万物流転

 1960年代の若者たちは、革命を夢見て「学生運動」に邁進しました。
 今の若者たちの中で、革命を夢想する人は皆無ではないにせよ、極めて少数派となりました。
 「世の中全体は変えられない」と悟ったからでしょう。
 「革命?ぶっちゃけ、有り得ねえ」ということなんでしょう。
 
 それより、ホリエモンのようにお金の力で世の中を動かそうと考える若者が増えました。

 しかし、いい加減、世の中をどうにかしようといった概念に振り回されることは止めた方がいいのです。そういった概念に拘らないように自分自身が変わればいいのです。
 
 こんなことを発言すれば、以前でしたら「プチブル」だの「日和見主義」だのと言われて「総括」されていたでしょうね。
 何か懐かしいです。今の私は元気がないので、非常に懐かしいです。
 
 それにしても、言葉はすぐ古びてしまいますね。「総括=殺人」ということを、今の若者はどれくらい知っているでしょうか。

 万物は流転する。

ジェンキンスさん、40年ぶりの帰還

公開日時: 2005年6月15日 @ 16:55

北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさん(46)の夫ジェンキンスさん(65)が6月14日に母国アメリカ(ノースカロライナ州ウェルドン)の土を40年ぶりに踏み、母親のパティー・キャスパーさん(91)と再会したニュースには本当に感動して涙が止まりませんでした。

何しろ40年ぶりでっせ、親分。さぞかし、浦島太郎さんの気持ちなんでしょうね。

40年前とは、1965年のこと。私のような「ビートルズ史観」に冒された人間にとって、1965年といえば、映画「ヘルプ」が公開され、アルバムは「ヘルプ」と「ラバーソウル」が発売された年。「アイ・フィール・ファイン」「デイトリッパー」「イエスタデイ」「ミッシェル」「ガール」…と沢山のヒット曲に恵まれ、ニューヨーク・メッツの本拠地「シェア・スタジアム」でのコンサートでは5万5千人の観客を集めました。まあ、ビートルズ全盛期でしょうね。

一方で、ヴェトナム戦争が泥沼化した年でもあります。在韓米軍基地にいた25歳のジェンキンス軍曹も、「ヴェトナムに送られて戦死するよりまし」と思ったのか、「北の楽園」北朝鮮に脱走してしまいますが、その後の数奇な運命は、日本人ならもう誰でも知っています。

しかし、詳しい事情を知らない人口1400人の田舎町はさぞかし驚いたでしょうね。いきなり100人もの報道陣が詰め掛けたのですから。ジェンキンスさんの40年ぶりの帰国を歓迎する人がいる一方、退役軍人やヴェトナム帰還兵の中には「彼を英雄視するべきではない。単なる臆病者だ」と批判する人もいましたが、彼らの頭の中の世界では極めて正しい論理なのでしょう。

人間はそれぞれの「小宇宙」の世界で生きているので、話し合っても分かり合えないのです。
だからこそ、ジェンキンスさんは、終始あまり目立たないように控えめに行動していたように見受けられました。

それにしても40年ぶりとは…。それでも、ジェンキンスさんは「玉手箱」を持って帰らなくてよかったですね。

ヨット単独無寄港世界1周

公開日時: 2005年6月14日 @ 18:30

ちょっと古いニュースですが、6月初めに日本人が相次いでヨットによる単独無寄港世界1周の快挙を成し遂げました。一人は「太平洋ひとりぼっち」の堀江謙一さん(66)。もう一人は71歳という世界最高齢を打ち立てた東京都台東区の斉藤実さん。

堀江さんは「超有名人」ですが、ヨット仲間では「孤高」の存在で、マスコミ嫌いであまり取材は受けない人のようです。今回の「快挙」も後援は某新聞社で、「シャープの太陽電池」を搭載した「SUNTORYマーメイド号」…とやけにスポンサーの名前が目に付いたので、ここではあまり取り上げません。

スポットを当てるの斉藤さんの方です。6月6日、神奈川県三浦市の小網代湾に233日ぶりに帰港した斉藤さんの第一声は「地面が揺れてるよお~」でした。チャキチャキの下町のべらんめえ調で、生来の底抜けの明るさは、打ちひしがれている人々に勇気と感動を与えはてくれました。ほとんどのテレビニュースでは取り上げられていなかったのですが、斉藤さんが記者の質問に応えてこんなことを話していたことが妙に印象的でした。

「サラリーマンだったら、50歳になったらさっさと会社なんか辞めちまって好きなことをすればいい。どうせ、なれるとしたらせいぜい部長ぐらいだろう。何も会社や社長のために身を粉にするこたあねえや。自分の好きなことやりゃあいいんだよ」

