三門とは? 禅宗の名僧とは?=「歴史道」23号「仏像と古寺を愉しむ」特集

  外国人観光客の受け入れ制限緩和や全国旅行支援とやらで、銀座の街は、今や、お上りさんと外国人が際立って目立つようになりました。

 今朝の東京の気温は大体16度ぐらいでしたが、どうみても還暦を越えていそうな髭をたくわえたコーカサス系の外国人男性が、半袖のTシャツ一枚という真夏のような恰好で、ニコニコしていたので吃驚しました。こっちは、寒くて、中にベストまで着込んでいましたからね。

◇◇◇

 さて、「歴史道」23号「仏像と古寺を愉しむ」特集を読了しました。この手のムックは、判型がA4判に近い大きさなので、電車の中で読むにはちょっと勇気がいります。電車の中で大きな本を広げて読んでいる人は、まず見たことがありません。いるとしたら私ぐらいなものです(笑)。でも、私も分別が付き過ぎたので、家の中で静かに読むことにしたら、結構読むのに時間が掛かってしまいました。

 仏像の見方や、古寺巡礼に関する本はこれまで結構読んできましたが、やはり、奥が深いんですね。このムックで初めて知ることも多かったでした。

 例えば、お寺の本堂に入る前に大抵、三門(山門)がありますが、これは「空」「無相」「無願」の三解脱の象徴だといいます。「空」「無相」「無願」は仏教思想の根幹を成すものですから、もし御存知でなければ御自分で調べられたら良いと思います。

 私自身、自分なりにかなりの古寺名刹をお参りし、基礎的な仏教の知識や宗派や名僧について知っているつもりではありましたが、恥ずかしながら、このムックで私自身、多くのことを教えられました。

 まず、日本で初めて、国産独自の仏教宗派を開いたのは平安末期、法然(1133〜1212年)の浄土宗(1175年)だと思っておりましたが、史実はその半世紀以上前の良忍(1072〜1132年)の融通念佛宗(1124年、総本山=大阪市平野区の大念佛寺)でした。

 名僧については、特に禅宗関係で知らない人が多かったです。(以下、独自に調べたことも敷衍して書いております)

  臨済宗(達磨から6代を経た唐末の宗祖・臨済義玄が開いた)は、鎌倉時代に栄西が中国から持ち帰って開祖となり、京都に建仁寺などを建立したことは知っておりましたが、その後、様々な宗派に分かれて栄西派は衰えていったといいます。その後、室町時代になって、「応燈関」と呼ばれる3人の傑出した禅僧が現れ、復興し、現代までその隆盛がつながっているというのです。

 「応燈関」というのは、大応国師・南浦紹明(なんぽう・じょうみょう=1235~1309年)と大燈国師・宗峰妙超(しゅうほう・みょうちょう=1282~1337年)と無相大師・関山慧玄(かんざん・えげん=1277~1360年)の3人の名僧のことです。

 南浦紹明は、京都の大徳寺を開山した宗峰妙超の師です。その宗峰妙超は、花園上皇から自身の離宮を禅苑にするよう依頼されたのですが、病が重篤で、代わりに高弟の関山慧玄を推薦します。その関山が開山したのが京都の妙心寺です。

 臨済宗は現在15派に分かれており、全国に約6000の寺院がありますが、このうち約3500と半数以上が妙心寺派の寺院が占めるといいます。そして、京都の大本山妙心寺は、臨済宗系では最大規模の寺院だというのです。また、現代の臨済宗は、江戸中期の妙心寺派の白隠慧鶴(はくいん・えかく)の系統に連なるというのです。白隠といば、「禅画家」としてその名を最初に知ってしまったので、「えろうすんまへん」という気持ちです。

 つまり、白隠がいなかったら、今の臨済宗はなかったと言えるかもしれません。いわば中興の祖です。ということは、いくら宗祖や開祖が立派で偉大でも、その後を継ぐ弟子たちが大したことがなければ、その宗派は衰えてしまうということになりますね。

 また、曹洞宗についてですが、道元が中国の宋から持ち帰り宗祖となり、越前に大本山永平寺を開いたことは知っておりましたが、もう一人、大事な名僧がおりました。教団を全国展開した瑩山紹瑾(けいざん・じょうきん=1268~1325年)です。曹洞宗では道元は「高祖」、瑩山は「太祖」と呼ばれるようです。ですから、曹洞宗の場合、大本山は道元の開いた永平寺のほかに、もう一つ、瑩山が開いた總持寺があるというわけです。總持寺は当初(1321年)、能登(石川県輪島市)に建立されましたが、明治になって横浜市鶴見に移転します。

◇西瓜も蓮根も筍も隠元禅師のお蔭

 明治になって、新政府は廃仏毀釈を断行し、それでも容認した仏教・寺院は「13宗56派」あります。その13宗の中で最後に開宗したのが、江戸初期、1661年の黄檗宗です。こちらも禅宗系で開祖は中国・明から招へいした隠元隆琦(いんげん・りゅうき=1592~1673年)です。大本山萬福寺を京都の宇治に建立します。

 隠元禅師が、インゲン豆を日本にもたらしたことは知っておりましたが、このほかに、スイカやレンコン、タケノコまでもそうだったんですね。また、急須を使った煎茶文化も黄檗宗を通して広まったといいます。

 大変勉強になりました。

銀座、ちょっと気になるスポット(10)=「億の細道」と「長野県物産館」

 昨晩は夜遅くまでブログを書いていたので、少しは休めばいいのに、職業病なのか、本日もブログを書いております。

 また、「何でもブログに書けばいいと思っているんだろ?…このマンガ野郎が!」と馬鹿にされそうですが…(苦笑)。

 The show must go on!

