ウォーキング・メディテイション

ウォーキング・メディテイションというものがあることを今日、初めて知りました。

 

「歩行瞑想」と訳せばいいのかもしれません。瞑想といえば、座禅を組んでじっとして、只管閉じこもって精神を集中するものかと思っていたのですが、歩きながら、戸外の景色を眺めながら、想念を巡らせていいようです。

 

今回、私自身、全く「歩行」の基本を知らなかったことがわかりました。つまり、着地する時、いつも、爪先ほどではないにせよ、足の裏の先端部分で着地していたのです。随分と前屈みとなり、言ってみれば、猫背になっていたのです。全くみっともないのですが、もう半世紀近くもこんな歩き方をしていました。本当にぞっとします。道理で、しょっちゅう、ほんの小さな石や段差で転んだり、バランスを崩していたものでした。

 

本来の歩き方というのは、踵から着地していたのですね。知らなかった!(皆さんは知っていましたか?私は歩き方を習わなかったので、本当に知りませんでした)

 

踵で着地すると、自然と背筋が伸び、5歳は若返った気分になります。

 

「歩き方には人生観が出てしまうのですよ!」とメンター(師)は言いました。「渓流斎さんの場合、性格がとてもせっかちで、いつも時間や締め切りに追われている、というのが露骨に現れています。いつも、いつも、先のことばかりを心配している歩き方です。『今』を素通りにしているのです。『今』しかないのに、起こりもしない将来のことばかり心配しているのです。もし、地に足が着いた生活を自信を持って送っているとしたら、そんな歩き方はしません。まさしく、地面に踵をしっかり着けて、大地を踏みしめています。もし、渓流斎さんが、そういう歩き方をすることができれば、そういう人生を送ることができるのですよ!」

 

私は、歩き方を変えました。一歩一歩、雪道を踵からゆっくり降ろして、踏みしめて歩きました。「ザクッ、ザクッ、ザクッ」。心地よい音が自然の大気にこだましました。『今』を感じながら、しっかりと大地を踏みしめました。

 

ああ、何と幸せな気分なのでしょう。これこそが、ウォーキング・メディテイションだったのですね!

森の哲人、帯広入り

<iframe src=”http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=keiryusainich-22&o=9&p=16&l=bn1&mode=books-jp&browse=492152&=1&fc1=<1=&lc1=&bg1=&f=ifr” marginwidth=”0″ marginheight=”0″ width=”468″ height=”336″ border=”0″ frameborder=”0″ style=”border:none;” scrolling=”no”></iframe>

いつぞや、このブログでもご紹介した「森の哲人」オジジとオババこと徳村彰、杜紀子夫妻が、帯広に来て、帯広の隣町の幕別町札内で講話会を開きました。

講話会といっても、ごくごく少数の人(15人くらい)で、ゼロ歳から50歳代ぐらいの人まで様々でした。

約1時間半、オジジがどうして、北海道上川管内滝上町滝西にある森に移り住んだのか、といった話から、今、森に暮らして感じていることを淡々と話していました。

初めてオジジのことを聞いた人のために、ここで再び彼のことを紹介しますとー。
彼は金沢市出身で、現在78歳。詳しくは分かりませんが、東京大学を出て、物書きの仕事をしていたようです。中国やソ連にも行っていたというので、貿易関係の仕事もしていたようですが、本人は口を閉ざしているので謎です。

彼の生き方を変えたのは1971年のこと。仕事のしすぎで、肝硬変と肺気腫に罹り、当時、名医中の名医と言われていた医者に、「あなたの命は、もってあと2年」と宣告され、「どうせなら、残りの人生好きなことをやろう」と心に決めたそうです。

そこで、横浜の日吉で子供たちのための「文庫」(「図書館」と言えるほど大きくなかったのでそう名づけたらしい)を作ったところ、今で言う登校拒否の子供たちが沢山集まるようになり、もっと広い、環境のいい所を探します。そして、紆余曲折を経て、北海道にその地を見つけますが、「永住」覚悟したのは、1990年のことでした。

約6㌶の国有地を借りて掘っ立て小屋を建てますが、電気もガスも水道もありません。しかも真冬は、マイナス25度にもなる極寒地です。

それでも、「この15年間は本当に幸福だった」と振り返ります。「余命2年」と言われて、30年以上、生き延びています。しかも、「森の精」のおかげで、肝硬変が消える奇跡が起こり、左右裸眼で0・1しかなかった視力も1・2まで回復します。「森のおかげ」とオジジは言います。

