敬愛する片岡先輩から「サイトを増頁更新しました」との連絡がありました。
片岡さんは、翻訳家で多数の英訳書を出版してますが、ロシアの専門家であり、実は画家で、何度か個展も開かれていますし、焼き物やビーズアクセサリーまで作ってしまう工芸家でもあります。
並行して乳酸菌の保健食品などもネットで販売しています。
もし、ご興味がある方は、片岡さんのサイト「マガザン・ミコー」を覗いてみてください。
ブログでメディアを主宰する操觚者(ジャーナリスト)高田謹之祐の公式サイトです。皆様の御投稿は歓迎ですが、編集権は主宰者側にあります。記事中の見解や価格は、書いた当時のものであって、現在は異にする場合もあります。禁無断転載。
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片岡さんは、翻訳家で多数の英訳書を出版してますが、ロシアの専門家であり、実は画家で、何度か個展も開かれていますし、焼き物やビーズアクセサリーまで作ってしまう工芸家でもあります。
並行して乳酸菌の保健食品などもネットで販売しています。
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演劇評論家で歌舞伎舞踊作家の萩原雪夫先生が20日に神奈川県藤沢市の病院で亡くなりました。享年91歳。既にご親族のみで葬儀は済まされておられ、先生らしい亡くなり方だなあと思いました。
先生は、歌舞伎の知識がほとんどなかった私にイチから本当に手取り足取り教えてくださった恩人です。歌舞伎の世界では、演劇記者や評論家は、いくら何十年の取材経験があっても「50歳、60歳は洟垂れ小僧」という言い伝えがあります。テレビのようなすぐ忘れ去られてしまう瞬間芸とは違って、歌舞伎の世界は伝統と継承が大事にされます。しかも、メディアを通さずに生の舞台を目の前で見るわけですから、観客もそれだけ鍛えられて目が肥えていくからです。
そんなわけですから、演劇評論家の中でも「六代目を見たことがある」というだけでも、もう別格扱いなのです。六代目というのは、昭和24年に亡くなった六代目尾上菊五郎のことです。今から57年前ですから、子供の時に観た人でも70歳近くなっているわけです。
萩原先生は、六代目のファンで、そのために歌舞伎記者になったという話や、疎開中の六代目に毎日会いたいがために神奈川県茅ヶ崎市に移り住んだ話などを聞きました。
記者から評論家になった人は数多いますが、舞踊作者にまでなった人は萩原先生くらいではないでしょうか。先生の代表作に奈良東大寺二月堂の行事「修二会(しゅにえ=通称お水取り)」http://www.kcn.ne.jp/~narayama/omizutori/shunie.html
を題材にした「達陀」(だったん)があります。「昭和42年に二代目尾上松緑の発案」とだけしか書いていない記事もありましたが、紛れもなく先生の作品です。この作品を書くために、何度も(年中行事なので、何年も)二月堂に通ったという話や、実際に松明の火の粉を浴びて構想を練った話などを直接聞いたことがあります。
こんな偉い先生なのに、少しも偉ぶったところがなく、「四代目は、『よんだいめ』じゃなくて『よだいめ』、音羽屋は『おとわや』ではなくて『おたあや』と言うのが通だよ」なんてそっと教えてくださるほど粋な人でした。
先生、本当にお世話になりました。合掌
ヴェニスにて
先日亡くなった青島幸男さん(享年74歳)は、「有言実行」の人だったそうですね。
36歳の時に「俺は国会議員になるぞ」と言って、本当に参院選に出馬して当選してしまう。
「直木賞とるぞ」と言って、本当に獲ってします。
「東京都知事になります」と言って、本当になってしまう。
放送作家、タレント、監督、作家、政治家、そして画家…と青島さんほどマルチな才能に恵まれた人はいないでしょうが、人間、本当は、自分の人生は、自分で選ばれるものなのですよね。
こういう話を聞きました。
「人生100%、自分の責任だと思えた時に初めて自分の人生を変えることができます。これは、自分の人生の中で起きてくる事の原因は、すべて自分の中にあるということを心の奥底から受け入れるということなのです。上手くいかないことや、歓びを感じられないことはすべて周囲のせいにしていては何も変わらないということなのです。従って、自分の本心や真の自我を喜ばすことができれば、まさしく自分の人生を納得したものにすることができるのです」