 銀座といいますか、有楽町マリオン近くに「億の細道」があります(正式名称は「西銀座チャンスセンター」)。1等前後賞合わせて7億円の「サマージャンボ宝くじ」や10億円の「年末ジャンボ宝くじ」販売の時期ともなると、毎回長蛇の列が出来ます。日本人は縁起を担ぐので、よく観察すると、「仏滅」の日はそれほど多くはないのですが、「大安吉日」ともなると、本当に長い列が出来ます。

 この辺りは、私の通勤途中なので、並んでいる烏合の衆の皆さんを横目で見ながら、いつも「御苦労さまです」と頭を下げています。以前の古いデータではありますが、高額賞金に当選する確率は、2000万分の1だと言われているからです。1枚300円ですから、2000万枚買うと、60億円となります。

 つまり、60億円分買えば、やっと7億円とか10億円とかが当たるという単純計算になります(勿論、末等賞とかが当たりますから概算です)。同時に2000万人にやっと1人が当選するという言い方をしてもいいかもしれません。こりゃ、どう考えても詐欺(失礼!)に近い(笑)。やはり、苦労なしで確実に儲かるのは胴元に決まっている、と昔の人はよく言っておりました。

 それでも、人は長蛇の列をつくるのです。恐らく、夢を買っているのでしょう。それに、宝くじの収益金の一部で、公園の遊具などを買っているらしく、公共施設に還元しているという話ですから、彼らは納税者みたいなもんです。有楽町のここは「日本一当たる売り場」と言われていますが、わざわざ猛暑や寒風吹き荒れる中、1時間も2時間も辛抱強く並んでお金を納めてくださるのですから、私は心の中で、いつも「ご苦労さまです」と手を合わせているわけです。

銀座 NAGANO

 さて、話は変わって、先週、久しぶりに「週刊文春」を買いました。「100歳まで健康に生きる 60歳からの食事<新常識>」特集を読みたかったからでした。「食」に関しては大いに興味がありますからね。

 内容をあまり書くと、また、批判する人がいるので、最低限の引用に留めますが、この中で、一番印象に残ったことは、「なるべく白よりも黒が良い」という話です。

 これはどういうことかと言いますと、健康食として、白糖よりも黒糖が良い。白米よりも雑穀米の方が良い。そして、白いうどんよりも蕎麦の方が良い、という話なのです。

 私は「健康になれるなら死んでも構わない」というタイプですから(笑)、食べるものには気をつけます。これまで、新橋の「香川・愛媛 せとうち旬彩館」で本場の(白い)うどんばかり食べておりましたが、これから蕎麦も食べた方が良い、と一瞬で判断したわけです。

 ということで、本日は蕎麦の本場である銀座の長野県物産館に行って来ました。このビルの3階にある蕎麦専門店「真田」で、ランチして来ました。

「銀座 真田」野菜小天丼と蕎麦セット 1430円

 メニューを見たら意外と高いので、一瞬、すくんで、ひるみましたけど、思い切って、比較的安い「野菜小天丼と蕎麦セット」(1430円)を注文しました。おソバは、銀座にある大衆向けの安い蕎麦屋さんより、やはり、歯ごたえも違い、栄養分が豊富に含まれているような感じでした。

 ただし、若い仕事バリバリの現役男性ではちょっと量が足りないかもしれません。でも、健康に良い、ということなら、私自身は、麺類はなるべく蕎麦にしょうかなあ、と思っています。

「陸軍第四師団と関西財界人平生釟三郎」と「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティー」=第46回諜報研究会

10月15日(土)にオンラインで開催された第46回諜報研究会に参加しました。

 諸般の事情が御座いまして、諜報研究会のことをブログに書くのは、本当に久しぶりです。言い訳がましいのですが、茲では書けない理由の他に、自分自身のCPUの処理能力が格段に劣化して、講演者の話されるスピードの速さもあり、メモが全く追い付かず、それに輪を掛けて理解力も低下しているため、正直、とても字にすることが出来なかったのでした。

 早い話が、レベルが高過ぎて、ついていけなかったのです。

 しかし、今回は、研究会の屋台骨を支えている事務局長が登壇されたこともあり、「諸般の事情」を乗り越え、万難を排して、特別に書くことに致しました。

 最初の報告者は、中央大学国際情報学部講師で、インテリジェンス研究所事務局長の正田浩由氏です。タイトルは「陸軍第四師団と関西財界人平生釟三郎」です。

 平生釟三郎(ひらお・はちさぶろう)といえば、個人的に、直ぐに甲南学園の創立者で、教育者のイメージが強かった人でした。「個人的」というのは、神戸にある甲南大学が、東京駅に隣接する高層ビル内に「ネットワークキャンパス」なるものを設置し、ここで、社会人向けにセミナーを開催しており、私も何度か参加したことがあったからです。そのキャンパスというか、教室の入口付近に大きなパネルが何枚か展示されていて、そこに、甲南学園創立者の平生の大きな全身写真があったのでした。そこで、私は初めて平生釟三郎なる人物のことを知り、「教育者」としての印象が脳裏に刻まれたのでした。

