情けない話

岡本綺堂の「半七捕物帳」はわずか70年前から90年前に書かれたものですが、現代人から見て、ほとんど意味が分からない言葉や死語が出てきます。

経師職(きょうじや)や回札者という職業も聞いたことがあっても、絵姿は見たことがありません。池鮒鯉(ちりゅう)様の御符売りという蝮蛇除けのお守りを売る人がいたということもこの本で初めて知りました。

辞書で調べれば出てくるでしょうが、「べんべら物」「柄巻」「山出しの三助」「堤重」などという言葉が何気なく出てきて、昔の人は、こういう言葉は辞書なんか引かなくてもすぐ分かったのだろうなあ、と悔しくなってしまいます。

ただ、次の文章は、よく分かりませんでした。「修善寺物語」など新歌舞伎の台本作者として名を馳せた綺堂のことですから、古典の素養を下敷きにしているのでしょうが、ちょっとお手上げでした。

半七親分と手先の松吉が春の桜時、鬼子母神前の長い往来に出たときのことです。

「すすきのみみずくは旬はずれで、この頃はその尖ったくちばしを見せなかったが、名物の風車は春風がそよそよと渡って、これらの名物の巻藁(まきわら)にさしてある笹の枝に、麦藁の花魁が赤い袂を軽くなびかせて、紙細工の蝶の翅(はね)がひらひらと白くもつれ合っているのも、のどかな春らしい影を作っていた。」(帯取りの池)

昔の人なら情景がパッと浮かんだことでしょうが、どうも、私なんぞは、言葉の一つ一つは分かるのですが、外国語を読んでいるような感じです。情けないので、正直に告白しました。

賢者とは?


賢者とは?
すべての人から学びうる人
強者とは?
自己の熱情を統御しうる人
富者とは?
自らの運命に満足を感じうる人
尊い人とは?
人間を尊ぶ人

ベン・ゾーマ

岡本綺堂「半七捕物帳」

ヴァチカン美術館

公開日時: 2007年2月11日 @ 21:1

G先生の薦めで、岡本綺堂の名作「半七捕物帳」を少しずつ読んでいます。

捕物帳とは、与力や同心が岡っ引らの報告を聞いて、さらにこれを町奉行に報告すると、書役が書き留める。その帳面を捕物帳というのだそうです。

●岡っ引は、世間では、御用聞きとか目明しとか言われるが、表向きは小者(こもの)と呼ばれる。

●与力の下に同心が4、5人いて、同心の下に岡っ引(通称親分)が2、3人いる。その下に手先(子分)が4、5人いる。手先の下にも下っ引と呼ばれる諜者がいる。

●町奉行から岡っ引に渡す給料は一ヶ月に一分二朱というのが上の部で、悪いのは一分ぐらい。これでは、手下に渡す給料もないので、岡っ引は大抵ほかの商売をやっていた。女房の名前で湯屋や小料理をやってたりした。

作者の岡本綺堂は、新聞記者(東京日日新聞)出身です。半七捕物帳も若い新聞記者の聞き書きの体裁で話が進みます。

そういえば、「新撰組始末記」などを書いた子母澤寛も新聞記者(読売新聞、東京日日新聞)出身です。

昔の新聞記者は偉い人が多かったですね。

戊辰戦争60年に当たる1928年に、東京日日新聞は、正月企画として戊辰戦争を知る古老から当時の市井話を聞き書きして連載しました。今、岩波文庫の「戊辰物語」として収録されています。

新撰組の近藤勇は「ひげが伸びているというので床屋を呼んで、しかも首穴を前にしたそこでこれを悠々とそらせ『ながなが厄介に相成った』といって、自分でもとどりをぐっと前へかき上げて斬られた」そうなのです。(以上2月6日付毎日新聞)

戦後60年を過ぎてしまいましたね。

相補的なものの見方

ラオコーン

相補的なものの見方とは、量子物理学者のニールス・ボーアの言葉から来ていると、芥川賞作家で、僧侶の玄侑宗久氏が書いています。(1月30日付東京新聞)

