運動部OB会

 

昨晩、6年ぶり2度目の運動部OB会が、13階の「ラウンジ・ヒビヤ」でありました。

 

堀解説委員の音頭で、榊原前社長の挨拶で始まりました。榊原氏は昭和39年の東京五輪を取材した人物で、当時のスポーツの取材は、原稿を送るのに公衆電話を確保するのが大変で、ポケットに10円玉を一杯にしていた話などをしていました。

 

昭和46年頃に在籍していた友末忠徳氏も出席し、現在、茨城新聞社の社長兼主筆に出世されていることが分かり、驚いてしまいました。もう7年目だそうです。「地方の新聞は、やはり、共同と時事の両通信社が頼り。両社とも切磋琢磨して頑張ってほしい」と話していました。

 

「60年史」を編纂した元部長の中ノ森氏によると、同盟通信が敗戦後、GHQによって共同、時事に分割され、共同が一般ニュース、時事が経済実務、出版に棲み分けされたが、昭和24年に、組合情報だけでストのニュースを配信した共同に憤慨したGHQが、この「事件」をきっかけに時事にも一般ニュースの配信も認め、両社で競争させるようにしたというのです。全く初めて聞く話でした。

 

GHQの功罪については、今後、調べつくさなければなりません。

 

デスクだった室井氏は相変わらず口八丁手八丁で、現在「会長、会長」と呼ばれているらしい。もう74歳になったそうです。会長というのは、老人会の会長です。「平均年齢72歳の女性にモテモテよ」と室井氏は元気溌剌でした。

 

その一方で、室井氏と同い年の山田実さんは昨年亡くなっています。諸橋さんも脳梗塞を患ったという話で欠席しました。元部長の藤原紘さんも今年亡くなりました。このほか、高木さん、中井さん、小田牧人さんも…。最初に彼らに対して、20秒間の黙祷を捧げました。

 

TBSに行った西野君は83年入社で、4年間しか運動部にいなかったそうです。経済部を経て、TBSに移籍して11年目になったとか。

 

このほか、出席したのは、齋藤さん、浅野さん、岡林さん、安田さん、吉永君、滝川君、中澤君、三浦さん、田中賢君、八尋君ら。

マインドゲーム

「明日の晩に、ある会合がありますが、どうしても会いたくない憎悪している人が出席するので、私も欠席しようかと思います。仮に出席したとしても、彼を無視するか、黙殺するしかありません。もしくは、相手に文句を言って争うか、妥協して、追従笑いをするしかありません。どうしたらいいでしょうか?」

あなた「どうなることを望んでいますか?」

「彼とかかわりたくないというのが正直な気持ちです。できれば欠席したいが、かといって、彼一人のために、欠席したくない。彼以外の人で会いたい人がたくさんいる。彼一人のために妥協したくない」

あなた「何の妥協ですか」

 「彼がいなければ気持ちよく出席できる。彼に気兼ねする必要があるのかーというのが妥協です」

あなた「あなたが関わりたくないのは、その人そのものではなく、その人を通して感じる憎悪でしょう。たとえ、相手が突然死んで、この世から去っても、あなたの心は穏やかではないでしょう。そうやって戦い続けるのですが、以前、あなたが同じようなめに遭った時、あなたの心は平和でしたか?今、人間関係が幸せですか?闘っている相手は、その人ではありません。どんなに排除しようとしても、あなたの心が変わらない限り、また新しい憎む相手を創るでしょう。同じ方法ではもうもううまくいかないこと気がついているのではないのですか?相手が変わってからあなたが変わるのですか?どうか愛を選択してください。もうそれしか、繰り返しの悪循環から逃れることはできません。自分を守るためにうまく立ち回って、あなたは生きてきませんでしたか?あなたが気になる人は良くも悪くも、あなた自身が反映している鏡なのです。みんな自分の立場を守りたいだけなのです。同じなのです、相手もあなたも同じなのです。相手を憎むことは、自分を憎むことになってしまうのです。あなたがそうしたいなら、憎み闘う人生を送ればいいのです。あなたがそうしたいのなら、そうすればいいのです。答えはあなた自身の中にあり、もうすでにあなたはその答えを知っているのです」