 その平生釟三郎(1866~1945)は、報告者の正田氏によると、関西財界人で「日本財界の巨頭」、もともとは軍縮論者だったのが、大阪の陸軍第四師団(師団長は阿倍信行から寺内寿一)との交流で、取り込まれる形で親軍派に転向し、最後は「東条内閣の財界での最大の支柱」になった人だというのです。(その間、広田弘毅内閣の文部大臣、北支那方面軍経済最高顧問、大日本産業報国会会長などを歴任)

 時代的背景として、1930年ロンドン海軍軍縮会議で全権だった若槻礼次郎(元首相)が帰国した際、民衆に熱狂的に歓迎され、軍縮ムードが高まっていたところに、統帥権干犯問題や浜口雄幸首相襲撃事件などがあり、翌31年に満洲事変が起きると、当時、最も影響力があったメディアだった新聞も急に軍縮から軍国主義礼賛に方向転換した経緯があります。

 平生が、第四師団参謀長の後宮淳(うしろく・じゅん=後に陸軍大将)らと接触するうちに、短期間で自分自身の考えを変えた要因の一つとして、既成政党の腐敗があったのではないかと正田氏は分析していました。当時の政友会と民政党という二大政党が、党利党略で政権奪取のためには手段を選ばず、政争に明け暮れていたことに平生は嫌気がさし、次第に軍部に同調していったのではないかというのです。

 私自身は専門家ではないので、単なる受けおりの知識ではありますが、戦前の政党と言えば、明治以来、政友会=三井、憲政会(民政党)=三菱(首相になった憲政会の加藤高明は岩崎弥太郎の女婿で、「三菱の大番頭」と揶揄された)といった具合で財閥との結びつきが強かった印象があります。だからこそ、血盟団事件で団琢磨・三井総帥ら財界人まで襲撃されたのでしょう。政治家を操る背後に財界人がいる、と大衆まで見抜いていたのです。

 となると、平生釟三郎の場合、東京高商(現一橋大)を出た後、三菱系の東京海上の常務にまでなった人ですから、かつては民政党に肩入れしていたことがあったのか? また、東京海上を退社後、1937年から41年まで日本製鉄の会長と社長を務めていましたが、いつ、関西財界人になったのか、よく分かりませんでした。質問すれば良かったのですが、頭が混乱し、あまりにも初歩的過ぎる疑問でしたので、質問すら出来ませんでしたが…(苦笑)。

 次に登壇されたのが、日大危機管理学部教授の小谷賢氏。タイトルは「戦後日本のインテリジェンス・コミュニティー」でした。

 既に、小谷氏が8月に上梓した「日本インテリジェンス史」(中公新書)を読んで、自分なりに「予習」をしていたので、話の内容はかなりよく分かりました。テレビに出演される方だけあって、プレゼンが簡潔で巧く、分かりやすかったことは確かでした。

 ただし、この本について、渓流斎ブログで取り上げた際に、誤植を指摘したり、スパイ防止法や特定秘密保護法の制定推進派のデメリットとあやうさなども批判したりしたため、もし本人が読んだら気分を害するだろうなあ、とヒヤヒヤでした(苦笑)。

 そのため、質問も出来なかったのですが、小谷氏は最後の方で、「やはり、戦前の憲兵や特高はやり過ぎだったと思う。自民党の後藤田正晴氏が政界引退後に、町村信孝氏が日本のインテリジェンス改革に熱心だったのは、父親の町村金五が内務官僚で、厳しく取り締まり過ぎた罪滅ぼしみたいな側面が少しあったからではないか」などといった趣旨の発言をされたので、本で読んだ著者の印象がガラリと変わり、ブログではちょっと書き過ぎたかなあ、と私も少し反省しました。

 講演の内容の結論的な話は、戦前の陸海軍、外務省、内務省による縦割りの情報運用が戦後も引き継がれ、警察(内閣調査室)、公安調査庁(法務省)、外務省、防衛省という縦割りの省庁ごとの運用が続き、今でも、国家レベルではなく、省庁レベルでのインテリジェンス運用にとどまっているといったことでした。

 その点に関して、講演後に参加者から質問がありましたが、小谷氏は「戦前は、『国体護持』と言っておきながら、全然違う。天皇に情報を上げていない。戦後も自分たちの省庁や組織のために働いてはいるが、国(全体)のためにやっていない。教育の問題もあるかもしれませんが」などと答えていました。

 確かに国家存亡の危機に見舞われた時に、インテリジェンスは重大で、大きく作用します。それなのに、官僚が自分自身の出世のために、主権者である国民に対してではなく、自分の組織の上司の顔色だけを窺っているようでは、どうしようもありませんよね。

 せっかく、日本は、英国でさえ持っていない世界に誇れるスペックの高い自前の人工衛星を保持しているといわれてますから、情報を有効活用しなければ税金の無駄遣いです。結局、日本のインテリジェンスの将来は、政治家だけでなく、現場の官僚のマインドにも掛かっているという状況がよく分かりました。

 私も仕事で、霞ケ関の人たちとやり取りしていますが、彼らは機密情報でも軍事情報でも何でもない、単なる、例えば伝統工芸の大臣表彰者に関するマスコミにとっての必要情報(発表日時や表彰者の出身都道府県など)を「前例がない」との理由なのか、出し惜しみするのです。明らかに上から目線で、こちらから何度も何度も電話を掛けさせて、「官尊民卑」丸出しです。

 ですから、全員ではありませんが、エリート官僚さまは、民間である国民のことなど一切考えず、自分の出世と自分の省庁のことしか考えていない、そして、秘密でも何でもない情報までも出し惜しみすることを肌身を持って感じております。

 本日はこれが言いたくてブログを書きましたが、結局、書くのに5時間以上も掛かりました。タイパ(時間効率)が悪いよなあ〜!!

