藤原新也『黄泉の犬』

Hi!

久しぶりに読み応えのある書物に接しました数時間で一気に読んでしまいました。

藤原新也著『黄泉の犬』(文藝春秋)です。表紙は、彼を一躍有名にした野犬が人間の死体に群がって食いついている写真です。あの「人間は犬に食われるほど自由だ」というコピーで物議を醸したあの写真です。

オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫のルーツを辿る旅から始まりますが、同書の根幹は、若き藤原新也がなぜ日本を飛び出してインドを放浪することになったのか、その理由と背景と心情と精神的心因性を初めて披瀝しており、藤原新也という世に言う写真家・作家とは何者だったのかを解明する一種の集大成になっています。

「印度放浪」「東京漂流」「メメント・モリ」「乳の海」「アメリカ」「平成幸福音頭」、そして最新作の「渋谷」と曲がりなりにも彼の著作と20年以上付き合ってきた読者の一人として、この本を読んで、「藤原さんとはそういう人だったのか」と初めて分かったような気にさせてくれました。

表紙になった人間を食う犬は、中洲でたった一人だけで撮影したもので、一旦、引きさがった野犬が、仲間を引き連れて、まるでヤクザの出入りのように、藤原氏を襲いに戻ってきた話など初めてこの本で知りました。結局、九死に一生を得て、こうして今、彼は生きているのですから、どうやって難から逃れたのか、ぜひ同書を読んでみてください。

同書には、実は、私も登場します。44ページから45ページにかけてです。具体的な会社や名前は出てきませんが、確かに私というか、私が所属していた組織のことを書いています。もう12年前の話ですが、彼はもちろん、非難以上に断罪しています。私としては、原稿を依頼した当事者だったので、何とも言いにくいのですが、彼の言い分は当然の話で、原稿をボツにした組織の不甲斐なさを感じたものです。(でも、いつか、この話は書くだろうなあ、という予感があったので驚きませんでした。)

私の人生で最も影響を受けたビートルズも断罪しています。ちょっと引用しますと「西欧人は植民地の時代以来アジア、アフリカ、南太平洋、南米といった地域の有色人種を支配してきた。しかし近代においてその合理思想に破綻をきたしはじめて以降、有色人種地域に対する無知と蔑視が、逆に思い入れ過剰な期待感へと裏返って、自らの世界に欠落する非合理性や神秘性をそれらの地域に求めるという逆転現象が起こった。(中略)その最たる象徴がビートルズだった。…」

よく知られているように、ビートルズ、特にジョージ・ハリスンを中心にジョン・レノンもポール・マッカートニーもインド宗教に一時期衷心となり、聖者マハリシ・マヘシュ・ヨギに帰依したことがあります。(後にジョンは「セクシー・セディー」でマハリシを批判)

このマハリシがいたのが、インドの聖地と呼ばれるリシケシュという所ですが、実は、ここは貧乏人を全く相手にせず、最も通俗的な所で、エセ宗教家と金満未亡人ら俗物の集まる所だというのです。藤原氏もマハリシのことを「インド風の屁理屈をこねて白人の女を見るやそのケツを追い回すセックス狂坊主であったことがのちに発覚する」とまで書いています。ビートルズは、60年代末から70年代にかけて、欧米で瞑想ブームの魁になっていたわけですが、同時期にインドを放浪していた藤原氏は随分いかがわしい宗教もどきのペテン師を見てきたことを暴露しています。

インド放浪で実体験した者として、藤原氏は

「たとえば路上に人の屍がころがり、乞食たちがむせかえるような臭いを発散させ、舌にヒリつくようなメシを喰らい、重度の象皮病やハンセン病巻患者が路上で手をさし出し、人の屍を喰う野犬が徘徊し、熱球のような太陽に頭頂を直射され、盗人にかっ攫われ、細菌に腸を占拠され、洪水に足をとられ、旱魃に渇き、砂漠のトゲに脛の血をしたたらせる、そんな、あるいはこの世界の中で最もファンタジーから遠い、”現実原則”のむき出しのこの地に、現実回避型の青年たちが大挙して訪れるというこの奇妙。」

と経験者でしか書けないことを独特の文体で表記しています。

とにかく、「ほとんどメモをとらない」という藤原氏の驚きべき記憶力には脱帽しました。

惜しむらくは、65ページの「潮汗」は「潮汁」の校正ミスだと思います。大出版社の校閲力の衰えという由々しき事態ではないでしょうか。

それでも、この本は、お奨めです !

