「悠久の美」と「マーオリ 楽園の神々」展

ヴァチカン博物館

今日は久しぶりに芸術鑑賞に行ってきました。

上野の東京国立博物館 平成館で開催中の中国国家博物館(北京)名品展「悠久の美」です。

俗に中国4千年の何だら、かんだらと言いますが、そんなものではなく、出展された作品のうち、最も古いのが新石器時代の「彩陶瓶」で、紀元前4500年頃から同4000年頃のもの。何と、6500年も前の作品です!これらを眼前に見たときは、本当に愕然としました。その頃の日本は、まだ、縄文時代の前期でしょうが、裸同然の格好で、狩猟生活を送っていたのでしょう。

まあ、中国は四大文明の発祥地ですから、敵うわけありません。二里頭文化・商時代(紀元前19世紀ー前11世紀)の頃の爵、方鼎など、お酒を注ぐ容器や食べ物をお供えする器などが多く、結構生活に密着した作品がありました。

いずれにせよ、何千年も昔の作品を見ていると、人間の生命の儚さを感じてしまいました。

「悠久の美」展の真向かいでは、「マーオリ 楽園の神々」展が開催されていました。ニュージーランドの原住民の倉庫やカヌーや釣り針やペンダントやマントや櫛や楽器などが展示されていました。どれもこれも初めて見るものばかりでした。マーオリの男たちには全身に刺青を入れる風習があったようでした。

現在、ニュージーランドには、人口の15%しか、マーオリ人は住んでいない、とありました。人口のほとんどが、ニュージーランドを植民地として征服した人たちの末裔ということでしょう。

戦後マスメディア史 

ヴァチカン美術館


昨晩は、半蔵門の寿司店「門」で、後藤氏と会食。目の前で板さんが握ってくれて、味も雰囲気も申し分なし。「久兵衛」の五分の一ほどの値段で楽しむことができました。


終戦後になって、同盟通信出身の岡村二一が「東京タイムズ」を、松本重治が「民報」を、読売争議で退社した竹井博文が「日東新聞」を創刊する話などを伺う。東京タイムズは、その後、首都圏のクオリティーペイパーに発展しますが、経営難から徳間書店の徳間康快が買収し、その後、休刊します。そういえば、この辺りの「戦後マスメディア史」はまだ誰も手を付けていない領域で、まとまった書籍も出ていない。ちょっと調べてみようかと思いました。まずは、「隗より始めよ」なのかもしれませんね。


しかし、「西安事件」を世界的にスクープした松本重治氏一人をとっても、一筋縄ではいかない人物で、第一高等学校ー東京帝大法学部を出てから、イエール大学などに留学し、33歳でやっと新聞聯合社に入社してジャーナリストになった人でした。同盟通信編集局長で終戦を迎えて、退職し、戦後は国際文化会館の設立に尽力を尽くした人です。


今ではすっかり忘れ去れてしまった福沢諭吉の創刊した「時事新報」の存在も面白いです。銀座6丁目にある社交クラブ「交詢社」に時事新報の編集局があったようです。昭和初期の帝人事件の余波で、武藤山治社長が暴漢に射殺され、経営にも暗雲が立ちこめ、最終的には産経新聞に吸収されていきます。この吸収に一躍買って出たのが、戦前から「日本工業新聞」などを創刊して、産経新聞の社長になった新聞界の立志伝中の人物である前田久吉です。前田氏は「東京タワーを建てた男」としても名を残しています。


うろ覚えの記憶では、この東京タワーの建設地は、芝増上寺の敷地の一部でしたが、明治時代に、名うての料亭「紅葉館」があり、この名前をペンネームにしたのが「金色夜叉」の尾崎紅葉だったと思います。


経営難となった時事新報は、戦前の一時期に東京日日新聞(現毎日新聞)が梃入れしています。その関係で、時事新報が設立した「日本音楽コンクール」と、「大相撲優勝力士額掲示」は、毎日新聞が継承しているという史実も分かりました。


色々調べていくと面白いものです。


最近、体調が思わしくなく、公私ともに物事がうまくいかず、塞ぎこむ毎日でした。


後藤先生からは「『1に辛抱、2に我慢、3,4がなくて忍耐』だよ。最近の若い人は我慢が足りないんだよ」と諭されてしまいました。

自転車は走る凶器?

