大波乱の時代か?

京都 par Kyorakusensei

検非違使の田口です。

日頃から不穏な動きをして、お上が憚かるような言動を慎まず、好き勝手放題に人民を愚弄していた渓流斎の野郎をとっ捕まえてやりました。

これで、検非違使総監賞は間違いなしでしょう。

何しろ生意気ですからね、あやつは。そこで、日頃からあやつが通る路地裏で待ち伏せして、微罪で引っ張ってやろうという魂胆でした。

あやつ、まんまと引っ掛かりやがって、六波羅探題に引っ張ってきたら、日頃の勢いは何処へやら。借りてきた猫のようにシュンとなっていたので、背後から羽交い絞めにして、ぐうの音が出ないくらい、叩きのめしてやりやんしたよ。

◇◇◇◇◇

ベルリンで、一般市民を巻き込むテロ殺害事件が起きたり、アンカラでトルコ駐在ロシア大使が暗殺されるなど、またまた世界中で不穏な動きが活発となりました。

今年も終わりが近づき、さて、来年はどうなるかと予想した時、どうも明るい未来が開けないと思うのは、私だけではないかもしれません。

変な世の中です。

いわゆる一つの「トランプ相場」とか言われるバブルの影響で、日本の日経平均株価も2万円近くまで急上昇し、ドル円レートも120円近くまで、円安になってきました。

「見えざる手」ではなく、誰か、とは言ってもはっきりしているのは何れにせよ、何処かの国の金が余った相場師がマネーゲームをやって、動かしているのでしょうね。

何しろ、まだ、トランプさんは大統領に就任したわけではなく、実体経済ではないからです。単なる思惑で動いているか、動かされているか、相場師が動かしているかに過ぎないからです。

これだけドル高が進むと、米国内の輸出産業に痛手が出るわけですから、保護主義を主張するトランプさんも、来年1月20日に就任するやいなや、何らかの手立てを打つことでしょう。

そしたら、また相場が荒れ、破産する人も出るかもしれません。

先日テレビで、チラッとやっていたのを見たのですが、世界一の大富豪のビル・ゲイツさんは、当然、株か何かに投資していますが、1日だけの損得が半端じゃありません。

な、な、なんと、1700億円でっせ、親分。

1700億円大儲けする日もあれば、1700億円大損することがあるわけです。

ここまで来ますと、凡人の想像を遥かに越えて、お笑い番組とそう変わらなくなりますよ。

植民地物語

伊太利亜ヴェニス

補聴器をしてチャリンコを漕いでいたら、検非違使に捕まった渓流斎翁です。まだ、牢屋に入っておりますが、伝書鳩を使ってこの秘密の文書を皆様にお届けしております。

風の噂では、南の楽園の島で、オストプーとかいう未確認飛行物体が、墜落し、まだその事故原因が解明していないのにも関わらず、わずか6日で飛行を再開したそうな。

倭国は、やはり、麦軍の植民地だったんですね。

何しろ、麦軍の司令官とか言われるいかにも怖そうな顔をした責任者が、「墜落じゃねえ。不時着だ。それも、操縦士は機転を利かして、住宅地ではなく、浅瀬に不時着して、被害者は一人も出さなかったんだから、有り難く思え!」と言い放ったらしいですからね。

そして、昨日の事前通告時間2秒前のオストプーの飛行再開です。おろしあ國の代表も遅刻などせず、麦國に見習ってほしいものです。あれっ?違うか…

倭国の永田町連中は、麦軍からの一方的な再開通告に対して、「ははあ、ご尤もで御座いまする」と平身低頭したとか、しなかったとか。

永田町連中は、南の楽園島に「合理的判断」と、直接ではなく、媒体を通して言ったらしいので、南の楽園の島民は、怒るまいか怒るまいか。

島民長は「言語道断。もう、永田町連中とはやってられん」と、倭国からの独立も辞さない覚悟のようです。

今、第一報の速報として、ゲルマン國のクリシミマス商戦真っ只中のマーケットにトラックが突っ込み、多数の死傷者が出たというニュースが飛び込んできました。

詳細は分かりませんが、計画的テロで、シリア問題が絡んでいるとか。

シリアの内戦には、おろしあ國も深く関与しており、同国は、極東で北方四島、中東でシリア、隣国ではウクライナと未だに19世紀の覇権主義から脱していないようです。

南シナ海では経済大国になった漢族國が、軍事力を増強して、たちまちのうちに、18世紀の世界大国主義復活を目論んでいるようです。

そんな中の、南の楽園の島問題です。一つの島の問題ではなく、地政学的に、世界史的視野で見ていくと、全部繋がっているようにも見えます。

渓流斎、ついに逮捕される!?