今日なすべきことをなせ

ヴェニスにて

皆様、いい初夢を見たのではないかと拝察致します。

久しぶりに家にいて、年賀状やら過去の手紙やらを整理していたら、古い手紙が出てくるわ、出てくるわ。処分できずに困ってしまいました。仕事の関係で有名な作家さんや芸能人の方から戴いた葉書や手紙もあります。もう30年前に亡くなった友人の手紙も出てきて、思わず引き込まれてしまって、泣けてきてしまいました。どうしても捨てられません。皆さんはどうしているのですかねぇ?

あっという間に時間が過ぎてしまって、大変でした。

今日は、昨日お伝えした父親の「人生語録」の中から、白隠禅師(1685-1768)の言葉を引用します。

過ぎ去れるを追い思うこと勿れ

いまだ来たらぬものを 待ち設くる勿れ

過去は過ぎ去り 未来はいまだ来たらざればなり

汝ら ただ現在の法を観よ

動かず たじろかず

それを知りて ただ育てよ

今日なすべきことをなせ

かくのごとく 熱心に 

日夜 たじろぐことなく 住するを

げに聖者はよき一夜と 説きたまへり

年頭の辞

洞爺湖

新年 あけまして おめでとうございます。

ついに2007年の幕が開けましたね。皆さん、希望を持ちましょう。期待しましょう。夢を叶えましょう。

今日は実家に行って新年の挨拶に行ってまいりました。自宅を出て停留所を目指して歩いていると、途中でバスが通り過ぎてしまいました。1台逃すと、20~30分くらい来ないのです。仕方がないので、駅まで25分かけて歩くことにしました。。「すべて、神様の思し召し。なるようになる。すべてが丁度よい。困ったことは起きない」などと、ブツブツつぶやきながら、歩いていると、お金が落ちていました。

1円でしたが、「1円を笑う者は、1円に泣く」という諺が思い浮かび、有り難く頂戴することにしました。交番に届けても、相手にされる金額ではないと思ったからです。その1円は、何と昭和35年鋳造でした。47年前です。どれくらいの人の手を伝わってきたのでしょうか。それでも、ネコババするのが嫌だったので、帰りに近くの神社にお賽銭として追加して入れておきました。

正月というと、昔は、本当に静かでしたが、今は、コンビニが開いているし、今日は、宅急便の人も忙しそうに働いていました。何を勘違いしているのか、某政党の宣伝カーが、スピーカーでがなりたてながら流していました。凧を揚げられる空き地も駒を回す路地も姿を消し、日本の正月の風情がなくなっていることが悲しくなります。

実家に行くと、一昨年に亡くなった父親のノートが出てきました。「人生語録」と書かれたこのノートには、読書家だった父が、読んだ本の中で目についた箇所を記録していたのです。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目にみえないんだよ」

これは、もちろん、サン・テクジュペリの「星の王子さま」の中の一節で、この物語の骨子になる言葉です。父は、この言葉もしっかりメモしていました。この一節は、自分もブログhttp://blog.goo.ne.jp/keiryusai/e/b000e68950825f9b1ed5778c659890b1

に書きました。そもそも、こういう言葉が好きなんですね。心の糧になったり、勇気付けられたりする言葉が。言葉の力を信じているからです。父親もそうだったのでしょう。「なあんだ。遺伝だったのかあ」と思いました。

これから、おいおい、このブログで父の「人生語録」を紹介していきたいと思います。

今日は、「仏陀の言葉」です。驚きました。「丁度よい」というのは仏陀の言葉だったのですね!

お前はお前で丁度よい

顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい

貧も富も親も子も息子も嫁もその孫も それはお前に丁度よい

幸も不幸も喜びも悲しみさえも丁度よい

歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない

お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい

うぬぼれる要もなく 卑下する要もない

上もなければ下もない

死ぬる日月さえも丁度よい

仏様と二人連れ お前はお前で丁度よい

心配は天に預けて

トムラウシ山

大晦日だというのに、私のブログにアクセスして戴き、有難う御座います。「よっぽど暇なんですね」なんて憎まれ口は叩きません。私こそ暇なのですから。家族がいないので、一人で新年を迎えます。

最近、テレビをほとんど見ないので、世の中の動きについていくのに遅れがちです。フセイン元大統領の死刑執行も先程、新聞で知ったくらいですからね。

そういえば、最近の流行歌やタレントの名前がすっかり分からなくなってしまいました。コブクロとスキマスイッチとレミオロメンの違いが分かりません。エビちゃん、沢尻エリカ、長澤まさみ…最近、名前は聞きますが、動く姿は見たことがありません。つまり、よく知りません。

先日、気になる記事を見つけました。政権政党の自由民主党本部の収入は262億円。内訳は「税金」である政党交付金が157億円。「政治献金」である国民政治協会からの寄付金が28億円。借入金が30億円。この借金は「りそな銀行」が担っており、このりそなは、2003年5月に、破綻と認定されて公的資金2兆円が注入されたいわば「国立銀行」である。それなのに、りそなは自民党に無担保で融資しているとか。

要するに政治家は国民の「血税」によって支えられているのに、特権意識だけは一人前で、国民に奉仕しようとする精神に欠けていると思いませんか?