6㌶の土地には、ミズナラ、ニワトコ、ホウノキ、ハルニレ、アモダマ、シラカバなど80種類の樹木もあるそうです。ヨーロッパ全体で65種類しかないので、その数字がいかにすごいかお分かりになるでしょう。

オジジはそんな森の自然に一切手を加えることなく共棲しているのです。

春から秋までは、都会の子供たちらを受け入れ、冬は、毎日8時間の雪かきです。北国育ちのオジジは子供の頃、雪かきが大嫌いだったそうですが、健康を害して、余命2年と宣告されたのに、雪かきのおかげで、すっかり体力を回復したそうです。

「幸福とは、日本になかった言葉です。明治になって、Happinessを翻訳したものです。それでは、古来の日本では、幸福のことを何と言っていたのかー。幸(さち)と呼んでいたのです。幸の『さ』境目、境界線のこと。『ち』は霊力のことです。つまり、自分の肉体や精神の内部と外部の境目で不思議な力を感じることなのです。私は、一日の雪かきの仕事が終わって、五右衛門風呂に入ると自分の肉体とお湯が溶けて境目がなくなって、何とも言えない恍惚感を感じるのです。こんな幸せなことはありません。これから私は100歳、いや140歳まで生きて、森の素晴らしさを伝えたい」

オジジの素敵な笑顔を皆さんにもみせたかったです。

なお、オジジについてもっと知りたい方は、彼の著作『森に生きる』『森に学ぶ』(雲母書房)をご参照ください。

壮年の生き方 

弟子「私はこれまで、道に迷った時、大変そうに見える苦難の道ばかり選んできました。決して安易な道を選びませんでした。私も若かったし、その方がやりがいがあったからです。それに、これまでの人生で読んできた書物の影響もあったかもしれません。何の本だったのか、たった一冊の本を挙げることはできませんが、アンドレ・ジイドの『狭き門』であり、夏目漱石や太宰治の一連の小説であったり、です。

しかし、私も老い、壮年を迎え、そろそろ自分に正直に生きようかと思っています。岐路に立たされたら、もう苦難の道を選ぶ気力も体力もありません。決して楽をしようというつもりはないのですが、楽しそうな道を選びたいと思っているのですが…」

メンター(師)「いいえ、もう、楽な道を選んでいいのですよ、マイ・サン。安易な道で何故悪いのですか。あなたは、もう十分苦しんできました。十分過ぎるほど苦しみぬいてきた。それは、あなたが欲した道だったからです。苦しめば何かご利益がある、と誤解していたからではありませんか?

それとも、苦難の道を選んで、何かご利益がありましたか?どちらを選んでも同じだったはずです。人は一瞬、一瞬、その場、その場で選択しています。仕事や職業など重大な判断を下さなければならない時もあれば、『今日の晩ご飯は何にしようか』まで様々です。でも、食事なら、まずいものを食べようと選択していましたか?

人生の選択も同じです。好きなことをやって、好きなことだけをして成功している人は世の中にいっぱいいます。その方が、遥かに輝いています。自分の好きな仕事ですから、楽しくてしょうがありません。嫌な人にも会うことはないのです。
『それはできない』『生計が立てられない』と思っているとしたら、前世によほど酷い目に遭って、不遇のうちで亡くなったからです。毎日、不平不満ばかり言って、過ごしていたら、その人の人生は、『不平不満の人生』で終わってしまうのですよ。もし、その仕事が自分に合っていなかったら、その会社が嫌だったら、何故、飛び出さないのですか?人生はそれほど長くはないのです。その人の人生は不平不満を抱えたまま、終わってしまうのですよ。

もったいない!せっかく、この世に役目を持って皆、生まれてきたはずなのに、無駄に過ごしてしまうのですか?もったいない!太宰治なんか読んでいる暇はないのです。人生など本当に一瞬で終わってしまうのです。ネガティブに考えれば、人生を否定的に考えたまま終わってしまうのですよ。人生を否定的に考えて終わってしまう人は、その人がそう望んだからです。だから、その人は結果的に否定的な人生で終わってしまうのです。

逆に肯定的に捉えれば、人生もスムーズに行きます。『楽しくしたい』と思えば、楽しい人生が自ずから開けてくるのです。人間関係も変わってきます。もう、嫌いな人に出会うことはないのです。次元も違うし、波動が違うからです。これまでの友人関係も変わってきます。