ポンペイの犬

交通事故に遭ってしまいました。いや、大袈裟でした。すみません。自転車にぶつかってしまったのです。まあ、こちらが悪いのですが、路地から「歩道」に飛び出したところ、右から来た自転車に轢かれ、転倒してしまったのです。こちらも考え事をしてボーとしていて、周囲に気を配らなかったせいでした。でも、まさか、自転車がくるとは…。

何処でも事情は同じでしょうが、自転車が、「歩道」を我が物顔で飛ばしています。こちらが普通に歩いていても、後ろから、チリチリ鳴らされて、憤慨したことがあります。私の住む所は、民度が低いせいか、夜間でも電気をつけずにいきなり自転車が目の前に近づいてくるので驚いたことがあります。

第一の原因は道路事情でしょう。車道も歩道も狭すぎます。車道はやっとトラックがすれ違う二車線。歩道は人がやっとすれ違うことができる幅。北海道の歩道は、関東地方の車道と言ってもいいでしょう。人にも自転車にもぶつかることはまずありませんでした。

そもそも、最近、道路交通法を改正して、歩道の自転車走行を認知しようとしていますが、異国では考えられないことです。ローマでも上海でも、自転車は車道でした。自転車はある意味では、自動車と同じように走る凶器なのです。

歩道は、人間が安心して歩ける道路です。子供もいれば、お年寄りもいれば、足の不自由な方も安心して歩けるようにしなければなりません。

何か説教じみた話になってしまいましたが、先日、ラジオの深夜便を聞いていたら、明石アナウンサーも、歩道を歩いていたら自転車にぶつけられそうになった話をして、やはり、自転車が歩道を走るのはおかしいと提議していました。

それなら、自転車道を整備すべきだという人がいるでしょうね。まあ、それが最善策でしょう。でも、それが物理的に難しい場合、せめて、自転車に乗っている人の最低限のマナーが必要だと思います。自分が歩行者の身になれば分かると思います。

QRコード

ポンペイ

携帯の機種を変えたのは、最近、新聞や雑誌の記事等で目立ってきた「QRコード」を試してみたかったからです。

私の持っている携帯では「バーコードリーダー」という名称ですが、今日、試してみました。QRコードに携帯に付いているカメラのレンズを当てると自動的に読み取るシステムになっていました。

しかし、カメラで「撮影」している間は、iモードが起動し、その読み取ったデータを再現すると、再び、iモードが起動しなければ読み取れません。つまり、その度に課金されるわけですね。はっはー、そういう仕組みになっていたのですか。

QRコードの中にある情報が死活問題になるような最重要情報ならともかく、大方は宣伝じみていて、大したものでないことも分かりました。もう少し低料金で、しかも目に優しい紙の媒体で読んだ方が楽だといことも分かりました。

最近、「パケットし放題」の料金体系が人気になっているようです。パソコンを持っていない若者を中心に、携帯でホームページを見るのがその目的のようです。私もよく知らなかったのですが、A社の場合、携帯でホームページを閲覧すると、1ページ560円くらい掛かるそうですね。これでは、一ヶ月4万円、5万円掛かっても不思議ではありません。

たかが携帯ですが、メモ帳になったり、スケジュールを管理できたり、お財布になったり、監視カメラになったり、地図になったり、音楽が聴けたり、買い物や食事の場所の検索ができたり、本当に至れり尽くせりです。

私の携帯は、頼みもしないのに、自動的に最新ニュースが流れてきます。(このまま、ニュースが流れっぱなしになると電池の消耗が激しいというアドバイスを聞いて、このニュースを止めることにしましたが)