【追記】2022.10.17

 ・このブログを読まれた報告者の正田浩由先生から早速、「回答」がありました。(一部補充) 

 「平生釟三郎を関西財界人とする理由についてですが、彼は確かに東京海上にいたのですが、主に大阪と神戸の支店を任されまして、そこで甲南学園を作ったりなどして関西に根を張りました。伊藤忠の伊藤忠兵衛や阪急の小林一三らとも親しくしていたようです。それから仰る通り、平生は民政党の政策に共鳴していたようで、一部紹介いたしましたが、金解禁なども評価していました。」

以上。

・戦前の二大政党に関しては、過去に書いた渓流斎ブログもご参照ください。

2019年7月6日付「『政友会の三井、民政党の三菱』-財閥の政党支配」

2020年8月4日付「エイコ・マルコ・シナワ著『悪党・ヤクザ・ナショナリスト―近代日本の暴力政治』を読む」

変わる新橋=そして、金券ショップも変わる

 いやはや吃驚しましたね。

新橋駅前 汽車ポッポ広場

 久しぶりに新橋駅に行ったら、ちょっと様相が変わっていたのです。

 まず、上の写真の通り、駅前の俗称「汽車ポッポ広場」(私だけがそう呼んでいるのかもしれません。いつもテレビ局の街頭インタビューが敢行される広場です)の向こうの超一等地にあった大型家電量販店「ヤマダデンキLABI新橋」が閉店していたのです。調べたら、閉店は昨年の10月1日だったとか。

 確か、少なくても、私は、昨年12月に印刷カラーの年賀状を「ニュー新橋ビル」内の金券ショップに買いに来て、この辺りも通ったはずなのに、全然気が付きませんでした。

ニュー新橋ビル

 今回も、新橋に行った目的は、その「ニュー新橋ビル」内の金券ショップでした。ビル1階に15軒ぐらい入っています。本日は、18日から始まる上野の東博での特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」と、このほど、世田谷の田舎(失礼!)から東京・丸の内に移転した静嘉堂文庫美術館の安売りチケットでもないかなあ、と思って足を運んだのでした。

 そしたら、こちらもまた吃驚です。

 どこのショップを覗いても、美術展や映画などの割引券がほとんど置いていないのです。代わりに並んでいるのは、クレジットカード会社や百貨店やビール会社などの「株主優待券」や「割引券」です。中には、何と、ドル紙幣が剥き出しに売られているショップもありました。円安のせいでしょうが、これではまるでバナナの叩き売りですよ(笑)。

 他に、新幹線などの割引切符や切手や葉書も売られていましたが、まさしく、金券ショップそのまんまになってしまいました。こんな「品揃え」になっていたとは知りませんでした。いつからそうなったのか? 私の記憶では昨年の12月の時点では、こんなに金券ばかり占拠していたわけではなく、映画や美術展や寄席などの割引券や招待券(ただし有料!)が並んでいたと思います。

 恐らく、コロナの影響でこんなになってしまったのでしょう。映画館も博物館も事前に入場日時をネットで申し込まなければならなくなりましたし(勿論、窓口販売もありますが)、また、新聞社も部数が激減して、拡販用のチケットを配る余裕がなくなったのかもしれません。また、ヤマダ電機が閉店したのは、ネット通販の影響でしょうか。

 となると、こうして金券ショップに持ち込まれる「金券」は、大企業や富裕層が持て余した「株主優待券」ということが想像されます。

 私は結局、何も買わずに引き上げましたが、金券ショップに行けば、今の社会経済の仕組みと景気動向が分かりますよ。

銀座、ちょっと気になるスポット(9)=「名古屋名物 みそかつ 矢場とん」の看板

 日曜日に深酒泥酔、前後不覚になった話を書きましたが、3日経っても回復しません。老人力が付いたということなのでしょう。

 皆さんもくれぐれもお気をつけください。深酒すると、正気を失い、翌日も翌々日も響きますから、何もできません。今流行り言葉でいえば、タイムパフォーマンス=タイパが悪い、ということになります。別に、タイパなんて言わなくても、「時間効率が悪い」とか「時間の無駄」で十分通用するんですけどねえ。「回復力」についても、インテリの皆さんは最近、「レジリエントな社会」なんて、やたらとカタカナ語を使いたがりますけど、格好良いつもりなんでしょうか。

 さて、私は職業病で、ブログを書き続けていますが、題材に関してはかなり不自由しております。ので、いつものマンネリでお許しください。

銀座「みそかつ 矢場とん」

 銀座のど真ん中に、上の写真の看板が目立っていますが、これまで一度も入ったことはありませんでした。理由は簡単です。敷居が高いからです(笑)。

銀座「みそかつ 矢場とん」

 御覧の通り、「ひれとんかつ御膳」ともなりますと、6000円ですからね。そう毎日通えるようなお店ではありません。(それなのに、店内、お昼時は、ひっきりなしにお客さんが入って来ました。不景気なんて言いながら、日本人ってお金持ちなんですねえ)