ジャガイモの話

 【馬鈴薯の歴史】
・南米インカ帝国を征服したスペイン人が、16世紀末にインカ帝国の主要作物だった馬鈴薯をヨーロッパに持ち帰り、世界中に広がった。

・日本には慶長3年(1598年)に南蛮人によって長崎の平戸に持ち込まれた。

・馬鈴薯は、江戸の学者、小野蘭山が中国の『松渓懸志』(1700年刊)に掲載されていた馬鈴薯(マメ科のアメリカホイド)に似ていることから付けた。

・ジャガイモは、蘭学者の大槻広沢が、インドネシアのジャカルタから命名した。ジャカルタは当時、ジャガタラと呼ばれ、大槻は、オランダ船が馬鈴薯をジャガタラから長崎に運んできたので、「ジャガタライモ」と名付け、いつしかジャガイモとなった。

・ジャガイモの一品種「男爵薯」は、明治時代、函館ドックの川田竜吉専務が、食味と貯蔵性に優れた米国生まれの品種を英国から輸入し、全国的に広がった。川田専務が男爵だったことから、その爵位から命名された。

・もう一つ、今でも大人気の「メークイン」は英国産の品種。中世の春の村祭り「メーデー」の時、村の娘の中から選ばれた女王(クイーン)にちなんだものです。北海道帯広市の「大正メークイン」は美味しいですよ!

シー セッド・シー セッド

彼女は言いました。彼女は言いました。

人生に問題などないのです。
すべては起きてきたことです。
あなたが生まれる前にシナリオを書いてきたのです。
そのシナリオ通りにあなたの人生は展開されています。

だから、何があっても大丈夫なのです。
何が起きても大丈夫なのです。

夏目漱石「吾輩は猫である」100年

今年は夏目漱石が処女作「吾輩は猫である」を発表して丁度100年になります。
明治三十八年、漱石、時に三十八歳。

未完のまま絶筆となった最期の作品「明暗」は大正五年の作。漱石、時に49歳でした。
漱石の晩年の写真を見て、60歳か70歳くらいと勝手に想像していたのですが、随分若かったんですね。

私は、古今東西の作家の中で、漱石が最も好きで、尊敬しています。

全集を読破したのがもう四半世紀も昔なので、細かい所は覚えていないのですが、「三四郎」の中で、先生の口を借りて「日本は滅びるね」と漱石は予言していました。
そして、昭和二十年に、本当に日本は滅んでしまいました。
もし、漱石が生きていれば、78歳でした。

もっと書きたいのですが、今日はこの辺で。

靖国問題

「週刊新潮」6月16日号が「小泉『靖国参拝』私はこう考える」を特集しいたので、早速買い求めました。確かに百花繚乱といった感じで、百人いれば百通りの意見がありました。

ですから、話し合えば分るということはありえない、ということが私の確信になりました。

著作権の関係で全部引用できないのが残念ですが、見事にその人の歴史観、体験、価値観、国籍、世代観が反映していました。デーブ・スペクター氏は「軍国主義を美化している」と「予想通り」反対しているし、田嶋陽子氏も想定内で「小泉首相は英霊を冒涜している」と糾弾しています。

それでも、発言に一番重みがあったのが、戦争が終わっても28年間もルパング島で戦い続けていた元陸軍少尉の小野田寛郎氏でした。「そもそも、いろいろなわだかまりがあったから戦争になったのであって、それをわだかまりがないという方に無理があるんですから、綺麗事はどうでもいいのです」と言ってます。
詳しくは、是非、本文を読んでください。戦争を知らない戦後世代が逆立ちしてもかないっこありません。

週に2回しか登庁しない東京都知事

報道によりますと、石原東京都知事は、一週間に2,3日しか登庁しないそうですね。その知事の不在が遠因で、浜渦副知事なる者に権力が集中し、浜渦知事の決済がなければ、話が前に進まない状態が続き、独裁体制となり、ついに、堪忍袋の尾が切れた都議会が、浜渦副知事らの更迭を求め、石原知事は、国会議員時代を含め、30年来の腹心だった浜渦氏を解任した、ということがニュースになりました。

石原知事は、週2,3日しか登庁しないことについて、「机に座って仕事をするだけが能じゃない」と開き直っているそうですが、そもそも、「浜渦問題」なるものが生じたのも、身から出た錆でしょう。

石原知事は自分の好きなことをしているのです。そして、周りもそれを許しているのです。

北海道に住んでいる都民ではない人間がとやかく言う筋合いではないのかもしれません。
それでも石原知事は好きなことをしているだけです。都民も許しているのです。

逆も然りなのでしょうか。
都民は好きなことをしている。石原都知事も許している。

何だかよくわかりません。

国連常任理事国入り問題

戦後60年。この時期になって振って湧いたように湧きあがってきたのが、日本の国連安全保障理事会常任理事国入り問題です。

その前に、ストックホルム国際平和研究所が7日に明らかにしたところによりますと、2004年の世界の軍事費は推計で前年比実質5%増の約110兆円だったそうです。内訳は①米国47%②英国5%②仏5%④日本4%⑤中国3%―。