新京Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

普段から、治安維持を乱し、お上に手向かうような言論を繰り返して、反感的な態度を改めなかった渓流斎容疑者が、ついに検非違使に逮捕されました。

渓流斎 はい、本当です。自転車で図書館に行く途中でした。最近、お気に入りのスポッティファイで、1960年代のポップスを聴いて走っていたところ、随分人相の悪い検非違使がいまして、通り過ぎたところ、後ろからバイクで「こんにちは」と追いかけてきたのです。

新京Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

あたしゃ、別に悪いことしてませんから、「へ、何でござんしょ?」と、止まったところ、その40歳ぐらいの検非違使さんは、「今、イヤホーンで聴いてますね。実は、それは道路交通法違反なんですよ」とのたまうではありませんか。

「えっ? 何ですか?」

「ええ、まあ、正確に言いますと、公安委員会遵守事項違反、第71条第1項第6号がありましてねえ。それには、自転車の傘差し運転、携帯電話等使用、イヤホーン等の使用が入っているです。これは、違反すると、5万円以下の罰金です」

「え====、何と!何と…」

「知らなかったですか?」

頷くしかない渓流斎。

関東軍総司令部 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

「仕方ないすねえ。それでは、今回、初犯ということで、警告切符を切りますから、貴方の名前と住所、生年月日を」

そう言いながら、R探題の田口検非違使は、スイス製の高級腕時計をこれをみよがしに見せつけながら、「16時29分、確保!」と大きな声で宣言して公式文書に記入するのでした。

嗚呼、博打も賭博もしない、煙草もドラッグもやらない、酒も呑まない、息も吸わない、霞を食べて生きている、無遅刻無欠席で真面目一筋の渓流斎も、これで前科一犯になってしまったのか?

NHKドラマ 東京裁判は見応え十分

新京・偽満洲博物館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 先週、4夜連続で放送されたNHKスペシャルの「ドラマ 東京裁判」は、大変見応えがあり、悔しいかな(笑)、こんな番組は、某お笑いと音楽事務所によって占拠されて、下宿の大家さんのように番組時間枠を丸投げして貸しているような民放ではつくれない骨太の作品でした。

 何しろ、カナダとオランダのTVプロダクションとの国際共同で、世界各国の公文書館から資料を再発掘して、8年の歳月をかけて制作したらしく、そりゃあ、私のような近現代史研究家(笑)が観ても、大いに心を動かされました。

 新京・偽満洲博物館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 私は、東京裁判については、1983年に製作公開された小林正樹監督の長編ドキュメンタリー映画の高価なDVDを買ったぐらい、書籍も集めてかなり熱心に勉強したつもりでしたが、このドラマのように、世界から集まった戦勝11カ国の判事の内面にまで逼った話は知りませんでした。

 戦勝国の判事とはいっても、人間ですから感情があります。

 多数派工作したり、出し抜いたり、正義を貫いたり、妥協したり、人間的な、あまりにも人間的な場面が多く頻出します。

 新京・偽満洲博物館 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 小林正樹監督のドキュメンタリーは、もちろん、当時のフィルムを使った白黒でしたが、今回のテレビ用番組では、その実際の白黒フィルムを当時の資料を基にして、色づけカラー化しているため、70年前の裁判ではなく、ほんのつい昨日の裁判のように生き生きとしています。

 ドラマでは、A級戦犯全てを名前入りで詳しく紹介されていませんでしたが、あ、荒木貞夫だ、武藤章もいる、といったように、カラーになって甦った彼らを発見する愉しみもありました。

