夕です。昨日開始されたSNSの「スレッズ」ばかり見ていないで、たまには夜空を観察して、ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)を見つけてみてはいかがでしょうか。

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」の友とは誰なのか?

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ(「一握の砂」)

 有名な石川啄木の短歌です。私は短詩型に関しては、それほど得意ではないため、下の句は「われ泣きぬれて蟹とたはむる」と思っていました。いや、嘘です。冗談ですが…。

 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ われ泣きぬれて蟹とたはむる

 の方が、当時の啄木さんの心情にピッタリくるような感じがするからです。とはいえ、大間違いなので、よゐこの皆さんは真似しないでください(笑)。

 啄木は幼い頃から苦労の連続で、病弱のこともあり、借金を抱えて職を転々とし、満26歳の若さで病没したことは皆様、御案内の通りです。自分ばかり、損な役割を担わされているというのに、周囲の友人たちは、どんどん出世したり、有名になったりする。そんな不条理な境遇をじっと我慢して、奥さんに花を買って、少しでも生活を楽しもうとする啄木の心情が読み取れます。

 さて、この偉く見える友人とは、具体的に誰のことを指すのか? 親友の金田一京助(言語学者)ら色んな説がありますが、この他、名門盛岡中学(現岩手県立盛岡一高)時代の先輩である及川古志郎(後の海軍大臣、海軍大将)や「銭形平次」で有名作家となる野村胡堂もその一人ではないか、とも言われています。

 そして、考えてみれば、私自身も「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」を最近経験しました。

 一人は、銀座の有名な音楽ホールのHさんです。もう30年以上昔、私が一介の音楽記者だった頃、取材でお世話になった方で、Hさんも当時は一介の広報担当の方でした。妹さんがタカラジェンヌとかで話が弾んで結構、親しくなりました。そしたら、驚いたことに、現在、その銀座の音楽ホールの支配人にまで昇り詰めていたのです。銀座商店街の広報誌「銀座百点」で知りました。

 もう一人は、目下、毎日、新聞に出ないことがないほど話題になっている某有名芸能プロダクションのSさんです。この方も、私が芸能記者だった30年以上昔、取材でお世話になった方で、Sさんは当時、取材窓口になる広報担当でした。失礼ながら、会長さんの使い走りをやらされている感じでした。というか、会長がマスコミに晒されないよう防波堤になっている感じでした。Sさんとはすっかり仲が良くなり、今でも年賀状を交換しているほどですが、これまた驚いたことに、目下、副社長になられていたのです。これもまた、雑誌の新聞広告で知りました。副社長といっても、実質上のトップです。Sさんのオッケーが出ないと、どんなテレビ局もCMもタレントは出演できないという噂を後で聞きました。

ヤブカンゾウ

 お二人とも親しい友人というより、知人に近いのですが、かつて親しくさせて頂いて、身近で、ため口を叩いていた人が、現在は、見上げるほど偉くなられて、近づきがたい存在になってしまったことは確かです。

 やはり、「友が皆、我より偉く見ゆる日よ 我泣き濡れて蟹とたわむる」と声を大にして言いたい!

人類滅亡後も生き残るのは蠅蠅、蚊蚊か、ゴキブリか?

 杉田敏先生の「現代ビジネス英語」(2023年夏号)のLesson 5「地球温暖化を生き抜く鳥や昆虫」には異様にもおっとろしい地球の現実が浮き彫りにされています。

 近年、鳥類が減少し、北米にいる繁殖鳥は、1970年と比べて30億羽も少なくなったといいます。また、地球上の生物の3分の2を占めていた昆虫も、40%の種が劇的に減少し、もしこの傾向が続けば、100年後には昆虫が絶滅するかもしれないと危惧する科学者もいるといいます。

 ホンマかいな、です。

 昆虫のことを虫けらなんて、馬鹿にしてはいけません。昆虫は植物の蜜を吸う代わりに、花粉を運ぶを役割を担い、時には鳥や爬虫類や哺乳類の餌となり、死骸は土壌となり、美味しい野菜や果物などの栄養物になるのです。ということは、昆虫が絶滅すれば、動物、植物全ての生物の絶滅危機につながるということなのです。(鳥や昆虫の減少の原因は、気候変動による生息地の激減や農薬、肥料の使用などが挙げられています。)

 私も街中で、スズメを見かけなくなったことは気が付いていました。もう3、4年、いや、5、6年前ぐらいからでしょうか。ゴミ集積場や電信柱などに当たり前のように見かけていたのに、あまり見なくなってしまったのです。駅構内での燕の巣作りも最近、ほとんど見かけなくなりました。まるで、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」のようです。

 元気なのは人間が嫌いなカラスぐらいでしょうか。奴らは雑食で何でも平気で食い散らしますからね。そして、昆虫の部類に入るかどうか、人間には天敵の蚊や蠅やゴキブリなどは粘り強く生き残っています。地球上では、誕生から46億年間で、ビッグファイブと呼ばれる5度の生物の絶滅があったそうです。特に、2億5000万年前のペルム紀には95%の生物が絶滅したと言われています。現在は、6度目の生物絶滅期と主張する科学者もおります。

 皆さんの大嫌いなゴキちゃんなんかは、雑食性で腐肉も食べるomnivorous scavenger昆虫で、恐竜が絶滅しても尚も生き長らえたといいますから、その生命力とやら、人類とは比べものにならないくらい絶大なのでしょう。

 最近、書評で読んだのですが、興味深い本が出版されました。ティモシー・ワインガード著、大津祥子訳「蚊が歴史をつくった」(青土社)という本です。(7月1日付毎日新聞、評者は鹿島茂氏)「世界史で暗躍する人類最大の敵」という副題があるように、これまで世界の歴史で、蚊、というより蚊を媒介にして発症するマラリアなどの伝染病が、如何に人類の歴史に影響を与えてきたのかという事象が描かれています。

 同書によると、世界史で最初に蚊が登場したのは、紀元前5世紀のペルシャ戦争で、ペルシャ兵の40%超がマラリアなどで亡くなったといいます。「蚊が歴史をつくった」ことを最も雄弁に語る例は、15世紀のコロンブスによる新大陸発見でした。コロンブス到着まで蚊媒介の伝染病を知らなったアメリカの先住民たちは「記録的な速さ」で亡くなっていったといいます。また、太平洋戦争で玉砕したガタルカナル島での戦いは、ガタルカナル島を「餓島」と略されたりして、日本軍の将兵の死亡の多くは戦闘ではなく、餓死だと言われてきましたが、マラリアによる死亡、もしくは戦闘意欲喪失→自害?もかなり多かったようです。

 溜息が出ますが、人類が滅亡しても、蚊や蠅やゴキブリはしぶとく生き残ることでしょうね。あとは、ペストを媒介するネズミも。。。