数年前に、「携帯のおかげで、CDレコードの売り上げが落ちた」と言われましたが、携帯のおかげで、漫画誌もガイドブックもそして新聞も、売り上げが落ちるはずです。

儒教

ポンペイ

儒教の「儒」は、白川静博士によると、旁の上の「雨」は雨、その下の「而」は、顎鬚を表し、シャーマンだというのです。人偏は「人」を表しますから、シャーマンが雨乞いをしている姿を表しています。シャーマンとは、天上の神、魂などと、地上の人間とをつなぐ能力を持つ祈祷師のことです。

孔子(紀元前551-449年)は、魯国の昌平郷(中国山東省曲阜県)出身。父孔?(こうこつ)は下級武士、母顔徴在(がんちょうざい)は、祈祷や葬儀などを行う宗教集団「儒」の出身と推定されています。孔子は正式な結婚の子ではなく、三歳の頃に父親は亡くなり、母親に育てられたといわれます。

母親が宗教集団「儒」の出身であったという史実からも、儒教は、孔子が始めたものではなく、孔子が生まれるはるか以前からあったようです。仏壇に位牌を祀るのも、仏教ではなくて、儒教の風習だそうです。

ですから、儒教は道徳であって宗教ではないという説は間違いで、儒教の重要文献には、葬式や死者に対する儀礼の話が多く出てくるようです。

面白いことに、お釈迦さまが入滅したのは、紀元前477年頃と言われていますから、孔子とほぼ同時代人だということが分かります。

子曰く、学びて時に之を習う。

亦悦ばしからずや。

朋 遠方より来たるあり。

亦楽しからずや。

人 知らずして怒らず。

亦君子ならずや。

 

 

電凸

毎日新聞のコラム「発信箱」で、「電凸」(でんとつ)ということを初めて知りました。筆者の花谷寿人氏は、「電話による突撃」のことと注釈して、「ネットで気に入らない書き込みがあると本人のプライバシーを暴き、電話番号を探し当てて寄ってたかって電話をかける。さらにそのやりとりまでネットに載せて糾弾する。発信する側は『匿名』という安全地帯に身を置く。『顔が見えない相手から苦しめられた』という人は多い」と書いています。

電凸はすでに、言葉として広く知られているようで、かのウイキペディアには「企業や宗教団体や政党などに電話し、それらの組織の活動についての意見を問いただす行為のことを指す。マスコミに属する者が行う職業的な取材ではなく、一般顧客用の問い合わせ窓口を通して行われるのが普通である。実質的には、その組織に対する抗議行動と考えてよい」などど、かなり事細かく詳述しています(一部改変)。

ネットで、検索してみたら、中田英寿ら世界の一流スポーツ選手や俳優らを宣伝塔にして、「世界の貧困をなくす活動資金になります」とのキャッチフレーズで、恵まれない人たちのためのチャリティーとして世界中に広まった「ホワイトバンド」なるものの実態を暴いたサイトが見つかりました。

その筆者によると、日本のホワイトバンドプロジェクト事務局なるものから質問の答えが返ってきましたが、その発信元は、SSU、つまり、サニーサイドアップ社だったということです。同社には、確か、中田元選手も所属していたのではないでしょうか。

ははーん、と思ってしまいました。

「匿名」に隠れての卑劣な行為は決して許されませんが、スポンサーや視聴者に阿って深く取材できないマスコミに代わって、新境地を開く、良い意味での電凸なら、本当に条件付きで、注目したいと思っています。

もちろん、あくまでも、くどいようですが、最初に述べた花谷氏が非難するような行為は、言語道断です。

携帯電話を替えましたの巻

ポンペイ

携帯を最新機種に替えました。3年ぶりです。番号も気に入らなかったので、序でに番号も変えてしまいました。本当は、特別な理由がなければ変えてくれなかったのですが、どうしても、前の番号を一生背負いたくなかったので、特別な理由を作って、頼み込んで有料で変えてもらいました。