 「矢場とん」は勿論、本店は名古屋にあり、「みそかつ」も名古屋名物であることは熟知しております。今年、5月に名古屋の友人に会いに行きましたが、一泊した夜は、日曜日だったせいもあり、名物店は軒並み休業で、「海老フリャア」も「みそかつ」も、とうとう現地で「名古屋名産」を食すことなく帰宅してしまいました。

 その敵討ちですかね?(笑) いえいえ、もう一回、「名古屋」の雰囲気を味わいたくなったのです。

銀座「みそかつ 矢場とん」 わらじとんかつ定食2000円

 いつも思うんですが、もし、江戸・東京が日本の首都ではなく、名古屋だったら、今頃どうなっていたんだろう?と、空想したりします。那古屋城を本拠地にした織田信長が暗殺されていなかったら…、名古屋の中村生まれの豊臣秀吉が大坂ではなく、名古屋を本拠地にしていたら…全くゼロではない可能性があります。今では、名古屋には日本を代表する世界的企業トヨタがありますし、メガバンクの名古屋支店長は出世コースでしょう。中日新聞(東京新聞)も部数で毎日新聞を抜き、全国紙並みです。

 もし名古屋が首都になっていたら、日本人は標準語として「ミャー、ミャー」語を喋っていたのかと思うと、名古屋関係者の皆様にはすみませんが、笑えてきます。

 名古屋は伊勢湾がそばにありますから、伊勢海老などの海産物も美味しければ、名古屋コーチンも有名で、隠れた食の名産がたくさんあります。

 「矢場とん」では、迷った末に「わらじとんかつ」定食2000円也を注文しましたが、みそかつと普通のとんかつの二種類セットも選べたので、つまり二人分みたいなものでした。値段並みのボリュームがありました。みそも思ったほど辛くなく、キャベツの量もちょうどよかったのですが、もう少し御飯が欲しかったなあ。(おかわり出来たかもしれませんけど)

 深酒で不調でしたが、名古屋から元気をもらいました。

「気をつけよう 甘い言葉と65度」=楽天・三木谷浩史さんに提言

 個人的な話ながら、昨日の続きです。

 相当呑み過ぎて、前後不覚になって、奇跡的に生還したという話でした(苦笑)。Aさんからは「あんな酔っ払い初めて見た。てっきりホームに転落しているかと思った」と言われてしまいました。坂口安吾の「教祖の文学」みたいですね。(小林秀雄が水道橋のプラットホームから墜落して不思議な命を助かつたという話)

 後から聞いたところ、呑み過ぎたお酒は、65度の焼酎だったようでした。えっ!? 65度!?それなら、誰でもイチコロになりますよ。

 気をつけよう 甘い言葉と65度

 どっかで転んだらしく、額と左手のひらと両足の親指に青あざが残っていますが、財布も定期入れも無事で盗まれたモノはなかったようです。(ただし、モンベルの折り畳み傘を失くしました)

 赤羽辺りで、ぼったくりバーの客引き外国人からコンビニのATMに連れていかれて、何十万円もの現金を引き出されたという事件をよく耳にしますが、私も、前後不覚でしたから、当然、毒牙に掛かり、罠にハマっていたことでしょう。そうならなかったのは、まさに奇跡でした。

ロンドンではなく東銀座

 でも、昨日も同じことを書きましたが、二日酔いで調子が悪い中、急に、私のネット銀行口座から、全く身に覚えがない1万46円という半端な金額が引き落とされたという通知がメールで来たのです。「えっ? カードが盗まれたのか?」 調べたら、ちゃんと手元にありました。 それなら、何だろう?このお金?さんざん調べても分からないので、ついに、有料電話に掛けてみました。「AIチャット」とかやっても、全く返事が来なかったからでした。

 そしたら、さんざん「自己証明」(住所、氏名、生年月日、電話番号を言え!)させておいて、引き落とされた番号まで言わされたのに、電話に出たアオヤギとかいう青年は、木で鼻を括ったような声色で、引き落とした人、会社、団体、店舗は「分かりません」ですからね。あったま来ましたよ。

 でも、夜中に電気代の請求書がメールで届き、金額が一致したので、やっと分かりました。でも、逆でしょう?楽天の三木谷浩史(57)さん? まず、請求書を出してから、後で、引き落とすという順番が筋でしょう? 社内で改善するよう是非とも対処してくださいよ!

 電気代はもともと、Rカードのクレジットカードで決済されるはずでした。それが、R銀行のデビットカードで引き落とされるとはどういうことなのか?

 思い当たることは、先月末頃、ネット通販のR市場の決済カードをRカード(クレジット)からR銀行カード(デビット)に変更したことです。これまでは、Rカードからクレジットとして引き落とされる場合、1カ月近くタイムラグがあったので、使途が明瞭で、何んともなかったのですが、R銀行はデビットカードなので、タイムラグなしに即座に引き落とされます。急に、何のお金が引き落とされたのか、さっぱり分からなかったのでした。(そして、有料電話で問い合わせても、引き落としたモノについては知らぬ存ぜぬ、でしょ?)だから、先ほど提言したように、三木谷さん、まず、最初に請求書を送ってから、数秒後でいいですから、決済してくださいな。

 天下の楽天じゃありませんか!逆だと、ぼったくりバーの客引きだと勘違いされてしまいますよ!