升本

美瑛

昨晩は、先輩の中山恒彦さんと銀座の「升本」で痛飲。「景虎」「立山」「浦霞」「山田錦」…あとは覚えていません。

私は行きつけの飲み屋というものはありませんが、以前は虎ノ門や田村町の「升本」にはよく飲みに行きました。そしたら、どうやら、チェーン店らしいのです。「升本」の店の発祥は神楽坂らしく、暖簾分けしてぞれぞれ独立にやっているようです。新橋の駅前の酒屋「升本」も関係があるそうです。

元々、中央大学の総長も務めた升本何とかさんという人が、おいしい酒を安く飲めるように、と昭和26年頃に大衆酒場を開いたのが最初らしいのですが、酔っ払った頭で聞いていたので、不確かです。インターネットで検索したところ、同じ升本でも江戸時代に遡る亀戸の「升本」がありましたが、これとは関係なさそうです。

もし、ご存知の方は教えてください。

私のことをよく知る先輩は「君は直情径行になるところがあるから、交渉ごとは迂回する方がいい」とアドバイスしてくれました。

人はよく見ているものです。

でも、東京に戻って、もう我慢しないことにしてます。

自分の嫌なことはしない。

嫌いな人や事からは極力避ける。

どんなに非難されようと、そうします。

限りある人生なのですから。

パソコン失敗談

十勝岳

パソコンのご相談をしたところ、どなたもコメントしてくださらないので、勝手にハードディスクから、写真を削除したところ、ブログの写真も消えてしまいまいた。ブログの写真を直接消去したわけではありません。

パソコンって、繋がっているのですね。全く関係ないと思っていたので、素人ながら驚きです。

恐らく、私の古いブログを辿ると写真のところは「×」になっているかもしれません。今更、修復するのも、大変ですので、頃合をみまして、直していきますので、ご寛恕ください。

まだ間に合いますので、パソコンをスムーズに動かす秘訣を教えてください。

私は、これは、最後の手段として、インストールしたソフトはすべて、CDかDVDにコピーして、ハードディスクをなるべく空っぽにするしかない、と睨んでいるのですが…。

ちなみに、私は今、NECの「La vie 950」を使っています。会社の富士通のパソコン(機種は不明)は本当にスムーズだったのです。富士通のパソコンには、やたらと写真や原稿の文字情報も沢山、入っていたのですが、CPUの違いなのでしょうか。

それでは皆さん、お元気で。

パソコン相談

十勝岳避難小屋

今日は思い切って、パソコンのメモリを増設してみました。

近くの量販店で、512Mバイトの増設RAMボードを買ってきて、自分で取り付けてみたのです。

最近、私のパソコンは妙に重くて起動も終了も遅く、アップロードも本当に遅くてイライラしてしまいます。

「これは、メモリを増設しなければならないな」と、思い切ってトライしてみたのですが…。

殆ど変わらないのです。騙された、という感じです。

最もお店の人も「机でいえば、ちょっと広くなった感じで、あっと驚くほどの効果はないかもしれませんよ」と忠告してくれました。

それにしても、メモリは1万1800円もしたのです。何か損した感じです。

もちろん光ファイバーを使っているのですが、その反応のノロイこと!

何かいい方法はあるのでしょうか。

どうか教えててください。

 

北中さんの番組を聴こう!

南青山「中西」 Phot by Kihee Goto  公開日時: 2006年5月6日

 

昨晩は南青山の「中西」で、後藤喜兵衛さんのお導きで飲み会がありました。2次会にも出て、最終に近い電車で帰ったら、駅を乗り過ごして、1時間かけて歩いて帰ったら、家に着いたのは午前2時でした。

 

実は、どうやって帰ったのか覚えていないのです。2次会でどんな話をしたのかも記憶がすっぽり抜けています。脳軟化症にでもなったのでしょうか?

 

そこで、記憶に残っていることをここに書きます。全く個人的な話なので、興味がない方はつまらないと思いますので、そのまま、別のサイトにお移りくださっても結構ですよ。

 

なんで個人的なことを書くのかと言いますと、いつか、日本文学者のドナルド・キーンさんにお話を伺った時に、こんなことをおっしゃっていたからです。

 

「例えば、三島由紀夫さんとは何度も一緒にお酒を飲んだり、食事をしたりしたのですが、私は日記を書く習慣がないので、三島さんとどんな話をしたのか、今ではすっかり忘れてしまって、ほとんど覚えていないのです。今から思うと、本当にもったいない話です」

 

私なんか、昨晩の2次会のことさえ覚えていないのですからね!