宇宙の愛に目覚めます。生きているというより、『生かされている』という感謝の気持ちになります。そうなれば、ちょっとソリが合わないとか、気に食わないとかいった人間関係の些細な次元が全く馬鹿らしくなるか、気にならなくなるのです。だから、もう嫌な人に遭うことはなくなるのです。

楽な道、安易な道、ワクワクするような楽しそうな道…。大いに結構じゃありませんか。もう、そういう時代になってきました。あなたが変われば、あなたの意識が変われば、周囲の人も変わります。そして、大いなる宇宙の愛は燎原の火の如く、たちどころに広がります。疑心暗鬼も猜疑心も消えます。不安や恐怖も消えます。心は信頼と愛で満たされます。

人は、猜疑心や恐怖心というものが、それが高級なものであると勘違いしているだけなのです。決してそうではありません。何も童心に帰れ、とは説きません。心の意識をほんの少し変えるだけで、自然と信頼と愛に満たされてくるのです。
ですから、これから、どうぞ楽な道を選んでください。安易な道を選んでください。ワクワクするような楽しそうな道を選んでください。

こんなことは、若い人には決して説きません。苦労は、体力と気力がある若い時にしか自ら買って出られないからです。

でも、あなたは、もう50歳です。これまで散々苦労を重ねてきました。皆も認めています。そういうあなたにだから言えます。これから、いい仕事をしてください。楽しんで仕事をしてください。世の中のためになることをしてください。あなたはリーダーシップを発揮する星の下に生まれました。必ずや道は開けます。周囲に影響も与えます。あなたが率先して行動すれば、周囲もついてきます。

世の中は、決して、映画の世界のように、善人と悪人だけが住む世界ではありません。マスコミが伝える世界だけでもありません。どうか、魂のレベルで世の中を浄化してください。それが、あなたのお役目です。」

UFOの話

池田町「スピナーズ・ファーム」

 

UFOを見たことがあると主張する人に会いました。UFO=Unidentified Flyng Object 未確認飛行物体のことです。

 

その人は言いました。

 

「私が高校生の頃ですから、20年前、1986年の夏のことでした。帯広市のグリーンパークで、彼氏と逆立ちをして遊んでいた時、公園の東側の住宅街の屋根の上に。突如、オレンジ色の丸い物体が現れ、すぐ消えました。私は、あ、あれは何だ!と叫びましたが、彼氏は見ておらず、全然信じてもらえませんでした。まさしく、未確認飛行物体でした。翌日の地元紙『十勝毎日新聞』にも『謎の飛行物体、現る』という記事が載り、見たのは私だけではなかった、と安心しました。そして、その2年後の夏、帯広市西15条の十勝川の堤防付近で、車の助手席に座っていたところ、雲の切れ間から、花火のような、オレンジと黄色の光がグルグル回っている母船を5分以上見ました。スピルバーク監督の『未知との遭遇』のようでした。それが2回目です。3回目は、こないだの8日の日曜日、十勝川温泉の白鳥飛来地の十勝川の畔で、オレンジ色で、まるで雲のようなひょろ長い物体が現れ、南の空へ移動して消えました」

 

私は言いました。

 

「嘘でしょう?怖くないから、大丈夫。もうすぐお迎えに来るから待っててね」

 

その人は言いました。

 

「UFOは、意識の高い、波動の高い人しか見ることができないのです」

 

「もう、わかりました」と私。

 

「イエス・キリストは金星から来ました。宇宙人です。肉体は地球で生まれましたが、魂は金星から来ているのです。金星は愛と調和の星で、精神性が高いのです。地球を救済にやってきました。キリスト教信者には金星の生まれが多いのです。人それぞれ、お役目があって、この地球に来たのです。昔の人は元々、スピリチュアルなのです。神話の世界は神様同士が戦っていました。しかし、神話の時代は終わりました。人間が創造主になって、自立する時代になりました。創造力に目覚めて、人が神になる時代になったのです。自分が想像した物が、引き寄せて創造につながるのです。今の時代に日本に生まれてきた人には、お役目があるのです。だから、運命を信頼して、天命を全うすることです。自分の神とつながるために瞑想が必要です。変なものとつながらないためにも、真の自分自身とつながるために、瞑想が必要です」

 

その人は、何かに憑依されたかのように、話し始めたら止まらなくなりました。

 

「はい、はい、もう分かりました。あなたは、病院に入った方がいいと思いますよ」と私。

 