なるほど、と思いました。
帽子が似合う女性
人間関係のパターンに「コントロールドラマ」というものがあります。
傍観者、愚問者、脅迫者、被害者、加害者というのがこのパターンの中に当てはまります。こういうどれかのパターンから、人は、人からエネルギーを取るように知らず知らずに生き方を身に着けてしまう心理が、コントロールドラマです。
「ああされたから、こうした」といったエネルギーを取る行為です。取られたら取り返そうというエネルギーの奪い合いです。
今回の場合、あなたは脅迫者で、もしかしたら被害者なのかもしれません。そうなると彼は傍観者になります。メールや電話をしても出なかったり、無視するのは傍観者の典型的なパターンです。傍観者はそうやって人から離れて関わろうとしない。電話に出なかったり、メールを無視したりすることによって、逆に相手から関心を持ってもらおうとしたり、エネルギーをもらおうとしたりするのです。あなたは、返事がこないことが気になっています。それは、彼にエネルギーを注いでいることになり、彼にエネルギーを取られたことになるのです。そして、エネルギーを注いだのに見返りがないことによって、怒りが生じてくるのです。
こうして、コントロールドラマは、ほとんどがエネルギーの奪い合いで結果を争っています。どうしてこのようなコントロールドラマが生まれるのかというと、子供の時に親や周囲からどういう風に愛を与えられているか、どういう風にエネルギーを注がれて生きるかを、無意識にその方法を身につけてきたから、と言われています。
しかし、もうそろそろ、人からはエネルギーを得るものではない、という真理に気づくべきなのです。人からエネルギーを取られたら取り返すという永遠のコントロールドラマから卒業するべきだということなのです。
その代わりに、自分で自分自身にエネルギーを注ぐこと、自分自身を愛で満たすべきなのです。そうすれば、自然に溢れた愛やエネルギーはもう減ることはないし、取られたという感じもすることはない。怒りが生じても、復讐しようとも思わない。エネルギーは泉のように溢れ出てくるから気にならないのです。
彼の不誠実をそのまま認めてあげることさえできるのです。何か理由があるはずだからです。虐待されて育った子供は、殴られる行為を愛されていると思うようになる。それほど、心というものは歪んでしまうものなのです。生きるために自然と身に着いた彼の心の中に流れる深く暗い渇きを想像することができます。しかし、誰も彼の人生の肩代わりをすることはできないのです。
だから、あなたは自分自身にエネルギーを注ぐべきなのです。趣味でもスポーツでも何でもいいのです。もうコントロールドラマは止めるべきなのです。もう人を否定したり裁いたりして生きていくやり方を止めるべきなのです。
力まず、自然に、無理せず、あるがままに。
春の風のようにやさしく、意識すらせず、そのままの姿で。
ヴェニスにて
ついに買ってしまいました。前から欲しかった帽子です。銀座の老舗「トラヤ帽子店」の前を通りかかったら、たまらず欲しくなってしまいました。この店は創業90年だそうです。90年前といえば、1916年。第一次世界大戦、映画「戦場のアリア」の頃ですね。
買ってしまったのは、ボルサリーノ製のハンチング帽です。ボルサリーノといえば、1960年代にアラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドの「2大スター」の共演映画がありました。てっきり、ソフト帽のことかと思っていたら、ブランド名だったのですね。これは、前にも「007」でも書いた「product placement」の最たるものです。ボルサリーノ社が相当なお金をこの映画に投資したのでしょうが、1930年代から、ボルサリーノの高級帽子を被れることだけでも社会的ステイタスがあったようです。
本場イタリア製は、目の玉が飛び出るほど高かったので、ボルサリーノのライセンスを得て製造した日本製にしました。イタリア製の半額で済みましたが、ロゴマークも同じだし、外見からは区別できないでしょう。それに、日本製の方がしっかりしていたりして。
