苦悩卒業

その人は言った。

あなたが好きなことをすればいいのです。
何でも義務感でやってはいけません。
好きなことをすることを自分が許せばいいのです。
人間は自分の好きなことをするために生まれてきたはずです。

今、現在を充実させれば、目に見えない、存在しない、過去や未来に対して怖れたり、不安になったりすることはないはずです。

長い間、あなたは十分、苦悩を味わってきました。
苦悩よ、もう卒業しなさい!

有名は無名に勝てない

大正から昭和にかけて活躍した陶芸家、河井寛次郎(1890-1966年)の言葉です。

1921年、第1回創作陶磁展覧会で「陶界の一角に突如彗星が出現した」と絶賛された寛次郎は、次第に自分の作風に疑問を感じて一時、陶芸界から離れたことがありました。その後、1926年に柳宗悦、濱田庄司らとともに「日本民藝美術館」を設立し、無名の庶民が作った陶器に着目し、一気に民芸運動にのめりこんでいくのです。

寛次郎の素晴らしさは、アンドレ・マルローをはじめ、世界の錚錚たる知識人に賞賛されたにもかかわらず、人間国宝や文化勲章など一切の名誉を拒絶したことです。

そんじょそこらの並大抵の人間ではなかなかできるものではありません。

滝乃不動明王

その不動明王は小高い河岸段丘の緩やかな崖の麓にありました。

角川春樹氏が30年以上前に夢のお告げで訪れ、「これから出版だけでは駄目だ。映画界に進出せよ」との啓示を受けた所だそうです。

音更町の人里離れた十勝川の河岸に、とても立派とは思えない草庵ともいうべき粗末な庵の中に小さな不動明王は鎮座していました。その草庵の横に湧き清水が流れ、地元の人がひっきりなしにお水取りにやってきました。

私も浄財箱に幾ばくかの小銭を入れて、手を合わせて、何かの啓示を待ちました。

あるがままに…。
まだ春遠き十勝の広大な原野に葉風の音がそう囁きました。

羊セラピー

今日は、ワインで有名な北海道池田町にある「スピナーズファーム」へ羊さんを見に行きました。ここには、コリデール、ハンプシャー、シェットランドなど親羊30匹、子羊が20匹もいるのです。

オーナーの田中さんに話を聞いたところ、羊の平均寿命は14歳くらい。メスは5歳から8歳にかけて1年に2匹くらい子供を産むそうです。つまり1匹の羊は生涯に10匹くらい子供を産むということでしょうか。すごいのは、絶対に自分の子供以外に自分の乳を与えないことです。他の子供が乳を飲もうと近づくと、角や体で追い払います。ですから、子羊は尻尾を振って、自分の体臭を撒き散らしながら母親の乳を吸います。「あなたの子供ですから、どうぞ蹴らないでくださいね」と言っている感じでした。

ジンギスカンになる食用の羊はサフォークと呼ばれる種類ですが、ここで飼っている羊は、ほとんどが羊毛用の羊です。体全体が黒かったり、顔だけ黒くてボディはクリーム色だったり、角が3つも生えていたり、乳牛のように「ブチ」だったり(ヤコブと呼ばれてます)、本当に1匹として、同じ顔がいません。羊は世界で何と3000種類以上あるそうですから無理もありません。見ているだけでも本当に飽きません。

羊の原産は英国が多いので、暑さには弱いが、寒さに強い。だから、冬場の寒い時にマイナス25度にもなる池田町でも平気なんだそうです。見るからに羊さんはセーターを10枚くら着込んでいる感じですからね。

ここの羊の殆どが羊毛用と最初に書きましたが、そのうち半分近くは内地の病院に「出荷」するそうです。病院?-そう、いわゆるアニマル・セラピーと呼ばれるもので、羊さんを飼う事によって、心が癒される心理療法です。それは確かに効果覿面だと思います。卵を一回り縮小した感じの大きな薄いグリーンの眼。その眼を良く見ると、瞳は丸ではなくて太い横棒なんですね。本来、羊は怖がりなので、あまり人間には近づきませんが、「スピナーズファーム」の羊の何匹かはとても人間に慣れているので、餌を与えなくても、撫でてあげると、犬のように尻尾を振ります。それがとてもかわいい。

六本木ヒルズ辺りでマネーゲームに明け暮れている連中には、この素晴らしさは理解できないだろうなあ。

平原綾香との浅からぬ縁

公開日時: 2005年4月1日

◎平原綾香とは浅からぬ縁あり!