久しぶりに前後不覚に

  昨日は久しぶりに痛飲してしまい、前後不覚となり、どうやって帰宅したのか覚えていません。

 目が覚めたら、額に傷跡があり、血が出ていました。両足の親指の爪の中から出血していて真っ青になっていました。そして、傘をなくしていました。雨の中を足を引きずって歩いていたようです。

 二日酔いで、さすがに自己嫌悪です。

 昨日は都内のY氏邸にお招きを受け、結局6人ほど集まりました。めいめいがお酒とおつまみを持ち込み、後で分かったのですが、6時間も呑み続けていたようです。特に、宮崎産の焼酎がまるでウイスキーの味がして口当たりも良く、ストレートでバカバカ呑んでしまいました。これがいけなかったんですね。

 お蔭で、皆で話した内容はほとんど覚えていません(苦笑)。Y氏邸にお邪魔するのも、10年以上ぶりで、すっかり駅からの道程を忘れておりましたが、今は便利なことに、住所が分かり、アプリのマップのナビを使えば、何とか辿りつけるものです。

 最寄り駅に着いて、どういうわけが人通りが多いなあ、と思ったら、お祭り(太子堂八幡神社例大祭)をやっていたようです。時間がなかったので、私は通り過ぎただけでしたが。

 話の内容は覚えていない、と書きましたが、最初の素面のときは、N紙の記者であるO君が「マイナポイント」の取材を7年もやっているというので、アプリでカードにポイントが振り込まれるやり方を教えてもらいました。私は既に、入会した際に5000円分のポイントをもらっていたので、残りの1万5000円分のポイントがゲットできたようでした。

 マイナンバーカードは、政府というか、国税庁が個人の財産を全て把握するために誕生させたという説がありますが、O君は、その説には否定的で、ポイント獲得は、権利なので、やった方がいいという意見でした。

 参加した初対面のN氏は、元M紙記者で、今は森林研究整備関係の団体で活躍されているようでした。「年会費は7000円と安いから入りませんか?」と薦められましたが、曖昧な返事をして逃げてしまいました(笑)。座が盛り上がって、近くに住む軍事評論家のK氏も呼ぼうということになり、北朝鮮やウクライナ情勢の話をされましたが、私自身は、もうすっかり酔いが回っておりました。

 後から聞いた話ですと、夜10時頃、Y氏邸を辞した後、駅近くの喫茶店に3人で入って酔い覚ましをしたらしいのですが、私は全く覚えていません。O君には随分お世話になったようです。

 でも、気が付いたら、宇都宮か高崎近くの知らない駅でした。慌てて降りて戻りましたが、それはどうやら最終電車のようでした。ま、奇跡みたいなもんです。

 過日、テレビで、ある脳科学者が、人間には「帰巣本能」があるので、どんなに酔っ払っていても、家に帰ることが出来るといった話をしていましたが、まさしく、その帰巣本能で帰宅できたようです。家に着いたのは、夜中の1時過ぎでした。

 朝目覚めて、点検したら財布と定期入れは無事でした。それなのに、午後1時13分に、私のネット銀行のデビットカードから1万46円という身に覚えがない金額が引き落とされたという通知がメールで来たのです。何だろう、これ?そのカードは手元にあり、暗証番号を押さないと引き落とされないはずなので、不思議です。銀行に電話したら、「(誰が引き落としたのか)分かりません」ですからねえ。ふざけています。考えられるのは、電気代の引き落としじゃないですか、と言うのみです。電気代はクレジットカードで引き落とされることになっていたので、何か分からず、気持ちが悪いです。

 あんなに呑み過ぎなければよかった、と反省しています。あれだけ泥酔していたら、気が付かないうちに身ぐるみ剝がされていたかもしれません。そう思えば、「最小の被害で済んだ」と考えることができます。

 それにしても、我ながら馬鹿なことをしたものです。

日本はスパイ天国? =小谷賢著「日本インテリジェンス史」

 ちょっと必要に迫られて、小谷賢著「日本インテリジェンス史」(中公新書)を読了しました。正直、あまりスラスラ読める本ではなく、2週間ぐらい掛かりました。今年8月25日初版発行となっていますので、今年7月に暗殺された安倍元首相は、「安倍晋三(1954~2022)」と早くも歴史上の人物となっています。

 ちょっと偏狭な見方をしますと、この本は、長年の縦割り行政の弊害から各省庁(警察庁、外務省、防衛省、内閣府など)で共有して来なかった機密情報の一括収集機関として、2013年からその翌年にかけて国家安全保障会議(NSC)とその事務局の国家安全保障局(NSS)を設置させ、特定秘密保護法を成立させたそれまでの道のりと功績を讃えるような趣旨になっていると思います。紆余曲折の末、最後にまとめたその最大の功労者は安倍元首相であり、外事警察官僚出身で2011年から8年近く内閣情報官を務めた北村滋氏(1956~)となるようです。

 私は、タイトルの「日本インテリジェンス史」から、もっと戦前の、陸軍と海軍との対立や軍部と外務省との覇権争いなどの歴史が事細かく描かれているかと思いましたら、内容は戦後が中心でした。もっとも、著者によると、戦前は情報や機密や諜報、防諜などと言われていたことが、広い意味を含めて「インテリジェンス」という言葉に置き換えられて市民権を得たのは、2006年に「インテリジェンス 武器なき戦争」(佐藤優と手嶋龍一との初の対談本)が23万部のベストセラーになってから、ということですから、「インテリジェンス史」が21世紀の話が中心になるのは当然かもしれませんが。