来年はどんな年になるのか。期待はなく、不安と心配でいっぱいです。

Xさんからアドバイスをもらいました。

「心配は天に預けてください。あなたは自分自身が思っている以上に守られています。ネガティブな思考は消してください。楽しいことだけを考えてください」

この言葉には随分勇気付けられましたので、貴方に送ります。

皆さん、よいお年を!!

硫黄島の真実

十勝岳


「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の硫黄島2部作を映画化したクリント・イーストウッド監督のおかげで、硫黄島が全世界的に脚光を浴びるようになりました。


東京新聞の特報欄は、大袈裟に言えば、日本のジャーナリズムの中で、小生が最も愛読する欄なのですが、今朝の特集は「当時17歳 通信兵が語る 硫黄島の真実」でしたので、むさぼるように読んでしまいました。当時、志願して海軍通信兵となった秋草鶴次さんは、まさしく、私の母親の同年齢ですし、今年亡くなった作家の吉村昭さんらも同世代です。


この中で、一番衝撃的だったのは、秋草さんの、「米軍による攻撃に加え、飢えと渇き、負傷で極限にまで追い込まれた日本兵同士の殺し合いが起きた」という証言です。私のような戦後生まれの人間にとって、戦前、戦中の日本人は、全く我々とは異質で別次元に生きてきたような教育を受けてきたと錯覚していたのですが、あに図らんや、我々戦後世代とまったく同じだった、という至極当然の真実に突き当たったということです。そういえば「硫黄島からの手紙」の中で、イーストウッドは、上官に反目する大日本帝国陸軍の幹部を登場させていて、随分、誤解と偏見に満ちているなあと思ったものですが、秋草さんの証言によれば、イーストウッドの描き方の方が正しかったわけです。


例えば、当時の人たちは、「教育勅語」や「軍人勅諭」によってがんじがらめになって、全く「思考停止」状態で、上官の命令に対しては、無自覚、否応なしに関わらず、服従していたとばかり思っていたのですが、秋草さんの証言では、「軍の階級や指揮系統は全く機能せず、『弱肉強食』の世界になった」というのです。これには、驚きました。もう少し整然とした、毅然とした階級社会が存在していたものとばかり思っていたのですが、いざとなれば、人間はすべて本性が現れるものだという救いに近い真理を目の当たりにすることができたのです。


この記事によりますと、硫黄島での1ヶ月以上に及ぶ戦闘で、日本軍2万1千人の兵のうち、総指揮官の栗林中将をはじめ、約2万人が死亡。米軍は約6千800人が死亡し、約2万人が負傷したというです。


この戦闘で、2万6千人の戦死者がでたということは知っていましたが、そのうち日本人が2万人だったとは。いまだに、硫黄島の土となったまま、帰還しない遺骨が1万柱以上あると聞きます。


硫黄島は「いおうじま」と発音すると思っていたのですが、東京新聞の一週間くらい前の紙面で、演出家の鴨志田氏は「当時は、『いおうとう』と呼んでいた」と訂正しています。


あれからの日本は、どれくらい変わったのでしょうか?阿部慎三さんは教育基本法を改正し、志願しやすい美しい国を作ろうとしてますし、アメリカを真似して国家安全保安局を創設したり、日本版CIAをもくろんだりしています。


あんまり変わっていないということです。


 

老舗の味

ヴェニス

世間の皆々様方は年末年始のお休みに入ったことでしょうが、私は仕事です。不遇を囲っているので、いつも何か楽しみを見つけるようにしています。

目下の一番の楽しみは、食べることですかね。本や雑誌で見かけたり、口コミで聞いたり、通りがかりにすれ違った雰囲気のある店に飛び込んだりしています。

今月の月刊誌『東京人』は、「老舗の味を食べ歩く」を特集していたので、ついつい買ってしまいました。この中で、「久兵衛」「すきやばし次郎」といった敷居の高い寿司屋は、まだ入ったことがありません。でも、何処にあるかは場所だけは知っています。「久兵衛」(銀座8-7-6)は、たまたま銀ブラしていたら金春通りにありました。「ここが噂のあの久兵衛かあ」と感動したことがあります。ランチが2000円引き!とありました。それでも、一番安くても3500円くらいするので、金縛りにあったかのようになって、入れませんでした。