「いえいえ、私は真面目です。今は大変革の時期です。21世紀になって、魚座から水瓶座の時代に入りました。生まれたときの星の位置から、その人が、今生、何のお役目で生まれてきたのか分かります。宇宙全体が1枚の織物のように動いています。それが神の意志です。宇宙の流れに誰も逆らえないのです。だから、過去に縛られないで、今を生きるしかないのです、何一つ、留まるモノはありません。地球の自転は変わっています。1日は24時間ですが、すさまじい勢いで昔より速くなっています。人は気づいていませんが…」

 

「わかりました。そこまでおっしゃるなら、私のブログに書いてしまいますよ。それでも構いませんか?」

「おまかせします」

現代フランス新聞事情

池田町 「スピナーズ・ファーム」

 

「新聞通信調査会報」1月号で、東洋大学名誉教授の広瀬英彦氏が、フランスの新聞界の最新事情を伝えています。

 

どこの国でも若者の活字離れ、新聞離れが広がっており、フランスもその例外ではないようです。

 

●まず朝刊高級紙の「フィガロ」(1826年創刊のフランス最古の新聞)は、1960年代後半が最盛期で50万部あったのが、最近では32万7000部まで落ち込んだ。

 

●夕刊高級紙の「ルモンド」。かつては一面に写真を使わない硬派の紙面作りで知られていたが、2002年から大胆なカラー化と写真の多用、より大きな活字で軟派路線に変更。しかし、2001年に40万部を超えていた部数も昨年は32万4000部にまで下降。

 

●代表的夕刊大衆紙「フランス・ソワール」(1944年創刊)は、1960年代から70年代にかけて100万部を超えていたが、創業者のピエール・ラザレフが72年に亡くなると、部数が下降線をたどり、2000年に11万5000部、2002年には6万7500部、昨年はついに4万5000部にまで激減。

 

ちなみに、昨年の日本の読売新聞は1016万部、朝日新聞が826万部、毎日新聞が393万部となっています。

読み手から書き手の時代

「出版年鑑」によると、2004年新刊書籍の出版発行点数の一位は、講談社の2191点だったそうです。

分かります。日本で一番の出版社だからです。しかし、二位は、新風舎の1847点。え?聞いたことがない出版社ですね。しかし、2005年は、約2700点を発行したので、講談社を超えてトップに躍り出るようです。

え?何故?と思ったところ、この出版社の大半は自費出版だったのです。初版の500部から800部までなら100万円から180万円。自費出版といっても、ちゃんと編集者も付き、装丁もプロ並。1冊1冊に流通用のバーコードも付くそうです。(以上10日付朝日新聞朝刊)

読者より、作家になりたい人が増えたということでしょうか。

発表の場が手軽になったということもあります。100万円なら、一生に一冊くらい本を出そうという人もいるはずです。

そういえば、ブログもそうでしたね。手軽な発表の場です。

ところで、中国で、中国人ジャーナリストの大人気のブログが、「反体制を助長する」ということで、中国政府の圧力で封鎖されるという事件があったそうです。その圧力に応じたのが、そのブログを運営していたマイクロソフト社。

私のブログは、そこまで人気も影響力もないので封鎖されることはないのですが、同じブロガーとして、実に嫌あな感じが致しました。

 

白鳥がいっぱい

今日は御託を並べずに素晴らしい写真を沢山お見せします。

白鳥がいっぱいです。

こんな身近に見られます。

十勝川温泉の十勝川の畔に、毎冬、何百キロの彼方のシベリアから渡って来ます。

しかし、心無い釣り人のせいで、ある白鳥が口に釣り糸を絡ませていました。(残念ながらこの写真はありません)何とか食事はできるようですが、かわいそうでした。

それでも、こんなに沢山、身近に白鳥を見られるところ、全国でも、あまりないでしょう。

あ、忘れるところでした。鴨さんも沢山、います。

アンデルセンの童話を思い出します。「11人の王子と白鳥」
あ、アンデルセンではなかったのかもしれません。魔法によって王子が白鳥に姿を変えられてしまい、美しいお姫さまが、王子を救う話だった、かどうか…。

失礼しました。結構、御託を並べてしまいました。

宮沢賢治『あたまの底のさびしい歌』

思わぬお年玉プレゼントが贈られてきました。

 

宮沢賢治の書簡を集めた『あたまの底のさびしい歌』(港の人)という本です。

 

畏友里舘勇治君が送ってくれたのです。港の人は、彼が鎌倉で経営する出版社です。さほど大きな出版社ではないので、年に数冊しか出版できませんが、極めて良心的な出版社で、売れる部数が少なくても良質の高い文芸書を世に出しています。

 

興味を持たれた方は、ホームページをご覧ください。 http://www.minatonohito.jp

 