この帽子を被って、銀座1丁目のイタリア料理店「イタリー亭」でランチのナポリタン(900円)を食べて(これは美味でした。ちゃんとプチトマトも入ってましたよ。お奨めです)、そのまま銀ブラをして、真珠のミキモトの前を通ったら、ばったり、ノンフィクション作家の松瀬学君(あえて業界の後輩だったもので)に会いました。17,8年ぶりくらいなのに、二人とも、一週間ぶりに会う感じでした。私もちょうど、東京新聞で、この日、彼が連載しているエッセイを読んだばかりで、「どうしているかな?元気かな?」と彼のことを思っていたところだったので、その偶然の一致には驚きました。
とはいっても、最近、私の予感がよく当たってしょうがないのです。いつも、偶然とはいっても、何かその前に予兆や前兆や予感があったりするのです。
彼は通訳・翻訳家の奥さんと一緒で、「印税がたくさん入ったから、今、ミキモトで300万円の指輪を買ったところです」と軽口を叩いていました。彼の性格は昔から少しも変わっていません。
あまり時間がなかったもので、名刺だけを交換したところ、彼は私の帽子に気づき「『刑事コロンボ』じゃなくて『刑事ころんじゃった』みたいですね」と言うではありませんか。これには私も思わず苦笑してしまいました。
彼のことを貶しているのではなく、彼は本当にいい奴、ナイス・ガイです。早稲田のラグビー部出身で、スポーツ関係の本を出しています。彼の本を書店でみかけたら買ってあげてください。
ヴェニス
北海道を中心に活躍するゴスペルシンガーにkiki(キキ)さんという人がいます。本名は分かりませんが、(恐らく)30歳代の日本人女性です。
日本人離れした声量と音感の持ち主と言っていいでしょう。聴く人を必ず感動の渦に巻き込むだけではなく、聴く人に、自ら参加したい気持ちにさせます。その通り、彼女の仕事の一つが、一人の歌手としてでなく、100人から200人くらいの素人の人たちをワークショップで鍛え上げて、クワイアー(合唱団)として育て上げ、コンサートで一緒に歌を披露する活動もしています。「アメイジング・グレイス」「オー・ハッピーデイ」「ジョイ・トゥ・ザ・ワールド」などゴスペルでもスタンダードになった曲を200人くらいのクワイアーが斉唱すると、まさしく圧巻そのものです。
彼女がゴスペルに出会ったのも、紆余曲折の末、偶然に近いものがありました。若い時、というより、まだあどけない子供のときから、家庭の事情で、普通の子供とは違う道に踏み込んで、16歳の頃からもうすでに自活せざるを得ない状況になっていたようです。そんな苦悩の連続の中で知り合ったのがゴスペルなのです。何度か渡米して、本格的にヴォイスレッスンを受けて、ついに3年前にCDデビューも果たしました。
そこまでの道に辿り着くのにも大変なものがありました。特に重篤な病魔に襲われた時は、半ば、人生を諦めようかという境地に陥ったことがありました。そんな苦しみと闘っていた入院中に、ある人が見舞いに訪れて、こんな言葉をプレゼントしてくれたそうです。
「忍耐は錬れた品性をつくり、錬れた品性は希望をつくり、希望は絶望を打ち砕く」
聖書に出てくる言葉だそうです。Kikiさんは、この言葉を胸に、辛い境遇を克服して何とか持ちこたえてきたそうです。
もう一度書きます。
「忍耐は錬れた品性をつくり、錬れた品性は希望をつくり、希望は絶望を打ち砕く」
まさしく、言葉の持つ力ではないでしょうか。
トムラウシ山
公開日時: 2006年12月18日
今年、2006年はモーツァルト生誕250周年でした。1月生まれなので、ほとんど1年近く過ぎてしまいましたが、日本でも各地で記念コンサートが開催されていたことでしょう。と、変な書き方をするのは、結局、今年は、いや、今年だけでもないのですが、一度もクラシックのコンサート会場に足を踏み入れることはなかったからです。専ら、CDを聴いていました。
もう15年前の1991年。モーツァルト没後200年の記念の年では、本当に足繁くコンサート会場に通ったものです。年間80回近く聴きました。この年を前後して発売されたCD190枚付きの「モーツァルト全集」(小学館)全16巻 https://www.mls.ad.jp/sanseidou/gokabon/mozart/ を45万円くらいの値段で買った覚えがあります。