微小な量子の振る舞いが「粒子」に見えたり、「波動」に見えたりすることは、相対立することではなく、お互いに相補って全体像を見ていくことだというのです。

難しい言葉をはしょって、簡単に要約すると、実験は、観察者の使う器具の性能や観察者自身の思惑にも左右されるので、世の中に客観的な観察などというものはないというのです。

玄侑氏は「現実に即して云えば、どんなモノサシも絶対化してはいけないということではないか」と結論づけています。

仏教が、死について、病を治す力を象徴する「薬師如来」に任せてばかりいては苦しいので、極楽浄土を願う「阿弥陀如来」を作ったのも、空海が発想した「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」を並置したのも、相補性を尊重しているからではないか、と玄侑氏は言います。ちなみに、金剛界は、ダイヤモンド(金剛)のように輝く真理を求める意志で、胎蔵界は、母親の胎内のように現状を温かく容認する態度だといいます。

国家というモノサシ、学力というモノサシ、老人や福祉というモノサシ…。現代は、あまりにも一つのモノサシで測り過ぎているのではないか。演繹的な見方と帰納的な見方の両方が必要ではないかと同氏は力説しています。演繹的とは、普遍的なことから、特殊なことを導き出すこと。その逆に、帰納的とは、それぞれの具体的なことから、普遍的な法則を導き出すことです。

「物事に絶対はない」という考え方は賛成です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいずれも、唯一の絶対神を信仰する宗教です。日本人のように草花や路傍の石にも神が宿るというアニミズムとは、相容れません。山や日の出に向かって、頭を垂れて祈る日本人の姿は、一神教の人々から見て不思議に思われることでしょうね。

しかし、相補的なものの見方は、一神教の世界からでは発想できません。明らかに東洋思想の影響が見られますが、西洋の科学者であるボーアが「発見」したというのも面白いです。

もう大丈夫です

天使名 シャンティ.。 私は安らぎの天使です。

あなたに平静さを齎し 穏やかな道を用意しています。

あなたの人生は混乱し過ぎていたので 魂が疲れているようです

あなたの精神と心がリラックスできる 一人で静かな時間を過ごせるように 新しい機会を与えます。

平静な心が天の真理であることが分かるように あなたに平静さをもたらします。

深呼吸して 自分の意図することをしっかり持つことによって あなたの人生に何が起こっても 一本筋を通して自分を中心に置くことが できるようになるでしょう。

この内に秘めた安らぎが土台となり それがとても力強いヒ-リング効果を生み出します。

現実に起こっている人生は 間もなく あなたの内なる安らぎの心に反応するでしょう。

穏やかな道があなたを待っています。

最悪の事態は過ぎ去りました。

全てが上手くいきます。

サラリーマン川柳

ヴァチカン博物館

サラリーマン川柳が発表されましたね。

ギャグ好きな私は、この日を楽しみにしていました。

気に入った作品を無断で引用します。マナー違反ですが、勝手に少し換骨奪胎します。

●携帯より 夫を換えたい ポータビリティ

●飲もうかと 誘えば 部下すぐ 車です

●崖っぷち いいなあ 犬は救われて

●パパお願い アッシー、場所取り カメラ ゴミ

●アレがアレして アレどうした アレ哀れ

●帰りたい 我が家でなくて あの頃に

久しぶりの落語


上野の鈴本演芸場に久しぶりに行ってきました。
出演者は13人。4時間たっぷり聴いて、たったの2800円でしたから、今時、こんな安い娯楽もないでしょう。
テレビにはあまり出ない芸人で私も一人も知りませんでしたが、舞台で10年、20年、30年と鍛え上げられた芸達者な人ばかりで、感心してしまいました。本当は、単なるお笑いですから、頭で考えてはいけないんですけどね。