 

集合場所は表参道のみずほ銀行前でした。

 

私は、原宿から歩いて途中で今話題の「表参道ヒルズ」でも見ていこうかな、と思っていました。そしたら驚きです。原宿の改札口からまったく身動きができないくらい人、人、人です。日本全国から来たのではないかと思いました。大袈裟に言って20万人くらいいましたね。全く歩けません。遅刻してはいけないので、しょうがないので、地下鉄に乗って表参道まで行きました。

 

集まったのは、

 

後藤さんと音楽評論家の北中正和さん、翻訳家の片岡みい子さん、日経ビジネスの大豆生田崇志さん、TBSの齋藤孝宏さん、東京スポーツの佐藤祐二さん、MXテレビの坂本知子さん、NHKの山田賢一さん、新聞協会の吉澤正一さん、Yさん、それに私の11人。

 

南青山の「中西」はお奨めですよ。今、生ビールが100円です!

 

北中さんとお会いしたのは11年ぶりくらいでした。帯広の「ナマステ」に音楽関係の本が沢山ありましたが、そこにジョン・レノンの本があり、著者は北中さんだったので、何か異国の地で、昔懐かしい名前を見た気がしたものでした。

 

現在、北中さんは、NHK-FMで、日曜夜9時から、1時間の番組を持っています。もう7-8年続いているそうです。私も偶に聴いていました。中近東のアラビアの音楽とかジプシーの音楽とか、商業主義に乗らないマニアックな音楽をかけています。北中さんに伺うと、全部、ご自分のコレクションをスタジオに持ってきてかけているそうです。絶えず最新情報に目配りして、タワーレコードやアマゾンなどで自ら買うそうです。

 

実は音楽評論家と称するほとんどの人が、芸能事務所やレコード会社と結託して、マージンをもらうタイプが多いのですが、(そうでなければ生活できません)北中さんは、そういった商業主義から一歩身を引いた極めて稀な潔癖な評論家です。ロックの音楽評論家として出発し、ワールドミュージックの紹介者としてはパイオニア的存在です。北中さんのお歳は知っているのですが、驚くほど若く見えます。まだ30歳代の青年のような感じでした。

 

片岡さんとも本当に久しぶりに歓談することができました。彼女は最近、ブログを開設したところ、いわゆるジャンク・メールを送りつけられたり、いかがわしいサイトにリンクされたりして困っているという話を聞きました。たったひと言「身体性」というメタフィジックな言葉を書いただけで、誤解されて、変なコメントが寄せられたというので、全く異常としか言いようがありません。

 

幸い、私のブログはそれほどの被害は受けていませんが、匿名性に隠れて不届きなことを犯す、本当に憎むべき人たちが世の中にいるものです。

 

彼女は、音楽についても、昔は「シャンソン」や「カンツォーネ」などの番組があったのに、今はほとんどラジオでもかけられなくなった、ことを嘆いていました。そういえば、「お金になる」J-POPやアメリカ音楽ぐらいしか流れません。映画もハリウッドが席捲して、ヨーロッパ映画が下火になったのと同じ現象が音楽界でも、もう10年前ぐらいから起きています。

 

結局、北中さんの番組を聴いてリクエストをしようという話でまとまりました。

 

皆さんも協力してくださいね。

怒りのエネルギー

十勝岳

弟子:最近、怒りの感情を抑えることができません。封印した方がいいのでしょうか。

師匠:しっかりとその怒りの感情を感じてください。

チャンスです。本当は、元々あなたの中にあったものです。だから起きてくるのです。何度でも言います。答えはすべてあなた自身の中にあるのです。

これまで、あなたはずっと怒りの感情を封印してきました。しかし、今、その感情を出す時期にきたのです。毒だしのチャンスなのです。大切なことは、闘うことではないのです。感じきることです。必ず、必ず、見える世界が変化します。あなたの心が変われば、必ず世界が変わります。本当です。あなたの心が平和に向かっているのがわかります。しっかり感じでください。声に出して怒鳴ってもいいのです。天に向かって、神に向かって文句を言ってもいいのです。本気ならすべて届きます。封印しないでください。その怒りの感情を出し切った時に、見えてくるものが必ずあります。出会う人も変わります。チャンスなのです。