 2年半も掛かった東京裁判で、被告となったA級戦犯は、軍人のほか、首相、外務大臣経験者らで28人。このうち、7人が絞首刑、16人が終身禁錮刑、2人が禁錮刑、1人が精神鑑定処分、2人が病死しました。詳しい方は、それは誰だったのか、すぐ名前と顔が浮かぶことでしょう。

 このドラマといいますか、東京裁判の最大のポイントは、「平和に対する罪」で、国家の指導者に個人的に戦争責任を問えるかどうかといった点でした。日本側としては、自衛のためにやむを得ず戦争を遂行せざるを得なかっただけで、そもそも、国際法では戦争行為の犯罪はそれまでは規定されておらず(1945年8月8日、侵略戦争を犯罪と規定)、この東京裁判で初めて犯罪として認定することは、後から法をつくって裁く「事後法」ではないか、と問われたわけです。

 これは、清瀬一郎弁護人を始めとして日本の弁護側からの主張だけではなく、インドから選出されたパル判事の国際法学者としての立場でもあり、彼は、「被告人全員無罪」を主張したことで、今でも語り草の伝説になるほど有名です。

 ただ、パル判事は、日本が犯した侵略や残虐行為まで容認したわけではなく、あくまでも、法律にそぐわないと主張したということは付け加えておきます。

 指導者の戦争行為が個人的な犯罪になるのなら、なぜ、広島・長崎に原爆を落としたトルーマン米大統領の戦争犯罪は問えないのか、といった根本的な疑問も生まれ、矛盾するわけです。

 ドラマの主役の一人は、11人の判事の中でもオランダのレーリンク判事のような気がしました。39歳で最も若い判事だったようで、彼は、パル判事のように無罪だと考えたり、やはり、有罪だと考えたり、心が揺れ動きます。彼は、鎌倉に住む「ビルマの竪琴」の作家でドイツ文学者の竹山道雄とも交際したりします。史実でしょうが、ドラマとして脚色も入っている気がしますが、1941年に文化使節として来日し、ナチス嫌いでそのまま日本に滞在していたドイツの有名なピアニストのエタ・ハーリヒ・シュナイダーとも交流したりします。

 このシュナイダーは、ドラマの後の解説で、あのスパイ・ゾルゲと愛人関係にあったのではないか、と示唆する場面もありました。

 とにかく、世界各国でも放送するか、されたでしょうけど、その国によって、個人の思想信条によって、色んな見方があることでしょう。

 私は日本人ですから、やはり、戦勝国が一方的に裁く裁判には疑義を持ちましたが、判事らの心の揺れ動きや駆け引き等は新発見でした。

 オーストラリアのウエッブ裁判長が解任されたり、復帰して再任されたりしたゴタゴタも忘れていました。

 裁かれた日本側も毅然としていました。東条英機は軍人とはいえ、最前線で戦う兵士ではありませんから、あまり現場を知らない、自分の手は汚さない駒を動かすだけの超エリート官僚のように見えましたが、一部で言われていた風評とは違い、やはり、かなり頭の切れる明晰な人物に見えました。ただ、自分だけは大本営か作戦室か安全地帯にいて、あれだけの部下を戦死させ、近隣諸国に被害を齎したわけですから、裁かれるのは当然でした。

ニュンルンベルク裁判に隠れて、世界では極東国際軍事裁判(東京裁判)はあまり知られていないようですから、多くの人が関心を持つことはいいことだと思っています。最近、研究も進んでいるようです。

 再放送もあるので、見逃した方は是非ご覧になっては?

プーチン大統領にやられた日本と言論封殺

新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 ロシアのプーチン大統領が、王者の風格を見せつけるために2時間半遅刻して来日したので、日本側は山口県長門市の超高級温泉旅館で接待したというのに、結局、北方4島は返してくれませんでした。

 どうやら、「共同経済活動」とかいう中途半端な決着で、要するに、クリミア半島を併合して西側諸国から経済制裁を受けて困っていたロシアが、日本の経済封鎖を解くのに成功した、という話でしょう。

 日本の惨敗です。

 したたかな元KGBスパイのプーチンさんにやられた、ということです。

 クリミアといえば、日本にとっては曰く因縁の土地で、ここの保養地ヤルタで開かれた英米ソの三者密約会談で、大日本帝国の趨勢が決まってしまいました。

 一番大きいことは、米国ルーズベルト大統領、英国チャーチル首相、ソ連スターリン首相の3人の密約で、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して、対日参戦を決定したことでした。

 これによって、南樺太と千島列島は銃剣と火器で占領され、満洲の悲劇とシベリア流刑という歴史的汚点を産みました。

 1956年の日ソ宣言で、2島先行返還後に平和条約を締結する、といった文言があったようですが、今回のこのロシアのやり方では、平和条約締結など、到底無理ですね。

 そんなに条約が望まれるなら、まず、日露中立条約を締結したらどうでしょうか?