 現在、日本は秘密保護法やスパイ防止法等が整備されましたが、それまでの日本は「スパイ天国」と揶揄されていたといいます。特に、1954年、駐日ソ連二等書記官を表向き装いながら、内実はソ連内務人民委員部(NKVD、後のKGB)所属の諜報員だったラストボロフ事件が有名ですが、それ以降も、やりたい放題で、日本の機密情報がソ連側に筒抜けだったのでした。

 ラストボロフ事件は、戦後間もないこともあり、シベリア抑留から日本帰国を引き換えにソ連に協力を強制された「誓約引揚者」を多く使って16人の工作員が仕立てられました。彼らは外務省職員や元軍人や大手新聞社のモスクワ支局長だったりした人です。(50ページで、警視庁が同事件で逮捕した庄司宏の肩書が「通産省通産局市場第一課課員」となってますが、「外務省国際協力局第一課課員」の間違いではないかと思われます)

 ラストボロフ事件以降にも、ソ連がらみに限っただけでも、1969年のセドフ事件、71年のコノノフ事件、74年のクブリッキー事件、76年のマチューヒン事件、同年のゴットリーブ事件、それに80年のコズロフ・宮永事件などあったようです。個人的には全く同時代で起きた事件だったというのに、寡聞にもよく知りませんでした。不明を恥じます。

 しかし、これだけ多発するとスパイ防止法や特定秘密保護法の制定を多くの市民が待ち望み、成立すれば、諸手を挙げて大賛成するのが当然と思いきや、何度も世論の反対等があって、法の成立まで戦後70年以上も掛かったのは、やはり、一部で警戒心が強かったからではないでしょうか。その原因の一つは、戦前の治安維持法を思い起こさせ、為政者の恣意的判断で、ナンボでも冤罪を生み出せそうだからです。

 この本では、筆者はあくまでも推進派であり、ゼロではありませんが、あまり批判的見解は見当たりません。それは、恐らく、筆者が、御自分の体験として本文とあとがきに書いてある通り、2005年に、PHP総研の提言書「日本のインテリジェンス体制―変革へのロードマップ」作成者の一人に選ばれたインナーサークルの人だったせいかもしれません。

 蛇足ながら、92ページに「実際に本法(軍機保護法)が適用されたのは41年のゾルゲ事件ぐらいであり」と書かれていますが、軍機保護法といえば、42年の「宮沢レーン事件」を少し取り上げてほしかったです。当時、北海道帝国大学工学部の学生だった宮沢弘幸が大学の英語教師で親しくしていたレーン夫妻に軍事機密を漏らし、夫妻もその機密を在日米大使館に伝えたとされる事件で、実際は、宮沢の道東旅行の土産話程度で、軍機とされた根室第一飛行場の存在も、市販の地図に掲載されていたという冤罪でした。(夫妻は、北海道で服役した後、米国へ強制送還。宮沢氏は拷問を受け、戦後釈放されたものの、27歳で病死。)

 こういう例を知っているせいなのか、秘密保護法やスパイ防止法等が制定され、NSCが設置されても、ジョージ・オーウェルの「1984」のビッグブラザーによる監視社会が強化されそうで、個人的には諸手を挙げて賛成できず、素直に喜べないのです。

 勿論、今の国際関係の危機、身近な例で言えば、ミサイルを飛ばし続ける北朝鮮や台湾の問題がある以上、法律制定は必要不可欠かもしれません。が、日本人は異様に真面目な民族なので、極端に走りがちになってしまうことを危惧してしまうわけです。

今まで食べていたスシは寿司ではなかったのか?

 ブログのネタに困ると、やはりランチになってしまいます。

 私の好物はたくさんありますが、中でもお寿司は大好物です。運の良いことに、銀座、築地界隈は全国一と言っていいくらい寿司屋さんのオンパレードです。それらは、ミシュランの星が付くような超高級店から大衆店までさまざまです。

手前がランチ寿司5万円の「とも樹」、向こうがカケ蕎麦500円の「歌舞伎そば」(東銀座)

 超高級店を列挙すれば、一番有名なのは、日本の首相が米大統領を接待する「すきやばし次郎」でしょうか。それに、「寿司界の東大」と言われる「二葉鮨」、会社からほど近い所にあってミシュランの星が付いて今最も勢いのある「鮨 銀座おのでら」辺りでしょうか。そうそう忘れていました。ランチが5万円からという歌舞伎座の裏にある「とも樹」なんかも富裕層に注目されています。老舗では「銀座 九兵衛」「銀座 きよ田」などがあり、枚挙に暇がありません。

 しかし、我々庶民は、そんな超高級店の暖簾はめったにくぐれません。(えっ?我々庶民、って一緒にするな、ですか?)

 では、私だけの場合、ランチの寿司を食する場合、大抵、値上げする前の「銀座 壮石」や「築地 きたろう」「築地 かつら」「築地 江戸銀」「築地 すしざんまい」辺りに行きます。大体、ランチ寿司1000円~1300円ぐらいで食べられるからです。「銀座 壮石」は、3年前は一番安い「染井」は980円でしたが、現在は1600円です。

 上限はないのですが、贅沢したい時は、2000円ぐらいの予算で、銀座コリドー街にある「美登利総本店」に行ったりします。

鮨 Ishijima ※撮影は板さんに断っております

 それが、本日は間違えて、予算を遥かにオーバーする寿司店に入ってしまいました。新富町にある「鮨 Ishijima」です。いつもなら大行列なのに、誰も並んでいない。扉が開いているので、中をチラッと覗き見するとほとんどお客さんがいない。「しめた!」と思って飛び込んでしまったのです。