考えてはいけません。感じてください。

怒りの反対のプラスエネルギーは、やる気、情熱です。

これからは、自分の人生をしっかり創造して喜びを引き寄せてください。過去を振り返ってはいけません。過ぎ去ればすべて感謝に変わります。自分自身を慈しみ愛することを選択しなさい。

 

 

兎角この世は…

人間は一人で生きていけないので、ムラや組織を作ります。

組織を作ると命令系統や役割分担を決めるために、ポストができます。

ポストには数限りがあるので、椅子取りゲームが始まります。

ある程度のポストにいる人間は、そのポストを死守するために汲々とし、ポストが欲しい人間は、脅し、追従、土下座、服従、恐喝、寝返り…何でもします。

そんな足の引っ張り合いが嫌な人間は、最初からドロップアウトします。

しかし、ドロップアウトしても「裏社会」の方がもっと厳しい階級社会だということに気づかされます。

「兎角この世は住みにくい」という溜息が出てきます。

 

東京で会った人

神の子池

東京に戻って1ヶ月以上経ちました。

 

東京で会った、見た人ー。

 

①自己保身に汲々の人

 

②自己中心主義の人

 

③権威主義に凝り固まった人

 

④偽善的な人

 

⑤偽悪的な人

 

⑥人にぶつかっても何も言わない無礼な人

 

⑦電車の中で大声で電話している若い女

 

⑧電車の中で化粧をしている若くない女

 

⑨不正を恥じない傲慢な男

 

⑩自己犠牲を惜しまない勤勉な人

 

 

iPod体験

帯広・紫竹ガーデン

半世紀も生きていると、音楽の再生、録音機に関しては「歴史の証人」のような体験をしてきました。

まず、小学校に入る前の幼児の頃でしたが、家には78回転のSPレコードがありました。昭和三十年代の半ばです。ほとんど覚えていないのですが、クラッシックと童謡でした。ちょっと手が滑って落としたりすると、あっけなく粉々に割れてしまったことはよく覚えています。

小学校の頃は、ソノシートでした。もう、知っている人は少ないかもしれません。ビニールのペラペラのレコードです。漫画本の付録についている代物です。これで、「忍者部隊月光」や「サスケ」などを聴いていました。

私が生まれて初めてレコードを買ったのは、小学校4年の時で、ビージーズの「ジョーク」という45回転のシングル盤でした。400円でした。

再生機は、いわゆる小さなポータブルで、借りてきたローリング・ストーンズのLP「スルー・ザ・パースト・ダークリー」をかけると、再生機からレコードからはみ出ていました。

テープレコーダーは、もちろん、最初はソニー製のオープンリールでした。まだ、カセットは出回ったばかりか、庶民には高値の花だったようです。

中1の時、父が初めてステレオを買いました。これで、一気にレコード収集が加速しました。

以下中略で、LPからCDの時代になり、MDの時代になったと思ったら、いつの間にか、iPodの時代です。

私はウォークマンの走りの世代ですが、iPodには本当に脱帽です。その小さくて軽いコンパクトさ。その中に、最大1万5千曲も入ってしまうから驚きです。

自分の持っているCDを十数秒で簡単に録音できますし、Podcastといって、無料の「ラジオ放送」もインストールできました。試しにCNNとBBCのニュースを「録音」しました。CDウォークマンのように「針」が飛ぶようなことはないし、音質も非常にいいです。世界中で大ヒットし、一時は追放されたアップル創業者が復活したのは頷けます。

今の若い人はSPだけでなく、LPも見たことがない人がいるかもしれません。レコード会社の人も「CDが売れなくなった」と嘆いていましたが、私も、若かったら嵩張るレコードより、iPodで満足できたでしょう。

つまり、若くないので、やはり、LPの時代が無性に懐かしいです。これ以上書くと長くなるので、今日はこの辺で。