ホッとしたのも束の間、番号を変えると、携帯メールのアドレスも変えなければならないことを知らされました。

これが、結構面倒くさいのです。私自身、それほど普段からお付き合いしている方は多くはないのですが、それでも、友人、知人、先輩、後輩、同僚、奇人、変人、現地人、土人、インド人(あ、これは間違い)…とお知らせしなければなりませんでした。

しかし、これをきかっけに、久しぶりに、3年ぶりくらいにコンタクトを取ることができた人もいて、収穫といえば、収穫です。

今度の携帯は、いろんな機能が付いています。テレビ電話もできれば、複数で電話で会話できるようです。カメラも監視用に使えるようですし、ゲームや音楽プレーヤーとしても使えるようです。…みんな、ようです。と書いているくらいですから、たぶん、普通の通話とメールしか利用しないと思います。

綾小路きみまろさんの最新刊に出てくる川柳?にこんなものがあります。

ネコに小判、中高年にケータイカメラ

ドキッとしてしまいました。でも、若い人は、使いこなしているようですね。ある人から聞いた話ですが、息子が1ヶ月の携帯費が4万円もかかったそうです。一体、何に使っているのかといえば、ネットで、要するにその筋の番組を見ていたようです。今では「パケット使い放題」のコースができたので、随分、安くなって助かったという話です。

恐らく、日本ほど携帯が普及して使いこなしていて、最新機器が取り揃っている国も世界を見渡しても他にないでしょうね。今度の携帯は、前の機種とは違って、やっと世界中で使えます。

私は、もう、全くついていけませんが…。

 

レオパルディ

ポンペイ

「大都会の人間たちは際限のない雑念に囚われ、さまざまな気晴らしに気をとられ、精神は否が応でも浮薄と虚栄に向かわせられ、内的な悦びを感じることが難しい」

このような寸鉄釘を刺すような警句を書いた人は誰かご存知ですか?加藤周一?丸谷才一?大岡昇平?はたまた、バーナード・ショー?ジョージ・オーウェル?

正解は、19世紀の作家で詩人のジャコモ・レオパルディ(1798-1837年)でした。

伯爵家に生まれた早熟の天才で、わずか15歳で「天文学の歴史」を刊行し、風刺的なエッセイを数多く残し、喘息の発作で39歳で亡くなりました。私は知らなかった、というより、忘れていたのですが、夏目漱石(「虞美人草」)、芥川龍之介(「侏儒の言葉」)、三島由紀夫(「春の雪」)ら多くの日本の作家にも影響を与えています。

1月14日付の毎日新聞の書評欄で知ったのですが、取り上げられた彼の詩集「カンティ」(脇功、柱本元彦訳)(名古屋大学出版会・8400円)(富山太佳夫氏評)は、半年以上前の昨年の5月に刊行されたものです。これは、初の原典からの完訳だそうです。数ヶ月もすれば、すぐ書店の棚から消えてしまう昨今の新刊本の宿命にしては、随分と息の長い書評の取り上げ方ぶりです。(毎日の書評欄は、日本一だと思っています。)

ネットを検索すると、熱心な方がいらっしゃるもので、「ウラゲツ☆ブログ」さんによると、日本で初めて、レオパルディが翻訳されたのは大正9年(1920年)12月に刊行された「大自然と霊魂との対話」(1827年版の散文集「オペレッテ・モラーリ」の完訳)で、これは、訳者の柳田泉氏(1894-1969年)が英訳本から重訳したそうです。逆算すると、26歳で翻訳しているのですね。柳田氏は訳者序で「レオパルディの名前は夏目漱石の『虞美人草』を読んで知った」と書いています。