 そしたら、ランチは4400円(十貫)と6600円(十二貫)の二種類のみ。「あれま」もう入ってしまったので仕方がない。4400円のランチを注文することにしました。

鮨 Ishijima ※撮影は板さんに断っております

 威勢の良い40代ぐらいの板さんの話によると、これまで、大行列が出来ていたのは、4400円相当?のランチを「特別ランチ」として期間限定で1650円で提供していたからだといいます。それが、先月9月いっぱいで終了したというのです。知らなかった…。

 特別ランチを提供した最終日は午後4時までランチの時間を延長したそうですが、それでも、皆、平均2時間ぐらい並んでいたそうです。

 10月になり、特別ランチがなくなった店内は、貧困層、いや失礼しました、情報通が来なくなったので、がら空きになったわけでした。それ、早く言ってよ~

鮨 Ishijima ※撮影は板さんに断っております

 しかし、板さんには隙を見せるわけにはいきません。いつも、「すきやばし次郎」や「おのでら」や「とも樹」に通い慣れているような素振りをみせなければいけません。

 でも、正直な私は、つい「こんな旨い寿司は今まで食べたことがないくらいですよ」と告白してしまいました。本当にその通りだったのです。第一に、カウンターに醤油が置いていない。「へい、お待ち」と差し出される握りには、既に味付けされているからです。醤油を置いていない寿司店なんて初めてでした。

 第二に、魚に筋っぽさが全くなく、鮪も鯵もトロリと溶けるような柔らかさ…。板さんの説明では、食材は宮城産、対馬産、房州産等の最高級魚の中でも最高級部位を取り揃えているというのです。それらは、キロ当たりで普通のものより2000円も高いというのです。道理で美味いはずです。

 となると、今まで私が食べていたお寿司は何だったのか?と思ってしまいましたよ。お金を出さなければ、本物は食べられませんね。哀しいかな、それが世の中の仕組みです。

 ちなみに、新富町「鮨 Ishijima」は銀座1丁目の「鮨 石島」の姉妹店です。銀座の本店(有名なイタリアン「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」の近くにあります)の方は、ランチは6600円~からです。だから、本物の鮨を出す4400円の新富町店のランチは一生に一度は経験してみると良いかもしれません。

 私も「今度また宝くじでも当たったら来ますよ」と言って、お店を出ました。

渓流斎ブログの手引き=最悪の場合は「お取り潰し」

 もひかひて、もしかして、生まれて初めて、この《渓流斎日乗》ブログにアクセスされた方がいらっしゃるかもしれません。

 というのも、私は今年4月24日、都内で大学の同窓会の講師に招かれて、講演させて頂いたのですが、時間が足りず、用意したレジュメの4分の1もお話できなかったのでした。そこで、その大学の同窓会の会報に、「お話できなかったことは、色々とブログに書いておりますので、足りない部分は是非ご参照ください」といったような趣旨といいますか、宣伝文(笑)をブログのアドレス付きで寄稿してしまったのです。(同窓会の会報は昨日、自宅に届きました)

 真面目な大学のOB、OGの皆さんのことですから、もひかひて、「あの野郎がそう言うなら、冷やかしで見てみるか」と思われた方もいらっしゃるのではないかと思ったわけです。

 しかし、初めてこのブログを読まれる方にとっては、戸惑われることも多いかもしれません。あまりにもの情報の多さで、恐らく、何をどうやって手を付けていいのか分からないと思います。

彼岸花

 そこで、私のお薦めのやり方の一つは、パソコンでしたら、サイトのトップの右に、スマホでしたらサイトの一番後ろの辺りに「検索…」Qとありますから、例えば、その中に「メディア」と書いて検索すると、過去に書かれたメディア関係の記事が出て来ます。

 私はビートルズが好きなので、結構ビートルズのことを書いていますが、やはり、検索欄に「ビートルズ」と入れて検索すると、色々と過去記事が出て来ます。私のお薦めは「銀座 新聞」と検索欄に入力して頂くと、明治時代、銀座は新聞社だらけだったことを現在の場所に行って写真を撮って5回連載した記事が出て来ますので、是非読んで頂きたいと存じます。

 でも、検索欄に「郷ひろみ」とか「SixTONES」とか入力しても記事は出て来ません。要するに「趣味が合わない」ということで、別に渓流斎ブログを今後お読みにならなくても宜しいということを意味するわけです(笑)。

 もし、かりそめにも、趣味が合ったりして、そのまま最新記事もお読み頂いたら、嬉しい限りで御座います。

◇お取り潰しの危機

 あと、申し遅れましたが、もしかして、この渓流斎ブログも今年いっぱいぐらいで、なくなってしまうことを告知しなければなりません。理由は、このブログのサイトを立ち上げ、サーバーも管理して頂いたIT技術者の松長哲聖氏が今年7月に急死されてしまったからです。松長氏の会社の後を継いでくださる方が正式に決まれば、このブログも安泰ですが、まだ御連絡がないので、今後どうなるか分かりません。

 最悪の場合、このブログも「お取り潰し」になってしまうわけです。江戸時代みたいですね。でも、人生には限りがあるわけですから、私もある程度、覚悟しております。が、世の中には、渓流斎ブログの廃絶を大喜びする輩も何人かいるので、正直、それだけは悔しいですね。

 メメント・モリ。明るく、楽しく、前向きに!