でも、15年も経ち、これほどインターネットが普及するとは思いませんでしたね。今では、ネットでモーツァルトの楽譜600曲以上が無料で手に入るという記事を読みました。
http://dme.mozarteum.at/mambo/index.php?option=com_frontpage&Itemid=1&lang=en
早速、ホームページを覗いてみました。できれば、ドイツ語ができれば便利ですね。楽譜といっても、モーツァルトの手書きの直筆がPDFでアップされていました。学術研究者用に近いので、プロ中のプロしか読みこなすことができないでしょう。記事によると、公開直後の4日間で1200万件以上のアクセスがあったそうです。恐らく、このうち、ほとんどの人は楽譜を読みこなせないので、退散したことでしょう。
いずれにせよ、すごい時代になりました。
帯広畜産大学
公開日時: 2006年12月17日 @ 17:43
久しぶりに私の第二の故郷である帯広が全国的に注目されています。「ばんえい競馬」を存続させることがこのほど市議会で承認されたのです。
ばんえい競馬といっても普通の人には、あまり知られていませんが、昨年の東京国際映画祭でグランプリに輝いた「雪に願うこと」(佐藤浩市、伊勢谷友介、小泉今日子、吹石一恵)をご覧になった方は分かると思います。最高1トンにもなる重量のソリを引きながら、2つの障害を乗り越えて、200メートルの直線コースで争われるレースです。
旭川、岩見沢、北見、帯広の4市共同開催されてきましたが、バブル崩壊とレジャーの多角化、長引く不況を背景に累積赤字が31億円を超え、来年以降の開催をいったんは断念したのですが、ソフトバンク系の「ソフトバンク・プレイヤーズ」(本社東京)の支援で、一転、存続が決定されたのです。
ばんえい競馬が廃止されれば、関係者の家族が路頭に迷うのと同時に、お馬さんも、馬肉になるところでした。私は、競馬はやりませんが、恐らく、このソフトバンク・プレイヤーズはインターネットで馬券の販売を全国的に展開するようですから、試しに覗いてみて、挑戦するかもしれません。
仏・独・英合作映画「戦場のアリア」は本当に名作です。派手な宣伝をしていなかったので、見過ごした方も多いかと思いますが、DVDやレンタルで見られると思います。私は、今年見た映画のベスト5に挙げます。それくらい感動しました。
実話に基づいています。第一次世界大戦真っ只中の1914年のクリスマス・イブ。フランス北部のデルソーという村で、奇跡が起きるのです。フランス軍とドイツ軍と英国スコットランド軍が対峙している最前線で、ふとしたことがきっかけで、「クリスマス休戦」が生まれるのです。お互いに敵同士だというのに、友情さえ生まれます。その休戦に一役買ったのが、オペラ歌手のアナ(ダイアン・クルーガー)とテノール歌手でドイツの一兵卒として徴兵されたシュプリンク(ベンノ・フユルマン)です。
苦悩する指揮官として、フランス軍中尉のオードベール(ギョーム・カネ)とドイツ軍中尉のホルストマイヤー(ダニエル・ブリューム)がとてもはまり役でした。
戦争という極限状態の中で、人間らしさを失わなかった人たちの感動の記録です。この実話を掘り起こして映画化した監督のクリスチャン・カリオンもただものではないと思いました。
歌声が実に素晴らしいと思ったら、ソプラノのアナはナタリー・デッセー、テノールは、ロランド・ヴィラゾンと一流のオペラ歌手が歌っていたのですね。映画見ているときは気づかなかったのですが、これもネット時代の恩恵です。
滝沢さんと会って、英語のあいまい性を教えられましたが、英語が難しいのは、むしろ、その単純性、多義牲にあることに気付きました。
例えば、自分のことを「I」の一言で済んでしまうから、英語は簡単だと考えてはいけないのです。「I」という文字の中に、私、あたし、我、わらわ、俺、おいどん、わし、あたい、余、みども…と思いつくだけでも、これだけの表現が内蔵しているのです。それだけ、多義性があり、あいまい性があるわけです。
日本人にとって英語が難しいはずです。