 ロシアのことですから、また一方的に破棄することでしょうが。

 あ、凄い皮肉に聴こえましたか?(笑)

 しかし、ロシアが北方4島を返還しないのは、単に軍事的意味合いが強いからなのです。

 ロシア側の「返還したら、島は米軍基地になってしまう」という主張も、あながち全く考えられない机上の空論ではないですからね。

 まあ、こういうことを書いても、ロシアから「言論封殺」の脅しは来ないと思いますけど…いや、脅しが来ないことを願っています(笑)。

 新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 言論封殺ではありませんが、最近、自分が思ったことを周囲に言いにくい世の中になってきたものです。

 たとえば、私は、米国の世界的コーヒーチェーン「スターバックス」の珈琲を飲むと、どういうわけかお腹が痛くなってしまいます。ですから、今では全く飲みません。スターバックスは嫌いです。店に入りません。

 でも、こういうことを書くと、「営業妨害だ」とか言ってクレームを付けてくるか、酷い時には裁判に持ち込もうとしたりする風潮があります。

 人間の根本的な感情の一つが、「好き嫌い」ですから、こんな「個人的な感想」さえ自由に言えない世の中は、やはり「言論封殺社会」と言ってもいいでしょう。

 昨日も、今、真面目に仕事をしている所で、隣の人に「中島みゆきとかユーミンとか、僕は、あまり好きじゃないんです」と言ったところ、その隣のおじさんは、昔から二人の熱烈なファンだったらしく、もの凄い勢いで怒り出すんですからね。

 本当は「大嫌いだ」と言いたかったのですが、少しだけ遠慮して言ったのに、この有様です(苦笑)。

 スポーツでも、熱烈な巨人ファンや阪神ファンがいますが、(昔より減ったとはいえ)、少しでも、批判的なことを言ようものなら、まるで親の仇か先祖代々の敵のように蛇蝎の如く、毒づいてきますからね。

 自分が大切にしているものを貶されると汚されたという発想なんですね。達観できないんです。

 人間、年を取れば取るほど頑固で、狭量になってきます。

人の好き嫌いなど、他人が左右できません。聞き流すか、相手にしないか、大人の態度で接すればいいだけです。

 ということは、日本社会はいつまでも幼児性から抜け切れないということなのでしょうか。

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 私は、あまりこれまでの人生を振り返ることは好きではありませんが、それでも、他人から貶められたとか、裏切られたり、何の落ち度もないのに有無を言わさず日本アカデミー賞協会会員を剥奪されたりしたことを思い出すと、世の中は悪意に満ちた差別社会で、不条理で、悪党だけが楽をして蔓延こっているのではないかと錯覚するようになりました。

 今日17日から東京・岩波ホールなどで公開される映画「皆さま、ごきげんよう」のイオセリアーニ監督(82)は、グルジア(現ジョージア)出身で、どうやらソ連の圧政と迫害に耐えかねてフランスに移住したようですが、そんな辛い人生体験を持つ人だど、世界から争いと略奪はなくならず、悪(ワル)の天下だと確信しているようです。

 どういうわけか、産経新聞だけ、インタビューに応じて、こんな発言を展開しておりました。

 「歴史を振り返ってみても、悪を告発しても何のプラスにならない。告発するのではなく、私は悪の持つ美をじっくり見つめることを楽しむ。悪は日常的につきまとうもので、微笑みながら見せる方が人生を描くことができる」

 寸鉄、人をさす警句ですね。

 何で、彼は、新聞は産経だけインタビューに応じたのか、内部事情は分かりませんが、恐らく、何らかの関係で産経新聞がこの映画に関わりを持っているからなんでしょうね。全くの想像ですが、出資とか。