宮沢賢治の詩や小説は、何冊か読んだことはありますが、手紙を読むのは、今回が初めてでした。

 

手紙といっても、小説のようなお話が随所に出てくるの、「この人は根っからの詩人なんだなあ」と思ってしまいました。もっとも、生前は、作品はほとんど売れることはなく、「残った書き置きは、世迷言だから、すべて焼却するように」と遺言したらしいのですが、友人たちが奔走して、出版にまでこぎつけます。「雨ニモ負ケズ」も手帖に走り書きされていたものでした。

 

1921年に友人の保阪嘉内へ宛てた手紙の中で、こんな文面があります。

 

「専門はくすぐったい。学者はおかしい。実業家とは何のことだ。まだまだまだ。」

 

この後、「しっかりやりましょう。」が実に21回も登場するのです。

 

思わず、1980年に公開されたジャック・ニコルソン主演の映画「シャイニング」(監督はスタンリー・キューブリック、スチーブン・キング原作)を思い出してしまいました。ニコルソン演じる作家が、雪に閉ざされたコロラドのホテルで執筆活動中に、頭がおかしくなり、「私には休息が必要だ」という同じ文章を、百枚近くタイプで打っているシーンです。

 

わずか37年の生涯でしたが、宮沢賢治という人は知れば知るほど分からなくなる作家です。また、彼の童話が読みたくなってきました。

ダン・ブラウン著「ダ・ヴィンチ・コード

大変遅ればせながら、ダン・ブラウンの世界的ベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」に嵌まってしまいました。 息もつかせぬほど一気に読ませます。

 

何がすごいかと言えば、謎解きの面白さにあるのでしょうが、作者の博学な学識に基づいた歴史のミステリーが知的興奮となって渦巻きます。

 

美術史学、宗教象徴学、暗号解読学、占星学、図表解釈学、聖書学、数学(フィボナッチ数列)、聖杯伝説、秘密結社(シオン修道会、フリーメイソン、オプス・デイ)…あらゆる知識の動員が必要とされ、「もっと、もっと知りたい」という人間の感性を刺激します。

 

もっとも、個人的には最後の犯人のオチがどうも三流の推理小説のようで、興醒めしてしまいましたが、映画を意識したような、章の展開は、見事です。

 

この小説で、一番驚かされたのは、マグダラのマリアです。

 

これから「ダ・ヴィンチ・コード」を読もうとしている方は、この先は読まない方がいいのですが、マグダラのマリアは、娼婦だったという説がこれまで幅をきかせていたのですが、この小説では、イエス・キリストの妻だったという説を全面に押し出しています。そして、マリアはイエスの死後、イエスとの間にできた子供サラとともに、フランスに逃れ、その子孫がメロヴィング王朝と姻戚関係を持つ、というのです。この史実は、シオン修道会などの秘密結社に脈々と受け継がれ、この小説の核となっています。

 

このようなことを書けば当然、敬虔なキリスト教信者から、作者に抗議や嫌がらせが殺到するはずです。現に、作者はかなりの中傷や脅迫も受けたようですが、全世界で1000万部近く売り上げているらしいですから、支持者もいることは確かでしょう。

 

内容があまりにも複雑なので、この本の解説本が何冊か出版され、本屋さんでも山積みになっていました。私も、サイモン・コックス「ダ・ヴィンチ・コードの謎を解く」を買ってしまいました。上記のキーワードがうまくまとめられていてとても参考になります。

 

それにしても、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は不思議な絵です。中央のイエスの(画面の)左にいる弟子は、どうみても女性にしかみえず、彼女がマグダラのマリアだという説を信じたくなってしまいます。何しろ、ダ・ヴィンチ自身が、シオン修道会の総長だったというのですから。

 

「最後の晩餐」は、私もミラノ郊外のサンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会で実物を見たのですが、そこまで詳しく覚えていません。もっとちゃんと見ておけばよかったと思いました。

 

「ダ・ヴィンチ・コード」は監督ロン・ハワード、トム・ハンクス、オドレイ・トトゥ主演で映画化され、5月に公開されるようです。

 

絶対に見たい!

すばれるなあ~

今日、帯広は気温マイナス20度を記録しました。

占冠町ではマイナス39度だったそうです。

人生経験です。我はと思う方は、是非今、この時期に北海道に来てください。

ちなみに、今は何処にもホームレスの方には、一人もお目にかかることができませんでした。

ジョンコさんも、あまりにも寒いので、帽子を買ってもらいました!