日本の常任理事国入りについて、京大のS教授が、某紙で疑問を投げかけています。彼の論理を少し膨らませて、私が、乱暴に要約しますと、こうなります。

そもそも国連とは、第2次世界大戦の「戦勝国」が戦後の世界秩序の構築のために創ったもの。(だから、英米仏露中の5カ国が拒否権を持つ常任理事国となった)「敗戦国」の日本にその資格ありや?あったとしても、「戦勝国」が「敗戦国」にわざわざ拒否権という特典を与えるものか?(ロシアが占領した北方領土を返還しないのでは同じ論理です)

反日デモで問題になったのが「歴史認識」ですが、そもそも、南京大虐殺、戦争指導者のA級戦犯といった「歴史認識」とは、アメリカを中心とした連合国による東京裁判であるー。

S教授は、そう疑問を投げかけたまま、「この歴史観の是非をここで論じようというのではない」と逃げてしまいましたが、日本政府は、サンフランシスコ講和条約で、極東軍事裁判(東京裁判)での判決を認めて「独立」しています。ということになりますと、米国によって押し付けられた「歴史認識」を受け入れざるを得ないのでしょう。

今、小泉首相は、A級戦犯を合祀する靖国神社を参拝しようとして、中国、韓国から反感を買っています。しかし、米国による「歴史認識」を受け入れなくてよければ、東条英機をはじめ、彼らは「鬼畜米英」による帝国主義との戦いに邁進し、国益のために尽くした英雄とも捉えられるわけで、米国の言う「A級戦犯」でも何でもないわけです。ですから、日本人の感覚としては、参拝は当然ともいえるのです。

要するに、今回の常任理事国入り問題とは、「もう戦後も60年も経ったのだから、もういい加減に『戦後体制』は止めてくれ」というのが日本政府の言い分なのでしょう。世界第4位の軍事力を誇っているわけですから。

それにしても、歴史は「戦勝国史観」というもので作られています。

演技と苦悩離脱について

若い頃、一度だけ、映画俳優になろうと思った時期がありました。背は高いし、ハンサムだし、格好いいし…と自分勝手に思い込んでいたからです。まあ、若者に有りがちな醜い誤解ですな。

しかし、たった一度だけ、アルバイトで映画にエキストラで出演したおかげで、きっぱりと止めてしまいました。「実につまらない」と思ったからです。勿論、映画のエの字も知らない頃で、カット割さえ、理解していませんでした。それが、実際、ロケ現場に立ち会ってみると、本当に、俳優たちは、ほとんど演技することなく、まるで、写真を撮るように、細切れで映されていたのです。例えば、学食で食べるシーンがあり、まずスプーンを口に持っていく所で「カット」。続いて、アップで、今止まった所から始めて、食べ物を口の中に入れて「カット」…。それを延々と繰り返し、俳優は一言、言っては、3秒くらいで、終わり。時系列も出鱈目で、最初のシーンと大団円のシーンを続けて撮ったりするから、側にいてもさっぱり分かりませんでした。ただ、俳優は急に泣いたり、怒ったりする演技を監督に求められていました。

私は、恥ずかしいくらい当たり前のことを書いているのですが、後でこの映画(三浦友和・檀ふみ主演の『青年の樹』)を見たとき、「あの時、撮ったシーンはこうなっていたのか」、やっとパズルが解けた安堵感を味わうことができました。

しかし、おかげで、映画がさっぱり楽しめなくなりました。恋人同士が向き合って、アップシーンになったりすると、「ああ、あそこで『カット』されて、多分、10分くらい休憩が入ったのだろうなあ」などと考えてしまい、その「継ぎはぎ」の粗が目立ってしょうがなくなってしまいました。
同時に、「ああこの俳優は演技している」という観念に支配されて、すっかり映画の世界に入っていくことができなくなってしまったのです。それは、ロバート・レッドフォードとバーバラ・ストライザンド主演の「追憶」という映画でした。

さすがに、この頃はそういった「観念」に捉われないようにしています。そうしないと、映画を楽しむことができないからです。

唐突ですが、何でこんなことを書いたのかといいますと、私は逆にこの「観念」を日常生活に応用しようと考えているからです。今、たまたま、不遇で、昨日書いたような「人生相談」の項目に苛まれているような人は、自分自身は俳優だと思ったらいいと思います。そういう役を演じているのだ、と考えればいいと思います。すると、客観的になり、一瞬だけでも、その苦悩から離脱することができます。営業不振に悩む部長さんは、植木等になって「無責任男」を演じてみればいいのです。不甲斐ない夫と姑の葛藤に悩む奥さんは、黒木瞳のようなカリスマ主婦になった自分の姿を思い描けばいいのです。