 つまり、映画や演劇などのエンターテインメントにせよ、野球やボクシングなどのスポーツにせよ、興行となると、その筋の人もからみ、メディアもからむものです。

 新聞の金曜日の夕刊(東京近辺の産経は夕刊がないので、朝刊)は、どの社も「映画」のプレビューが掲載されておりますが、その活字見出しの大きさ、写真の大きさは、各社読み比べますと、微妙に扱い方が異なっています。これは演劇や展覧会にも言えます。

 つまり、大きく取り上げている映画は、その新聞社が出資しているせいだと私なんか睨んでいます。

 特に、映画となると製作費が莫大ですから、それを取り返すために、わずか2週間程度のロードショー公開だけでは回収できず、5カ月後のDVD販売とレンタル、11カ月後のテレビ放送の放映権料で賄っているというのが今では常識です。

 ですから、映画には最初からテレビ局がからみ、その系列の新聞社もからんでいるんじゃないかと、私は考えているわけです。

 こんな話、何も知らない一般大衆は、恐らく永遠に考えることはないでしょうけど…。

何処も同じ冬の夕暮れ

のんき

昨晩は、城北辺りではかなり有名な赤羽の居酒屋「のんき」で、中学時代からの友人石田君と野郎同士の忘年会を敢行しました。

彼は、最初は出版社に勤めて、IT関係の雑誌の編集者をやってましたが、独立して今や出版社のシャチョーさんをやってます。

でも、最近の若者の活字離れやら出版不況の影響とやらで、今年出せた新刊本は10冊も満たなかったとか。社員一人の零細小出版社なもんで、そりゃあ、大変なもんですよ。

ただ、「一発当たれば、起死回生のホームランになる」という秘めた野心もあるようで、それだけを頼りに業務に邁進しているようです。

そこで、私も「じゃあ、俺がベストセラーになる名著を書いてやるよ」と、彼を励ますのでした(笑)。

彼は、前述したように、IT関係の雑誌の編集者だったので、パソコンやスマホなどの機器やソフトに詳しいので、どうしても分からない時には、彼に問い合わせたりして、お世話になっています。

ですから、彼のことを「先生」と呼んで奉っております。

このブログでは残念ながら書けませんが、個人的なことから、世相まで諸事万端に渡って、殆ど私が喋り、彼はいつも聞き役に徹してくれます。

まあ、一つだけ書けるとしたら、最近の若い人の書く小説も随筆も、芥川賞だろうが、ちっとも面白くない。碌な人生経験もなく、苦労もしていないからしょうがないかもしれないけど、浅墓でとても読むに堪えない、といったような苦言を、出版社のシャチョーに呈したわけです。

京都・先斗町 copyright by Kyoraku

話が尽きず、赤羽駅前の「あじよし」で二次会までやってしまいました。

勿論、何の話をしたか、一晩で忘れてしまいました(爆笑)。

賭博解禁、万歳だ

伊太利亜ヴェニス

「年金制度改革法案」「IR法案」なぞと、多分、頭の良いエリート官僚さんが名付けるから理解できないのです。

はっきりと、「年金減らし法案」「カジノ解禁法案」とはっきり言えばいいんです。

碌な審議もしないのに、「数の横暴」で、この二つの法案はほぼ同時に実質上、あれよあれよという間に成立してしまいました。所詮、今の為政者を選んだのが日本国民ですから、民主主義万歳てなところでしょうか。

経済成長に貢献しない、生きていても無駄で邪魔な爺さんや婆さんには早く死んでもらわなければなりません。それでもしつこく生きる輩は、何で国家が面倒みなきゃいけないの?ーてな感じですかね?