本当に腰が抜けるほど驚いてしまった。その理由は追々明かしますので、このまま読み続けてください。
一昨年12月に「Jupiter」でデビューした平原綾香の歌声は実に衝撃的でした。何回も聴いているので、初めて耳にしたのは、いつだったのか忘れてしまいましたが、「何という才能。これは本物だ!」と思わず声をあげてしまったほどです。ホルストの有名な組曲「惑星」を編曲したものなので曲はすでにスタンダードなのですが、詞がいい。「私たちは誰もひとりじゃない」という箇所にはどんなに励まされたことか。

とにかくすっかり心酔してしまい、それから、まだ20歳という若い歌手の才能と歌唱力に注目してきたのです。そんなある日、彼女はFM放送の番組にゲスト出演していました。13歳からアルトサックスを吹いていたこと、お父さんもお祖父さんもサックス奏者だったことを話していました。

その時です。腰の辺りにビリビリと電流が走ったのは。「もしかして」。慌てて彼女のホームページを検索すると、「父はサックス奏者の平原まこと」と書いてあったのです。
「なんだ、平原さんの娘さんだったのか」と納得したわけです。平原さんはスタジオミュージシャンとして活躍する知る人ぞ知る存在。昨年プロ生活30年を迎えた彼とは、7年ほど前に彼が初のアルバム「月の癒し」出した時にインタビューし、すっかり意気投合し、毎年、年賀状をやり取りする仲だったのです。

昨年、彼からもらった年賀状を改めて読み返すと「綾香です。昨年Jupiterでデビューしました」と書いてあるではありませんか。すっかり忘れていました。「灯台下暗し」とはこのことかと思った次第です。(了)

ロバート・ジョンソン

公開日時: 2005年3月31日 

◎カレーにブルースはよく似合う
=ロバート・ジョンソンは渋い大人の味だ!=

帯広市東1条南5丁目にある「東印度会社」という名前のカレー屋さんは、恐らく帯広一、いや北海道で一番美味しいと思う。
ここのマスターの村井さんが、大の音楽好き。大正時代に作られた古い土蔵を改装したこの店では、色んなジャンルの音楽をかけているが、私が食事に行く夜の時間帯は決まってブルースが掛けられている。マスターの一番のお気に入りだ。ここでライトニング・ホプキンスやバディ・ガイといった数々のブルースマンの名盤を教えてもらい、聴かせてもらっている。

でも、ロバート・ジョンソンはあまりにも有名すぎて解説もいらないかもしれない。私も以前からその存在は耳にしていた。ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンらが大変影響を受けていて、クリーム時代のクラプトンが取り上げた「クロスロード」やストーンズの名盤「レット・イット・ブリード」に収められた「ラブ・イン・ヴェイン」は彼の作品だということは知っていた。しかし、実は、オリジナルを聴くのは今回が初めてだった。

CD「コンプリート ロバート・ジョンソン」にはジョンソンが残した全29曲が収録されている。わずか?そう、彼は全盛期の27歳の時、毒殺されたのだ。女にだらしのなかったジョンソンは、旅の先々でちょっかいを出し、関係を持った女性の夫にミシシッピの酒場で毒入りのバーボンを飲まされたという。1938年のことだった。それでも、音楽面で後世に与えた影響は甚大だ。

何しろストーンズのキースが若い頃、ジョンソンの曲を初めて聴いた時、彼以外にもう一人がギターを弾いていると思っていたというし、クラプトンは全てジョンソンの曲をカバーしたアルバムを最近発表するぐらい心酔している。その超人的なギターテクニックも「悪魔に魂を売って身に着けた」という伝説の持ち主。初めは随分シンプルに聴こえるが、そのうちに、ジョンソンの魂の叫びが耳に付いて離れなくなる。カレーのように辛酸をなめた大人の味。そう、意外にもカレーにブルースはお似合いだ。(了)

エディット・ピアフを知っていますか?