「すきやばし次郎」(銀座4-2-15)は住所を頼りに探しましたが、なかなか見つかりませんでした。地上の外に看板が出ていなかったからです。地下鉄銀座駅の数寄屋橋口の地下には看板がありました。外に「値段」など野暮な案内はありません。やはり懐に余裕がなかったので入れませんでした。情けない。

中華そばの老舗「萬福」(銀座2-13-13)は、そんなに有名な老舗店だとは知らずに偶然通りがかって入ったことがあります。が、特段印象に残っていません。やはり、料理は知識と頭で食べるものなのですね。

うなぎの「竹葉亭」は夏目漱石がよく通ったというので、銀座店(5-8-3)は意を決して行ったことがあるのですが、本店が木挽町(銀座8-14-7)にあることは知りませんでした。ここも偶然、通りかかって発見しました。料亭の雰囲気で敷居が高く、とても入れるような代物ではありませんでしたが。

池波正太郎の愛した洋食の「たいめいけん」(日本橋1-12-10)、漱石も通った洋食の「松栄亭」(神田淡路町2-8)、森鴎外のお気に入りのそば「蓮玉庵」(上野2-8-7)、谷崎潤一郎が贔屓にした親子丼の「玉ひで」(日本橋人形町1-17-10)などは何度か行ったことがあります。

先日「吉野鮨」に行きましたが、江戸前寿司で現存する最古の店が、創業150年余の「すし栄」(銀座7-13-2)であることをこの雑誌で初めて知りました。

敷居が高いところは、いつか挑戦したいなあと思っています。それまで生きてみようと思います。

吉野鮨本店

フィレンツェ

日本橋高島屋さん真裏通りにある吉野鮨本店へ大の大人四人で行って参りました。知る人ぞ知るというより、鮨通の間では知らない人はいない老舗の江戸前寿司店です。ちょっと検索すれば、物言いたがりのグルマンのコメントが色々と出てきます。店内は超満員で異様な熱気がありました。参集したのは、後藤さんと東京商工会議所の清水さんと朝日の隈元さんと私の四人。

明治12年創業。何しろ、ここは鮪の「トロ」の発祥地だそうです。鮪の腹下の脂の部分をかつては「ブラ」と言っていたのですが、常連客の三井家(今の商社三井物産)の安達さんとかいう人が「とろっとしているから、『ブラ』よりも『トロ』にしたら」と提案したところ、そう決まったそうです。(安達さんという名前は間違っているかもしれません。どなたか詳しい方はコメントしてください)

お味の方は、まさしく、トロっとして口にとろけるようでしたね。絶品でした。でも、そういう予備知識があったせいかもしれませんね。他の三人の方々は、話すことに夢中で、あまり味に感動している様子はありませんでした。ネットに出ているほかの人の寸評を見ると「酢がききすぎている」などといった辛口のコメントもありましたが、私は、そう感じませんでしたね。美味絶品。有り難く頂戴致しました。

大の大人が顔を付け合せても、あまりいい話題が浮かびませんでした。何しろ、最近の活字離れが甚だしく、新聞の部数が激減しているそうですね。スポーツ新聞も全体で100万部くらい落ちているそうです。若い人はもう新聞を読まない。団塊の世代が退職する「2007年問題」もあります。サラリーマンが退職すると、もう日本経済新聞を読むことはなく、大幅な解約が予想されます。年金もなく退職金を取り崩している定年退職者は新聞を購読する余裕がないから、図書館に行って読む。今、図書館では、新聞の取り合いで大喧嘩しているとか。

新聞がこの有様なので、雑誌なんか目も当てられない。漫画も駄目。「週刊少年ジャンプ」などかつては、600万部くらいあったのですが、少子化と作品力の低下、趣味の多様化などで現在280万部にまで落ち込んでいるようです。

そういえば、電車の中で、熱心に新聞や漫画を読んでいる人が少なくなっていますね。携帯をいじっているか、寝ているか…。あ、そういえば、先日、早朝の6時過ぎに通勤電車に乗ったのですが、50歳くらいのネクタイを締めた厳ついおじさんが、弁当箱を広げて、朝ごはんを食べていました。新聞より飯です。でも、何か、こちらの方が恥ずかしくなって、他の車両に乗り換えました。