いくら国家でも、殺人を犯すことはできませんから、生かさぬように、殺さぬように、でいくしかないのです。

そして、カジノは賭博です。初めっから、一番儲かるのは胴元に決まっているのです。「楽をして儲けて遊びたい」「自分は特別だ」「自分は幸運だ」「自分は冷静だから、馬鹿な依存性になるわけない」と考えている人間が、熱中するのです。

賭博とは、やがて、賭け金が底を尽き、「腎臓売らんかい」のヤクザの闇金に縋り付き、家庭はとっくに崩壊し、あとは首をくくるしかない人間の不幸の上で成り立っている商売なのです。

しかしながら、それはあくまでも他人の不幸であって、自分には関係ない。

馬鹿で自制が効かない弱い人間の「自己責任」であり、自分で好き好んで不幸になっているだけだから、知ったあことはない。

まあ、こういうのが、賭博解禁法を施行する為政者の考えなんでしょう。

マルセル・デュシャンの墓碑銘には次のように書かれています。

「死ぬのはいつも他人」

この伝でいけば、

「不幸になるのはいつも他人」

ですかね?嗚呼、我らの日本国家さんよ。

「住友銀行秘史」 東京三菱は大嫌い

伊太利亜ヴェニス

私は、最近、銀行ほど阿漕で悪どい商売はないと思うようになりました。

特に、個人的に東京三菱UFJ銀行銀座支店には嫌な目に遭ったので、大嫌いです。

何しろ、奴らが「ドブ」と陰で蔑むカモからタダ同然で仕入れてきた商品(カネ)を転がして、莫大な利益を得ているのですからね。

しかし、哀しいかな、素人には奴らが実際に何をやっているのか正確なことが分かりません。

そこに飛び出してきたのが、今年話題になった國重惇史著「住友銀行秘史」(講談社)です。経済犯罪史に残るイトマン事件を縦軸に、銀行業界の裏話が、しかも実名でふんだんに織り込まれているので、これ程面白い読み物もありません。

私は、市民税特別還付期限付無償貸与制度、と書くと何か小難しいですが、要するに図書館で新刊を順番待ちで予約したところ、やっと昨日、手元に届いたので、早速読み始めました。

ですから、まだ、10ページほどしか読んでいません。それでも面白いですね。

このエリート臭に凝り固まった鼻に付く胡散臭さが堪らない(笑)。

著者は1968年、最高学府の経済学部を御卒業されて住友銀行に入行された自信家で、最初から頭取を目指しておられました。

その野心も半端じゃないですね(笑)。まるで、最初から暴露本を書く目的で、膨大なメモを残しているかのようで、それが、今回の「作品」に繋がったわけです。

著者は、Mof担と呼ばれる大蔵省(当時)の銀行局長を誑かして、宣撫したり、折伏したり、機密情報を流したり、奪ったりする銀行業とは懸け離れた秘密調査部員のような裏仕事をしてきたせいか、さすが情報通といった感じです。

ただ、イトマン常務で、事件の主役として実刑判決を受けた伊藤寿永光氏に関しては、巨悪の権化のような、噂に基づいたことばかり書いているらしく、この点に関しては、版元講談社のライバルである新潮社が発行する週刊誌の中で、伊藤氏が、名誉毀損で訴えるような趣旨の発言をしておりました。

ムフフフ、住友屋、おぬしも悪やの~

含羞の人ボブ・ディラン

伊太利亜ヴェニス

人から受けた恩を仇で返すようなことをしたら、必ず罰が当たります。お天道様が見ています。(今は監視カメラか?)

心の狭い人間は、不幸に遭うと打ちのめされて、打ちひしがれてしまうものだが、偉大な人間は不幸を乗り越えていくものだ。(ワシントン・アーヴィング)

◇◇◇◇◇

ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランが、「先約」を理由に授賞式に出席せず、代理人に任せていましたが、ノーベル賞より大事な用が一体何だったのか、そっちの方が気になりますねえ(笑)。

たとえ、先約があったとしても、先約した人の方が遠慮して、日にちをずらすことでしょう。「えっ?ノーベル賞の授賞式ですか? そりゃ大変。そちらを優先してください」と普通の人がなら断りますよね?