落語(金原亭伯楽ら)や漫才(ホームランほか)だけでなく、マジック(花島世津子)や都々逸(柳家紫文)もあり、バラエティーに富んでいました。
一番いいところで居眠りしてしまいましたが、ひさしぶりに浮き世の憂さを晴らすことができました。

今、落語がブームとやらで、雑誌も特集を組んだりしてます。私も早速、「サライ」を買ってしまいました。付録にCDも付いていました。

アニータ

日刊スポーツの記事から

 

青森県住宅供給公社をめぐる14億円横領事件で服役中の千田郁司受刑者(49)のチリ人妻アニータ・アルバラード(34)が3日午後、成田発フランクフルト行きの日航機で離日した。飛行機に乗り込む直前まで「オカネ!」と絶叫、自分で航空券購入したことを強調し、さらに4日間の日本滞在で行動をともにした日本テレビの番組スタッフに金銭要求までした。千田受刑者から約11億円を受け取りながら、最後まで金への執着を見せた。アニータは、今回の日本旅行の費用について「ワタシ、チリ(の飛行機代)から全部払ったよ。5000ドル(約60万円)ね。日本でセッタイ受けたのに、オカネもらえなかった」と日本語で口走った。さらにスペイン語でも「どこからも何ももらっていない。いったい日本のマスコミはなんなのよ」と吐き捨てるように毒づいた

アニータは、「バンキシャ!」が青森市で事前に予約したタクシーを使い、1日は12時間かけて山形市まで移動。タクシー会社関係者によると乗車料は約19万円になるという。陸路移動のタクシー代を「バンキシャ!」に支払ってもらったことで、アニータは日本での滞在経費なども負担してくれるものと思っていたようだ

飛行機に乗り込む直前に日本語で「飛行機も宿泊代も全部ワタシが払った。チリに帰ったらテレビで話す」と鼻息を荒くし、自筆のスペイン語で書いた「来日に当たっては日本人から航空券を買ってもらったのではない」との紙を日本テレビのカメラクルーに渡した。横領金額14億4600万円のうち11億円を受け取ったにもかかわらず、最後まで金にこだわった。

不可思議な体験


奇妙な体験をしました。
月曜日に九州に住む叔父が急死しました。とても素晴らしい叔父でした。父親の葬儀にも駆け付けてくださったので、叔父の葬儀にも参列すべきでしたが、仕事の都合で列席することはできませんでした。
気にはなっていたものの、二、三日経った一昨日の夜遅く、読書をしていたところ、電気スタンドの電球が急に「バチン」と音をたてて消えるのでした。
「ああ、もう電球が(寿命で)切れたんだなあ。さて(電球の)買い置きはあったかなあ」と思い、試しにもう一度、スタンドのスイッチを付けてみました。
ところが…点くではありませんか。いわゆる、ポルターガイスト現象。私は何となく、傍に叔父の霊が来ている気がしたのです。大好きな、そして尊敬する叔父のことですから、少しも怖くはありませんでしたが…。
序でにもう一つ。先日、古典芸能に造詣の深い後藤氏と話をしていたら「真景累ケ淵」の話題がでてきました。豊志賀の話もでてきました。三遊亭円朝作。まあ、因果応報の比喩みたいな話です。ただ、その時は何ともなかったのですが、今朝、鏡をみたらびっくり! 顔が豊志賀状態でした。「四谷怪談」のお岩さんといったら分かりやすいかもしれませんね。
いずれにせよ、右目眉毛の皮膚の中におできのようなものができて、右目の瞼がパンチで殴られたように腫れてしまったのです!
右目が半分塞がって、まさしく、うらめしや ~のお岩さん状態。美男子も台無しです。
それにしても、何であの時、後藤氏と豊志賀の話なんかしたのか。奇妙な符号の一致に背中がゾクッとしてしまいました。
ちなみに、夜なって、大分、痛みと腫れは引きました。皆さんのお陰です。有り難うございました。