音楽療法

ヴェニス

音楽療法士の奥山さんの仕事一つに、高齢者や障害者の施設に行って、ミニ演奏会を開くことがあります。クラシックを専門に勉強して音大を出た人なのですが、高齢者に最も好評なのが、彼ら彼女たちが若い頃に聴いた古賀政男メロディーなのだそうです。

高齢者の中で、特に、自分が1時間前にやっていたことまで忘れてしまうような認知症が進行しているような方々には、古賀メロディーでは駄目で、彼らが子供の頃に聴いたり歌ったりした唱歌や童謡を演奏すると抜群の効果を発揮するそうです。

人間の脳のメカニズムはよく分かっていないのですが、この話を聞いて興味深いなあと思いました。

私自身もこれまでいろんなジャンルの音楽を聴いてきましたが、やはり、最も多感な中学高校時代に聴いた音楽が一番懐かしく、聴くとウキウキしてきます。当時は、毎日のように米軍向けの極東放送をラジオで聴いていましたが、その頃の最新ヒットチャートを賑わしていたゾンビーズ、ドアーズ、クリーム、シカゴ、BST、CCR、ブレッド、ピンク・フロイド、レッド・ツェッペリンなどです。もちろんビートルズやローリング・ストーンズは別格です。

最近、一昨日の昼に何を食べたか忘れてしまうのですが、今のところ、まだ童謡や唱歌にまでは戻っておりません。

アジア女性交流史


山崎朋子さんの「アジア女性交流史・昭和初期篇」の連載が月刊誌「世界」(岩波書店)1月号から始まりました。第一回は「二つの人身御供婚(上) 李方子と愛新覚羅浩」。連載は2年間続くそうです。


朝鮮李朝の皇太子英親王(ヨンチンワン)李垠(リウン)と、日本の皇族梨本宮の長女方子(まさこ)との結婚、満州国の皇帝の弟溥傑(プージュ)と、昭和天皇の御后候補でもあった嵯峨宮の娘浩(ひろ)との結婚が取り上げられ、いずれも大日本帝国による政略結婚であったことを明らかにしています。


英親王李垠には朝鮮に閔甲完(ミンカブワン)という聡明な婚約者がおり、溥傑には、唐怡瑩(タンイーイン)という妻がいましたが、二人とも強制的に別れさせられた悲話も明かされています。


「政略結婚」については、ある程度知っていたのですが、婚約者や妻が離別させられた話までは知りませんでした。本当によく調べ尽くしていると思います。


山崎さんは「書くのは苦しくて苦しくてしょうがない」と私に本音を明かしてくれました。まるで、夕鶴が自分の羽をちぎって織物を織っているような感じではないでしょうか。


一人でも多くの方に読んで戴きたいなあと思い、ブログに記しました。

「武士の一分」★★★★

今年は邦画の興行収入が21年ぶりに洋画を上回るそうですね。

数字は正直です。最近のハリウッド映画は続編や二番煎じが多く、ついに邦画のリメイク版が出る始末。全世界を席捲していたパワーも、グローバリズムのようにうまくいかず、枯渇してしまったのでしょうか。

その点、邦画は元気がいいですね。変な言い方ですが、世界のどこに出しても恥ずかしくない作品や若手監督が雨後の竹の子のように出てきています。

山田洋次監督の「武士の一分」もよかったですね。原作(藤沢周平)の力かもしれませんが、俳優陣も粒よりの役者が揃っていました。予告編でちらっと見たり、映画評で読んだりして、話の粗筋は大方分かって観たのですが、途中から涙が止まらなくて困ってしまいました。世に言う「サラリーマンの悲哀」は、現代でも全く変わらずに通じるので、自分の身に置き換えてしまったのかしら。いや、それだけではなく、現代日本人がとっくに失ってしまった健気さとか、律儀さとか、武士道精神とか、そんな真っ当な気持ちに対する郷愁の念にかられてしまったのかもしれません。

そもそも、「武士の一分」ってどうやって英訳したらいいのかなあ,と考えてしまいました。一緒に観たT君は思い浮かばず、私が「Gentlemanshipかなあ」と言って、勝手にそれで落ち着くことにしました。

この映画に主演した木村拓哉が、日本アカデミー大賞のエントリーを辞退したことで、色々な噂が飛んでいましたが、あまり興味ありませんね。「キムタクに時代劇は似合わない」とも言われてましたが、なかなか似合っていましたよ。それより、キムタクの御新造役の檀れいという宝塚出身の女優を初めて見ましたが、綺麗でしたね。 世界に誇れる女優さんです。