ということで、「先約」というのは口実で、ディランらしい弁解だったと私なんか睨んでます。

彼は、ノーベル文学賞そのものに関心がないのか、喉から手が出るほど欲しいわけではないと思っていたのですが、彼の「代読スピーチ」を新聞で読んで、「いやあ、まさか、賞が獲れるなんて思ってもみなかったが、そりゃあ、欲しくて欲しくてたまらなかった」といったことが行間に滲み溢れていました。

この代読スピーチは、ボブ・ディランの知性の塊の集大成みたいで、感服しますね。

彼は、ミュージシャンが文学賞に値するかどうか疑問を呈する輩に対して、シェークスピアを引き合いに出して、シェークスピアは、文学として読まれるために書いたのではなく、自分の劇団で発する言葉として書いた、と弁明します。

つまり、ディランは、歌われる言葉として書いたとはいえ、読まれる文学としての価値を認められてもいい、と言いたかったのでしょう。

兎に角、最初に、過去にノーベル文学賞を受賞した偉大なる文学者の名前を挙げて、自分も彼らに多大な影響を受けてきた。そして、自分も彼らと一緒に名前を連ねることについて、大変光栄だと正直に打ち明けています。

彼らとは、英国人のバーナード・ショー、ドイツ人のトーマス・マン、フランス人のアルベール・カミュ、米国人のアーネスト・ヘミングウェイらです。国境を越えた文学の力を言いたかったのではないでしょうか?

以前にも、彼の自伝を読んで、ディランの読書量は異様なほど半端じゃない、といったことをこのブログで書きましたが、この代読スピーチにも、彼の読書経験が反映されておりました。

当初は、ディランは沈黙して、ノーベル賞を拒否するのではないかという憶測さえ生まれました。

しかし、彼は偏屈な性格で自分の感情をストレートに出せない含羞の人で、本当は、心の底から大喜びしていたことが、この代読スピーチを読んで初めて分かりました。

沖縄の乱

伊太利亜ヴェニス

野里洋著「沖縄の乱 燃える癒しの島」(河出書房新社)は、沖縄にお住まいの上里様からもう1カ月近く前から送って頂いたのに、なかなかスラスラ読めず、やっと読了しました。

野里さんは、琉球新報の記者(後に専務取締役)出身ですから、文章は読みやすいのですが、その内容がどうも深刻過ぎまして、色々と読みながら、あっちにぶつかり、こっちにぶつかったりして、加害者意識になったり、被害者意識になったりして、考えさせられてしまったからです。

野里さんの著作を読むのは、これで3冊目ですが、この本は、元米海兵隊員による女性強姦死体遺棄事件やオスプレイ配備、辺野古移設問題など、ここ数年間に沖縄で起きた事件を章立てて纏めたものです。

沖縄は、日本全国ではわずか0.6%しか占めない土地に、在日米軍基地の74%を占めていると言われます。

これについては、右翼勢力からは「左翼運動家によるマジック数字」と異議申し立てがあるようです。

私は、軍事評論家でも何でもないので明言できませんが、ただこの数字は、防衛省が正式に発表しながら、自衛隊と米軍との共用施設などの面積が含まれていないようで、共用施設の面積を含めると、沖縄に占める米軍施設は23%だという説があります。

確かに、数字はマジックですが、74%も23%も、沖縄県民の負担に変わりがないことで、若い女性が味わう危険は、全国一だという印象があります。(印象で書くなってか?)

 この本で教えられることは多々ありました。よくニュースで「キャンプ・シュワブ」と聞きますが、それがどういう意味か知らなかったのですが、これは、沖縄戦で戦死し、名誉勲章を受章したアルバート・シュワッブ一等兵から付けられたんですね。

 このほか、キャンプ・ハンセンは、デ―ル・ハンセン二等兵から、キャンプ・コートニーはヘンリー・コートニー少佐から…といった感じです。

 沖縄の地名とは全く縁もゆかりも関係もなかったんですね。大日本帝国が勝利して米国内に「佐藤基地」とか「鈴木基地」とか付けるようなものでしょう。

 そう言えば、東京・日比谷の東京宝塚劇場は、GHQによって占領された時代は「アニー・パイル劇場」と呼ばれていました。

 アニー・パイルとは従軍記者で、沖縄戦で戦死した人でした。

 日比谷一帯には、GHQが本部にした第一生命本社ビルがあります。米軍は戦後統治を逸早く計画し、銀座は空爆しても、わざと日比谷への爆撃や建物破壊は避けたのです。

 慰安のために、娯楽劇場もしっかりと残したわけです。