「物知り博士」漱石は英訳で読んでいたのでしょうか。いずれにせよ、「思想の連鎖」のようなものを感じます。

「それでもボクはやっていない」★★★★

ポンペイ

今、話題の映画「それでもボクはやっていない」を見に行ってきました。新聞記者如き、映画評論家風情とは違って、ちゃんと自腹でお金を払って見てきたので、奴らよりは説得力はあると思います。平日の午前中に某所で見たのですが、やけに人が多くて並んでいて、チケットを買うのに10分も並びました。不思議だなあ、と分からなかったのですが、後で、その映画館は毎週水曜日は「レディースデイ」で、女性のみ1000円で見られることが分かりました。道理で…。これ以上書くと、女性から顰蹙を買うので、止めておきます。私も女装していけばよかったと後悔しています。

さて、映画の話です。エンターテインメントでもハッピーエンドでもないので、現実の辛さを忘れて気晴らしで見たい人は止めた方がいいと思います。全く、身につまされる話です。粗筋については、これだけ、マスコミ等で情報が氾濫しているので、「痴漢冤罪事件」を扱った裁判映画とだけに留めておきますね。

普通、映画はシンデレラ・ストーリーにしろ、SFにしろ、現実には「ありえない」ことをテーマに取り上げるものです。ところが、周防正行監督は、これを逆手にとって、映画ではありえない、現実では「ありえる」ことを映画化したのです。(かなり長い間、取材し、実話を元に脚色されています)

ですから、本当に身につまされてしまうのです。夢も希望も理想もないのです。要するに現実にありえてしまうのですから。

役者も随分自然な演技をしていたので、まるでドキュメンタリーを見ているようでした。さすがに瀬戸朝香は女弁護士には見えませんでしたが、主人公の加瀬亮も、裁判官役の正名僕蔵も、「この人は痴漢ではありません」とかばったOL役の唯野未歩子も、被害者の女子中学生役の柳生みゆも、まるで演技をしているのではないような名演技でした。脚本を担当した周防監督には、説明口調の台詞が少なく、裁判所で暴言を吐いたり、現実でありえてしまうことばかりなので、感服してしまいました。

男性陣には「転ばぬ先の杖」として見て頂ければいいのではないでしょうか。ただ、面白半分に「ガハハ」と笑って、内容もすっかり忘れてしまうものだけが映画ではありませんから。

私も満員電車に乗るときは、せめて両手を挙げて降参のポーズをすることにします。

バロン西の特別展ー北海道本別町

エゾリス


映画『硫黄島からの手紙』でも登場したバロン西こと西竹一陸軍中佐(42歳で戦死)の特別展が北海道本別町の町歴史民族資料館で今年7月にも開催されるという記事を読みました。


バロン西は、薩摩出身の男爵の三男として東京で生まれ、1932年のロサンゼルス五輪の馬術競技で金メダルを獲得したことで有名です。1939年3月から1年余り、陸軍の幹部として本別町仙美里にあった軍馬補充部十勝支部に勤務していたことから、同町資料館の瀬藤範子館長が、バロン西の長男の西泰徳氏に展示品の拝借を依頼をしたところ、快く遺品を貸与してくれたそうです。


本別町と聞いて大変懐かしくなりました。「日本一の豆のまち」として売り出しています。高橋正夫町長さん元気でしょうか?機会があれば、また行ってみたいですね。


1932年のロサンゼルス五輪といえば、もう既に、75年も昔になってしまいましたが、当時の五輪を舞台にした青春小説「オリンポスの果実」(田中英光)を思い出します。田中英光は、早稲田大学の学生時代にボート部選手として、オリンピック代表になっています。彼は、その後、小説家として太宰治に師事し、太宰が自殺した後、自らも太宰の墓前で自殺しています。この小説の中で、Kというオリンピック代表の体操選手が登場します。その人は、25年ほど前に日本体操協会会長だった近藤天氏から、直接「あの中に出てくる『K』は、僕のことだよ」と聞いたことがあります。


バロン西も硫黄島も、遠い歴史の物語ではなく、何か身近に感じてしまいます。