公開日時: 2005年3月30日

今の若い人は「愛の讃歌」も「バラ色の人生」も知らないどころか、エディット・ピアフの名前すら知らない人が多いという。ピアフは1963年、今から42年も前に47歳の若さで生涯を閉じている。もう歴史上の存在といっていいのかもしれない。

そういう私も、若い頃はピアフはあまり好きではなかった。と言うより、あまり関心がなかった。正直、理解できなかった。それもそのはず。世間知らずのお坊ちゃんには彼女の苦悩が理解できるわけがない。世間にもまれて己の成熟を待つしかない。

ピアフは1915年、大道芸人の娘として生まれ、育児を放棄した両親に代わって、祖母に育てられ、3歳で失明し、6歳で視力を取り戻し、7歳で街頭で歌を歌い始め、17歳で娘を出産し、その娘も2歳半で脳膜炎で亡くし…、キリがないの端折るが、32歳でボクサーと激しい恋に落ち、彼はミドル級の世界チャンピオンになるが、その栄光の絶頂で飛行機事故で死亡…。人はこれらを不幸と呼ぶが、ピアフに限って、その不幸の数は枚挙に暇が無い。歌手として大成功した幸運の代償にしてはあまりにも大きすぎる。

シモーヌ・ベルトー著『愛の讃歌ーエディット・ピアフの生涯』によると、彼女は1951年から1963年にかけて、自動車事故4回、自殺未遂1回、麻薬中毒療法4回、睡眠療法1回、肝臓病の昏睡3回、狂気の発作1回、アル中の発作2回、手術7回、気管支肺炎2回、肺水腫1回を経験したという。何ですか、この有様は!

神様は、その人が耐え切れないほどの苦悩や不幸は与えないと言われるが、彼女ならずとも「これは、あんまりではありませんか」と、天を怨みたくなってしまう。

ピアフの生涯を思えば…。どんな辛いことがあっても乗り切れそうな気持ちになれる。

ふるさと銀河線

「ふるさと銀河線」何とロマンティックな名前なんでしょう。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を連想させてくれます。
でも「ふるさと銀河線」は童話の世界ではありません。北海道の北見市と池田市を結ぶ営業140キロ、駅数が33ある、いわゆる第3セクターの鉄道で、正式名称は「北海道ちほく高原鉄道株式会社」。社長は、神田孝次北見市長が「兼務」しています。(この「兼務」が後から需要な意味を持ってきます)

その「ふるさと銀河線」が来年3月いっぱいで廃線が決まりました。理由は簡単明瞭。累積赤字です。今年度も経常損失が3億3千万円以上が見込まれています。1990年に年間約103万人いた利用者もこの年をピークに坂道から転がり落ちるように減少し、今年度はその半分以下の45万人しか利用しなかったようです。沿線人口の減少と自家用車利用の増加が最大の原因です。

資本主義の原理からいえば、廃線も仕方がないのかもしれません。でも、悲しい話です。絶滅稀種と同じで一度廃止されれば、二度と復活することはないでしょう。「ふるさと銀河線」の存廃問題については、2年も前から沿線自治体の首長ら関係者による協議会を北見市内のホテルで12回も開催して話し合ってきました。沿線住民も傍聴人として参加してきました。

この問題について深く取材してきた地元十勝新聞社の岩城由彦記者は「会場にはいつも、黒塗りの公用車が並ぶ。存続を願う住民が運賃収入に貢献しようと、仕事などの都合をつけながら『1駅でも2駅でも』と列車に揺られて傍聴に通ったのと対照的だった」と皮肉っています。さらに、経営コンサルタントの「会社経営が、首長の仕事の片手間でできるわけがない」というコメントを引き出して、怒りさえ滲ませています。

私も「ふるさと銀河線」には2度、乗ったことがあります。わずか1両の単線で、平日の昼間ということで、私以外の乗客は一人しかいませんでした。仕事で利用したので、のどかな旅情を味わうことはできませんでしたが、窓外の景色を眺めながら、何となく心が洗われる気分を感じることができました。

それにしても傍観者は無力です。廃線となる来年3月には、全国の鉄道マニアが駆けつけて「廃止するにはもったいない」と声を上げている姿が想像できます。傍観者は無責任でもあるのです。

カエターノ・ヴェローゾ

公開日時: 2005年3月28日

◎日曜日はサウダージな世界に浸ろう
=カエターノ・ヴェローゾを知らなかった私=

北海道帯広市にある地元紙「十勝毎日新聞」の栗田記者から「日曜日の昼下がりに聴くのでしたら、ピッタリですよ」と言って薦められたのがカエターノ・ヴェローゾの「ドミンゴ」というCDでした。どこか1960年代のフラワームーブメントの世代を思わせるカバージャケット。それもそのはず、このCDは1967年に発表されていたのでした。
栗田記者はまだ20代後半だというのに、やたらとジャズやワールドミュージックに詳しい。何しろ私と音楽談義をしても一歩も引けをとらないからだ(笑)。
「渓流斎先生、カエターノ・ヴェローゾも知らないなんてもぐりですよ」。ありゃあ、一本取られた。ということで、インターネット通して密かに買い求めてしまいました。
調べてみると、カエターノはMPB(ブラジル・ポピュラー音楽)の第一人者で、トロピカリズモの創始者。まあ、簡単に言えば、同郷のバイア州出身のジョアン・ジルベルトに憧れて音楽を始め、ボサノヴァにロックを取り入れた革命児らしい。今年、63歳になるからあのポール・マッカートニーと同い年。音楽活動暦も40年にも及ぶ。
正直、知らなかったですね、彼のこと。日本のマスコミも欧米偏重だったからブラジル音楽といえば、「セルジオ・メンデスとブラジル66」ぐらいだったのです。
このCD。私もやはり文句なしにお奨めです。ジャケットの中央のカエターノの右隣が当時22歳のガル・コスタ。彼女のヴォーカルがまたいい。カエターノのメランコリックでサウダージ(哀愁)な世界によく似合う。カエターノの抑制の効いた囁くような声もしびれる。驚くことに、この時、まだ25歳の若さだ。
このCDの1曲目の「コラサォン・ヴァガブンド」がカエターノの芸歴で最も重要な曲の1つらしいが、私のように最初は何の偏見も持たず、聞き流したらどうでしょうか。好きな1曲が必ず見つかるはずです。それにしても栗田記者は何で「日曜の昼下がり」なんて言ったのだろう。そうかあ、タイトル曲の「ドミンゴ」が「日曜日」という意味だったのですね。

ボツにされた原稿

以下は、先日、ボツになった原稿です。「何故こんなものが…」と思われる方もいらっしゃるのではないかと思い、掲載することにしました。これが、取材も執筆も編集も発表の場も「自己責任」で行えるブログの特典かもしれません。

◎自動車の燃費向上機器を発明
=帯広大谷短大生の財田直哉さん=
北海道帯広市に住む短大生が、自動車の燃費を向上させる機器を発明して、特許を申請。インターネットでも販売を始めたところ全国から問い合わせが殺到している。
この学生は、帯広大谷短期大学二年生の財田直哉(たからだ・なおや)さん(二〇)。 大学での専攻は「日本語日本文学科」で、全く専門外だが、中学時代からパソコンに熱中し、学生企業家としてホームページなどを製作するパソコンスクールを自宅で開業。機械いじりが得意で三月に卒業後はそのまま企業家として独立する。図書館に通い詰めて燃費向上機器を独学で開発した財田さんは「これほど全国から問い合わせがあるとは思わなかった。環境にもやさしく、燃費代が節約できます」と話している。
財田さんが開発した機器は「メガコンパクト」と命名された。縦5㌢、横7・5㌢、厚さ3㌢のプラスチックのケースにコンデンサー、ヒューズなどが入っている。運転席のたばこ用電源ソケットにプラグを差し込むだけで機器が作動するため、機械が苦手な女性や年配の人にも簡単に装着できる。
この機器を接続するとコンデンサーで蓄電されて電流が増幅され、安定的な電気の供給が可能になる。アクセルを踏んだり、エアコンや音響機器を使用したりする際もバッテリーへの負担が軽く済み、燃費の向上につながる。財田さん自身が高速道路で同じスピードと距離で実験したところ、ガソリン1㍑当たり10㌔だった走行距離が12㌔に向上したという。「僕自身は年間、2万㌔くらい走行しますが、ガソリン代が年間3万円以上浮きました。二酸化炭素などの排出も減少し、環境にもやさしい」と財田さん。当初はエンジンルームのバッテリーに直接接続する機器を開発したが、「プラスとマイナスを間違えてしまう。機械を触るのが怖い」という要望に応え、今年一月に新製品として開発に成功した。
バッテリーに直接接続する類似品は、1万円から2万円で市販されているが、簡単に取り付けられる「メガコンパクト」は3980円から発売。財田さんの手作りで年間約1万個の製作を目標としている。
問い合わせは、帯広市の雑貨店「タジーマジー」 フリーダイヤル0120-241332。http://www.rakuten.co.jp/tussie-mussie/ (了)